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2016年9月30日

’16/’17・ 秋冬のコムデギャルソンのコレクションと「裸の王様」

 実は、この原稿は先シーズンのCdG,川久保玲のコレクションを見た後の、後味の悪さと心のざわめきによって書いたものでした。
 その後、しばらくまとめることができず放置しておいたのですが、先シーズンのオム・コレクションで、再びこのCdG・HPがやってくれたのがこの童話「裸の王様」を一つのコンテンツとしたコレクションだったので驚いた。

 
 <今回、彼女の自身のコレクションがもうすぐ、ここパリで行われるので再読し、
まとめたものです。>

 皆さんは童話「裸の王様」を読んだことはありますね。
 デンマークの童話作家、アンデルセンが1837年に発表。原題 "Kejserens nye klæder"であり、日本語に直訳すると「皇帝の新しい服」となるいわゆる、二人の服飾ペテン師の話です。
 アンデルセン自身もユダヤ人でしたからこの童話は多くの比喩がなされていますね。
この童話の幾つかの比喩が現在のファッション・ビジネスの世界を構築している根幹の全てです。
 この童話が世に出たヨオがロッパ世界の1837年には、あのモールスが有線信号を実用化し、「産業革命」という言葉が初めて使われ始めたのもこの年からであり、ヨオロッパで新たな市民社会が躍動し始めた時期だったのです。「衣装品」の世界も手工芸の機織りから機械生産が、そして1840年にはミシンが誕生しいわゆる、量産が可能になり始めた時代でもあったのです。
 だから、僕が見てしまった40年間ほどのファッションの世界も未だに、この童話「裸の王様」の世界であり、社会環境というよりは”技術”の発達と進化によって齎された生活環境が変化しただけであって物事の”善悪”と人間の”業欲”の根幹はほとんどこの時代によって構築されたもので、以後、これらは”普遍的”でしかありません。

 *
 "The fashion is always in fake."と僕はよく発言します。
が、この発端は僕なりのこの「裸の王様」の読後感とその後の経験からの言葉で、この”FAKE”で成り立っている世界そのものがやはりファッションの世界なのでしょう。
 これは作り手であるデザイナーや売り手であるセールスマンそして、作られた作品としての服がこの”FAKE”で成り立っている世界だということです。
 そのファッションの世界が今では、広告産業と化してしまったということもこれで納得がいくでしょう。広告産業の根幹もこの”FAKE”ですからね。”FAKE”をイメージやクリエーションと訳せば事は簡単です。
 そうすれば、「アート」の世界をこのファッションの”FAKE”側に立っている人たちが渇望することも理解できますね。現代美術とはユダヤ人たちが作り上げた”芸術”という構造の上に立った20世紀最後の一番、知的で教養あるそして、巧妙な”FAKE”ビジネスの世界だからでしょう。
 その世界を見習ったファッションの世界の作り手であるデザイナーたち自身の立ち居場所とその”来歴”には多くの ”FAKE”が見つけられます。
 これは僕のパリモード30年の経験で言える事です。当然ですが、日本人デザイナーたちの多くもこの部類の人たちです。何かしら、自分の経歴や来歴それに、育ちや環境について、学んでいないのに学んだようにまた、自分が作っていないのに自分の創造のように発言したりと平気で偽りの厚塗りを行ってその立ち居場所を虚構している人たちです。
 僕が自分の立ち居場所であるこの”ファッションの世界”の人たちとの関係性を世界レベルで30年以上見てきた経験と体験からやはり、「この世界の人たちで、”尊敬”できる人たちが少ない。」と言い切っている根幹はここにあります。あまりにも彼らたちの多くが”小さな嘘”を当たり前のように吐く。
 そして、彼らたちのセンスと教養をより、上塗りしなければならないために、解ったふりして
”持ち上げている”人種たち、ファッションメディアとその周辺での傍観者たちがファッション・ジャーナリストと呼ばれている殆ど、”パラサイト”な人種たちです。
 この虚構構造を企業構造として”カネと小さな嘘”でジグソウパズル・ゲームよろしく”上書き”
を絶えずしながら「壁紙」を堂々と強かに且つ、楽しみ、カッコつけが厚顔に出来る現在の立ち居場所に君臨してしまっているデザイナーたちが”巨匠”的存在になるのもこの世界の特徴でしょう。ここには「純金の輝きから、鍍金の輝き」になってしまったビジネス社会の表層と現実があります。
 この多くの事実の根幹は周りから「自由な発想でカッコよく、出来れば少し、知的に見られればいい。」のレベルでの”FAKE”です。だから罪にもならないのでしょう。例えば、このFAKE構造のためのシナリオを書いたり、自分たちのデザイナーをより、”鍍金の輝き”にするためにプロテクトする立場の人たちが”プレス”という職域の人たちと彼らたちに”パラサイト”している先述のファッション・ジャーナリストたちで構成されているのがこの「裸の王様」をコンテンツとした世界であると実体験してきたのが僕のモードとの関わりの30年でしょう。
 もうひとつの世界とは、この「裸の王様」では”イカサマ”をした彼らたちが関わらなかった、実際に「服」というモノ=消費財を生み出す世界、”生地屋さんと縫製工場”の世界があります。
しかし、多くのジャーナリストと呼ばれる側の人たちもこの実世界には立ち入らないしまた、
入れない。この世界では”作る”ことが勝負の世界ですからどれだけの”モノ”を作れるかという
”実世界”なのです。だから、この世界へ立ち入るのは”業界”メディアとされている、より専門的な視点とスキルと経験を持った殆ど、”職人的”なあるいは、より専門的な職域なのです。
現実には”素材”や”縫製技術”を語れる経験と教養とスキルを持ったジャーナリストという立場の人たちが少数でありまた、”メディアという広告産業+e-コマース”の発達でほとんど必要なない世界になってしまっていますね。
 したがって、この世界はデザイナーたちがどれだけの”金の卵”を生み続けられるかによって、
この構造の規模が違ってくるだけであって、”ピン”は世界のラグジュアリー・ブランドのデザイナーたちから、”キリ”は東コレ構造にパラサイトしているデザイナーたちの現実状況でしょう。従って、プレス業務とはそのためにどのようなメディアとお付き合いをするか?あるいは、どのようなジャーナリストたちとお友達関係を築くか?が具体的なお仕事ですね。
 この現実も世界に出てみるとファッション産業の世界はほとんどがユダヤ人民族で構成されているという事実に関係しているでしょう。彼らたち民族の秀でた特性の一つに”美意識”が高い事と”無いものを在るように見せることが上手く”そして、白人にしては”手先も器用”です。この彼らの特性は「アート」の世界やファッションの世界に特出した特性なのです。
 例えば、「付加価値」という言葉、確か’80年代のマーケティングの世界で言い尽くされてきましたが、彼らたちはこの広告業界の根幹コンテンツ、「付加価値」の創造が秀でて上手いこと
でしょう。そして、「ユダヤ人世界」という普遍的なる”関係性”を堂々と使いこなせるもう一つの強みを持っている民族だからでしょう。
 例えば、この歴史的現実を学ぶには、二十世紀の当時の新しい学問であった”精神分析”と”心理学”から大衆と少衆たちをどのようにマインドコントロールしてきたかのプロセスとその結果、広告産業を生み、政治へ利用し、中産消費社会構造を誕生させたプロセス。この二十世紀における資本主義社会に何が重要な課題であったかとともに、これらをドキュメントフィルムにまとめられた素晴らしい、力作があります。
 原題は"The Century of the Self"、「自我の世紀」という訳されたもので、G.フロイトから戦後の”消費資本主義世界”がどのように彼らたちによって、コントロールされて二十世紀という時代が生み出されてきたのか?約3時間以上に上る英国のBBC放送局が制作したこの世界のドキュメントフィルムの素晴らしいものが現在でもユーチューブで見ることができます。
(興味深い英國BBC制作のドキュメントフィルム:参考/"The Century of the Self":
https://www.youtube.com/watch?v=eJ3RzGoQC4s
 ここでみなさんは理解されたでしょう、「実際に、服が作れなくても、作らなくても、さも自分が作ったような顔つきを上手に、したたかに素早く権力者にあるいは、お金持ちたちに取り入れば、関係性を構築すれば、自分たちは美味しいものと女たちにありつける環境が手に入る。」この実際の世界を比喩したのがアンデルセンの"Kejserens nye klæder"「裸の王様」という”童話”ですね。ここには、それなりの人たちがファッションの世界に憧れる根幹がすでに、コンテンツ化され、学び、深読みできる童話になっていますね。

