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"1992年の"地球サミット"(リオデジャネイロ)で、 当時、12歳の少女セヴァン=スズキが行った 「伝説のスピーチ」。

今年の桑沢デザイン研究所、全体講義のためのテキスト。
「1992年の"地球サミット"(リオデジャネイロ)で、当時、12歳の少女セヴァン=スズキが行った「伝説のスピーチ」全文です。
/ https://www.youtube.com/watch?v=oJJGuIZVfLM
 初稿/2022−05−10/参考テキスト:
 文責/平川武治:

1)はじめに/
 この「伝説のスピーチ」からもう30年が経っています。 
そして、この30年間で、新たに登場したITの世界やグローバリズム社会で"世界の富豪"に
成り上がった人たちが多くいます。
消費文化人になった人もいるでしょう。
お父さんやお母さんになった人もいるでしょう。
そして、新たに誕生した子どもたちも多くいるでしょう。
 
 でも、何が変わったのでしょうか?
地球が、自然が、水が、空気がどれだけ、変わったのでしょうか?
これらの環境での生き物たちや多分、子どもたちが息苦しくなっただけでしょう。
 30年も前の、この12歳の少女セヴァン=スズキが行ったスピーチは傍観者たちへいっときの
感傷を与えただけだったのでしょうか?

 今、"SDGs"を"サスティナブル"をそれっぽく唱えている企業の富裕層者たちは、政治家たちは、
学者たちは、メディアは、この30年前の12歳のセヴァン=ススキさんのスピーチをどのように聞き、
どのように自分たちの"こゝろ"に思い込んだのだろうか?行為に至ったのだろうか?
 この時期に誕生した"グローバリズム"という新たな「植民地政策主義」を利用して、
自分たちが儲けられる仕組みをより、構造化し、それを堅持し、今ではそれを"持続可能な"という
言葉を使い始めた人種たちはここでも、「今だけ、金だけ、自分だけ、」の「新・自由主義者」を
真面目に謳歌している輩たちであろう。

 例えば、「グリーンウォッシング/Greenwashing」という言葉を知っていますか?
この「グリーンウォッシング」は、消費者も時代の知識として知っておくべき、ボケブラリーです。
 「グリーンウォッシングとは企業のマーケティング戦略の一つであり、環境問題に関する公共利益
の上昇を利用し、その企業の環境に関する活動や商品について虚偽的、もしくは誤解を招く恐れの
ある発言をすることである。企業の好意的なイメージを作り出すために、関連する問題点に関して
完全に発表せずにポジティブなメッセージだけが選択的に伝えられる。」

(参照/By VOGUE/https://www.vogue.co.jp/tag/greenwashing)
 従って現在、多くの"ファスト ファッション"企業が使い始めている「サスティナブル」と言う
トレンドボキャブラリーのその実態はほとんどが、自分たちの企業のマーケティング戦略の一つとし
てのフェイクであると認識してください。

 これから僕たちや皆さんが考え求めるべき「豊かさ」とはどのような"豊かさ"なのかを、
もう一度考え直す時期が、この"COVID-19"禍後の"The New Normal"という「フツーが新しい」
が始まったからです。 "今でしょう!"。
 あれからの30年後に、"ファッション産業ビジネスが迎えた現実とは?"、
この30年間で新しく登場した、"コンピューターとケイタイ社会"そして、"グローバリズム"と
言う「新植民地主義」。それによって可能になった、「ファストファッション」の登場と、
「ハイブランド」の「より、虚飾化」。彼らは "グローバル サウス"と"グローバル ノース"の
「二元論」による"関係性"が生み出した、新たな世界規模の富裕層は「格差社会」を構築し、結果、
「地球と自然環境問題」「気象危機問題」「食料問題」「人口問題」などなどがこの30年間で新たに
登場し、認識された「深い負」の現実の一面。そして、「人新世」のプロブレムである。

 「強い国家」「強い科学技術」そして、「強い経済」で代表される20世紀、「戦後近代」を支えた
「力の思想」と「二項対峙」、「地球」と「人間」の「二元論」に依存するものではなくこの脆く、
壊れやすい地球と自然環境世界を"人間中心主義"的なる目線ではなく、"地球を慈しむ"こゝろで
"ケアー&キュアー"する、愛ある行為が、「これから生まれ、生きてゆく子供達のため」への、
考えなければ、なさなければならない、新しい「豊かさ」になるのでしょう。
 
 ここでは、お願いです、日本人の美徳でもあった、「倫理観」を忘れずに、決して、「近代社会」
の根幹であった、もう古ぼけてしまった「白人的二元論」だけに委ねることなく、
そして、「今だけ、金だけ、自分だけ。」の「新・自由主義」の日本人にはならないでください。
 文責/平川武治:

2)「伝説のスピーチ」全文/ By Severn Cullis-Suzuki : 
 『こんにちは、セヴァン・スズキです。
エコを代表してお話しします。
エコというのは、子供環境運動(ECO/Environmental Children's Organization)の略です。
カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、自然環境を守るための活動をしています。
 あなたがた大人たちに、どうか生き方をかえて頂くよう、お願いするために、
自分たちでお金を集めて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をして来ました。

 今日、私たちが話すことは、すべて嘘のない本心の言葉です。
なぜって、私たちが環境運動をしているのは、私たち自身の未来のため。
私たち子どもが、自分の未来を失うことは、あなたがた大人が選挙で負けたり、株で損したりするの
とは次元の違う問題なのです。
 私たちがこれから話すことは、未来に生きる子どもたちのためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。
そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちの泣き叫ぶ声は、あなたがた大人の耳には届きません。
どこにも行くところがなく、次々と絶滅して行く数え切れないほどの生き物たちのことも同じです。
だから、世界中の子どもたちや生き物たちに代わって、私たちが話すのです。

 太陽のもとにでるのが、私はこわい。それは、オゾン層に穴があいているから。
呼吸をすることさえこわい。空気にどんな危険な化学物質が混じっているか分からないから。
お父さんと一緒に、よくバンクーバーで魚釣りに行っていました。
数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまでは。
 そして今、毎日のように動物や植物たちが絶滅していくのを、私たちは耳にします。
一度絶滅してしまった生き物は、もう永遠にもどってはこないのです。
 私には小さいころからの夢がありました。
それは、いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルや熱帯雨林を
見ることでした。
 でも、私は見ることが出来ても、私の子どもたちは、見ることができるのでしょうか?
 
