web site "Le Pli" is information and archives of guerrilla report Le Pli on TOKYO collection.

article(134)

続編;今月の"ひらかわ的眼差し"-2/"アートの動き"から読み解く眼差し。;

 今月の"ひらかわ的眼差し"-2/"アートの動き"から読み解く眼差し。;
「白人社会」が見つめる、新たな"日本"と言う国の立居場所とその役割という妄想。

文責/平川武治:
初稿/2022年06月16日:

 今回は、前回の続編、「アート版」です。
本件のいわゆる"ネタもと"は、アートの世界における最近の動きであり、日本のアート業界(?)を
もう、既にかなり揺さぶり始めています。これを"ひらかわ的深読み"で妄想してみます。

「アート版」1)"ひらかわ的眼差し"、アイテム-2/
「grand Tokyo」と言うアートマーケットサロンの登場。/

 日本に新たなアート展「grand Tokyo」の開催が決定された。
ロンドンを本拠地とした、"Art Assembly"がオーガニゼーションとなって企画運営がなされ,
横浜パシフィコで、2023年からの開催予定である。 主催は"アート・アセンブリー"。
 この「grand Tokyo」の責任者はMr.マグナス レンフェリー。そして、新たなチーフキューレー
ターはエリ・タカネさんが選ばれている。このアートフェアーの規模は、80~100店の国際的なアート
ギャラリーを集める予定。そして、日時は2023年7月7~9日で日程が組まれている。
主催者、"アート・アセンブリー"のマグナス・レンフリュー氏は、「いま非常にダイナミックな瞬間
を迎えている。 アジアのアートマーケットは成熟し、それぞれの地域で独自のアートフェアを開くに
値する新しい段階に到達しつつある。現在のアートフェアの開催地以外でも、新たな観客を開拓でき
る潜在力は大いにある。私たちの仕事は、現代美術のコレクター層と観客を広げ、深めることだ。」
と言う。
 そして、彼らの目的の一つに、TOKYOを新たな、そして直接的に、"アートのバブ"化とすることで
あり、その具体的なミッションは、1-市場開拓。2-"Japan Culture Products"日本人クリエータ
ーの発掘。3-世界の各アートシーンとのバブ化。4-アートマーケットの世界基準化。の4つを掲げて
いる。
 続いて、"アート・アセンブリー"のマグナス・レンフリュー氏のインタビューを"ARTnews"誌で
読み込むと、
「国際的なスタンダードを持ち込み、新たな文脈をつくっていきたいのです。」
「アートのセレクションをきちんと監修し、国際標準のものを提供することが重要です。」
「展示されるアートがベストなものになれば、鑑賞者やコレクターも間違った選択がない。」
「現在の現代美術のマーケットは"アメリカ43%、中国20%、イギリス17%の3つの巨大市場であり、
他ではフランス7%、ドイツ7%、スイス2%、スペイン1%、ほか8%、ここに日本も入っている。
が現状。」
「"ARTnews"誌が選んだ世界の現代美術コレクタ-200人(2021年版)では、日本人コレクターは
たった三人だ。」
「中国本土による締め付けの強化によって、アート市場のとしての香港の監視と衰退が憶測されてい
る。」
「そのため、大手ギャラリーは、今秋"フリーズ・ソウル"が始まるソウルに集まり、支店をオープン
している。」
「"grand Tokyo"は、アジア全域で起きている全ての活動と競合するのではなく、むしろ補完する
ことを目指す。」
「これによって、現在の、"台北、デリー、シドニー、シンガポール"に加え、東京が加わる。」
「もはや、(なんでもそろう)総合店舗の時代ではない。」
「どちらか、ではなく、どちらも、なのだ。」
参照/"ARTnews" "ARTnews Japan" https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/260 https://www.artnews.com/art-collectors/top-200-collectors/top-200-collectors/「

 2)『これを深読みすれば、「地政学」的に、/ひらかわの深読み視点
 "アート・アセンブリー"はアジアにおいては、台北、デリー、シドニー、シンガポールにそれぞれ
拠点を持っているのでこの並びに組み込まれ、中国香港マーケットに対峙する"アート界のダイヤモン
ド構想化"である。これによって、従来の"L.A.-London-Taipei"とTokyoが結ばれる。
 ここでも、白人たちが見るそして、読む現在の"日本"の見られ方、認識のされ方と、使われ方の
典型的な一つがこの"アート業界"でも現実化されるという深読みの時代性だ。
 ここでは、新しい時代の到来として「地政学」としての"ウクライナ-ロシア戦争"後の読み方或いは
「地政学」的な変化現象を読むことである。
 例えば、今回の「東欧ユーラシアの不安定化」と「中国およびロシアの不安心化」が具体的に炙り
出したことは、「アメリカの政治力の衰退化と国連の事実上の弱体化」の結果、ヨオロッパにおける
新たに、「NATO軍の復活とアジア版"NATO構想"」と言う軍事力における"パワーバランス戦争"が、
先のバイデン大統領来日の「クワット会議」でより、明確になったことである。当然、この裏側には
全て、それぞれの国家がリスクを伴う"軍事防衛費"の負担がどこの国がその恩恵に賜るか?でしかない。
 もう一つ、"アメリカドル"の弱体化。と"中国元とロシアルーブル建"と言う経済構造が構築され
実施し始めたこと。そして、"アベノミックス"によって齎された、"円安"の日本経済の長期継続化。
などもこの"アメリカ弱体化"と"日本利用"すなわち、今後の日本国の立居場所とその与えられた役割
この"アートの世界"でも見えてきた。
 これも、「アジアにおけるプライオリティが取れない国、日本。」と言う現状と今後が読まれてし
まった結果でしょう。単独でそして、将来的にも日本のアジアにおける位置は「いつも、今後も変わ
らず、アメリカのポチ!」。そのためには、アジア版"NATO構想"による軍事力に頼る戦法だ。
 狼狽始めた"大国"アメリカは、"クワット諸国"と共同による軍事力によって対中国を敵視し続け、
「日本国の安心と安全を国民へ訴えなさい。」そのためには「日本さん、憲法改正そして、第9条の
改定しかありませんね。」そうしたら、「国連の常任委員国の席をロシヤを追い出して日本さんへ
あげますよ。」そして、「僕たちの国の軍産世界企業から武器弾薬を堂々と購入しなさい。」
「これには安倍さんにも教育済みで、承知の事実ですよ!」
 これが世界の白人至上主義社たちから押し付けられた「今後の僕たちの国家、「日本」の立居場所
でしかない。」

3)ひらかわの深読み視点ー2/この状況を「アートの世界」へ落とし込んでみると。
例えば、この"アート業界"では、従来まで、「香港」がアジアンマーケットの"玄関口"であったが
この「香港一本化」に不安を感じ始めた白人/ユダヤ人たち。そこで、「ソウル」へも進出した。
この二都市で"アジアンマネー"を吸い込もうと言う発想であったが、ここで、'16年に安倍元首相が
発案した、「アジア ダイアモンド構想」の"アート版"が、先日の「クワット会議」のアート版と深読
できるだろう。
アート業界の白人たちもそのほとんどが"ユダヤ人ビジネス"であり、その彼らたちのミッションは、
「今後、開拓の余地がある"アジアンマーケット"を抑えたい。」そして、「どちらかではなく、
どちらも、」である。
 これは、前号の「ファッション産業」の続編として繋がる根幹は『「グローバル ノース」でもなく
「グローバル サウス」でもない日本』と言う見方が本音の、現在の白人世界から見た「日本」の
"生かしどころ、使い所"であろう。
 ここには、日本人の従順さ、真面目さそして、几帳面さ、器用さ、勤勉さなどの利点をビジネス上
認めた上でだが、もう一つの特徴(?)「白人外国人には弱い。或いは、コンプレックスが強い。」
 これは、同じアジア人である中国人は日本人よりは強靭にインデペンデントであり、儒教観もあっ
てさほど「白人」に靡かないと言う事実を認識し始めた結果の彼らたちの 「イエロー基準」であり、
日本とビジネスを行う白人社会の変わらぬ、"日本"と"日本人"との関わり方であろう。
参照/"Project Syndicateによる"Asia's Democratic Security Diamond"By Shinzo Abe. Dec.'12/
https://www.project-syndicate.org/onpoint/a-strategic-alliance-for-japan-and-india-by-shinzo-abe

4)まとめて見ると、/
例えば、日本人アーティストを発掘して、日本人コレクターを開発し、新たなビジネスにつなげる。
そのためには、日本人アーティストを"同じステージに乗せる"と言う順序と構造が必要。
 このセオリーは前号の"ケース-1のB."アルノー氏の表敬訪問も同じ視点と読める。
すなわち、「日本の技術のよる素材開発とそれらの素材を使っての縫製技術への信頼をできれば、
今後、自分たちの"強み"にしてゆきたい。そのために、"生産表記" を行なってあげますよ。」と
言う同様の視点であろう。
 ここにきて、『新たな時代とは、「再び、今の時代における"植民地政策主義"を「グローバル
ノース」でもなく 「グローバル サウス」でもない"日本"を新たな拠点として、「アジアンマーケッ
トを抑えたい。」 そして、「どちらかではなく、どちらも、」自分たちのビジネスの領域の中に囲い
込みたい。』
このような将来が、僕たちの日本が迎える"未来"であることを少し、「深読み」しました。
「世界の、白人たちがどのような眼差しで、今後の日本と日本人」を"ニュー・ルール"として、
位置づけしてゆくか?
 この眼差しを、このような時代になって今後、実社会で生きてゆく"世代"たちに教育面で気づかせ
る教育、「今後の日本という自国を考え、これを「観察」と定義し、「気づき+問いかけ+批評する」
日常的なプロセスを可能であれば、習慣としての"ルーティーン"として、教育面で刷り込んでほしい
ものですね。

文責/平川武治:
初稿/2020年06月16日:

投稿者 : editor | 2022年7月11日 13:16 | comment and transrate this entry (0)

, article(134)

今月の"ひらかわ的眼差し"/「"白人社会"からみられている、僕たちの国の将来。」-その1。

今月の"ひらかわ的眼差し"/「錆びつきたくない老後。」のために−1。;
「白人社会」からみられている、新たな"日本"と言う国の立居場所と活用とは?
という妄想。

文責/平川武治:
初稿/2022年06月16日: 

0)ちょうど1年前の話です、/
 LVMH社がGoogle社とこのような契約を交わしたことはご存知ですね。 
「LVMHとGoogle Cloud、AIとクラウドベースのイノベーションのための戦略的パートナーシップを
構築。LVMH発-2021年6月16日」

「本日、LVMHとGoogle Cloudは、イノベーションを加速させ、新しいクラウドベースの人工知能
(AI)ソリューションを開発するための戦略的パートナーシップを締結したことを発表しました。 
両社は、LVMHの各ラグジュアリーブランドであるメゾンが、長期的な成長を促進する新しいパーソナ
ライズされた顧客体験を創出できるよう、力を合わせていきます。このパートナーシップは、両社の
創造性、資産、技術力、革新への渇望、そしてそれぞれの市場において認められた地位を融合させる
ものです。」
 このラグジュアリー帝国がこれをやり始めるともう、「今後のファッションビジネスの構造」が
以前,僕が話したまさに「アルゴリズム+A.I.+SNS」の世界の登場ですね。全てのファッション構造
が、作り手も、売り手もそして顧客までもが、彼らのこの「監視社会構造」の中でコントロールされ
てしまうまでの状況です。これが、「 LVMH社」の全ブランドの、全顧客に及ぶのですからこの
パワーは新たな「 Luxuary N.W.O」を構築が可能なまでのパワーでしょう。
 参考/LVMH社のプレスリリース;
https://www.lvmh.com/news-documents/news/lvmh-et-google-cloud-partenaires-strategiques-pour-lintelligence-artificielle-et-linnovation-dans-le-cloud/

 1)この現実が物凄いことである根幹は、/
 この企業、LVMH社はファッション・皮革製品、宝飾、時計、シャンパン、ワイン、香水と化粧品
からイタリーのチョコレート、デパート、免税店、ホテルそして、メディア、遊園地、ヨットハーバー
までも。19世紀の"グランツーリズム"のコンセプトを現代までも継続している世界トップのラグジュ
アリー企業体であると言う現実でしょう。
 この企業グループのそれぞれの顧客たちとは今後の「格差社会」構造における確実な富裕層を
「仮想監視」が出来、「アルゴリズム」によって、コントロール可能な世界を構築しようとしている「ラグジュアリーファッション世界のN.W.O.構想」と読める。これは、「UNIQLO」の顧客とは雲泥の差と言うことであり、"数量"ではなく"質"の差異でしかない。
 これが現実のパリの「ラグジュアリーブランドビジネス」の世界版でしょう。
(参考;LVMH社全ブランド詳細は、上記のLVMH社のプレスリリースを参照のこと。)

 この"LVMHとGoogle Cloud"の業務提携に対してのコメントで面白かったのは、
"Luxury Society"と言うサイトでした。興味ある方はご一読ください。
(参考/この契約についての"Luxury Society"のコメント;)
https://www.luxurysociety.com/en/articles/2021/07/lvmhs-deal-with-google-is-groundbreaking-heres-why

 そして、本題、「ここ数ヶ月の出来事を深読みする。」/
 2)"ひらかわ的眼差し"、アイテム-1/ 
 
 B.アルノー氏が松野官房長官を表敬訪問とその発表事項。
【時事通信社】発/『松野博一官房長官(右)は2日、高級ブランド「ルイ・ヴィトン」や
「ディオール」を手がける仏LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)のベルナール・アルノー
会長の表敬訪問を首相官邸で受けた。』 
【経済産業省】発/5月2日(月)LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトンのベルナール・アルノー
会長兼CEOは、日本のファッション・アート産業との連携強化を目的に、松野官房長官を表敬訪問し
ました。会談では、岸田政権における新しい資本主義が重要視している「人的資本投資」を通じた
伝統技術・工芸や個の創造性の発現であるアートが、これからの価値創造の源泉であることが確認さ
れました。今回の訪日において、LVMHモエヘネシー・ルイヴィトン社からは、ファッション・アート
分野における下記3つの連携策の提案がなされました。
 ①LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)において、日本の素材等が使用されている場合には、商品
説明欄に具体的な産地名を記載するなど、日本の産地が有する高い技術力の海外発信により一層協力
すること。
 ②同時に、LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)において、高品質な素材等を提供する日本企業と
の連携を一層発展させて、日本の企業、特に中小企業各社や職人の成功に貢献すること。
 ③さらに、LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)において、日本の若手アーティストや工芸家との
コラボレーションをより一層推進すること。
 そして、経済産業省としても、日本の素材のブランド化や、ファッション・アート産業の中小企業
職人、若手アーティストとの連携を支援していきます。
https://www.meti.go.jp/press/2022/05/20220510004/20220510004.html

 3)これを深読みすれば、/
 『日本は新たに、「マイルド・新植民地」化へシフトされる。』が僕の深読み視点の極論です。
現在の東ヨオロッパ、ウクライナーロシア戦争とその影響を受けた政情不安と経済不安で彼らたち
のメインの下請け工場に影響が出ることを読んだ白人至上主義者たちの新たな戦略と読める。
 もう一つは、中国の政経政策の強行化とその結果の"先行き不安"が蔓延化。例えば、今回の"上海
ロックダウン"による物流までも港に停滞したままという現実。そして、日本の"円安"がもたらした
新たな現実としての、「中国は消費地、日本は生産地」と言う新たな位置付けの戦略でしかない。
 この現実の裏には、「日本はもう、今後も"アジアでのプライオリティー"が取れる国家では
なくなった。」という白人至上主義社たちの認識の結果であろう。

 4)これを実直に喜ぶのは、/
 外国人国際企業へ両手をあげて笑顔で喜ぶ昭和の政治家たち、彼らの"寄らば大樹の陰"という安心
のみを売り物にしている輩たちであろう。
 もう、今後の日本国はすでに、中国に完敗。-政治力、経済力、IT力、人口、勤勉などなど。
従って、"アジアにおけるプライオリティーが取れない。"と言う認識の元で、日本の政治家の開き
直り現象として、彼らは「忠犬-アメリカのポチ」でしか活用が無いという役割を担わされた事実と
現実が"小泉内閣以後"の自民党のお仕事であり、大臣在任中にどれだけの「ファミリー利権」(従来
の"天下り"ではない、)を手中にするか?のご褒美をもらって粋がっている日本における
新自由主義者たちを抱き込んだ戦略と読む。そして、彼らは当然、"アベノミックス"以後、日銀の
政策も今後変わらない、"円安"が続くと読んでの動きでもある。

 5)世界のファッションの世界でイニシアティブをとる白人たちはグローバル以後、
「日本人と中国人の違い」を現実の上でよく学んだ。

 彼らたちは同じアジア人種でも、日本人と中国人と韓国人の"民族性と国民性"の違いを2000年
以降、積極的にビジネスを行なってきた経験から熟知した。その上で改めて、彼らたちは「アジアン
マーケットは上得意さま」である事を再認識し、「今後もますます、アジアンマーケットが大事で
あり、コントロールすることが自分たちのビジネスの地盤である。」を確信させた。
 結果、「イエローたちから稼ぎ、その稼ぎをより、白人たちのバニティーな欲望を満足させる。
すなわち、"ラグジュアリー"をより、輝かす。」という、この構造化が具体的には"パンデミック
以後"始まったと読もう。
 しかし、この構造のオリジナルは'90年代バブルを経験し、強化した彼らたちの「ファッション
ビジネス構造」そのものにオリジナルがあった。それは、「オートクチュールとプレタポルテ」の
関係性とその構造でしかない。もっと、わかりやすく言って仕舞えば、"インポートとライセンス"の
関係あるいは、"ラグジュアリーとファストファッション"の関係である。
 彼らは今後、世界的「格差構造」が構築される社会を熟知した上での発想で、この関係性を現代の
"地政学的"に再構築したに過ぎない。この彼らたちの根幹発想はなんら、「近代」と「後期近代」の
域を出ていないのである。
 
 6)中国はもう「グローバルサウス」ではなく、「グローバルノース」と言う認識である。
 この視点と認識は今後より、重要かつ、大事であり特に、日本人の昭和世代の脳みそを入れ替え
なければならない。例えば、極論すれば、「もう"中国産/Made in China"は安くない。」という
視点を持たなければならないこと。
 従って、ここでも「アジアンマーケットのバブ化」が変わらず、今後の日本の国際社会での役割で
あり、その位置付けも「グローバルサウス」に一番近い「グローバルノース」となる。
 そこで、この「アジアンマーケット」とは20年ほど前までは「日本しかなかった。」現実がこの
10年ほどで、「中国と韓国そして、日本」という位置付けになってしまった現実も読み込むべきである。
 「グローバルノース」と「グローバルサウス」の"位置つけとその役割分担"も現実には、白人社会
が「二元論的視点/dualist ontology」に基づいて一方的に自分たちの都合で身勝手に決め付け、
ロジック化したものでしかない。そして、この根幹は過去の"植民地政策主義"に由来している。
 そして、彼ら白人たちが決めつける「グローバルサウス」とは元来、国連などの機関がアフリカ、
アジア、南米を指す地理的な区分としてこの用語を用い始めたがグローバリズム以降、研究者や活動
家が「現代の資本主義のグローバル化によって負の影響を受けている世界中の場所や人々」を指して
「グローバルサウス」と呼び始めた新たな"地政学"的言葉である。
(参照/https://www.vogue.co.jp/change/article/words-matter-global-south)
 今後の日本のアジアにおける"地政学"的な位置は"「グローバルサウス」に一番近い「グローバル
ノース」"という極めて"グレーゾーン"として今後の日本の存在価値が求められるのであろう。

 7)LVMH社のM.ベルナール アルノーのビジネス戦略の読み方の強かさとは?/ 
 このベルナール・アルノー氏の突然の行動は、やはり彼らの強かさである、"先読み"結果であり、
「日本のおいしいところはところで、十分に使い勝手がある。」と言う、"どちらか、ではなく、
どちらも"と言うユダヤ発想なのだ。
 例えば、日本の繊維生産工場の"ハイ技術とクオリティと誠実さ"を認めての"新たな工場漁り"の
一環であり、3番目の事項では、「日本人の器用で、感性豊かな優秀な"モノつくり人間"までもを
自分たちの虚飾なレッテルを利用して、自分たちの"投資材料"にする下心で、"コラボ"という
「今だけ、金だけ、自分だけ」の白人目線の「新・自由主義」戦略を翳している。
 従って、ファッションという括りの、"服"から靴、バッグもそして、香水と化粧品、貴金属も時計
もテーブルウエアーに至るまでのビジネスは、やはり顧客になり得るのは少数の白人富裕層と大量
顧客としてのアジアンマーケットを主軸とした構造を維持することがビジネスの健全発展化に繋がり
近年の黒人たちへのアプローチは一種の"広告宣伝"と、"バニティな煽り運転"でしかないという理解
と認識と結論が彼の突然な"表敬訪問"だったのだろう。
 そこで、M.ベルナール アルノーは現在の「"ファッションビジネス"の根幹は『素材と生産背景と
その構造』をどのように負担するか、或いは構造化するか?」に懸かっているのが現実であることを
読み切った実戦略であろう。

 8)彼らたちのアプローチが今後どのような状況をもたらすのだろうか?/
 ポジティフに考えれば、「世界のラグジュアリーブランドに日本の匠力と技術力そして、日本人の
性格のモノ作りの良さの色々が認められた」ところでの"素材力と縫製技術"の高さであろう。
 ネガティブに考えれば、「白人に従順な国民性」を利用し「国内のアパレルとデザイナービジネス
がこの皺寄せを喰らい、いずれ倒産廃業化に及ぶブランドやデザイナーたちが増えるであろう。」
が勿論、考えられる。
 そして、この強かな世界のトップ企業は以後、事がうまく運ぶようであれば、テイの良い"A&M"に
よってあの"KENZO"の二の舞、「"援助"が"乗っ取り"に変身させられる可能性もある」までを経済
産業省のお役人さんたちは読み込んでいるのだろうか? ないだろう❗️

文責/平川武治:
初稿/2020年06月16日:

投稿者 : editor | 2022年7月 3日 15:10 | comment and transrate this entry (0)

, greeting(43)

何に「感謝」をすればいいのだろうか?  誰かに『ありがとう!!』って、言いたくなるときがありませんか?