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 昨年来、敗戦後の日本が根幹の「倫理観無き世界」が原因の不祥事が続々と表層化し、メディアが面白がって過敏に、過熱報道し始めています。現在ではその渦中にいるのが「舛添東京都知事の倫理観無き行為」でしょう。(早いものですね、今では、もう誰も語らなくなりましたね、わずか10ヶ月前の不祥事ですが、)彼の場合も”世代”と”育ち”にありますね。”世代”は戦後の荒廃期そして、”育ち”は自分から「在日」をカミングアウトをしてその立ち居場所を両義性あるものにする。ここには「ユダヤ人」たちの手法と同類性を見てしまいます。
 敗戦後のあの瓦礫の世界から1日も早く生え抜け出すためには「倫理観」ほど無力、無益なものはなかったのが現実でした。これは”敗戦後”を実体験して生き抜いてきた世代の人たちの現実/リアリティでした。従って、”戦後日本”の”中産階級”構造を現在のような「B層」構造に構築化してしまった元凶は「取り合えづは、、、」という言葉と「倫理観無き世界」の「根性論」構造が産み出したもの。この世界で多くの彼らたちは自分たち家族のための「ガンバリ」を、戦前の日本にはあったはずの含羞を捨て去り、根性で生き抜いてきた人たち”育ち”の賜物でしょう。それが70年を経た今、「舛添東京都知事の倫理観なき、反省なき行為」でしょう。
 戦後日本のファッションの世界を省みても彼らたちの戦後の功績は実業界と芸能界やプロスポーツ界のみならず、案外とファッションの世界にも多いのです。彼らたちの「ガンバリ」と「根性」によって、自らの”立ち居場所”を「革新」できるという敗戦後の「自由」の社会が存在し、その「自由」を謳歌した人たちが60年代後半に生まれた世界、”マンション・メーカー”から始まりその後の、東京デザイナーたちへ引き継がれていますね。次なるは、彼らたちのこの世界へ当時の”カウンターカルチュアー”を読み込み、”カッコイイ”と憧れてやってきた「団塊の世代」たちによって事実上、模倣されたファッション・ヤッピーたちのもう一つの現実が日本のファッションの二つの構造世界を構築してきました。

