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『モードを語るとは,モードを評論するとは?』—参。
モードを語る前に、”象徴の貧困”としてのモード化社会。
『我々の今日的社会はコントロール社会(管理される社会)と言う調整社会であり、この様な社会に於いては
バランサーとしての感覚的な武器が必要不可欠である。』
Jeremy Rifkinはこれを『文化資本主義』と論じた。
/「アクセスの時代—Age of Access」/渡辺康雄訳;集英社刊/01年:
例えば、以前読んだ本に、このような一文もあった。
『ハイパーインダストリアル時代には、感受性は執拗なマーケティング戦略攻撃に晒されているが、
その感受性こそが今、紛れもなく起っているあらゆる種類の戦いの争点となっていると言う事。
その戦いの武器はテクノロジーであり、被害を受けるのは個々のそして、それぞれの集団
つまり、異文化/異民族の特異性であり、今や文化資本主義の下、我々の消費社会は
”象徴の貧困”が果てしなく広がるに至っていると言うこと。
例えば、武器としてのオーディオヴィジュアルやデジタルと言ったバーチャルな感覚に関わる技術を
コントロールする事が問題なのでありそして、その技術のコントーロールを通じて、
魂とそれが住む身体の意識と無意識の時間までをもコントロールしようとの企てが始る。
それは”流れ/フロー”をコントロールする事で”意識と生”の時間を調整する事なのである。』*
*“DELA MISERE SYMBOLIQUE 1. L'epoque hyperindustrielle"
By Bernard STIEGLER EDITIONS GALIEE,04/Paris.
そして、世界は確実にある一つの流れの方向へ導かれている。
世界規模で最近、実施された地デジ変換の目的の一つもこの範疇である。
インターネットを介したTVとPCの統合により、明日の『テレヴィジョン』端末は
『テレアクション』端末へと変革する。
そこでは、文化資本主義の下に文化産業が産業全般そして、今後の情報社会の基幹産業となる。
(映画+TV+ゲーム+音楽+フットボール+ショッピング+金融=テレアクション)
世界はこの21世紀になって以来、
文化資本主義の下、文化産業をビジネス構造化するための”文化価値”と
感覚的武器の一つである芸術の価値即ち、”美-美意識”の“価値判断”の唯一統合化に依って、
”特異なモノが特殊なモノに”変えられてしまう。
そして、国際銀行家たちの最終戦略は中国貨幣、元の決断によって今後、
”世界統一貨幣”計画の秒読み段階へと流れ込む。
彼らたちにとって変わらぬ世界とは、
コントロール社会(管理される社会)が”金融—価値観—武器”の新たな調整戦略によって
より高度な技術による、コントロール社会(管理される社会)へと進化,革新してゆく事。
これが今後の、世界の”グローバリゼーション”の本意本質である。
こうして”未来”を読んだ場合、
ファッションの世界は“象徴の貧困”が表層化されるだけであろう。
そこに“表層のボキャブラリィー”がより、フォーカスされ、”特異な文化が特殊な世界に”変えられてしまう。
例えば、ファッションに於ける“象徴の貧困”とは、
ラグジュアリィ—は、金メッキ化されたヴァニティな世界でしかなく、
“流行/トレンド”とはフアスト-ファッションである。調和のための創造は“キッチュ”へと流れる。
救われる、唯一の身体の意識と無意識の時間のための”武器”は“過去”の使い方である。
この過去とは“共有したノスタルジア”の不連続な連続における集合体として甦る。
ここでの価値は”未来のイメージ”ではなく、過去へのイメージであり、
それ以上に共有し得る”エピソード”のヴィジュアル化と“コスチューム”化が
”ハイパーインダストリアル社会”の新たな”武器”だ。
象徴が貧困化すればするほど、嘗ての”カッコ良さ”がノスタルジー化され,
美化され語り続けたい”エピソード”になる。
ここにも、『”成熟”を拒否し始めた世代』の表層が見える。
このような時代観を自らの”形態言語”の環境としたとき、
モードを語る人たちは何を語れば良いのか?
『誰が』『いつ』『誰に向けて』『何のため』それらを作ったのかという事を
どのような”立ち居場所”で、どのような”眼差し”で、どのような”ボケブラリィー”で、
どのような”未来”へ向けて語られるのだろうか?
次回はこれらをもう少し、具体的にまとめてみましょう。
文責/平川武治:
秋への誘い月は恥ずかしさの半月/平成二十三年九月七日早朝。
投稿者 : editor | 2011年09月06日 23:53 | comment and transrate this entry (0)