« 僕の、今シーズン最初で最後の東京コレクション記−2。/"コロナ禍"後の時代の現代において、何をデザインすればいいのか? | メイン | 2023年6月20日/『3年半ぶりの僕のパリ。』その参-新しいパラダイムとその風景-2。 »
『2023年6月20日。3年半ぶりの僕の巴里。』 / その壱-プロローグ。
1)久しぶりのパリ。
前回、この街から戻って来たのが確か、'20年の三月の初めだった。
以後、"パンデミック"による何処にも出れない渡航不可能な"監視社会"の中での生活だった。
そして、コレクションからも、モードからもそれなりの距離をとっていた36年ぶりのこの3年半。
6月20日。羽田A.F.00:05便発〜05:50パリロワシー空港着。
ここにも、"ウクライナ戦争"の影響で、ロシア上空を飛行出来ない、14時間以上の空の旅。
やはり、この街も変わっていた。
したがって、モードも変わってしまった。
この3年半の空白を僕なりの視点で凝視める。
この街も落ち着かない。
騒々しいそして、苛立ちや不満が充満し、堆積してしまっている。
その中で自己確認して行かなければならないことが、彼らたちにとっての"生きる"必然。
いわゆる、都会特有の生きてゆく人間たちが背負ったサガ。
これがコロナ禍でかなり深く、すでに、広く堆積してしまったのであろう。
久しぶりのブリュッセルやチューリッヒで目を引いたのが、
「ホームレス」と「立ち小便」。
今の日本ではすっかり消えたしまった都市の恥部の表層。
来年の、"オリンピック"を目前にしているこの巴里では
道路工事とともに、彼らたちをも清掃し始めている。
もう一つ、この街も"異邦人"或いは、"イミグレーター"たちも
すでに数多く堆積し、生活を営み、「大衆消費層」を構築し始めている。
この彼らたちの存在と彼らが営む生活と街の様は僕たち日本人には理解しきれない。
が、彼らたちが目指しているのは日本の消費社会そのものでしかない。
現実として"進化"してしまったこの風景が、この街の大きな経済効果の一つになっている
"モードの世界"にも関わっている。
それは"ファッション ウイーク"に身を置くとはっきりとわかる。
会場に、その周辺に群がる観客としての"傍観者"の様が変わってしまった。
コロナ前からその先駆けたちは落ち着きなく、未知の世界に触れることへの恐怖感と喜びと
その輝きに魅せられ始めた彼らたちがいた。
が、このコロナ禍後の変貌は彼らたちが、もう我が者顔で、
"コレクション ヴィクティム"になりきっている。
3年半ぶりの僕は、この"コロナ禍"によって見事に、世代交代果たし始めた
"コレクション ヴィクティム"に混じり、馴染まぬまま幾つかのコレクション会場への流れに乗る。
しかし、今回のこの3年半ぶりの渡欧には一番のミッションがあった。
今年、2月12日に亡くなったブリュッセルの旧友の墓参であった。
文責/平川武治。
初稿/2023年07月20日。
投稿者 : editor | 2023年8月 9日 14:53 | comment and transrate this entry (0)