***
 コムデギャルソンのデザイナーである川久保玲の先シーズンは彼女の高齢化とその立ち居場所を死守するというこの世代のデザイナーが誰しも向かう”最後の困難”へ挑戦した。この至難な困難さは前シーズンに既に、その兆候が見られた。
 その大きな一つは、もう彼女が作り出す”創造の世界”のエレメントが使い古され始めたこと。8シーズン程も続けたこの彼女の変わらぬチャレンジ・シリーズもある種の、マンネリ化をもたらし始め、見る者に新たで強烈な時代感が感じられるまでには至らなくなった。使いまわされ始めた”エレメント”をファッショントレンドで出された素材でまとめ上げられるという手法に陥ってしまった。かわらづ続けて見せていただいている僕にはここにエネルギィイの欠如感とソースオブザクリエーションが新しくなくなってしまたと感じる。
 ここにはこのシリーズになってから常に変わらずに登場する一つのパターンがあった。2008年にアメリカで行われた展覧会で刊行された「MASK」は彼女のコレクションのソースブックであったろう。また、2012年にドイツで発行された、C. Fregerがまとめた東ヨオロッパにおける民族サイトその衣装写真集、「Wilder Mann」からも最近では影響が見られ始めた。この「MASK」からの1体は前シーズンまで使う素材をそのトレンド性に合わせながら引き継がれ使われているし、多くのインスピレーションを「Wilder Mann」からも感じ取れるコレクションが多くなってきた。
 確か3シーズン目では、僕はこのデザイナーは自分の「自伝」を作品によって語り始めたのであろうか?と言う迄のかなり、辛く、苦しいピアーなエレメントをメタファーすることが出来たが、次なる前シーズンはその激痛はなく、先シーズンはでは、どのようになるのだろうか?が僕の一番の関心であった。
 そして、先シーズンの彼女のコレクションはより、蛇足的になり、わかりやすい”ファッショントレンド・アート的コレクション”でしかなかった。使われたエレメントも時代との関係性からは、全く創造的な価値観は無くなり、今シーズンの新たな新しさとして若手デザイナーたちからぼつぼつ登場し始めた、「without sewing」の世界観までをも感じられた。
 僕的なる視点では彼女の制作チームが変わり、この制作チーム力が”弱い”あるいは、”若い”もしくは、彼女がやりたいことが十分に伝わりきれずに”発車”してしまった。なので、「このままでいいもですか?」という気持ちが後に残ってしまったのが先シーズン。
 「CdGの川久保玲で在り続ける」こととは、これが今の彼女の”こゝろの有り様”であろう。
実際に彼女が取り始めた戦略とは、「特異性」の維持であろう。
 当時、このブランド名からしても、”巴里大好き!”な、憧れであったモードの街、巴里へ進出して以来のブランド・デザイナー川久保玲の見られ方は、決して、この街の”ファッション体制”
に媚びない。という一点であっただろう。そのためにどのような服作りとイメージ作りをして行けば良いか?そのための”資金”も必要。この時に彼女が採った立ち居場所は「パリに居て、巴里から遠く離れて、」というまでの「特異性」を構築することであったはず。
 その結果と、延長が現在の彼女の最近の作品群と方法になってその”立ち居場所”を今も堅持している。この「凄さ」は凄い。先シーズンの作られている作品を見る限り、一つの見方は”リアリティ”がなくなり始めた。という視点である。このデザイナーが持ち得た”リアリティ”と実際の作品との関係性が普遍性になってきているからだ。この根拠はやはり、彼女の最近の「特異性」にもファッショントレンドが重なり始めているからであり、その「創造のための発想」の拠り所が
”机上”からのものが多くなってきていると感じられるからである。
 以前のこのブランドの「凄さ」とは「リアリティ」に所在していた。時代に対してのリアリティ、着る女性が感じたいリアリティとしての「リアリティある」あるいは、「リアリティを感じさせる」までのフェミニズムを軸にした「特異性」があったが、それがなくなってしまったという見え方である。ヨオロッパの多くのファッション・スクールの審査をやらせて頂いて来た強かな経験の僕にはしたがって、コレクションのクオリティが下がるとその見え方は「スクール・コレクション」の域になってしまう。ここ2シーズンの彼女の「特異性」は残念ながらこのように見えてしまった。
 彼女の”実生活”からどのような時代観やそれに対する「カウンター」を持ち得ているのか?
が見えないし、感じられない。しかし、僕がこのブランドのコレクションを'85年来の長い間見せていただいている限りでは、川久保玲というデザイナーは以前からこのような”自身のボキャブラリィー”での「カウンター・カルチャー」は持っていなかったのが現実だ。寧ろ、周りのメディアによって意味付けされてきたものを良い処取りする手法を使ってきた。例えば、「寡黙なデザイナー」で代表している風潮がこれを物語っている。多くのデザイナーたちがメディアに映り出されることが大好きで、喋らなくてもいい事を喋ってしまう現実からの距離感を持つこと。それが「特異性」という手法でしかなく、ここには彼女自身のボキャブラリーによる発言は存在していない。ここで、「彼女の作品が全てを語っています。」方式のプレス対応が可能で有効打であった。彼女がメディアへ語ることは”時代の優柔不断さ”や自身の立ち居場所における不満足な状況を嘆く程度でしかない。
 しかしながら、今の若い世代のコレクションに共通する不足分も、彼ら世代が現実の社会や時代性にどのような、どれだけの「対抗意識と感覚」を持っているのだろうか?ということである。彼ら世代からも、使い回され、もう古くなったかつての「カウンター・カルチャー」から、自身のボキャブラリィーによる「カウンター」を感じることが少ない。ほとんどが時代に”サーフする”ことあるいは時代の”壁紙”であることに始終しているレベルのコレクションである。
 この現実ではやはり、現存、活躍するデザイナーではやはり、CdGの川久保玲の仕事は異色であり、狙いの「特異性」を大いに感じさせられるまでの「自我」がある。それが、殆どのオーディエンスがショー後の嘆きにも感じられる「凄いですね。」が全てとなる。どの様に、なぜ「凄い」のかは不明のまま。そして、この「凄い!」は結局は彼女の「特異性」への”頑張り”に至ってしまう。
 今、この彼女の「特異性」に何の意味があるのだろうか?
そして、この彼女の”ガンバリ”とは極論、自分のため、自分たちのためのそして、このデザイナーを崇拝する人たちへの「頑張り」でしかない。だが、ここにこのデザイナー個人の「風土」としての時代観を感じてしまうのは僕だけであろうか? 
 当然、日本人がこの街で、この世界でこの”立ち居場所”を堅持し続けるには彼女が為すこと、全てが至難なことである。大変な「リスクとコスト」を払わなければならない。従って、ここで、現在のこの計算し尽くされた”企業形態と構造とその構成”が大いに世界の「ファッション・シンジケート」においては役立っていることも確かである。現在、若いデザイナーたちが見習うべきこととは、このCdGというファッション企業のビジネス形態とその構成とそれから生まれる「関係性」そのものが必須である。
 しかしながら、未だにこのCdGの表層に影響された「コムデギャルソン・チルドレン症候群」を持った遅れてきた若者たちの「自己満足世代」がこのパリを訪れてくる。

