« 「コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展」の企画、解説に参加して。(1) | メイン | [コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展]に参加して。—最終回。 »
「コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展」の企画、解説に参加して。(2)
第1回目であるので、明快なコンセプトを提案した。
‘92年を軸と考えた。この年はモードの世界観が大きく変化の兆し表し始めた年である。クリエーションでは、[モードが地上へ舞い降りてきた。]即ち、特権階級者のためのモードが戦後の新市民階級者たちのモードになったように、このころ、バブル経済崩壊後から新たな市民階級者が認知された。そして、モードを提供する側はいち早くこの新・階級者たちを見逃さず、自分たちの新たな顧客に加えるためモードをより、中産階級者のためのものへとストリートから誕生した当時のサブカルチャーやユースカルチャーの影響を受けたミュージュックカルチャーのMTV化、ストリートスポーツの大衆化その結果としての、グラフィチィや古着の再流行、リ・サイクル、グランジェ、リ・メイク、リ・ミックス等など、ストリートでのリアリティが音楽シーンと共に大きな影響を受け、モード化され始め、提案され始めた事。
次に、イメージ戦略と広告戦略に湯水のほどに投資して自らのブランドのイメージ再建に、エゴイスチィックに半ば暴力的にファッションメディアを巻き込み結果、トム・フォードという今までこの世界には不在だったスーパースターが誕生し、自作自演を演じることでグッチブランドの再生化に繋がるというこの世界ならではの荒療法を持って登場した。彼はN.Y.の地場産業とも言っておかしくは無いこの街の広告産業を見事に利用したイメージ戦略と広告戦略を持って登場した。その後この影響は言わずと知れたもので、モードの世界で再び[ラグジュアリーブランドの時代]を誕生させるまでに至った。プラダ然り、ルイ・ヴィトン然りそして、あのLVMH対PPMR戦争へと突入して行ったことは忘れてはいまい。
これらの影響を順風万帆に受けてその後の変化を、このモードの世界をより市民生活者へ向けて進化させたのが、[モードのグローバル化]だった。アメリカのインダストリアル・ファッション・クロージングの世界即ち、アメリカの軍服、作業服メーカー上がりの衣料品世界の人たちが、発達したテクノロジーと通信技術を利用した世界規模でのMD戦略とラグジュアリィーたちと同じレベルのイメージ戦略に投資し、中国、東南アジアを一大生産基地として世界を目指した。その成果がやはり、‘92年に巨大「GAP」再生させた。以後、H&Mが、工場ブランドを世界規模のグローバル化させたZALA,MANGOもこの’92年以降の現象結果である。当然ながら、この世界規模の新たなファッションビジネスは新・市民生活者たちの手ごろなファッショナブル日常普段着として巨大マーケットを築き始め既存のプレタポルテファッションデザインビジネスを「低価格」と「高イメージ」で大いに脅かし始めた。最盛期はまるで、[ラグジュアリー対GAP] の勢いまでを感じさせるほどだった。当時は彼らたちの狭間に挟まれたプレタポルテ・ファッションデザイナーたちは瀕死や溺死状態たったといっても過言ではなかった。拝金至上主義な、ファッション・メディア誌上で大いに屈辱としてヴィジュアル先行のビジネス戦略に自分たちの肩身の狭さを味わった。 この年’92年にジュンヤブランドが東京でデヴィーした。
CdGも確かに、この時期以降[ストリートテイスト]を認識した美意識と創造性を持って実際にハッピーに着れる事を大いに意識したこのデザイナーらしさの品位ある作品群へと進化していった。例えば、反対にV&Lなどは’90年代半ばから、これ見よがしの、着れないファッション・オブジェを、遅れた視線でこの世界へ侵入してきたファッション・プロパガンダな若者に過ぎない。
僕の今回の眼差しの一つとして[‘92年]がこうしてコンセプト・キーワードとなり、展覧会となった。
そこでの展示方法は’92年を代表とした「GAP」と「CdGとジュンヤ・W」をある種哲学的発想を持って[二項対立]的手法空間演出を行った。