 あなたがた大人は、私ぐらいの年令の時に、今の私と同じように、未来の自分の子どもの心配を
したことがありますか?
 こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるで
まだまだ余裕があるようにのんびりと構えています。
 まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきりわかりません。
そして、あなたがた大人も、本当の解決法など持っていないと思います。
だから、せめて、「本当の解決法など持っていない」ということだけは、自覚して欲しいのです。

 あなたがた大人は、オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか知らないでしょう。
死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか知らないでしょう。
絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか知らないでしょう。
そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって緑の森をよみがえらせるのか知らないでしょう。
 
 だから、大人のみなさん、どうやって直すのかわからないものを、
壊し続けるのはもうやめてください。
 
 ここに集まっている大人のみなさんは、いろいろな国の政府の代表者や、企業や団体の代表者、
そして、報道関係者の人たちです。でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親であり、父親で
あり、姉妹であり、兄弟であり、おばさんです。
そしてあなたがたの誰もが、誰かの子どもなんです。

 私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。
そうです50億以上の人間からなる大家族であり、3千万種類以上の生物からなる大家族です。
 いろいろな国の政府や国境が、どんなに分け隔てをしようとも、私たち地球で生きるものたちが
1つの大家族だということは、変えようがありません。

 私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして
行動しなければならないことを知っています。
 わたしは、今のひどい環境を見て、怒りで心が震えていますが、それでも、自分を見失ってはいません。
 わたしは、今のひどい環境を見て、恐怖で体が震えていますが、それでも、自分の気持ちを世界の
人たちに伝える勇気を持ち続けています。
 私の国での無駄使いは大変なものです。買っては捨て、また買っては捨てています。
そして、そんなにたくさんの物を無駄にしている北の国は、物が不足している南の国と分かち合おう
とはしません。
 物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、少しでも手放すのがこわいのです。 
 
 カナダで暮らす私たちは十分な食物と水と住まいを持つ恵まれた生活をしています。
食べ物も、水も、お家も、何でも十分にあります。時計、自転車、コンピューター、テレビ、
私たちの持っているものを数えあげたらきりがありません。

 2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました
一人の子どもが私たちにこう言ったからです。
 「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、
住む場所をあげるのに。それから、やさしさと愛情もね。」
 住むところもなく、今日、食べる物もない一人の子どもでさえ、自分のことだけでなく、
みんなと分かちあうことを考えているのに、全てを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、
どうしてなんでしょうか?
 この子供達は、私と同じぐらいの年齢でした。私は、自分と同じくらいの年齢の子ども達が、
こんな生活をしていたことが、とてもショックで頭から離れません。
 同じ人間なのに、同じ大家族の一員なのに、どこに生れついたかによって、こんなにも人生が
違ってしまう。
 もしかしたら、私がここブラジルのリオの貧民窟に住む子どもの一人だったかもしれないのです。
そして、飢えに苦しむソマリアの子どもだったかもしれないし、大人たちの戦争の犠牲になった
中東の子どもだったかもしれないし、インドで乞食をしている子どもだったかもしれないのです。

 もし世界中の国の大人たちが戦争のために使っているお金を全部平和のために使えば、
環境や飢餓の問題のために使えば、この地球がすばらしい星になるでしょう。
 私はまだ子どもですが、それでもこのことを知っています。
小学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世の中でどうふるまうかを教えてくれます。 
 たとえば、
*争いをしないこと
*話しあいで解決すること
*他人を尊重すること
*ちらかしたら自分でかたずけること
*ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
*分かちあうこと
*そして欲ばらないこと
 ならばなぜ、あなたがた大人は、私たち子どもに「するな」ということを、
自分達はしているのですか?

 みなさんは、今日、何のためにこの会議に出席しているのか、
どうか、そのことだけは忘れないでください。
そしてこのような会議をいったい誰のためにやっているのか。
それはあなたがたの子どもつまり私たちのためなのです。
あなたがたはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めてようとしているの
です。 
 
 親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」といって子ども達をなぐさめます。
あるいは、「できるだけのことはしてるから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」と言いますよね。
 だけど、今の地球の環境を見たら、もうこんな言葉を自分の子どもに向かって言えないと思います。
 わたしたち子どもの未来のことなんて、みなさんの議題の中にすら入っていないじゃないですか。
みなさんは、私たち子どもの未来のことを本当に考えてくれているのですか?

 私のお父さんは、いつも、「人間の価値は、何を言ったかではなく、何をしたかで決まる」と
言っています。でも、私は、あなたがた大人がこの地球に対していることを見て、泣いています。
それでも、あなたがた大人はいつも私たち子どもを愛していると言います。本当なのでしょうか?
もしそのことばが本当なら、どうか、本当だということを言葉でなく、行動で示してください。
 
 最後まで私たちの話をきいて下さって、ありがとうございました。』
参考/ YouTube/
Severn Cullis-Suzuki at Rio Summit 1992
/https://www.youtube.com/watch?v=oJJGuIZVfLM

投稿者 : editor | 2022年5月16日 20:16 | comment and transrate this entry (0)

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