 僕はこの2シーズンのコレクションでは同じようにある種の「コムデギャルソン・チルドレン症候群」を持って訪れたはずの”UNDER COVER”の高橋盾のこの2シーズンのコレクションに大いなる拍手を送り、軍配をあげたい。特に先シーズンは見事にあるレベルを超えてしまった彼のピジティフな「凄さ」と「リアリティ」を体感した。デザイナーのジョニオくんが持ち得た若い頃からの”リアリティ”がうまくコンバインされ、ブリコラージュされ始めたことが一つの素晴らしさを生み出す大きな要因になっているところが、CdGの現在と違うところであろう。彼自身に大好きなものへの「癖」と「嗜好」が詰まっているからだ。
 見せていただき、感動と幸せ感がいっぱいだった。ありがとう。

****
 そして、先の6月のシーズンのCdG・H.P.のコレクションに現れた童話「裸の王様」。
いや、参りましたね。このロジックがここに現れたかというまでの見事さ、新鮮さと可愛らしさ、ある種の”マジック”。アイディアは以前、'96年頃だったかと思うのですが、A.P.C.のジャンが既に行ったシリーズ。ここで彼は既に、大胆に”塩ビ”を素材にブルーゾンなどを発表していた。(その実物を僕は大好きな服の一つとしてコレクションしている。)
 これの同じブランドの”オムコレクション”を見てしまうと、このブランドの女性物と男性物は誰がいったいデザインしているのか?という、また僕らしい、いやらしいく、穿った考えが横切ってしまう。

 では、明日のショーでは、どのような世界で「特異性」を見せてくださるのだろうか?
招待状が未だ、届かないパリピクパス大通りにて、平成28年9月30日:
文責/平川武治:

投稿者 editor : 18:13 | コメント (0)

2016年9月28日

ありがとう、中里唯馬くん。彼が生み出した「あたらしい自由」とは、

 第2部;
 その彼が持ち得た他者たちとの「差異」とは先ず、彼の「生まれと育ち」にあり、それは
”EVERYTHING SO SPECIAL"であった。
 ご両親が、自分達が持ち得た「美意識」を持って、必要なる環境を自分たちが信じるその
「美意識」と「価値観」に委ね自分達で想像し、造形し作り足してゆくという「生活環境」そのものを生み出してこられたご両親である。彫刻家であるお父さんは”家”という生活住器”を、お母さんは”生活雑器”と”食物”をそれぞれが担当分担した生活環境で大事に育てられた。この彼が持ち得た”風土”としての”生まれと育ち”はこの世界の、この時代感では結構、大切な要因である。
 表層の豊かさすなわち、物質的豊かさの環境を持ち得た人たちがこの世界に入って来やすくなった時代性では、どこか人間個人の"癖”が必然な世界でもあるからだ。ある時代までは”逆境”という状況が一つのエネルギィイを生み出す環境状況であったが、現代の日本社会の日本的なる豊かさで生まれた”液化状況社会”では当然ながら”生まれと育ち”は大切である。
 例えば、戦後の”在日系”の人たちは自らの新たなその立ち居場所を彼らたちの”ガンバリ”で金と知名度によって求めた。最近では、”ふとん屋の息子”はアカデミーで、”ふとんカバー”をネタにし、”髪結い亭主”然とのらりくらりと虚言と金の力を必要として戯れている輩もいれば、新興宗教のお陰で育った人は新興宗教に委ねている。農民中産階級の出身者たちは何か在るモノがなければ生む出せない。また、職人の息子たちは職人的器用さと細やかさと頑固さを持っている。
これらはいい意味で日本人的なる精神癖であり強みであり、これらがその後のものつくりに大いなる影響をもたらす。よって、自分の”生まれと育ち”をよく吟味することも、自分世界を創造するためには大いなる根幹である。この育ちを偽って為されることのすべては”本物”ではないだろう。どこかで、自分ではないことをやっているという不安感が横切るがこれらが”ガンバリ”になっていることが実際であり、そのレベルが現実を生んでいる。
 「自由」とは身勝手なことをすることではなく、本来の「自由」とは”自心のこゝろの有り様”に正直に行為すること。なのであるからだ。例えば、ファッションを学んできた人たちが
「アート・コンプレックス症候群」に陥る原因はこの「自由」の根幹を理解しないまま成長した人種たちである。
 そこで彼らたちはつかないでいい”小さな嘘”をつき始める。だいたい「俗物」と言われてしまう人間タイプはこれが多い。彼らたち「俗物」がメディア受けするのが現代メディア社会である。彼らたちは構造という名の”セフティー・ネット”が張り巡らされた社会の中でうまく飼いならされて生きているためである。自分たちの”生まれと育ち”という「風土」を自覚していないであろうし、自認したくない人たちもいる。そのような世代人はもう古い人間タイプでしかない。現代社会では新たな若い人たちの間で”風土回帰”としての”ふるさと創生”が歌われ始めている。
 ”創造”するとは自分の好きな世界で、自分の”世界観”を生み出すことである。したがって、
このような時代では自らの「風土」である”生まれと育ち”である持ち得た自らの”アイデンティティ”そのものが大いなる武器にもなり得るということだ。
 巴里のモードの世界はこのようなそれぞれの”階級社会”との関係性から生まれた美意識と技量と教養が備わっていなければならない”職人”たちが築き上げてきた世界だった。が、この世界がそれぞれの「マーク・ブランド」さえ付いていればメディアが喜ぶという世界へ変革してしまったのが現代の巴里のモード社会の弱さであろう。

