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第二部。/ 現代アートを学ぶ学生にモードのことを少し、知ってもらう為、"京都市立芸術大学 構想設計専攻科" で講義をする。

 前回に続き、「初めての学校、初めての生徒。
縁あって、「京都市立芸術大学 構想設計専攻科」で講義をする機会を頂いた、その二。」
テーマは、 『 "ファッションの立ち居場所から見たアートとの"関係性とその差異"の現在。』
この時の"講義用デ" ジュメ"の後半です。

 今回は、 「伝えておくべきファッションについての幾つかの事。」として、
『アートとデザインの「差異と類似」について、』と、『 現在のファッションの世界の新しさの根幹は?』と、
そして、『近未来を見据えたときに気になるファッションの新しさとは、』を話しました。

 文責 / 平川武治。
 初稿 / 2024年06月19日版−2.

 5) 「伝えておくべきファッションについての幾つかの事。」
  そのー1)まず、「アートとデザイン」の「差異」についてです。/
 端的に言ってしまえば人間もそうである様にただ、"生まれ育ちが違う"事でしょう。
どれだけ深く、自心のこゝろの有り様と言うカオスに自由に、本能ある美意識を持って作品制作の為の
"A source of the inspiration"を持ち得るか、その誠実さと深度であり、そこにどれだけの"倫理観"が介在しているか?
でしか無いのです。
 結果、この2つの世界で論じられる、"パクる、パクらない"の世界は倫理であり、大衆資本経済主義における"広告産業"との
関係性が大いにこの"育ち"の違いを露骨にしていると思っています。
 故に、『アートとデザイン』における"創造のカオス"の違いがそれぞれの世界観を自由に、面白く"作品"として表層化している
のも、戦後日本の育ちの悪さと歪さであり、これが現在の特質でもあるでしょう。
 「デザインとは、コミュニケーションです。」/ 
 まず、"デザインすることとは?"「機能あるものを生活空間の中で装飾すること。」です。
ファッションの世界は"ブランドの世界観"を通じて、各々のシーズンコレクションのデザインによって
"他者とコミュニケーション"を取りつつも、ビジネス中心の実業の世界です。
 そして、そのデザインの「根幹」には、"May I help you?"という "こゝろの有り様"があります。
したがって、"芸術の領域"では、アーティストは例えば、300%以上の自我を出すべき世界でしょうが、
ファッション・デザイナーは"エゴセントリックな世界"ですが、100%が限界でしょう。
 「ファッションは衣服を中心とした "消費財"です。」/ 
 ファッションは、"生活の中の美しさ"を生み出す"消費財"ですが、ファッションの世界は"芸術"ではありません。
この僕の根拠は、ファッションにおける、"A source of the reation" には、デザイナー個人の"カオス"や「ユーモア、ペーソス、
メタファーそれに、アイロニーなどの個人的感情移入」が強ければ強いほど「売れない」という乏しい世界であり、やはり、
最終的には「売れる?売れない?」の判断に委ねられ、「ブランド継続」の為の現実の世界です。
 これはファッションとアートが持ち得た産業構造の「差異」に由来することだからです。
従って、ファッションの"創造性"において、「芸術的な感覚や発想」が伴う場合もありますが、商品の"服"は消費財です。
つまり、全てが"ビジネス"が最優先される世界だということです。これを明言して、デザイン活動をしていたデザイナーに、
あのK.ラガーフェルドがいました。日本人デザイナー、例えば、三宅一生などは自らが持ち得た、「アートコンプレックス」から
ファッションもアートであるという立ち居場所を持った日本人デザイナーが多いでしたね。
 
