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やはり、これから始めよう。CdG川久保玲/パリコレクション2012S/S-1

 ひらかわ式パリコレを論じる。
  夏の残り火が狂い始めて連日のインディアンサマーな巴里、
そんな異常気象の天候の中、5日前から始ったパリコレも今日が中日。
論じたくなるまでのコレクションがやはり少ない。

 CdG/川久保玲;
 「こゝろ激しくも美しく、強かに悲しくも潔い女こゝろを感じ見てしまった。」

 CdG,川久保玲のコレクションには久しぶりに違った世界の側からの
激しい想いが伝わりとても深く感動した。
ここには『特異性のみが存在し、特殊性は姿を現さなかった。』
これはもう、ファッションショーと言うカテゴリーで囚われない
そして、語ってはいけない世界であった。
余りにも、”本質”論的世界が提示されたからである。
 
 一人の女の激しいまでの、自分が求めた世界に自分らしく、
自分にしか出来ない生き方を、がんばりを挑戦し続けて来た時間を創造したのだろうか?
一人の女の生き様を、押さえきれない迄のその感情を見事なまでに“服”化しようと努めた世界であった。
否、もしかしたら今日見せられたモノはそれらは世間で言うところの、
このファッションウイークのファッション-ビクテムたちが”服”だと思っているものからは程遠い、
ただ、崇高なる次元のこの当事者にしか表現出来ないこゝろに溜まり切ったデジャヴだったのかも知れない。

 僕はそう感じた。そして、僕がショーの途中から気になったのは、
今現在、これを見ている会場の女性たちがどのような思いを感じ始めたのだろうか?
感情変化と移入、その結果として、自分の”生”に置き換えた時の
現実感がどのようなものであろうかと、終ってから一番気に懸かった事だった。
出来ればそれぞれに聞いてみたいと思った。
 
 そして、僕が感じたのは、”これはドキュメントだ”であった。
例えば、嘗て、ダニエル-シュミットによって制作されたドキュメントフィルムの名作“トスカの接吻”を思い出す。
この’86年に制作された、作曲家ヴェルディが創立したミラノに実在する音楽家のための養老院“ヴェルディの家”を
舞台にした、そこに住む往年のオペラ歌手たちの生活風景をドキュメントした作品である。
 今日のコレクションをモノクロのフィルムに撮って、年老いたご夫人たちに見て、着て頂きたいと思った。
彼女たちはどのように直接的な感情移入するであろうか? と。
それをまたフィルムに撮りたいと迄。
それ程迄に、僕には深くこゝろにこの次から次へと繰り返し、繰り返し現われる純白なシーンに嵌ってしまう。

 純白であればあるほどに
この白い塊はそれが”服”と呼ぶには激しい過ぎる潔さを感じさせる連続であった。
確かに、これは“服”と言うかたちを使っての
このデザイナー自心のこゝろの有り様でしかない。
吐き出したい感情が出てしまったカオス。そして、気力と魂の化身。
 純白はモノの有り様の根源を現すとともに、
総てを吸い込んだ結果としてのこゝろの在り様でもある白。

 差し伸べさせられた手を前に縛られた女性の象徴的なプロローグで始った。
僕は日本人であるから、”角隠し”を思うところ、覆い隠す本心、拒絶された自由さ、
それらが泡沫によって顔迄も表層を被う。
一切の”表層のボキャブラリィー”を否定、拒否する迄の真こゝろの造形。
従って、表層から集め読むコードは殆ど意味をなす迄のものではない。
このデザイナーの”魂のカオス”でしかないからである。
30年近くの当事者としての信念と自信と責任がここにはあるだけ。
決して、過去にこだわった世界だけではない。
現在に通じている総て。

『では、女たちは自由が得られたのですか?』と言う
このデザイナーしか創造出来ないジェンダーなメッセージ。
こゝろの手足が出せない女たち。
“かごの中の蝶”
華に被われる女たち
華に託する女こゝろ。
もう一つの顔をわざわざ被らなければならない日常性。
路上に当り前の様な風景に馴染んでしまった”グラフィティ”の断片を
自分の魂の断片として切り取る強さ激しさ。
ここにもこのデザイナーの変わらぬ”パンク魂”が読み取れる。
このグラフィティをこれほど迄に“エレガンス”に使いこなす技は自信と凄みからの姿。

 これを見せられ、”当事者”となってしまった女性たちは何を感じたのだろうか?
何を憶ったのであろうか?
今後、どのような行為をするのだろうか?

『見てしまった僕たちが出来る事とは?』

 3.11以降の日本人しか持てない変わってしまったこゝろの在り様。
これは決して、この街で行なわれて来た長い歴史の中での
ファッションショーではない。
華をも白くした塊と言う美しさを借り創造された”ドキュメント”。
これは“場違いなハプニング”。
このデザイナーの存在そのものが、彼女の立ち居場所そのものが
この世界では永く努力し、継続し続けて来た“ハプニング”である。
彼女の真こゝろの,華迄白くして仕舞うまでの純白を見てしまった僕。

 25年を続けてみせて頂いて来た僕は
辛く、嬉しくこゝろ晴れ晴れ、
今回も、当事者の一人になる機会を,勇気を下さって、
ありがとうございました。
文責/平川武治: 

投稿者 : editor | 2011年10月02日 16:55 | comment and transrate this entry (0)

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