 話を、中里唯馬くんに戻そう。彼には、モードの世界ではない世界での”特技”がある。”ヨーヨー少年”だったのだ。この世界でチャンピオンにまでなった経験を持っている。これとは、「自分の好きな世界で、競い合ってそして、見られることの世界観を体験している」と僕流には翻訳できる。したがって、”見られる”ことがどのように人間の心にある種のエネルギィイを生み出すか、即ち「見られる快感」とはどのような根幹なのかをも知っている彼が今度は”見られる人”のために作り出す世界を選んだこと。
 それが、今の彼の収入源である「コスチューム」作りである。これを為すことでも学ぶべきことは学び、自分の世界観の中にひとつのスキルとしてまた、技術として受け入れている。「見られる」という場合の”立ち位置”や、「歌う」という時の”身振り”とは?
 ここにも前述の僕なりの簡略な「風土」論が存在してる。多くの日本人デザイナーたちはこの「見られる快感」を体験していないでただ、「自己顕示欲」のみでそれなりの格好付けをして粋がっている輩がほとんどである。自分たちのセンスの悪さや洗練さのない行動、「フェミニズム」も理解されていない男たち、など等、、、
 唯馬くんが出発した彼の「世界観」はこのように僕的な読み込みをすれば当然の立ち居場所であろう。1枚の塩ビシートから始まる彼の新しさとしての「without sewing」というコンセプトで生まれた”モード・クチュール”。今後の可能性は沢山詰まっている。自分たちが覚悟を持って、堂々と掘って行けば、多くの新しい鉱脈が発見される。この世界がこれからの「あたらしい自由」の世界の一つへ繋げるであろう。
 今回の作品を”フォーマット”化しそのバリエーションをより、新たな感覚でまとめあげて行けば、無数の彼の「風土」から生まれた世界の可能性と新しさが生まれる。また、もう一つの世界、”コピーライト”へも届くであろう。
 ”一つの物質”である素材に新たな加工を加え新しい顔つきにする。その”1枚”のシート状のモノを立体化する。そこへ無尽蔵なまでのカットワークを入れ込む。これを”3D”化する。それを一片のピースとして、レゴブロックのように人体に構築してゆく。バランスを考え動きを考えそして美しさを構築してゆく。
 これらの行程はまさに、これからの「オートクチュールの世界」そのものであろう。
日本に古くからある「折り紙」の世界や西洋の「ペーパークラフト」の世界の合体と、古いローテックな手法と、PCを使ってのハイテックな手法と、人間個人のパーソナルな感性と技術をはい・ブリットさせたところで生み出される彼の「あたらしい自由」による世界。
 創造の世界におけるこの「あたらしい自由」のための数式とは、「ヒューマン・テクノロジー+サイエンス・テクノロジー+パーソナル・エクスペリエンス」であろう。

 「現代社会における”鎧”や”甲冑”とは?その新たな優しい必然性とは?」ここに、今後のモードの新たな可能性が垣間見られる。たとえば、女性にとっての「コルセット」はその時代においては一つの”鎧”や”甲冑”であった。では、現代社会から俯瞰可能な未来社会における”鎧”や”甲冑”
とは??? 「身体に着せるとは、肉に着せるのか、骨で着るのか或いは、皮膚に着せるのか?
または、心に着せるのか?虚飾に着るのか?立場に着せるのか?」
 もう一度、モードも、”生まれと育ち”としての「風土」であるこの根幹を再考する時代性が「あらたな自由」への始まりのように感じる。
ここから、モードの面白さが再び始まる。
 消費社会での豊かになった生活のための”生活衣料品”はファスト・ファッションに委ねればいい。

 ありがとう、中里唯馬くん。
来シーズンも君の「あたらしい自由」の世界を見せてください。
文責/ひらかわたけじ:

投稿者 editor : 17:22 | コメント (0)

2016年9月27日

中里唯馬くんのクチュールの世界、 ”眼から鱗が落ちる 。”

『見えるものが実在するとは限らず、触れるものだけが実在する。』
大森荘蔵著/『流れとよどみ』より:
 
 先日のLEPLI-VACANT会で中里唯馬くんに参加していただき、彼の”あたらしい自由”による、彼が発表したクチュールの世界の誕生を語っていただき、僕は”眼から鱗が落ちる ”までのリアリティを味わった。「嬉しかった、ありがとう、唯馬くん。」

 「眼から鱗が落ちる 」とは新約聖書「使徒行伝」第9章からの引用のことわざである。
「何かがきっかけになって、急に物事の実態などがよく見え、理解できるようになる」が意味である。最近のTVコマーシャルでも、このコピーはよく使われ始めているらしい。
 