[CdG]が‘92年以降の彼らのアーカイヴから代表する創造性豊かなストリート性が強いものをトータル50体と’92年の[ジュンヤ]デヴューコレクションを初めとした50対余り。それに、[GAP]が40体ほどの規模の展観となった。
「全く育ちの違う3ブランド。それでも、同じ服。」ここでそれぞれのブランドが持つブランドらしさ、そして、見え方が同じ服であっても当然[根っこ・ルーツ]が違うことによる差異をあらゆることから、たとえばこの会場がかもし出す違和感などと雰囲気からも、身体で感じ、心で読んで欲しいという下心である。
ここにこの展覧会のために書き下ろした拙筆文を記しておこう。
解説 / 平川武治
主旨 / ”The Root of the Comme des Garcons”
「コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展」:
「あらゆる人やモノそして、存在する全てのモノには「根っこ」があります。
いわゆる「ルーツ」であり、「育ち」の根元です。
しかし、高度で充分すぎるまでのステレオタイプの情報量が主役となったこの日本の現在社会の環境では、ただただ、私たちの目先を通過していくこれら時代の表層、過剰情報の取捨選択と、それらを再編集する作業のみで、日常が慌ただしく過ぎてゆくことが、クリエーターと呼ばれる人たちでさえ、彼らたちの日々の現実の繰り返しです。 この様な私たちの日常の風景の中での「根っこ」は自らによってその存在確認すらされないまま表層のみが社会化され色々な環境や風景を形づくっているのが現在の東京のリアティーでしょう。
自らの「根っこ」を自認し、再確認しつつ、ディシプリンしてゆくことでその結果としての現れが社会的に認知され、認識されやがて、それらが関係、時間、質量そして、存在と経験によって「根っこ」は「育ち」、人あるいはものやブランドに「あり得るべき良き姿の本質」としての<品性や品格>が備わってきます。
初めての試みである本「コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展」の主旨はここにあります。
新たに働く人たち、もう既に働いている人たち、即ち、企業コムデギャルソンの社員の人たちに、自分が働いている企業コムデギャルソンの「コムデギャルソンらしい創造性」とは何かを自らの眼と心で感じ理解してもらうためのミニ・エキシビジョンです。
今回の第一回展は手法として<二項対立>的なある種、哲学的発想をもって、ブランド、コムデギャルソン及び、ジュンヤ ワタナベの'92年以後のコレクション・アーカイブの中から「コムデギャルソンらしい創造性」とは何かを。他方、'92年以後出頭し始めたアメリカ発のファッション産業のグローバリゼーションのブランドの先陣、インダストリアル・ファッションクロージング・ブランド「GAP」 製品との対比に依る展観を試みました。
この展観をエモーショナルに経験する事に依って自らの心の安心と自信が拡がり、それらが自分たちの直接の企業内の職域での仕事へ、新しい発想とそして、本質的なエネルギーと昇華していくことを願います。」
<二項対立におけるコムデギャルソン>
・
与えられたものとしての身体、肉体をどう拡張するか。そこに創造の必然性がある。
・
構築されたものとしての教養、美意識、関係、時間、存在などをいかに再構築するか。
そのためのルールの解体がコムデギャルソンらしい創造である。
<二項対立としてのGAPブランド>
・
インダストリアル・ファッション・クロージングの現在のあり方の一つ。
・
MDとイメージング+工業製品としての衣料品=ファッショナブル・インダストリアル・ブランド
・
日常性としてカジュアル、カンファタブル、デイリー、チープ、マスプロダクト、アウトドア、ストリートウエアー、ユニフォーム/スクール、ワークス、スポーツ。
これらの解説文がグラフィカルに白地のパネルに書き込まれているだけの風景の中に不連続な連続性を感じるまでのトルソーが建ち並ぶ。
付記
14日から22日までの1週間の開催期間で約400人ほどの人たちがこの展覧会「コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展」を見てくださったそうだ。 感謝。
投稿者 : take.Hirakawa | 2004年07月13日 17:41