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自らが『豊なる難民』にならないように身に付けるべき『セルフ・コントロール』のためのセルフ・バランスサーが。-2

 本当に今のパリの少年たちは可愛い。
14、5歳なのだろうか? 彼らたちが、一昨年の秋、モードの世界へ影響を与えたスリムなジーンズをはいてコンバースにちょっと、ロンゲ。7:3に少し掻き分けカールされたヘヤーは今彼らたちの中での流行り。
 街では『PARANOID PARK』と言う映画が懸かる。タイミングがいい。スケーボー少年の物語。監督はGAS VAN SANT. 以前作の『ドラッグストア・カーボーイ』、『マイ・プライベート・アイダホ』を含むポーランド3部作の第1作目。

  イノセントでナイーフな今の時代観をそのまま携えた彼ら、この早熟な街で、都市で生きてゆく彼らたちは自分自身の存在そのものをアンテナにして時代の、社会の歪みから生まれるノイズをいつも敏感にピュアーに読み取ってしまうまでの早熟性と未熟性を持ち合わせている世代の『恐るべき子供たち』であろう。
未だ固まっていない知恵と早熟で不安定な五感を持って彼らたち、スケボーキッズたちは小さな、ミニマムな板切れ、ボード上で自分の身体を張っている。
自分を自由にして、自分らしく生きてゆきたいがために。
自由の裁量に総てを委ねミニマムな自分の領域、ボードの上で輝こうと
スケボーキッズたちに取っては、輝きとは自分らしいバランスを取る事で発する光。
その光に憧れる。

 友人である立花肇君。
彼と出逢ったのはもう30年も以前の事になる。
その頃の彼もナイーフな美しい少年の後半期であった。
そんな彼を昨年、在る若人たちの雑誌で本当に久しぶりにインタビューをした。
その時で彼は、既に、50歳。その彼が、『今、僕が嵌っているのがPISTO自転車なの。』
自慢げに言い放っていた。その時の彼の言葉で気になったのが、『PISTOはストリートスポーツ、最後のものです。』だった。
PISTO自転車にはブレーキが無い。
車輪とスポークとサドルとハンドルだけ、各パーツが自分たちの好みでアッセンブリッジ出来る、メカ・シンプルな自転車である。
言い方を変えれば、美しいメカものだ。
ブレーキが無い所がこの自転車の特徴であり、機能であり醍醐味であろう。 
彼らたちの『世界大会』と銘打たれたPISTOの競技会代々木公園前へ深夜に見に行った事もある。YOPPIY, HIROSHIそして、HAJIME、彼らたちと本場とされているサンフランシスコからも来ていた。京都の僕の友人たちがやっている『風』集団たちも参加。大半の日本人組たちのPISTOは美し過ぎた。
壊れそうな印象を持った。外国人組たちのPISTOはボロボロで使いこなされて安心出来そうに想えるものばかりだった。
 それから、1年も経たないうちにこのPISTO自転車は元ウラ原系を中心にしてブームになった。ウラ原を歩くと、これ見よがしに自分たちのショップ前に美しすぎるPISTOが立ち掛けられ始めた。

 分析好きの僕はすぐに、『これはスケボーと同じだ!!』と言う答えを出した。
それで、肇君が行った言葉にやっと繋がってゆく。
 自分自身の身体性と五感と体感が頼りの遊び(?)である。
自分自身の判断力と責任だけで、自分の自由の裁量に身体を委ねる事で総てがコントロールされる遊びである。 美しすぎるマシーンはミニマムな板と同じなのである。即ち、ボードをマシーン化したとも言えるのがPISTO。

 東京では大人男たちが嵌っている。
彼らたちも『バランサー』が必要なのだろう。
セルフコントロールのための『バランサー』しかも、【ミニマム】な。
大人になっても少年心を忘れたくない遊びこゝろを持つ大人たち、
彼らたちも輝きとは自分らしいバランスを取る事で発する光。
その光に憧れ続けている。

 いつの頃だったであろう。
確か、80年代の半ばの時代で在っただろう。
スケ・ボー、サーフィン、ウインドー・サーフィンがそれに自転車がブームになり始めたことを想い出した。 ある時代には「POWER」のスポーツが、ある時代は「チームワーク」なゲームが、そして、このような『セルフコントロール』のためのセルフ・バランサーが遊戯化され社会化され必要になる時代性。今と言う時代性もこの状況を想い出してしまった。
自分たちが、より、自分らしく自由の裁量に、身体性をも委ねてセルフバランスを取るための『セルフコントロール』のためのセルフ・バランサーはプロテクトし過ぎたことに気が付き始める早熟な若者こゝろを持った男たちがこの兆しを見つけ出す。

 女性はこのバランサーを自らの身体の中に持ち備えているから強い。

モードにはこのバランスがトレンドとなってあらわれる。
今シーズンのモードはそれで代表される。
着た女性の体つきを分量に依る新たなバランスを作り出すことが、この時代の新しさへ通じる一番の手法になってもう2、3シーズンが経つ。
そこに、P・ポワレ(1903年)が登場する時代性も面白い。
文責/平川武治:平成19年10月執筆分:

投稿者 : take.Hirakawa | 2008年03月10日 08:31 | comment and transrate this entry (0)

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