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Ecole de Chambre Syndicale PROMOTION-2011を見る。

 クチュールのコレクションも終るとこのシーズンのこの街は急に街の顔が変わリ、様も変わる。
知り合いの顔がバカンス先へ移動し始め、少なくなり始める。そして、旅行者たちが。
 そんな時期に新しくなったサンディカ付属学校の4年生の卒業作品のプレビューがあった。
今年の春、コレクション終了後に新校舎へ引っ越して来て、新たな場所で、
より広く環境とその先生たちもリニューアルされて始ったこの学校の立ち居場所と
そのレベルと目的がどのようなものかを見に行った。
 
 僕のこの学校の認識度は、オートクチュール協会の付属校で、クチュールで働くお針子さん養成学校である。
従って、ミシンは使わず、いわゆる、手仕事でどれだけのフランスの文化の一端としての
クチュールの世界が表現出来るか? これを習得させる学校であると。
 しかし、今回、美しい新たな環境でのこの学校を訪れて感じた事を幾つか書こう。
一番に感じた事は、既存校である、“I.F.M."(フランスモード研究所)との差異は何処なのだろうか?であった。
このI.M.F.も確か、YSLとP.ベルジェたちが30年程前に寄贈した学校である。
当時はこの街のクチュールビジネスを健全に継続させてゆく為の最新の学校であった。
付近にはクチュールハウスが軒列ぶ、モンテーヌ大通りの近くに在ったのが
数年前にこの学校もオーストリッツ駅向かいのセーヌの河畔に建てられた新建築に移動し、
クチュールの”現場界隈”から遠のいてしまった。元来、この学校は巴里のモード関係学校では
その当時、一番新しい構想を持って始められた学校であり、その目的はやはり、
此の国の文化の一部であるオートクチュールの世界とそのビジネスを
今後の世界変化に対応させ、継続させてゆく為の”ビジネス”と”マーケティング”がメインであり、
そこに後から“クリエート”が加わって現在の構造になったはずだ。そして、現在もこの構造は継続されている。
このクリエート科のディレクターは十数年以来の友人のマダムフランシーヌであり、
彼女は元々、ブリュッセルの“LaCamble校"から招聘されていらした人で先日、お会いして来た。
 
 今回のこのサンディカの付属学校の移転とその新たなカリキュラムによる生徒たちの作品は
過去に、I.M.F.で幾度か既に、審査員をさせてもらった僕としてはこの両校の”差異”が見えなかった。
 先ず、これからのこのサンデヵ付属学校では生徒たちに何をメインに教えるのか?
“技術”“創造性”そして“時代性”この三つをこの学校が教えるのか?
では、どのようなバランスで教えるのか?その目的は、何処にあるのか?
これらがはっきりと見えず、感じられず、その分だけ新鮮度に欠けてしまった。
今回のプロモーション’11を見る限り、その殆どが“I.M.F."の授業と重なっているとしか思われなかった。
この両校の”差異”が生徒たちの作品からははっきりと感じられなかったのである。
コンセプト、イメージングドシエ、素材サンプルとプロトタイプ、これらからは何もいわゆる
”学ばなければならない古さと新しさ”が感じられなかった。
僕が思うこの学校の大切なところは“学ばなければならない古さ”も大切で在るという事。
 オートクチュールとは此の国の歴史的奢侈文化を“文化を武器”としたところの産業である。
当然だが、此の国のモード関係者はこの自負によってモードの世界を”キャピタル”化し続けている。
この“ジャルダンデモード”のいわゆる、”庭師”を育成するところが
この学校の目指す目的ではないのだろうか?
端的に言ってしまえば、彼らたちには先ず、“土壌”とその”土質”が必然的に学習されていないといけない。
それが感じられず、見えなかった。“土壌”とその”土質”とは先ず、素材の事である。
素材を選ぶこと。素材の質感をどのような布目で使うかのセンス、そのためにはどのような技術が必要か?
その技術を使って、どのようなバランスの美意識で着る人の為に仕立て上げるか?
やはりこのサンディカ付属学校は極論すれば、この世界のお針子さんが持っているべき、
喪われつつもある技術とその技術をどのような美意識と着る人たちの為に使うかの総てを教える学校である。
僕が思うには、”技術”“素材”“美意識”“歴史”“奢侈文化”これで充分であろう。
当然、ここにそのプライオリティが生まれる。
これがこの学校が目指すべき方向でありそれが此の国の『オートクチュール産業』の継続と進化の為に
必要な”庭師”が持っているべき術であろう。
ここにI.M.F.とも、また他の世界のファッション学校との”大いなる差異”がそして、
この付属学校ではのプライオリティが生まれるはずだ。
 従って、僕は勝手に、I.F.M.ではオートクチュールビジネスを中心に。
そして、この新しくなったEcole de Chambre Syndicaleでは“技術とスキル”を教える。
と言う分別を持った。

 作品からは生徒たちが少し歳を取り過ぎている。ここに至る迄にそれなりの教育を受けて来た連中である。
従って、理論が先走って、手が付いて来ない現実を見る。しかも、その理論が古い。
従って、とても残念だが、多くの作品は新鮮さに欠けてしまった世界だった。
では、”技術”としての手が器用に丁寧さを生む迄のものがあったか?

