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article(145)

第二部。/ 現代アートを学ぶ学生にモードのことを少し、知ってもらう為、"京都市立芸術大学 構想設計専攻科" で講義をする。

 前回に続き、「初めての学校、初めての生徒。
縁あって、「京都市立芸術大学 構想設計専攻科」で講義をする機会を頂いた、その二。」
テーマは、 『 "ファッションの立ち居場所から見たアートとの"関係性とその差異"の現在。』
この時の"講義用デ" ジュメ"の後半です。

 今回は、 「伝えておくべきファッションについての幾つかの事。」として、
『アートとデザインの「差異と類似」について、』と、『 現在のファッションの世界の新しさの根幹は?』と、
そして、『近未来を見据えたときに気になるファッションの新しさとは、』を話しました。

 文責 / 平川武治。
 初稿 / 2024年06月19日版−2.

 5) 「伝えておくべきファッションについての幾つかの事。」
  そのー1)まず、「アートとデザイン」の「差異」についてです。/
 端的に言ってしまえば人間もそうである様にただ、"生まれ育ちが違う"事でしょう。
どれだけ深く、自心のこゝろの有り様と言うカオスに自由に、本能ある美意識を持って作品制作の為の
"A source of the inspiration"を持ち得るか、その誠実さと深度であり、そこにどれだけの"倫理観"が介在しているか?
でしか無いのです。
 結果、この2つの世界で論じられる、"パクる、パクらない"の世界は倫理であり、大衆資本経済主義における"広告産業"との
関係性が大いにこの"育ち"の違いを露骨にしていると思っています。
 故に、『アートとデザイン』における"創造のカオス"の違いがそれぞれの世界観を自由に、面白く"作品"として表層化している
のも、戦後日本の育ちの悪さと歪さであり、これが現在の特質でもあるでしょう。
 「デザインとは、コミュニケーションです。」/ 
 まず、"デザインすることとは?"「機能あるものを生活空間の中で装飾すること。」です。
ファッションの世界は"ブランドの世界観"を通じて、各々のシーズンコレクションのデザインによって
"他者とコミュニケーション"を取りつつも、ビジネス中心の実業の世界です。
 そして、そのデザインの「根幹」には、"May I help you?"という "こゝろの有り様"があります。
したがって、"芸術の領域"では、アーティストは例えば、300%以上の自我を出すべき世界でしょうが、
ファッション・デザイナーは"エゴセントリックな世界"ですが、100%が限界でしょう。
 「ファッションは衣服を中心とした "消費財"です。」/ 
 ファッションは、"生活の中の美しさ"を生み出す"消費財"ですが、ファッションの世界は"芸術"ではありません。
この僕の根拠は、ファッションにおける、"A source of the reation" には、デザイナー個人の"カオス"や「ユーモア、ペーソス、
メタファーそれに、アイロニーなどの個人的感情移入」が強ければ強いほど「売れない」という乏しい世界であり、やはり、
最終的には「売れる?売れない?」の判断に委ねられ、「ブランド継続」の為の現実の世界です。
 これはファッションとアートが持ち得た産業構造の「差異」に由来することだからです。
従って、ファッションの"創造性"において、「芸術的な感覚や発想」が伴う場合もありますが、商品の"服"は消費財です。
つまり、全てが"ビジネス"が最優先される世界だということです。これを明言して、デザイン活動をしていたデザイナーに、
あのK.ラガーフェルドがいました。日本人デザイナー、例えば、三宅一生などは自らが持ち得た、「アートコンプレックス」から
ファッションもアートであるという立ち居場所を持った日本人デザイナーが多いでしたね。
 
 そのー2)「アートとデザイン」の「類似」についてです。/
 1)「世界のファッション産業は90%以上がユダヤ民族の人達で成り立っている世界です。」
この現実はアートの世界も殆ど同じです。まず、彼らの持っている美意識が高いこと。そして、ともに、「自由の産物」であり、
何よりも「イメージ」という付加価値を「差異」化して、それを"力/金"に変えるビジネスに長けている民族だからでしょう。
 ファッションの世界では16世紀以前より、東欧系のユダヤ民族が繊維産業に従事していたことに由来し、
世界中に飛び散っている彼らたちの民族が一つの産業によって繋がり、その彼らたちの「関係性」によって委ねられた一種の
コミューンを形成しているのがこの"ファッション産業"の実態なのです。
 現在では、素材工場から縫製工場それに、デザイナー、バイヤー、ジャーナリズムとジャーナリスト、プレスエージェント、
マヌカン、フォトグラファーなどが彼らたちによって"シンジケート的存在"構造になっています。
 この現実は「アートビジネスの世界」も同様ですね。アーティスト、ギャラリスト、キュレーター、コレクター、
ジャーナリズムとジャーナリストそれに、サロン団体等。
 このようにこの2つの産業構造はユダヤ人たちによって扱う「モノ」自体は違うが、ビジネスの根幹である「差異」は共に、
同じ「イメージの世界」あるいは、「付加価値」であり、もう一つ、それぞれが持ち得た「自由の裁量」が「差異」そのものに
なり、彼らが構築し、信頼する「関係性」に委ねられた、彼らたちがリスペクトし合える構造に仕組まれたこの2つが
「ファッションとアート」の世界なのです。
 2) 「2010年来、"モードの世界"は自らが、「アートの世界」へ接近し始めました。」
 ファッションのクリエーション・シーンで。「ファッションがアートに接近」したのは、'89年に、"M.M.M."が登場して以来、
多くの若い世代の芸術大学系を卒業してきたデザイナーたちによって寧ろ、「売れるものより売れないもの」すなわち、
"着づらいものや形骸的なもの"のコンセプトが強烈なクリエーションへ挑戦が始まった時代がありました。
 このムーブメントを起こし、牽引したのが、"アントワープ芸術大学"のファッション科でした。
僕はこの学校のファッション学生たちの卒業コレクションの審査を10年ほどやらせていただいた経験があり、これを機に、
その後、2008年まで当時、ヨオロッパにおけるファッション有名校と言われていた学校があるブリュッセル、ベルリン、
ヴィエナ、バーゼルそれに、パリ と幾つかのファッションコンテストでルツェルン、バルセロナ、トリエステなどで審査委員を
した10年程の経験がありました。この経験はその後の僕が多くのプロや学生たちデザイナーたちの作品を理解するのに大いに
好奇心を刺激させてくれた恵まれた経験でした。
 多分、この時期のヨオロッパが確かにファッションにおける創造性が一番、喚起し、燃えた絶頂の時代だったでしょう。
この動向の要因はただ、「時代と時の風向き」が例えば、当時のフランスの社会学者、R.バルドの「モードの体系」や哲学者
"デリダ"の「解体論」などがモード学生たちに「脱構築」と言うコンセプチャルな刺激を与え、ファッションの世界で"新しさ"を
求める為の「自由さ」と「特異性」をクリエーション・コンセプトにそのための、それぞれの"エゴ"を強烈に求め為した
ムーヴメントだったのです。
 だから、この時代のアントワープ校では、「エゴと特異性」をどの様にファッションの世界においてクリエイションするか?
を教育し、プレゼンテーションとしてのショーの"見せ方"に必要以上に力を入れて頑張って教えていた学校でした。
 しかし、現代における時代の風向きは、"真逆"であり、「保守の進展の拡張」そして、「安心・安全・快適」を求める
大衆消費文化ではこのような、「エゴと特異性」は却って、安全性や快適性を脅かすであろうと言う迄の無縁なムーヴメントです。
 3)「近年、ファッションの世界はそのビジネスパラダイムで再び、「アートの世界」へ接近し始めました。」
 これはファッションの世界のクリエーションそのものが、スローな時間の流れになり、「新しい創造よりも、古い時代の創造」に
エターナルな価値を見出す方向性を求め始めた時代性によって2010年来、このファッションの世界はビジネス戦略として新たに、
「アートの世界」に限りなく接近し、「もう一つの入口」として、"ハイ・ブランド メゾン"は挙って、その自分たちの「ブランド・
エクイティ」を維持するために、この「財団法人」を構築し始めたのです。
 この実態の先鋒は、'84年の「カルチェ財団」でしょうか。近年では90年代の半ばにはロッテルダムに「プラダ財団」が出来、
以後、21世紀に入って軒並み、"ラグジュアリーメゾン"はいろいろな分野への社会貢献を為すための入口として、L.V.財団、
エルメス財団、KERING財団、(美術館 ブルス・ドゥ・コメルス)などなど多くと、日本では"三宅一生財団"も設立されました。
 この「財団法人」は、表口はそうですがやはり、"裏口"があります。
この"裏口"の根幹は近年では例えば、"巴里のモードの世界"の大黒柱であったはずの「オートクチュール・ビジネス」が当時の
「石油産出国とイスラム教問題」と「中東戦争」によって極度に弱体化したのもその一つでした。
 この新たな構造は、"ハイ・ブランド"がコレクションを重ねる度に、"売れない在庫"が残るシステムへの自衛手段の一つであり、
新しい作品を発表し続けなければならないシステム上の不都合さや無駄を修正する構造と、この売れ残る"在庫"を利用して、
更に、「新たな価値創造」をするための構造がこの「モード系財団」である。
 これは自分たちのブランドの在庫品を"アーカイブ"という新たな"価値"を醸成するために新しい構造と空間の必要性が「根幹」で
あり更なる、自らの"ブランド・エクイティ"育成と"イメージ力"の継続化と新たな価値創造のための、強かで、時代性に見合った
あらたな「ファッションビジネスのパラダイム」が構築されたのです。
 自分たちがアートの世界へ近づき、自分たちの「在庫=アーカイブ=コレクションピース」と共に、自分たち企業グループが
収集しているアートコレクションも併設し、"美的生活文化"を育成する、「新・重商主義」的構造を厚顔に構築したのが、
21世紀の「ラグジュアリー・ブランド」の新たな立ち居場所でした。
 そして、彼らたちの「財団」は大いに利用価値を発揮させて、「アート産業」とのコラボレーションよろしく、世界中の有名
美術館ジャックを、展覧会と称して開催し、大いに新たなファッション・イメージ&ビジネスの領域を拡大させその集客力の凄さ
とともに、一つの新たな時代を構築したのが現在の「ファッションメゾンとアート」の"ハネムーン"です。
 ここには、「文化は武器」というフランス人特有の"文化産業"のための、「新・重商主義」と言う「根幹」が隠されています。

 そのー3) 現在のファッションの世界の新しさの根幹は?/
 本来、モードのコレクションとは、個別性としての「個性ある好きなデザイナーの作品」或いは、時代の流行感としての
「シーズンのトレンド/流行モノのシュルエットと色と素材」そして、時代の空気感として、「愉しく、時代の気分を着る(?)」
あと、現代では、時代の特化性として、「着てみたい素材が気に入った手法で使われている」範疇が"ファッション"です。
以前には、自分の生き方をイメージしてくれるようなデザイナー、たとえば、CdGのようなブランドに委ねたいという
"疑似理想"までの世界がありましたが、現代の保守性ではこの世界は殆ど消滅してしまっています。
 即ち、"モードにおける創造性"とはいつの時代に於いても、『個別性』+『流行性』+『空気感』+『特化性』+『倫理観』が
「根幹」であり、それぞれのシーズンにおけるランウエーでの作品世界を"消費社会"へ向けて発表する。
ここにデザイナーたちが競いあうべき自由な才能が彼らたちの美意識によって昇華され、調和ある優美さや快適さを感じさせる
"服と世界観"に仕立てられているかをエレガンスに競い合う世界が「巴里のモード」でした。 
 1)「モードのクローン化」の登場と「ファッションディレクターの誕生。」/ 
 2000年代迄に多様多感であった、ファッションの世界に於ける「作り手の思想概念」は使用する対象が"人体"と言う限定と、
"豊かさ"というリアリティーが肥満化し、イメージがヴァーチャルなデューンへ吸い込まれた結果、今まで存在していた在るべき
距離の「消滅」が完了してしまったようです。以来、その造型性の限界が即ち、此処でも20世紀のコンテンツの一つであった
例えば、"作り手と受け手"と言う『あり得るべき距離』が消滅した事により、モードの世界は「モードの普遍化」を招き、
結論すれば、「誰でもが、どこででも作れる」迄の「モードの文化的普遍性」。
それと、もう一方ではこの、「モードのグローバリズム」によって、誕生した大衆資本主義経済のポリティカルパワーは
この従来からの「モードの価値」を殆ど飲み込み、気が付くと『ファストファッション』と言う新たな、"了解のカテゴリー"が
登場してしまった。
 実はこれは、「モードのクローン化」でしかないのです。
この「モードのクローン化」は、蓄積されたネット上の顧客情報を「アルゴリズム+A.I.+SNSマーケティング+アーカイブ」に
よって再生産された世界から誕生した21世紀の新たな産物でしかありません。
 例えば、既に、あのLVMH社は'19年来、Googleと組み、彼らたちの全ブランド(30数社)の世界の富裕層の「顧客管理」を
地球社会規模でコントロールを行い始めています。これは「Chat GPT」の「ファッション化」なのです。
 そして結果、少しづつ現代モードは、時代の流れと共に、"過去"そのものが新しさを感じさせる迄の、"スロー"な時代感の中で
漂い始めています。
 その現実とは、ただの、"Variation of the Archives"が広告産業と化し、大衆消費社会のコマーシャリズムを喜ばせるだけの
唯の、"イメージの元ネタ"の世界になった事でしょう。そして、街の"古着屋"からデザイナーが生まれ、それなりの注目を浴びる
ようになり始めているのもこの時代性です。
このような時代では、「モードの世界」は当然ですが「イメージメイキング」がそのビジネスのための第一義となり、
 「モードのクローン或いは、ファッションのクローン化」が時代の表層へ躍り出るためには、時代を牽引させられる程の
「アート・ディレクション」が必然になる。それなりの"パッケージング"としての"イメージ力"が"ブランド力"となる時代性です。
従って、ここでデザイナーに変わる"ファッション・ディレクター"の登場という新しさが現在です。
彼らの仕事は、新しいデザイン創造よりは、「どのようなブランドイメージをコレクションとそのプレゼンテーションとしての
ショーとその演出そして、インフルエンサーのためのSNS、そしてファッションメディアへの広告へのイメージングそして、
店頭空間での演出迄の「イメージング & イマーシブ」が彼らに与えられた"ディレクションワーク"になる。
 近年では、この新しさが、「H&M」とK・ラガーフェルドを始めとする"コラボレーション・ビジネス"を可能にし、以後この手の
"イメージング・コラボレーション"も盛んになっていますね。
 この「ファッションのクローン化」によって新たな協力者が誕生した。一つは、"ファッションメディアと広告産業"の関係性が
更に強くなり、もう一つは、若い世代たちのダイレクトな"イメージ操作"としての"SNS"という覚醒的なゲームの登場である。
 これが2010年以降から現在までのモードとその周辺の変化であり、「モードのリアリティ」なのです。
 2) 「"共有イメージの集合体コード"と言う「ユニフォーム」がファッション」/ 
 従って、ある時期まで存在したモードの世界の「根幹」の一つであった"新しさ"とそのための"創造性"とその"造型性"は、
"豊かさ"と言うリアリティの中で孵化された情報量の過剰さによって埋没或いは消滅し、辛うじてその新しさのコードは
使われる素材とその質感そして、それらを処理するべき手工芸的な技法性に多くを委ねられ残されてしまっているのが現在の
「モードのクリアティビティ」でしかありません。
 故に、モードの世界に於ける行為、"デザインする"と言う事は「文化的普遍者」たちの均一的影響を受けて、より"服"であり、
"消費財"でありうる状況になる。
 即ち、それなりの"豊さ"を所有した大衆にとっての"ファッション"とは、「同時代性」と「豊かにみんなで安心して生きている」
と言う迄の社会性においての、「服」として、"共有イメージの集合体コード"或いは、「ユニフォーム」化となる。
 これも、「ファッション・クローン」の登場によって、より表層化し始めた一面です。
しかし、モードにおけるカテゴリーは従来からの、「コスチュームとユニフォーム」であり、不変だということも凄いことです。
 女性服は「コスチューム」の世界であり、"Famme Object"。男性服は「ユニフォーム」というカテゴリーです。
(80年代はじめに、J.P.ゴルチェは巴里のランウエーに"同性愛者たち"の「ユニフォーム」を、"Homme Object"というコンセプト
で発表した。以後、ゲイたちが「モードのエッジ」で活躍し始め、最近の"トランス・ジェンダー"へ発展した世界です。)
 これらは実社会における"ジェンダー論"の誕生によって、90年代以降、"LGBT"のために、従来のこの2つのカテゴリーが
合体化され「自由の産物」として新しいゾーンとしての"曖昧さ"が新たなファッションの世界として登場しました。
結果、クリエーションもビジネスにもその広がりを見せ、「ファッションの世界」の自由な楽しさと強かさと素晴らしさを展開する
ようになったのも、"時代のリアリティ"から誕生したファッションの世界です。

 そのー4) 「近未来を見据えたときに気になるファッションの新しさとは、」
 1)「没入感/イマーシブ/immersive」です。
 「イメージ」に対峙する新たな感覚としての、「没入感/イマーシブ/immersive」です。
この新たな3D感覚がどの様にファッションの世界へ越境、侵入するかに僕は関心があります。
 近年では、仮想空間における"没入感"という「仮想空間のイメージ?」という表層で"没入感"が使われはじめました。
これは「2D感覚のイメージ」に対峙する、新たな「3D感覚におけるイメージ」という言葉でしょう。
「入り込める、のめりこめる迄の"気分感"が考えられた空間演出或いは空間デザインもしくはまやかし芸術」という新たな"領域"で
あり、今後のデザインワークへ参入し始めるであろう要注意な「没入感/イマーシブ/immersive」です。
 参照/ https://new-standard.co.jp/posts/14956
 この言葉を日常化させたのは,あの"ディズニーランド"が'1955年に誕生した時代に遡ります。以後、この「疑似理想」のための
「仮想空間」には、どのような"没入感"を創造するか?或いは、デザインするか?という新たな眼差しが今後、普遍的になる
時代感を感じます。
 そして、この「没入感/イマーシブ」は今後の新たなパラダイムシフトの為にリアルな空間で「3D」的発想で、創造される
可能性豊かな新しい「創造の世界」でしょう。
 2)「3rd.SKIN」というコンセプトです。
 僕は、人間の身体のエレメントとは、「骨」「肉」そして、「皮」を考えています。
このコンセプトから言ってしまえば、「骨で着るのが着物」であり、「肉で着るのが西洋服」そして、次なるは、
「皮で着るコスチューム」という眼差しを"近未来のファッション"として読んでいます。
 「皮」で着る服或いは、「肌」を見せる服です。或いは、"見せたいところを隠す"というコンセプトもありの「服」が今後より、
多く発想されるでしょう。極論すれば「入れ墨」から「着ぐるみ」迄の世界です。
鍛え上げられた引き締まった筋肉をより美しく艶っぽく見せるための、「究極の人間美」の為の「皮で着るコスチューム」です。
 この世界は既に、Kim カーダシアンがスワロフスキーと組み始めている、"コスチューム感覚の下着"の世界です。
 参考/ https://www.swarovski.com/ja-JP/s-swarovski-skims-launch-event/
 3)アトリエ「DZHUS」です。
 僕が今現在のファッションクリエーターで興味を持っている一人が、2010年にデビューしたウクライナの「DZHUS」という
集団の仕事ぶりです。デザイナーは"Irina Dzhas"。コンセプトがしっかりとはっきりとした「可変可能なパーツオブラッピング」
 これは、僕が以前提唱していた"新しさ"を実際に彼らたちのリアリティである"戦禍"の元でクリエイションし続けていることに
興味と好奇心を持つ、最近ではとても珍しいデザイナーです。
 彼女の"ソースオブクリエーション"もやはり、"3rd.SKIN"に近い「AS parts of the WRAPPING」です。
 参考/ DZHUS公式サイト/ https://www.irinadzhus.com/ 
 4) NIKEが提案した、「ポンチョ」です。
 この「ポンチョがテントになる服」も時代を感じさせる新たな"ラッピング・ギア"でしょう。
「Nike's Metamorph Poncho transforms from coat to camping tent」
 参照/ https://www.dezeen.com/2024/05/14/nikes-metamorph-poncho-transforms-coat-tent/
そして、同じコンセプトになる、北欧からの"Sanna Namin"の眼差しにも、このNIKEの新しさと共通点を感じるものです。
 参考/ https://2023.rca.ac.uk/students/sanna-namin-carlsson/
 この発想のオリジナルはもう20年ほど前になりますが、日本でもかなりメディア化されたデザイナー、"ルーシー オルタ"の
作品ですね。 参考/ https://en.wikipedia.org/wiki/Lucy_Orta

 この様に、「近未来のファッション」における創造性を考えても、そのファッションの「根幹」であるコンセプトと機能性とは、
はやはり不変であり、「WRAPPING」であり、着る人間の、"身体"を或いは、その"環境"や"自然"から守るため、そして、
着る人間の"心の有り様"や"考え方"或いは、"生き方"を「WRAPPING」あるいは、「COVERING」または、「PROTECTING」する
世界がこの「ファッションの世界」の変わらぬコンセプトなのです。
 これは「アートとファッション」の「差異」の一つであり、決定的な「根幹」でもあるでしょう。
後は、その時代時代に開発される新素材或いは、サスティナブル素材と縫製技術の変革に委ねることがそれぞれの「新しさ」に
通じる世界でしかありません。
 5) 最後に、"Variation of the Archives"の世界が生み出すであろう「ユニフォーム」の進化発展と、「ファッション・
アーカイブ工学」という新たな分野です。

 グローバリズムによって、「地球部分的社会」は情報の均一化によって、一応な「地球社会化」を生み、この社会は
「文化的普遍社会」をも齎しました。この「文化的普遍社会」とは、コロナ禍以後、「新しい普通」と言う言葉に置き換えられ、
今後のファッションの世界はこの「文化的普遍社会」の「新しい普通」の為の「ユニフォーム」発想が、
「ファッション・クローン」のリードの元で、いわゆる、"ファッション化"してゆく、「監視化社会」の現実。が大いに、
考えられる一つでしょう。
 そして、もう一つの確実な流れは、昨今のデザインワークにおける新しい手法或いは、視点の一つに、それぞれが持ち得た「ARCHIVEの世界」をどのように情報化し、"再・利用"するか?がやはり、顕著になってきました。
この根幹には、「未来を思い、考えるための昨日」という視点がありますね。この "Variation of the Archives"がアルゴリズム化
され全面へ、"新たなる創造"として躍り出て、ビジネスをも考えた現在のファッションクリエーションの世界で、イニシアティブを
とるのも近い未来の現実でしょう。
 そして、ファッションの世界の新たなマーケティング手法に、このアーカイブを主軸にした「ファッション・アーカイブ工学」
が誕生するでしょう。
 この「ファッション・アーカイブ工学」の構造とそのスキルは、
「リサーティング+コレクティング+エディトリアリング+マーケティング+イメージング+イマーシブリング」が考えられた、
ARCHIVESをコミュニケーション・ツールと考えられる、"Relations & Deveropment"の世界です。