 こんにちは、
又、新しい季節が訪れてくれましたね、
 お元気でいらっしゃいますか?

 何に「感謝」をすればいいのだろうか? 
誰かに『ありがとう!!』って、言いたくなるときがありませんか?

『 ―――「本質」を想い知ること。
その「根拠性」を手探りする。
そして、「関係性」と出会う。
必要である、大切な関係性であればその関係をどのように「継続」してゆくか?
その時、真こゝろの存在は、「本質」のカオスとエモーション。

唯、「表層」のみの漂いは自我の呻き。

巷には「表層」の呻きだけが。
従って、多くがのっぺらぼう。
無表情、薄っぺらな金メッキ。
なりすましが彷徨う。

自らの国を想う真こゝろ。
自分の国を愛する想い。
自然に守られて今がある僕たち。

四季の変化に育まれたこゝろ。
自然を見つめてください。
自然を想う真こゝろと
その現われのみに
明日のこゝろが。

不安は自由の眩暈。

1パーセントでいいですから
あなたの「エゴ」をセーブしてください。

モノを作りたい人。
買い物をしたい人、美食をしたい人も。
少し、「我慢」をして下さい。
こんな時代ですから、

自然が元気になります。
地球が楽になります。
いい空気が吸えます。

「生かされている」ことに「感謝」してください。
総ての「根拠性」はここからが出発です。
明日のための「本質」はここにあります。

ありがとうございました。

新しい季節が始まった6月の初めに。
                                  
合掌。』

 こぼれ陽に初夏のざわめきが、そのにほいと共に加わりはじめる鎌倉裏八幡にて。
ひらかわたけはる。

投稿者 : editor | 2022年6月 4日 15:58 | comment and transrate this entry (0)

, lepli(28)

"1992年の"地球サミット"(リオデジャネイロ)で、 当時、12歳の少女セヴァン=スズキが行った 「伝説のスピーチ」。

今年の桑沢デザイン研究所、全体講義のためのテキスト。
「1992年の"地球サミット"(リオデジャネイロ)で、当時、12歳の少女セヴァン=スズキが行った「伝説のスピーチ」全文です。
/ https://www.youtube.com/watch?v=oJJGuIZVfLM
 初稿/2022−05−10/参考テキスト:
 文責/平川武治:

1)はじめに/
 この「伝説のスピーチ」からもう30年が経っています。 
そして、この30年間で、新たに登場したITの世界やグローバリズム社会で"世界の富豪"に
成り上がった人たちが多くいます。
消費文化人になった人もいるでしょう。
お父さんやお母さんになった人もいるでしょう。
そして、新たに誕生した子どもたちも多くいるでしょう。
 
 でも、何が変わったのでしょうか?
地球が、自然が、水が、空気がどれだけ、変わったのでしょうか?
これらの環境での生き物たちや多分、子どもたちが息苦しくなっただけでしょう。
 30年も前の、この12歳の少女セヴァン=スズキが行ったスピーチは傍観者たちへいっときの
感傷を与えただけだったのでしょうか?

 今、"SDGs"を"サスティナブル"をそれっぽく唱えている企業の富裕層者たちは、政治家たちは、
学者たちは、メディアは、この30年前の12歳のセヴァン=ススキさんのスピーチをどのように聞き、
どのように自分たちの"こゝろ"に思い込んだのだろうか?行為に至ったのだろうか?
 この時期に誕生した"グローバリズム"という新たな「植民地政策主義」を利用して、
自分たちが儲けられる仕組みをより、構造化し、それを堅持し、今ではそれを"持続可能な"という
言葉を使い始めた人種たちはここでも、「今だけ、金だけ、自分だけ、」の「新・自由主義者」を
真面目に謳歌している輩たちであろう。

 例えば、「グリーンウォッシング/Greenwashing」という言葉を知っていますか?
この「グリーンウォッシング」は、消費者も時代の知識として知っておくべき、ボケブラリーです。
 「グリーンウォッシングとは企業のマーケティング戦略の一つであり、環境問題に関する公共利益
の上昇を利用し、その企業の環境に関する活動や商品について虚偽的、もしくは誤解を招く恐れの
ある発言をすることである。企業の好意的なイメージを作り出すために、関連する問題点に関して
完全に発表せずにポジティブなメッセージだけが選択的に伝えられる。」

(参照/By VOGUE/https://www.vogue.co.jp/tag/greenwashing)
 従って現在、多くの"ファスト ファッション"企業が使い始めている「サスティナブル」と言う
トレンドボキャブラリーのその実態はほとんどが、自分たちの企業のマーケティング戦略の一つとし
てのフェイクであると認識してください。

 これから僕たちや皆さんが考え求めるべき「豊かさ」とはどのような"豊かさ"なのかを、
もう一度考え直す時期が、この"COVID-19"禍後の"The New Normal"という「フツーが新しい」
が始まったからです。 "今でしょう!"。
 あれからの30年後に、"ファッション産業ビジネスが迎えた現実とは?"、
この30年間で新しく登場した、"コンピューターとケイタイ社会"そして、"グローバリズム"と
言う「新植民地主義」。それによって可能になった、「ファストファッション」の登場と、
「ハイブランド」の「より、虚飾化」。彼らは "グローバル サウス"と"グローバル ノース"の
「二元論」による"関係性"が生み出した、新たな世界規模の富裕層は「格差社会」を構築し、結果、
「地球と自然環境問題」「気象危機問題」「食料問題」「人口問題」などなどがこの30年間で新たに
登場し、認識された「深い負」の現実の一面。そして、「人新世」のプロブレムである。

 「強い国家」「強い科学技術」そして、「強い経済」で代表される20世紀、「戦後近代」を支えた
「力の思想」と「二項対峙」、「地球」と「人間」の「二元論」に依存するものではなくこの脆く、
壊れやすい地球と自然環境世界を"人間中心主義"的なる目線ではなく、"地球を慈しむ"こゝろで
"ケアー&キュアー"する、愛ある行為が、「これから生まれ、生きてゆく子供達のため」への、
考えなければ、なさなければならない、新しい「豊かさ」になるのでしょう。
 
 ここでは、お願いです、日本人の美徳でもあった、「倫理観」を忘れずに、決して、「近代社会」
の根幹であった、もう古ぼけてしまった「白人的二元論」だけに委ねることなく、
そして、「今だけ、金だけ、自分だけ。」の「新・自由主義」の日本人にはならないでください。
 文責/平川武治:

2)「伝説のスピーチ」全文/ By Severn Cullis-Suzuki : 
 『こんにちは、セヴァン・スズキです。
エコを代表してお話しします。
エコというのは、子供環境運動(ECO/Environmental Children's Organization)の略です。
カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、自然環境を守るための活動をしています。
 あなたがた大人たちに、どうか生き方をかえて頂くよう、お願いするために、
自分たちでお金を集めて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をして来ました。

 今日、私たちが話すことは、すべて嘘のない本心の言葉です。
なぜって、私たちが環境運動をしているのは、私たち自身の未来のため。
私たち子どもが、自分の未来を失うことは、あなたがた大人が選挙で負けたり、株で損したりするの
とは次元の違う問題なのです。
 私たちがこれから話すことは、未来に生きる子どもたちのためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。
そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちの泣き叫ぶ声は、あなたがた大人の耳には届きません。
どこにも行くところがなく、次々と絶滅して行く数え切れないほどの生き物たちのことも同じです。
だから、世界中の子どもたちや生き物たちに代わって、私たちが話すのです。

 太陽のもとにでるのが、私はこわい。それは、オゾン層に穴があいているから。
呼吸をすることさえこわい。空気にどんな危険な化学物質が混じっているか分からないから。
お父さんと一緒に、よくバンクーバーで魚釣りに行っていました。
数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまでは。
 そして今、毎日のように動物や植物たちが絶滅していくのを、私たちは耳にします。
一度絶滅してしまった生き物は、もう永遠にもどってはこないのです。
 私には小さいころからの夢がありました。
それは、いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルや熱帯雨林を
見ることでした。
 でも、私は見ることが出来ても、私の子どもたちは、見ることができるのでしょうか?
 
 あなたがた大人は、私ぐらいの年令の時に、今の私と同じように、未来の自分の子どもの心配を
したことがありますか?
 こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるで
まだまだ余裕があるようにのんびりと構えています。
 まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきりわかりません。
そして、あなたがた大人も、本当の解決法など持っていないと思います。
だから、せめて、「本当の解決法など持っていない」ということだけは、自覚して欲しいのです。

 あなたがた大人は、オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか知らないでしょう。
死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか知らないでしょう。
絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか知らないでしょう。
そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって緑の森をよみがえらせるのか知らないでしょう。
 
 だから、大人のみなさん、どうやって直すのかわからないものを、
壊し続けるのはもうやめてください。
 
 ここに集まっている大人のみなさんは、いろいろな国の政府の代表者や、企業や団体の代表者、
そして、報道関係者の人たちです。でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親であり、父親で
あり、姉妹であり、兄弟であり、おばさんです。
そしてあなたがたの誰もが、誰かの子どもなんです。

 私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。
そうです50億以上の人間からなる大家族であり、3千万種類以上の生物からなる大家族です。
 いろいろな国の政府や国境が、どんなに分け隔てをしようとも、私たち地球で生きるものたちが
1つの大家族だということは、変えようがありません。

 私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして
行動しなければならないことを知っています。
 わたしは、今のひどい環境を見て、怒りで心が震えていますが、それでも、自分を見失ってはいません。
 わたしは、今のひどい環境を見て、恐怖で体が震えていますが、それでも、自分の気持ちを世界の
人たちに伝える勇気を持ち続けています。
 私の国での無駄使いは大変なものです。買っては捨て、また買っては捨てています。
そして、そんなにたくさんの物を無駄にしている北の国は、物が不足している南の国と分かち合おう
とはしません。
 物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、少しでも手放すのがこわいのです。 
 
 カナダで暮らす私たちは十分な食物と水と住まいを持つ恵まれた生活をしています。
食べ物も、水も、お家も、何でも十分にあります。時計、自転車、コンピューター、テレビ、
私たちの持っているものを数えあげたらきりがありません。

 2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました
一人の子どもが私たちにこう言ったからです。
 「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、
住む場所をあげるのに。それから、やさしさと愛情もね。」
 住むところもなく、今日、食べる物もない一人の子どもでさえ、自分のことだけでなく、
みんなと分かちあうことを考えているのに、全てを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、
どうしてなんでしょうか?
 この子供達は、私と同じぐらいの年齢でした。私は、自分と同じくらいの年齢の子ども達が、
こんな生活をしていたことが、とてもショックで頭から離れません。
 同じ人間なのに、同じ大家族の一員なのに、どこに生れついたかによって、こんなにも人生が
違ってしまう。
 もしかしたら、私がここブラジルのリオの貧民窟に住む子どもの一人だったかもしれないのです。
そして、飢えに苦しむソマリアの子どもだったかもしれないし、大人たちの戦争の犠牲になった
中東の子どもだったかもしれないし、インドで乞食をしている子どもだったかもしれないのです。

 もし世界中の国の大人たちが戦争のために使っているお金を全部平和のために使えば、
環境や飢餓の問題のために使えば、この地球がすばらしい星になるでしょう。
 私はまだ子どもですが、それでもこのことを知っています。
小学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世の中でどうふるまうかを教えてくれます。 
 たとえば、
*争いをしないこと
*話しあいで解決すること
*他人を尊重すること
*ちらかしたら自分でかたずけること
*ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
*分かちあうこと
*そして欲ばらないこと
 ならばなぜ、あなたがた大人は、私たち子どもに「するな」ということを、
自分達はしているのですか?

 みなさんは、今日、何のためにこの会議に出席しているのか、
どうか、そのことだけは忘れないでください。
そしてこのような会議をいったい誰のためにやっているのか。
それはあなたがたの子どもつまり私たちのためなのです。
あなたがたはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めてようとしているの
です。 
 
 親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」といって子ども達をなぐさめます。
あるいは、「できるだけのことはしてるから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」と言いますよね。
 だけど、今の地球の環境を見たら、もうこんな言葉を自分の子どもに向かって言えないと思います。
 わたしたち子どもの未来のことなんて、みなさんの議題の中にすら入っていないじゃないですか。
みなさんは、私たち子どもの未来のことを本当に考えてくれているのですか?

 私のお父さんは、いつも、「人間の価値は、何を言ったかではなく、何をしたかで決まる」と
言っています。でも、私は、あなたがた大人がこの地球に対していることを見て、泣いています。
それでも、あなたがた大人はいつも私たち子どもを愛していると言います。本当なのでしょうか?
もしそのことばが本当なら、どうか、本当だということを言葉でなく、行動で示してください。
 
 最後まで私たちの話をきいて下さって、ありがとうございました。』
参考/ YouTube/
Severn Cullis-Suzuki at Rio Summit 1992
/https://www.youtube.com/watch?v=oJJGuIZVfLM

投稿者 : editor | 2022年5月16日 20:16 | comment and transrate this entry (0)

, article(134)

『明日という未来の始まり』への眼差し−1/「THE NORTH FACE」と「UNIQLO」ー"COVID-19"がもたらした、"New Normal"の新しい情景。

『明日という未来の始まり』への眼差し−1。/
勝ち組ブランド、「THE NORTH FACE」と負け組ブランド、「UNIQLO」の差異としての
"企業文化度"。/

初稿/2022年03月03日:
文責/平川武治:

 一度も、外国へ出掛けない35年ぶりの24ヶ月が過ぎてしまいましたがこのような、世間とそれ
なりの隔たりを持ってすでに、生かされてきている僕には、このゆったりとした穏やかな時間の流れ
は自然の四季を愉しみ、また新鮮で新たな好奇心も見出せたようです。
 まさに、「速度は豊かさを隠し、深い観想的な注意の可能な時間」を実体験で知らされた日々で
す。
 そして一歩、巷へ出ると、"COVID-19"がもたらした、全く異種で過剰な、散漫な注意によって
ますます文化的所産の根幹が隅へ追いやられた、"New Normal"の新しい情景が見え始めますね。

1)やはり、"国民的ファッションブランド"にはなりきれなかった、ブラン「UNIQLO」
COVID-19禍以後で、巷で見かける一人勝ちしたブランドは「THE NORTH FACE」であろう。
 "ショルダータトゥー"の位置にマーキングされているロゴの「THE NORTH FACE」。このマーク
がCOVID-19禍以後、やたらと目につく。上下各ウエアー類からサックそれにキャップや手袋に至る
まで。多分、これがCOVID-19禍以後の"独り勝ちブランド"であろうか。
 これはCOVID-19の免疫性を衣料品類に考慮した「プロテクション」というコンセプトによって選
択された結果であろうか?それに、ワールドワイドなブランディングイメージからのカッコ良さとオ
シャレ感も踏まえたいわゆる、"機能性と良質さとファッションセンスそれに、外国モノ"であり、
このブランド企業の育ちとコンセプトとミッションが現在のCOVID-19禍以後の社会不安に対して他
者を引き込むマジックを持っているためであり、これにのかったメディアの後押しと共に、功を奏し
た"足し算"によって、決して安くないこのブランドが"独り勝ちブランド"になったのだろう。
 現在のこのブランド、「THE NORTH FACE」の日本での商標権は古くからのスポーツユニフォーム
メーカーの"ゴールドウイン社"がホールディングしライセンスビジネスを行なっている。

2)では、どこのブランドがこの"New Normal"に乗っ取られてしまったのか?
 この煽りを食って、結局は"衣料品ブランド"に落ち着いてしまったのが、「UNIQLO」であろ
う。

 いわゆる、新たな時代への転機となる可能性があった"New Normal"に「ファッションブランド」
というカテゴリィーでイニシアティブが取れずに、完敗してしまったと読めるべき現象が今も続く。
 本来なら、「UNIQLO」はこの"New Normal"以後にあるいは、これを機にして、従来からの羨望
と相当な広告費を使って煽ってきたはずの「国民的ファッションブランド」の立ち居場所を取るべき
確実な戦術と戦略が必然であったはずだったのに。
 この根拠は、現在の「ファースト リテーリング」が持っている筈の「企業規模と資金力そして、
日本の技術力と素材力加えて、日本人魂」によって可能であった筈だからだ。しかし、残念ながら
この結果が全く見えずに、実市場では惨めにも"完敗"してしまっているようだ。この企業もその生い
立ちによって、今は多くの環境問題や雇用問題の根幹、"グローバル・サウス"問題を抱えてしまって
いるが、そのための企業倫理への投資も見え難い。それに今後日本においてもこの1月に世界に先駆
けて法令化された"フランスにおける「衣服廃棄禁止令」"が取り沙汰される日も近いで
あろう。そうなれば、真っ先に矢面に立たされるのがこの「UNIQLO」であり、このブランドを追随
してきた後発の諸SPAブランドなのだろう。

3)では、この"一人勝ち"を許した根幹とは何だろうか?を考えてみよう。 
 「THE NORTH FACE」と「UNIQLO」、両ブランドの「差異としての"育ち"の違い」が根幹
要因として考えられる。

 この「THE NORTH FACE」はあの'80年代には世界を風靡した当時の"ファスト・ファッション"
の元祖ブランド、"エスプリ"の創立者でもあった'43年生まれのダグラス・トンプキンスと彼の妻、
スージーが'60年代半ばに設立した、元ヒッピーたちの"カウンター•カルチャーコンセプト"を企業
化し成功させた典型的な企業である。その後、この"エスプリ"を香港とドイツの企業にそして、
「THE NORTH FACE」も米大手アパレルのVFcorporationへ売却した。その後、トンプキンス夫妻
は"PATAGONIA"の立ち上げにも参画した、自然保護論者でありその実践者として彼が、2015年12月
にチリ領パタゴニアでカヤック事故により亡くなるまで"ディープ・エコロジー"の支持者であり、不
屈の"当事者"であった。このブランド「THE NORTH FACE」の企業理念には"ヒッピー魂"が確固た
る信念と気概があり企業構造の根幹になっている。
 この「THE NORTH FACE」の「企業文化度」が昨今の"COVID-19"が不確実な時世を生み出した
現在という時代には何よりも"人心を落ち着かせる"一人勝ちブランドとなったのであろう。
(参照'http://www.tompkinsconservation.org/news/en/2015/12/09/douglas-tompkins-a-force-for-nature/)
 
 一方、「UNIQLO」の育ちは、'49年生まれの柳井正氏が小郡市で先代からの家業であった、メンズ
衣料品店を引き継ぎ現在に至っている。『紳士服小売りの「メンズショップ小郡商事」を立ち上げ、
1963年にファーストリテイリングの前身となる小郡商事株式会社を設立した。その後、1984年に父
の後を受け小郡商事社長に就任。「ユニークな衣料 (clothes) 」ということで「ユニーク・クロ
ージング・ウエアハウス(Unique Clothing Warehouse、略称ユニ・クロ)」と銘打って同年6
月、まず広島市にその第一号店を開店。1号店は今と異なり、有名ブランドを安価で販売する形態。
(いわゆるバッタ屋に近い。)ユニクロで買い物をするのは「恥ずかしい」との評があった。この時
期に、姉妹店としてVAN専門のVANSHOPも経営していた。』これが「UNIQLO」ブランドの"育ち"で
ある。(参照/https://ja.wikipedia.org/wiki/柳井正)
 その後、'91年に社名変更をし'96年以降グローヴァリズムの追い風と商社の入れ知恵に乗っかり
当時の、"ヤンキーたちのマイルド化"をターゲットに現在の"怪物企業"へ成長を遂げる。2020年の
柳井正氏の個人資産は推定資産243億米ドル(約2兆5889億円)、世界ランク41位、日本ランク1位だ
そうだ。(参照/https://ja.wikipedia.org/wiki/柳井正)

 ここで、一つの視点として『両ブランドの「差異としての"育ち"の違い」が根幹要因として考えら
れる。』、あえて言って仕舞えば、"持ち得た「夢」以上の現実を手中にしてしまった人たち"が
どのように、「上手なお金の使い方」が成されるか?これがその人の「人格あるいは、品性」の根幹
になろう。いわゆる、「金持ちランキング」における数字にその拠り所が所在するのではないだろう
そして"人間の育ち"とはこんな現れ方をするものなのであろう。
 現在的には、"知的にあるいは、人道的に、または地球にそして、自然環境に、"上手なお金の使い
方はその企業あるいは商標としてのブランドにも今後、「全ての差異」を生む。

