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デザイナー池田友彦の「Bemerkung/べメルクング」を読む。ー「解剖されたシャツ / Dissected shirt」或いは、「モードのマニエリスム」。
最近、僕はファッション・デザイナー池田友彦君が昨年の12月に立ち上げた
新ブランド「Bemerkung/べメルクング」に興味を持って見続け始めている。
今回は第2回目の展示会を行い、7月6日からの受注会へお邪魔して見せていただいた。
前回の第1回の彼のコレクションに対する僕の眼差しは「解体されたT-シャツ/
Disassembled T-shirts.」であった。
初めてのコレクション故の限られた条件において、最も自分らしい世界を構築しなければ、
あるいはやらなければという考慮と決心がこの第1回には大いに働いたコレクションだった。
いわゆる、コムデギャルソンという"宮使い"から開放されて何もかも自分のコストとリスクで
行う"ブランドビジネス"に於ける「創造のための発想」のプライオリティはやはり、
「自分の世界観」であり、身につけ持ちえた自分の「差異」をどれだけ強烈にカッコよく
自分のスキルと技術と培った関係性を共に効率よくプロパガンダができるかに賭けたかであろう。
そこで彼、池田君は「T-シャツ」を選び、今回は「シャツ」を選んだ。
僕的にこの前回の「解体されたT-シャツ / Disassembled T-shirts.」で残念だったことは
手法としての「解体」が結果、大半が「平面的」でしかなかった事だったが、
着るとこのデザイナーが好む"構築的なフォルム"に「T-シャツ」の素材の柔らかさが案外絶妙な
「アンバランスなバランス」観を生み出していて新鮮な世界観を創造していた、このデザイナーの
「3D的感性」が感じられた「小粒ながら筋のいい」コレクションだったと言う感想だった。
ほとんどの日本人デザイナーが陥りやすい"デザイン・プロブラム"は、「平面的」なバランス
感覚でしかまとめられないという欠陥である。「TOGA]も「SACAI」等もこの「平面性」を
フェイクするために、"異素材"のパッチワークをデザイン・ソースとした然りの代表デザイナー
でしかない。
だが、池田君はやはり、パターン・メイキングを学び、それに飢えている川久保玲とマンツー
マンで仕込まれて来た賜物であろうか、僕は彼のこの「3D的感性」は彼が持つ大事な「差異」の
一つであると感じている。
前回のコレクションで彼が選んだ「T-シャツ」では、僕はかつて、あのH.ラングが90年代初め
にウイーンのクンストで初めて教壇に立っていた時の逸話を思い出した。
彼は1年間教材として「T-シャツ」をテーマにして授業を行ったという事である。
最も、肌に近い、いわゆる"肌着"である「T-シャツ」をどの様にモードの世界へ引き込む事が
出来るか?という基本的なミニマリズム的眼差しから、限られた素材と、限られたデザイン領域に
まで発展させて、H.ラング流「T-シャツ」の世界観を展開したのである。
見事な「ミニマリズム」に徹した彼しか出来ない発想と精神性を教育の世界で行なった。
まさに彼、池田君の第1回コレクションの世界と重なる印象をH.ラングのウイーン時代を
思い出しながら、今回の第2回目のコレクションで彼が見せてくれたのは、"シャツ"を素材とした
「足し算のデザイン」であり、このコレクションへの僕の眼差しは、「解剖されたシャツ /
Dissected shirt」である。
ここで、読者のためへのお節介として、「解体と解剖」の僕的相違点を述べておく。
「解体」とは、「 組み立てられているものや組織をばらばらにして,全体の形やまとまりを
なくすこと。また,そうなること。」であり、
今回の「解剖」とは、「 物事の内容・組み立てなどを細かに分析して研究すること。」である。
2000年に入ってからのファッション・クリアティビティにおいて、"リ・メイク"という手法が