 そのー5) 「 おわりに、」/
 改めて、こういう機会に「ファッションと現代」を考えてみると、今年は3月以後、巴里へ行かないが色々のことが
考えられまとめることもできた。
 やはり、昨今の「モードの世界、巴里」はすっかり、変貌した。
 「作り手も、生産構造も、販売方法もそして、ジャーナリズム」という僕が38年程通い続け、住み着いて焦れたこれらの
ファッションの世界とその産業構造そのものが全く変貌してしまった。
結果、僕には今までのように好奇心とトキメキと輝きをこの「モードの世界」から感じるには、いろいろなことを知らなくても
いいことも含めて既に、知りすぎてしまったために、魅力も感動もあのトキメキさえも感じ難い世界になってしまった。
 その一番の「根幹」は、「全てが、金儲けのためのヴァニティな世界。」がより、ヴァニティに肥大化した事。
ここでは「より、大資金を使って、それ以上に儲ける。」という全くの変わらぬ資本主義の下での"強欲主義"。
この状況は最近のラグジュアリーと自称するメゾンのコレクションはこれみよがしのメディアやインフルエンサーウケを狙った
ここでは、「服」が主役ではなく"シャンパン"が主役の"イヴェントとパーティ"に集る烏合之衆の「集客力」に頼る、未だ、
"スケールメリット"と言う大衆資本主義のパラダイムが変わらぬ「金メッキの世界」で黒人とアジア人たちを煽るだけの構造に
なりさがってしまった。しかし、肝心のファッション・メディアもこの成り下がったヴァニティな世界に大いに飼いならされ、
迎合しているに過ぎないという広告のための「御用メディア」状況。
 そして、もう一つの「根幹」はやはり、「ファッション・クローン」の登場であろう。
全くの"新しいファッションクリエーション"が生まれにくくなった21世紀になり、待ってましたとばかりにグローバリズムと
共に、この「ファッション・クローン」がどこででも、誰でもが生み出せる"技術と環境とスキル"がIT環境と情報によって
「ファスト・ファッション」と「ラグジュアリー・ファッション」という新たな「2項対峙的」ビジネス構造がより、強力になり、
また、「グローバル・ノース」と「グローバル・サウス」と言う地政学的にも構築されたそのビジネスの「根幹」は変わらぬ、
「新・植民地政策主義」でしかないのが残念ながら「現在のモード」でしかありません。
 また、身近なところでは、未だに、「春夏/秋冬」というシーズン性や「FAMME & HOMME」の世界観や「コーディネート
アイテム」と言う「トップスとインナーとコート」などの"アイテム・ファッション"と言う使い古された"コード"によって
ファッション・ショーは構成され,「コレクション」が"カルーセール"よろしく「ファッション・ウイーク」という世界中で
20数カ所の都市で行われているこの構造の中で仕切られている世界が、「モード」という世界なのです。
 やはり、僕はますます、あの映画「OZの魔法使い」あるいは、「The Wiz」の最後のシーンがぬぐい去ることは出来ない。(完)

ありがとうございました、木村友紀さん、前田究くん。
 木村友紀 / https://www.kcua.ac.jp/professors/kimura-yuki/ 
 前田岳究 / https://muuseo.com/square/words/813
 京都市立芸塾大学 構想設計専攻/ https://www.kcua.ac.jp/arts/fineart-cmart/

安らかにご成仏なさってください、瀬尾英樹くん。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E5%B0%BE%E8%8B%B1%E6%A8%B9
 作品集 /『HIDEKI SEO』2014 ISBN 978-2-7466-7161-4
 インスタグラム / https://www.instagram.com/hideki_seo/p/C5DOykZspZv/

文責/ 平川武治。
初稿/ 2024年06月06日。

 参照/
『ファストファッション-クローゼットの中の憂鬱』/エリザベス-L.クライン著:'14年7月/(株)春秋社刊。
 出典/ "The LEPLI" ARCHIVE 119/『アートとデザインの根幹の差異とは?−2。
"ファッション・クローン"の誕生とその新しさ。』/"平川武治の全仕事・私文古書庫"より。

投稿者 : editor | 2024年7月 7日 12:03 | comment and transrate this entry (0)

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現代アートを学ぶ学生にモードのことを少し、知ってもらう為、"京都市立芸術大学 構想設計専攻科" で講義をする。

 初めての学校、初めての生徒。
縁あって、「京都市立芸術大学 構想設計専攻科」で講義をする機会を頂いた。
テーマは、 『 "ファッションの立ち居場所から見たアートとの"関係性とその差異"の現在。』
この時の"講義用デ" ジュメ"です。

 文責 / 平川武治。
 初稿 / 2024年06月19日版−1。

 1)「まずは、"事の次第"をお話します。」
 20数年来の知人である、木村友紀さんと前田岳究/Q Takeki Maedaご夫妻が、この「京都市立芸術大学 構想設計専攻」で
"教授と非常勤講師"をなさっていらっしゃる関係でこの機会が生まれました。
 Q Takeki Maedaさんがベルリンで活躍なさっていらした時に、僕の拙文を使ってくださった事が僕たちの「関係の始まり」。
そして、僕がチューリッヒに滞在中に丁度、彼が"MIGROS MUSEUM"で展覧会をなさっていて見に行く機会がありました。
 "MIGROS MUSEUM" / "MIGROS MUSEUM"https://migrosmuseum.ch/en
 今年になって、僕が京都へ行く機会が幾度かあり、そのつど会って僕たちの距離が急に接近し、その結果が今回の講義でした。
 木村友紀 / https://www.kcua.ac.jp/professors/kimura-yuki/ 
 前田岳究 / https://muuseo.com/square/words/813

 当日は、30名近く集まってくださった。初めての学校だったので、僕はかなり以前から緊張していたのだが、皆さん、熱心に
聞いてくださった、ありがとうございました。
 当日、何を主題に話をするか?が、一番迷いましたが、結局このようなテーマに落ち着きました。
僕のモードとの関わりの40年程で僕が若い人たちに伝えたいことがあるとすれば、それは何か?でした。
 話しながら、彼らたちは僕の孫の世代なのだということを思ってしまったので、「世代間差異」」に僕が揺られてしまった
一面もありました。

 もう一つ、私的な想いですが、今年、3月21日に巴里で亡くなられた「瀬尾英樹」くんが僕にこの機会を与えてくださった。
この学校、"京都市立芸術大学"は瀬尾くんの母校でした。彼はこの学校のグラフィック科を卒業し一度、印刷会社に就職された。
が、どうしても心で沸き立つ彼の強い"ファッションの世界"が気になり、当時すでに、"ファッション有名校"になっていた
アントワープ校のことをベルギィー大使館へ問うていた。その大使館の担当者が「その学校のことなら"平川"に聞いてみろ!」と
いう返事で、僕へ彼から連絡が来た。ちょうど、京都の芸術短期大学で講義がありその翌日、福井文化の講義という日を選んで、
京都駅のベンチで初対面。そして、話し合ったのが、結果、瀬尾くんをファッションへ引き込んだ根幹だったという経緯を
思い出した。

 アントワープアカデミーの彼の卒業コレクションも見た。全てが斬新であった、クオリティがあり全てが彼の持ち得た「差異」
が"世界観"を持って創造されていたとても新鮮で、「コンセプト+イメージング+グラフィック+造形+パターン・メイキング+
ショーイング+サウンド+キャスティング」の全ての要素に"彼の独自性とバランス"がとれた卓越した卒業コレクションだった。
 この彼の卒業コレクションのゲスト審査委員長が、"アズジン・アライア"とミラノの"コルソ・コモ"のオーナーだった、
カウラ ソッツァーニさんだった。今でも覚えているが、審査後にアライアさんたちが僕に、「彼、HIDEKIの世界はいいね、
パターンメイキングもしっかりしているしプリントも新しいですね。」とおっしゃって、彼の創造性の巧さと細やかさの仕上げ
を褒めていらっしゃったのが僕にはうれしく、印象的だった。
 その後、卒業後の東京へ連絡が入り、結果、15年以上もアズジンの右腕として、日本素材も紹介し活躍した貴重な巴里在住の
日本人デザイナーであった。そして、2年ほどの舌癌に侵されての最期だった。
 アズジンが急死なさって以後の彼の立ち居場所は決して、彼にとって納得も満足もゆくものではなかった事を熟知しているので
僕は、違った眼差しでこの彼の不幸を受け取っているが、このことは次回にでも書かなければならない事実なので、次回に書く。

 "瀬尾英樹"との 「出会いと、そのキッカケとそして、その後の経過」を縁あって、繋がっていた僕を彼は今回の
「京都市立芸術大学」の講義へ導いてくれた一因でもあろうと、彼のパワーだと信じている。「ありがとう、瀬尾英樹君。」
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E5%B0%BE%E8%8B%B1%E6%A8%B9
 作品集 /『HIDEKI SEO』2014 ISBN 978-2-7466-7161-4
 インスタグラム / https://www.instagram.com/hideki_seo/p/C5DOykZspZv/

『「思想なきラディカルは名声を得る事で自己防衛へ廻るだけだ。」
その美は人間の欲望、奢侈、快楽、快適さを満足させてくれるものとしてのそれであったと言えた。
つまり、現実的欲求の範囲内のものであった。
 それに対し『自由』と結びついた『美』は現実の欲望を超越し、
それとは無縁の地平で求められるべきものであった。』

 出典/『芸術崇拝の思想ー政教分離とヨオロッパの新しい神』松宮秀治著-2008年-白水社刊。

 2)はじめに、/
 僕が今回、"京都市立芸術大学 構想設計専攻科"をネットで検索して知ったミッションは、 『「総合的な構想力」と社会に対して
「語る言葉」を養います。』でした。
 これに対し、僕が投げかけたのは、 『自分らしい豊かさと自由によって、持ち得た時代観による、"自心のボキャブラリー"と、
"他者を想い合えるこゝろ"を携えて、みんなで「差異」を競い合う"間柄が構築できる"空間。あるいは、「関係性」を創造するための構造。』が、 『共同で授業を作ってゆける場所』というのが、みなさんの"クラス"でしょうか?

 3)そこで、みなさんとの対話の機会で、僕の経験から皆さんへ伝えたいこと幾つか、/
 その壱は、"先ず、「根幹」を識ってください。
表層のみに囚われ過ぎないで、その物事やモノの「根幹」を見つけ出して感じてください。表層のみにこだわり過ぎると単なる
「方法論の"特殊性"」に陥ってしまいます。
 ファッション・クリエイションの世界は殆ど、このレベルです。やはり、真の「創造」とは、「特異性」を生み出すことですから
「根幹」を自分らしく求める。そのためには、「こゝろの緊張と集中」が必然です。これは「深呼吸と瞑想」によって可能です。

 その弐は、「差異」を見つけ出すことです。
当然ですが、自分の「差異」とは何なのか?を自分の「自由さ」で早熟に見つけること。
 この資本主義社会においては、「差異と力」が自分らしく生きてゆく為の最大の武器です。持ち得たあるいは、見つけ出した
"「差異」をどのような「力」に変換するか?"が全てです。この「差異」によって、他者へ情感が与えられ、共感が得られる
全てです。ここで、"他者が想い合えるこゝろ"が必然にもなります。見つけ出した「差異」を「才能」に変換し、それを
「力」とする、これが「創造者の根幹」です。

 その参は、"自分の立ち居場所を持ち、「関係性」を構築すること。"です。
自分らしさあるいは、自らのアイデンティティとしての「差異と力」を持てば、自ずと"自分の立ち居場所"が生まれるはずです。
"社会という共同体"で、自分らしく生きてゆくためには、"自分の立ち居場所"が大事であり自らの「間柄」を認識してください.。
そして、それらの「関係性」を大切にしてください。この持ち得た、「関係性」が自分を更に、豊かに、強くより、大きく成長
させてくれるからです。ファッションの世界は、僕は『「関係性」のビジネス』であると考えています。従って、「デザインとは
コミュニケーションの領域。」なのです。

 「根幹」を知って、「差異と力」を見つけ出し、自分だけの「関係性」をできれば、"早熟"に構築し生み出して下さい。
これらをどれだけ、「自分のらしい自由の裁量」によって為し得るかがきっと、みなさんにとっての「自分らしい人生」でしょう。
 「何者にも飼いならされず、自分の自分らしい自由の裁量に委ね、自分の気骨で生きる。」ことが許されている者が
本来の「芸術家」だと僕は自分の経験から願っております。

 この、 「根幹」、「差異と力」そして、「関係性」という「3つの早熟性」は
実は、僕の80年足らずの人生に大きく深く影響力の残してくださった、「中川幸夫」先生が幾度かのお話でそれとなく
お話くださって、僕の脳ミソに刷り込んでくださったことでした。

 4) 僕が感じている現代という時代感は?/
 そのー1)「西欧近代」という白人社会が構築した文明の"パラダイム"は不具合を生じ始めている。
 それぞれの時代の価値観から創生された「パラダイム」が変化することで、"意識"が変わる、これによって"時代が変わる"と
いう、あたらしい現実社会が生み出される。これが「西欧近代」が構築した社会構造の一つの「根幹」でした。
しかし、現実には彼らたちの価値観の一つである、「人間中心主義」が「倫理観」の欠如化により、掲げられていた
「人間中心主義」の現実は科学技術の発達とともに、「人間都合主義」に変革されてしまって、"地球、自然、気象環境"など、
そのものが弱り、衰え始めて久しい時間が経過しています。
これは、彼らたちが唱える「人間中心主義の限界」そのものの現れです。
 ここには、「西欧近代」を構築した白人たちが哲学化した「宗教」の根幹である"二項対峙思考"がもたらした"身勝手な"
「人間中心主義」そのものの限界の現れです。これによって台頭して来た昨今の"ネガティヴ プロブラムズ"の大いなる「根幹」の
一つに、例えば、「"OIL" 発想と価値判断の限界」などや、「冷戦構造」や、「G.サウスとG.ノース」の根幹もここにありますね。

 ここで、若い世代の人達が自然に、「人間と、人間を取り囲む"地球、自然、気象環境"」に新しい眼差しを持ち始め、
不都合だとか、不誠実だという想いや考えが少しずつですが、"新たな価値観"を生み始めています。
 これらは、「西欧近代」が生み出し、彼らたちが身勝手な都合主義で利用して来た"近代のパラダイムシフト"そのものが
"老衰化"していると考えられる現代でしょう。そこで、もう一度、"人間に与えられたそして、人間しか持っていない「自由」
についての「謙虚な再考」と「倫理観」が必要でしょう。例えば、新しい価値創生のための「東洋思想」が「仏教的眼差し」や
新たな価値判断としての、"SDGs"、"ビーガンフリー"、"サスティナブル"などへの根幹思想となり、更成る、「人新世」期への
新たな意識がこれからの新しいパラダイムシフトの根幹になる時代でもあります。

 たとえば、ファッションの世界における「創造」とは、新たな"パラダイム"を創り出すことです。
これは、"メゾンド M.マルジェラ"が僅か、'89年から14年間でトップへ駆け上がり、成し遂げたこととは、あの時代の、
"既成概念や既成社会"に疑問視出来る"勇気と気概と気骨と愛"をもって、ファッションの世界で「新たな"パラダイム"を
創生した勇気と気概」だったのです。

 そのー2 )「"A.I."のために"人間"とは何か?を考えなければならなくなった時代とは?」
 泡沫転倒な発想と視点が危険ですが、A.I.時代を迎えるにあたって、「"人間とは?"の再確認作業」です。
今後の "A.I."の普及と社会化によって、「人間が為さなければいけない事と、しなくてもいい事」の判断が大切な「人間らしさ」のクオリティを、即ち「人格」を生む迄の「根幹」です。そこで、このA.I.登場によって、改めて、「人間の役割とあり方」を再認識することが「倫理観」です。
 僕が念う「倫理観」はそんなに堅苦しいことではありません。「他者のために思い合うこゝろ。」が「根幹」という発想であり
ここでは、日本人の多くが、戦後を生きるために,"切り捨ててしまった"僕たちが身に着けている「仏教観」が大切な眼差しに
なるでしょう。

 そのー3)「君たちの時代のしあわせを考えるためのデザインとは?」
 「無駄な、意味の無い装色は職人、労働者につまらない負担を掛け、材料をムダ遣いし、ひいては、国民経済への罪悪を犯すことになる。」/ By A. ロースー1908年。

 これは僕が好きなヴィエナの建築家、A.ロースが1908年に出版した、「装飾と罪悪」という評論集で既に、彼は当時の建築家
たちへ語りかけた彼の強い"社会的倫理観"に支えられた、「過剰装飾は罪悪である」という提言でした。
 事実、当時のこの彼の名著「装飾と罪悪」出版以降、西欧建築の流れは、過剰装飾の"アール・ヌーボー"からシンプルな
"アール・デコ"へ、その装飾の流れを大きくシフトし、後には、W. グロピウスやル・コルビュジエに影響を与え、
ワイマールで'19年の"バウハウス"開校へと、新たな「近代建築」への流れが始まったのです。
 歴史とは、"リバーシブル"で面白い事実である一端をここにも感じます。
100年以上も昔に、A.ロースのこの建築家の想いである「社会的倫理観」が"バウハウス"を経て、「近代建築」を誕生させる
影響ある提言になりそして、この「近代の終焉」が始まったこの期に、「倫理観をデザインしてください。」を僕は再び、
新たな君たちの時代の"美ある社会生活"のために提言するのです。

 そのー4)「新しい時代の「生活様式のスタンダード」を妄想しよう。」
 きっと、皆さんが知らない間にも新しい日常のルールが生まれ、「価値の変換」が、以前よりは忙しくなく寧ろ、
「スロー」な流れでゆっくりと「日常の常識」が、そして「価値観」が変化していますね。
 20世紀の白人たちがそれなりの"資金と叡智"を使って求めた、「もう一つのモノ、三つ。」が、今後の"新世界"へ向けて、
大切で大きな「根幹」になってゆく時代性も感じています。
 「もう一つの人間」と「もう一つのお金」そして、「もう一つの地球」によって、彼らが求めた「西欧近代」を彼らたちの
基本根幹を変えずに今後も継続させる為の「20世紀最大の彼らたちが考えなければならなかった戦略計画」でした。
 しかし、「もう一つの地球」が見つけ出せなかったゆえに、彼らたち白人は急遽、方向転換をして、「環境問題」そのものを
経済要因に組み込み始めたのが2010年に至る頃からだったでしょう。

 これからの皆さんが迎える「新しい日常」は「A.L.」と「仮想通貨」によって新たな普遍的な社会と価値観が誕生し、
「新たな普通」という日々が創生される「地球社会の普遍化」が始まり、"明日"という時代が待っていますね。
ここでは、唯一つ、作れなかったあるいは、宇宙では見つけ出せなかった「もう一つの地球」への想いですね。
 そもそも「地球環境が健全でなければ、健全な人間が生活できない、生き延びて行けない」ことに気がつき始めた世代と
富裕層たちの特権意識が今後、この"傷つき、ボロボロになってしまった地球"を大切に思い込めて、丁寧に「治癒と治療と修復」
をしてゆくことが神から新たに課せられた人間であることへの責務でしょう。
 従って、ここでも「倫理観」を考えてください。 
従って、これをファッション業界が行っている、サスティナブルを単なる「経済効果」を目的とした"マーケティング戦略"では
いけないのです。
 ここでは、今後、モノをデザインするには「モノの新しい価値観と倫理観」を「根幹」に考えたデザイン思考が、機能性よりも
丁寧に考えるべきだという発想です。例えば、これらの「新しい日常」を考えると、時代がスローに流れていた「過去」から
「夢」を願う時代性も新たな贅沢です。この贅沢とは、"ニューヒューマンテクノロジー"を拠り所にした過去のアーカイブからの、
「良いとこ取り+ SOMETHING NEW」の世界でしょう。
 この「奢侈思想」としての "贅沢な暇つぶしや退屈のためのデザイン"に、"ワザワザ"が経年感である"古い残された、
アーカイブやヴィンテージ"が持つ、「新・わざわざ感」が「根幹」ですね。
 
 そして、もう一つ考えなければいけない世界が、「作られたモノ」は、「すべてゴミ」になる時代性です。
ここでは、"ゴミビジネス"のための「3R+2R」という発想の"スロー・デザイン思考"です。
 「リデュース、リユース、リサイクル+リフューズ、リペア」の5つからのデザイン工学を作り手の「倫理観」に委ねられた、
"プラスティックバンク"や"プラスティックエナジー"等のデザイン活動などもその一つでしょう。
 「京都市立芸術大学 構想設計専攻 で講義をする。」 2024年06月19日版−1完。

文責/ 平川武治。
初稿/ 2024年06月06日。

 

投稿者 : editor | 2024年6月23日 22:09 | comment and transrate this entry (0)

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"迎春寿福" 令和六年正月。/ チューリッヒの友人への返信、「倫理観をデザインする時代」。

 "迎春寿福" みなさま、あけましておめでとうございます。 令和六年正月吉日。
IMG_5405.MOV
 昨年もこの、"Le Pli"に関心をいただきありがとうございました。
今年もぼちぼちと変わらない視点で、日本のファッションメディアと称する媒体では
書けない真実を誠実に見つめ、書き連ねる覚悟です。
好奇心在る方はどうか、よろしくお付き合いと共に、ご指導、ご鞭撻ください。

 さて、年が変わった今年は新年早々、色々な災難が起こってしまいました。
多分、これからの今年は順風万歩とは行かない"月の周期"に入ったと危惧してください。 
  
 今、私は80歳になろうとしています。
ファッションの世界ではすっかり "オールドスクール "になってしまいました。

 かつての白人至上主義者によって構築された
「西欧近代」のパラダイムが限界に達してしまったという現実。
そして、現在のライフスタイルはより物質的な豊かさとなる。
 そんな時代のファッションの世界におけるファッション・デザインは
今後、これにどう向き合うべきなのか。
そのためにファッションビジネスはどうあるべきか。
また、そのために避けられない"新しいパラダイム"とは?
こんな視点をコロナ以前から、私は学生やこの世界の人々に機会あるごとに
提言するようになりました。
 
「これからのファッション・ディレクターであるあなたたちは、
何をディレクションするのでしょうか?或いは、すべきですか?
何を演出すべきか、何を創造すべきか?
もう、こんなにありとあらゆるモノがある時代なのに?
まだ、"ゴミ"をつくるのですか?
そして、ファッション・ビジネスとはただ、儲けるためなのですか?」

 「西欧近代」が崩壊したこの時代に、私の40年の経験とそこから学んだスキルそして、
私のこころの中にある感性をひとつにして、接する若い人たちにこの現実とその根幹を
語っています。

 私の答えは、「これからは、ファッションの世界の人達も"倫理観"を念頭に置いて、
ビジネスを想像し、デザインし、イメージングしてください。」です。
 私の現在の"ファッション・キーワード"は「倫理観」です。

 おそらく、あなたが「サステイナブル」でやっていることの基本でもあるでしょう。
そして、古い「西欧近代」のパラダイムをどこまでも引き伸ばそうとするあなたたちの
世界の中で「SDGs」や「サスティナブル」は「地球及び、自然環境と人間生活のための
倫理」がテーマで根幹でありますね。

 ここで、私たちが日本人であるために、皆さんとは異なる「宗教とその哲学」からの
「倫理観」も、今後の"新しいパラダイムシフト"には絶対に必要な"思想と考え方"で
あると信じているからです。