 そのー2)「アートとデザイン」の「類似」についてです。/
 1)「世界のファッション産業は90%以上がユダヤ民族の人達で成り立っている世界です。」
この現実はアートの世界も殆ど同じです。まず、彼らの持っている美意識が高いこと。そして、ともに、「自由の産物」であり、
何よりも「イメージ」という付加価値を「差異」化して、それを"力/金"に変えるビジネスに長けている民族だからでしょう。
 ファッションの世界では16世紀以前より、東欧系のユダヤ民族が繊維産業に従事していたことに由来し、
世界中に飛び散っている彼らたちの民族が一つの産業によって繋がり、その彼らたちの「関係性」によって委ねられた一種の
コミューンを形成しているのがこの"ファッション産業"の実態なのです。
 現在では、素材工場から縫製工場それに、デザイナー、バイヤー、ジャーナリズムとジャーナリスト、プレスエージェント、
マヌカン、フォトグラファーなどが彼らたちによって"シンジケート的存在"構造になっています。
 この現実は「アートビジネスの世界」も同様ですね。アーティスト、ギャラリスト、キュレーター、コレクター、
ジャーナリズムとジャーナリストそれに、サロン団体等。
 このようにこの2つの産業構造はユダヤ人たちによって扱う「モノ」自体は違うが、ビジネスの根幹である「差異」は共に、
同じ「イメージの世界」あるいは、「付加価値」であり、もう一つ、それぞれが持ち得た「自由の裁量」が「差異」そのものに
なり、彼らが構築し、信頼する「関係性」に委ねられた、彼らたちがリスペクトし合える構造に仕組まれたこの2つが
「ファッションとアート」の世界なのです。
 2) 「2010年来、"モードの世界"は自らが、「アートの世界」へ接近し始めました。」
 ファッションのクリエーション・シーンで。「ファッションがアートに接近」したのは、'89年に、"M.M.M."が登場して以来、
多くの若い世代の芸術大学系を卒業してきたデザイナーたちによって寧ろ、「売れるものより売れないもの」すなわち、
"着づらいものや形骸的なもの"のコンセプトが強烈なクリエーションへ挑戦が始まった時代がありました。
 このムーブメントを起こし、牽引したのが、"アントワープ芸術大学"のファッション科でした。
僕はこの学校のファッション学生たちの卒業コレクションの審査を10年ほどやらせていただいた経験があり、これを機に、
その後、2008年まで当時、ヨオロッパにおけるファッション有名校と言われていた学校があるブリュッセル、ベルリン、
ヴィエナ、バーゼルそれに、パリ と幾つかのファッションコンテストでルツェルン、バルセロナ、トリエステなどで審査委員を
した10年程の経験がありました。この経験はその後の僕が多くのプロや学生たちデザイナーたちの作品を理解するのに大いに
好奇心を刺激させてくれた恵まれた経験でした。
 多分、この時期のヨオロッパが確かにファッションにおける創造性が一番、喚起し、燃えた絶頂の時代だったでしょう。
この動向の要因はただ、「時代と時の風向き」が例えば、当時のフランスの社会学者、R.バルドの「モードの体系」や哲学者
"デリダ"の「解体論」などがモード学生たちに「脱構築」と言うコンセプチャルな刺激を与え、ファッションの世界で"新しさ"を
求める為の「自由さ」と「特異性」をクリエーション・コンセプトにそのための、それぞれの"エゴ"を強烈に求め為した
ムーヴメントだったのです。