流行った時期があったし、多くの若手と称されたデザイナー達が試みた過去があった。
ここには"若手"だから挑戦しやすい現実としてのモチベーションと時代性が存在したからで
あり、この時期の"リ・メイク"の素材の主役を担ったのが「シャツ」だった。
彼が"宮使い"をしていたCdG のH.P.でも盛んに"過多なる在庫品処理"発想での
アヴァンギャルドな「シャツ」がランウエーを賑わせた時代もあった。
しかし、ここでファッション・アイテムとしての「シャツ」を考えるとそれ以前までの
「シャツ」とはいわゆる、「洋品」の世界のアイテムであり、"インナーウエアー"のカテゴリー
であった筈だが、この"リ・メイク"が流行した以後、「シャツ」は"アウターウエアー"にも
変身し結果、プライスもただ単なる「シャツ」プライスから、"アウターウエアー"としての
モードのプライスゾーンが誕生した。
ここにも、僕がよく例に出して発言している、「川久保玲は"粗利の取れる"デザインが上手い
デザイナー」であるが証明されている一端だ。
今回の「Bemerkung/べメルクング」のコレクションも全く、彼の8年ほどの"宮使い"で
身につき、学んだスキルと手法とその根幹がこのデザイナーらしく"誠実"に媚びる事なく、
激しく、素材としての「シャツ生地」を足し算するだけでなく、このコレクションに想いを賭けた
池田君の心と時間も細やかなステッチと重ねられ嘗て、シャツだった部材を自分が経験した
"宮使い"で見た彼の心象風景をも"足し算"された「モードのマニエリスム」が作品化されている
参考 / https://ja.wikipedia.org/wiki/マニエリスム
例えば、"毛芯"をベースにした7分丈のコオトにはこれでもかというまでの痕跡を縫い込む。
この世界が激しく、先鋭的に或るものは、狂った様にこのデザイナーが持ちえた今回の
コレクションへの意気込みと想いと願いが、幾重にも重ねられ縫い込まれることによって、
"宮使い"時では決して出せないアヴァンギャルドな「"極端と普遍性"のマニエリスムな世界」を
構築した。
それに、今回の様な結果、彼の"凝り性"が現実の"モノ"に落とし込まれるには、それ相当の
経験と技術と手を持った"工場さん"がとても重要で必須であることも論じる者は見逃しては
ならない。
従って、彼は自分が、リスペクトし、大好きな川久保怜との厳しくも充実した"宮使い"で学び
感じ経験した事全てをより、私的に"再構築"したコレクションであろう。
この様に"新人デザイナー"が持ちえた「差異」が何であるかの大切な一つに、自分のキャリア
がある。ここには、彼、池田君が持ちえた"キャリア"が上質であるが故に痛快にそして、"大胆
かつ繊細に"まとめ上げられ、進化した今シーズンの「Bemerkung/べメルクング」コレクション
だった。
蛇足ながら、次回の"3回目コレクション"が大切であり、重大な今後への"節目"になる。
僕の経験では、"3回目"でどの程度のレベルのブランドとしてやって行けるかが読める分岐点。
自分の「差異」を持ちえた熱量とともに、総合的にどのように自分が持ちえた"リアリティ"に
よって「世界観と文化度」にまとめ挙げられるか?が問われるシーズンである。
なので、僕は益々、楽しみである。
今回の有り余る想いとアイディアを「足し算」にしたコレクションから、次回はどれだけの
「引き算」によって、「何が消されて、何が残されるか?」が問われる、もしかしたら、
「ミニマリズム」なコレクションなのであろうか?
僕が感じる"時代のニュアンス"は、じわじわと「ロマン主義から、ミニマリズムへ」
そして、新たな世代たちへの「ミニマムへ、」。
合掌。
協力 / 代々木上原のセレクトショップ「ブレス・バイ・デルタ(BREATH BY DELTA)」
文責/ 平川武治。
初稿 / 2025年07月07日。
投稿者 : editor | 2025年7月 9日 12:05 | comment and transrate this entry (0)