 亡くなって1年が経った、VIVIANNE WESTWOODの"パンクスピリット"は
彼女の晩年の生き方を知れば知るほど、とても強靭でラギッドな気骨ある"パンク精神"を
持ち続けられたファッションデザイナーとして尊敬の念が深まるばかりの人です。
 彼女の晩年の "パンク "は、自分のブランドのために「サステイナブル憲章」の制定と
その実践に尽力したことです。また、私生活でも"ヴィーガン"を実践していた人でした。
そして、私に目に見える形で大いに好奇心を持つことを教えてくれた一つが、彼女独自の
「VIVIANNE WESTWOODのパンクスピリット」な生き方でした。
 この彼女の強靭なパンク精神である「サスティナブル憲章」のお陰でこのブランドは今、
実質、営業成績が世界規模で"右肩上がり"という現実を生み出しています。
 ここで、やはり日本で「パンク」を売り物にしてきたデザイナーが功労賞を貰った途端に
彼女の口から「パンク」が消えてしまうまでの"なりすまし人格"が気になりますね。
 これがヴィヴィアンと川久保の二人の女性の「倫理観」の違いと「気骨」の置所の現実で
なのでしょう、残念ですが。
 どうか、"プレス"が発言することのみを報じるだけの日本のファッションメディアの人は
是非、これを入手して、ご一読、学んでください。

 ファッション界の実態は例えば、ファッションにおける "ダーウィニズム "が
"ファッション・クローン "を生み、これが「ファスト ファッション」や「SPA」と称され、
グローバリズムという新たな植民地主義が "グローバル・ノース "と "グローバル・サウス "を
生み出し、世界をより "二極化 "させてしまいましたね。
 結果、このファッション界も"二極化"した「ハイモード」と「ファストファッション」構造
が構築されただけで、彼らが求める「業欲」の拡大構造は相変わらず肥大化している現実。

 例えば、日本のファッションブランドの世界では、「彼らは年間の総生産数を発表しない。
そして、年間総売上高も公表しない。また、"サブブランド"を作り、年間総生産数をただ、
むやみに増大させているに過ぎないただの自分たち企業の為の強欲ビジネスでしかない。」
もちろん、ファッションメディアは彼らたちの「実際の売上も知らず、在庫残数や納税額」も闇に葬る。

 まだ、この「ファッションの世界」の現実は私が思う「倫理観」がかなり、
希薄な世界でしかありません。

 日本においては多くのデザイナーたちが、何らかの"なりすましデザイナー"であり、
私が出会ったヨオロッパでのデザイナーたちでも「虚飾の世界で、虚飾に生き抜く」
ただ、金にタフな人間が多いのも現実の世界です。

 故に、新たな時代の、新たなファッションの世界のためのクリエーションとビジネスに
おいての"パラダイムシフトには「倫理観」という視点とその認識が、どれだけ不可欠で
必要な世界であるかに目覚める事を提言するのです。
 ファッションにおける、新しい機能性や造形はすでに飽和状態であること。
そして、「ファッション クローン」がどこでもいとも簡単に安価に大量に、素早く製造する
ことができる時代になったのですから、
「何をデザインするのか?あるいは、何を売り込むのか?」をそれぞれが持つ
「倫理観」を根幹として再考することがより、人間味ある時代性そのものなのでしょう。

追記/
 昨年の6月、3年半ぶりに巴里を訪れたが、すでに私が知っていたパリとはファッション・
シーンが大きく変貌してしまっていました。そこで感じたことは、ファッションの観客や
顧客のほとんどが"有色人種"の時代になってしまったと言う事実でした。
 彼らが歴史と共に刷り込まれた「諸コンプレックス」による「ブランドヴィクティム」の
ランウェイであり、ファッションビジネスになり、バニティでしかなくなたようです。
そのために黒人たちが作り上げたイメージであり、そのイメージを使って、もちろん彼らが
興味を持つメインの顧客は「黄色人種」でしかないのがより、現実になったようです。
 香港は中国市場への玄関口であり、今は韓国が新たな戦場ですね。中国が政治的な
地雷原となった今、「円安」に乗じて「夢よもう一度」と日本人の「ブランドヴィクティム」
への再度なる猛攻撃が、'90年終わりを彷彿させるまでに再び始まっているのも現実です。
 欧米の白人社会では「ブランドヴィクティム」は下品であるという「保守」旋風。
ここで再び登場するのが「オーセンティック モード」というファッション観が再び。
 事実このため、「ラグジュアリーブランドビジネス」は営業不振へ落下進行中。
 
これが私が見て感じた3年半ぶりの「パリのファッションの世界」の実情なのです。(完)

文責/平川武治。
初稿/2024年正月3日。

投稿者 : editor | 2024年1月 3日 22:56 | comment and transrate this entry (0)

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2/『このような時代において、 "デザインすることとは?"を考えよう。その弍:』

1)はじめに、/
 前回は、『「近代の終焉」に気が付きながら、変わらず「白人至上主義」たちの、
"利権"ビジネスをモードの世界で遅れてきた、「新・自由主義進化系」たちのために、
選ばれた、"ファッションDJ"たちが、'95年来の"ラフ"や"ウラ原系"アーカイブスから
変わらぬ"コスチューム"&"ユニフォーム"という世界でビジネスを軸にDJ展開している
現実を、「LVMHグループ」の来年の"巴里オリンピック"を舞台に計画している
強かな"ビジネス戦略"を根幹に提言しました。』

2)今回は、もう一つの"眼差し"として、
"戦後"、都合よく忘れてきたもの或いは、欠如したものが何かを、改めて考えてみる
必要がありますね。/

 結論的に言って仕舞えば、これからの時代における"デザインすることとは?"
『「倫理観/エシカル」をどのようにデザインするか?』です。
 この「近代の諸矛盾」に早熟に、気がつき始めた、新世代人たちのための、
これからの彼ら世代が"地球自然環境"を意識した「倫理観/エシカル」を
デザインするという全く、新しいカテゴリーのデザインの世界がありますね。
 この「倫理観/エシカル」をデザインするカテゴリーに、
当然ですが、昨今のファッションのみならず、"全産業のトレンド"になってしまっている
"SDGs"や"サスティナビリティ"も含まれます。
 また、従来からの"ユニバーサルデザイン"や最近、新しいカテゴリーになり始めた
"ノンビナリー デザイン"、そして当然、「人新世」までもが考えられ、含まれる世界です。

 この「倫理観」とは、難しくも無く、堅苦しいことではありません。
誰でもがこゝろし得る、「他者を思い合うこゝろ」或いは、「他人のために思い合えるこゝろ」
どのように持ちデザイン行為するかが根幹です。
 それに「近代の諸矛盾」の如実な現実に対しての、"地球、自然、環境"を思い合う良心的なる
世代発想が加わったものが、彼らたちの「倫理観」でしょう。
 もう一つの根幹は、近代における"デザイン"が、"コミュニケーション"の一つの世界で
あったならば、今後の新たな世界観における、"コミュニケーション"そのものが今後の
"デザインのあらたな世界"であるという王道な根幹と思想です。

 しかし、「新しい世界」を創造するための"新しいパラダイム"には、
それなりの資金が必要な時代です。
 グローバリズムに登場しサーフした、「SPA型」ファッションビジネス。
すなわち、"ファストファッション"系の企業人たちが、
本心、この「倫理観をデザインする」と言う世界を認識し、
「どれだけ投資する意思と、意欲と思想があるか?」が、次なる「次世代型SPA」系の求めるべき、
パラダイムであり、世界でもあるでしょう。

 このあたらしいファッションの世界は、「サスティナブル」を"差異"にするには、
"インデペンデント・デザイナーブランド"の個人レベルが手掛けるには至難の世界です。
なぜならば、それなりの投資資金が必要だからです。 
 彼らの規模で考えられる手法の一つは、
行政がどれだけ彼らたちの新しい"サステイナブル支援"をするか?
あるいは、それぞれ個人が感じ意識する「他者を思い合うこゝろ」
を基本とした「共有感覚」と「共有言語」を持ち寄った共通の「倫理観」による
「コーポレーション方式」も考えられるでしょうね。
自分たちが「儲ける事」だけを考えた"コラボ"こそ、「倫理観」欠如の証でしょう。

 しかし、もう一つ問題があります。
いつの時代もの現実ですが、"ファッションメディア"の「倫理観ある」編集と
バックアップでしょう。
 全てが、「広告ありき」のこのメディア産業の限界。「純広告」と「タイアップ広告」の
契約具合でそれなりのブランドを持ち上げる編集根幹が変わらない限り、
この世界もメディそのものが、「倫理観」をどのように
新たな編集軸として持ち得てゆく時代性に意識し、
熟知しなければいけないでしょう。

 変わらず、広告スポンサー企業の"太鼓持ち"が
"メディアビジネス"という認識、
簡単で、カッコつけられる仕事だと大いなる勘違いしているレベル、
コレクション会場でフアストローに座れることを自己満足している
変わらぬ、ファッションメディア人たちとその現実にも、
新たな時代の、「倫理観」の元、
「新たな"ファッションメディア パラダイム"」が必然でしょう。

3)一つの大きな事実、昨今の「古着ブーム」からの新たな眼差しである。/
 日本の古着マーケットも戦後の"大衆消費社会構造"によって生み出され、
世界でも特化した"モノあまりマーケット"へ進化した
これも"20年周期"のファッション・ルーティーンの一つであろう。
 そして、このブームにも"二つの潮流"が生まれている。
この状況は、"表のコレクションファッション"とシンクロした「ハレとケ」現象である。

 その一つは前述もした、世界のラグジュアリィーやハイブランドの客寄せパンダとして
招聘された"ファッション DJ"たちが、"中古レコード"を探す同じ感覚なのだろうか?
コレクション前には東京を訪ね、お友達を訪ねまわり、"ネタ"を探す。
ウラ原デザイナーやブローカーそして、古着屋を巡り回るクルージング。
この彼らたちのクルージングは彼らたち特有の"ザッピング手法"或いは、
コレクションディレクターとしての"創造のためのネタ探し"とのパラダイムである。
 この現象はストリートファッションを軸にした世界では
もう世界的に認知されたパラダイムである。
 ここで暗躍しているのが、知らぬ間に自分たちが仕入れた古着をネタにコピーものを
"オリジナルコラボ"と称してカネ儲けに走る古着屋輩である。
よく売れるのが、"M.M.M."であり、90年代の半ばごろからの"ラフ"や"アントワープもの"
それに、"U.C."など、これらに並ぶ"ウラ原もの"などなど。最近では、"H.ラング"も動き始める。
 この現実の裏側には、'90年代に入ってからの自己主張が強い形骸的な
コレクションデザイナーブランドの"癖の強さ"を白人たちよりも、世界で一番買っていたのが
日本人バイヤーであり、いい顧客だったという証拠と現実である。
 例えば、"M.M.M."ブランドも立ち上がって3シーズン目からは日本人バイヤーたちと
その顧客たちが世界で一番多く買っていた。従って、このブランドの"直営店"が
白人世界に先駆けて、東京店が第1号店として初めて立ち上がったことを考えれば理解できる。
 この"20年周期"のファッション・ルーティーンの一つである、"古着屋ブーム"が
"個人〜古着屋"そして、"個人〜ネット/ヤフオク〜古着屋"というこの世界でも、
PCが加わったことでの世界規模としての新たな古着の"拡散と再販とコピーもの"が進化し、
このような現実を生み出し、新たなビジネスになっての現在である。

 そして、もう一つの"古着屋"ブームは、
グローヴァリズム以降に誕生した世代たちがリアルに意識し始めた新たな眼差しである。
 90年代以降のバブリーな"大衆消費社会構造"によって生み出さた"モノあまり"と
その過酷なまでの"生産背景や労働条件"など、世界レベルの「近代の諸矛盾」がひき起こしている
「負の如実な現実」や「不都合な事実」に対して、
彼らたち世代が感じ意識し始めた、"地球、自然、環境"をどのように大切に考え、思い合う
良心的なる世代発想としての"SDGs意識"も加わった上での
「倫理観/エシカル」が投げかけ、働き出した現実としての"古着ブーム"であろう。
 そこで、今回のテーマ、『このような時代において、"デザインすることとは?"を考えよう。』
もう一つの視点がこの「Z世代+古着ブーム」=「倫理観」を意識する眼差しです。
新たな世代が「新しいパラダイム」として彼らたちの"目線"と"身体性"と"日常性"によって、
「なぜ古着にこだわるか?」を
これからのデザイン作業に関わる人たちが"問題意識"として持たなければならない
"こゝろの有り様"であり、そこに、それぞれが持ち得た"美意識"をどのように表現するかでしょう。
 「不都合な事実」や「まやかしのイメージング」で生み出された"新しいモノ"よりも、
"気に入った古着"そして、それらを使ってのリメイク、リペアー、リプロ、リユースなど
可能なる"優しさ"が施されているものへの"安心と感動"というリアリティ。
 この根幹は、「倫理観」を意識し始めて誕生した"古着ブーム"であり、
Z世代がこのブームを牽引し始めているのです。

 ここに参考として、
"sdgs. yahoo.co.jp"の2021.06.18付けの記事を紹介したい。
 ぜひ、オリジナルを読んでみてください。
タイトルは、『古着ブームの裏側に高まる若者の環境意識?
「優しい目線」の買い物が欲しい未来を引き寄せる』である。

 『映画"トゥルーコスト"を見たり、グレタ(トゥーンベリ)さんが
スピーチしているのを聞いたりして「不都合な真実」をいろいろと
知ってしまった結果、何を買っていいかわからなくなってしまったと。
知った上でそのまま消費していると、自分も非倫理的な振る舞いに
加担しているように感じてしまうみたいで。』

 この冒頭の一文は僕が提案している、
『これからの時代における"デザインすることとは?"「倫理観」をどのようにデザインするか?』の一端を
端的、彼らたちの"リアリティ"で言い表されていますね。
 ぜひ、ご一読を!

 参考/
sdgs. yahoo.co.jp/
『古着ブームの裏側に高まる若者の環境意識?「優しい目線」の買い物が欲しい未来を引き寄せる』
https://sdgs.yahoo.co.jp/originals/87.html?cpt_n=mailmaga&cpt_m=em&cpt_s=109&cpt_c=&cpt_k=ang_442201_208654098_20230922

4)おわりに、/
 これからファッションに限らず、"デザイン"に関わる人たちは、
自分たちも使い手でもあるという人間的な価値観のもとに、
新たな服のデザインにおいても、
古着を利用した服にも
「他人のために思い合えるこゝろ」という「倫理観」を
根幹とした価値観を持って、「右手に問題意識、左手に美意識変わらず!!」
 このような時代において、 "デザインすることとは?"を考えてください。
"In these times, "What does it mean to design?" Consider the following."
お願いします。
 
文責/平川武治。
初稿/2023年09月21日。

 参考-1/non binary :
 伝統的な用語で定義されていない性別または性的アイデンティティを
示す、またはそれに関連する男性と女性、または同性愛者と異性愛者などの
二項対立。非バイナリーの人々はメディアで大幅に過小評価されています。
 参考-2/ノンバイナリージェンダー(nonbinary gender)
https://ideasforgood.jp/glossary/non-binary/https://eleminist.com/article/550

 ノンビナリー デザイン/
https://ideasforgood.jp/glossary/non-binary/

投稿者 : editor | 2023年10月 2日 17:00 | comment and transrate this entry (0)

, article(145)

『このような時代においての、"デザインすることとは?"を考えよう。』そのー壱。

0)はじめに、/
 今、パリでは"ファッションウイーク"のシーズンが佳境。
時がくれば変わらず、コレクションを続ける。
やる側はただ、"ビジネス継続"のため。
見る側も、訪れて与えられた席で"ただ見て、撮る"だけ。
彼らたちはコレクションについての「予習」などはしない。
"ファッションウイーク"をレポートするのが、
仕事だというレベルのジャーナリストたち。
"SNS"を含めてまるで、"ファッション芸能メディア"のレベルの質と内容に
そのほとんどが成り下がってしまった現実。

 このような時代においての、"新しいファッションデザイン"とは
実際、意義も含めてあるのだろうか?
もしくは、デザインすることを生業としている人たちは
「何のためにデザインしているのか?」
あるいは、「何をデザインするべきか?」を
どのような人間としての責任感で考えるべきなのだろうか?
今回は、この問題定義に"二つの視点"で考えてみよう。 

1)まず、「このような時代とは?」/
・「近代」と言う時代の"諸パラダイム"が機能不全になり始める。
・その影響によって、"地球とその自然環境と気象現象"が日々、
 過大なるダメージを受け続けている。
・世界諸国の社会構造が、"二極化構造"がより、現実に拡大している。
・中国の政治・経済の不確実性の高まりとアメリカ合衆国の弱体化。
・ウクライナの"EC化"による、東ヨオロッパの地政学が変革した。
・地球上の人口減少化と、"白人対非白人"の人口比率が変化し始めている。
・モードの世界にも影響を与え始める"イミグレーター"と言う新世代人たち。
・彼らたち"カラード"たちを"次期顧客"と目標にしたビジネス戦略の
 世界のラグジュアリーメゾン群。
・独自の戦略で来年の巴里オリンピックの「プレミアム・パートナー」に協賛の"LVMHグループ"。
・世界のスーパーリッチたちが目論む「N .W .O.」がチラつき始める「監視資本主義」。
 

 参考/
 「アメリカは出生率1.7だが低下しており、しかも出生率が高いのは
白人以外の移民で、白人だけに限ると日本人より低い可能性がある。
この結果新生児の数で非白人が多数になり、アメリカでは白人対非白人の
権力闘争が発生している。」
https://www.thutmosev.com/archives/85436915.html

2)このような時代においてのデザインは「何のためなのか?」−1/
 "what's do the design?" とは?を考える必要がありますね。
その一つは、"遅れてきた、「新・自由主義進化系」たちのための、
"コスチューム"&"ユニフォーム"という世界があります。

 もう一つは、この「近代の終焉」に早熟に、気がつき始めた、
新世代人たちのための、彼らの地球のための、
「倫理観」をデザインするという
全く、新しいカテゴリーのデザインの世界がありますね。

 今回は、「巴里オリンピックが新たなターゲット」という眼差しで、
「LVMH企業グループ」の昨今の動向も見ながら読み込もう。

 19世紀終わり、「白人至上主義者」たちが「近代」と言う新しい豊かさの時代のために
構築してきた一つである彼らたちのための"モードの世界"が"近代のパラダイム"の一つでした。
一世紀以上を超えて、コロナ禍以後「近代の終焉」にも拍車がかかって、
この「近代」という時代の"パラダイム"そのものが
確実に変革しなくてはならない状況と現実が始まって来ました。
しかし、未だこのパラダイムにしがみついて、現在の「監視資本主義」のも元で
"利権"ビジネスに邁進しているカテゴリーのファッションデザインビジネスの世界が
まだ、君臨しています。
 この世界は、地球上の20数カ所の都市で行われている"FASHON WEEK"システムと、
その"利権"下で行われているファッションビジネスの独占的な世界です。
例えば、それまでのパリでは、"fashion calendar"と呼ばれ親しんできたコレクションが、
いつの間にか確か、2015年以降この"FASHON WEEK"という公称へ変化したのです。
が、改名の理由の根幹を考え、捉えているジャーナリストがどれだけいるだろうか?
 僕のように、36年間以上もこのパリで行われて来たコレクションに接してきた者にとっては、
これは「ある日突然の、"青天の霹靂"」でした。そして、僕なりの解釈は
2016年のコレクション以後、"FASHON WEEK"と改名された理由には、
『"グローバリズム"+"ファストファッションの台頭+"トレンドの弱体化"+"IT"の登場』
によってであると認識している。
 そして、現在では、この"FASHON WEEK"システムによって、前述のように、すでに世界で
20数カ所の都市で"マニュアル システム"によって、それぞれの"FASHON WEEK"が、それなりに
行われているファッションメディを軸にした"利権"ビジネスがこの現実です。

 特に、昨今の「LVMHグループ」企業が
その「企業力と資金力とブランド力とそして、政治力」を駆使してこのファッションの世界で、
「ヴァニティなファッシズム」を構造化し始めているのが、現在の「モードのキャピタル、パリ」の
最新の現実でしょう。

 この彼らたちが変わらず構築している「モードとヴァニティ」な世界、
あの映画、"OZの魔法使い"宜しく、金鍍金な「エメラルドの塔」は
未だに、若いそれなりの人種には魅力ある"まやかしのバニティな世界"。
夜毎繰り広げられる"ボールルーム"でのシャンパンと共の饗宴が"モードの世界"であると煽られ、
短絡視しているエトランジェニックな人種たち。
 そんな彼らの役割は、"SNS"で自己確認とそのバニティさを拡散すのみ。
これら"まやかしなイメージング"をファッションDJによって、彼らたちのリアルターゲットである
"The Yellows" & "イミグレーター"たちをビジネスへ煽る"ヌーボーラグジュアリー"という
ハイ・ブランドメゾン群。

3)さあ、来年のオリンピックが大変だ!ファッションメディアがスポーツ メディアになる!
 来年の「パリオリンピック」はファッションメディアをも賑わす史上初めてのオリンピック。
この企画と眼差しは、"スポーツの世界"と"ファッションの世界"のコラボレーション。
この根幹は、白人至上主義者たちによって築かれてきた近代資本主義における、
"商業的狂宴と意義"でしかなく、分かり易い"カラードたち新・中産階級"へのビジネス戦略。
 そのためのファッションビジネスの"新たなパラダイム"としての"オリンピックファッション-
イベント"になろう。
「真の権力者はLVMHの最高経営責任者であるベルナール・アルノーとキリアン・ムバッペだと
言った。」/N.Y.Timesより。

 この来年には現実に行われる「パリオリンピック」後、実質、ビジネスを拡大拡張させるのは、
結局は、"スポーティーファッションブランド"と"スポーティハイブランド"と"ユニフォーム"と、
"シューズブランド"である、これらワールドワイドなユダヤ民族たちの世界の諸企業群が歓喜!!
そして、「素材メーカーや工場」などは所詮変わらぬ、"グローヴァルサウス"という隔離世界。