 だから、この時代のアントワープ校では、「エゴと特異性」をどの様にファッションの世界においてクリエイションするか?
を教育し、プレゼンテーションとしてのショーの"見せ方"に必要以上に力を入れて頑張って教えていた学校でした。
 しかし、現代における時代の風向きは、"真逆"であり、「保守の進展の拡張」そして、「安心・安全・快適」を求める
大衆消費文化ではこのような、「エゴと特異性」は却って、安全性や快適性を脅かすであろうと言う迄の無縁なムーヴメントです。
 3)「近年、ファッションの世界はそのビジネスパラダイムで再び、「アートの世界」へ接近し始めました。」
 これはファッションの世界のクリエーションそのものが、スローな時間の流れになり、「新しい創造よりも、古い時代の創造」に
エターナルな価値を見出す方向性を求め始めた時代性によって2010年来、このファッションの世界はビジネス戦略として新たに、
「アートの世界」に限りなく接近し、「もう一つの入口」として、"ハイ・ブランド メゾン"は挙って、その自分たちの「ブランド・
エクイティ」を維持するために、この「財団法人」を構築し始めたのです。
 この実態の先鋒は、'84年の「カルチェ財団」でしょうか。近年では90年代の半ばにはロッテルダムに「プラダ財団」が出来、
以後、21世紀に入って軒並み、"ラグジュアリーメゾン"はいろいろな分野への社会貢献を為すための入口として、L.V.財団、
エルメス財団、KERING財団、(美術館 ブルス・ドゥ・コメルス)などなど多くと、日本では"三宅一生財団"も設立されました。
 この「財団法人」は、表口はそうですがやはり、"裏口"があります。
この"裏口"の根幹は近年では例えば、"巴里のモードの世界"の大黒柱であったはずの「オートクチュール・ビジネス」が当時の
「石油産出国とイスラム教問題」と「中東戦争」によって極度に弱体化したのもその一つでした。
 この新たな構造は、"ハイ・ブランド"がコレクションを重ねる度に、"売れない在庫"が残るシステムへの自衛手段の一つであり、
新しい作品を発表し続けなければならないシステム上の不都合さや無駄を修正する構造と、この売れ残る"在庫"を利用して、
更に、「新たな価値創造」をするための構造がこの「モード系財団」である。
 これは自分たちのブランドの在庫品を"アーカイブ"という新たな"価値"を醸成するために新しい構造と空間の必要性が「根幹」で
あり更なる、自らの"ブランド・エクイティ"育成と"イメージ力"の継続化と新たな価値創造のための、強かで、時代性に見合った
あらたな「ファッションビジネスのパラダイム」が構築されたのです。
 自分たちがアートの世界へ近づき、自分たちの「在庫=アーカイブ=コレクションピース」と共に、自分たち企業グループが
収集しているアートコレクションも併設し、"美的生活文化"を育成する、「新・重商主義」的構造を厚顔に構築したのが、
21世紀の「ラグジュアリー・ブランド」の新たな立ち居場所でした。
 そして、彼らたちの「財団」は大いに利用価値を発揮させて、「アート産業」とのコラボレーションよろしく、世界中の有名
美術館ジャックを、展覧会と称して開催し、大いに新たなファッション・イメージ&ビジネスの領域を拡大させその集客力の凄さ
とともに、一つの新たな時代を構築したのが現在の「ファッションメゾンとアート」の"ハネムーン"です。
 ここには、「文化は武器」というフランス人特有の"文化産業"のための、「新・重商主義」と言う「根幹」が隠されています。