 僕が今回の彼の作品の世界を彼自身から話を聞き、学ぶ機会を得たことで、”眼から鱗が落ちた” 一つは僕が3年ほど前に提案していた”僕自身のための『Without Sewing』”プロジェクト案とそのコンセプトが既に、”彼の新たな創造のための発想と努力と覚悟によって”見事に、美しくその世界を彼は創造してしまったという新しい出来事”の事実でであった。
 もう一つは、現実のファッションの世界が極論すれば、世界レベルで「日毎に、詰まらなくなってゆく」この現実に、彼が齎した”あたらしい自由”によってこれからもやってくるであろう
モードの世界が若い人たちによって再び、エモーショナル豊かな「美の創造」がこの世界で未だ、多くの”可能性があるという前向きな大いなる希望が与えられたことである。
 僕の長年の体験と経験から、このモードの世界は既に、”ユダヤ・コミュニティ”で構築され、ビジネス構造化されてしまっている世界である。したがって、日本人であれば、彼らたちユダヤ人との例えば、結婚やゲイ関係という手段を使って余程の強力な信頼か、金儲けにおいて関係性が確立されていなければそれなりのところで、それなりに扱われてしまう世界でしかない。
言い換えれば、日本人がいくら頑張ってもそれなりのところで”ウエイティング”が掛けられてしまうという現実であること。
 これはこのモードの世界における”創造性”においても然りである。
例えば、モードの素材の殆どは布であり皮革であり、縫製はミシンである以上はこの現在のある種の”ユダヤ・ルール”は不変であり、”世界基準”であることには変わりがない世界である。
 そこで、ではどのようなコンセプトと手段を持てば、彼らたちと一線を持って肩を比べまた、彼らたち以上に日本人としての特徴である細やかな美意識と表現手段が”ヒューマン・テクノロジー”と高度なる日本人の”サイエンス・テクノロジー”の合体によって創造され、それらをよりハイ・イメージングとスーパー・リアリティによって生み出される世界が可能であるか?ここで、日本の多くの若者たちは”大いなる勘違い”をその未熟な教養によって”アート”の世界へ逃げ足早く逃げ込むものが多いことである。特に、中途半端に海外の学校を卒業して、していないことをさも、出来るようにメディアにタレ込んだ帰国組の連中にこの現実が多い。ここでは、”アート”という詭弁を無教養に使ったもの勝ちという変わらぬ日本人村社会での現実であろう。
彼らたちは、”デザイン”とは?に対しての教養とスキルの根幹が教育されていなく心は”アーチストコンプレックス症候群”。”デザイン”の世界がなぜ、1919年に突然のように当時の社会へ登場したのかの意義もわからず。これは日本のデザイン教育の一端の表れと責任でもある。
 少し、話が逸れましたが、この問いへの僕なる回答が、「では、針と糸あるいは、ミシンを使わないで作る衣装」という”創造のための発想”が生まれた。ここでのモードに対するコンセプトは「着る」ことではなく、身に装うことである「身体装着」という発想である。
 そこで、日本の歴史を顧みると、「鎧と兜」の世界があり "experience・mode"の世界である。昔、アントワープ・アカデミィーの海外審査員をやっていた折に、いつも1年生の作品が新鮮で自由で楽しい世界を創造していたことも思い出した。その理由は彼らたち1年生の作品課題が"experience・mode"だったからであった。
 また、丁度この年より、日本にも”3D"プリンターが登場したこともこの僕の突飛な発想に
拍車をかけた。その結果が、この"Without sewing" というコンセプトになった。
 
 中里唯馬くんの話を聞く前までは、巴里のオートクチュールでわざわざ日本からショーを見せるためやって来た彼のコレクションを見る機会を持ったが、その体験では僕の評価は低かった。
 遠見で見せていた僕は暗闇から”輝く、蛍光&発光”体の塊が女性を装っているにしか見ることができなかった。このような塊だけであれば、もっと斬新な発想で使え見せることができるであろうとも考えた。この素材はどこかの日本の素材企業が考案した新しい技術によるもので、それを使っての世界観だろうという失礼な見方をしてしまっていた。結果、実に愚かで恐ろしい自己満足な見方であった。
 そして、今回の打ち合わせのため、彼のアトリエへ伺った時にその僕のうがった見方そのものが間違っていたことを思い知らされた。
 彼の今回の想い秘められた世界観の「コトの次第」は”1枚の塩ビ・シート”が発端であった。
 例えば、日本人は「神=紙」を上手に敬い扱って、関わってきた民族である。
ここには平面から立体へ変身する「かたち」の世界が存在した。今回の唯馬くんが想像した彼の世界観はここが根幹であろう。日本人がもつ単純で明快な原理構造を知っている若者が”あたらしい自由”によって為し得た、新らたな造形の感覚の素晴らしいさと頭の良さが生み出した世界感である。この彼の新しいものを創造する”覚悟と行為” これらに僕は見事に「眼から鱗が落ちた 」のである。
 素材としては、決して高価ではない、”塩ビ・シート”。これを、作業上における経済寸法を出してその寸法でシート化する。このシートに一定文様に近い切り込み線を入れてカッティングし、このカッティングの目を幾重にも織り込んでシートを”3-D"構造化してゆく。この作業によって、”1枚の塩ビ・シート”が小さなブロック上の立体ピースに加工される。すなわち、”レゴ・ブロック”の構造と同じ発想ともいえるであろう。この折り返しを”立体化”する時に小さな留め金具で一箇所づつこれも、手作業で止めてゆく。あとは、このブロックを人体に構成してゆく作業である。ここで”クチュリエ”本来の感覚と繊細さと持ち得たファッション・スキルとそれなる経験が必然となり、それを具現化してゆく”チーム”が必要でもある。ここが”農協デザイナー”や”壁紙デザイナー”たちとの歴然とした「差異」を彼は持ち得ていたのである。(後半は後日、)