4))ここで、歯に衣着せぬ、"N.Y.Times"のVanessa Friedmanの原稿記事を
紹介しよう。/
 
 彼女はすでに、今年の7月の終わりに、この来年の"ファッションビジネス ビッグバン"を
書き下ろした、"N.Y.Times"の原稿の一部を紹介しよう。
 『スポーツとファッションのニュースレター、パート2へようこそ。
先週、私は女子ワールドカップについて、そしてデザイナーたちが
いかにその可能性に目覚めているかについて書いた。
 ディオール、フェンディ、ヴィトン、セリーヌ、ティファニーなどを
所有する世界最大のラグジュアリーグループLVMHが、
2024年パリ・オリンピックの「プレミアム・パートナー」になると
発表したのだ。
 ラグジュアリーグループがオリンピックのメインスポンサーとして
契約するのは初めてのことだ。
(例えば、2028年のロサンゼルス大会では、コムキャスト、デルタ航空、
セールスフォースが同じ枠に名を連ねている。)
 オメガやラルフローレンなどのブランドは、オリンピックの長年の
パートナーである。
しかし、通常モンテーニュ通りに並ぶような名前が、
大会全体と結びついているのを見た記憶がない。
 史上最高のオリンピックになるだろう!とは、
ちょっと皮肉っぽく書いてみた。
ショーメ(LVMHの高級宝飾品ブランド)がメダルをデザインし、
モエ・ヘネシー(LVMHの飲料グループ)がシャンパン、ワイン、
スピリッツをホスピタリティ・スイートで提供し、
セフォラが聖火リレーに参加する。
 想像してみてください。
Hollywood celebritiesまた、フランス選手団がルコックスポルティフを
着用する開会式での
衣装や、アスリートたちとの関係性についても言及することはない。
世界的な影響力という点では、彼らはハリウッドのセレブリティと
同じ空間に急速に忍び込んでいる。
むしろ、ハリウッドセレブを凌駕しているかもしれない。
 スポーツの祭典のためにパリを魅惑の絶頂地として売り込むという
アイデアは、なかなかうまい計画だと言わざるを得ない(失礼)。
オリンピックもLVMHも、達成のロマンスを売りにしている。
なんとも魅惑的な結婚である。
非常に長期的な関係になるであろう、
もうひとつのステップだと考えてほしい。
 今月、クチュールの会場で、あるブランド幹部と政治の話をしたとき、
彼は、フランスに関して言えば、
"真の権力者はLVMHの最高経営責任者であるベルナール・アルノーと
キリアン・ムバッペだ"と言った。これがすべてを物語っていると思う。』

 見事なビジネス戦略である。
ムッシュー アルノーはこの"オリンピック大会"を利用して、見事に21世紀版、
"OZの魔法使い"の"エメラルドの館"を自分たちのグループ企業ビジネスしかできない、
彼らたちのために自作自演をディレクションするCEOであり、この企業グループは策士集団であろう。
 多分、彼は"The Fashion is always fake !"
最も身近に熟知している実業家なのだろう。

5)来年の"パリオリンピック"にイマジネーションし、愉しんでみよう。/
 その入場式はオリンピック大会史上、初めての趣向として、"セーヌ川"がメイン舞台として
使われる。
 "セーヌ川"そのものが、観光都市巴里の売り物のトップであり、他の名所エッフェルタワーや
グランパレやルーブル宮を繋ぎ、"左岸"と"右岸"をそして、"愛"を繋ぐ"セーヌ川"が主役となる。
 と言うことは、"橋"とその両サイドの"プラージェ"を
どのように自分たちの"広告テリトリー"とするか?あるいは、"ブランドテリトリー"とするか?
これが来年の"巴里オリンピック"の面白さと愉しさと攻めどころであろう。

 ここで今年4月のソウルのショーと、先シーズンのパリ、ポンヌフでのどちらも、
"L.V.オム"のコレクションを思い出そう。ここで彼らたちは既に、"橋"と"プラージェ"を
どのように使えばより、効果的か?の"シュミレーション"していたのであろうか?
そしてここには、"新たな視線"としての"俯瞰視"がファッションの世界にも登場するだろう。
 この"セーヌ川"をオリンピック開催式と閉会式に使うことそのものが"歴史的イヴェント"であり、
これをどのように自分たちの世界観でイニティアティブを奪て、"LVMH的ショーイヴェント"を
行うことで、世界発信してくれるメディアとともに、来年のパリオリンピックは大会史上の
歴史的イヴェントとして、後々までも、「巴里の文化」に足跡を残すことになることも読み込まれた
この企業の目論みとビジネス戦略であろう。
 まさに「文化は武器」と心得た、「上手なお金の使い方」である。
"橋"と"プラージェ"と、会場を行き来するための"水上バス"には"LVMH企業グループ"の
広告がやたらと目につくだけであろう。
 ここで、前述の、N.Y.Timesのヴァネッサの原稿の一文の、
"真の権力者はLVMHの最高経営責任者であるベルナール・アルノーとキリアン・ムバッペだ!!"が、
実態として納得がゆく。
 「企業力+ブランド力+資金力+政治力+メディア力」=「ヴァニティなファッシズム」
或いは、「柔らかなファッシズム」。

 さて、ここで、もう一つの"パリラグジュアリー"の女神、"シャネル"や"エルメス"
そして、"ケリンググループ"などの対応は? 
これも楽しみな見ものであろう。

 "1900年のパリ万博"で"アールヌーボー"が誕生し、
"1925年のパリ万博"では、"アールデコ"が誕生したことと重ね合わせて、
 100年後の"2024年のパリオリンピック大会は、何が誕生するのだろうか?妄想してみよう。
『"ファッション+スポーツ+アート"="ヌーボー・ヴァニティ・ラグジュアリー"』の誕生か?

文責/平川武治:
初稿/2023年09月18日:

投稿者 : editor | 2023年10月 1日 22:00 | comment and transrate this entry (0)

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2023年6月20日/『3年半ぶりの僕のパリ。』 その五-エピローグ "墓参"のこと。

 6ヶ月前の今日が彼女の命日。
 暑い最中の6月の終わり。
ファッションウイークが終わった巴里、待っていたかのように僕はブリュッセルへ移動。
今回の旅の一番のミッションである、Francine Paironの墓参へ。

 久しぶりに乗った、TGV。
乗り換えがあって知らない駅で結局、1時間以上も待たされて着いたブリュッセル北駅は
もう治安の悪い時間帯になっていた。
 小雨も降ってきた。
この駅からさほど遠くないところに予約した筈のホテルだったがタクシーを使った。
イミグレターの運転手は案外、親切だった。

 ただ、駄々広いホテルの部屋での独りは落ち着かない夜だった。
明日の彼女の墓参に緊張をしてしまっていたために余計だったのだろう。
朝食も取らず、八時前にはホテルを出た。

 歩いて駅まで行くと、やはりホテルは近い所に在ったことを知る。
駅中のカフェで朝食まがいをとってそして、トラム駅へ行く。
 共通の友人の映像作家のミッシェルにあらかじめ教えてもらっていた道順で彼女の元へ向かう。

 そそっかしい僕はもう、今日の失敗を始めた。
乗ったトラムが反対方向のものだったために、さあ大変!!
 不安とともに乗っていたので、途中で気づき降りて反対の停車場へ。
ここが何処なのかは全く不明なところで小一時間ほど待つ。
 同じ停車場で待っている老人に尋ねるが、尋ねると余計に、不安になってしまうのが
この街の僕の経験。こんな時、モバイルを持っていればと自らのアナログぶりをやじるが
この体験そのものが旅だと言い聞かせる。
 行ったり来たりのトラムでやっと乗り換え停留所へ辿り着き、次はバスに乗り換える。
さっきの経験で学習したので今度は大丈夫。
 そしてやっと、十四時過ぎには霊園に辿り着く。

 僕と誕生日が"1日違い"という繋がりでフランシーヌとは仲がよかった。
彼女との出会いは、パリのメトロの中だった。当時、僕はすでに、アントワープアカデミーの
卒業コレクションの審査員をさせていただいていた。
 確か、マルタンのコレクション帰りの車中、
気がついてみると、多くのアントワープの連中の中に、微笑んでいるフランシーヌもいた。
 リンダ ロッパの紹介で、フランシーヌはブリュッセルに古くからある美術学校、
"ラ カンブル/La Cambre"校のファッション ディレクターであることも知った。
 この学校は1927年にアンリ・ヴァン・ド・ヴェルドによって設立された、
ベルギィー版"バウハウス"と思っていただければいい。それだけの内容とレベルの学校である。
 そして、この学校の特徴はこのモード科でも同じく、"スタージュ"という研修・実習制度が
3年生から課せられるので、生徒たちは学校を離れて半年以上は自分たちが望むデザイナーメゾンで
スタージュを行うのが、隣のアントワープとは最も違うところである。

その後、僕はフランシーヌがパリの"I.F.M.校"へファッションディレクターとして
招聘せれるまでの数年間、この"ラ カンブル"校の卒業展審査もさせていただき、
大いに学ぶところがあった。同じベルギィーの学校であるが、全く校風もその気質もそして、
生徒たちの作風も違っていたので僕は大いに好奇心を持って勉強にもなるので
参加させていただいていた。
 「自我の"マイルド"と"ビター"」という感の違いであろか? 
或いは、"フランス語"教育という事実が、"ラ カンブル"校の卒業生たちの
"イエールファスティヴァル"参加とともに、"パリ登竜"が早く案外、スムースにパリのモード界へ
巣立ってゆく生徒を輩出させる学校だという違いもあった。
 自分の自由と世界観を"他者とコミュニケーション"を取る事によって
"創造がなされる"システムと、自分の創造のエゴを極端に拡張することが"創造の発端"という乱暴な
根幹の違いがある。 
 この違いはその後の事実、"パリファッションメゾン"を担う若手デザイナーたちの人脈を
構築もし、現在までも継続している。
 参考/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB_(%E5%AD%A6%E6%A0%A1)"

 多分、このフランシーヌの教育実績がその後、"I.F.M."校におけるファッションディレクター
招聘に繋がり、彼女は10年間をパリで住み、多くの素晴らしい生徒を"パリモード"へ輩出させた。
 その一人に、日本人生徒では、"三宅陽子"さんがいる。
彼女は優秀な生徒でロンドンのセントマーティン校からこの"I .F.M.校へ
 そして卒業後、パリで"ラグジュアリーメゾン"と"purple fashon"で働き、
現在は東京でスタイリスト&ディレクターをなさっている。
 僕が知っているファッション海外留学生はその殆んどが、"なりすまし"デザイナーで
虚述の元に活躍している輩たちが多い世界。ヨウコさんは寡黙に、彼女の自由さと聡明さと感覚で
好きなモードと関わっていらっしゃる。

 今年も1月に入ってから、フランシーヌからメールが届いた。
恒例の「そろそろ、誕生日が近づいたね、元気でやっていますか?」のメールだと僕は思い、
それなりの返事を出した。
 するとその次に、1週間もしないで、彼女が、自身の病気の告白が記されているメールが届き、
以下の文が添えられていました。

『 私はこれまでずっと、既成概念にとらわれない思考をやめずに生きてきました。
「思い切ったことをする」こと。「新しい領域を開拓する。」それが、私の世界でのあり方です。
いや、生きてるだけだ!
 テリトリーによっては、もっと優しいテリトリーもあります。
アイデンティティがコア・ターゲットになれば、あらかじめ地盤が掘り起こされる。
 私はこの火薬庫の上に家を建てたんだ!
ファッションは私の遊び場です。セルフコンストラクションを、優先する。イメージより本物志向。
ストレートトーク、私の表現方法です。
 この冒険では、皆さん、つまり全員を同じ船に乗せました。
私はあなたを押し、挑発し、楽しませ、邪魔をし、愛してきました。
 その一方で、皆さんは私に栄養を与え、感動を与え、刺激を与え、成長させてくれました。
振り返ってみると、私たちは何か恐ろしいほど生きているもので結ばれているような気が
します......。

 "同じ馬車の2頭の馬が、
それぞれ自分の側で猛スピードで引っ張るように。
雪道を行く騎手たちは、正しい歩幅を探し、正しい考えを探している。
 美は時に、通り過ぎる枝が顔を叩くように私たちを焼き、
美は時に、喉に飛びかかる驚異の狼のように私たちに噛みつく" 』

 参考/クリスチャン・ボビン: "La folle allure"
https://www.fredericlenoir.com/ja/news2/クリスチャン・ボビン
「-この人生で私を驚かせるのは善です-それは悪よりもはるかに特異です。」

 やっと、辿り着いた墓石の前に。
全く、彼女らしい表情の墓石だ、
多くの人たちとの出会いのように、波の彷徨いを想う。

 その静かで平和な雰囲気の中で、
僕独りだけがフランシーヌの笑顔を思い浮かべることができた。
 そして、不思議なことが起こった。
鎌倉から持ってきたお線香をあげ、お祈りしていると
突然、隣の墓石の陰から猫が静かに、
しかし、堂々と姿を現し、僕を見つめるが如く対面した。
私たちはしばらくの間、160秒くらい見つめ合った、
それは、僕には長い時間に思えた。
僕が声をかけると、猫は静かに立ち去った。
僕は白昼夢を見ていた。

 フランシーヌが僕のところに来て言った!
「タケ、やっと来てくれたのね、待っていたわ。ありがとう。」と
フランシーヌがわざわざ、言いに来てくれたのだと信じて、
僕は嬉しくて、幸せな時間が流れた。

 しばらく芝生の上に座り込んで、独りでぼそぼそとしゃべった。
晴天の元、何事もなく、とても清らかで幸せな時間を
彼女と過ごせたことに感謝している。

 There is a lot of time for the everything under the sun." 
"太陽の下にはすべての時間がある。"
 フランシーヌと共に、僕の好きな言葉がゆったりと漂いそして、流れた。
合掌。

" Thank you so much,
You are a so important piece of my jigsaw puzzle.
Rest in peace,Francine."
Taque.HIRAKAWA:

文責/平川武治:
初稿/2023年07月23日:
 
fa586dc7692b258c0f14e89d0c611cb6e734d329.pdf

投稿者 : editor | 2023年8月12日 11:00 | comment and transrate this entry (0)

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"Paris Fashion-week `24 S/S"/『3年半ぶりの僕のパリ。』/その四-いくつかのコレクションを見て。

『3年半ぶりの僕のパリ。』/その四-いくつかのコレクションを見て。
"Paris Fashion-week `24 S/S":

はじめに;
 いつの間にか、"ファッションの素人たち"が、
与えられたその立居場所で、何ら新しい創造とは全くの別世界で、
変わらぬそれなりの品性の元で、"fame, fortune and money"の為、
我が物顔で、"金鍍金の世界"ではしゃぎ回されている、
"Chained Fashion People"たちは
 『"与えられたフレーム"の中で、自分たちが求める"自由"を謳歌する。』新世代(?)
こんな時代の先端の真っ只中で彼らたちはこれからも
どのような輝くまでの、ときめきある"夢"を見せてくれるのだろうか?

 冷静に見ると、この状況とは、
白人富豪層が仕掛けた、今世界に蔓延してしまっている、"格差社会"における
新たな中産階級のための「消費社会」を生み出すための使い古されてしまった、
"消費社会パラダイム"そのものでしかない。

 いつも「仕掛ける側と仕掛けられる側の目的が同じ」世界のみが
その目的、"fame, fortune and money"を手に入れられると言うパラダイムがある種の歴史を
作っていることを如実に認識させられる今の"ファッションの世界"でしかない。 
 こんな世界では、巷のファッションメディアに拐かされないように。

 だから、あのH.C.アンデルセンが1836年に書いた童話「裸の王様」は
モードを論じる人たちにとっては未だに、新鮮なる"名著"なのである。
 参考/「はだかの王さま」:村上豊 絵/木村由利子 訳:miki house発行。

1)「さすが、エルメス、"エルメスエレガンス"が凄い!」/ 
 "向こう岸へ行かなかった、エルメス。"が今回の僕のタイトル。
コレクションで見せた、"エルメスエレガンス"。
 僕とデザイナーヴェロニック(Veronique Nichanian)は、26年ほどの付き合いになる。
先代名物社長、ジャン・ルイ・デュマ(Jean-Louis Dumas)のミッションを'88年に受けて以来、
彼女は、"HERMES HOMME"をデザインして、35年間の現役を続けている。

 昨今の"金鍍金用ファッションDJ"がギラついた眼差しで、ザッピングし始める
パリファッションウイーク、こんな時代では、パリに限らず世界でも
彼女、ヴェロニックのアクチュアリティと経験値とスキルに対峙するデザイナーは皆無である。

 そんなヴェロニックが見せてくれた
"シャツ&パンツ"というコーディネートを4体ほど出したスタイリングに魅了させられた僕。
一番シンプルで、一番かっこいい男を熟知している彼女が表現した
"エルメスエレガンス"が即ち、"フレンチ エレガンス"というまでのプライドを感じさせる
コレクションだった。

 例えば、シャツが一番似合う男は?「そう、フランスの男たちよ!」である。
これは母が僕が中学生の時に教えてくれたフランス映画が好きだった母の一言であった。

 今の若いファッション ジャーナリストと称するレポーターたちは
所詮、"ファッションDJ"に煽られた人種。
"ギラギラファッションDJ"の周りに寄り集まってくる"蛾"のようなもの。
コレクション会場の"フアースト ロー"に座りたい輩たち。
 なので、彼らたちにはこの今回のヴェロニックの凄さや旨さ
それに勿論、"エレガンス"の根幹が理解できない。

 『"エルメスエレガンス"即ち、"フレンチ エレガンス"』
L.V.旗はためく、"騒めく川向こう岸"から遠く離れて決して、近寄らないコレクションを
彼女の空気感で堂々と成し遂げた大好きなヴェロニックの自信とキャリアとセンスに完敗。
 あなたの変わらぬ笑顔へと共に
"Merci beaucoup et une grande reconnaissance ❣️"

2)「パリへ戻ってきた、KOLOR」。その顔つきは "Wスタンダード"。
「デコトラ」美意識がベースのハイ・ブリッドストリート。
日本人の根幹の一つに、「デコトラ」で代表される"美意識"と"工芸観"がある。
これは最も解り易い"ジャポニズム"の根幹でもある。

 このデザイナーのデザイン根幹は変わらぬ
"トーキョーストリートカジュアル+α"
彼が差し出すこの+αがこりに凝ったものだから
モードの世界へ昇華される。
僕は愉しく観ってしまう。
 一つのブランドが「世界進出」を目指すならば、
デザイナーが持つべき"ジャポニズム"観が必須である。
これが、「Wスタンダード」の根幹になる。

 「それぞれのジャポニズム」を考察した時、
"トーキョー"をあるいは、"ジャポン"を装飾する根幹は
よく言われる、"足し算"か"引き算"だ。
KOLORも勿論、"足し算"の世界を丁寧に凝りに凝って
一つの世界観を構築する。
"素材感+パーツ感+プリント感そして、色相感"に凝るのだ。
これらの凝り方で、ただのストリートカジュアルな世界が
もう少し、"モード寄り"になる。
これがこのデザイナーの持っている勘と上手さだ。
 この"足し算"の世界の極めあるいは根幹は"デコトラ"。
そして、"引き算"の世界は"ゼン"が極めになろう。

 日本人以外のデザイナーたちはこの"足し算""引き算"の塩加減が
勿論、ザッピング&コピーできない。
ブランド"KOLOR"の巧さと面白さがここにある。

 そして、久しぶりで巴里で見たこの顔つきが、「Wスタンダード」。
"ストリートカジュアル:モード"、"足し算":"引き算"
だが、根幹は"デコトラ"。
日本人の"ネイル技術"が世界一だということを思い出そう。

3)「不変になってしまった、CdGパラダイム」/
 もう、多分何も起こらない"凄さ"とはこんなに退屈なのか?
僕のように、'85年来のこのブランドの立ち上げからを見続けて来た者にすると、
この"表層の不連続の連続性"がまやかしでしかない世界を感じてしまうからだ。

 この根幹は、やはり"新しさ"を感じさせる"ファッション パラダイム"そのものが
変わらないことだ。使い古された"パラダイム"は
"プロット&エレメント"の不連続の連続性でしかない。

 何も起こらない"凄さ"が,すごいブランド"CdG H.P."
「一代完結」を意識し始めたのだろうかと?
"サスティナブルから遠く離れて!"しまった"凄さ"あるいは、"恐ろしさ"も感じる。

4)「変わらぬ"コラボ依存症"はそんなに美味しいビジネスなのか?」/
 新しさとしての"ファッション パラダイム"そのものを真面目に考え込んだ
"Junya MAN"コレクション。そこで見つけられたのが"女目線"という眼差し。
 
 一つの"眼差し"を構築する事の難しさ、そのものに挑戦したJunya MANコレクション。
"女目線"と言うまやかしは"ユニフォーム"へ辿り着けるのだろうか?
 
 もう一つのこのブランドの顔は、取り敢えずのブランド力に頼り切って、
「最少のリスクとコスト」を張って、「分の良い儲け」が得られる「コラボレーション」手法。
今世紀の、グローヴァリズムと共に登場したこの新たな"ファッションパラダイム"。

 実ビジネスをここに頼り切ってしまったこのブランドも乱暴な言い方をすれば、
"ユダヤの森"に迷い込まされ、この"不連続の連続"というパラダイムのみで
来る日も来る日も、明日を迎えるだけなのだろうか?

 そして、彼のメンズにおいては、自分が着たい服がデザインできないデザイナーで
終わってしまうのだろうか?

 "森"から抜け出したいのか?抜け出せるのだろうか?あるいは、
"森"で彷徨っていたいだけなのか。

5)東京に来て、お節介な仲間たちに煽られ、
"ビジネス"を意識してしまったKiko Kostadinov /

 このコロナ禍以前に登場してきた確か、ブルガリア人デザイナーの初期は、
独自性があって面白い視点で、ニートなデザインを素材とプリントによって、
エッジを効かせて見せていたはずなのに!

 彼も、東京の"古着屋の入れ知恵ファッションDJ"になってしまった。
ラングや、ラフのデビューコレクションを見ている僕の眼差しは、
従って、全くもって、古い使いまわされてしまった、"ファッションパラダイム"コレクションで
しかなかった。
 多分、このような"学卒デザイナー"は自分の持ち味としての
"ロコ デザイン"、"ロコ テイスト"、"ロコ センス"をどれだけ認識し、
自らのアイデンティティをどのような"差異"としてデザインしているのだろうか。

 東京を徘徊する、
"古着屋の入れ知恵ファッションDJ"たちのザッピングのネタ元は、
"アントワープ系+CdG + U.C + H.ラング+ラフ+ネメス+ウラ原系"などなど。

 このタイプのファッションDJの腕の見せ所は、どれだけの、"コンテンツと感覚と人間性"と
そして、今では"倫理観 "によって「時代の雰囲気を"ZAPPING"がなされ」、
コレクションを構築するか?
 が、これからの時代性だと感じているのだろうか?

6)"舞台衣装"="オート クチュール"になってしまう貧しさの世界では、
"パリのクチュール世界"から何を学んでいるのだろうか?/

 日本を代表するサスティナブル素材メーカー、"Spiber"社の子会社として、
親会社の世界戦略の一端で'19年から"パリ クチュールコレクション"を継続している
"YUIMA NAKAZATO"。

 僕は"Spiber"社傘下にならない彼の'16年から'18年までの
初期に彼が目指していた世界観が好きだった。
 そこには、彼が挑戦したい念いとアイディアと輝きが存在した、未来へ向けての
独自な"ファッションパラダイム"を創造し始めていた時期だったからだ。
 そして、そこには彼の情熱が満ち溢れている世界だった。
 
 "Spiber"社傘下後の'19年のパリでのクチュールコレクションを見てガッカリした。
コレクションそのものがまとまりなく、センスが悪く、
また、"STUDENTS COLLECTION"レベルへ舞い戻ったと感じた。
 この時、"サスティナブル"という言葉が無神経に、無表情に使われ始めた。
"Spiber"社の微生物発酵素材である"ブリュード・プロテイン"は"共生"時代に先駆けた
優れたサスティナブル素材であり、まず、アウトドアーウエアーの世界で一足先に、
"The North Face"の看板素材になり、時代を先取りし、'16年来、独走し続けている。

 それなりの出会いが在って
現在も継続可能なまでの状況なのであろうが、双方のミッションは何なのだろうか?
 今回のコレクションを見ても残念ながら、
僕は彼ら双方の"ミッション"がそれなりの"差異豊かな"世界を目指した眼差しであるのか
理解できなかった。

 あるいは、"新たなパラダイム"のためのミッションとも感じられない。
今彼らが"サスティナブルの世界"における「新たなパラダイム」を
"創造の世界"と"販売の世界"の両面で構築するべき、
すなわち、ある種の"利権"世界を構築する時代性でもあると認識しているのだろうか?