 そのー3) 現在のファッションの世界の新しさの根幹は?/
 本来、モードのコレクションとは、個別性としての「個性ある好きなデザイナーの作品」或いは、時代の流行感としての
「シーズンのトレンド/流行モノのシュルエットと色と素材」そして、時代の空気感として、「愉しく、時代の気分を着る(?)」
あと、現代では、時代の特化性として、「着てみたい素材が気に入った手法で使われている」範疇が"ファッション"です。
以前には、自分の生き方をイメージしてくれるようなデザイナー、たとえば、CdGのようなブランドに委ねたいという
"疑似理想"までの世界がありましたが、現代の保守性ではこの世界は殆ど消滅してしまっています。
 即ち、"モードにおける創造性"とはいつの時代に於いても、『個別性』+『流行性』+『空気感』+『特化性』+『倫理観』が
「根幹」であり、それぞれのシーズンにおけるランウエーでの作品世界を"消費社会"へ向けて発表する。
ここにデザイナーたちが競いあうべき自由な才能が彼らたちの美意識によって昇華され、調和ある優美さや快適さを感じさせる
"服と世界観"に仕立てられているかをエレガンスに競い合う世界が「巴里のモード」でした。 
 1)「モードのクローン化」の登場と「ファッションディレクターの誕生。」/ 
 2000年代迄に多様多感であった、ファッションの世界に於ける「作り手の思想概念」は使用する対象が"人体"と言う限定と、
"豊かさ"というリアリティーが肥満化し、イメージがヴァーチャルなデューンへ吸い込まれた結果、今まで存在していた在るべき
距離の「消滅」が完了してしまったようです。以来、その造型性の限界が即ち、此処でも20世紀のコンテンツの一つであった
例えば、"作り手と受け手"と言う『あり得るべき距離』が消滅した事により、モードの世界は「モードの普遍化」を招き、
結論すれば、「誰でもが、どこででも作れる」迄の「モードの文化的普遍性」。
それと、もう一方ではこの、「モードのグローバリズム」によって、誕生した大衆資本主義経済のポリティカルパワーは
この従来からの「モードの価値」を殆ど飲み込み、気が付くと『ファストファッション』と言う新たな、"了解のカテゴリー"が
登場してしまった。
 実はこれは、「モードのクローン化」でしかないのです。
この「モードのクローン化」は、蓄積されたネット上の顧客情報を「アルゴリズム+A.I.+SNSマーケティング+アーカイブ」に
よって再生産された世界から誕生した21世紀の新たな産物でしかありません。
 例えば、既に、あのLVMH社は'19年来、Googleと組み、彼らたちの全ブランド(30数社)の世界の富裕層の「顧客管理」を
地球社会規模でコントロールを行い始めています。これは「Chat GPT」の「ファッション化」なのです。
 そして結果、少しづつ現代モードは、時代の流れと共に、"過去"そのものが新しさを感じさせる迄の、"スロー"な時代感の中で
漂い始めています。
 その現実とは、ただの、"Variation of the Archives"が広告産業と化し、大衆消費社会のコマーシャリズムを喜ばせるだけの
唯の、"イメージの元ネタ"の世界になった事でしょう。そして、街の"古着屋"からデザイナーが生まれ、それなりの注目を浴びる
ようになり始めているのもこの時代性です。
このような時代では、「モードの世界」は当然ですが「イメージメイキング」がそのビジネスのための第一義となり、
 「モードのクローン或いは、ファッションのクローン化」が時代の表層へ躍り出るためには、時代を牽引させられる程の
「アート・ディレクション」が必然になる。それなりの"パッケージング"としての"イメージ力"が"ブランド力"となる時代性です。
従って、ここでデザイナーに変わる"ファッション・ディレクター"の登場という新しさが現在です。
彼らの仕事は、新しいデザイン創造よりは、「どのようなブランドイメージをコレクションとそのプレゼンテーションとしての
ショーとその演出そして、インフルエンサーのためのSNS、そしてファッションメディアへの広告へのイメージングそして、
店頭空間での演出迄の「イメージング & イマーシブ」が彼らに与えられた"ディレクションワーク"になる。
 近年では、この新しさが、「H&M」とK・ラガーフェルドを始めとする"コラボレーション・ビジネス"を可能にし、以後この手の
"イメージング・コラボレーション"も盛んになっていますね。
 この「ファッションのクローン化」によって新たな協力者が誕生した。一つは、"ファッションメディアと広告産業"の関係性が
更に強くなり、もう一つは、若い世代たちのダイレクトな"イメージ操作"としての"SNS"という覚醒的なゲームの登場である。
 これが2010年以降から現在までのモードとその周辺の変化であり、「モードのリアリティ」なのです。
 2) 「"共有イメージの集合体コード"と言う「ユニフォーム」がファッション」/ 
 従って、ある時期まで存在したモードの世界の「根幹」の一つであった"新しさ"とそのための"創造性"とその"造型性"は、
"豊かさ"と言うリアリティの中で孵化された情報量の過剰さによって埋没或いは消滅し、辛うじてその新しさのコードは
使われる素材とその質感そして、それらを処理するべき手工芸的な技法性に多くを委ねられ残されてしまっているのが現在の
「モードのクリアティビティ」でしかありません。
 故に、モードの世界に於ける行為、"デザインする"と言う事は「文化的普遍者」たちの均一的影響を受けて、より"服"であり、
"消費財"でありうる状況になる。
 即ち、それなりの"豊さ"を所有した大衆にとっての"ファッション"とは、「同時代性」と「豊かにみんなで安心して生きている」
と言う迄の社会性においての、「服」として、"共有イメージの集合体コード"或いは、「ユニフォーム」化となる。
 これも、「ファッション・クローン」の登場によって、より表層化し始めた一面です。
しかし、モードにおけるカテゴリーは従来からの、「コスチュームとユニフォーム」であり、不変だということも凄いことです。
 女性服は「コスチューム」の世界であり、"Famme Object"。男性服は「ユニフォーム」というカテゴリーです。
(80年代はじめに、J.P.ゴルチェは巴里のランウエーに"同性愛者たち"の「ユニフォーム」を、"Homme Object"というコンセプト
で発表した。以後、ゲイたちが「モードのエッジ」で活躍し始め、最近の"トランス・ジェンダー"へ発展した世界です。)
 これらは実社会における"ジェンダー論"の誕生によって、90年代以降、"LGBT"のために、従来のこの2つのカテゴリーが
合体化され「自由の産物」として新しいゾーンとしての"曖昧さ"が新たなファッションの世界として登場しました。
結果、クリエーションもビジネスにもその広がりを見せ、「ファッションの世界」の自由な楽しさと強かさと素晴らしさを展開する
ようになったのも、"時代のリアリティ"から誕生したファッションの世界です。