4)追記/スージー&ダグ トンプキンス夫妻と倉俣史朗さんと八木保さん。
 最後に、彼ら、スージー&ダグ トンプキンス夫妻には案外日本人の知人が多くいた 
僕の個人的な思い出では、僕が大変、リスペクトしていた知人でもあったインテリアデザイナーの
故倉俣史朗氏が"エスプリ"の香港1号店のショップを'84年にデザインしその後、東京に構えた
"エスプリゲストハウス"もデザインする仲だった。
(参照/http://blog.livedoor.jp/hk_designworks/archives/53355068.html)
 また、84年頃には"浜野商品研究所"からサンフランシスコの"エスプリ本社"へ、スージー&ダグ
たちのラブコールと倉俣さんの繋がりで移籍して、"エスプリ"のアートディレクターとして活躍なさ
っていた八木保氏がいらっしゃる。彼は'90年代半ばに、ファッション業界でパルファンブームが
起こった時に、あの"ベネトン"も香水を発売したことがあった。この時のボトルデザインも八木保氏
がディレクションしその後、サンフランシスコで独立なさり、"Tamotsu Yagi Design"を設立。
以後、ダグたちとの関係性からスティーブ・ジョブスと一緒に仕事をした数少ない日本人グラフィッ
ク&アートディレクターが八木さんである。(参照/http://www.yagidesign.com/)
 そして、"釣り仲間"から"PATAGONIA"の日本上陸に一役買った浜野安宏氏もいる。

 '70年代、世界では元ヒッピーたちがその後、自分たちの生き方やそのコンセプトである「豊かさ
からの逃避」の当事者となりその後この経験を事業化し、成功した例は、このファッション業界には
案外、多かった。
 多分、この「豊かさからの逃避」に"新しさ"を求め始めたのが今の「Z世代」なのだろう。
文責/平川武治:#
初稿/2022年03月21日:

投稿者 : editor | 2022年3月 5日 15:21 | comment and transrate this entry (0)

, article(134)

T.S君への手紙をもとにして、「柳宗悦」没後60年、民藝100年記念展と「NIGO版KENZO」ブランドについて。

タイトル/<T.S君への手紙をもとにして、「柳宗悦」没後60年、民藝100年記念展と
「NIGO版KENZO」ブランドについて。>

文責/平川武治:

 T君、わざわざのバースデーメールありがとう。
そう、今年の誕生日は「喜寿」。
そして、あなたと出会ってからもう20年ほどですね。
嬉しい限りです。
こうして、今もメールが交換でき、話したいことが話せて、
時折、逢いたくもなる君がいることが幸せです。

 ご実家のご両親はお元気なのでしょうか?
此のような時世、何が起こるかわからない日々ですからね。

 時折、僕が好きなクラッシックなS.F.の作家、A.C.クラークのSF小説の「天の向こう側」の
エンディングをサンボリックに思い出してしまうまでの、
今までが、確かだったモノやヒトが一つづつ消えてゆくまでに感じるこの頃。

僕の鎌倉生活は、36年間、一度も外国へ出なかったこの22ヶ月です。
その分、この鎌倉の四季を実際に自分の目と鼻と耳とこゝろで感じる機会を作り、
大らかに、穏やかに結構、幸せです。
陽の動き、輝き、瞬き、風の匂いと葉の揺らぎ。
今では愛猫ミケーレと共に、穏やかでミニマルな日常を送っています。
最近はリスさんにも餌をやり、あとは、掃除、洗濯と手料理、そして勉強と読書がルーティーンの
日々です。
新しいことといえば、昨年出会った若い人たちと、毎週オンライン会議をして色々、好奇心と刺激を
もらったりあげたりでしょう。

 先週、「柳宗悦」没後60年、民藝100年記念展と銘打った展覧会へ久しぶりに東京へ出かけまし
た。最終日前日だったので混んでいました。もっと、年配の人たちが多いだろうと思っていたのです
が、若い人たち、美学生やデザイン生たちの多かったのにはちょっと驚きでした。
 やはり、戦前の彼らたち、柳や"白樺派"の人たちが活躍できた時代そのものが、いい時代だったと
いうことを改めて思い知らされました。一つのものに魅せられることで集中できるポジティフな
エネルギィーの凄さと大切さ。そして、此の時代の人たちの「文化」+「伝統」+「宗教」=「宗教
美学」というバックボーンを新たな美意識、「民衆の生活美」にまで昇華させた、"プロパガンダ"
運動でしたね。今的な言葉を使えば、「民藝」という"ブランディング"の旨さでしょう。これらを
改めて、"柳宗悦"を軸に俯瞰視出来た展覧会でした。

 が、戦前から戦後の彼、"柳家"の裕福さとそこから生まれる"エリート意識"、そこから生まれる
眼差しと自負できる仕事としての「民藝運動」というシナリオとその活動は、「宗教団体」の如きを
思わせる実態であったことをどれだけ若い人たちが知っているのでしょうね。展覧会でも展示されて
いた仕立て服「ホームスパン製の3ピース」はこの世界のそれなりの人たちの"ユニフォーム"になっ
ていましたね。また、東大前にある"日本民藝館"を訪れた人たちはその建築の重厚さと素晴らしさを
体感しているでしょうがあの建造物は生前の"柳"家の住宅だったのです。
 しかし、戦前の富裕階級社会の人たちの気概と気骨を持った「上手なお金の使い方」が生んだ
"文化ムーヴメント"の一つであったでしょう。そして、彼らのその美意識と思想を信じてきた人たち
が少しずついなくなり始め、この世界もその後の「消費文化」に吸い込まれた現代という時代性。
そして、ここにも、あの「天の向こう側」のエンディングを感じてしまいますね。
「天空から、ひとつ、ひとつ消えてゆく星、星、、、」

 この展覧会を訪れた若い世代の人たちが、これからの彼らたちの,"メタ バース"も含めた「日常」
における「生活の美」は?ここにも、何かしろら「倫理観」が必然なのですが、彼らたちはここに
彼ら富裕階級から文化教養としての「仏教美学」を持ち込みましたね。
 僕が二十歳になって、憧れた陶器の世界としての"民藝"の世界と、河井寛次郎氏の弟子で、
この世界でモノつくりをなさっていた陶芸の師、故生田和孝氏の丹波の窯元で僕がお世話になった
3年間へ思わずワープしてしまったのですが、この展覧会を訪れていた現代の若者たちが憧れる
「生活の美」とは?そのための「新しいモノ」を作るための"根幹"と"必然"と"憧れ"とは?何か?
その生活の精神のバックボーンになるまでのものを必要としているのだろうか?
それが"ブランドもの"でいいのだろうか?
あるいは、ヴァーチュアルな"メタの世界"には不要なのだろうか?

 そうですか、NIGO版KENZOのお手伝いをなさったのですね?
僕は、高田賢三さんからKENZOブランドを強制買収したことそして、それ以後、此のブランドに対し
て、日本人をリスペクトせず、誰も日本人ディレクターを起用してこなかったことなどなどの理由で
僕は企業LVMHと、M.アルノーが嫌いなので近ずかかったのです。
 が、ここに来て、亡くなった、ヴァージルの"恩返し"的なアドバイスで此の「NIGO版KENZO 」が
誕生したことには少し心動かされました。
 しかし、所詮、此の企業の事ですから、全て、「ビジネス」と「MD」ありきの戦略。
アジア人顧客としての"中国市場と日本人市場"と"コーリャンアジアン市場"の再構築と、
それに"ブラック市場"が相乗りしてくれば、という思惑と魂胆が読めてしまうますが。
 そして、出来れば、「Z世代」へ向けての"ハイブランド NIGO版KENZO"の誕生でしょう。
そのNIGOくんの20年前の"APE"と多くのプロパガンダ活動は裏ハラから香港経由の中国市場へ、
これらの仕事が今、「時代に乗っかる。」というビジネス マインドな狙いでしょう。
 ただ、NIGOくんがしっかりしているのは、M.バーグ氏という此の企業のCEOのビジネスマンと
その関係性を2006年来、ずーと継続してきたことに尽きるでしょう。(この経緯は前回の日経新聞
日曜版の「ヴァージル熕」で詳しく書いたので省略します。ご一読ください。)
 外国を訪れる日本人の殆どは、「デザイナーとお友達」という関係性で満足している輩ですから
ね。ご存知のように、パリのハイブランドは全て、"ビジネスありきで、全てが決まる実業の世界"で
す。トップが変われば、ディレクターも変わる構造です。彼らたちトップが、次にターゲットにする
"風向き"にどのようなサーフするかのタレント性とディレクション力ですね。
 彼のコレクションが、いつも僕がいうように3シーズン目が極めです。
この3シーズン目までで、どれだけ、彼らが目論んだ顧客を手中にできるか?
それによっての今後でしょう。
 この"KENZO"は此の企業グループにおいては"プレタポルテ/ハイブランド"ゾーンです。
この企業が持っている数多いビジネスのうちで、「免税店ビジネス」のライセンスを持っているの
で、この"KENZO"ブランドも、買収当時はこれら免税店で発売されたばかりの「香水KENZO」を売る
為の戦略だったのです。その後、このブランドは"子供服から大人服"という日本的ブランド構造を
構築し継続されてきたブランドですね。これはこれからも中国や韓国そして台湾などの"アジアン
マーケット"で利用価値ありきの構造だからです。極論すれば、「免税店での今後のKENZOブランド
の売り上げ」が伸びれば、NIGO君の"KENZO"も成功でしょう。これは、NIGOくんにも進言してあげ
てください。
 そして、あなたがどのような立居場所で、どのような関わりをしているか?
僕には不充分な情報ですが、デザイナーレベルとのリレーションはその"レベル止まり"です。
「上手な時間とスキルの使い方。」をこれからの君の"自分世界"へ惜しみなく、それが君の"経験"と
いう"資産と差異"になるでしょう。これを今後どのような"力"に、どの世界で変換してゆくか?が、
今後の君の課題でしょう。

 もし、ご帰郷のチャンスがあれば、ぜひ、鎌倉へもお立ち寄りください、
ミケーレさんも会いたがっていますゆえ。
ご自愛と共に。
合掌。

文責/平川武治:
初稿編集/2022年02月22日:

投稿者 : editor | 2022年2月27日 18:02 | comment and transrate this entry (0)

, article(134)

僅か、3年ほどの"夢の跡"。ー Virgil Ablohへのオマージュ。ーー"ブラックマーケット"は何処へ?;

はじめに;
 この原稿は日経新聞日曜版のための下書き原稿です。
新聞原稿のために、"文字数の制限とわかりやすさと根拠性"について厳しく校正され、
2022年1月16日の日曜版に掲載されたもののオリジナル原稿です。
 
 この原稿のために調べたことで面白かったのは、
「NIGOくんとカニエ ウエストとバージル アブローの関係性とその出会い」であり結果、
それによって、それぞれが求める"夢"が実現された経緯が理解できた事です。
 僕がよく言っている「出会うべき人に出会わなければ、その次なるが無い。」を地で
行った彼ら、この三人でした。

******
 『「 流行は夭折する。さればこそ流行には、あんなに重い軽さがあるのだ。」
 By J.C."大股開き"より。
僕はこのJ.コクトーの言葉が好きである。この言葉を昨年、11月28日の日曜日にシカゴ
で41歳で急逝したデザイナー、ヴァージル・アブローに捧げる言葉として僕は選ぼう。
 彼も「OZの魔法使い」よろしく、彼自身の「自己証明」として、モードキャピタル、
パリへ9年ほどの時間を費やして"イエローロード"を辿り、2018年6月21日に
"ルイ ヴィトン オム"の黒人初のファッション ディレクターに抜擢され凱旋した。
そして、一昨年7月には、LVMHの75のブランドを統括する新しいポジションに昇進し、世界
で最強のラグジュアリーグループの中の、最も強力な黒人アースティックディレクターと
なった。そして、もう一つは2014年から立ち上げた自身のブランド「オフ ホワイト」の
カルトデザイナーでもあった。

 僕がアブロー氏に感じた印象は、真面目すぎる純朴さと恥じらいのその笑顔がチャーミン
グだったこと。彼は今後、来るべき若き黒人デザイナー達の為にというサクリフィス的姿勢
を自分の使命とも考えて兎に角、真面目に働き過ぎた。アブロー氏のパリ凱旋後の3年ほど
の時間の経過において既に、彼は希少な癌である心臓血管肉腫と2年間の闘病とも戦ってい
たのです。

 ことの発端はローマのFENDIスタディオへ2009年に親友であり、パリのハイブランド
を共に目指す戦友であったKanye Westとインターンシップを500ユーロの月報酬で始め
たことから彼らのこの旅が始まった。自分たちが目指す目標がしっかりと定まっていた事と
グローヴァリズム以降に吹き始めた"モードの新しい風"が彼らたちに強運をもたらした。
 彼らの目標とは、「スニーカーとハイ モード」の融合すなわち、「ハイプビースト・
カルチャーとラグジュアリーな世界」の架け橋となることだった。そして、彼がパリへ辿り
着く数年程前からモードの世界に、もう一つの"新たな風"が黒人社会から吹き始めた
リアリティを既にアブロー氏は感じ始めていた事による更なる高みへの"旅"であり、好奇心
でありそして、目標であった。
 新たな顧客を呼び込もうと、彼らたち黒人の消費者が着たがるものだけでなく、ブランド
がデザイナーに求めるものそして「ファッション」の意味そのものをも結果、変革させたの
がアブロー氏の"あんなに重い軽さ"だったのだ。

 FENDIスタディオでのインターンシップを終えたアブロー氏のその後は、2012年に
ウェスト氏の会社である"DONDA"のクリエイティブディレクターを経て、彼らは二人の
アートワークブランド、"PYREX VISIONP"を立ち上げ翌年、2013年からはこのモードの
"新しい波/ヌーヴェル バーグ"を早熟に感じたパリのAPCのジャン トイッツーの呼びかけ
で、彼らの1回目のデニムラインのコラボをN.Y.で立ち上げ、ファッションブランドとして
本格始動した。その翌年にはこの"PYREX VISIONP"を"OFF WHITE"と改名し、2回目の
APCとのコラボも2015年に行うまでの流れ。この年には、ブランド"OFF WHITE"でLVMH
アワードに参加して最終選考に残った。このブランド名も彼の目標であった、"ハイファッ
ションとストリートウェアの対話を伝えること"に由来し、黒と白の間、その中間点は両方
のジャンルのファッションの混合を意味したかったという。

 3年程のアブロー氏のL.V.オムの仕事で言えば、彼は新しいシルエットを生み出すような
偉大なデザイナーではなくむしろ、「ミレニアル世代のカール・ラガーフェルド」だったと
評価されている。クリエーティブというよりは、時代の空気感を読んでアレンジやチューニ
ングが上手く、これらを多くの"コラボレーション"手法でいわゆる、"他力本願"にまとめる
ことに優れたセンスがあった"ファッションDJ"の一人。しかし、彼にとって服はただの衣服
ではなく、アートであり、音楽や政治や哲学の節点に位置するアイデンティティのトーテム
であった。さらにSNSとデジタルの世界を闊歩して見慣れたものを再文脈化し、文化的な
オーラを与えることを知的にこなした。
 ここではっきりと言えることはこれからのモードの世界における人材としてのディレクタ
ーに望まれる資質とは彼のように、個人が持ち得た"文化度"です。
 「純文化+カウンターカルチャーと消費文化+ポップカルチャー」のバランス観。
この二つの"文化観"をどのようなバランスと時代感を持ってディレクションが可能か?が
望まれる資質でしょう。アブロー氏はこの"消費文化"を'95年頃からの東京の「ウラ原」
系デザイナーの仕事と古着から大いに学んだようだ。そして、実際のコレクションでは
わかりやすい色で端的に表現して構築的に纏めた大胆さでしょう。この視線で他のブランド
ディレクターを見るとこれが上質に,ビジネス的にも成功しているのが、"GUCCI"のA.
ミケーレです。彼が演出するイタリアンアイロニーやペーソスやキッチュの纏め方に彼なり
の高度な"文化度"をイタリア人たちが認めているからです。同じように、アブロー氏の纏め
方もスケーターとラップと現代アートや建築などをアイロニックにそのブリコラージュの
上手さがこのブランド、L.V.オムが目指したブラックマーケットで世界制覇という企業の
ビジネス戦略を具現化したことだった。結果、黒人たちだけではなく白人のミレニアム+
Z世代までも引きつけた。僕たち日本人もこの「純文化」と「消費文化」をどのようにバラ
ンスよく持ち得るかが、今後の個人の資質になるのでしょうが、日本人の多くは、ほとんど
が「消費文化」の中で育ってきた世代だから難しいですね。

 最近のラグジュアリーブランドが求め始めたビジネスの新しさは"階級ある顧客層"或いは
それなりの"教養を持つ富裕層"への「ブランド=文化」をお届けするというニュアンスもし
くは、エモーショナルな世界です。彼ら達のアートディレクションとはやはり、この
「ブランド=文化」がモノ作りから広告宣伝そして、SNSによるイメージディレクション迄
が新たなカテゴリィーなのです。そして、パリの"ラグジュアリーブランド"メゾンはいつも
先ずは、"ビジネス戦略ありき。"であり、その戦術をトータルにディレクション出来る
ディレクターのみが求められるのです。決して、"作り手ありき"の、デザイナーの世界では
もうありません。

 では、白人たちのビジネス戦略によって輩出されたカルト ヒーロー、アブロー氏亡き後
の"ブラック マーケット"はどのような変貌を見せるのか?実際のところ、誰か次なる代役
を生み出さない限りマーケットへの訴求力は落下するだろう。
 ここではやはり、このブランドのCEOであるマイケル・バーグ氏がどのようなビジネス
戦略を企てるかに全てが懸かることでしかない。しかし、予測出来ることが3つある。
一つは、このまま"ブラック マーケット"を継続する。この場合はアメリカ人黒人デザイナ
ー例えば、K.ウェストに1年ほどを委ね、その間に才能とバランス感覚が良い若手新人を
探す。二つ目はこれを機に再度、中国マーケットおよび日本マーケットを標的に考える。
この場合に考えられるのが、"NIGO"が立ち上げるKENZOの結果を見てL.V.へ回すか?
青田狩り的には"YANG LEE"なども考えられるか?3つ目は、初心に戻って、白人マーケッ
トの"ミレニアム+Z世代"へあのBottega Veneta のクリエイティブ・ディレクターだっ
た奇才な才能を持つ、"ダニエル・リー"で再挑戦する。彼がライバル企業にいたことでの
話題性そして、イギリス人クリエイターであることが決まり手?
 しかし、ここではあくまで、CEOのM.バーグ氏の次なるビジネス戦略に委ねるしかない。

 ここで、NIGOくんの名を出したが、2006年に彼はローマのFENDIのパーティ
「B.MIX PARTY」のプロデゥースの仕事を受け当時、デザイナーであった"シルヴィア・
フェンディ"と出会い、彼女の紹介で、やはり当時、FENDIのCEOをやっていたM.バーグ氏
に会っている。そして、パーティーに参加していた、K.ウェスト氏とアブロー氏とも出会っ
ている。そこで、彼ら二人をM.バーグ氏に紹介したのはNIGOくんであった。このFENDIで
の彼らたちの出会いが、その後のアブロー氏のL.V.オムという立居場所であり、NIGOくん
のKENZOに繋がっているという"イエローロード"によって行き着いた強運なそれぞれの出会
いであった。従って、キーマンはやはり、M.バーグ氏の企て次第であろう。 

 僕自身はやはり、残念なる夭折でしかないと沈む。彼が今後どのような"ブラック
ラグジュアリー"へ向けて、そして、"ブラック・デザイナー"志望の若者達へ、未来の世代
にインスピレーションを与える文化観の力を深く信じ、どのような新たな世界を生み出して
くれるか見ていたい一人でした。ただ、彼ら達は案外若い頃からドラックにハマった経験が
あるので、余計に身体そして、精神もボロボロになってしまっていたのかもしれませんね。

「 流行は夭折する。さればこそ流行には、あんなに重い軽さがあるのだ。」
をわずか16年で駆け抜けたVirgil Abloh。

 蛇足的に、最後に、一つの確実に訪れる新たな現実。
例えば、戦後の日本人もあれほどまでに外国人たちの生活様式やファッションに憧れていた
民族なのに、今の"Z世代"の若者たちはむしろ、「民族衣装としての"和物"」に新鮮さと
懐古としての憧れを抱いている。この要因は生活が豊かさと充足感を生み出したベクトルで
あろう。では、今彼らたち"ブラック マーケット"に鬱つを抜かしている世代が落ち着いた
時には、彼ら黒人たちの文化度豊かな人たちは彼らたちの"ロコ ファッション"に回帰する
だろう。では、このターニングポイントがいつか?
 例えば、日曜日のパリのメトロで見かける黒人のご婦人たちが教会へゆく姿、それは彼ら
たちが豊かさを誇る一つのコードとして、素晴らしい"ロコ ファッション/民族衣装"を
着ている風景に出会う。

 参照/日経新聞日曜版1月16日/"THE STYLE"

文責/平川武治:
初稿/2021年12月18日:
出向/2021年02月08日:

投稿者 : editor | 2022年2月 8日 22:31 | comment and transrate this entry (0)

, lepli(28)

スローな新年のご挨拶と、"NOTE"「 平川武治の全仕事・私文古書庫」のお知らせ。

 みなさま、新たな年が明けて既に1ヶ月が過ぎました。
ちょうど、「中国の新年/Happy Lunar New Year」祭事が始まったところです。
 が、日本は今だに"オミクロン"によって、"柔らかいファッシズム"の渦中で、
騒々しい時世が続いています。
 が、みなさまはお元気でいらっしゃることでしょう。

今年の僕の新年のご挨拶は、このようなものでした。
 " Breathing in, I calm my body.
Breathing out, I smile.
Dwelling in the present moment.
I know this is a wonderful moment. "
 
 これは僕が最近、興味を持って読み込んでいる、ヴェトナム僧、
ティク ナット ハン著作の一つ、「ビーイング・ピース」から引用いたしました。
 「息を吸い、体を鎮める。
息を吐き、微笑む。
この瞬間に生きる。
素晴らしい瞬間だと知る。」
 この21ヶ月の続く「コロナ禍」の時世の営み方の一つでしょう。

 そして、今年の僕のメッセージは、
「現世で起こり得ることは全て二項対峙ではなく、非対立であり、
しかも、二つではないのです。」-人新世への為に。

 " Everything that can happen in this world is
It's not a binary confrontation, it's a non-confrontation.
And there are not two.
-For the Anthropocene."