 "サスティナブル"を歌い上げるのであれば、
現時点ではやはり、ロンドンの"VIVIENNE WESTWOOD"社の「サスティナブル憲章'23年版」を
一読し、理解し、学ぶべきである。
ここにこのV.W.ブランドが本格的に取り組んでいる証が見える。
ゆえに、現在のこのブランドの実ビジネスは、ここ3年ら異世界レベルで上昇中である。

 コレクションで一番ガッカリしたことは、"シューズ"に「心とお金とセンス」が、
そして、"輝き"が感じられなかったことだった。
 「クチュールのトップにこのシューズなのか?」
デザイナー自身も周りの取り巻きも、無神経あるいは、無感覚。
或いは、もしかしたら既に?「はだかの王さま」の世界??
 メンズレディース3型ほどのシューズ、だから、"yuima nakazatoの差異"を
ここでも、「輝きと驚きとそして喜び」をもっと自由豊かに"創造"すべきであった。

 これが、パリのクチュールという世界である。
彼は、コレクションを日本から持ってきて"会場"としてのパリでショーを行うことが、
"パリのオートクチュールの世界に参加。"であり、
決して、"パリのオートクチュール"の世界から
残念ながら、「何かをは"学んで"はいなかった。」

文責/平川武治。
初稿/2023年07月23日。

投稿者 : editor | 2023年8月11日 13:00 | comment and transrate this entry (0)

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2023年6月20日/『3年半ぶりの僕のパリ。』その参-新しいパラダイムとその風景-2。

 INDEX;「新しいパラダイムとその風景-1」/
1 )コレクション会場の人混みが、"有色人種"が主流になってしまった。
2)パリのファッション有名校であった、"スチュディオ ベルソー"がついに廃校。
3)アントワープ王立芸術大学の最初の日本人留学生、"KEIKO"さんに会う。
4)この街、アントワープのファッション人間たちはいまも。
5 )「なぜ、マルタン マルジェラがすごいのか?」

 今回の「新しいパラダイムとその風景-2」/
6 )「ファッションパラダイム」を変えるまでのクリエーターはもう出てこないのだろうか?/
 そして、若い世代(?)たちの今の"ファッションDJ"花盛りのファッションクリエーションの
世界では、"新たなアイテムの創造"までもその熱意は及ばず、"在るモノ"のバリエーションを
どの様に、ザッピングするかで競い合っている世界が表層でしか無くなってしまったために、
"創造のパラダイム"を誕生させるまでの意識も喜びも情熱も持ち合わせていない、
より、残念な貧しい"鍍金"が現代の時代性になってしまった。

 僕が指摘する「ファッションパラダイム」には二つのカテゴリーがある。
その一つは、「作る世界」。もう一つは、「売る世界」のパラダイム。
「誰が、誰の、どんな生活を営んでいる人たちが着たくなる服」をブランド名か、デザイナー名で、
その時代の"雰囲気"をどのようにイメージング&ディレクションするかが、
現代のファッションの世界で求める、"fame, fortune and money"の為のショートカットな
生業になってしまった。

 従って、「新しさ」の根幹あるいは本質または、意味が変質してしまった。
その根幹は、「新しさ」そのものを必要としなくなった或いは、価値がなくなってしまった。
21世紀版「儲かればいい!」世界へそのパラダイムだけが進化(?)。

 多分、選ばれるあるいは、選ばれたい彼らたちは、ファッションを学んで来なかった輩たち。
そんな彼らたちは、それそのものが、"夢"であり、白人世界が彼らたちへ差し出す
"甘い毒"或いは、"サクセスストーリー"。
 
 例えば、「着る人間の人体構造」までを自分たちが関わるべき世界だとディープな思慮深さは
必要ない時代性だと信じるしかない?
 だから、彼らたちは「売る世界」のパラダイムを考え楽しむ。
ここには新たな可能性としての、"The New Technology"があるからだ。
 
7)例えば、「バイヤス使いができない。」勿論、学んでいない"ファッションDJ"たち。/
 この視点でもう少し、"ディーテール"へ眼差しを向けると、「バイヤス使い」ができない
デザイナーがほとんどになってしまった。

 「バイヤス使い」はそのデザインされた服を着た時にどれだけの"優美なドレープ"が
生み出せるか?のための技法の一つで、"洋裁士"がマジシャンになるための"種"の一つである。
もちろんこの手法は女性物が主体ですが、男物でも時折使われてきた。
 P.ポワレのエレガンス、コオトやロングジャケットなど"羽織りモノ"などに。

 しかし、メンズ ファッションのカテゴリーが、"ストリートスタイル"が根幹になり、
それが、全てになってしまったファッションDJたちのプレーグラウンド。
 そこへ、スポーツやミリタリー、ワークスというユニフォームのザッピングと
ブリコラージュによって、"ストリート エレガンス"な流れを求め出した。

 そんな時代の新しい雰囲気をデザインするためには、「バイヤス使い」は必需であろうが、
そのほとんどの若手、DJデザイナーたちは全くの「ファッションアマチュア」なのですから
無理もないでしょう。

8)素材展、"プルミエール ヴィジョン"にも新たな傾向が見える。/
 「ここでも従来のいわゆる、"大手素材メーカー"の出店が減ってきている。
具体的には、今までいい素材を提供していた大手イタリー系の素材企業の出店が少なくなって、
その代わり、ここにも"白人企業"に変わり、アジア系の新興企業の進出が目立つ。
中国系と韓国系、インド系それに日本企業もこの中に入る。」と、友人が語ってくれた。

 単純に、"新旧"交代期に来たと読むべきだあろうが、後退するべき新素材の登場を
あえて考えれば、"サスティナブル"が主役に躍り出たというのだろうか?

 しかし、この"サスティナブル"には大きな落とし穴がある。"資金と規模"伴う新たな事業である。
従って、若いデザイナーブランドが、"サスティナブル素材"を使った事で
"サスティナブル ブランド"ではない世界が現実なのである。

 "原糸""染め""織""加工"などなど、それぞれの立居場所と制作時で、
それぞれの"認可証書"が必然となる世界が本来の「サスティナブル」と認可される世界である。
 この工程を消化するためには、それぞれの企業に"資金と規模"が必然となる現実がある。

 この現実を如実に自分たちのブランドの世界で実施しているのが、
ロンドンの"VIVIENNE WESTWOOD"である。
このデザイナー年は本格的な「サスティナビリティ」を2017年ライ本格的に始めてきた実績があり、
事実、これが要因にもなり売り上げは上昇中である。

 もう一つの要因は、"ネット販売"という手法が顕著になって来た。
"プルミエール ヴィジョン"へわざわざ出店するよりも、すでに顧客があるので、
"ネット販売"で十分という時期でもあるだろう。
 ここでも新たなシーンがコロナ後に展開し始めている。
 
9)フランスの輸入業務には、日本発売の"made in Chaina"モノには重税がかかる。/
 コロナ後、この視点が見直されてきたパリのファッショントレーディングビジネス。
日本でデザインをし、中国で生産をする。あるいは、"グローバルサウス"で生産という
グローヴァリゼーションパラダイムに"倫理観"から異議が申し立てられ始める。

 この生産構造にフランスではブレーキがかかり始めた。
元々、このパラダイムは21世紀になり、「グローヴァリズム」によって
齎され、国内では商社機能にエンジンがかかり、"国際フリ屋"によって、
"ファウストファッション"が誕生し、"SPA型"ファッションが新たなファッションビジネスの
「高粗利なパラダイム」として誕生した。

 このパラダイムを「グローヴァリズム」が一般化する以前に手がけたブランド、H&MやZALA
それにユニクロなどが現在まで、世界規模で"一人勝ち"している。
 
 そして30年近くが過ぎた現在、東ヨオロッパのウクライナで戦争が起き、
結果、この戦争はパリのハイブランドの生産地を失うことになった。
 このウクライナを軸にした東欧は "アシュケナジム"と呼ばれるユダヤ民族の発祥の地であり、
彼らたちの地場産業としての縫製産業が、実質フランスモード界の"生産工場"という実態であった。

 そこで彼らたちが探し始めた生産地としての"イエロー"という視点。
そして、それらの消費地でもある"イエロー"というWバインドな発想が普遍化する兆し。

 多分、今後の彼らハイブランドはもう"Made in Paris" ではなく、
それぞれの消費地に合わせた生産地という新たなパラダイムが誕生するのだろうか?
 "ブランドの本拠地"がパリであれば、それらの"生産地"がこれにこだわることがなく
ビジネスができる時代性になったと読める。

 そこに、"イエロー マーケット"には"イエロー プロダクト"と言う
ハイブランド版 "'Local production for local consumption'"という視点である。
 最近のL.V.の動向がこのパラダイムにリアリティを作り始めている。
ここにはNIGOの「KENZO」から情報を集め始めた現実が稼働し始めている。

 ここでも、今後のものつくりのグランドコンセプトは、「地産地消」がより、グローバルに
進化するだろう。

 日本政府の"税金"も「地産地消」でその自国のために、愛国心と共に使って欲しいですね。
 
10) チューリッヒには、「ブロックンハウス」と呼ばれている中古品販売のシステムがある。/
 ここは「中古品のデパート」だと思ってください。
そう、なんでも揃うのです。家具、家電、台所器具と用品それに絵本にボードゲーム、靴や傘と
帽子、食器文房具、クリスマスデコ、あとはリネンとタオルにカーテンそして、もちろん衣類、
子供服、ネクタイにショールマフラー、また、絵画や貴金属クリスタルやちょっとした工芸品も
あります。ここにないものは食料品だけでしょう。

 僕はもう20年以上、チューリッヒを訪れると友人と一緒にいつも彼女の車で
ここを訪れるのがこの地での最高の楽しみの一つになっている。
 自分に「審美眼」や「感度」があれば、
とても楽しい価値あるショッピング クルージングができる。

 今回もチューリッヒを訪れたが、3年半ぶりという、コロナ禍後のこの「ブロックンハウス」は
この街のイミグレーターたちも増えて、とても賑わっている。
そして、高齢者たちと子供達と家族たち。

 そして、何よりも今回僕が驚いたことは、
売られている"アイテム"がいろいろ、たくさん増えてきたことだ。特に、PC関係や携帯電話等など。
客が変わり、売られているアイテムが増えそして、プライスも変わった。

「生活豊かに変われば、時代が変わった。」の現実版だ。
これからの時代性を考えると、日本にもこの手の「大型中古品販売所」が
もっと、都市部にも登場し、そこにIT機能を加えることで、
最も新しい「消費社会」における新たな都市構造の一つになるでしょう。
 あるいは、デパートがこのシステムを併設することを
彼らの顧客の"サービス&ホスピタリティ"の一環として発想することも現実の時代性。
面白い"共生社会時代"への新たなディストリビューションへ発展するだろう。
 
「新しいパラダイムとその風景-2」完。
文責/平川武治。
初稿/2023年07月20日。
 

投稿者 : editor | 2023年8月11日 10:00 | comment and transrate this entry (0)

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『2023年6月20日。3年半ぶりの僕の巴里。』 / その壱-プロローグ。

1)久しぶりのパリ。
 前回、この街から戻って来たのが確か、'20年の三月の初めだった。
以後、"パンデミック"による何処にも出れない渡航不可能な"監視社会"の中での生活だった。
 そして、コレクションからも、モードからもそれなりの距離をとっていた36年ぶりのこの3年半。
 
 6月20日。羽田A.F.00:05便発〜05:50パリロワシー空港着。
ここにも、"ウクライナ戦争"の影響で、ロシア上空を飛行出来ない、14時間以上の空の旅。
 やはり、この街も変わっていた。
したがって、モードも変わってしまった。
この3年半の空白を僕なりの視点で凝視める。

 この街も落ち着かない。
騒々しいそして、苛立ちや不満が充満し、堆積してしまっている。
その中で自己確認して行かなければならないことが、彼らたちにとっての"生きる"必然。
いわゆる、都会特有の生きてゆく人間たちが背負ったサガ。
これがコロナ禍でかなり深く、すでに、広く堆積してしまったのであろう。
 久しぶりのブリュッセルやチューリッヒで目を引いたのが、
「ホームレス」と「立ち小便」。
今の日本ではすっかり消えたしまった都市の恥部の表層。

 来年の、"オリンピック"を目前にしているこの巴里では
道路工事とともに、彼らたちをも清掃し始めている。
 もう一つ、この街も"異邦人"或いは、"イミグレーター"たちも
すでに数多く堆積し、生活を営み、「大衆消費層」を構築し始めている。
この彼らたちの存在と彼らが営む生活と街の様は僕たち日本人には理解しきれない。
が、彼らたちが目指しているのは日本の消費社会そのものでしかない。
 現実として"進化"してしまったこの風景が、この街の大きな経済効果の一つになっている
"モードの世界"にも関わっている。
それは"ファッション ウイーク"に身を置くとはっきりとわかる。
会場に、その周辺に群がる観客としての"傍観者"の様が変わってしまった。
 コロナ前からその先駆けたちは落ち着きなく、未知の世界に触れることへの恐怖感と喜びと
その輝きに魅せられ始めた彼らたちがいた。
 が、このコロナ禍後の変貌は彼らたちが、もう我が者顔で、
"コレクション ヴィクティム"になりきっている。

 3年半ぶりの僕は、この"コロナ禍"によって見事に、世代交代果たし始めた
"コレクション ヴィクティム"に混じり、馴染まぬまま幾つかのコレクション会場への流れに乗る。

 しかし、今回のこの3年半ぶりの渡欧には一番のミッションがあった。
今年、2月12日に亡くなったブリュッセルの旧友の墓参であった。

文責/平川武治。
初稿/2023年07月20日。

投稿者 : editor | 2023年8月 9日 14:53 | comment and transrate this entry (0)

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僕の、今シーズン最初で最後の東京コレクション記−2。/"コロナ禍"後の時代の現代において、何をデザインすればいいのか?

僕の、今シーズン最初で最後の東京コレクション記−2。

 「"コロナ禍"後の時代の現代において、何をデザインすればいいのか?」

 今の時代性をどのように自分の大事な服の上に表現するか?
これが自分のコレクションを作るための根幹である。

あるいは、現代社会の気分または、雰囲気をどのように
自分の世界観に表現させるか?

これが、クリエーションであり、デザインと呼ばれる世界であり、
これは創造の世界においては普遍な持たなければならない眼差しである。

この差し出されたコレクションのそれぞれに"作り手"の世界から、
どのような「感情、美意識、精神の自由さとこゝろの想い」を感じ取れるか。

これが僕の40年ほどのモードとの関係性と経験から得られた、"SUPER COOL !"
「すばらしいコレクション!」あるいは、「印象に深く残るコレクション!!」の
絶対的なアイデンティティである。

では、最近の"パンデミック"以降あるいは、"3.11"以降もっと遡れば、
"リーマン"以降から変革し始めたそして、現代では「ウクライナ紛争」によって、
変革してしまった「ポスト近代社会」の"パラダイム"の根幹とは、
人間が、人間であるために持たなければならない「倫理観」です。

この「倫理観」の根幹は、
「他者のために他者を想いあうこゝろ」でなのです。

「バリア フリー」「ジェンダーフリー」に端を発し、「SDGs」であり、
「人新世」という新たな地球構造とその環境を考慮、再思考するまでに及ぶ
新たなパラダイムとは、至って、単純です。
「他者のために他者を想いあうこゝろ」からしか発しられない
それぞれの"こゝろの有り様"が根幹なのです。

ここでは、「新・自由主義者」という無知と過ちから
自らが目覚めなければならない世界が時代性です。
そのための「愛と自由と勇気」の使いようが
次世代の"新しさ"という「機能」でしょう。

従って、今の僕が感じる、"SUPER COOL! COLLECTION !!"は、
ただ、「特異性や特殊性、自己満足や自己確認」を表層化しただけの世界観では
全くもって、不満足であり、いや、不愉快であり、
ただ、作り手の"ノイズ"しか感じられないのです。

文責/平川武治。
初稿/2023年03月21日。

投稿者 : editor | 2023年3月23日 13:30 | comment and transrate this entry (0)

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 「soloist/miyashita/」僕の、今シーズン最初で最後の東京コレクション記−1。

僕の、今シーズン最初で最後の東京コレクション記−1。

 soloist/miyashita/
「"産みの苦しみ"を愉しむまでの自由さに委ねられた
静けさ心地よい緊張が溢れ始めるまでの世界。」

 プロローグ/
 上野まで出かけるには、雨を心配しながらどうしようと躊躇し、
結局は、宮下くんの"クリエーション シャワー"を思い切り浴びたく
もう、薄暗くなった上野の森へ向かった。

 森の途中の暗闇で出逢った男性に声を掛けて戴き、会場へ辿り着く。
この彼との出会いも、
不可思議な時間の流れに委ねた心地よさは
コレクションの興奮とともに上野駅まで送ってくださった後に
ジワーと、ほど酔うカクテルのように染み込みはじめた。


 たくさん、いろいろいただいたコレクションに感謝。/
「白い傷口から爛れでる
黒という幻想。

幼い日々、
幻に彷徨った
煌めく愛と夢という記憶たち。
少年だった頃の記憶を辿ろう。

優しさというあぶなさ。
緩やかという速度。
エモーショナルという張り詰めた潔さ。
そして、緊張というノイズ。
悪戯という愛。
現実と追憶。
捻れる時間と自分。

服を見せながら
着る人間に繊細という迷路を与え、
世間を語って、社会を語らず。
 
"産みの苦しみ"を
愉しむまでの自由さに委ねられた
静けさが溢れ始めるまでのコレクション。

これらの"産みの苦しみ"に快感を感じる創造者という当事者。

B.ファルコンあるいは、"ブリキの太鼓"に引っ張られてしまった僕。

こんな素晴らしいコレクションが東京で見せていただける事にも感激。
「ありがとう、宮下くん。」

選ばれた素材。
仕立て上げられたシルエット。
吟味されたバランス。
全てがジグソーパズルの一片、
なくてはならないピースたち。

産み出された赤子のような新たなアイテム、
ハーフショルダーのユニセックスなトップス。
自分の"好み"を持っている創造者しか生み出せない世界。
着たくなる、纏いたくなる煌めく世界。

こんな美意識溢れる美しいコレクションは、
今では巴里のデザイナーたちも産み出さない世界観。
彼らたちの大半はブランドというノイズコレクション、
あるいは、なりすましというの世界観のみ。

堂々と、繊細に、静けさとともに王道を歩み続けてください。
また、パリへ出かけて、白人たちを唸らせてください、宮下くん。

きっと、ラフくんが一番ジェラシーに魘されているだろう。
ありがとう、宮下くん。
ありがとう。


もう一つの側面、
いつもの、いつもの
長〜い、長いランウエイ
使い込まれたフットライト器具。
見事なキャスティング。

これら、ステージ環境を見渡すも
もう美意識高き職人仕事という世界。
ここまでの素晴らしさは
良き仲間たちと楽しむ「産みの苦しみ」という自由の共有。
ありがとう、皆様。」

文責/平川武治。
初稿/2023年03月21日。

投稿者 : editor | 2023年3月23日 13:01 | comment and transrate this entry (0)

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令和四年、ご挨拶。『謹賀新年』とお知らせ。

「明けましておめでとうございます。」
みなさま、このブログも十五年を経て、
今年も、僕の変わらぬ"こゝろの置き所"を
「モードの世界」からの眼差しを持って書き綴ります。
よろしくお付き合いください。
 また、一昨年に始めた"NOTE/平川武治の全仕事・私文古書庫"をも
拝読くださり、感謝です、ありがとうございます。

 そして、新たな年が始まりました。
変わらず、今年も頑張って書き続けますので、
よろしく、拝読と共に、お見守りください。

 『「近代のパラダイム」が少しずつ崩壊し、変革し始めていますね。
パラダイムが変わると、意識が変わります。これが"時代が変わる"と言う現実ですね。

「解釈の自由」が自由なのか?
自由を「選択の自由」と解するなら、
創造とは、「産みの苦しみ」が伴う自由である。
「産みの苦しみ」は当然であるが、"痛み"を伴う。
"痛み"はそれ自体で倫理性を持つ。
"痛み"によって分かる人間の経験の倫理。

 モードの世界で、「産みの苦しみ」という自由はどこへ行ったのでしょうか?
モードの"創造"とは、そのほとんどが、「選択の自由」によって成り立ってしまっていますね。
"パラダイム"が変わると、意識が変わります。
 そして、「世界はますます豊かになり、ますます不平等になっています。」

 今年、令和四年は、「近代のパラダイム」が変わり始めたことによっての、
"豊かさ"への欲望が変革し、いろいろな現象が表層化するとしでしょう。
 一番の危惧は、"軍事防衛費"が年々、考えられないほどに増加することに、
どれだけの日本人が「日本国憲法」に無知であるか?
日本人としての魂でこの我々の憲法を再度、"こゝろで知り信じる、
気概を持つ。"という
国民としての、「こゝろの置き所」が肝心でしょうね。

 現代の「飽食世代」の時代では
これがほとんど、皆無であり、希薄で、無関心なため、
政治家は白人に媚を売り、彼らたちのかつての、"冷戦シナリオ"の通り、
「中国」や「北朝鮮」を敵国視して、ユダヤ系軍事産業の"利権"で煽られ、
国民は"増税"に煽られるというシナリオの現在に、
将来の豊かな国家、日本が考えられるのでしょうか?
 気がつけば、国会議員たちも、勿論"戦前"は知らず、
"戦後の飢え"を知らない"飽食世代"がほとんどになってしまっていますからね。

 ACTIVISM/
「私はファッションデザイナーであり活動家です。 私が何を目指しているのかは明白。
私は気候変動と地球上の生命の大量絶滅を阻止するため、ファッションをその活動手段として
用いているのです。」
By Vivienne Westwood :

 さて、日本のファッション産業の今年は?
ヴィヴィアン ウエストウッドさんも亡くなられました。
 「サスティナブル」の一つの教科書的事例として、彼女、ヴィヴィアンが率先して為してきた、「Vivianne Westwoodのサスティナブル憲章」は
彼女が考えるこれからのファッションブランドが守るべき倫理観を
"ブランド憲章"と定めたを見事な世界を提案しています。
 これによってでしょう、ここ数年来、このブランド、"VIVIENNE WESTWOOD"の世界ビジネスは
今までになかった高売上を作り続けています。
 
 本年はこぞって当然、「サスティナブル & SDGs」がトレンド。
考えられる主体は、「サスティナブル & SDGs」がどのような"具現性を持って、
実ビジネスにラインアップされるかですね。
 ここに企業やブランドの"文化的差異"が生まれるでしょう。 
従って、よりビジネスの根幹になる、「自分たちの言葉」の、「産みの苦しみ」を伴った
"サスティナブル"であるか、
あるいは、「世間のトレンド」、借り物の「集められた集積」の"グリーンウオッシュ"なのかが、
正体を現す年になるでしょう。

 もう一つは、「柔らかいファッシズム」が日常化され、表層化する
即ち、"ライフスタイル化"されて行く日本の飽食社会では、この先端に、人間が纏うべきもの
としての"新しい被覆/被服"も登場してくるでしょう。
 例えば、"NASAの宇宙服技術"を利用した更年期障害の症状を緩和するユニフォーム的衣服など。 
 使い廻され、古くなってしまった、「安全、安心そして、快適」は実は、
「柔らかいファッシズム」の国家的企てであったこと。
この根幹が次第に若い世代の人たちの"感情価値観"を刺激し「安全、安心そして、快適」そのものが
欺瞞化され、新世代たちによって、「風化」され始める年の始まりでもあるでしょう。
 この政治的企ての向こう側には、「脱中心化」が人間個人の存在と認識を、
「愛があり、魂がありそして、倫理の世界」へ拡張化される即ち、新たな"パラダイム"へ。
 例えば、つい"コロナ以前"までの、「特異性」や「奇新性」が
デザインの優位性を担っていた時代は終わり、
そこで必然を感じることは、「愛と魂と倫理」のための「ヒューマンプロテクション」という
"こゝろの置き所"であるコンセプトも考えられるでしょう。

 しかし、これらのファッションにおける"新たなパラダイム"には、
"サスティナブル"や"ヒューマンプロテクション"等の"新しさ"には
かなりの、コストとリスクが伴う世界です。
なので、若いデザイナーブランドがこのパラダイムに挑むには至難の世界でもあるでしょう。
 従って、日本においては、SPAで儲けたファストファッション企業か、
或いは「御三家」と称されてきた「イッセイ、ヨウジ、ギャルソン」に
加わる、「SACAI」「ジュンヤ」などに期待するしかないのですが???
 日本における彼ら"勝ち組"ブランドは今までに築き上げてきた自信と欲望を
そうたやすく捨てられる人間性と勇気を持ち合わせていません。
 それにむしろ、この動きがより現実的になれば、デザイナーブランドビジネスそのものが
窮地に立たされるか、伸び悩み状況に追い込まれるでしょう。
 ということは、今年も、海外のラグジュアリーブランドやハイブランドの
"一人勝ち"なのだろうか?

