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『明日という未来の始まり』への眼差し−1/「THE NORTH FACE」と「UNIQLO」ー"COVID-19"がもたらした、"New Normal"の新しい情景。

『明日という未来の始まり』への眼差し−1。/
勝ち組ブランド、「THE NORTH FACE」と負け組ブランド、「UNIQLO」の差異としての
"企業文化度"。/

初稿/2022年03月03日:
文責/平川武治:

 一度も、外国へ出掛けない35年ぶりの24ヶ月が過ぎてしまいましたがこのような、世間とそれ
なりの隔たりを持ってすでに、生かされてきている僕には、このゆったりとした穏やかな時間の流れ
は自然の四季を愉しみ、また新鮮で新たな好奇心も見出せたようです。
 まさに、「速度は豊かさを隠し、深い観想的な注意の可能な時間」を実体験で知らされた日々で
す。
 そして一歩、巷へ出ると、"COVID-19"がもたらした、全く異種で過剰な、散漫な注意によって
ますます文化的所産の根幹が隅へ追いやられた、"New Normal"の新しい情景が見え始めますね。

1)やはり、"国民的ファッションブランド"にはなりきれなかった、ブラン「UNIQLO」
COVID-19禍以後で、巷で見かける一人勝ちしたブランドは「THE NORTH FACE」であろう。
 "ショルダータトゥー"の位置にマーキングされているロゴの「THE NORTH FACE」。このマーク
がCOVID-19禍以後、やたらと目につく。上下各ウエアー類からサックそれにキャップや手袋に至る
まで。多分、これがCOVID-19禍以後の"独り勝ちブランド"であろうか。
 これはCOVID-19の免疫性を衣料品類に考慮した「プロテクション」というコンセプトによって選
択された結果であろうか?それに、ワールドワイドなブランディングイメージからのカッコ良さとオ
シャレ感も踏まえたいわゆる、"機能性と良質さとファッションセンスそれに、外国モノ"であり、
このブランド企業の育ちとコンセプトとミッションが現在のCOVID-19禍以後の社会不安に対して他
者を引き込むマジックを持っているためであり、これにのかったメディアの後押しと共に、功を奏し
た"足し算"によって、決して安くないこのブランドが"独り勝ちブランド"になったのだろう。
 現在のこのブランド、「THE NORTH FACE」の日本での商標権は古くからのスポーツユニフォーム
メーカーの"ゴールドウイン社"がホールディングしライセンスビジネスを行なっている。

2)では、どこのブランドがこの"New Normal"に乗っ取られてしまったのか?
 この煽りを食って、結局は"衣料品ブランド"に落ち着いてしまったのが、「UNIQLO」であろ
う。

 いわゆる、新たな時代への転機となる可能性があった"New Normal"に「ファッションブランド」
というカテゴリィーでイニシアティブが取れずに、完敗してしまったと読めるべき現象が今も続く。
 本来なら、「UNIQLO」はこの"New Normal"以後にあるいは、これを機にして、従来からの羨望
と相当な広告費を使って煽ってきたはずの「国民的ファッションブランド」の立ち居場所を取るべき
確実な戦術と戦略が必然であったはずだったのに。
 この根拠は、現在の「ファースト リテーリング」が持っている筈の「企業規模と資金力そして、
日本の技術力と素材力加えて、日本人魂」によって可能であった筈だからだ。しかし、残念ながら
この結果が全く見えずに、実市場では惨めにも"完敗"してしまっているようだ。この企業もその生い
立ちによって、今は多くの環境問題や雇用問題の根幹、"グローバル・サウス"問題を抱えてしまって
いるが、そのための企業倫理への投資も見え難い。それに今後日本においてもこの1月に世界に先駆
けて法令化された"フランスにおける「衣服廃棄禁止令」"が取り沙汰される日も近いで
あろう。そうなれば、真っ先に矢面に立たされるのがこの「UNIQLO」であり、このブランドを追随
してきた後発の諸SPAブランドなのだろう。

3)では、この"一人勝ち"を許した根幹とは何だろうか?を考えてみよう。 
 「THE NORTH FACE」と「UNIQLO」、両ブランドの「差異としての"育ち"の違い」が根幹
要因として考えられる。