です。
 この発端は「近代の終焉」という最近の僕の眼差しでありもう、このような
「近代西洋」起源の〈開発〉パラダイムである、"世界を分断する二元論的存在論
(dualist ontology/ディオロジスト オントロジー)"から脱却を
こゝろする年だという視点と願いを込めてのメッセージです。

 「喜寿」を迎え、スローなる新年の挨拶になりましたが、
今年もよろしくお願いいたします。


 そして、
しばらく、この"Le Pli"をご無沙汰いたしておりました。
理由は、アーカイブ版を再版していた為です。
しかし、昨年末から、この"ARCHIVE LePLi"を "NOTE"にて逐次、発表してゆくように、
新たに、"NOTE"「平川武治の全仕事・私文古書庫」を開設しました。
ご関心、ご興味ある方はぜひ、この"NOTE"/「平川武治の全仕事・私文古書庫」を訪れ、
ご高覧ください。
 "NOTE"/「平川武治の全仕事・私文古書庫」
 どうか、
穏やかで豊潤な時の流れの1年でありますように、合掌。
平川武治。

投稿者 : editor | 2022年2月 3日 16:58 | comment and transrate this entry (0)

, The ARCHIVES Le Pli Since 2002~(22)

2008年版/『"TOKIO デザイナーたち"が世界マーケットでは、どのようにみられているのか?』

「平川武治のノオトブログ」/"The LE PLI" ARCHIVESー20」です。
 今回は、『「また始まる、東京コレクションの前に、」と題して、
"TOKIO デザイナーたち"が世界マーケットでは、どのようにみられているのか?』が
テーマです。

初稿/2008-03-11 記。
再稿/2021-06-06~
文責/平川武治: 
 はじめに
 望むと望まないに関係なしにそのカルーセルの中に一度、嵌ってしまえば自然の流れで再び、
コレクション発表の時期がやって来る。これは巴里も此の東京も同じである。
 このコロナ以後の東京でも、"変わらぬ顔つき"でコレクションが継続されている。
その実態は結構、惨めな現実をそれぞれのメゾンが被っているであろう。
 「コロナ以後」とは、"三密"が根幹に社会が変革せねばならぬ状況を押し付けられた。
そこでは、従来の"対面販売"と言う"構造とシステムとその仕掛け"がほとんど機能しなくなった
ことが全てを変革させた。"デパートやセレクト"などがカッコつけていた空間そのものが殆ど
意味をなさなくなってしまった。
 ショーの形式も同じであり、ブランドを売り込むための"プロモーション"としてのショーも
若い世代たちがよりわかり易いあるいは、日常的な"ヴィジュアル"として差し出されてしまった
これによって今後、"ショー"はそれぞれのコレクションを発表するために、過大な費用を掛けて
わざわざ、"パリ詣で"を行わなくてもいいと言う新たな視点も生まれるだろう。
 "パリへ出掛けるデザイナー"と言う、ある種の"プライド"も、ここでも「近代」が生み出した
価値が崩壊するまでに至り始めたと読む方が、今後への"可能性"と"新しさ"読めるであろう。
しかし、送られてくる"パリ ファッションウイーク情報"はその眼差しは微塵もない。

このオリジナル原稿は2007年に書き下ろしたものである。
当然であるが、この時期は「グローバリズム」と言う新たな白人たちの"植民地政策"が時代を
風靡した時であり、"中国"という新たな"顧客"と"工場"という両面のビジネスが起動し始めた
時代でもあった。
 従って、"中国人デザイナー"と言っても彼らは本国から、台湾からそして、香港からやはり、
このパリを目指して来た時代の台頭であり、そんな彼らたちの多くは外国で学んだ学歴を持って
いた。この現実はそれまでの日本人デザイナーたちがパリを目指した状況と環境が大きく変換し
始めた時代でもあった。
 従って、日本人デザイナーたちは、かなり"背負い込んだもの"をたくさん背負って乗り込んだ
デザイナーたちが多かった。だから結局、自分たちも"巴里・コレデザイナー"と自負しその仲間
の一員と、同じように勘違いをしてしまう結果になる日本人参加デザイナーが多くなるのだが
本当に、今ウケていると言われている日本発のデザイナーブランドはどのような状況の元で、
このパリで一人歩きし始めたのだろうか?
 昨年の秋('07年)にまとめたレポートをここで、此の時期にご紹介しよう。 

1)一つの眼差し/"新素材"をうまく使って、アッセンブリッジが上手なデザイナーたち。

 ショーもであるが、サロン参加も含めてその数が多くなった日本人デザイナーたちの"パリ・
コレ"ですが、この上昇気流に乗って、フランス文化庁が主催している"ANDAM"でまた、日本人
ブランド"TOGA"が貰うまでの勢いが生まれる。
 この"ANDAM"とは、フランス文化庁がイニシアティブを取って若き有望視されている2年以上
の"パリ・コレクション"参加デザイナー対象に与えられる新人奨励賞的なものである。審査する
人たちはフレンチ ジャーナリストたちとバイヤーたちであり、彼らたちに認めてもらうことで、
本来の、"パリ・コレクション デザイナー"となる。
 この国は"選ばれないと本来の自由は与えられない。"という"階級社会"と言われる所以が
未だ、残って居る国の一つである。
 多分、日本人デザイナーで一番早くこのANDAMをもらったのは当時、パリ在住だった'90年
初めのあの"シンイチロー・アラカワ"だったと覚えている。
 今回の"TOGA"が貰ったことで日本人デザイナーたちはここに来て一つの段階をクリアーした
感が在る。"TOGA"の場合は『アッセンブリッジが上手なデザイナーたち』という資格を貰った
様だ。
 これは前回も書いたのですが,今は日本人デザイナーたちには"時代の追い風"が吹いている。
この"時代の追い風"とは、「新しい世代の消費者」の登場である。これからこの街パリもそして
他のEUの都市に住むイミグレーター(移民)たちの新世代層が中心の、新たな消費者層として
確実にこのEUにおいても『大衆消費社会構造』化へ進展して行くことである。
 これは、取りも直さずかつての、'90年代中期以降の"ストリート•ファッション"全盛の日本
の消費状況が重なって見えるからだ。(参照LePli-0号)
 そして、日本人ブランドの優位性とは具体的には先ず進化した"新素材"がウケている時代性。
それらの進化した素材を案外と"簡単・安価"に使いこなせる状況を持っていること。そして,
生産構造(工場)が日本であり未だ、"made in Japan"で確りしている事からの"クオリティと
デリバリー"が他の外国人若手デザイナーたちと比べるとすこぶる良い。それにファッション
メディアと情報が発達している所から"コピーや組み合わせ"が巧く出来、"熟せるデザイナー"が
即ち,"器用さ"が生かせるデザイナーたちのブランドであるからだ。
 しかし,オリジナリ性は弱いか、無いが今は、"円安"で価格が適当に買い易い。海外バイヤー
からすると買って店の奥のハンガーラックに釣っておいても、『Made in TOKYO』がセールス
ポイントにもなりほとんど完売すると言う。この状況はメンズもレディースも同じ状況を齎らし
始めているのが現在の"追い風"のもう一つである。
今回の"TOGA"にしても,今回だけで外国バイヤーの方が国内バイヤーより,受注数が多くなった
と言う。(国内40%、海外60%比率)
 
2)『勤勉性と器用性と見栄性』が生む見た目感の巧さ。/
 しかし,冷静に考えてみるとこの状況というのは案外『日本的なる状況』と言えるでしょう。
従来からの『Made in Japan』には決して,モノの本質的な創造は殆ど無かった。
そのオリジナリティは無いか貧しいにしても,その主題の取り方、素材の使い方の上手さと巧さ
で即ち,"工芸的"に使う事でオリジナルものより、以上に装飾的に使いこなしてその結果、それ
そのモノを"オリジナル"としてしまうことが即ち,『Made in Japan』であったはずだ。
 これは,オーバーな言い方をすると,『日本文化の本質』かもしれない。僕たちが使っている
漢字に対しての仮名の関係も然り,磁器と陶器の関係,漢画と大和絵そして,琳派の関係等など
 最近でのIT機器類にしても,ケイタイの本体の特許部分はサムソンが押さえていてそれらを
使ってのアッセンブリッジが多種多様化されたものが上手、得意分野という事も考えれば、
これが,元々の『日本人の作る』という事に対するオリジナリティ性と理解出来る。
 日本人らしさの『勤勉性と器用性と見栄性』が生む見た目感の「創造の世界」がこのモードの
世界へもやっと,ここ60年をへて辿り着いたのかと考えられる。この日本的創造の世界の本質
には『素材』へのこだわり観と,日本人の特質性である『器用性と見栄性』とその「見た目感」
の関係性が日本的に存在するある種の法則を考えてしまう。これらも,戦後からの『豊かさ』の
発展,進化の結果がもたらした今後,日本人の若い世代に期待するべき所でもあろう。

3)そんな彼等たちはどのような構造でビジネスを行っているか?/
 最近の現実の一つに、多く開催されている"サロン"への出店が増えている。
"サロン"とは日本で言えば、"展示見本市"である。巴里のサロン数は大きなもので10サロンを
超える。
 それらのそれぞれのサロンで、自分たちのテイストとレンジが合うところへモノと自分たちが
行って出店する初期的な構造からスターとしているブランド。
 もう一つは、巴里の"バイニング・エージェント"と契約をして彼らたちのオフィスや会場で
展示受注を行っているブランド。この場合の契約チャージは13%〜18%のセールスコミッシ
ョンを支払うのが基本である。彼らたちに任せば、従来からの良い顧客をエージェント自体が
持っているのでそれらが自分たちの顧客になる念いをかけて任せる。これらのブランドは基本的
にショーをやり、その後の営業活動を現地の"バイニング・エージェント"を外付けとして海外
ビジネスに賭ける比較的経済力のあるブランドメゾンとなる。

4)海外バイヤーたちにどのような受け取り方や格付けがなされているのか?/
 ビジネスを中心に考えると、これからより"将来性と可能性"がある日本ブランドという感想。
メインのブランド商品ではないが仕入れて店に置いておくと売れてしまうというサブ的なもの。
 これは価格帯とデザイン性そして、デリバリーとそれなりのクオリティから安心できると言う
ここでも、日本人らしさの善いところが認められての評価とバイニングであろう。
 それに、追い風としての話題性ある「新素材と東京」が今はウケていると言う。

5)彼らたちが世界のメインブティックのメインブランドになるためには?/
 世界にもそれぞれの都市における"一番店"がある。当然、"世界を目指す"と言うことは、
できれば、これらの"世界版一番店"に買ってもらいたい、取引をしたいが究極の目的になる。
 その為には、"サロン"出展から次は"ショー"へ、と言う新たな道が待ち受けている。
その時にどれだけ、"コストとリスク"を掛けて、『明日』を指させられるクリエーションと
イメージングが発表出来るか?
 そして、それなりの世界レベルのメディアとジャーナリストたちに気に入ってもらい取り上げ
てもらえるか?と言うまでの"現実"のために、「資金と才能と創造性とチーム力」が使えるか?
 これでやっと、念願の「パリ・コレ デザイナー」と言うプライドが持てる!!
(最近のブランドで、このサクセス・ストーリーを地で行ったのが"SACAI"である。"SACAI"の
場合、イタリーのエージェントとの関係が壊れた結果、独自で展示会を行って来たが、バイヤー
たちからの「もうそろそろ、ショーをやってもいいんじゃない?」と言うバイヤーたちのバック
アップでショーをやるようになり現在に至っている、稀に見る日本人ブランドである。)

6)日本のファッションビジネスとブランドの利点と欠点/
 思いつくままに箇条書きしてみると、
*素材が豊富。特に新・高品位繊維。
*まだ、国内生産に頼れる構造が残っている。
*出来上がりクオリティがよい。
*デリバリーがきちんとしている。
*市場が大きく、動く。
*メディアのホロがいい。
*消費者が成熟しはじめている。
*プライス面がこなれている。
*売れ線、トレンドものしか作らない。
*クリエーションにおける冒険はあまりやらない。
*ファッション教育構造が特化している。
*"ONE POINT DESIGN"が出来る。即ち、売れるコツをデザイン出来る。
*手先の器用さで"SPECIAL"が出来る。
*コーディネートファッションが上手。

7)今後の課題は将来性を指差すこと/
 総体に売れるものをきちんと作る事がうまく、それ以上の冒険、可能性そして、独自性を打ち
出しているブランドはまだ少ない。
 トータルで結果、スペシャル性又は、アヴァンギャルド性又は、クラフト性におけるそれぞれ
の"高品位性"を目指すこと。そして、デザインされた"服"に「文化」が感じられ、「美意識」が
感じられるものに挑戦してくれる心意気とレベルが欲しい。
 これが無ければ、世界レベルのファッション・ジャーナリストや彼らのメディアを驚かす事は
出来ない。

8)肩を並べる外国人デザイナーたちは彼等たちをどのような眼差しで見ているか?/
 海外の若手デザイナー達の羨望の的は、ここまでやって来れるブランドであるからそれなりの
資金的な現実が先ず、外国人若手より有るのでそれにジェラシーを感じる。
 次は、素材入手と生産構造が身じかでしっかりしたところが残っていると言う現実のインフラ
は実際に量産"商品"を作ること自体が難しい彼らたちの現実にはとっても羨ましいこと。
 結論としては、現在のNew-Generationsたちは完全に『CONSUMING-DECADENCE』の
落とし子たちである。従って、ファッションを売る事、売りたいという事には早熟であり、この
15年程でかなり成熟した日本ブランド群である。特に、男物はかなり、世界に通じる事が可能
であり、そのサンプリングに『ウラ原』系が有る。それと、劇画、TVゲームからのイメージング
ソースは今や世界規模で共通のコンテンツになっているので女物のテイストやモード観の違いが
まだ存在する女物の世界よりは男物はやり易い状況がある。
 それとこの10年間程で、この世界も海外留学生が増え、彼らたちが帰国後やはり海外を目指
し始め、それによっての語学力の進化も大きな要因で世界マナーを身につけ始めたとも言える。
 弱点は、ビジネス構造としてのスタッフ人材に弱い。これからは彼らたち、世界に通用する
ファッションビジネスマンの養成と教育する事が課題である。ここには"語学力+ビジネスセンス
とスキルと関係性"が問われる。
 ある意味で中途半端な"作り手志向"よりも今は、ビジネス力を持つ事が"鍵"であろう。
多くの日本人デザイナー達が巴里の"サロン"へ出展するレベルのブランドでは、どんなものを
どんな人が買うかが解らないまま進出しているブランドさえ有る。
 現在のままで往くと、あの1987年の『原宿コレクション』参加ブランドがいつの間にか
その後、"DC"ブランドという名称をマスコミから貰って創造性豊かなデザイナーブランドの横に
並んでしまう状況の"巴里版"を考えてしまう。
 そして最後に、国内における"ファッション・ジャーナリズム"を気骨在るものへ成熟させる事
も大切な作り手への知的ホロであり、この批判精神も必要であるはずだ。

9)最後に、/
 現在の日本人ブランドとデザイナーたちの"ブランド進化"のルーツ的キーワードを羅列すると
「オタク=STUDENT CONSUMERS=販売バイト/フリーター=オリジナルものと称した
コピーもの=T-SHIRTS、靴、帽子、アクセサリー、皮小物、シルバージュエリィーなどや古着
の販売そして、トータルブランド展開と次なる、彼ら達の『夢』としての海外進出。」
 このような、日本人デザイナーたちにとっては『追い風』が吹いています。
この風を上手く利用して"風力発電所"的構造と機能を世界へ、アジアへ向けて"夢"とともに気概
豊かに、デザイナーやブランド企業も公的機関もそして役人たちも揃って"モードのリアリティ"
を直視して彼ら達の新たな可能性へビジネス戦略を構築して行って欲しいものである。 

文責/平川武治/昨夏執筆文:
初稿/2008-03-11:
再稿/2021年6月:

投稿者 : take.Hirakawa | 2021年7月30日 15:00 | comment and transrate this entry (0)

, The ARCHIVES Le Pli Since 2002~(22)

令和参年、新年のごあいさつ。

 みなさん、明けましておめでとうございます。
新たな年が始まりました。
 今年は、"穏やかさ"と"新鮮さ"が何気に
大切な気分と時間を齎してくれる年でしょう。
 そして、「コロナ以後」はもう、元の生活には戻れないという
"新しい好奇心"を齎せたと言う考えも可能な今年です。
 ご一読をお愉しみください、合掌。

令和参年正月吉日。
平川武治。
(下記の、"画像の確認"をチェック入れて下さい。)
画像の確認

投稿者 : editor | 2021年1月 8日 21:34 | comment and transrate this entry (0)

, lepli(28)

 令和参年、「新年のごあいさつ。謹賀新年、今年もよろしく。」

画像の確認

投稿者 : editor | 2021年1月 1日 23:41 | comment and transrate this entry (0)

, article(134)

高田賢三さん、やすらかに! 御冥福をお祈りいたします。

高田賢三さん、やすらかに! 御冥福をお祈りいたします。
 今日の未明に、この悲しいニュースを知った。
また、このモード界の悲しいニュースで在る。
 「賢三様、心から、お悔やみもうしあげます。
どうか、やすらかにご自身の美の世界にたっぷりと戯れてくださいませ。」

 彼は本当に「モードの美しさと素晴らしさ」を求め知りそして、信じ、自らも楽しむ為に
”モード スティリスト”になられた珍しい、尊い人だったのです。
 大好きなモードの世界にどっぷりと浸かるために、’65年、単身自費でパリへ渡り、
’70年にはご自分のブランド" KENZO"とショップを”JANGLE JAP"を立ちる。
 彼はこの街で生活なさり、友を持ち、彼らたちに愛され囲まれて、
その大好きなパリでの生活環境とリアリティに自らが浸ることよって
益々、彼が抱き続けてきた、彼が”夢”としていたその純粋世界が
「モードの美しさと素晴らしさ」へより、自由な感性と優しさと言う美意識を深め
昇華させながら自らのブランド”KENZO"を20数年間世界へ創造発信なさってこられた。
 彼は常に、自分の”わきまえ”を持って、踏み外さず来られた”気骨”ある日本人でもありました。
そして、僕が始めてパリへ行った、’72年には
既に、パリの”プレタポルテ モード界の寵児”でした。

 僕は以前にも書いたことがあるのですが、
日本の現在までの「デザイナー ファッションビジネス」の世界は彼、高田賢三さんが
いらっしゃらなければ、「10年以上は遅れていたであろう。」と認識している一人なのです。
 高田賢三さんが「モードの都、パリ」で活躍なさった事が、その後の日本からの
「ファッションデザイナー」の多くを輩出する多いなるモチベーションになったのです。
イッセイも、トキオ クマガイやヨウジ、CDGも、そして、ファッションメディアとしての新星、
今年、創刊50周年を迎えた雑誌「anan」も誕生していなかったと言うことです。
 例えば、この時期の”CdG川久保玲”は、まだ、当時新たな”シャネルの再来”と騒がれパリを
一世風靡していた女性デザイナー、”SONIA RYKIEL"の猛お勉強でビジネスをしていた時代でしたね。

 彼、高田賢三さんが創り出した世界とは、
ロシアン プリントの花柄を選び、ベッチンプリントやコーデュロイプリント、デニムなどをも
使い、「ロマンティックに、ポエジックに、ファンタジックにそして、シックに、エキゾチック
に纏め上げる世界観」を生み出した。
 即ち、着る女性へ、「夢を着る。」実際に着れる素晴らしい服をあれほどまでに沢山デザイン
してきたデザイナーも少ないであろう。

 70年といえば、このパリでも新たなモードの世界が誕生し始めた時代。
”プレタ ポルテ”という「高級既製服」の黎明期が始まった時代であった。
それまでの「服」のビジネスの世界は、”オート クチュール”/高級仕立て服の世界か、
大量生産による”アパレル”/「吊るし既製服」の世界それに、「制服」と「古着」の世界でしか
なかった。
 この世界に60年代終わりからあの、YSLがDiorから独立して始めた彼らたちの”新らしい
モード・ビジネス”として誕生させた”リヴ・ゴーシュ”の影響によって、70年からはこの
”プレタ•ポルテ”/「高級既製服」という新らしい”小ロット多様式”なファッションデザインの
世界へ多くの若いファッションデザイナーたちがその「夢」と可能性を求めて、挑戦し始めた
時代でもあった。
 この新しさの背景には、「’68年5月」以降、この国の女性たちも「高学歴」を習得して、
社会の”キャリア”の一員としてそれなりの仕事を持つことが「新らしい女性の生き方。」という
改革の時代になり、今で言う、”キャリアレディー”が誕生し始めた。そして、彼女たちをパリの
モードの人たちも”新たな顧客”にしたのがこの登場し始めた”プレタ•ポルテ”だった。
 そして、特筆すべきことはこの時期の”プレタ•ポルテ”デザイナーのその多くが女性デザイナー
たちであったこと。S. リキエル、E.カーン、A.M.レベッタ、M.プレモンビル、S.トーマスなど等
 この様な「時代の変革期」に丁度、彼、高田賢三さんの”パリ登場”がリンクしたことは
その後の彼の活動と活躍には大きな揚力となった。
 