 参考−1/「"The Responsible Fashion Company":
Integrating Ethics and Aesthetics in the Value Chain/2014/9/17発行」

 この本は、サステナビリティと責任あるイノベーションを通じて、
未来の、ファッション業界2030年の再形成に貢献することを目的としています。
 The book Fashion Industry 2030 aims to contribute to reshaping the future through sustainability and responsible innovation.
 参考ー2/"the Global Fashion Agenda"を読み込むこと。/ https://globalfashionagenda.org

文責/平川武治。
初稿/2023年1月10日。

 もう一つ、私事ですが、久しぶりで、今年最初の「トーク集会」を
下北沢のカフェ「洞洞」で下記の内容で開催します。
 ご興味とお時間があれば、ぜひ❗️❗️ご参加ください。

表示

年が令和5年ーMax.MOV

投稿者 : editor | 2023年1月11日 14:20 | comment and transrate this entry (0)

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続編;今月の"ひらかわ的眼差し"-2/"アートの動き"から読み解く眼差し。;

 今月の"ひらかわ的眼差し"-2/"アートの動き"から読み解く眼差し。;
「白人社会」が見つめる、新たな"日本"と言う国の立居場所とその役割という妄想。

文責/平川武治:
初稿/2022年06月16日:

 今回は、前回の続編、「アート版」です。
本件のいわゆる"ネタもと"は、アートの世界における最近の動きであり、日本のアート業界(?)を
もう、既にかなり揺さぶり始めています。これを"ひらかわ的深読み"で妄想してみます。

「アート版」1)"ひらかわ的眼差し"、アイテム-2/
「grand Tokyo」と言うアートマーケットサロンの登場。/

 日本に新たなアート展「grand Tokyo」の開催が決定された。
ロンドンを本拠地とした、"Art Assembly"がオーガニゼーションとなって企画運営がなされ,
横浜パシフィコで、2023年からの開催予定である。 主催は"アート・アセンブリー"。
 この「grand Tokyo」の責任者はMr.マグナス レンフェリー。そして、新たなチーフキューレー
ターはエリ・タカネさんが選ばれている。このアートフェアーの規模は、80~100店の国際的なアート
ギャラリーを集める予定。そして、日時は2023年7月7~9日で日程が組まれている。
主催者、"アート・アセンブリー"のマグナス・レンフリュー氏は、「いま非常にダイナミックな瞬間
を迎えている。 アジアのアートマーケットは成熟し、それぞれの地域で独自のアートフェアを開くに
値する新しい段階に到達しつつある。現在のアートフェアの開催地以外でも、新たな観客を開拓でき
る潜在力は大いにある。私たちの仕事は、現代美術のコレクター層と観客を広げ、深めることだ。」
と言う。
 そして、彼らの目的の一つに、TOKYOを新たな、そして直接的に、"アートのバブ"化とすることで
あり、その具体的なミッションは、1-市場開拓。2-"Japan Culture Products"日本人クリエータ
ーの発掘。3-世界の各アートシーンとのバブ化。4-アートマーケットの世界基準化。の4つを掲げて
いる。
 続いて、"アート・アセンブリー"のマグナス・レンフリュー氏のインタビューを"ARTnews"誌で
読み込むと、
「国際的なスタンダードを持ち込み、新たな文脈をつくっていきたいのです。」
「アートのセレクションをきちんと監修し、国際標準のものを提供することが重要です。」
「展示されるアートがベストなものになれば、鑑賞者やコレクターも間違った選択がない。」
「現在の現代美術のマーケットは"アメリカ43%、中国20%、イギリス17%の3つの巨大市場であり、
他ではフランス7%、ドイツ7%、スイス2%、スペイン1%、ほか8%、ここに日本も入っている。
が現状。」
「"ARTnews"誌が選んだ世界の現代美術コレクタ-200人(2021年版)では、日本人コレクターは
たった三人だ。」
「中国本土による締め付けの強化によって、アート市場のとしての香港の監視と衰退が憶測されてい
る。」
「そのため、大手ギャラリーは、今秋"フリーズ・ソウル"が始まるソウルに集まり、支店をオープン
している。」
「"grand Tokyo"は、アジア全域で起きている全ての活動と競合するのではなく、むしろ補完する
ことを目指す。」
「これによって、現在の、"台北、デリー、シドニー、シンガポール"に加え、東京が加わる。」
「もはや、(なんでもそろう)総合店舗の時代ではない。」
「どちらか、ではなく、どちらも、なのだ。」
参照/"ARTnews" "ARTnews Japan" https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/260 https://www.artnews.com/art-collectors/top-200-collectors/top-200-collectors/「

 2)『これを深読みすれば、「地政学」的に、/ひらかわの深読み視点
 "アート・アセンブリー"はアジアにおいては、台北、デリー、シドニー、シンガポールにそれぞれ
拠点を持っているのでこの並びに組み込まれ、中国香港マーケットに対峙する"アート界のダイヤモン
ド構想化"である。これによって、従来の"L.A.-London-Taipei"とTokyoが結ばれる。
 ここでも、白人たちが見るそして、読む現在の"日本"の見られ方、認識のされ方と、使われ方の
典型的な一つがこの"アート業界"でも現実化されるという深読みの時代性だ。
 ここでは、新しい時代の到来として「地政学」としての"ウクライナ-ロシア戦争"後の読み方或いは
「地政学」的な変化現象を読むことである。
 例えば、今回の「東欧ユーラシアの不安定化」と「中国およびロシアの不安心化」が具体的に炙り
出したことは、「アメリカの政治力の衰退化と国連の事実上の弱体化」の結果、ヨオロッパにおける
新たに、「NATO軍の復活とアジア版"NATO構想"」と言う軍事力における"パワーバランス戦争"が、
先のバイデン大統領来日の「クワット会議」でより、明確になったことである。当然、この裏側には
全て、それぞれの国家がリスクを伴う"軍事防衛費"の負担がどこの国がその恩恵に賜るか?でしかない。
 もう一つ、"アメリカドル"の弱体化。と"中国元とロシアルーブル建"と言う経済構造が構築され
実施し始めたこと。そして、"アベノミックス"によって齎された、"円安"の日本経済の長期継続化。
などもこの"アメリカ弱体化"と"日本利用"すなわち、今後の日本国の立居場所とその与えられた役割
この"アートの世界"でも見えてきた。
 これも、「アジアにおけるプライオリティが取れない国、日本。」と言う現状と今後が読まれてし
まった結果でしょう。単独でそして、将来的にも日本のアジアにおける位置は「いつも、今後も変わ
らず、アメリカのポチ!」。そのためには、アジア版"NATO構想"による軍事力に頼る戦法だ。
 狼狽始めた"大国"アメリカは、"クワット諸国"と共同による軍事力によって対中国を敵視し続け、
「日本国の安心と安全を国民へ訴えなさい。」そのためには「日本さん、憲法改正そして、第9条の
改定しかありませんね。」そうしたら、「国連の常任委員国の席をロシヤを追い出して日本さんへ
あげますよ。」そして、「僕たちの国の軍産世界企業から武器弾薬を堂々と購入しなさい。」
「これには安倍さんにも教育済みで、承知の事実ですよ!」
 これが世界の白人至上主義社たちから押し付けられた「今後の僕たちの国家、「日本」の立居場所
でしかない。」

3)ひらかわの深読み視点ー2/この状況を「アートの世界」へ落とし込んでみると。
例えば、この"アート業界"では、従来まで、「香港」がアジアンマーケットの"玄関口"であったが
この「香港一本化」に不安を感じ始めた白人/ユダヤ人たち。そこで、「ソウル」へも進出した。
この二都市で"アジアンマネー"を吸い込もうと言う発想であったが、ここで、'16年に安倍元首相が
発案した、「アジア ダイアモンド構想」の"アート版"が、先日の「クワット会議」のアート版と深読
できるだろう。
アート業界の白人たちもそのほとんどが"ユダヤ人ビジネス"であり、その彼らたちのミッションは、
「今後、開拓の余地がある"アジアンマーケット"を抑えたい。」そして、「どちらかではなく、
どちらも、」である。
 これは、前号の「ファッション産業」の続編として繋がる根幹は『「グローバル ノース」でもなく
「グローバル サウス」でもない日本』と言う見方が本音の、現在の白人世界から見た「日本」の
"生かしどころ、使い所"であろう。
 ここには、日本人の従順さ、真面目さそして、几帳面さ、器用さ、勤勉さなどの利点をビジネス上
認めた上でだが、もう一つの特徴(?)「白人外国人には弱い。或いは、コンプレックスが強い。」
 これは、同じアジア人である中国人は日本人よりは強靭にインデペンデントであり、儒教観もあっ
てさほど「白人」に靡かないと言う事実を認識し始めた結果の彼らたちの 「イエロー基準」であり、
日本とビジネスを行う白人社会の変わらぬ、"日本"と"日本人"との関わり方であろう。
参照/"Project Syndicateによる"Asia's Democratic Security Diamond"By Shinzo Abe. Dec.'12/
https://www.project-syndicate.org/onpoint/a-strategic-alliance-for-japan-and-india-by-shinzo-abe

4)まとめて見ると、/
例えば、日本人アーティストを発掘して、日本人コレクターを開発し、新たなビジネスにつなげる。
そのためには、日本人アーティストを"同じステージに乗せる"と言う順序と構造が必要。
 このセオリーは前号の"ケース-1のB."アルノー氏の表敬訪問も同じ視点と読める。
すなわち、「日本の技術のよる素材開発とそれらの素材を使っての縫製技術への信頼をできれば、
今後、自分たちの"強み"にしてゆきたい。そのために、"生産表記" を行なってあげますよ。」と
言う同様の視点であろう。
 ここにきて、『新たな時代とは、「再び、今の時代における"植民地政策主義"を「グローバル
ノース」でもなく 「グローバル サウス」でもない"日本"を新たな拠点として、「アジアンマーケッ
トを抑えたい。」 そして、「どちらかではなく、どちらも、」自分たちのビジネスの領域の中に囲い
込みたい。』
このような将来が、僕たちの日本が迎える"未来"であることを少し、「深読み」しました。
「世界の、白人たちがどのような眼差しで、今後の日本と日本人」を"ニュー・ルール"として、
位置づけしてゆくか?
 この眼差しを、このような時代になって今後、実社会で生きてゆく"世代"たちに教育面で気づかせ
る教育、「今後の日本という自国を考え、これを「観察」と定義し、「気づき+問いかけ+批評する」
日常的なプロセスを可能であれば、習慣としての"ルーティーン"として、教育面で刷り込んでほしい
ものですね。

文責/平川武治:
初稿/2020年06月16日:

投稿者 : editor | 2022年7月11日 13:16 | comment and transrate this entry (0)

, article(145)

今月の"ひらかわ的眼差し"/「"白人社会"からみられている、僕たちの国の将来。」-その1。

今月の"ひらかわ的眼差し"/「錆びつきたくない老後。」のために−1。;
「白人社会」からみられている、新たな"日本"と言う国の立居場所と活用とは?
という妄想。

文責/平川武治:
初稿/2022年06月16日: 

0)ちょうど1年前の話です、/
 LVMH社がGoogle社とこのような契約を交わしたことはご存知ですね。 
「LVMHとGoogle Cloud、AIとクラウドベースのイノベーションのための戦略的パートナーシップを
構築。LVMH発-2021年6月16日」

「本日、LVMHとGoogle Cloudは、イノベーションを加速させ、新しいクラウドベースの人工知能
(AI)ソリューションを開発するための戦略的パートナーシップを締結したことを発表しました。 
両社は、LVMHの各ラグジュアリーブランドであるメゾンが、長期的な成長を促進する新しいパーソナ
ライズされた顧客体験を創出できるよう、力を合わせていきます。このパートナーシップは、両社の
創造性、資産、技術力、革新への渇望、そしてそれぞれの市場において認められた地位を融合させる
ものです。」
 このラグジュアリー帝国がこれをやり始めるともう、「今後のファッションビジネスの構造」が
以前,僕が話したまさに「アルゴリズム+A.I.+SNS」の世界の登場ですね。全てのファッション構造
が、作り手も、売り手もそして顧客までもが、彼らのこの「監視社会構造」の中でコントロールされ
てしまうまでの状況です。これが、「 LVMH社」の全ブランドの、全顧客に及ぶのですからこの
パワーは新たな「 Luxuary N.W.O」を構築が可能なまでのパワーでしょう。
 参考/LVMH社のプレスリリース;
https://www.lvmh.com/news-documents/news/lvmh-et-google-cloud-partenaires-strategiques-pour-lintelligence-artificielle-et-linnovation-dans-le-cloud/

 1)この現実が物凄いことである根幹は、/
 この企業、LVMH社はファッション・皮革製品、宝飾、時計、シャンパン、ワイン、香水と化粧品
からイタリーのチョコレート、デパート、免税店、ホテルそして、メディア、遊園地、ヨットハーバー
までも。19世紀の"グランツーリズム"のコンセプトを現代までも継続している世界トップのラグジュ
アリー企業体であると言う現実でしょう。
 この企業グループのそれぞれの顧客たちとは今後の「格差社会」構造における確実な富裕層を
「仮想監視」が出来、「アルゴリズム」によって、コントロール可能な世界を構築しようとしている「ラグジュアリーファッション世界のN.W.O.構想」と読める。これは、「UNIQLO」の顧客とは雲泥の差と言うことであり、"数量"ではなく"質"の差異でしかない。
 これが現実のパリの「ラグジュアリーブランドビジネス」の世界版でしょう。
(参考;LVMH社全ブランド詳細は、上記のLVMH社のプレスリリースを参照のこと。)

 この"LVMHとGoogle Cloud"の業務提携に対してのコメントで面白かったのは、
"Luxury Society"と言うサイトでした。興味ある方はご一読ください。
(参考/この契約についての"Luxury Society"のコメント;)
https://www.luxurysociety.com/en/articles/2021/07/lvmhs-deal-with-google-is-groundbreaking-heres-why

 そして、本題、「ここ数ヶ月の出来事を深読みする。」/
 2)"ひらかわ的眼差し"、アイテム-1/ 
 
 B.アルノー氏が松野官房長官を表敬訪問とその発表事項。
【時事通信社】発/『松野博一官房長官(右)は2日、高級ブランド「ルイ・ヴィトン」や
「ディオール」を手がける仏LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)のベルナール・アルノー
会長の表敬訪問を首相官邸で受けた。』 
【経済産業省】発/5月2日(月)LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトンのベルナール・アルノー
会長兼CEOは、日本のファッション・アート産業との連携強化を目的に、松野官房長官を表敬訪問し
ました。会談では、岸田政権における新しい資本主義が重要視している「人的資本投資」を通じた
伝統技術・工芸や個の創造性の発現であるアートが、これからの価値創造の源泉であることが確認さ
れました。今回の訪日において、LVMHモエヘネシー・ルイヴィトン社からは、ファッション・アート
分野における下記3つの連携策の提案がなされました。
 ①LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)において、日本の素材等が使用されている場合には、商品
説明欄に具体的な産地名を記載するなど、日本の産地が有する高い技術力の海外発信により一層協力
すること。
 ②同時に、LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)において、高品質な素材等を提供する日本企業と
の連携を一層発展させて、日本の企業、特に中小企業各社や職人の成功に貢献すること。
 ③さらに、LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)において、日本の若手アーティストや工芸家との
コラボレーションをより一層推進すること。
 そして、経済産業省としても、日本の素材のブランド化や、ファッション・アート産業の中小企業
職人、若手アーティストとの連携を支援していきます。
https://www.meti.go.jp/press/2022/05/20220510004/20220510004.html

 3)これを深読みすれば、/
 『日本は新たに、「マイルド・新植民地」化へシフトされる。』が僕の深読み視点の極論です。
現在の東ヨオロッパ、ウクライナーロシア戦争とその影響を受けた政情不安と経済不安で彼らたち
のメインの下請け工場に影響が出ることを読んだ白人至上主義者たちの新たな戦略と読める。
 もう一つは、中国の政経政策の強行化とその結果の"先行き不安"が蔓延化。例えば、今回の"上海
ロックダウン"による物流までも港に停滞したままという現実。そして、日本の"円安"がもたらした
新たな現実としての、「中国は消費地、日本は生産地」と言う新たな位置付けの戦略でしかない。
 この現実の裏には、「日本はもう、今後も"アジアでのプライオリティー"が取れる国家では
なくなった。」という白人至上主義社たちの認識の結果であろう。

 4)これを実直に喜ぶのは、/
 外国人国際企業へ両手をあげて笑顔で喜ぶ昭和の政治家たち、彼らの"寄らば大樹の陰"という安心
のみを売り物にしている輩たちであろう。
 もう、今後の日本国はすでに、中国に完敗。-政治力、経済力、IT力、人口、勤勉などなど。
従って、"アジアにおけるプライオリティーが取れない。"と言う認識の元で、日本の政治家の開き
直り現象として、彼らは「忠犬-アメリカのポチ」でしか活用が無いという役割を担わされた事実と
現実が"小泉内閣以後"の自民党のお仕事であり、大臣在任中にどれだけの「ファミリー利権」(従来
の"天下り"ではない、)を手中にするか?のご褒美をもらって粋がっている日本における
新自由主義者たちを抱き込んだ戦略と読む。そして、彼らは当然、"アベノミックス"以後、日銀の
政策も今後変わらない、"円安"が続くと読んでの動きでもある。

 5)世界のファッションの世界でイニシアティブをとる白人たちはグローバル以後、
「日本人と中国人の違い」を現実の上でよく学んだ。

 彼らたちは同じアジア人種でも、日本人と中国人と韓国人の"民族性と国民性"の違いを2000年
以降、積極的にビジネスを行なってきた経験から熟知した。その上で改めて、彼らたちは「アジアン
マーケットは上得意さま」である事を再認識し、「今後もますます、アジアンマーケットが大事で
あり、コントロールすることが自分たちのビジネスの地盤である。」を確信させた。
 結果、「イエローたちから稼ぎ、その稼ぎをより、白人たちのバニティーな欲望を満足させる。
すなわち、"ラグジュアリー"をより、輝かす。」という、この構造化が具体的には"パンデミック
以後"始まったと読もう。
 しかし、この構造のオリジナルは'90年代バブルを経験し、強化した彼らたちの「ファッション
ビジネス構造」そのものにオリジナルがあった。それは、「オートクチュールとプレタポルテ」の
関係性とその構造でしかない。もっと、わかりやすく言って仕舞えば、"インポートとライセンス"の
関係あるいは、"ラグジュアリーとファストファッション"の関係である。
 彼らは今後、世界的「格差構造」が構築される社会を熟知した上での発想で、この関係性を現代の
"地政学的"に再構築したに過ぎない。この彼らたちの根幹発想はなんら、「近代」と「後期近代」の
域を出ていないのである。
 
 6)中国はもう「グローバルサウス」ではなく、「グローバルノース」と言う認識である。
 この視点と認識は今後より、重要かつ、大事であり特に、日本人の昭和世代の脳みそを入れ替え
なければならない。例えば、極論すれば、「もう"中国産/Made in China"は安くない。」という
視点を持たなければならないこと。
 従って、ここでも「アジアンマーケットのバブ化」が変わらず、今後の日本の国際社会での役割で
あり、その位置付けも「グローバルサウス」に一番近い「グローバルノース」となる。
 そこで、この「アジアンマーケット」とは20年ほど前までは「日本しかなかった。」現実がこの
10年ほどで、「中国と韓国そして、日本」という位置付けになってしまった現実も読み込むべきである。
 「グローバルノース」と「グローバルサウス」の"位置つけとその役割分担"も現実には、白人社会
が「二元論的視点/dualist ontology」に基づいて一方的に自分たちの都合で身勝手に決め付け、
ロジック化したものでしかない。そして、この根幹は過去の"植民地政策主義"に由来している。
 そして、彼ら白人たちが決めつける「グローバルサウス」とは元来、国連などの機関がアフリカ、
アジア、南米を指す地理的な区分としてこの用語を用い始めたがグローバリズム以降、研究者や活動
家が「現代の資本主義のグローバル化によって負の影響を受けている世界中の場所や人々」を指して
「グローバルサウス」と呼び始めた新たな"地政学"的言葉である。
(参照/https://www.vogue.co.jp/change/article/words-matter-global-south)
 今後の日本のアジアにおける"地政学"的な位置は"「グローバルサウス」に一番近い「グローバル
ノース」"という極めて"グレーゾーン"として今後の日本の存在価値が求められるのであろう。

 7)LVMH社のM.ベルナール アルノーのビジネス戦略の読み方の強かさとは?/ 
 このベルナール・アルノー氏の突然の行動は、やはり彼らの強かさである、"先読み"結果であり、
「日本のおいしいところはところで、十分に使い勝手がある。」と言う、"どちらか、ではなく、
どちらも"と言うユダヤ発想なのだ。
 例えば、日本の繊維生産工場の"ハイ技術とクオリティと誠実さ"を認めての"新たな工場漁り"の
一環であり、3番目の事項では、「日本人の器用で、感性豊かな優秀な"モノつくり人間"までもを
自分たちの虚飾なレッテルを利用して、自分たちの"投資材料"にする下心で、"コラボ"という
「今だけ、金だけ、自分だけ」の白人目線の「新・自由主義」戦略を翳している。
 従って、ファッションという括りの、"服"から靴、バッグもそして、香水と化粧品、貴金属も時計
もテーブルウエアーに至るまでのビジネスは、やはり顧客になり得るのは少数の白人富裕層と大量
顧客としてのアジアンマーケットを主軸とした構造を維持することがビジネスの健全発展化に繋がり
近年の黒人たちへのアプローチは一種の"広告宣伝"と、"バニティな煽り運転"でしかないという理解
と認識と結論が彼の突然な"表敬訪問"だったのだろう。
 そこで、M.ベルナール アルノーは現在の「"ファッションビジネス"の根幹は『素材と生産背景と
その構造』をどのように負担するか、或いは構造化するか?」に懸かっているのが現実であることを
読み切った実戦略であろう。

 8)彼らたちのアプローチが今後どのような状況をもたらすのだろうか?/
 ポジティフに考えれば、「世界のラグジュアリーブランドに日本の匠力と技術力そして、日本人の
性格のモノ作りの良さの色々が認められた」ところでの"素材力と縫製技術"の高さであろう。
 ネガティブに考えれば、「白人に従順な国民性」を利用し「国内のアパレルとデザイナービジネス
がこの皺寄せを喰らい、いずれ倒産廃業化に及ぶブランドやデザイナーたちが増えるであろう。」
が勿論、考えられる。
 そして、この強かな世界のトップ企業は以後、事がうまく運ぶようであれば、テイの良い"A&M"に
よってあの"KENZO"の二の舞、「"援助"が"乗っ取り"に変身させられる可能性もある」までを経済
産業省のお役人さんたちは読み込んでいるのだろうか? ないだろう❗️

文責/平川武治:
初稿/2020年06月16日:

投稿者 : editor | 2022年7月 3日 15:10 | comment and transrate this entry (0)

, greeting(45)

何に「感謝」をすればいいのだろうか?  誰かに『ありがとう!!』って、言いたくなるときがありませんか?

