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久しぶりにテントが張られた[東京コレクション]とは?テーマパーク又は、動物園?

Le Pli # 1 号
東京コレクション ‘06 S/S 評論速報誌;から抜粋。

はじめに;
      やっと、この21世紀も5年が経た今年、世界に肩を並べられるコレクション運営体制が出来たようだ。
 これが遅いのか、早いのか又、グッド・タイミングなのか?
多分、現在の東京のモードの人たちからしてみれば然程関係ないことかも知れない。

 始まったばかりだから余計そうなのだろうが、この東京のモードの人たちの今回のはしゃぎ様は外国人たちが僕たちの街を訪れ、彼らたちが眼にし、体験した東京そのものが面白く、エキサイティングであり、ファンタジックであるという確かなリアクションが彼らたちの街のメディアに取り上げられ、彼らたちの声に押されてその腰を、やっと挙げたという観が現実のように思えてならないこと。
又、当然であろうが、2010年以降の中国という國を思うとこのモードの世界の日本も今までのように『俺様然』してはいられなくなる事を、遅まきながら痛感し始めた結果の行為でもあろう。
それに、ここ2年来、東京でのモードのデザイナー輩出機能のイニシアティブを取って来た文化服装学園が現実の少子化現象の余波を当然ながらマイナス影響として感じ、実感し始めた結果、ビジネス戦略として多くの予算を投じて、「世界の文化服装」という戦略を持ったことにも関係しているだろう。

 一体、今回の、「世界に肩を並べられるコレクション運営体制」が目的としていることは何なのであろう?勿論、最終的な目標は『よいビジネス』であろう。(残念ながら文化庁の管轄ではない。)
では、ターゲットは誰なのか?USマーケットなのか、EUマーケットなのかそれとも、チャイナマーケットを中心にしたアジアンマーケットなのだろうか、それに国内マーケットの建て直しも含まれているだろうが具体的なターゲットがファジーでクリアーでない。

 現在の日本のファッション風土はデザイン表現力、素材開発力、生産キャパシティそれにマーケット力そして、ファッションエヂュケーション。これらが比較的ハイポイントでまとまった産業構造をハイ・テクと情報そしてメディア化によって構築されている。しかし、これらは戦後60年の勤勉な営みの結果、市民の生活環境や情況と同じように中間大衆消費社会構造を構造化し、具現化させ機能させたその元で、「豊かさ」を享受してしまった所詮、現在の日本市場向けの規模とレベルとクオリティの現実と情況でしかないことを改めて知らなければならない。(いわゆる、日本人は日本マーケットで十分と言う発想と意識と認識。)

 戦後、60年の結果が「豊かな生活」を享受した日本だとすれば、これからの我々がこの21世紀に求めなければならないこととは?「倫理在る成熟」化である。
単なる、物質的な豊かさからこころある成熟化即ち、精神的なゆとりと穏やかさを「人間同士のがんばり」から求め努めるという心の在り方が必要であるはずだ。
僕は現在の日本ファッションの世界にもこの「倫理ある成熟度」が必要だと考える。
売れれば勝ち。服に品がなくなっても目立つものを目立つ方法でアピールすればメディアが取り上げそれのみで消費へ結びつくという倫理なき発想がジャーナリストをも巻き込み(例えば、ドレ・キャン如きものが、)、品位や品性品格までを感じさせてくれる服がこの数シーズン僕たちの東京から姿を消してしまったようにも感じてしまう。

 我々の日常生活に倫理が消え、「悪趣味、風俗そしてメディア」受けがこのファッションの世界にも堂々と土足で入って来てしまったツケをどうするべきかを考える機会として、この「世界に肩を並べられるコレクション運営体制」が服の表層のみだけではなく服が持ち、現わす社会倫理へまでも、思慮深い一石を投じられる新体制であれば、世界レベルの東京ファッションになりえるだろう。

 今の時代、構造改革だけではダメである。(時の政府を見れば判るはずだ。)
当然であるが、構造を改革すれば、その新たな構造のためのルールが必然である時代だ。
この新たなルールに「倫理」という忘れかけられたキーワードをファッションの世界にも是非!!

31st. OCT./文責:平川武治

 閉会後談/  
今回の鳴り物入りでの展と会場は有り余ったほどの人たちが忙しく動きまわっている。が、彼らたちは自分たちがなにのために動き回っているのかもよく知らないで行動している、大勢が気になった。
 こんな形で日本のファッションの世界も[田舎管理]システム状態でスタートしてしまった。

 
 結果、僕たちの東コレ評論速報紙[LePli]も会場近辺では販売するなという、先ず、お役所式レッドカードが出された。
閉会後余談//
 もう、このオープニング状態で、あるフランス有名某紙のファッション編集記者が巴里を代表して招待されて東コレを見て書いてほしいそして、ついでにオープニングイベントのシンポジュームにも出席してほしいと頼み込んでチラシや案内にも何年か前の彼女の顔写真を使って宣伝をしていたにもかかわらず、彼女本人は当日3日前にドレ・キャンではなく、ドテキャンして姿をその巴里の社から消してしまって電話にも出ない他の人間が探しても何処にいるかも見当が付かないと言うまでの雲隠れをしてしまった。
 当然、彼女は来ず、代役でお茶を濁したのがこのオープニングイベントの大イベントだった。
結局、後で調べたら、彼女自身始めから然程行きたくなかったからと言うもの。
フランス人らしい、いわゆる登校拒否症レベルでもう、舐められている[東・コレ]新・CFD だった。

 こんなにお金を使ったのにネ、お粗末でした。

投稿者 : take.Hirakawa | 2005年12月14日 06:20