 この「THE NORTH FACE」はあの'80年代には世界を風靡した当時の"ファスト・ファッション"
の元祖ブランド、"エスプリ"の創立者でもあった'43年生まれのダグラス・トンプキンスと彼の妻、
スージーが'60年代半ばに設立した、元ヒッピーたちの"カウンター•カルチャーコンセプト"を企業
化し成功させた典型的な企業である。その後、この"エスプリ"を香港とドイツの企業にそして、
「THE NORTH FACE」も米大手アパレルのVFcorporationへ売却した。その後、トンプキンス夫妻
は"PATAGONIA"の立ち上げにも参画した、自然保護論者でありその実践者として彼が、2015年12月
にチリ領パタゴニアでカヤック事故により亡くなるまで"ディープ・エコロジー"の支持者であり、不
屈の"当事者"であった。このブランド「THE NORTH FACE」の企業理念には"ヒッピー魂"が確固た
る信念と気概があり企業構造の根幹になっている。
 この「THE NORTH FACE」の「企業文化度」が昨今の"COVID-19"が不確実な時世を生み出した
現在という時代には何よりも"人心を落ち着かせる"一人勝ちブランドとなったのであろう。
(参照'http://www.tompkinsconservation.org/news/en/2015/12/09/douglas-tompkins-a-force-for-nature/)
 
 一方、「UNIQLO」の育ちは、'49年生まれの柳井正氏が小郡市で先代からの家業であった、メンズ
衣料品店を引き継ぎ現在に至っている。『紳士服小売りの「メンズショップ小郡商事」を立ち上げ、
1963年にファーストリテイリングの前身となる小郡商事株式会社を設立した。その後、1984年に父
の後を受け小郡商事社長に就任。「ユニークな衣料 (clothes) 」ということで「ユニーク・クロ
ージング・ウエアハウス(Unique Clothing Warehouse、略称ユニ・クロ)」と銘打って同年6
月、まず広島市にその第一号店を開店。1号店は今と異なり、有名ブランドを安価で販売する形態。
(いわゆるバッタ屋に近い。)ユニクロで買い物をするのは「恥ずかしい」との評があった。この時
期に、姉妹店としてVAN専門のVANSHOPも経営していた。』これが「UNIQLO」ブランドの"育ち"で
ある。(参照/https://ja.wikipedia.org/wiki/柳井正)
 その後、'91年に社名変更をし'96年以降グローヴァリズムの追い風と商社の入れ知恵に乗っかり
当時の、"ヤンキーたちのマイルド化"をターゲットに現在の"怪物企業"へ成長を遂げる。2020年の
柳井正氏の個人資産は推定資産243億米ドル(約2兆5889億円)、世界ランク41位、日本ランク1位だ
そうだ。(参照/https://ja.wikipedia.org/wiki/柳井正)

 ここで、一つの視点として『両ブランドの「差異としての"育ち"の違い」が根幹要因として考えら
れる。』、あえて言って仕舞えば、"持ち得た「夢」以上の現実を手中にしてしまった人たち"が
どのように、「上手なお金の使い方」が成されるか?これがその人の「人格あるいは、品性」の根幹
になろう。いわゆる、「金持ちランキング」における数字にその拠り所が所在するのではないだろう
そして"人間の育ち"とはこんな現れ方をするものなのであろう。
 現在的には、"知的にあるいは、人道的に、または地球にそして、自然環境に、"上手なお金の使い
方はその企業あるいは商標としてのブランドにも今後、「全ての差異」を生む。

4)追記/スージー&ダグ トンプキンス夫妻と倉俣史朗さんと八木保さん。
 最後に、彼ら、スージー&ダグ トンプキンス夫妻には案外日本人の知人が多くいた 
僕の個人的な思い出では、僕が大変、リスペクトしていた知人でもあったインテリアデザイナーの
故倉俣史朗氏が"エスプリ"の香港1号店のショップを'84年にデザインしその後、東京に構えた
"エスプリゲストハウス"もデザインする仲だった。
(参照/http://blog.livedoor.jp/hk_designworks/archives/53355068.html)
 また、84年頃には"浜野商品研究所"からサンフランシスコの"エスプリ本社"へ、スージー&ダグ
たちのラブコールと倉俣さんの繋がりで移籍して、"エスプリ"のアートディレクターとして活躍なさ
っていた八木保氏がいらっしゃる。彼は'90年代半ばに、ファッション業界でパルファンブームが
起こった時に、あの"ベネトン"も香水を発売したことがあった。この時のボトルデザインも八木保氏
がディレクションしその後、サンフランシスコで独立なさり、"Tamotsu Yagi Design"を設立。
以後、ダグたちとの関係性からスティーブ・ジョブスと一緒に仕事をした数少ない日本人グラフィッ
ク&アートディレクターが八木さんである。(参照/http://www.yagidesign.com/)
 そして、"釣り仲間"から"PATAGONIA"の日本上陸に一役買った浜野安宏氏もいる。

 '70年代、世界では元ヒッピーたちがその後、自分たちの生き方やそのコンセプトである「豊かさ
からの逃避」の当事者となりその後この経験を事業化し、成功した例は、このファッション業界には
案外、多かった。
 多分、この「豊かさからの逃避」に"新しさ"を求め始めたのが今の「Z世代」なのだろう。
文責/平川武治:#
初稿/2022年03月21日:

投稿者 : editor | 2022年3月 5日 15:21 | comment and transrate this entry (0)

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