 こんにちは、
又、新しい季節が訪れてくれましたね、
 お元気でいらっしゃいますか?

 何に「感謝」をすればいいのだろうか? 
誰かに『ありがとう!!』って、言いたくなるときがありませんか?

『 ―――「本質」を想い知ること。
その「根拠性」を手探りする。
そして、「関係性」と出会う。
必要である、大切な関係性であればその関係をどのように「継続」してゆくか?
その時、真こゝろの存在は、「本質」のカオスとエモーション。

唯、「表層」のみの漂いは自我の呻き。

巷には「表層」の呻きだけが。
従って、多くがのっぺらぼう。
無表情、薄っぺらな金メッキ。
なりすましが彷徨う。

自らの国を想う真こゝろ。
自分の国を愛する想い。
自然に守られて今がある僕たち。

四季の変化に育まれたこゝろ。
自然を見つめてください。
自然を想う真こゝろと
その現われのみに
明日のこゝろが。

不安は自由の眩暈。

1パーセントでいいですから
あなたの「エゴ」をセーブしてください。

モノを作りたい人。
買い物をしたい人、美食をしたい人も。
少し、「我慢」をして下さい。
こんな時代ですから、

自然が元気になります。
地球が楽になります。
いい空気が吸えます。

「生かされている」ことに「感謝」してください。
総ての「根拠性」はここからが出発です。
明日のための「本質」はここにあります。

ありがとうございました。

新しい季節が始まった6月の初めに。
                                  
合掌。』

 こぼれ陽に初夏のざわめきが、そのにほいと共に加わりはじめる鎌倉裏八幡にて。
ひらかわたけはる。

投稿者 : editor | 2022年6月 4日 15:58 | comment and transrate this entry (0)

, lepli(28)

"1992年の"地球サミット"(リオデジャネイロ)で、 当時、12歳の少女セヴァン=スズキが行った 「伝説のスピーチ」。

今年の桑沢デザイン研究所、全体講義のためのテキスト。
「1992年の"地球サミット"(リオデジャネイロ)で、当時、12歳の少女セヴァン=スズキが行った「伝説のスピーチ」全文です。
/ https://www.youtube.com/watch?v=oJJGuIZVfLM
 初稿/2022−05−10/参考テキスト:
 文責/平川武治:

1)はじめに/
 この「伝説のスピーチ」からもう30年が経っています。 
そして、この30年間で、新たに登場したITの世界やグローバリズム社会で"世界の富豪"に
成り上がった人たちが多くいます。
消費文化人になった人もいるでしょう。
お父さんやお母さんになった人もいるでしょう。
そして、新たに誕生した子どもたちも多くいるでしょう。
 
 でも、何が変わったのでしょうか?
地球が、自然が、水が、空気がどれだけ、変わったのでしょうか?
これらの環境での生き物たちや多分、子どもたちが息苦しくなっただけでしょう。
 30年も前の、この12歳の少女セヴァン=スズキが行ったスピーチは傍観者たちへいっときの
感傷を与えただけだったのでしょうか?

 今、"SDGs"を"サスティナブル"をそれっぽく唱えている企業の富裕層者たちは、政治家たちは、
学者たちは、メディアは、この30年前の12歳のセヴァン=ススキさんのスピーチをどのように聞き、
どのように自分たちの"こゝろ"に思い込んだのだろうか?行為に至ったのだろうか?
 この時期に誕生した"グローバリズム"という新たな「植民地政策主義」を利用して、
自分たちが儲けられる仕組みをより、構造化し、それを堅持し、今ではそれを"持続可能な"という
言葉を使い始めた人種たちはここでも、「今だけ、金だけ、自分だけ、」の「新・自由主義者」を
真面目に謳歌している輩たちであろう。

 例えば、「グリーンウォッシング/Greenwashing」という言葉を知っていますか?
この「グリーンウォッシング」は、消費者も時代の知識として知っておくべき、ボケブラリーです。
 「グリーンウォッシングとは企業のマーケティング戦略の一つであり、環境問題に関する公共利益
の上昇を利用し、その企業の環境に関する活動や商品について虚偽的、もしくは誤解を招く恐れの
ある発言をすることである。企業の好意的なイメージを作り出すために、関連する問題点に関して
完全に発表せずにポジティブなメッセージだけが選択的に伝えられる。」

(参照/By VOGUE/https://www.vogue.co.jp/tag/greenwashing)
 従って現在、多くの"ファスト ファッション"企業が使い始めている「サスティナブル」と言う
トレンドボキャブラリーのその実態はほとんどが、自分たちの企業のマーケティング戦略の一つとし
てのフェイクであると認識してください。

 これから僕たちや皆さんが考え求めるべき「豊かさ」とはどのような"豊かさ"なのかを、
もう一度考え直す時期が、この"COVID-19"禍後の"The New Normal"という「フツーが新しい」
が始まったからです。 "今でしょう!"。
 あれからの30年後に、"ファッション産業ビジネスが迎えた現実とは?"、
この30年間で新しく登場した、"コンピューターとケイタイ社会"そして、"グローバリズム"と
言う「新植民地主義」。それによって可能になった、「ファストファッション」の登場と、
「ハイブランド」の「より、虚飾化」。彼らは "グローバル サウス"と"グローバル ノース"の
「二元論」による"関係性"が生み出した、新たな世界規模の富裕層は「格差社会」を構築し、結果、
「地球と自然環境問題」「気象危機問題」「食料問題」「人口問題」などなどがこの30年間で新たに
登場し、認識された「深い負」の現実の一面。そして、「人新世」のプロブレムである。

 「強い国家」「強い科学技術」そして、「強い経済」で代表される20世紀、「戦後近代」を支えた
「力の思想」と「二項対峙」、「地球」と「人間」の「二元論」に依存するものではなくこの脆く、
壊れやすい地球と自然環境世界を"人間中心主義"的なる目線ではなく、"地球を慈しむ"こゝろで
"ケアー&キュアー"する、愛ある行為が、「これから生まれ、生きてゆく子供達のため」への、
考えなければ、なさなければならない、新しい「豊かさ」になるのでしょう。
 
 ここでは、お願いです、日本人の美徳でもあった、「倫理観」を忘れずに、決して、「近代社会」
の根幹であった、もう古ぼけてしまった「白人的二元論」だけに委ねることなく、
そして、「今だけ、金だけ、自分だけ。」の「新・自由主義」の日本人にはならないでください。
 文責/平川武治:

2)「伝説のスピーチ」全文/ By Severn Cullis-Suzuki : 
 『こんにちは、セヴァン・スズキです。
エコを代表してお話しします。
エコというのは、子供環境運動(ECO/Environmental Children's Organization)の略です。
カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、自然環境を守るための活動をしています。
 あなたがた大人たちに、どうか生き方をかえて頂くよう、お願いするために、
自分たちでお金を集めて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をして来ました。

 今日、私たちが話すことは、すべて嘘のない本心の言葉です。
なぜって、私たちが環境運動をしているのは、私たち自身の未来のため。
私たち子どもが、自分の未来を失うことは、あなたがた大人が選挙で負けたり、株で損したりするの
とは次元の違う問題なのです。
 私たちがこれから話すことは、未来に生きる子どもたちのためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。
そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちの泣き叫ぶ声は、あなたがた大人の耳には届きません。
どこにも行くところがなく、次々と絶滅して行く数え切れないほどの生き物たちのことも同じです。
だから、世界中の子どもたちや生き物たちに代わって、私たちが話すのです。

 太陽のもとにでるのが、私はこわい。それは、オゾン層に穴があいているから。
呼吸をすることさえこわい。空気にどんな危険な化学物質が混じっているか分からないから。
お父さんと一緒に、よくバンクーバーで魚釣りに行っていました。
数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまでは。
 そして今、毎日のように動物や植物たちが絶滅していくのを、私たちは耳にします。
一度絶滅してしまった生き物は、もう永遠にもどってはこないのです。
 私には小さいころからの夢がありました。
それは、いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルや熱帯雨林を
見ることでした。
 でも、私は見ることが出来ても、私の子どもたちは、見ることができるのでしょうか?
 
 あなたがた大人は、私ぐらいの年令の時に、今の私と同じように、未来の自分の子どもの心配を
したことがありますか?
 こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるで
まだまだ余裕があるようにのんびりと構えています。
 まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきりわかりません。
そして、あなたがた大人も、本当の解決法など持っていないと思います。
だから、せめて、「本当の解決法など持っていない」ということだけは、自覚して欲しいのです。

 あなたがた大人は、オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか知らないでしょう。
死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか知らないでしょう。
絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか知らないでしょう。
そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって緑の森をよみがえらせるのか知らないでしょう。
 
 だから、大人のみなさん、どうやって直すのかわからないものを、
壊し続けるのはもうやめてください。
 
 ここに集まっている大人のみなさんは、いろいろな国の政府の代表者や、企業や団体の代表者、
そして、報道関係者の人たちです。でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親であり、父親で
あり、姉妹であり、兄弟であり、おばさんです。
そしてあなたがたの誰もが、誰かの子どもなんです。

 私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。
そうです50億以上の人間からなる大家族であり、3千万種類以上の生物からなる大家族です。
 いろいろな国の政府や国境が、どんなに分け隔てをしようとも、私たち地球で生きるものたちが
1つの大家族だということは、変えようがありません。

 私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして
行動しなければならないことを知っています。
 わたしは、今のひどい環境を見て、怒りで心が震えていますが、それでも、自分を見失ってはいません。
 わたしは、今のひどい環境を見て、恐怖で体が震えていますが、それでも、自分の気持ちを世界の
人たちに伝える勇気を持ち続けています。
 私の国での無駄使いは大変なものです。買っては捨て、また買っては捨てています。
そして、そんなにたくさんの物を無駄にしている北の国は、物が不足している南の国と分かち合おう
とはしません。
 物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、少しでも手放すのがこわいのです。 
 
 カナダで暮らす私たちは十分な食物と水と住まいを持つ恵まれた生活をしています。
食べ物も、水も、お家も、何でも十分にあります。時計、自転車、コンピューター、テレビ、
私たちの持っているものを数えあげたらきりがありません。

 2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました
一人の子どもが私たちにこう言ったからです。
 「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、
住む場所をあげるのに。それから、やさしさと愛情もね。」
 住むところもなく、今日、食べる物もない一人の子どもでさえ、自分のことだけでなく、
みんなと分かちあうことを考えているのに、全てを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、
どうしてなんでしょうか?
 この子供達は、私と同じぐらいの年齢でした。私は、自分と同じくらいの年齢の子ども達が、
こんな生活をしていたことが、とてもショックで頭から離れません。
 同じ人間なのに、同じ大家族の一員なのに、どこに生れついたかによって、こんなにも人生が
違ってしまう。
 もしかしたら、私がここブラジルのリオの貧民窟に住む子どもの一人だったかもしれないのです。
そして、飢えに苦しむソマリアの子どもだったかもしれないし、大人たちの戦争の犠牲になった
中東の子どもだったかもしれないし、インドで乞食をしている子どもだったかもしれないのです。

 もし世界中の国の大人たちが戦争のために使っているお金を全部平和のために使えば、
環境や飢餓の問題のために使えば、この地球がすばらしい星になるでしょう。
 私はまだ子どもですが、それでもこのことを知っています。
小学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世の中でどうふるまうかを教えてくれます。 
 たとえば、
*争いをしないこと
*話しあいで解決すること
*他人を尊重すること
*ちらかしたら自分でかたずけること
*ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
*分かちあうこと
*そして欲ばらないこと
 ならばなぜ、あなたがた大人は、私たち子どもに「するな」ということを、
自分達はしているのですか?

 みなさんは、今日、何のためにこの会議に出席しているのか、
どうか、そのことだけは忘れないでください。
そしてこのような会議をいったい誰のためにやっているのか。
それはあなたがたの子どもつまり私たちのためなのです。
あなたがたはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めてようとしているの
です。 
 
 親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」といって子ども達をなぐさめます。
あるいは、「できるだけのことはしてるから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」と言いますよね。
 だけど、今の地球の環境を見たら、もうこんな言葉を自分の子どもに向かって言えないと思います。
 わたしたち子どもの未来のことなんて、みなさんの議題の中にすら入っていないじゃないですか。
みなさんは、私たち子どもの未来のことを本当に考えてくれているのですか?

 私のお父さんは、いつも、「人間の価値は、何を言ったかではなく、何をしたかで決まる」と
言っています。でも、私は、あなたがた大人がこの地球に対していることを見て、泣いています。
それでも、あなたがた大人はいつも私たち子どもを愛していると言います。本当なのでしょうか?
もしそのことばが本当なら、どうか、本当だということを言葉でなく、行動で示してください。
 
 最後まで私たちの話をきいて下さって、ありがとうございました。』
参考/ YouTube/
Severn Cullis-Suzuki at Rio Summit 1992
/https://www.youtube.com/watch?v=oJJGuIZVfLM

投稿者 : editor | 2022年5月16日 20:16 | comment and transrate this entry (0)

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『明日という未来の始まり』への眼差し−1/「THE NORTH FACE」と「UNIQLO」ー"COVID-19"がもたらした、"New Normal"の新しい情景。

『明日という未来の始まり』への眼差し−1。/
勝ち組ブランド、「THE NORTH FACE」と負け組ブランド、「UNIQLO」の差異としての
"企業文化度"。/

初稿/2022年03月03日:
文責/平川武治:

 一度も、外国へ出掛けない35年ぶりの24ヶ月が過ぎてしまいましたがこのような、世間とそれ
なりの隔たりを持ってすでに、生かされてきている僕には、このゆったりとした穏やかな時間の流れ
は自然の四季を愉しみ、また新鮮で新たな好奇心も見出せたようです。
 まさに、「速度は豊かさを隠し、深い観想的な注意の可能な時間」を実体験で知らされた日々で
す。
 そして一歩、巷へ出ると、"COVID-19"がもたらした、全く異種で過剰な、散漫な注意によって
ますます文化的所産の根幹が隅へ追いやられた、"New Normal"の新しい情景が見え始めますね。

1)やはり、"国民的ファッションブランド"にはなりきれなかった、ブラン「UNIQLO」
COVID-19禍以後で、巷で見かける一人勝ちしたブランドは「THE NORTH FACE」であろう。
 "ショルダータトゥー"の位置にマーキングされているロゴの「THE NORTH FACE」。このマーク
がCOVID-19禍以後、やたらと目につく。上下各ウエアー類からサックそれにキャップや手袋に至る
まで。多分、これがCOVID-19禍以後の"独り勝ちブランド"であろうか。
 これはCOVID-19の免疫性を衣料品類に考慮した「プロテクション」というコンセプトによって選
択された結果であろうか?それに、ワールドワイドなブランディングイメージからのカッコ良さとオ
シャレ感も踏まえたいわゆる、"機能性と良質さとファッションセンスそれに、外国モノ"であり、
このブランド企業の育ちとコンセプトとミッションが現在のCOVID-19禍以後の社会不安に対して他
者を引き込むマジックを持っているためであり、これにのかったメディアの後押しと共に、功を奏し
た"足し算"によって、決して安くないこのブランドが"独り勝ちブランド"になったのだろう。
 現在のこのブランド、「THE NORTH FACE」の日本での商標権は古くからのスポーツユニフォーム
メーカーの"ゴールドウイン社"がホールディングしライセンスビジネスを行なっている。

2)では、どこのブランドがこの"New Normal"に乗っ取られてしまったのか?
 この煽りを食って、結局は"衣料品ブランド"に落ち着いてしまったのが、「UNIQLO」であろ
う。

 いわゆる、新たな時代への転機となる可能性があった"New Normal"に「ファッションブランド」
というカテゴリィーでイニシアティブが取れずに、完敗してしまったと読めるべき現象が今も続く。
 本来なら、「UNIQLO」はこの"New Normal"以後にあるいは、これを機にして、従来からの羨望
と相当な広告費を使って煽ってきたはずの「国民的ファッションブランド」の立ち居場所を取るべき
確実な戦術と戦略が必然であったはずだったのに。
 この根拠は、現在の「ファースト リテーリング」が持っている筈の「企業規模と資金力そして、
日本の技術力と素材力加えて、日本人魂」によって可能であった筈だからだ。しかし、残念ながら
この結果が全く見えずに、実市場では惨めにも"完敗"してしまっているようだ。この企業もその生い
立ちによって、今は多くの環境問題や雇用問題の根幹、"グローバル・サウス"問題を抱えてしまって
いるが、そのための企業倫理への投資も見え難い。それに今後日本においてもこの1月に世界に先駆
けて法令化された"フランスにおける「衣服廃棄禁止令」"が取り沙汰される日も近いで
あろう。そうなれば、真っ先に矢面に立たされるのがこの「UNIQLO」であり、このブランドを追随
してきた後発の諸SPAブランドなのだろう。

3)では、この"一人勝ち"を許した根幹とは何だろうか?を考えてみよう。 
 「THE NORTH FACE」と「UNIQLO」、両ブランドの「差異としての"育ち"の違い」が根幹
要因として考えられる。

 この「THE NORTH FACE」はあの'80年代には世界を風靡した当時の"ファスト・ファッション"
の元祖ブランド、"エスプリ"の創立者でもあった'43年生まれのダグラス・トンプキンスと彼の妻、
スージーが'60年代半ばに設立した、元ヒッピーたちの"カウンター•カルチャーコンセプト"を企業
化し成功させた典型的な企業である。その後、この"エスプリ"を香港とドイツの企業にそして、
「THE NORTH FACE」も米大手アパレルのVFcorporationへ売却した。その後、トンプキンス夫妻
は"PATAGONIA"の立ち上げにも参画した、自然保護論者でありその実践者として彼が、2015年12月
にチリ領パタゴニアでカヤック事故により亡くなるまで"ディープ・エコロジー"の支持者であり、不
屈の"当事者"であった。このブランド「THE NORTH FACE」の企業理念には"ヒッピー魂"が確固た
る信念と気概があり企業構造の根幹になっている。
 この「THE NORTH FACE」の「企業文化度」が昨今の"COVID-19"が不確実な時世を生み出した
現在という時代には何よりも"人心を落ち着かせる"一人勝ちブランドとなったのであろう。
(参照'http://www.tompkinsconservation.org/news/en/2015/12/09/douglas-tompkins-a-force-for-nature/)
 
 一方、「UNIQLO」の育ちは、'49年生まれの柳井正氏が小郡市で先代からの家業であった、メンズ
衣料品店を引き継ぎ現在に至っている。『紳士服小売りの「メンズショップ小郡商事」を立ち上げ、
1963年にファーストリテイリングの前身となる小郡商事株式会社を設立した。その後、1984年に父
の後を受け小郡商事社長に就任。「ユニークな衣料 (clothes) 」ということで「ユニーク・クロ
ージング・ウエアハウス(Unique Clothing Warehouse、略称ユニ・クロ)」と銘打って同年6
月、まず広島市にその第一号店を開店。1号店は今と異なり、有名ブランドを安価で販売する形態。
(いわゆるバッタ屋に近い。)ユニクロで買い物をするのは「恥ずかしい」との評があった。この時
期に、姉妹店としてVAN専門のVANSHOPも経営していた。』これが「UNIQLO」ブランドの"育ち"で
ある。(参照/https://ja.wikipedia.org/wiki/柳井正)
 その後、'91年に社名変更をし'96年以降グローヴァリズムの追い風と商社の入れ知恵に乗っかり
当時の、"ヤンキーたちのマイルド化"をターゲットに現在の"怪物企業"へ成長を遂げる。2020年の
柳井正氏の個人資産は推定資産243億米ドル(約2兆5889億円)、世界ランク41位、日本ランク1位だ
そうだ。(参照/https://ja.wikipedia.org/wiki/柳井正)

 ここで、一つの視点として『両ブランドの「差異としての"育ち"の違い」が根幹要因として考えら
れる。』、あえて言って仕舞えば、"持ち得た「夢」以上の現実を手中にしてしまった人たち"が
どのように、「上手なお金の使い方」が成されるか?これがその人の「人格あるいは、品性」の根幹
になろう。いわゆる、「金持ちランキング」における数字にその拠り所が所在するのではないだろう
そして"人間の育ち"とはこんな現れ方をするものなのであろう。
 現在的には、"知的にあるいは、人道的に、または地球にそして、自然環境に、"上手なお金の使い
方はその企業あるいは商標としてのブランドにも今後、「全ての差異」を生む。

