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「コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展」の企画、解説に参加して。(1)
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『LOST INTELLECTUAL GENERATIONS』。
「根っこ・ルーツ」を見直す。:
5月がもう1週間ほどで終わろうと、僕の巴里戻りもそろそろ準備をしなくてはという頃にそのお話を頂いた。
今年の僕の自分自身の「発想のための、思索のための価値判断のための所謂、私的眼差しのフォーカス」は『根っこ・ルーツ』である。人にもモノに勿論,ブランドにも総て、存在するものには『根っこ・ルーツ』がある。この『根っこ・ルーツ』を見直すことでまた、ここへ回帰したところでの自由な発想や考えが案外と、「未来」という時間へ繋がるという発想が今年の僕のテーマ。たとえば、これに沿って、僕の東京での仕事の一つである目白デザイン専門学校の今年の授業は『近代モードのルーツを知ろう』である。近代としての’60年代から現在までをグループごとに彼らが選んだ年代を生徒たちと一緒になってモードのための年表を自由な発想とグラフィックな処理で製作してゆくという授業を始めている。ここには現代のモードを学ぶ生徒たちが余りにも今のメディアの垂れ流す偏った情報のみでモードを理解した、していると思い込んでいることに危惧するからである。
自分たちの目の前を通り過ぎてゆく大量で表層的でスピィーディなファッション情報のみに左右された、表層のみで深層は無知に近い世代が、これは何もモードに限ったことではないだろう、現代の日本社会の構造が持ちえてしまった現実の一端であろう。東コレを見ていても感じたことであるから何も素人ばかりではなくコレクションを発信している側のレベルもこの程度、多くのデザイナーの『根っこ・ルーツ』が浅く、軽い。多くがCdG,ジュンヤ、マルタン,バーナード、バレンシアガ、ラフ程度。結果、裏ハラ系のNo.9などをも含めて彼らたちは時代に乗っかることが上手であって決して時代を創るまでは至らない連中ばかりがメディア受けしている唯の、『丘サーファー』レベル。
彼ら、『根っこ・ルーツ』をもっていない現代の若者たちは高度に発達したハイ・テクとメディアによる表層情報のみに振り回された情報過多症。常に、ネタを発信する情報と族に依存していないと何も出来ない不安と不自由さと寂しさを共有してしまった世代。自分の視点や考え方で、本当に自由な発想と行動ができ出来にくくなって,いつもそれらに依存しなくては何も責任ある行動が出来なくなってしまった、持てなくなってしまった『LOST INTELLECTUAL GENERATIONS』。
しかし、彼らたちはとてもポジティフで本来の日本人が持ちえている誠実さや真面目さ器用さと経済観念は未だある。無いものの多くは根っことしての気骨と根気と責任感である。
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”The Root of the Comme des Garcons”
「全く育ちの違う3ブランド。それでも、同じ服。」:
こんな僕の今年の眼差しが企業コムデギャルソンは自分たちの新しい社員へ向けて何かしなくてはというある種の危惧からの責任ある行動として今回の[コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展]の発端になった。
若い、新しい社員が年々増えてくる。彼らたちとの共通言語を模索しなければならない。そして、その共通言語で共有して行かなければならないこととは、それらが今後のこの企業の存続と隆盛を決める。もしかしたら第二の渡辺潤也が生まれる可能性だってある。 [コムデギャルソンとはどんなブランドなのか、どんな服をどのような精神と時代観で創って来たのか、どのようなメッセージを時代毎に発信していたのだろうか?]
所謂、[コムデギャルソンらしさとは?]を服屋は服で語ろうという極シンプルな試みである。そのためにこのブランドは贅沢で高品位なアーカイヴを持ち得てしまっているので川久保玲はそれを利用して何かやれないものかの思いと責任感がこのミニ・コムデギャルソン展に進展しそれに僕も企画とこの展覧会のための解説を書くことに加わった。
投稿者 : take.Hirakawa | 2004年07月04日 03:42