 この時期の日本国内も、「68年」の学生運動以降、70年の大阪万博後、「大衆消費社会」
構造が誕生し始めた。そして、今まで”百貨店”だったのが”デパート”化され、モダンなイメージを
即ち”横文字”ビジネス、職種そして、商品がこの”元百貨店”に溢れかえるようになり始めた。
そこで、各”デパート”も従来までの「衣料品•おしゃれ服売り場」が”ファッション”売り場に
変わり、ここでそれぞれの”デパート”がこのパリで誕生した当時の新しいファッションとして
”プレタ•ポルテ”ブランドを競って導入した。その後、商社が暗躍して、これらのパリ発”プレタ•
ポルテ”ブランドのライセンスビジネスを日本のアパレルやリテーラーへ売り込んで現在の日本の
ファッションビジネスの基盤が創設された。大丸のジバンシー、高島屋のP.カルダン、西武の
YSL,S.リキエルそして、「KENZO」などはその代表だった。
 この新しい時代の流れに、「パリで活躍する日本人デザイナー高田賢三さん」の存在と彼の
ブランド「KENZO」はやはり、大きな役割と使命のモチベーションになったのも確かであった。

 僕が彼、高田賢三さんを信じた幾つかがある。
その一つは、彼はあれほど、パリで有名な一流ファッションデザイナーの存在になられたが、
生涯、決して、”プレタ•ポルテ”というファッションカテゴリィーからは逸脱なさらなかった。
自分の立ち居い場所に対する”わきまえ”を生涯通されたことである。
 その後、多くの日本人デザイナーたちがパリを訪れ、プレタポルテのカテゴリィーでショーを
するも、「アーティスト振ったり、クチュールデザイナー振ったり」いつの間にか、自分の業欲
によって”勘違い”するデザイナーが多いこの世界を、直接見てきた僕は高田賢三さんを信じる
ことが出来る。
 ということは、彼、高田賢三さんが作る服は全て、女性が「着れる」服であるということ。
即ち「夢を着る」ことが出来るのが「服」の一つの大切さであること。というここには彼の思想
が読み取れる。そして、本心ファッションがお好きな人だったんだと。

 最後に、あのLVMH社による’93年のブランド「KENZO」”売却事件”はもう一つの現実が
明るみに出た転期の結果となりましたね。いくつかの「負」が重なることは人生であることです。
 ”新居の建設と伴侶の死”という天国と地獄もやはり「金次第」が現実を処理します。
この結果、「買収劇」というよりは「乗っ取り劇」だったでしょう。
 この件にしても、本人は決して公言できないような契約条項が課せられた結果の現在です。
ビジネスの世界も戦争と同じですから、「生きるか死ぬか?」です。
 LVMH社は当時、プレタポルテ出身の有名デザイナーブランドが欲しかったのです。
トータルアイテムブランド化し当時、台頭しはじめて来たイミグレーターたち新興成金を標的
とするブランド計画をしそして、見事に達成し現在の「KENZO」ブランドの顔になりました。
 従って、「KENZO」買収後すぐに彼らが行った事は、例によって、「KENZO」香水の発売で
したね。これによって、この企業グループが持っている”DFS"/免税店ビジネスでラグジュアリィ
ビジネスへのイメージングと高級化に成功しています。以後、この「KENZO」ブランドは新興
イミグレーターたちの御用達ブランドに広がる。
 しかし、この企業は以後、「KENZO」ブランドのデザイナーに誰一人、「日本人デザイナー」
を起用していないことに僕はこのLVMH社に好意を持って関われないのです。
 彼らたちは決して、「日本人デザイナー」へのリスペクトが無い、「白人目線」の遅れた企業
だと感じるだけです。しかし、この企業が企画している”LVMHアワード”に諸手を挙げて参加して
いるのも現実の日本人ファッション関係者たちですね。
 
 高田賢三さんの生前、「KENZO」ブランドが全盛時代、自宅などに飾られる投げ花の毎月の
お花代が百万円近く使われていたと言うエピソードを聞いたことがある。自分の好きな世界
あるいは、美意識を自分で現実化するための「コスト」である。もの凄い現実ですね、
これが可能な収入と使える自由さ。やはり、世間で「成功」すると言う事はこう言う事なので
あろう。では、例えば、東京の「御三家デザイナー」と言われる三宅さんや川久保さんや
山本さんは、彼らの成功報酬をどのように、何に使われていらっしゃるのだろうか?
 彼らたちもご高齢デザイナーであるが、全く彼らたちの「私生活」を見せない事も或は、
日本的「成功」の証なのだろうか?

 高田賢三さん、ごくろうさまでした。
どうか、やすらかに「夢の中へ」
 ご冥福をお祈りいたします。
合掌:

文責/ひらかわたけじ:
初稿/令和2年10月05日:

 
 

投稿者 : editor | 2020年10月 5日 11:45 | comment and transrate this entry (0)

, lepli(28)

新しく、「The ARCHIVES Le Pli」/この”平川武治のノート-ブログ”に新たに、今までの掲載分から選択したアーカイブ集を始めました。「The ARCHIVES Le Pli」

 「時の流れは実に早く、しかも我々は時の中を後ろ向きにしか進めないのです。」
P.ヴァレリー: 

「いつも拝読、ありがとう。このような時世です、
思うように進まぬ”明日”を考えるために、過ぎ去った”昨日”へ、後ろ向きに進んでゆく。
P.ヴァレリィーの言葉を想い出して。」
 
 その始まりが、2002年だったでしょう。
ほぼ、20年近くの時間が既に、このブログにも堆積してしまっています。
 そこで、この機を利用し、以前に書いた僕のこのブログ集から、改めて僕が自薦し、
少し校正を入れた”拙筆文集”を作りました。
 これがこの、”平川武治のノート-ブログ”/「The ARCHIVES Le Pli」”です。
変わらず、ご一読くだされば、嬉しい限りです。
合掌。

 はじめに; 
 このユダヤ人たちのファッションビジネスの世界で言い伝えられている、
「”トレンド”についての定説があります。」
 その一つが、「トレンドは20年サイクル説」です。
単純に、「20年前には、何がファッション以外でも、”トレンド”になったか?」と言う
視点です。
 20年前に流行った、展覧会は?音楽は?映画は?芝居は?バレーは?
あるいは、バカンス地は?インテリア・カラーは?そして、ファッションでは?等、などを
思い出すことです。
 これはこのような汎デジタル時代になった今でもこの世界では確かな定説になっています。
例えば、ここ1、2年前では、20年前にヒットした、映画「レオン」がストリート
ファッションの”センス オブ トレンド”になりました。
 「レオン」の主人公の少女確か、A.ジョリィーのデビュー作だったでしょう。
この映画での彼女が、”アイコン モチーフ”です。
 この映画を二十歳代で見て、好きだった人たちはぜひ、思い出してください。
そして、この映画を知らない世代の人たちは、一度見てください。
その詳細は述べるよりも「一見、必須!」です。 

 さて、今回からのこの僕の、”平川武治のノート-ブログ”/「The ARCHIVES Le Pli」”を
始めますが、このブログの”ミッション”の一つが、
”ユダヤ人たちのファッション トレンド、20年周期説”のために色々その当時を思い出すための
参考情報になればと言う念いを込めて。
ひらかわ:

 「The ARCHIVES Le Pli」/01;
 まずは、「ブログを始めるにあたって、」と言うご挨拶から始めましょう。
投稿日/2002-10-16 :再校正/2020-09-18:
 ***
 はじめに、
 遅まきながら、”平川武治のノート・ブログ/The Le Pli”を
周りの友人たちのお陰で立ち上げました。今後、よろしく御付き合いください。

 永年、ファッションジャーナリストという立場をインデペンデントに活動して来ましたが、
やはり、我が国のジャーナリズムが気骨無き「御用ジャーナリズム」と化してしまっていること
に微力ではあるが抵抗したくこれを立ち上げました。
 ジャーナリズムが本来持ちえている「第4の権力」的立場の復活と、ジャーナリズムがある種
の「社会教育」を担っていると言う視点からこのホームページを始めます。
 そして、この”LE PLI”を媒体にして、多くの人たちと好きなモードの世界を中心に 
コミュニケーションが持てればうれしいです。

 この初回は日記風に、僕がパリを軸にしてどのような行動をしているかも交えて書き始めます。
 8月の終わりから東京を離れて先ずはこの街、巴里へ。
そして、アントワープ、巴里、アントワープ、チューリッヒ、アントワープそして、コレクション
のために再び巴里へ。これが今回の現在までの僕の行動。

 8月27日:成田発巴里へヴィエンナ経由で出発。
未だ、バカンスから戻っていない閑散とした巴里も一つの顔。8月も第4週の週末になると流石
この街のバカンス好きな巴里ッ子達もこの街へ戻って来始める。彼らたちを直接的に巴里へ呼び
戻すのがこの街に多くあるアートギャラリィーである。彼らたちが売り出したい作家たちの新作
展覧会のオープニングレセプションである。残念ながら、ファッションは2の次だ。
 今年からちょっと洒落た趣向を凝らしてのオープニングはアート好きな若者たちを喜ばせた。
多くのギャラリィーがあるマレ地区の一角で、ご近所のギャラリィーが共同でオールナイト・
オープニングレセプションを催したことだ。僕も30,31日の週末にはこの催しへ顔を出す。
中でも面白かったのは『BINGO』展。幾人かの若手アーチストたちのポップでガゼットな作品を
同じテーマで界隈のギャラリィー数軒が共同企画での展覧会。古くからの友人で、日本にも幾度
かコレクション写真を撮りに来た事があるフォトグラファー、クリストファー君が全く、新しい
作品で、アートの世界へ登場し、今回の新人展で見事にデビュー。写真とコンピューターを
使って微妙な皮膚感を人工的に合成した写真は医学写真の新しさの様で面白く興味を持った。
 この後、彼はヨーロッパ写真家美術館でアービング・ペンの新作展と共に、ニュー・ジェネレ
ーションの世界をここでも披露している。彼に話しを聞いてみると、彼の作品に興味を持った
この美術館が制作費用を持ってくれて今回の展覧会になったという。よいものを見る眼とその
よい作家を誕生させる公共の構造がこの街には確りと出来ていて、新人であろうが彼らたちの
眼に止れば今回のクリストファーのようにデビューが出来る仕組みが結局、この国の文化の新陳
代謝になっているのだろう。

 「マルタン・マルジェラ・ブランドがイタリーのヂィーゼルへ身売り。」
 コレクションを1ヶ月後ほどに控えた9月の始めにこの意外なニュースが、この街のファッシ
ョン雀たちの口角を賑わせた。今、モードの世界はクリエーションよりビジネスのほうが面白い
と言う典型なニュースである。
 今、我が国では海外デザイナーブランド物ではバッグのLVには及ばないが、服ではこの
『M.マルタン・マルジェラ』が一番良く売れている、人気度の高いブランドが身売りをした。
しかも、あの、イタリーのデニムメーカーの『ヂィーゼル』にである。発表されたのはこちらの
ファッションビジネス紙の『ジャーナルド・テキスタイル』紙。それをニュースソースとした
日本的なが報道が「センケン」紙と「WWDJapan」紙に発表された。当然だが、これらの記事は
余りにも表層しか書かれていない。勿論、当事者たちも余り多くを喋りたくない。しかし、
面白い事件である。結果、こうなってしまったかと言う感じが僕にはした。
 なぜかと言うと、ここ3シーズン来、彼のクリエーションは今、一つだった。
一時の覇気が無くなっていた。丁度、東京にやっとの事で世界での1番店の直営店がオープンし
た頃から、その感じが匂い始めた。そして、多くの彼とそのチームの友人たちにそれとなく話を
いろいろ聞き始めていた結果が、コレだったのかと。

 アントワープのロイヤルアカデミィーを卒業し、J.P.ゴルチェの元で3年半、働きその後、
独立したのがマルタン・マルジェらである。彼が未だ、ゴルチェの所にいた時には幾度か会って
いる。体格がよくいつもキャスケットを被っている物静かなで、ナイーフな青年だった事が印象
にあった。‘87年の3月コレクションを最後にゴルチェのアトリエを去り1年半の期間をその
準備期間として自らのブランド「M.マルタン・マルジェラ」を発表したのが’88年の10月の
コレクション。このコレクションはよく今でも憶えている。
 彼のデビュー・コレクションを見た事によって、僕はこの仕事をしていて良かった、幸せだと
感じたからだ。僕が、マガジンハウスの春原さんを誘って友人のフランス人ジャーナリストに
教えてもらって行ったその会場には日本人ジャーナリストはいなかった。ポンピドウーの裏に
今でもある小さなライブハウス的なところ、「ラ・ガラージュ」が彼の歴史的なデビューをする
場となった。屋外で既に、小1時間は待たされた事、その時あのJ.P.ゴルチェもみんなと同じよう
に待っていた姿が印象深く記憶にある。
 M.M.マルジェラはこのコレクションを機に、僅か5年間で高イメージを築き上げるまでの見事
なクリエーションとショーを僕たちに見せてくれた。デビューコレクションは当然、資金が無い
ため素材はコットンのみ。永く待たされた後に登場したのがトップレスのマヌカンたち。
胸を抑えて出て来た彼女たちが穿いているのがロングのタイトスカート。それから、次々に
上ものがコーディネートされ、スーツになってタイトでスリムな、健康な若い女性の肩がまるで
はじけ出るのではないかと思わせるようなタイトなコットン・スーツそして、僕たち日本人に
見覚えのある地下足袋を改造したシューズ。
 彼が近年に無いデザイナーだと知ったのは僅か5年間で彼自らのパーマネントコレクションを
古着を使ってクリエートしてしまった事だ。これは近年のデザイナーにはいなかったことだ。
そして、次の5年間で自らのクリエーションを定番化しコマーシャルラインの#6、#10など
を完成させた。このコマーシャルラインが売れた。イメージもどんどん昇華した。そして、
第3期の5年目で、エルメスのデザイナーと東京に直営店第1号を持ち、ブリュッセルと6月に
はこの街巴里にも直営店を出店した。この、僅か13年足らずで彼、マルタン・マルジェラは
巴里のプレタポルテ、クリエイチィブデザイナーの頂点に達した。多くのデザイナーや学生たちが
彼の影響を受けた。モードの流れを完全にストリートへ引き落としたのも彼だった。
 ショーイングのアイデイアや会場選択にも彼が新しい流れを創った。そして、14年目を迎え
ようとした時にこの事件(?)である。

 「ディーゼル社、社長がマルタン・マルジェラの株式の過半を取得。」
このタイトルはセンケン新聞のものであるが現実はこうである。
 話は約1年半前ぐらいから起きた。当時、マルタンの生産を請負っていた「スタッフ・インタ
ーナショナル社」が2年前に倒産し、その後デーゼル社が買収した。ここで先ず、マルタンと
ヂィーゼル社の関係が出来た。東京1号店の直営店が出来た頃からお互いのビジネス戦略上で話
し合いが持たれ始めた。店舗を拡張しビジネスを拡大してゆくには「資金」「生産背景」そして
「物流」の充実が必要になる。ここで、「生産背景」はヂィーゼル社の小会社が請負っているの
だから「資金」も「物流」もこのヂィーゼル社が望むのならこの組み合わせが一番明解な組み合
わせである。その結果がこうだとはちょっとおかしくないだろうか?
 「この"M.M.M."自身がブランド拡大を本心から希望したのだろうか?」という疑問から
僕はこれが『真意』ではないという発想から調べまくった。あんなにも確実に5年単位で自らの
クリエーションとイメージングを昇華しながら地に足を着けたビジネス戦略をキャフルに展開し
てきたこのメゾンの本当の問題は何なのだろうか?その結果がこのような状況を創るのが一番の
方法だったのか?誰が一番儲けたのか?エルメスはどのような態度をとったのか?

 確か、昨年の12月頃にかなり多くのスタッフ、7人ほどが辞めた。この中には事実上、
コレクションラインをデザインしていた女性もいた。彼女の場合も、円満退社ではなかった。
一方、マルタン自身は旅行に凝っていて、多くの時間を好きな旅行に費やしていると聞いた。
ここ3シーズンほど、コレクションラインがコマーシャル化し始めてきた。一方、相変わらず、
コマーシャルラインの#2、#6、#10等の売上は伸びていた。ショップが出来てからかなり
店頭MDが入たものが店頭にはまってきた。最初から大好きで見て来ている僕にとってはこの変化
を感じるのは易しい事だった。何か、このメゾンの内部でも”変化”が起こっていると思い始めた
のが7月だった。

 マルタンがJ.P.ゴルチェの元から独立してバッカーを捜して約1年半後に出会ったのがマダム 
ジェニィー・メイレン。それまでの彼女はブリュッセルでかなり大きな洋品店を2店舗を経営して
いた。ギャルソンも売っていたし、ヨウジも扱っていた。彼と出会った彼女は今までの成功して
いた洋品店を処分して彼、マルタンに掛けた。
 いつか,彼女はインタビューで、『彼が私の夢を持って来てくれたのです』と語っていた。
そして、‘88年10月のあの衝撃的なデビューコレクションとなる。以後、彼らたちは2人3脚
でがむしゃらに働いた。特に最初の5年間は20年分以上のエネルギーを使ってチームワーク良
くやって来たから現在があるのだろう。コマーシャルラインのレデイースを見るとその殆んどが
マダムジェニィーが似合う服ばかりである。だからこのブランドがその後、彼女のような多くの
キャリアウーマンに人気があったことが伺える根拠がここにあった。

 一番儲けたのはヂィーゼル社の社長、レンゾー・ロッソ氏である。
彼らたちの約70%の株を買い占めたからである。これからこのようなブランドを新たに造ると
したら、当然、造ろうとしても不可能ではあるが、これ以上の資金と才能とセンスが必要になる
からだ。マダム ジェニィーとマルタンはデザインコンサルタントとして年契約をした。
結果、いつでも辞めたい時に辞められると言う立場を、やっと得た。

 エルメスが買ったら良かったのにと言ったのは僕と元ジャルダンデモード誌のマダムアリス・
モーガンだけだったと後でエルメスのスタッフから聞いたが、何故そうならなかったのだろう?
この一件はここにも一つの鍵があったように思った。エルメスとの契約は後数年残っている。

 当然であろうが、物凄く時期、タイミングを計算した結果の出来事であった。
"M.マルタンマルジェラ・ジャパン"の「ここのえ」はマルタン側と三菱商事との合弁での会社で
あるが、これがこのように整理されるまでこのM&A契約は発表されなかった。
 当初の『ここのえ』はマルタンと三菱そしてオリゾンチィ社との3社間で始まった。その後、
直営店プロジェクトが始まるとこのオリゾンチィ社に力が無い事が解り、オリゾンチィ社を
外そうと持ち株の分担を減らした。が、そうこうしている間にやはり、このオリゾンチィ社が
倒産という行き着く結果を迎えた。その後、このオリゾンチィ社の親会社W系もこの放蕩会社を
手放した。その先が、ライセンスビジネスの伊藤忠。
 従って、三菱はこの数10%ほどの株を伊藤忠から 買い戻さなければならない羽目になった。
そして、それがちゃんと終わった段階でこの買収契約が発表されている。
それに、仙台の最初からの大口取引先である『レボリューション』がマルタンのオンリィー
ショップをオープニングした後での、事の次第でもある。
 全て、計算された結果の行動である。これは当然であるがこれ程迄に計算された結果の本意
には裏が、何かがあるはずだ?

 3ヶ月前には既に、それなりの社員たちには話があったという。
では、M.M.M.ジャパンの『ここのえ』には同じように話があったのだろうか?

 このブランドも然りである、多くの巴里発の海外ブランドの企業成長に我々日本人は
どの国よりも貢献し、愛し、尽くしてきた。
 彼ら、M.M.M.の14年間のサクセス・ストーリィーも同様である、日本は最大の理解者で
あった筈なのに。本当に今後の企業発展のための結果でこうなったのなら、何故、日本企業にも
アテンドが無かったのだろうか?また、エルメスと組まなかったのか?
 その最大の原因は? 

 しかし、彼らたち、M.マルジェラとマダム ジェニーをリーダーとした、彼らチームの見事な
”仕事”である。やはり、彼らたちはプロ中のプロであった。
 スマートでクレバーなファッションピープルたちが駆け抜けた14年間だった。
当然である、マダム ジェニィーとマルタン マルジェラは膨大なお金を手に入れた。
 「輝きそうな石。きっと、輝くと思って一生懸命磨き上げれば、
それはダイヤモンドになった」というアントワープらしいお話。
 彼らたちは、「M M.マルジェラ」と言う”ファッション・キブツ”を構築し、そこから無限の
可能性を育て上げた。
 その後、この”ファッション・キブツ”で働いていたと言う連中の多くが、他のブランドへ
侵食して行った事だろうか?
 