 そのー4) 「近未来を見据えたときに気になるファッションの新しさとは、」
 1)「没入感/イマーシブ/immersive」です。
 「イメージ」に対峙する新たな感覚としての、「没入感/イマーシブ/immersive」です。
この新たな3D感覚がどの様にファッションの世界へ越境、侵入するかに僕は関心があります。
 近年では、仮想空間における"没入感"という「仮想空間のイメージ?」という表層で"没入感"が使われはじめました。
これは「2D感覚のイメージ」に対峙する、新たな「3D感覚におけるイメージ」という言葉でしょう。
「入り込める、のめりこめる迄の"気分感"が考えられた空間演出或いは空間デザインもしくはまやかし芸術」という新たな"領域"で
あり、今後のデザインワークへ参入し始めるであろう要注意な「没入感/イマーシブ/immersive」です。
 参照/ https://new-standard.co.jp/posts/14956
 この言葉を日常化させたのは,あの"ディズニーランド"が'1955年に誕生した時代に遡ります。以後、この「疑似理想」のための
「仮想空間」には、どのような"没入感"を創造するか?或いは、デザインするか?という新たな眼差しが今後、普遍的になる
時代感を感じます。
 そして、この「没入感/イマーシブ」は今後の新たなパラダイムシフトの為にリアルな空間で「3D」的発想で、創造される
可能性豊かな新しい「創造の世界」でしょう。
 2)「3rd.SKIN」というコンセプトです。
 僕は、人間の身体のエレメントとは、「骨」「肉」そして、「皮」を考えています。
このコンセプトから言ってしまえば、「骨で着るのが着物」であり、「肉で着るのが西洋服」そして、次なるは、
「皮で着るコスチューム」という眼差しを"近未来のファッション"として読んでいます。
 「皮」で着る服或いは、「肌」を見せる服です。或いは、"見せたいところを隠す"というコンセプトもありの「服」が今後より、
多く発想されるでしょう。極論すれば「入れ墨」から「着ぐるみ」迄の世界です。
鍛え上げられた引き締まった筋肉をより美しく艶っぽく見せるための、「究極の人間美」の為の「皮で着るコスチューム」です。
 この世界は既に、Kim カーダシアンがスワロフスキーと組み始めている、"コスチューム感覚の下着"の世界です。
 参考/ https://www.swarovski.com/ja-JP/s-swarovski-skims-launch-event/
 3)アトリエ「DZHUS」です。
 僕が今現在のファッションクリエーターで興味を持っている一人が、2010年にデビューしたウクライナの「DZHUS」という
集団の仕事ぶりです。デザイナーは"Irina Dzhas"。コンセプトがしっかりとはっきりとした「可変可能なパーツオブラッピング」
 これは、僕が以前提唱していた"新しさ"を実際に彼らたちのリアリティである"戦禍"の元でクリエイションし続けていることに
興味と好奇心を持つ、最近ではとても珍しいデザイナーです。
 彼女の"ソースオブクリエーション"もやはり、"3rd.SKIN"に近い「AS parts of the WRAPPING」です。
 参考/ DZHUS公式サイト/ https://www.irinadzhus.com/ 
 4) NIKEが提案した、「ポンチョ」です。
 この「ポンチョがテントになる服」も時代を感じさせる新たな"ラッピング・ギア"でしょう。
「Nike's Metamorph Poncho transforms from coat to camping tent」
 参照/ https://www.dezeen.com/2024/05/14/nikes-metamorph-poncho-transforms-coat-tent/
そして、同じコンセプトになる、北欧からの"Sanna Namin"の眼差しにも、このNIKEの新しさと共通点を感じるものです。
 参考/ https://2023.rca.ac.uk/students/sanna-namin-carlsson/
 この発想のオリジナルはもう20年ほど前になりますが、日本でもかなりメディア化されたデザイナー、"ルーシー オルタ"の
作品ですね。 参考/ https://en.wikipedia.org/wiki/Lucy_Orta