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2016年9月 2日

『ファッションがつまらないくなったという声がよく聞かれます。』

 「あり得るべきはずの、”距離感”がなくなり始めた”世間”というリアリティ」 
ブルータス依頼原稿初版版より/平成28年八月記:

 『ファッションがつまらないくなったという声がよく聞かれます。』
 そうですね、つまらなくなったというよりも、魅力が無くなった或いは、面白く無くなリ、
ファッションが醸し出すキラキラしたときめきが日本の現代社会には必要とされていない
のかもしれません。
 嘗ての”原宿”で、風変わりな目立った格好をした「ファッション出たがり」や、たまに乗る
電車の中にも、もう「ファッション・バカ」は居なくなり寂しくなりましたね。
 そんなにファッションがダサくなってしまったのでしょうか?
或いは、世代が変わったことによって消費者の願望が変化してしまったのでしょうか?
或いは、現代社会ではファッションでカッコつけなくっても女の子にモテる時代になったので
しょうか?又は、 世間から”はみ出したい”からファッション・バカになるのが手取り早かった
そんな時代が終わってしまったのでしょうか?
 
 このファッションの世界とは”作り手”と”売り手”そして、”買い手”とその人たちの”世間”と
”時代”で成り立っています。この何れかがズレ始め、これらのバランスが崩れてしまったから
でしょうか?
 そうです。僕流に言ってしまえば、「あり得るべきはずの、”距離感”がなくなり始めた」のが
原因だと思っています。これは”ケイタイ以後”の現象ですね。
豊かさを持ち得た20世紀の人間が「あり得るべきはずの、”距離”の短縮化=文明の進歩
・発展」という命題にのめり込み過ぎた世紀の終焉、「距離の消滅」の完了によって齎された
「時間のパラドックス」が根幹でしょう。
 以後、”時間”はだんだんスローになっていきましたね。この当りの面白さは、
2000年にR.パワーズが書いた小説、「舞踏会へ向かう三人の農夫」(みすず書店刊)は
かつての山本耀司によって、彼のメンズファッションのネタ元にされたA.ザンダーを
主人公にして描かれれいるので余計に面白い小説でしたね。
 
 この”距離感”は”作り手”であるデザイナーにもそして、”売り手”であるディストリビューター
にもそして、”買い手”という消費者たちにも在ったはずのそれなりの”距離”が
無くなってしまったからです。
 当然、彼らたちが生活している”世間”にもその「あり得るべきはずの、”距離感”」は
無くなってしまっていますね。でも、”世間”ではこのような社会が望まれ、このような社会を
目指してきたのが戦後71年の目標だったのではないのでしょうか?
 これが時代や社会が”豊かに”なったということなのでしょう。或いは、”豊かに”なったから
このようなフラットでリキッド化した”世間”になったのかもしれません。戦後の日本社会は
合衆国によって「押しつけられた或いは、飼いならされた”普遍性”」によっていわゆる、安心、安全、快適という”セフティーネット”が見事に張り巡らされてしまった”世間”が成立しいます。
 敗戦後、解体された”日本の階級社会”はその後、倫理観無き輩たちによって「大衆消費社会」が構造化され、”消費者”と呼ばれる人たちもこの与えられたセフティネットの中で何を選ぶかの”自由”に戯れているだけの差異無き現状というリアリティですね。従って、ファッションと
その機能である装うこともこの管理社会の中で普遍性を持ってしまいました。
 この一因はファッション産業そのものが変革し、世界規模の大衆消費社会を対象とした
「SPA方式」による”ファースト・ファッション”が誕生し、これが予想外に”世間”に受け入れられたことですね。
 ここでのキーワードは”トレンド”は無くならずより、フラットな「世界水準」になって
しまったということです。また、人間の身体構造が不変故、ファッションデザインそのものも
100年以上を継続して来て、”作り手”は全く新しい創造性が生み出しにくくなったこと、
その必然性もなくなったこと。何よりも、作り手が持つべき”自由”に「あり得るべきはずの、
”距離感”が無くなり始め」どこかで見たもの、誰かが持っているものの方が”売れる”という、
”Variations of the Archives"の世界に佇み、”模倣”が”習慣”を生み出すというベタな、
G.タルドが既に、1890年に「模倣の法則」で指摘した時代性に至ってしまったことは
興味深いですね、ここにも”メビウスの輪”が見える世界観です。
 生活が”豊か”になるということは、その生活における価値観が変わりました。
例えば、ファッションという言葉の意味合いもその広がりや機能さえも、豊かさを享受してからは服だけの世界ではなく生活様式そのものへ広がりましたね。従って、服で装うだけでなく、
生活環境を装うという余裕も生まれたのでしょう。また、”豊かさ”ゆえに方法論としての術は
何でも有りの世界になってしまいました。ここには”作り手”と”買い手”にも、あり得るべき
はずの、感覚的な”距離感”も無くなってしまいましたね。
 従って、資金さえ十分にあれば、誰でもがそれなりの「壁紙デザイナー」に成れる、何でも
可能な時代性になってしまったことも”距離感”がなくなった一因です。
 かつて、オタクと呼ばれた”豊かなる難民”だった世代が今では社会の中枢へそして、まだこの
世代の一部は”自己顕示欲”が旺盛であった世代ですが、その後の世代は”豊かさ”の充足に伴い、性欲と同じなのでしょうか、”自己顕示欲”も減退し彼らたちは「自己確認世代」ですね。
従って、”繋がる”ことも踏まえた自己確認をSNSやインスタを駆使してヴァーチャルな上での
「ウオリー君を探せ」に勤しんでいます。ですから、彼らたちの足元のシューズを見れば
どれだけファッション・トレンドを潜在的に意識しているかの閃きが伺えますが、ここにも、「あり得るべきはずの、”距離感”」を寧ろ、無くするベクトルでその”世間”という塊に委ねた
生活者となっています。従って、彼ら世代にとってのファッションは彼らたちのそれぞれの
”塊”における”ユニフォーム”的発想のものでしかなくなったのでしょう。
 このような典型的な保守の進展という時代の追い風に立ち向かって行くにはそれ相当の
”覚悟”がいりますね。かつての、僕たちの時代には自分たちの持ち得たリアリティから
”はみ出す”すなわち”距離感”を持つ或いは、”ズレる”ために”覚悟”して生み出したものが
「カウンターカルチュアー」でした。
 このビートニック&ヒッピィー文化と称されたものが現在でも尚、使い古されています。
その検証的展覧会が今、巴里のポンピドゥー美術館でタイミングよく開催されています。(BEAT GENERATION展)
 そして、現在ではこのビート&ヒッピィー文化を生み出した”コミューン”形態が”野外フェス”で模倣、継続されそれが日常生活の新たな習慣になろうとさえしていますね。ここには、
その表層は同じようですが、”ドロップ・アウト”し、”距離感”を持つことで既存社会にアンチ
テーゼを示すことを生んだ「カウンターカルチャー」と、時代のトレンドとしての”スロー・
ライフ・スタイリング”という”距離感”無き根幹とに、その覚悟の相違が読めるのです。
 今の若者たちにとっての「カウンターカルチャー」とは何なのでしょうか?
”ストリート=パンク”というのももう古いでしょう。音楽がまた80年代初めのラップが流行り始めたことからそろそろ、グラフィティも出てくる兆しを感じるのですが。
 そして、やはり時代の風に立ち向かって行くには個人が持ち得た「文化度」が必然となるでしょう。
 日本からの若い「壁紙デザイナー」たちが巴里へやってきましたが、彼らたちの世界には
「情報のザッピング」と「見せかけのリアリティ」がちらつくだけでその奥に在るべきものが
見えないものがほとんどでしたね。この在るべきものとは、デザイナーというよりも、人間個人が持っているべき「文化度」ですね。それにブランドが持っている「文化力」さえも”壁紙
程度”、これではCdG HPとは勝負ができませんね。
 悔しいですが、このCdGという企業にはこの「文化度」があり、常に意識したファッションの
世界観を結果、その特異性を持って構築している、未だに「距離感」がある企業であり、
ブランドであり、デザイナーなのです。彼らはこの「文化度」を生み出すための「文化力」を
日頃から精進して「文化度」をどのようにセンスよく、その時代性に差異化し発表出来るか?
そのための企業力も凄い、その結果でしょう。

