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『モードを語るとは,モードを評論するとは?』—四。
モードを語るために、論じるためにどのようなデシプリンが必要か?
『—— 王さまは ごうかな天がいを さしかけられて、
あるいていきました。
町の人たちは、みちばたに むらがったり、
まどに すずなりになったりして、
王さまのあたらしいふくを、けんぶつしました。
ふくがみえない ばかものだと、他人に 思われては こまります。
ですから 町の人たちは、せいいっぱい ほめました。
「きれいだなあ」
「すてきなマントね」
「まぶしいぐらいに、おにあいだ」
ほめそやす声で、町じゅうが どよめきました。
「うそだ。王さまは、なにも きていない。はだかだよ!」
子どもが ひとり さけびました。——— 』
「はだかの王さま」アンデルセン作/木村由利子訳/村上豊繪/mikihouse刊:
僕が小学生最後の学芸会でこの『裸の王さま』のペテン洋裁師を演じさせてもらった。
もう、半世紀も以前の事であり、或る意味で僕にとっての一つの『育ちのボキャブラリィー』でもある。
そして、結果、この様な現在の仕事に携わることになりやはり、いろんな場面で思い出す事が多く有る。
どのような身振りで演じたかさえも思い出す事がある。
僕にとっての究極の、”モードとは?”に、
“THE FASHION IS ALWAYS IN FAKE."と言うボキャブラリィーが有るが、ここが一端であろう。
僕の’80年代末から’90年代末までは一番沢山のショーを見せて頂く機会を与えて頂いた。
この時期は巴里のコレクションを始め、各國の学校、コンテスト等を廻り、
一シーズンで400以上のコレクションを見る経験を継続して来た。
これは時代的にも恵まれていた。モードの風向きが一番激しく、豊かに面白く自由な風の風向きであった。
“創造”と“創造性”が溢れんばかりにコレクションに現われた時代だった。
多くの素晴らしい、若いクリエーターたちはまるで“カッコいいマジシャン”たちであった時代。
ここにはまだ、“特異性”が燦然と耀き、存在していた時代。
前回書いた、”特異なモノが特殊なモノに”変えられてしまう、前夜情況であった。
見る側でも”ファッション活動家”たちが沢山誕生した時代であった。
そんな彼らたちと出会い、特異なモノを共有し、コンペディションする事そのものが仕事であった時代。
経験から持ち始めた”継続して視ること”の大切さとそこから生まれ学べた価値観。
このために巴里にアパートを借りた。
年に4〜5回の東京—巴里の移動のための時間と体力と資金。
見せて頂くために持ち得なければならない”信用”と
学ばなければならない時代性やモード観。
これらは総て、見せて頂きそして、書き手としての”デシプリン”である。
この僕しか出来ないオリジナルな経験へ“リスクとコスト”を張って、継続して来た結果、
モードの巴里と言う現実世界での、日本に居ては経験出来ない多くの出会いが在り、
好奇心揺さぶる、興味深い人たちとのリアリティ深き、”関係性”を持つことが出来た。
感謝のみである。そして、貴重である。
もう、この様なピアーな激しさと自由さのモードの時代の再来は絶対に、全く不可であるからだ。
このような時代に“当事者”として、想うモードに深く、永く関わられた事はsupreme blissである。
お判りのように”モード”には造る人も、着る人、見る人をも至福にする”FAKE"さがある。
しかし、唯モードを論じる人たちにはなかなか、この“FAKE"さが見えないし楽しめない。
なぜなら、多くは自心の身体でファッションを感じず、ファッションを寧ろ、頭で視ている人たちである。
ここには論じる側の思うロマンティズムや下こゝろは在っても、愛やデシプリンがないからである。
今夜は、友人が京都から持参してくださった“CHIANTI,キャンティの30年”史を愉しく読ませて頂こう。
いつの間にか、日本のファッションに携わっている人たちが“ヤンキー”系で多く占められるようになった
なぞが読めるかも知れない。
平成二十三年九月八日:
文責/平川武治:
投稿者 : editor | 2011年09月08日 12:19 | comment and transrate this entry (0)