 この様に、「近未来のファッション」における創造性を考えても、そのファッションの「根幹」であるコンセプトと機能性とは、
はやはり不変であり、「WRAPPING」であり、着る人間の、"身体"を或いは、その"環境"や"自然"から守るため、そして、
着る人間の"心の有り様"や"考え方"或いは、"生き方"を「WRAPPING」あるいは、「COVERING」または、「PROTECTING」する
世界がこの「ファッションの世界」の変わらぬコンセプトなのです。
 これは「アートとファッション」の「差異」の一つであり、決定的な「根幹」でもあるでしょう。
後は、その時代時代に開発される新素材或いは、サスティナブル素材と縫製技術の変革に委ねることがそれぞれの「新しさ」に
通じる世界でしかありません。
 5) 最後に、"Variation of the Archives"の世界が生み出すであろう「ユニフォーム」の進化発展と、「ファッション・
アーカイブ工学」という新たな分野です。

 グローバリズムによって、「地球部分的社会」は情報の均一化によって、一応な「地球社会化」を生み、この社会は
「文化的普遍社会」をも齎しました。この「文化的普遍社会」とは、コロナ禍以後、「新しい普通」と言う言葉に置き換えられ、
今後のファッションの世界はこの「文化的普遍社会」の「新しい普通」の為の「ユニフォーム」発想が、
「ファッション・クローン」のリードの元で、いわゆる、"ファッション化"してゆく、「監視化社会」の現実。が大いに、
考えられる一つでしょう。
 そして、もう一つの確実な流れは、昨今のデザインワークにおける新しい手法或いは、視点の一つに、それぞれが持ち得た「ARCHIVEの世界」をどのように情報化し、"再・利用"するか?がやはり、顕著になってきました。
この根幹には、「未来を思い、考えるための昨日」という視点がありますね。この "Variation of the Archives"がアルゴリズム化
され全面へ、"新たなる創造"として躍り出て、ビジネスをも考えた現在のファッションクリエーションの世界で、イニシアティブを
とるのも近い未来の現実でしょう。
 そして、ファッションの世界の新たなマーケティング手法に、このアーカイブを主軸にした「ファッション・アーカイブ工学」
が誕生するでしょう。
 この「ファッション・アーカイブ工学」の構造とそのスキルは、
「リサーティング+コレクティング+エディトリアリング+マーケティング+イメージング+イマーシブリング」が考えられた、
ARCHIVESをコミュニケーション・ツールと考えられる、"Relations & Deveropment"の世界です。