 最後に、僕が言いたかったのは、この時代の追い風に向かい合うためにはそれ相当の”覚悟”が必要であることと、そのための特異性を取り戻すには、「文化力」豊かな、「文化度」が
必要であり、その文化力が現代のファッションにおける新たな”機能”となり、”自由”を生み出し
その”自由さ”が新しさを感じさせるまでの世界を、そのブランド”らしさ”という言葉で
見せてくれる、ということです。
 僕がこの30年間、巴里で好きなファッションを見続けてきた愉しさと気概とは、
彼らたちが散らつかせる文化力に痺れ、「文化度」に喜びと感動を感じて来たからです。
この「文化度」は一夜漬けでは生まれないものです。日頃の教養と経験と持ち得た謙虚なる
リアリティと人間的なる倫理観から生まれ得る例えば、”メタファー””レトリック”
”アイロニィー”"アレゴリィー””ペーソス””ユーモア””メチサージュ”
そして、”エステティック”と”エキゾチズム”などなど、のものですね。
 これらは「壁紙デザイナー」には無縁なもの、だから彼らたちは”アート”をカッコ良いと
嘘ぶってしまうのでしょう。彼らたちが立っていたい場所とは、「消費文化」の情報量だけが
拠り所での立ち居場所でしかないようですね。
 だから、『ファッションがつまらないくなった。』とは、”あたらしい自由”を感じさせない
デザイナーたちの「文化度」の貧しさそのもので、自分善がりもいいところでしかないのです。 そこで結論的には、「あり得るべきはずの、”距離感”がなくなり始めた”世間”という
リアリティ」へ新たなバランス感覚ーまさに”NEW BALANCE”ですね、ここでも消費財が
その新たなバランス感よりも先に、リアリティを生み出してしまった消費文化しか生まれない
東京、、、、だから、「あたらしい自由が見つけ出せない壁紙デザイナー」と「あたらしい自由を必要としない消費者」という”世間”とそれらを煽るメディアが我が物顔になってしまった
ことが元凶の日本のメンズ・ファッションの世界でしょう。
 巴里まで行って「壁紙デザイナー」の世界を見ることは僕にとってはただの”ノイズ”でしかありませんね。

 現代日本の社会には、「あり得るべきはずの、”距離感”がなくなり始めた”世間”という
リアリティ」のみが漂っているだけなのでしょう。
 ファッションの世界も"あたらしい自由”によって、新たな立ち居場所を教養と経験と勘と
そして、文化度によってまず、次なる時代を見つけるべきであり、そのための歴史を知り、
明日を夢見るアドベンチュアーヘ覚悟ある始まりを探さなければならないでしょう。
 
 何故ならば、もうすでに「近代」はル・コルビジュェが”世界遺産”になってしまっている
からだ。
文責/平川武治:

参考/
G.タルドの*「模倣の法則」/河出出版新社刊、2007年初版:

                                     

 

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