4)追記/スージー&ダグ トンプキンス夫妻と倉俣史朗さんと八木保さん。
 最後に、彼ら、スージー&ダグ トンプキンス夫妻には案外日本人の知人が多くいた 
僕の個人的な思い出では、僕が大変、リスペクトしていた知人でもあったインテリアデザイナーの
故倉俣史朗氏が"エスプリ"の香港1号店のショップを'84年にデザインしその後、東京に構えた
"エスプリゲストハウス"もデザインする仲だった。
(参照/http://blog.livedoor.jp/hk_designworks/archives/53355068.html)
 また、84年頃には"浜野商品研究所"からサンフランシスコの"エスプリ本社"へ、スージー&ダグ
たちのラブコールと倉俣さんの繋がりで移籍して、"エスプリ"のアートディレクターとして活躍なさ
っていた八木保氏がいらっしゃる。彼は'90年代半ばに、ファッション業界でパルファンブームが
起こった時に、あの"ベネトン"も香水を発売したことがあった。この時のボトルデザインも八木保氏
がディレクションしその後、サンフランシスコで独立なさり、"Tamotsu Yagi Design"を設立。
以後、ダグたちとの関係性からスティーブ・ジョブスと一緒に仕事をした数少ない日本人グラフィッ
ク&アートディレクターが八木さんである。(参照/http://www.yagidesign.com/)
 そして、"釣り仲間"から"PATAGONIA"の日本上陸に一役買った浜野安宏氏もいる。

 '70年代、世界では元ヒッピーたちがその後、自分たちの生き方やそのコンセプトである「豊かさ
からの逃避」の当事者となりその後この経験を事業化し、成功した例は、このファッション業界には
案外、多かった。
 多分、この「豊かさからの逃避」に"新しさ"を求め始めたのが今の「Z世代」なのだろう。
文責/平川武治:#
初稿/2022年03月21日:

投稿者 : editor | 2022年3月 5日 15:21 | comment and transrate this entry (0)

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T.S君への手紙をもとにして、「柳宗悦」没後60年、民藝100年記念展と「NIGO版KENZO」ブランドについて。

タイトル/<T.S君への手紙をもとにして、「柳宗悦」没後60年、民藝100年記念展と
「NIGO版KENZO」ブランドについて。>

文責/平川武治:

 T君、わざわざのバースデーメールありがとう。
そう、今年の誕生日は「喜寿」。
そして、あなたと出会ってからもう20年ほどですね。
嬉しい限りです。
こうして、今もメールが交換でき、話したいことが話せて、
時折、逢いたくもなる君がいることが幸せです。

 ご実家のご両親はお元気なのでしょうか?
此のような時世、何が起こるかわからない日々ですからね。

 時折、僕が好きなクラッシックなS.F.の作家、A.C.クラークのSF小説の「天の向こう側」の
エンディングをサンボリックに思い出してしまうまでの、
今までが、確かだったモノやヒトが一つづつ消えてゆくまでに感じるこの頃。

僕の鎌倉生活は、36年間、一度も外国へ出なかったこの22ヶ月です。
その分、この鎌倉の四季を実際に自分の目と鼻と耳とこゝろで感じる機会を作り、
大らかに、穏やかに結構、幸せです。
陽の動き、輝き、瞬き、風の匂いと葉の揺らぎ。
今では愛猫ミケーレと共に、穏やかでミニマルな日常を送っています。
最近はリスさんにも餌をやり、あとは、掃除、洗濯と手料理、そして勉強と読書がルーティーンの
日々です。
新しいことといえば、昨年出会った若い人たちと、毎週オンライン会議をして色々、好奇心と刺激を
もらったりあげたりでしょう。

 先週、「柳宗悦」没後60年、民藝100年記念展と銘打った展覧会へ久しぶりに東京へ出かけまし
た。最終日前日だったので混んでいました。もっと、年配の人たちが多いだろうと思っていたのです
が、若い人たち、美学生やデザイン生たちの多かったのにはちょっと驚きでした。
 やはり、戦前の彼らたち、柳や"白樺派"の人たちが活躍できた時代そのものが、いい時代だったと
いうことを改めて思い知らされました。一つのものに魅せられることで集中できるポジティフな
エネルギィーの凄さと大切さ。そして、此の時代の人たちの「文化」+「伝統」+「宗教」=「宗教
美学」というバックボーンを新たな美意識、「民衆の生活美」にまで昇華させた、"プロパガンダ"
運動でしたね。今的な言葉を使えば、「民藝」という"ブランディング"の旨さでしょう。これらを
改めて、"柳宗悦"を軸に俯瞰視出来た展覧会でした。

 が、戦前から戦後の彼、"柳家"の裕福さとそこから生まれる"エリート意識"、そこから生まれる
眼差しと自負できる仕事としての「民藝運動」というシナリオとその活動は、「宗教団体」の如きを
思わせる実態であったことをどれだけ若い人たちが知っているのでしょうね。展覧会でも展示されて
いた仕立て服「ホームスパン製の3ピース」はこの世界のそれなりの人たちの"ユニフォーム"になっ
ていましたね。また、東大前にある"日本民藝館"を訪れた人たちはその建築の重厚さと素晴らしさを
体感しているでしょうがあの建造物は生前の"柳"家の住宅だったのです。
 しかし、戦前の富裕階級社会の人たちの気概と気骨を持った「上手なお金の使い方」が生んだ
"文化ムーヴメント"の一つであったでしょう。そして、彼らのその美意識と思想を信じてきた人たち
が少しずついなくなり始め、この世界もその後の「消費文化」に吸い込まれた現代という時代性。
そして、ここにも、あの「天の向こう側」のエンディングを感じてしまいますね。
「天空から、ひとつ、ひとつ消えてゆく星、星、、、」

 この展覧会を訪れた若い世代の人たちが、これからの彼らたちの,"メタ バース"も含めた「日常」
における「生活の美」は?ここにも、何かしろら「倫理観」が必然なのですが、彼らたちはここに
彼ら富裕階級から文化教養としての「仏教美学」を持ち込みましたね。
 僕が二十歳になって、憧れた陶器の世界としての"民藝"の世界と、河井寛次郎氏の弟子で、
この世界でモノつくりをなさっていた陶芸の師、故生田和孝氏の丹波の窯元で僕がお世話になった
3年間へ思わずワープしてしまったのですが、この展覧会を訪れていた現代の若者たちが憧れる
「生活の美」とは?そのための「新しいモノ」を作るための"根幹"と"必然"と"憧れ"とは?何か?
その生活の精神のバックボーンになるまでのものを必要としているのだろうか?
それが"ブランドもの"でいいのだろうか?
あるいは、ヴァーチュアルな"メタの世界"には不要なのだろうか?

 そうですか、NIGO版KENZOのお手伝いをなさったのですね?
僕は、高田賢三さんからKENZOブランドを強制買収したことそして、それ以後、此のブランドに対し
て、日本人をリスペクトせず、誰も日本人ディレクターを起用してこなかったことなどなどの理由で
僕は企業LVMHと、M.アルノーが嫌いなので近ずかかったのです。
 が、ここに来て、亡くなった、ヴァージルの"恩返し"的なアドバイスで此の「NIGO版KENZO 」が
誕生したことには少し心動かされました。
 しかし、所詮、此の企業の事ですから、全て、「ビジネス」と「MD」ありきの戦略。
アジア人顧客としての"中国市場と日本人市場"と"コーリャンアジアン市場"の再構築と、
それに"ブラック市場"が相乗りしてくれば、という思惑と魂胆が読めてしまうますが。
 そして、出来れば、「Z世代」へ向けての"ハイブランド NIGO版KENZO"の誕生でしょう。
そのNIGOくんの20年前の"APE"と多くのプロパガンダ活動は裏ハラから香港経由の中国市場へ、
これらの仕事が今、「時代に乗っかる。」というビジネス マインドな狙いでしょう。
 ただ、NIGOくんがしっかりしているのは、M.バーグ氏という此の企業のCEOのビジネスマンと
その関係性を2006年来、ずーと継続してきたことに尽きるでしょう。(この経緯は前回の日経新聞
日曜版の「ヴァージル熕」で詳しく書いたので省略します。ご一読ください。)
 外国を訪れる日本人の殆どは、「デザイナーとお友達」という関係性で満足している輩ですから
ね。ご存知のように、パリのハイブランドは全て、"ビジネスありきで、全てが決まる実業の世界"で
す。トップが変われば、ディレクターも変わる構造です。彼らたちトップが、次にターゲットにする
"風向き"にどのようなサーフするかのタレント性とディレクション力ですね。
 彼のコレクションが、いつも僕がいうように3シーズン目が極めです。
この3シーズン目までで、どれだけ、彼らが目論んだ顧客を手中にできるか?
それによっての今後でしょう。
 この"KENZO"は此の企業グループにおいては"プレタポルテ/ハイブランド"ゾーンです。
この企業が持っている数多いビジネスのうちで、「免税店ビジネス」のライセンスを持っているの
で、この"KENZO"ブランドも、買収当時はこれら免税店で発売されたばかりの「香水KENZO」を売る
為の戦略だったのです。その後、このブランドは"子供服から大人服"という日本的ブランド構造を
構築し継続されてきたブランドですね。これはこれからも中国や韓国そして台湾などの"アジアン
マーケット"で利用価値ありきの構造だからです。極論すれば、「免税店での今後のKENZOブランド
の売り上げ」が伸びれば、NIGO君の"KENZO"も成功でしょう。これは、NIGOくんにも進言してあげ
てください。
 そして、あなたがどのような立居場所で、どのような関わりをしているか?
僕には不充分な情報ですが、デザイナーレベルとのリレーションはその"レベル止まり"です。
「上手な時間とスキルの使い方。」をこれからの君の"自分世界"へ惜しみなく、それが君の"経験"と
いう"資産と差異"になるでしょう。これを今後どのような"力"に、どの世界で変換してゆくか?が、
今後の君の課題でしょう。

 もし、ご帰郷のチャンスがあれば、ぜひ、鎌倉へもお立ち寄りください、
ミケーレさんも会いたがっていますゆえ。
ご自愛と共に。
合掌。

文責/平川武治:
初稿編集/2022年02月22日:

投稿者 : editor | 2022年2月27日 18:02 | comment and transrate this entry (0)

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僅か、3年ほどの"夢の跡"。ー Virgil Ablohへのオマージュ。ーー"ブラックマーケット"は何処へ?;

はじめに;
 この原稿は日経新聞日曜版のための下書き原稿です。
新聞原稿のために、"文字数の制限とわかりやすさと根拠性"について厳しく校正され、
2022年1月16日の日曜版に掲載されたもののオリジナル原稿です。
 
 この原稿のために調べたことで面白かったのは、
「NIGOくんとカニエ ウエストとバージル アブローの関係性とその出会い」であり結果、
それによって、それぞれが求める"夢"が実現された経緯が理解できた事です。
 僕がよく言っている「出会うべき人に出会わなければ、その次なるが無い。」を地で
行った彼ら、この三人でした。

******
 『「 流行は夭折する。さればこそ流行には、あんなに重い軽さがあるのだ。」
 By J.C."大股開き"より。
僕はこのJ.コクトーの言葉が好きである。この言葉を昨年、11月28日の日曜日にシカゴ
で41歳で急逝したデザイナー、ヴァージル・アブローに捧げる言葉として僕は選ぼう。
 彼も「OZの魔法使い」よろしく、彼自身の「自己証明」として、モードキャピタル、
パリへ9年ほどの時間を費やして"イエローロード"を辿り、2018年6月21日に
"ルイ ヴィトン オム"の黒人初のファッション ディレクターに抜擢され凱旋した。
そして、一昨年7月には、LVMHの75のブランドを統括する新しいポジションに昇進し、世界
で最強のラグジュアリーグループの中の、最も強力な黒人アースティックディレクターと
なった。そして、もう一つは2014年から立ち上げた自身のブランド「オフ ホワイト」の
カルトデザイナーでもあった。

 僕がアブロー氏に感じた印象は、真面目すぎる純朴さと恥じらいのその笑顔がチャーミン
グだったこと。彼は今後、来るべき若き黒人デザイナー達の為にというサクリフィス的姿勢
を自分の使命とも考えて兎に角、真面目に働き過ぎた。アブロー氏のパリ凱旋後の3年ほど
の時間の経過において既に、彼は希少な癌である心臓血管肉腫と2年間の闘病とも戦ってい
たのです。

 ことの発端はローマのFENDIスタディオへ2009年に親友であり、パリのハイブランド
を共に目指す戦友であったKanye Westとインターンシップを500ユーロの月報酬で始め
たことから彼らのこの旅が始まった。自分たちが目指す目標がしっかりと定まっていた事と
グローヴァリズム以降に吹き始めた"モードの新しい風"が彼らたちに強運をもたらした。
 彼らの目標とは、「スニーカーとハイ モード」の融合すなわち、「ハイプビースト・
カルチャーとラグジュアリーな世界」の架け橋となることだった。そして、彼がパリへ辿り
着く数年程前からモードの世界に、もう一つの"新たな風"が黒人社会から吹き始めた
リアリティを既にアブロー氏は感じ始めていた事による更なる高みへの"旅"であり、好奇心
でありそして、目標であった。
 新たな顧客を呼び込もうと、彼らたち黒人の消費者が着たがるものだけでなく、ブランド
がデザイナーに求めるものそして「ファッション」の意味そのものをも結果、変革させたの
がアブロー氏の"あんなに重い軽さ"だったのだ。

 FENDIスタディオでのインターンシップを終えたアブロー氏のその後は、2012年に
ウェスト氏の会社である"DONDA"のクリエイティブディレクターを経て、彼らは二人の
アートワークブランド、"PYREX VISIONP"を立ち上げ翌年、2013年からはこのモードの
"新しい波/ヌーヴェル バーグ"を早熟に感じたパリのAPCのジャン トイッツーの呼びかけ
で、彼らの1回目のデニムラインのコラボをN.Y.で立ち上げ、ファッションブランドとして
本格始動した。その翌年にはこの"PYREX VISIONP"を"OFF WHITE"と改名し、2回目の
APCとのコラボも2015年に行うまでの流れ。この年には、ブランド"OFF WHITE"でLVMH
アワードに参加して最終選考に残った。このブランド名も彼の目標であった、"ハイファッ
ションとストリートウェアの対話を伝えること"に由来し、黒と白の間、その中間点は両方
のジャンルのファッションの混合を意味したかったという。

 3年程のアブロー氏のL.V.オムの仕事で言えば、彼は新しいシルエットを生み出すような
偉大なデザイナーではなくむしろ、「ミレニアル世代のカール・ラガーフェルド」だったと
評価されている。クリエーティブというよりは、時代の空気感を読んでアレンジやチューニ
ングが上手く、これらを多くの"コラボレーション"手法でいわゆる、"他力本願"にまとめる
ことに優れたセンスがあった"ファッションDJ"の一人。しかし、彼にとって服はただの衣服
ではなく、アートであり、音楽や政治や哲学の節点に位置するアイデンティティのトーテム
であった。さらにSNSとデジタルの世界を闊歩して見慣れたものを再文脈化し、文化的な
オーラを与えることを知的にこなした。
 ここではっきりと言えることはこれからのモードの世界における人材としてのディレクタ
ーに望まれる資質とは彼のように、個人が持ち得た"文化度"です。
 「純文化+カウンターカルチャーと消費文化+ポップカルチャー」のバランス観。
この二つの"文化観"をどのようなバランスと時代感を持ってディレクションが可能か?が
望まれる資質でしょう。アブロー氏はこの"消費文化"を'95年頃からの東京の「ウラ原」
系デザイナーの仕事と古着から大いに学んだようだ。そして、実際のコレクションでは
わかりやすい色で端的に表現して構築的に纏めた大胆さでしょう。この視線で他のブランド
ディレクターを見るとこれが上質に,ビジネス的にも成功しているのが、"GUCCI"のA.
ミケーレです。彼が演出するイタリアンアイロニーやペーソスやキッチュの纏め方に彼なり
の高度な"文化度"をイタリア人たちが認めているからです。同じように、アブロー氏の纏め
方もスケーターとラップと現代アートや建築などをアイロニックにそのブリコラージュの
上手さがこのブランド、L.V.オムが目指したブラックマーケットで世界制覇という企業の
ビジネス戦略を具現化したことだった。結果、黒人たちだけではなく白人のミレニアム+
Z世代までも引きつけた。僕たち日本人もこの「純文化」と「消費文化」をどのようにバラ
ンスよく持ち得るかが、今後の個人の資質になるのでしょうが、日本人の多くは、ほとんど
が「消費文化」の中で育ってきた世代だから難しいですね。

 最近のラグジュアリーブランドが求め始めたビジネスの新しさは"階級ある顧客層"或いは
それなりの"教養を持つ富裕層"への「ブランド=文化」をお届けするというニュアンスもし
くは、エモーショナルな世界です。彼ら達のアートディレクションとはやはり、この
「ブランド=文化」がモノ作りから広告宣伝そして、SNSによるイメージディレクション迄
が新たなカテゴリィーなのです。そして、パリの"ラグジュアリーブランド"メゾンはいつも
先ずは、"ビジネス戦略ありき。"であり、その戦術をトータルにディレクション出来る
ディレクターのみが求められるのです。決して、"作り手ありき"の、デザイナーの世界では
もうありません。

 では、白人たちのビジネス戦略によって輩出されたカルト ヒーロー、アブロー氏亡き後
の"ブラック マーケット"はどのような変貌を見せるのか?実際のところ、誰か次なる代役
を生み出さない限りマーケットへの訴求力は落下するだろう。
 ここではやはり、このブランドのCEOであるマイケル・バーグ氏がどのようなビジネス
戦略を企てるかに全てが懸かることでしかない。しかし、予測出来ることが3つある。
一つは、このまま"ブラック マーケット"を継続する。この場合はアメリカ人黒人デザイナ
ー例えば、K.ウェストに1年ほどを委ね、その間に才能とバランス感覚が良い若手新人を
探す。二つ目はこれを機に再度、中国マーケットおよび日本マーケットを標的に考える。
この場合に考えられるのが、"NIGO"が立ち上げるKENZOの結果を見てL.V.へ回すか?
青田狩り的には"YANG LEE"なども考えられるか?3つ目は、初心に戻って、白人マーケッ
トの"ミレニアム+Z世代"へあのBottega Veneta のクリエイティブ・ディレクターだっ
た奇才な才能を持つ、"ダニエル・リー"で再挑戦する。彼がライバル企業にいたことでの
話題性そして、イギリス人クリエイターであることが決まり手?
 しかし、ここではあくまで、CEOのM.バーグ氏の次なるビジネス戦略に委ねるしかない。

 ここで、NIGOくんの名を出したが、2006年に彼はローマのFENDIのパーティ
「B.MIX PARTY」のプロデゥースの仕事を受け当時、デザイナーであった"シルヴィア・
フェンディ"と出会い、彼女の紹介で、やはり当時、FENDIのCEOをやっていたM.バーグ氏
に会っている。そして、パーティーに参加していた、K.ウェスト氏とアブロー氏とも出会っ
ている。そこで、彼ら二人をM.バーグ氏に紹介したのはNIGOくんであった。このFENDIで
の彼らたちの出会いが、その後のアブロー氏のL.V.オムという立居場所であり、NIGOくん
のKENZOに繋がっているという"イエローロード"によって行き着いた強運なそれぞれの出会
いであった。従って、キーマンはやはり、M.バーグ氏の企て次第であろう。 

 僕自身はやはり、残念なる夭折でしかないと沈む。彼が今後どのような"ブラック
ラグジュアリー"へ向けて、そして、"ブラック・デザイナー"志望の若者達へ、未来の世代
にインスピレーションを与える文化観の力を深く信じ、どのような新たな世界を生み出して
くれるか見ていたい一人でした。ただ、彼ら達は案外若い頃からドラックにハマった経験が
あるので、余計に身体そして、精神もボロボロになってしまっていたのかもしれませんね。

「 流行は夭折する。さればこそ流行には、あんなに重い軽さがあるのだ。」
をわずか16年で駆け抜けたVirgil Abloh。

 蛇足的に、最後に、一つの確実に訪れる新たな現実。
例えば、戦後の日本人もあれほどまでに外国人たちの生活様式やファッションに憧れていた
民族なのに、今の"Z世代"の若者たちはむしろ、「民族衣装としての"和物"」に新鮮さと
懐古としての憧れを抱いている。この要因は生活が豊かさと充足感を生み出したベクトルで
あろう。では、今彼らたち"ブラック マーケット"に鬱つを抜かしている世代が落ち着いた
時には、彼ら黒人たちの文化度豊かな人たちは彼らたちの"ロコ ファッション"に回帰する
だろう。では、このターニングポイントがいつか?
 例えば、日曜日のパリのメトロで見かける黒人のご婦人たちが教会へゆく姿、それは彼ら
たちが豊かさを誇る一つのコードとして、素晴らしい"ロコ ファッション/民族衣装"を
着ている風景に出会う。

 参照/日経新聞日曜版1月16日/"THE STYLE"

文責/平川武治:
初稿/2021年12月18日:
出向/2021年02月08日:

投稿者 : editor | 2022年2月 8日 22:31 | comment and transrate this entry (0)

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スローな新年のご挨拶と、"NOTE"「 平川武治の全仕事・私文古書庫」のお知らせ。

 みなさま、新たな年が明けて既に1ヶ月が過ぎました。
ちょうど、「中国の新年/Happy Lunar New Year」祭事が始まったところです。
 が、日本は今だに"オミクロン"によって、"柔らかいファッシズム"の渦中で、
騒々しい時世が続いています。
 が、みなさまはお元気でいらっしゃることでしょう。

今年の僕の新年のご挨拶は、このようなものでした。
 " Breathing in, I calm my body.
Breathing out, I smile.
Dwelling in the present moment.
I know this is a wonderful moment. "
 
 これは僕が最近、興味を持って読み込んでいる、ヴェトナム僧、
ティク ナット ハン著作の一つ、「ビーイング・ピース」から引用いたしました。
 「息を吸い、体を鎮める。
息を吐き、微笑む。
この瞬間に生きる。
素晴らしい瞬間だと知る。」
 この21ヶ月の続く「コロナ禍」の時世の営み方の一つでしょう。

 そして、今年の僕のメッセージは、
「現世で起こり得ることは全て二項対峙ではなく、非対立であり、
しかも、二つではないのです。」-人新世への為に。

 " Everything that can happen in this world is
It's not a binary confrontation, it's a non-confrontation.
And there are not two.
-For the Anthropocene."

です。
 この発端は「近代の終焉」という最近の僕の眼差しでありもう、このような
「近代西洋」起源の〈開発〉パラダイムである、"世界を分断する二元論的存在論
(dualist ontology/ディオロジスト オントロジー)"から脱却を
こゝろする年だという視点と願いを込めてのメッセージです。

 「喜寿」を迎え、スローなる新年の挨拶になりましたが、
今年もよろしくお願いいたします。


 そして、
しばらく、この"Le Pli"をご無沙汰いたしておりました。
理由は、アーカイブ版を再版していた為です。
しかし、昨年末から、この"ARCHIVE LePLi"を "NOTE"にて逐次、発表してゆくように、
新たに、"NOTE"「平川武治の全仕事・私文古書庫」を開設しました。
ご関心、ご興味ある方はぜひ、この"NOTE"/「平川武治の全仕事・私文古書庫」を訪れ、
ご高覧ください。
 "NOTE"/「平川武治の全仕事・私文古書庫」
 どうか、
穏やかで豊潤な時の流れの1年でありますように、合掌。
平川武治。

投稿者 : editor | 2022年2月 3日 16:58 | comment and transrate this entry (0)