 「あんなにも彼らたちの売上に貢献した日本人たちは、マルタン自身が誰であるかも
知らないままだ。ーFashion is always in fake.」
文責/平川武治:
投稿日/2002-10-16 :


 

 
 

投稿者 : editor | 2020年10月 1日 15:22 | comment and transrate this entry (0)

, article(134)

Christopher Nemethの10回忌だった、9月22日。

「時の流れは実に早く、しかも我々は時の中を後ろ向きにしか進めないのです。」
P.ヴァレリー:
 *
 先日の9月22日は僕がリスペクトできる数少ないデザイナー、Christopher Nemeth
さんが亡くなられてから、もう10年が経つ日となりました。
 本当に、時が過ぎるということはそれぞれの想い出の深みや重みにもよるだろうが、
早いものであり、しかも我々は時の中を後ろ向きにしか進めないものですね。

 今でも鮮明に覚えているあの時のことが、
その知らせは、パリのタワーエッフェルのイルミネーションが見えたアパルトマンで、
友人からの知らせで知った。

 僕がなぜ、Christopher Nemethが好きか?
それは、ベタに言ってしまうが、
「全てに、カッコいいデザイナーであったからだ。」

 僕の経験が育んだ視点から見ると、
決して、東京の”自称デザイナー”と称しているその8割強は大変無礼であるが、「なりすまし」
ファッションデザイナーである。賞をもらったり、コレクションをやっているがそのほとんどの
デザイナーたちは「なりすまし」ファッションデザイナー先生となる。

 戦後の我々、日本人が憧れ、自由だからと求めた”横文字職業人”と彼らたちが築いた
”消費文化社会”そのものが僕流に行って仕舞えば、「なりすまし文化」社会でしかないだろう。
その根幹は敗戦後という時代状況のもとでその根幹は、日本人に”なりすまし”たい人たちの多く
によって、彼らたちの「根性と頑張り」で築かれた”大衆消費社会”だからだ。
 
 が彼、Christopher Nemethはそんな、”なりすまし”レベルの”ファッションデザイナー”では
なかった。勿論、「彼の創り出した、彼にしか出来なかった世界。」を創造したからである。 
 この彼が創り出した世界とは、”服”だけではなかった。
彼が想像した”自分の世界観”とその中心軸となった”服”には、彼の創造の世界の全てが存在して
いたからだ。
 「パターンの特異性と巧さから生まれた"ネメスのバランス観”。」そして、「素材の選び方
とグラフィック センス。」「靴とサックとキャップとソックス」そして、「バッジ」にまで。
 そして、それら「彼の想像のための器としてのショップ」のインテリア全てを、彼は創造の
当事者として、彼自らがその内装の全てを施工した。
 30数年前でも又、その後も、ここまでやりたい若者は多くいたであろうが、その大半は
彼が為した”創造のための現実”に成就しないところで挫折したものが殆んどだったはずだ。
 もう一つ、僕が彼、Christopherをリスペクトする理由は、
「彼の創造の世界そのものに、「嘘/虚実」がなかったということである。」
その証拠が、彼がデザインした”服”は、彼が一番似合う、誰が着るよりも一番カッコよく、
自分が似合う”服”を創っていたことである。これは僕を一番信用させた事実でもあった。

 彼が東京へ、そして、表参道の裏、現在のヒルズの裏でショップを開き、10年間ほどは
殆んど、知る人ぞ知る、カルトでコアな”Nemethファンとチルドレン達”にしか、深く静かに
知られていなかった。その一因は、当時の日本のファッション雑誌の編集者たちが彼の存在と
その世界を知らなかったあるいは、不勉強だったからでしかない。
 そして、’95年以降に、東京に古着屋経由組や、DJたちの「裏原デザイナー」たちの登場で、
少しずつ、”Christopher Nemeth”は知られるようになる。
 90年代が始まる頃に当時の繊研新聞に「川久保玲、C.ネメスをパクる!」という見出しの
原稿が掲載された。
 実は、これは僕の寄稿原稿であり、「C.ネメスのパンツ ポケットの”ヘムデザイン”をCdGは
レディースで御頂戴した。」というミュアンスで書いたものが、繊研新聞の編集者がこのような
見出しをつけて掲載してしまったために起きた騒動だった。結果、僕は2シーズン程、CdGから
のショーチケットが来なかったというお仕置きを課せられてしまった。
 これは、「川久保さんがC.ネメスのショップへお買い物に行き、”ワンラック分”ほどの
お買い物をした」ことを確かめた上で書いたことだったのだが。
 そんなCdGとの現在の関係性は僕からすれば、
「そうなんだやはり、川久保さんも”Christopher Nemeth”が好きだったんだ。」の世界でしか
ない。

 以下の文章は、10年前の僕の”アーカイブ寄稿文”です。
この機に、「Christopher Nemethさんの冥福をお祈りすると共に、改めて僕たちは、時の中を
後ろ向きにしか進めない者たちが出逢い、その存在を忘れない迄に、念いあいましょう。」
合掌。
 **
"We are deeply saddened at the death of Christopher Nemeth. He was an amazing, influential talent",
Terry and Tricia Jones.

 それは友人からの知らせで知った。
すぐには
信じられなかった。
辛かった、信じる事が。
本心は
今でも認めたくない!

 何も知らづに、
随分とノー天気な僕でした。
だから、余計に無念と悲しみが、
深く。

遠くより、
心からご冥福をお祈り申し上げます。
I am deeply saddened at the death of Christopher Nemeth.

 僕にとって、数少ない、
人間として尊敬出来る創造者でした。
優しさと頑固さを持った

誰よりも、彼は彼自身が一番、似合う服を作っていた
本当に、ピュアーでチャーミングな人でした。
あの、彼自身が作った総て、
その空間での
彼の笑顔が忘れられません。

横にはけいこさんが、
愛犬と戯れる彼の優しさと
缶ビール片手に
恥ずかしそうにしか喋れない自分の世界、
でも、それが総ての自信の彼、
こんな風景が、僕にとってのネメスさんでした。

僕のモードの25年間では
その殆どの人たちはVANTY"な世界を
メディアの入り口を見つけ
お金の方へ駆け寄って行く
逃げ足のはやい人たち。

そんな世界の中に在って、
自分の道をまっすぐ歩いた
大切な人
本当に純粋でした。
そして、貴重な存在でした。

"He was an amazing, influential talent".

テリージョーンズが見てました。
長きに渡り、25年間。
90年代の原宿ファッションキッズたちや
CdG, J.Galliano, A.L.Mcqueen & more,so on
多くの着る事を楽しむ
服好きな人々へ、僕も含めて
彼の世界へ訪れました。
そして、
職人魂の感動とその大いなる存在を
地球を廻る程までに
彼らしく穏やかに
激しく影響を与え残した。

彼は自分の居場所を知っていました。
自分が立つべき世界をそして、
自分の好きな服を、靴を、ドローイングを
自分が生きる道を
しっかりと信じ摑まえていたのでしょう。

「Ancient Briton」
彼の’85年の倫敦でのデビューコレクションのテーマでした。
今でも古びない世界観。
由緒あるイングランド魂は不屈
クラフトマン精神を自らの術(すべ)とし,自信として
純粋に生きる事を求めたロマンチィスト。

自分に純粋に、与えられた生を生きるとは、
無論、独りでは至難の事
けいこさまとお二人のお嬢さま
素晴らしいご家族を持たれて
守られて過ごされた25年たらずの異国。

その異国は
本当に彼に取ってどうだったのでしょう、

天国で本当の穏やかさを
缶ビール片手に煙草を吸ってください。
見守ってあげるべき人たちをお見守りください。

いっぱい、
本当にたくさん、ありがとうございました。
Mr.Christopher Nemeth.

どうか、
健やかにお眠りください。

平川武治:平成二十二年九月二十五日/イルド-フランスにて、

追伸/
 僕は
僕の無力さに
あなたとのお約束を守れなかった事に
自分の惨めさと
無様さを
残された時間、念い生きます。
けいこさま、みなさまにおわびこゝろと共に。
相安相忘。
ひらかわ:
文責/ひらかわ:
初稿/2010年9月25日:

投稿者 : editor | 2020年9月25日 20:38 | comment and transrate this entry (0)

, article(134)

保田與重郎に「絶対平和論」と言う著述がある。75回目の終戦記念日と言う今日に捧げる。

  75回目の終戦記念日に想う事。
これからの「新しい普通」で想うそれぞれの”しあわせ”観を考えよう。

 ”戰爭”とその後の”敗戦生活体験者たち”が年々、少なくなって行く。
それに、今年の終戦記念日はこの時世である「新型コロナ」騒動の隙間に入り込んでしまった
ような記念日になってしまった。
 
 
 「今日の”終戦記念日”に、自分たちの國の将来のことを、子供たちが迎える未来とは?等など、
何か、考えたでしょうか? 思い巡らし、会話する時間がありましたか?」

 「新型コロナ」騒動によって、時代が変わるのであれば、僕たち日本人は今日のこの記念日を
思い出す事で、話し合うことで、日本人としての”國を思うこゝろ”をもう一度、刷新して欲しいと
想うのは、ウザッタイことでしょうか?

 国政に従事する輩たちも団塊世代以降の謂わゆる、「ジュニア代議士」が多くなる。 
結果、先日の長崎被爆記念日時の安倍晋三首相の読み上げた追悼文、然りの「上書き」貼り
合わせの文章が現実となって読み上げられてしまう。彼の世代の日本人はまだ、白人外国人の
それなりの人たちとぎこちなく、笑って写真を写すことを望む世代でしかないでしょう。
 そして、この世代の人たちの多くは、”保田與重郎”も知らないヤッピーたちであろう。

 ここで、今日の”終戦記念日”に因み、そして、「お盆」であることから、「日本人の信仰心」と
言う一冊の本から”保田與重郎”の一部分をそして、「やまとこゝろ」を感じていただきたい。
(著者/前田英樹/筑摩選書刊/2010年発行)
 *
 昭和二十四年九月、雑誌「祖国」が創刊された。
 (http://www.rinsen.com/books/sokoku.htm)
 「我等は思考法と情勢観の曖昧状態を文化と呼ぶ者と、権力と利権の伝達様式や妥協
のからくりを政治と称へるものを合せて否定し、我が生民の実態に於て、そのあるべき本質を
貫道するものを解明せんとする。」

との理念のもと、正しい国民感情を思想に高め、あわせて真の文明の原理としてのアジアの道義
の恢弘を目指した雑誌だった。
 今現在、この”理念”を熟知して、国会議員になっている輩たちが何人いるであろうか?
”国会議員”になるにも、まず、それなりに”MD”を仕掛け、メディアを使い、資金をかき集めて
からのご登場がこの世界の昨今の”立身出世”という成功例であろう。

 そこで、保田與重郎に「絶対平和論」と言う問答体によって書かれた著書があるので、
75回目の敗戦記念日の今日にこれを紹介しておこう。
 この本は保田與重郎がまだ、公職追放中の身に在った、昭和二十五年に、彼を慕う青年たちが
雑誌「祖国」に無著名で掲載されたものである。
 当時は新憲法の制定をめぐり世論は混乱していた時世であった。
この保田與重郎の「絶対平和論」は、新憲法が掲げる「戦争放棄」の条文に向けて保田によって
ひっそりと放された彼独自の強靭鋭利な矢のようなものであった。
 
 彼、保田與重郎が論じた「絶対平和論」とは?その根幹をなすものは何だったのか?
 『そもそも、日本が敗れた戦争とは何であったか?
日本がアジアの侵略に迷い込んで行った”近代戦争”であった。
「侵略」とは”近代”の概念であり、その根幹は、欧米からアジアへ向かって為された行為を意味
している。
 ”近代”は欧州で生まれ、欧米にあり、アジアには無かった。あればそれは、悲しみ笑うべき
模倣でしかなかった。
 ”近代戦争”に向かっての日本の慌ただしい準備は、たとえ自衛の目的があったにせよ、
”近代”そのものが持つ本質において、”侵略”の方に入り込む他はない。

 保田が言う”近代”とはどう言うものなのだったか?
簡単に言えば、それは18世紀後半以降の「産業革命」に端を発し、最も端的に現れている。
西洋が東洋を侵略する立場に到ったのは、この時代の「産業革命」によって誕生した種々の技術
革新に依る。このことは明らかであろう。もう少し、歴史を遡れば、「火薬と鉄砲」の発明が
あろう。この残酷で非自然的な武器を発明し、多量に使用し始めたのが「近代」の西洋社会で
あった。それからたった、四百年で”近代国家”は、相次いで原子爆弾の製造に成功する。
 ここには、同様な発想の、全く直線的な”進化”が読み取れる。
それは、動物を食べる動物が、知性によって行なってきた”軽量”、”簡易”、”予測”、”平均化”の
恐ろしい”進化”/”発展”の蓄積である。
 では、新憲法が掲げる「戦争放棄」は、”近代戦争”の放棄であるならば、それはアジアによる
”近代”そのものの拒絶を根幹にしなければ意味がないない。
 ”近代技術”がもたらす生活の快適に憧れ、執着しながら、一人、「戦争放棄」を唱えることは
不道徳でさえあるだろう。
 このような態度は、今も着々と”近代戦争”を準備している特定の勢力を利することにしかなら
ない。戦後の「文化的最低生活」なるものをお人好しに求める新憲法の精神とは、「戦争放棄」
の理念と根幹から矛盾する。
 とは言っても、”近代”を拒絶することではない。その反対である。
”西洋近代”の文明とは、メカニックな技術による自然界の征服と加工を本文としている。
この種の”加工”や”征服”が”武器”の製造に最も役立つことは歴史が示している。
それから、様々な労力の省略に、多数のものの短時間での生産に役立つ。このような”文明”は、
諸文明の中の極めて偏狭な一事例でしかないだろう。
 「新憲法」が依っている”文明観”は、このたった、一つの事例に基づいた現実でしかない。
このたった、一つの事例の”文明”の実現のために「恒久の平和を念願」すると言っているのだ。

 要するに、世界に”文明”の理念はただ一つしかないと言う軽率な考え方に立脚し、”近代”の
考え方を唯一のものとして発想、考えた”思想”の表現です。これは実に困ったことですが、
結局は”事大主義”の現れなのです。”文明”の理念は世界に一つしかないものではありません。
 全然、系統の異なる理想と文明は幾つも相対抗して存在しているのです。』
(保田與重郎著/「絶対平和論」より。)
  
 正に、この考えは現代白人社会が「グローヴァリズム」と称した、ごく最近の汎地球主義の
理念の一つであろうが、保田は既に、70年前に提言しているのだ。
 地球上には、それぞれの民族が存在していて、それぞれの民族が文明を持ち得ている。
例えば、「近代」に誕生した美意識の中に「異国趣味/エキゾティズム」があるがこれは
白人至上主義が齎らした視点であり、彼らたちはこの美意識を持って「異文明」を犯して来た。
 
 「”文明の理念”はただ一つでは無い。」
もう一度、今の僕たちがそして、子供たちが考え、見直さなければならない根幹視点です。
これは現代日本の”教育”に欠如してしまっている”視点根幹”でもあるでしょう。 
 その証拠の一端には、最近の「英語」の”義務教育化”もあるでしょう。
 そして、「近代」が終焉を迎え始めた、現代社会が抱えてしまっている現状の国際社会問題の
諸問題の大半の”病原体”の根幹はここからが発端でしょう。
 例えば、現実ではこの視点がなければ、今、流行のボキャブラリィーである、
「サスティナブル」はただの白人文化人たちのいつもの”なりすまし”或は、それなりの人たちが
握る”利権”の新たな根幹になってしまうだけでしょう。
 彼らたちの21世紀の「グローヴァリズム」の現実は、”近代”を誕生させるもう一つの
モチベーションであった、「植民地政策主義/コロニアリズム」の”上がき”版でしかないのです。
 だから僕は、「21世紀の「グローヴァリズム」の現実は”ネオ-コロニアリズム”だと、断言し
て憚らない根幹がここにあるのです。

 もう少し、この前田英樹著の「日本人の信仰心」を参照して行こう。
 『この観点から見ると、近代文明は”恒久平和”を望むどころでは無い。
”戦争”によって、他の人間を<食う>ことに最大目標を置いて来た文明ではないか。
それは、生き物の中でも動物の、動物の中でも脊椎動物の、脊椎動物の中でも肉食哺乳類の
”知性”が、最大限まで発展して生まれて来た”文明”である。
 「戦争放棄」と”無軍備”とが、日本憲法の中の最も重い点、
「信義を解する協賛者の必ず、守るべき第一のもの。」(「絶対平和論」より。)
だと言うことは疑いがない。
 しかし、「戦争に反対すれば、戦争がなくなり、戦争がなくなれば平和な生活が来る。」と
言う考えは”幼稚と不誠実”が入り混じった空想、或は「似非ヒューマニズム」に過ぎない。
 ”平和生活”は戦争状態の反対物とは違う。
”平和生活”は、それ自体が”絶対物”として成り立つ”原理”を持っているものである。
その原理は、政治のそれではない、”生”が取る根本の形態であり、生態である。
 このような”原理”に根差した”生活”が建てられるなら、”戦争”は廃されるものではなく、
私たちにとっては、ただ”無関与なもの”、”あるはずのないもの”になるだろう。

 今更ではないが、世界には「全く、系統の異なる理想と文明」がいくつも存在している。
それは地質、地形、天候の著しく異なった”自然の所与”を前にして、人間が生きるために建てる
”問いと回答”は事実、無数にある。と言うことを意味している。
 限りないその多様性の中で、東アジアに”水田耕作”を生活基盤とした「理想と文明」が形成さ
れたことは、非常な僥倖である。石油が噴出する砂地を与えられるより、遥かに大きな僥倖なの
である。なぜなら、水田耕作には動物の知恵が植物の生に導かれて育つ自然経路がはっきりと
存在するからである。動物的傾向と植物的傾向とが、互いを助けあって、自生する生活即ち、
「共存共棲」の道がハッキリと開かれているからだ。
 保田與重郎が論じた「絶対平和論」の原理は、このような生活の道の中「共存共棲」で始めて
明かになる。これは、保田が幾度も幾度もくり返し語った、アジアの「道徳の本義」が明かに
なることでもあった。

 これは、東アジアの、或は日本の優越を主張することであろうか?
”主張”と言うような闘争的態度は、保田にとっては一切無意味である。
在るのは、”水田耕作”を可能とさせる神々へ年毎に更新される”感謝”しかない。
 この感謝は、それ自体で尽きることのない”思想”であり、”信仰”であって、領土が囲う国家も、
組織された民族も必要としていない。
 例えば、我が国では、”祝詞”が示す祈年と新嘗の祭は、こうした感謝が”道徳、文芸、芸能、
政治”となった形を記録しているだけである。
 そして、安田は説く。「平和とは、戦争がなくなった状態のことではない。平和は、神々を
助け、神々に助けられて行う生産生活の本質で在る。」 
「生き物が生きることにとって、一体、何が現実的なことなのか?「近代」生活が生産する欲望
の総体こそが、覚めることのない陰惨な夢ではないか?」
 保田の「絶対平和生活」とは、「”夢”を見ず、”神”を見る生活のことである。』
(参考書籍/「日本人の信仰心」:著者/前田英樹/筑摩選書刊/2010年発行より。)

 ここで僕が皆さんへ発言したいことは、
これからの「新しい普通」が継続することで生まれる「新しい日常」にとっての
みなさんが想う、「しあわせ」とは?をこの機に考えて頂きたいのです。
 
 もう、決して、「お金」や「モノ」がそのトップでも無く、それぞれが思い求める
「しあわせ」とは? 何なのでしょうか?それが自らの生きる”目標”になるのですから、
自分にとっての「しあわせ」観を早熟に、意識してください。

 「近代」と言う時代が消滅し始めた事で、「新型コロナ」以降の「新しい普通」が始まり、
それぞれが念う「しあわせ」観にも、新たな価値観が芽生える事でしょう。
 そして、この地球上には決して、西欧諸国の白人たちの「文明」だけでは無く、幾つもの
「異文明」が継続されている事、そして、それらの「異文明」を”継続”してゆかなければ
いけない事即ち、「共存共棲」がただ、「一個しかない地球」を守ってゆくためにも、必然で
在る事にも気が付き始めているからです。

 70年前に保田與重郎が論じたこの「絶対平和論」も現在の「近代」が消滅し始めて来た潮流の
中では、彼の言わんとする「平和」への想いとその根幹に気が付く世代が増えることでしょう。
 なぜならば、「近代」が”夢”として誕生した、「拝金主義」「物欲主義」に未だ、埃まみれに
ドップリと漬かり切ってしまっている世代たちには、まだ見るべき”夢”が多く在るからです。
 しかし、「自由」と「豊かさ」の中で誕生し、育ち、教育を受て来た世代たちにとっての、
彼らがこれから求める「豊かさ」とは、「自由」とはなんであろうか? 
 彼ら世代の”夢”とはなんであろうか?
そして、彼ら世代は”夢”と”しあわせ”は同意語ではなくなって来ているだろう。

 MD的発送も、「新たな日常」における「しあわせ」観はファッションの世界でも、
ここが今後の、「こゝろの置き所」であり、根幹でしょう。クリエーションがなされ、
ビジネスがなされる拠り所だと念うのです。
 