 この新たな付属学校の教授陣を見ても何かが感じられる。
先生をしている僕のこの街での永い友人である、ムッシュ-バルニエは
元I.F.M.のクリエート&イメージング科の教授。その後、メゾンエルメスへ。
そして、ムッシュ-グランバッグ(オートクチュール組合の会長)の秘蔵っ子である。
その彼が実施プラニングを構成し、シナリオを書き、身じかな優秀な人を集め、現実化させたのであろう。
従って当然、”I.F.M.”の匂いは免れない。
今後、どのようにこの臭いを棲み分けてゆくかがみどころであろう。
 
 もう一つは、この新たな移転地のロケーションである。
嘗ては、巴里のモード界では“あのSentierが”とよく言われて一つ軽蔑された眼で見られていた
既製服メーカーや問屋が集まっ手いる界隈、”Sentier/サンチィェ”で在るという事だ。
以前はオートクチュールが発表する新しいラインをシーズンごとに自分たちが既製服に出来るものを
購入していた時代が在った。それから、プレタポルテが出来、例の”トレンド”がデザインされ始めると
彼ら、既製服メーカーや問屋関係者はプレタポルテデザイナーがデザインする新しいラインを、
ショーを見てコピーしてビジネスの術と拠り所にし始めた。これが’70年代以降からだ。
当然、これではプレタポルテ関係者からは嫌われる存在でしかなかったこの”Sentier/サンチィェ”。
 その界隈の中にこの新たな学校が移転されてその授業内容も新しくなったと言う事の意味は?
例えば、昨年、あのメゾン-S.リキエルが“SANDRO"や”MAJI"で売り上げを上げた
”Sentier”のアパレル企業に買収された。又、あの“COLLET"も元々は”Sentier”出身である。
このようにここ10年来この巴里のモードの世界の資本の流れも変化した。
儲けて資金力がある方が強い資本主義の現実である。
従って、自然であろう、彼らたちを自分たちの新たな仲間として迎え入れる戦略は的を得ている。
そのためにこの学校が出来る事を“GIVE& TAKE"である。
 
 それともう一つの敵である。グローバリズム以降の世界レベルの“SPA"タイプのファストファッションが
彼らのトレンドの価格破壊によって”第3の勢力化”してしまった事への共同防衛シナリオとも読める。
 従って、ここに来て巴里のモードの世界の連中たちも、自らが生み出したグローバリズムを上手く利用し乍ら、
そのために生まれたファストファッションを防御しなければならない必然構造を今後、どのように
『モードのキャピタル』然と世界へ尚も、君臨出来るか?
そのために使える最大の武器は変わらず”文化は武器”でしかない事を熟知した戦略の一環が
この"Ecole de Chambre Syndicale"のリーニュアル化であろう。
 
 そう読み込むと、ここには、もう一つの或る種の今後のこの”モードの巴里”の新たな縮図も見え隠れする。
お愉しみである。これがこの巴里のモード界の強かさでもある。
 
 今年の卒業予定者は39人。日本人は2名、韓国、中国の生徒たちが増えている。
これも現状の現れであろう。彼らたちに聞くと、大半の卒業後の進路は“STARE"しかないという。
いわゆる、クチュールメゾンか、その可能性を含まれた新人デザイナーのところか、プレタポルテメゾンでの
無給の見習い社員の仕事しかない。それも3ヶ月と言う期限付きである。
ここにも従来からのこのモードの巴里の強かで傲慢な一面がある。
多くのメゾンでは人件費節約と手が器用なよく真面目に働くビザを持てない”異邦人”たちを“STARE"として
使いこなして、自分たちのメゾンとその名声そして、ビジネスを潤滑させて来た現実は不動である。
学生が終れば当然、滞在ビザ問題が待ち受けている。
メゾンとしてリスクを張ってこれをクリアーしてくれて、”滞在ビザ”を執ってくれる迄の事は
実力と便利さと利用価値のバランスである。ここでは、もう、何処の学校を出たかは本題から外れてしまう。
例えば、日本人学生たちもその殆どがこの現実を辿り、結果、本人が間違って”ひねる”だけである。
新鮮さを喪い、生意気になりそれに、自分の世界観が霞んで来る。
しかし、そんな彼らたちは「巴里の学校で学んだ。そして有名デザイナーのところで一緒に働いた。」
これが自らの自慢であり、自信になって次なる世界へ挑戦する輩も少ないのが現実である。

 おとぎ話、『浦島太郎』は現代にもある。
ここにも所詮、”イエローマインド”を喪失してしまった、
『シングルスタンダード』でしかない日本人の像を見てしまう。
どうか、『W-スタンダード』を持って下さい。

Ecole de Chambre Syndicale/ www.modeaparis.com/vf/ecoles/

文責/平川武治:
 

投稿者 : editor | 2011年07月13日 04:08 | comment and transrate this entry (0)

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