 そのー5) 「 おわりに、」/
 改めて、こういう機会に「ファッションと現代」を考えてみると、今年は3月以後、巴里へ行かないが色々のことが
考えられまとめることもできた。
 やはり、昨今の「モードの世界、巴里」はすっかり、変貌した。
 「作り手も、生産構造も、販売方法もそして、ジャーナリズム」という僕が38年程通い続け、住み着いて焦れたこれらの
ファッションの世界とその産業構造そのものが全く変貌してしまった。
結果、僕には今までのように好奇心とトキメキと輝きをこの「モードの世界」から感じるには、いろいろなことを知らなくても
いいことも含めて既に、知りすぎてしまったために、魅力も感動もあのトキメキさえも感じ難い世界になってしまった。
 その一番の「根幹」は、「全てが、金儲けのためのヴァニティな世界。」がより、ヴァニティに肥大化した事。
ここでは「より、大資金を使って、それ以上に儲ける。」という全くの変わらぬ資本主義の下での"強欲主義"。
この状況は最近のラグジュアリーと自称するメゾンのコレクションはこれみよがしのメディアやインフルエンサーウケを狙った
ここでは、「服」が主役ではなく"シャンパン"が主役の"イヴェントとパーティ"に集る烏合之衆の「集客力」に頼る、未だ、
"スケールメリット"と言う大衆資本主義のパラダイムが変わらぬ「金メッキの世界」で黒人とアジア人たちを煽るだけの構造に
なりさがってしまった。しかし、肝心のファッション・メディアもこの成り下がったヴァニティな世界に大いに飼いならされ、
迎合しているに過ぎないという広告のための「御用メディア」状況。
 そして、もう一つの「根幹」はやはり、「ファッション・クローン」の登場であろう。
全くの"新しいファッションクリエーション"が生まれにくくなった21世紀になり、待ってましたとばかりにグローバリズムと
共に、この「ファッション・クローン」がどこででも、誰でもが生み出せる"技術と環境とスキル"がIT環境と情報によって
「ファスト・ファッション」と「ラグジュアリー・ファッション」という新たな「2項対峙的」ビジネス構造がより、強力になり、
また、「グローバル・ノース」と「グローバル・サウス」と言う地政学的にも構築されたそのビジネスの「根幹」は変わらぬ、
「新・植民地政策主義」でしかないのが残念ながら「現在のモード」でしかありません。
 また、身近なところでは、未だに、「春夏/秋冬」というシーズン性や「FAMME & HOMME」の世界観や「コーディネート
アイテム」と言う「トップスとインナーとコート」などの"アイテム・ファッション"と言う使い古された"コード"によって
ファッション・ショーは構成され,「コレクション」が"カルーセール"よろしく「ファッション・ウイーク」という世界中で
20数カ所の都市で行われているこの構造の中で仕切られている世界が、「モード」という世界なのです。
 やはり、僕はますます、あの映画「OZの魔法使い」あるいは、「The Wiz」の最後のシーンがぬぐい去ることは出来ない。(完)

ありがとうございました、木村友紀さん、前田究くん。
 木村友紀 / https://www.kcua.ac.jp/professors/kimura-yuki/ 
 前田岳究 / https://muuseo.com/square/words/813
 京都市立芸塾大学 構想設計専攻/ https://www.kcua.ac.jp/arts/fineart-cmart/

安らかにご成仏なさってください、瀬尾英樹くん。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E5%B0%BE%E8%8B%B1%E6%A8%B9
 作品集 /『HIDEKI SEO』2014 ISBN 978-2-7466-7161-4
 インスタグラム / https://www.instagram.com/hideki_seo/p/C5DOykZspZv/

文責/ 平川武治。
初稿/ 2024年06月06日。

 参照/
『ファストファッション-クローゼットの中の憂鬱』/エリザベス-L.クライン著:'14年7月/(株)春秋社刊。
 出典/ "The LEPLI" ARCHIVE 119/『アートとデザインの根幹の差異とは?−2。
"ファッション・クローン"の誕生とその新しさ。』/"平川武治の全仕事・私文古書庫"より。

投稿者 : editor | 2024年7月 7日 12:03 | comment and transrate this entry (0)

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