 **
 あとがきらしきもの;
 今回このような、保田與重郎が論じたこの「絶対平和論」は「ファッションに興味ある人間」
にとっては最も”DISTANCE"が、或いはまったく”無知なる世界”のことを、敢えて書いてみた。
 なぜならば、ファッション大好きタイプの人たちはどれだけ「一つの文明」に”同化”するかの
立ち居場所で生きてゆくことが「カッコ良い!」「自己満足」レベルであり、それが現在も続く
「ファッション ビジネスの世界」そのものでしか無いからだ。
 保田が70年前に言うところの「悲しみ笑うべき模倣」はより、現実化されてそれそのものが
「ビジネスの世界」になってしまった”日本の大衆消費社会”の70年間であっただろう。
そして、これらを”生業”として継続してゆくことが「文化人」と自認してゆく”なりすまし”人種の
誕生もこの70年間の戦後日本の”進化”と”発展”でもあろう。
 結果、ここにはおよそ、「やまとこゝろ」からより、Distanceな”人種たち”がこの戦後日本の
”社会構造”を構築して来たとも読める。

 或は、僕自身の”自己反省”又は、”懺悔”へも勿論、繋がる事である。
そして、あの「3.11以降」、「僕は日本人である。」事自体が僕にとっての”しあわせ”だと
思える生活に焦がれ求め始めたからだ。そして、学び、生かされている。
 そして、敢えて、" I'm a Yellow."と言う言葉を使うようになった。

 75年目の”終戦記念日”に記する。

 「三伏の候、呉々も、ご自愛ください。」
合掌。
文責/平川武治:
○参考文献/「日本人の信仰心」/前田英樹著;筑摩選書刊/2010年発行)
 
 追伸:
 もし、芸術に興味がある人は、保田與重郎の著書、「日本の美術史」の必読をお勧めする。
「異国趣味/エキゾティズム」と言う美意識では無く、「やまとこゝろ」と言う美意識も理解し
てください。/「日本の美術史」 (保田与重郎文庫)/
 

 

 

投稿者 : editor | 2020年8月15日 18:10 | comment and transrate this entry (0)

, article(134)

「山本寛斎さんが亡くなられた。」ご冥福を申し上げます。

山本寛斎さんが亡くなられた。 
この知らせがYAHOOニュースで開かれたままだった iPadに流れた。
今日、07月27日、午後01時03分だった。
しかし、亡くなられたのは、7月21日だったようだ。

 「どうか、ご成仏ください。」

この時、僕は古いPCで「二人のデーヴィッド」を調べていた時だった。
此処で、”一瞬に幾つかの過去”が繋がった。

 昨夜はプライムヴィデオで、「D.Bowie The last 5 years」を見て、ベルリンの友人の音楽家へ
メッセージを入れた、「この映画を君と一緒に観るとより、愉しいね。」と。
そして、昨夜見ていたフィルムから「二人のデーヴィッド」が気になり、今日また再読していた
矢先だった。そこで見つけたのが、二人のデイビッドに挟まれた、若き山本寛斎さんのいい写真でした。https://the.kyoto/article/d3c5cdd7-2586-44b2-aca3-35703a23dd9a

 この山本寛斎さんの訃報を聞いて”繋がった”僕の過去とは、
[ 山本寛斎=D.ボウイ= ツトム ヤマシタ=D.キッド=森本康義=J.グラックそして、
ひらかわ]という”繋がり”で、僕の'60年代終わりからの10年間ほどの出会いと繋がりだった。

 山本寛斎はD.ボウイの’73年の日本公演の舞台衣装でKANSAIの名前をロンドンから世界へ
認知させた。この作品は歌舞伎衣装の”引きぬき”という手法を用いステージでの「早や変わり」
という演出に生かされた。衣装はステッチワークとともにエネルギィイの流れを表すかのような
左右対称の構築が力強く、舞台晴れする見事な衣装を彼はデザインした。この衣装はボウイ自身
も気に入ってその後の倫敦公演でも使っていたし、’76年の”アラジン セイン”の衣装も担当され
た。多分これらの作品の幾つかはロンドンのV&Aのミュージアムピースになっているはずだ。
この当時は、日本人ファッションデザイナーが世界で勝負するにはやはり、自らの「ジャポニズ
ム」をどのような時代感と世界観で自分流にまとめあげるか?が先ずは、勝負どころであった。
海外で名を馳せるには今もこの手法は基本的には使えるアイディアの一つであり、現在も変わっ
ていない。

 D.ボウイと山下ツトムは’70年には、”ロックスターと現代音楽家”という音楽ジャンルは違った
が、当時のロンドンのカウンターカルチャーの騎手としてすでに、交流があった。
そして、ツトムが’72年から活動を始めた、劇団「RED BUDDHA」の倫敦公演をボウイは
アンジーと共に見にきている。その後も彼らは交流が続く。映画「地球に落ちてきた男」
(監督、N.ローグ;’76年)で”俳優と音楽家”という関係で一緒に仕事もしている。
直接的に”京都”+”David KID”を結びつけたフィクサーのはツトム ヤマシタであっただろう。

 「二人のデーヴィッド」であるD.BOWIEとDAVIDE KIDさんは、"京都ー九条山繋がり"
である。’60年代には前衛芸術家グループの「具体」のメンバー作家たちが集いその後、70年代に
なってから芦屋から移り住み着いたのがD.キッドさんだった。通称、「九条山桃源洞」。
残された写真を見てもわかるが、すばらしい本格的な日本邸であった。
僕はキッドさんが芦屋に在住中に彼らの棲家を訪れた経験があったがそこも、「前庭と長屋門
そして、中庭」を配した純日本式の邸宅を借りて住んでいたことを覚えている。
この「九条山桃源洞」も写真で見る限り彼ら達の美意識が見事に空間化された邸宅だ。
そして、彼らはその空間に著名な外国人旅行者も混えた顧客を招き、中国、チベットの古仏像を
はじめ書画仏具を外国人流日本式のおもてなしで展示即売が彼、キッドさんと森本さんの職業だ
った。
この「二人のデーヴィッド」の出会いは、’72年が最初だっただろう。その後、ボウイの最初の
日本公演来、彼らの関係がはじまったのだろう。日本の仏教文化とその思想に興味を持っていた
ボウイには以後、もってこいのフィロソフィカルな”師匠”であっただろうD.キッドさんだ。
’80~’90年代は度々、お忍びも含めてこのキッド邸を訪れていたボウイは、’96年にキッドさんが
ハワイで亡くなられるまで続く。’92年には再婚したイマンを連れて新婚旅行としてここ、
「九条山桃源洞」を訪れている。そして、キッドさんが69歳で亡くなった20年後に、ボウイも
同じ享年69歳で亡くなった。僕はここにもこの「二人のデーヴィッド」の因縁を感じている。

 森本康義氏は彼が外語大学時代にD.キッドさんと出会って以後、キッドさんが'96年に亡くなら
れるまで一緒に暮らし、共にビジネスをなさってこられた伴侶だった。
僕は彼らが芦屋時代の’70年頃に幾度かお会いした事を覚えている。

 D.キッドさんとJAY.GLUCKさんは共に来日した”仲間”であった。
彼らは戦後間もない’40年代終わりに来日した。それぞれが学校の先生をした後、北京に住んだ
経験から専門は中国美術と、イスファハンに在った東洋磁器研究所勤務の経験からペルシャ美術
愛好家という触れ込みで、和歌山経由で芦屋に住み着いた。二人とも当時としては超豪邸然も、
本格的日本家屋をそれぞれ借りて住み、ビジネスを始めた。戦後当時でもそれなりの資産を持っ
ていた日本人富裕層たちを顧客として彼らは古美術を商った。一人は中国チベット仏教美術品で
あり、もう一人はペルシャ陶器とラグ、古民芸布を扱ったが、この根幹には、当時の日本人のお金
持ちが見事に陥った「シルクロードコンプレックス症」をターゲットとした、戦後の財界富裕層
に近づくための諜報的匂いが漂っていた。勿論二人はユダヤ人であり、一人は同性愛者であった。 
 
 J.グラックさんと僕の出会いは、僕が丹波の窯元で3年間、陶芸を学び戻ってきた芦屋時代の
滴翠美術館だった。当時、僕は近所にあったこの滴翆美術館で陶芸科の助手をしていた。
ある時、ここで彼のコレクションであるペルシャ古陶器類の展覧会があり、これが僕とグラック
さんとその家族との縁を産んだ。彼の奥さんは愛嬌深い可愛い聡明な日系人だった。彼も芦屋の
元山県有朋のご令嬢の嫁ぎ先のお屋敷を借りて住み、その見事な日本式大広間をシルクのペルシ
ャ古絨毯を引き詰めた空間にしつらい、自らのコレクションの数々、古ペルシャ陶磁器類を並べ
見事な演出で展示即売していた。そんな彼が、自分のコレクションのための助手を探していた時
に僕は出会った。以後、J.グラックさんのところで僕は彼のコレクションのペルシャ古陶器の整理
や展覧会の準備などの書生仕事をさせて頂いていた。
昼間は彼の自宅で普段では実際に触る事が困難な高価な価値のあるペルシャ陶器の無彩陶器や
金彩ミナイ手磁器類の古美術を触り、夜は滴翆美術館で窯を焚くという書生生活だった。
この2年間は恩恵と好奇心の日々だったことを想い出す。が、この無理によって次の26歳の僕は
1年間、国立貝塚千石荘という結核療養所生活を強いられた。

 ツトム ヤマシタと僕の出会いは京都の友人の紹介だった。
1年間の思いもよらぬ結核療養所生活は僕に新たな決心を、と言うより新たな自由を目覚めさせ
てくれた。後ろへも戻らず、前にも進まない1年間という時間は結局、僕に”不自由さ”と言う空白
が現実となっただけだった。その現実を教えてくれたのはこの療養所でたまたま一緒に暮らした
幾人かの先輩患者たちだった。入院後、最後の半年に同室だった老人は人の良いスローな男だっ
たが、どこかが崩れてしまっていて、もう社会復帰することを彼自身が拒否してしまった生活を
この結核療養所で40数年間営んでいた。僕の26歳はそんな、在って無かったような1年間で終わ
ってしまったために、’72年の誕生日をこの空白で過ごした後、退院した。
 18歳で渡米し、その後前衛的な技法での打楽器演奏によって既に、名声を博していたツトムは
’70年の大阪万博にはアメリカから帰国していて、西ドイツ鉄鋼館で行われたシュトックハウゼン
のコンサートに姿を現していた。また、当時のTV 番組で朝のニュースショー番組にも出演したり
して、所謂、時代の寵児だった。友人達と彼の多種な打楽器類を京都から車で運んだことを覚え
ているので、僕がツトムと出会ったのはこの時分だったと記憶している。
今覚えている彼の第一印象は「爬虫類の様な人」だった。兎に角、全身が繊細な神経と自由な想
像力で弾力感に溢れた存在だった。’72年には、武満徹が帰国したこの若き打楽器奏者ツトム
ヤマシタのために作曲した「カシオペア」が指揮者、小澤征爾でEMIによってレコーディングされ
「幻の名盤」とされ、この曲は武満作品の中でも指折りの傑作とされている。
http://blog.livedoor.jp/a_delp/archives/1055681304.html
が、実はこの「カシオペア」によって、その後のツトム ヤマシタは”武満ー小澤”によって見事に
日本のクラッシック音楽界においての彼の活動が完全に阻害されてしまうと言う事件を起こして
いる。
 今思うと大変稀で貴重な体験が’72年の7月13日から始った。
ことの始まりは、当時のフランス文化庁の招聘で南仏のアヴィニヨン演劇祭に参加しその後、
幾つかのバカンス期のフランス避暑地で行われていた音楽祭とそして、イタリーのローマと
スポレートの音楽祭へもニューヨークのリンカーンセンターのデイレクターのバックアップで
招聘されてツアーリングを行った。そのための”劇団メンバー”を探していたツトムと出会ったの
が春頃だっただろう。そこで僕は衣装担当で参加させていただいた。
これが劇団「RED BUDDHA」のオリジナルメンバーとなり、” THE MAN COME FROM
EAST”と言う題名で”ツトム ヤマシタの音の世界”をステージ上でヴィジュアル化した新しい演劇
パフォーマンスが作品化され、’72年の7月13日に確か、ミュージシャンと裏方の12,3人で巴里へ
旅立ち、これらの演劇祭といくつかの音楽祭に初陣参加した。
そして、秋の終わり頃にはこのツトム ヤマシタ&劇団「RED BUDDHA」はパリへ戻り、
S.モンフォール女史が(https://en.wikipedia.org/wiki/Silvia_Monfort) 彼女自らの劇場を、
マレイ地区の今は立派になって再生されているピカソ美術館の真向かいに小劇場を新設し、その
柿落としから数カ月を此処で公演した後、渡ったのが倫敦であった。’73年にはこの” THE MAN
COME FROM EAST”のライブレコードがロンドンのISLANDレーベル(L35092)からリリースさ
れた。
 アヴィニヨン演劇祭では、P.カルダンがサポートしてくださり、のちに仏文化相になった当時
まだロングヘヤーだったJ.ラング氏がこのフェスティバルのオーガナイザーの一員で何かと面倒を
見てくださった。スポレート演劇祭では、このフェスティバルの提唱者の一人である、
L.ヴィシコンティ監督も「マノンレスコー」を既に、車椅子に乗ってディレクションされていたの
も覚えている。僕にとっての劇団「RED BUDDHA」での1年余りの経験は全てが、僕が結核療養
所で求めていた「自由なマインドで生きる」ことそのものであり、好奇心の塊の不連続な連続の
初体験だった。後に、僕はこの体験は「僕の万博だった!」とよく表現して人に語っていたほど
だった。そして、僕と劇団「RED BUDDHA」との付き合いはロンドン迄で終わった。
実は、次なる公演が”ブラジル公演”と決まっていたので僕はここまでこの劇団「RED BUDDHA」
つまり、ツトム ヤマシタとつき合うつもりでいたのだが、この時期、ブラジルの政権が交代した
ために公演が流れてしまった。ツトムは第2作目の「RAINDOG」を創作して’75年にアメリカ公
演へ出掛けたが、僕はロンドンに残り、親父になった。これが'73年の僕のロンドンだった。
劇団「RED BUDDHA」を退団した僕はそのままロンドンに残って息子が誕生した。
また、この'74年には東京からの友人であった立花肇君がロンドンの僕のフラットに一時逗留しに
やってきた年でもあった。彼はこの旅の始まりに、シベリア鉄道を利用してロンドンに辿り着い
たのだがこの時、彼は東京公演の帰路のD.ボウイ一行とこのシベリア鉄道で出会うという強運を
持ち合わせていた。それが、後の彼らたちのあのクール モダンなグループ、 ”プラスティック”へ
と続く。
 僕は、この’74年の早い時期に日本公演から倫敦に戻ってきたD.ボウイに会った。
友人が住んでいた、ギルフォードという田舎街を訪れた際に、一台のロールスロイスと遭遇した
このロールスにD.ボウイが乗っていた。そこで、彼がこの街でコンサートをやることを知った
僕は厚かましくボウイにメモを渡した。結果、彼は僕と妻をミキシングの横に座らせてくれ、
この地の彼のコンサートをビッグプレゼントをくださった。

 最後になってしまったが、山本寛斎さんと僕は”リセフランコ”繋がりだった。
彼のご長女と僕の愚息が同じ時期に飯田橋に在った、「リセ フランコ ジャポネ」校の生徒だった
からだ。そして、僕が最後に彼に会ったのは確か、「3.11東北大震災」後の、2012年だったと
思う。その前に、蔵前にある大東京博物館のある展覧会を見に行った折に偶然に出会う。
この時、ご一緒に写真を撮っていただいた覚えもある。そして、震災後にお会いしに伺ったのは
彼の青山1丁目にあったオフィスだった。僕はあの「3.11東北大震災と東電福島原発事故」の
ショックで、それまでの巴里生活に終止符を打つ決心をし、アパートを引き払い以後、パリ通い
の生活にとなった。そして、僕のブログにも書いた「いらないものは捨てましょう。」と言う
散文詩を持って寛斎さんにお話に伺ったのが最後。
 勿論、同じファッションの世界が生業だったので、それなりのつき合いはあったがまた、
それ以上の付き合いも無かった。むしろ、彼の印象は頭を緑に染めたスキンに近い姿だった京都
で出会ったことの方が未だ、衝撃深く覚えている。また、僕が上京してお世話になったアパレル
「アンバーハウス」の社長だった故矢田由親氏が「レマン」と言うマーケティング会社時代に
彼、山本寛斎さんが出入りされていたと矢田さんから伺っていた。この’63年の広告代理店
「レマン」には若き浜野安宏氏も高橋靖子さんも在籍して、まだ世間に、「マーケティング」と
言う言葉が流行っていなかった時期のすご〜いお話だ。僕はこの矢田さんから多くのことを学ば
せていただいた一人、感謝のみです。ありがとうございます。
(http://www.mogeworkshop.com/blog/blosxom.cgi/diary/archives2007/article09/article08/
20070819.html)

 余禄として二つ、
 僕の寛斎さんはいつも晴々とした、素晴らしい笑顔の人でした。
僕も、”笑顔”が大切なボキャブラリィーだと思っている人間なので彼の寂しさも感じました。
もう一つ,寛斎さんに関して思い出しました事。’70年に入ってからの渋谷西武の地下駐車場にあっ
た『BーIN」とその後の、渋谷西武本館の中2階の「カプセル」と言う売り場。
‘71年、寛斎さんがロンドンでのショー後この「カプセル」で、山口小夜子さんのデビューと共に
謂わゆる、”凱旋ショー”をなさった曰くのスポット。この「カプセル」では三宅一生の入れ墨
プリントTシャツも記憶が蘇りますね。しかし、この入れ墨プリントTシャツは当時、京都美大を
卒業したての皆川魔鬼子さんのオリジナルでした。J.ヘンドリックス+J.ジョップリンの'70年の
死でしたか?そして、確かその後、寛斎さんと一生さんはこの「カプセル」後、確執が生まれ
寛斎さんのブランドは少しづつ西武から遠のき始め、ファッションビジネスとしては差がつき、
寛斎さん自身もその後、イベントワークへ自らの自由さと魅力を感じ始められたのでしょう。
 
 もう一つは、僕はこの時期、彼、ツトム ヤマシタと出会った事はその後の僕の人生に大きな
そして、広々とした自由な可能性と知的好奇心を与えてくださった人物である。
 なのに、「カシオペア」以降の”日本村”のクラッシック音楽の世界と日本のメディアはその後
のツトム ヤマシタ/山下勊 (https://ja.wikipedia.org/wiki/ツトム・ヤマシタ)を完全に葬ってしま
った。
 何故もこれ程に無視されてしまったのだろうか?
あるいは、無視、続けねばならなかったのだろうか?
 同じ京都が舞台であるのに、今回の「二人のデーヴィッド」を探していても、彼の名前が皆目
見つからなかった。ツトム ヤマシタは、’71年だっただろう、あの嘗ての「TIME LIFE」誌が
戦後、何人目かの日本人表紙をカヴァーした程の人物であった彼を???
 
 おわりに、
プライムヴィデオで、「D.Bowie The last 5 years」を見て、改めて、D.ボウイの自由を変わらぬ
根幹としたメタモルフォーゼな生き方とその覚悟に再び、惚れ込む。結果、あのような最期の
仕事と死に方にボウイのクールな美学を学び、彼の人生を再確認し、感動してそして、
ギルフォードで出会ったあの日のボウイと重ね想い、以前から少し、関心と興味を持っていた、
「二人のデーヴィッド」をさらに深く調べ始めていた矢先に、山本寛斎さんの訃報を知ったので
す。
 「これは誰かからのそして、何らかの"メッセージ”だ」と受け取った僕。
そして、この「繋がり」を僕なりに辿り帰して見たくなった。
この歳にならなければ、出来ない行為の一つであろうと自負しつつ、
 
 山本寛斎さんはこの時世をあの明快な笑顔と共に逝かれた。

お悔やみ申し上げます。
笑顔と共に、ご成仏ください。
南無阿弥陀仏。

 今年から僕は亡くなった母親以上の年齢を生かされる機会をいただいた。
「死ぬために、一勝懸命生きる。」と言う年齢が始まったばかりの今年、
この、「コロナ以降」の”あたらしい普通”と言う時世の到来。
それは、辛うじて生きのびている者のつれずれなる戯れあるいは、罪滅ぼしの日々という現実。
 僕はどのような”しあわせ”を求めて生きてきたのだろうか?
合掌。/

山本寛斎さんと二人のデイヴィッドの写真があります。
https://the.kyoto/article/d3c5cdd7-2586-44b2-aca3-35703a23dd9a
分責/平川武治:鎌倉裏八幡にて。

投稿者 : editor | 2020年8月 2日 19:40 | comment and transrate this entry (0)

, article(134)

"Act The I"への返事。/「コロナ以後」のファッションはどの方向へ?

 "Act The I"とは、巴里のモード研究所である「I.F.M.」がやっているプロジェクトである。
彼らたちが、この「コロナウイルス以後」のモードの行方をいろいろな人から聴いているのが
今回のテーマ。そして、それに対しての僕の返事が以下である。

 『極論を言うと、「デジタル封建主義」あるいは、「サイバー独裁」と言う時代性が
近づきましたね。
 そうですね、ファッションビジネスの今後もどのようになってゆくのか?
そして、そのビジネスのための創造性とプレゼンテーションの手法も再考が必然でしょう。

 ファッションビジネスもグローバリズムの到来と共に、大きく変化し、生産地が変わり、
クオリティが落ちその分、ヴァニティなイメージングがより、派手になり、それぞれのメゾンの
ショーはより、それぞれのブランドの「包装紙」の役割を担ってしまうまでに派手になり、
若手のインディペンデントなデザイナーたちは肝心のファッションにおける創造性に新しさが
求められなくなり、所詮彼らたちが選択したのは、「アーカイヴコレクションのザッピング
あるいは、リ・メイキング」と言う袋小路へ逃げ込んでしまった為に、このコロナ騒動で余計に
彼らたちはこのモードの二つの袋小路から抜け出せないでしょう。
 創造性に対しては以前よりも抜本的な創造の手法を求めるしかないでしょう。
それは僕が5年ほど前から発言してきた、”The without sewing”と言う発想がありますね。
もう、ミシンと糸とアイロンで仕立て上げる服にはほとんど「創造性」の可能性はありません。
全てが、「ヴァリエーション オブ アーカイヴス」の世界になってしまう時代性だからです。
ですから、「衣装」はより、「衣装」になり、「ユニフォーム」はより、「ユニフォーム」と
なるでしょう。そして、その中間領域だけが今後の大いなる「モードの為のモードな包装紙」。
 ではどの様なユニフォームが?
僕の答えは、「リアリティのユニフォーム」と言うコンセプトを提言しています。
「新しい普通」、その連続性が「新しい日常」を誕生させます。
この「新しい日常」のリアリティのためのユニフォームです。
ー「快適性、着やすさ、着心地の良さ、利便性それにカッコ良さ」と、
自分たちが「繋がっている」世界のユニフォームという考えです。
 たとえば、「Distance」というキーワードをコンセプトに考えられる、「ユニフォーム」も
ありですね。

 キャピタリズムが崩壊し始めると、「大量生産と大量消費」のためのファッションビジネスの
構造は、「トレンド」と「在庫」そして、「納期」をリスクヘッジしたより、効率よく
儲けられるかのビジネス手法が再考されます。見かけは「ファッションアイテム」を製造販売して
いるように広告宣伝とイメージングで見せかけておいて、実は「衣料品」の大量生産と大量販売
で儲けている「UNIQLO 」の様な、「なりすまし商法」が、ハイエンドブランドでもビジネス
中心を考えてより、進化するでしょう。ここでは、”オリジナルブランド”というマーク付の
ちょっとお洒落着の世界でしょう。たとえば、CdGの「PLAY」のレベルですね。
 したがって、F.W.もコスト削減になり、今様のヴァーチュアルイメージングによってビジネス
向けのイメージング手法がより先鋭化してゆくでしょう。
 僕はパリのコレクションを見せていただき、35年が過ぎましたが、
この「パリのコレクション」とはこのフランスの文化を育ててきた「サロン」の一部でもあると
感じて結果、35年間も通い続けてきたのですが、やはり、最近のコレクション風景には
この「パリのサロン」と言う香りがなくなり始めていましたから、これも、この「コロナ騒動」
後は、もっとなくなってしまうでしょう。そして、ただのビジネスのためのプレゼンテーション
と考えると、今後はその機能は、ヴァーチュアルテクノロジーに委ねた方が新しくも見え、
面白い可能性が生まれるでしょう。
 従来のモードの世界は、「着る人の衣装」によって階級/クラスを保持してきたでしょうが、
今後は、「着るユニフォーム」によって、その人たちの「日常」と「繋がり」をそして、
「Distance」という”リアリティ”を表層化するでしょう。』
合掌。
文責/平川武治:

投稿者 : editor | 2020年6月 1日 16:36 | comment and transrate this entry (0)

, article(134)

(番外編)コロナウイルス”と言う「テロ」に向き合うと言うこととは-、番外編

●改訂版;
 (番外編)「やぶ睨み、ユニクロ系列がお金に変えている”差異”とは?
或は、“なりすまし“・ファストファッション」

 
 当然であるがこの「新型コロナウイルス/COVID-19」騒動は、
世界レベルの災いとなり、現在まで継続している。
そして、未だに、完治する”治療用ワクチン“は開発されていない。
 この「新型コロナウイルス/COVID-19」騒動は現在進行形である。

 この騒動が終焉を迎えるタームがきた時には、確実に「時代」が変革する。
戦後の70数年で「時代が変わる」という実因と実感はポジティフな視点で
「潤沢な社会」がもたらして来た結果である。
 しかし、今回は「疫病」という悪魔がもたらした
ネガティブなパンデミックと経済危機である。
従って、謙虚に、「潤沢な社会」を省みるある種のゆとりを
各人が持たなければいけないであろう。
 これからの迎えるべき”未知なる時代”への願望と発展のための、
「反省と目標」或いは、「復習と対策」のためであり、
言われるままに、“Stay Home”を行っている人たちの義務でもあろう。

 そこで、僕の立ち居場所での持つべき眼差しとしての好事例を話そう。
 僕は1ヶ月ほど前に、
 「UNIQLO系列は今回のコロナウイルスの影響下、今期の営業利益も44%減の1450億円と、
従来予想(5%減の2450億円)から下方修正した。」

というニュースを知って、考え込んでしまった。(日経:2020/4/9 15:38版)

 ここで僕なりの「やぶ睨み、ユニクロ系列がお金に変えている”差異”とは?」
その実態とは何なのだろう?と。
 僕のような、“デザイナーファッションビジネス”の先端を
40年ほど携わり、見て来た者からすると、
「どのようなマジックを使うとこのような営業利益が算出出来るのか?」と、
この時世故、今更考え込んでしまったのです。

 この企業グループがこれだけ儲けられる「差異と力」とは、何なのか?
「ファッション・クリエーション & イメージング」を差異の根幹とした
デザイナーブランド・ビジネスでは到底考えられない世界です。
 そこで、敢えてこの企業の“差異”が何であるかを考えてみると、
その根幹は所詮「スケールバリュ/量的価値」であり、
既に、綻び始めて来た「資本主義社会のオールドスクール」しかないだろう。

 「どれだけ自分たちが必要とする
大量の生地を手配し、安く仕入れて、
どれだけ多く工場発注し、どれだけ安く納品でき、
どれだけ多くの直営店で、どれだけ大量に売るか!」

 言っておくが、このグループの売り物である
「ヒートテック」という素材も、
この企業が開発した素材ではない。

 この”The Value of volumes “の根幹で、
「どれだけの儲けが算出出来るか?」の世界が
このユニクロ系列企業の「ビジネス根幹」でしかない。

 これで言えば、売っているものは生活”衣料品“である。
が、その作り方と売り方、そして、儲け方は
すなわち、ビジネス業態の根幹は
「大量生産の工業製品」を売っているのだ。
 
 ファッションビジネスの様に見せ掛けた、
「百均ビジネス」の変形業態でしかない。

 日本のメディアとファッションメディアは
決して、このユニクロ系列のビジネス実態を
この様な目線で報じたことは無かった。
むしろ、「ファスト・ファッション」と称し、
この旧体然したスケールメリットを持ち上げた
報道しかなされて来なかった。
 
 海外の”ファスト・ファッション“と呼ばれている、
H&M, ZALA, Mangoなどのレベルと
同等なカテゴリィーでは決してない。
 
 彼らたちの世界では、
ファッションビジネスの宿命である
「トレンド」と「納期」のリスクがある。が、
ユニクロ・カテゴリィーにはほとんど
実ビジネスに影響を与えるまでの
この2つのリスクは皆無である。

 という事は、このファッションビジネスにおける
最大のリスクである「納期遅れ」と「在庫過多」が無い。
しかし、ビジネス構造は「ファッションビジネス」構造である。
という事は、
他の物販ビジネスには無い「粗利益」が取れる
ビジネス構造そのものの商売である。

 世間へ“ファッション製品”だと思わせる為の
「イメージングと広告戦略」と白人デザイナー起用という
虚業産業のオールドスクールが実態と読める。
 
 更に、ここにリスクヘッジに商社機能を呼び込み、
「国際フリ屋」として、
世界規模の低コスト生産地をクルージングする、
”グローバル・サウス”へのしわ寄せであり、
グローバリズムという“新・植民地政策主義”にサーフしただけの業態ビジネス。

 このビジネス業態の根幹で「44%減で営業利益1450億円?」
というビジネスが可能なのであるから、ある意味で、凄い!!
「ファスト・ファッション」と言う“なりすまし“業態。

 所詮、海外戦略において、かつてから、
「ブラック企業」と評価されたことも決して、忘れてはいけない。
 日本の若い、本当にファッション・クリエーションが好きな
デザイナーたちへの援助もなければ、
彼らたちへ夢を与える企業でもない。

この2ヶ月、「マスク」にも手を出さない。
矢張り、何処かおかしいであろう。

 今回の「新型コロナウイルス騒動」に対しても、
海外のそれなりのラグジュアリィ・ファッションビジネス企業は
何らかの救済ボランティアを早々に始めたが、
このユニクロ系列は未だ、
何も救済事業を行っていない。
むしろ、この機を利用して儲けているだけである。
 
 この企業グループオーナーの“氏育ち“によって
ほとんど、“独裁者”的存在であり、
この企業の倫理観や宗教観の欠如が如実に現れている。
 
 海外のユダヤ人たちのこのレベルの企業には
「Give & Take」と言う倫理的ルールがあります。
 例えば、
 参照/New York Times;
“Should Coronavirus Face Masks Be a Fashion Statement? - The New York Times”
‪https://www.nytimes.com/2020/04/22/fashion/coronavirus-fashion-face-masks.html‬

 僕の様なファッションの立ち居場所にいる者は、
この種のビジネスには共通する、
『あるべきビジネスバランスを顧みず、
「顧客を見下げ、需要と供給のあるべき倫理観」の喪失。』が
ビジネス成功の実態と読んでしまう。

 そして、資本主義の鉄則の一つである、
「金さえあれば、全てが“本意”となる。」の典型方式。
「金さえ使えば、何でもが、可能である。」方式の「あきんど/商人」。

 この企業がこれほどまでに巨大化したのは、
「上手なお金の使い方」と言う「商人」の鉄則を
「時代の追い風」と共に
為して来たからであろう。

 「地方創生」「グローバリズム」「観光立国」「インバウンド」「E-コマース」等などと、
「潤沢な社会の誕生」にMD (昭和の”公設市場の特売”レベル、)を特化させた、、、、。
決して、“デザインファッションビジネス”ではない。

 従って、「44%減で営業利益1450億円?」というビジネスが可能なのであろう。

 さて今後、今回の「新型コロナウイルス・パンデミック」後、
彼らたちは如何ほどに「上手な金の使い方」が出来るのであろうか?
 「ポスト・近代」という時代にも、
戦後の混乱期に誕生したこの様なビジネスの
根幹は今後も、
どれだけ「資金次第」で通用継続するのだろう。
 
 「完全封鎖」後に現れるであろう、
‪一時‬的「爆買い」を既に、読み込んだ
「今期の営業利益、44%減の1450億円?」ビジネスは
今後登場する「シン・スタンダード」にサーフ出来るのか?
或いは、「シン・保守」な時代観にチューニングするのだろうか?
「国民的“なりすまし“ユニフォーム」企業化するのだろうか?

 僕は「緊急事態宣言」後、
“Stay Home”で“ユニクロ系列の儲け方とは?”を「営業利益、1450億円?」
ビジネスの根幹とはをこの様に深読みして考え込んでしまった。

 この「新型コロナウイルス」によって促されるであろう、
「近代」の崩壊とは
即ち、”キャピタリズムの崩壊“という発想。

 では、「差異と力」は
「差異=力=金」が、やはり、全てだという時代も緩和されるであろうか?

 新型コロナウイルスが収束したのちに現れるであろう「新しい時代」では、
これまでの資本主義社会が求めて来た、
「大量生産/大量消費」といった在り方が反省され、
利潤だけを追い求める事より、
人間が中心である「環境問題」としての
「地球環境危機」や「気象危機」などに、
「サスティナブル」にどれだけの関心と為すべき事を、
どの様に具現化してゆくか?

 そのために考えなければならない、
「生産の次元」が決定的により、重要になるでしょう。

 企業における生産過剰によって現実となっている
“エネルギィ消費”や“二酸化炭素排出量”等の
環境危機と気象危機の根幹に関わっているからです。
これらはこの「新型コロナ騒動」以前の
実問題であった事を忘れてはなりません。

 江戸時代の「商人」たちがその商哲学とし、
「倫理観」と「道徳観」から実践されていた「三方良し」。

 「作り手+商人+買い手」のそれぞれが良しと言う商売哲学が
今後、新たな時代としての「ポストキャピタリズム」では、
「自然環境良し+資金周り良し+労働者生活良し」と言うまでの
「三方良し」な関係性の再考がこゝろある商人/あきんどであろう。

 すなわちこれらが、
「繋がる」社会構造や経済構造を考えることが
次なる「ヒューマニズム」であり、
ここに、“人間主義”発想が問われるでしょう。

 やはり、このユニクロ系列企業が求める、
「営業利益、1450億円?」ビジネスの根幹とは?
「大いなる時代錯誤ではないだろうか、」 と言う新しい時代が到来するだろうか!?

 「ポスト・近代」と言う、「ポスト・キャピタリズム」。
或は、「マルクス主義とエコロジー」を学美、謙虚なる根幹があるだろう。
 参考文献/「資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐点」
斉藤幸平編: 集英社新書0988A刊:2019年8月発行:
(出来れば、第三部のポール メイスンから読み始めると馴染みができるでしょう。)
「大洪水の前に、ーマルクスと惑星の物質代謝」斉藤幸平著/堀之内出版刊:
「ポスト・キャピタリズム」ポール メイソン著/ 東洋経済新報社刊: 
合掌。
文責/平川武治:

投稿者 : editor | 2020年5月 2日 15:29 | comment and transrate this entry (0)

, article(134)

(4)コロナウイルス”と言う「テロ」に向き合うと言うこととは-4:

●改訂版;
(4)子供たちがこの”招かざる禍い“をどの様に体験をし、
今後の自分たちの人生のために何を学ぶのだろうか?
 
 「飽食消費社会構造」そのものへの「警鐘」!!!
一方では、もっと現実的には、
「ワクチン強制摂取と言うM.チップスの埋込」と
世界の「人口減少化作用」そして、「新世界/N.W.O.」の樹立化。

 そのための新たな経済構造構築化としての
「デジタルマネーの日常普及」へ、
そして、新たな「國体」が必然となると言うまでの
世界シナリオを読んでしまうのですが。
 参照/ <ビル・ゲイツ 人類の敵。/‪https://youtu.be/PdKqMzzaVH8‬ >

 「ただ、人々を新自由主義に向かわせればいい。
*愚かな人間どもは、やがて自らの欲望によって破滅するのだ。」

 これは、フィリップ・ロスチャイルドに寵愛された、
アイン・ランド/Ayn Randによって書かれた小説、“Atlas Shrugged”からの一文です。
(この本は、世界支配のアジェンダをコード化した小説とされている。)
 参照/<『Atlas Shrugged/アトラス・シュラッグド』Ayn Rand著より:
‪http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=334081&pgh=2‬ >

 これがそれなりの世界の人達が持っている
わかりやすい、 価値観であり、今回の“パンデミック”の根幹ですね。
そして、これが戦後の日本人へも向けられ、
仕掛けられたコンテンツの一つでも有りました。

その結果が現在の日本人の
「長屋の金持ち衆」の自由主義と個人主義思想(?)
そして、「物欲消費社会」という豊かさの享受。
政治は「新・自由主義」と言う民力依存と社会保障減少化と
格差社会を生み出す緊縮政策化。

香港のデモの完全消滅。
B.ゲイツの突然のマイクロソフト社退陣。
1918年のスペイン風邪のパンデミックが「ドル通貨へのシフト」、
今回は「デジタル通貨へのシフト」でしょう。など等、、、、、、
 
 「真実らしい」ことばかりで、
決して、これらは「真実」ではないと言うまでの「なりすまし時代性。」

  誰でもがそうでしょう。
「罹りたく無い」ー「他者に移したくない」ー「死にたくない」ー「生きていたい」。
 では、なぜ”生きたい”のか? この機会にもう一度、考えてみる。

ならば、どのような生き方をしたいのか?
どんな希望や目標があるから生きたいのか?
どのような人たちと、 愛ある関係性と共に、
どのように与えられた人生の時間を
どの様に使って行きたいのか?
どのように、人の為になりたいのか?等など、、、、、、

 ならば、この“機”に今後、どのような人間として、
どのような価値観を持って、
どのような意義と役割を再認識し
どんな人生を歩みたいのか?
 
 “自分の生き様”へのプラクティスに、
この“機”を使うこともありでしょう。

 そして、今後への「再生・自分らしい世の中の為になる生き方」を
考えるにはこの時間は稀に見るスローな流れですから
大いに豊かに、有意義に
考え、使えることでしょう。

 このような時世ですから
どうか、表層の情報に惑わされず、
自分が持ち得た知性と倫理観と経験に委ね、覚悟と共に、
リズムある日常として、呉々も安心なる日々を、
笑顔を忘れずに、“With COVIO-19”を
謙虚に力強く!!生き延びてください。

 どうか、「情報のパンデミック」にうつつを抜かさず、
ただ、ただ、無知と怠慢は不幸を生み出します。
より、謙虚に地球と自然から多くを学んでください。
 第4部終わり。
合掌。
文責/平川武治:

投稿者 : editor | 2020年5月 2日 14:48 | comment and transrate this entry (0)

, article(134)

(3)コロナウイルス”と言う「テロ」に向き合うと言うこととは-3

●改訂版;
(3)では、この様な「新型コロナ ・パンデミック」の収束後は
確実に、人心と経済観念が変わるでしょう。そして、世相が変革するでしょう。
結果、人生の価値観にも影響が及ぼすことでしょう。
 
 そこで、改めて『私たちが望む「豊かさ」とはなんだろう?
「しあわせ」とは何か?』という眼差しが、再考されることでしょう。

 では、今後も何のために「服」を作り売るのか?
究極は、それぞれが持ち得た「自由の裁量」と
そこから生まれるそれぞれの「しあわせ度」への
“May I help you for happiness?” と言う視点が
「ジェネレーション-Z」たちを含む
新しいマーケットを生み出せる可能性でもあるでしょう。

 もしかしたら、”芸術“の世界が然りでしょう。
ならば、それぞれどのような「自由」と「しあわせ度」を選び求められるか?
そこには、より、”人間性“や”人格“と言う倫理観を伴った根幹になるでしょう。

 また、現代の時代観の一つであった、
「簡素な生活と虚飾な生活の何れかを選ぶ “贅沢”が許されている文化と豊かさ」
のバランス観も変化し、それによる新しさが
「新しい普通」をニーズとする時代性も有りでしょう。

 ここには「ユニフォームではない、ユニフォーム」的なニュアンスが
キーワードの一つになるでしょう。
「ファッションではない、ファッション」や、
「服でない、服」等、など。
ファッションの世界そのもののが、
「なりすまし」である事を忘れてはいけませんね。

 僕が提案出来る収束後の“トレンド“とは、
「リアリティのユニフォーム」。
そして、「新しい普通」と言う時代性に登場する
「新しいモノ」の誕生は、
「モノ・余り」+「リ・メイク」+「コラボ」=「ネオ・ハイブリッド・クラフト」、
「手作りではない、手作りモノ」というまでのオブジェ/ガゼット感覚、
「何何ではないが、何々である。」と言う「なりすまし・コンテンツ。」

 多くの高齢者たちが老後の夢としていた
彼らたちの求めた「しあわせ度」の
一つであった 「豪華客船/クルージング」が
あんなモノなのかと言う 覚めてしまった目線、
或は、憧れの「ラグジュアリィ」ブランドも
実は、”Made in China”だった?
これでは「ラグジュアリィ」の鍍金も
剥げてしまう事も起こり得る
今後のモード界でもありますね。

 ラグジュアリィ企業である“L.V.M.H.社“の
ラグジュアリィーの実態に一端が解るサイトです。
是非、ご一見を!!
 参照/サイト;
 ●ディオールのドレスはインドの奴隷職人によって作られる/N.Y.Times
https://courrier.jp/news/archives/198276/
 ●ルイヴィトンの靴は世界最安のルーマニアで生産/
https://courrier.jp/news/archives/96224/?utm_source=article_link&utm_medium=textlink&utm_campaign=articleid_198276

 気がついて調べてみると、
この地上で、”The Fashion Week“は 既に、
世界中、25都市以上で、 同じシステムで
コントロールされているのが現実です。
ここにも、ある種の「利権」ビジネス構造が
メディア界を軸にしてそれなりの人種たちによって
構築されてしまっています。

 中身のファッション・クリエイションは
その大半が、「過去のアーカイブスのザッピング」。
従って、ショー自体が”エンターテイメント“。
演劇化やダンス化それにコンサート化や「男装ザ・タカラヅカ」
結果、シャンペン業界も賑わうという“Luxury・ビジネス“構造。

 まるで、映画、「OZの魔法使い」のドロシーたちが
“芥子畠”でひと眠りしてからやっと辿り着いた
“OZの塔/クリスタル・タワー”さながらの現実が
「ガラ・パーティ」としてより、盛んになるでしょう。
グランドフロアーでは、派手でヴァニティなパーティーの賑あい、
その上層階では??? (ぜひ、カルト映画、“wiz“も併せて観てください!)
この現実がいよいよ、より肥大化してより、現実に。
 参照/“WIZ” / ‪https://ja.m.wikipedia.org/wiki/‬
%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%BA_(%E6%98%A0%E7%94%BB) 

 どうか、みなさん自粛生活を笑顔と共に、愉しんで下さい。
“Please, enjoy your life of the self-discipline with cool smiles.”
合掌。
文責/ 平川武治:

投稿者 : editor | 2020年5月 2日 02:19 | comment and transrate this entry (0)