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LePLI
モードの同人誌、イエローカルチュアーとともに、活動家を喚起する。
「LePLI 2011年秋号」増刷します、メイルにて予約受付中。
ご希望の部数、送り先のお名前ご住所ご連絡先をメイルにておしらせください。
ル・プリ編集室<c.royhand at gmail.com>
投稿者 : editor | 2012年08月15日 21:48 |
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『 3.11/原発企業事故災害』 で学んだ事。その-弐;
結論から言えば、これは我々日本人が選ばれた、”神=自然の啓示”であるというポジティブな発想を願って。
文責/平川武治:平成23年6月11日
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3.)『「地盤や地殻構造の違い」によって、どの様な物でも、総てが変貌する。』
*“根源”が違う事の認識。”シロ”が良くても”イエロー”には狂気という根拠と現実。
総ては基幹あっての正しきもの。
僕たちの國は地震の國であると,地震と海流によって日本の国土である島が
出来上がっていると小学生の時に学びました。だから、富士山も休火山ですよと。
何時か、また噴火するのです。と習って来たはずである。
そして、日本列島は今なお、大きな可能性を秘めた”地震列島”である事を現実に知らされたのが
今回の福島原発企業事故。
ここで’05年に国会の衆議院諮問委員会で既に、『大地震—津波—原発事故』の関係性を、
結果、今回の事故の予告をなさった当時、神戸大学自身センターの石橋克彦氏の
/*石橋克彦先生の’05年/国会発言ほか、『地震と共存する文化を、』
http://www.stop-hamaoka.com/koe/ishibashi050223.html
http://historical.seismology.jp/ishibashi/opinion/9710kagaku.pdf
http://historical.seismology.jp/ishibashi/opinion/0808toshi.pdf
「朝日ジャーナル/原発と人間」でも語っていらっしゃる事にもう一度、確とこゝろしなければならない。
『日本の原発は不幸にして「生まれつき」地震に弱い。
第1の理由は、原発が新-増設され始めた’60年代後半から’70年代前半が、
現代地震学の2本柱(地震がどのようにして起るかを示す断層模型論と、
地震がなぜ起るかを理解するプレートテクトニクス)の誕生-普及の前夜だった事である。
活断層の研究も盛んではなかった。
そのために、活断層やプレート境界巨大断層の直近に原発が建てられ、
古めかしい地震学の知識に基づいて地震と地震動(地震のゆれ)と津波が甘く想定された。
福島第1原発もそうである。
第2は、原発建設ラッシュの時期が日本列島の地震活動静穏期で、
大地震の洗礼を受けないまま原発が増殖した事である。
(中略)従って、日本中の全原発と核燃料施設が、耐震強度を超える地震動や大津波や地盤の
変形—破壊を受けて大事故に到る可能性を持っているのである。』
従って、原発利権を持ったアメリカやフランスのそれぞれの大陸の地盤状況が
根本的に異なった状況の列島が日本である。その当時の高度なる”新製品”も、
それぞれ設置され、使われる環境と状況が違えば、”凶器”にもなるという現実を
忘れてしまった大いなる暴挙であったと認識しなければならない。
此の手の現実は戦後の日本ではこの原発問題に限らず多々あったであろう。
その結果が現在の日本人のこゝろを、『大和こゝろ』を退化させて来た一因でもあろう。
何でも、アメリカものはいい、アメリカがこうだから、外国ではこうだから主義が
蔓延しての結果でもあるのが、今回の原発事故。
『氏育ちがちがえば、』と言う言葉が従来からの日本には在ったはずだ。
おわりに、再び、石橋先生の言葉を。
『地震、津波、噴火、豪雨、突風、大雪など、大自然は過酷である。
しかし、日本列島に生かしてもらっている以上、私たちは知恵を絞って自然と共存して行くほかは無い。』
前出/「朝日ジャーナル/原発と人間」より。
4.)『知った事に対して、何をしなければならないか?』
*変わってはいけない人間性の根源であり誠実という行為は不変。
これも小学生の時だからもうかれこれ60年近くは経っているだろうが
僕は未だ憶えている『知って、知らない振りをする事は一番卑怯だぞ!!』と言われた事を。
その後、大人になってくれば来る程のこのような子供の頃の或る種の”純粋さ”が喪われる。
しかし、これは純粋さでもあるが人間が持つべき“勇気”の一つでもあリ、”誠実さ”でもあろう。
今回の原発企業事故に対して僕たちが知り得た事をどのように自分の立ち居場所において
関わってゆくか?関わることが出来るか?ここには先ず、自分が感じ振れた”こゝろの在り様”が
すべての行為の根源になって行動するべきである。そこに勇気が動く。
知ってしまったのに知らない事のように振る舞って自己の不安を大衆に無条件で委ねてしまう。
その方が”楽”だからだ。その方が”楽”だからと言う行為程”曖昧”な行為は無い。そして、無責任な行為である。
知ってしまったのだから、何か出来る事をそれぞれが、それぞれの立ち居場所で感じ考え行為しなければ!!
未だに、「赤信号、みんなで渡れば、」のモラル観は”含羞”を排除されてしまったモラルである。
デザインの世界では、何が出来るのであろうか?今回の原発企業事故は僕たち、日本人しか体験しなかったこと。
この経験を持って、僕たちが世界へ向けてオリジナルなデザイン行為が発信出来る
願っても無い好機でもあると感じてはどうだろうか?
世界に先駆けて、新たな”価値観”が提案出来る、しなければ勿体無い,罰が当たる。
5.)『”リスク"の種類と規模が変革した。』
*自分の荷物は自分で持つ事の誠実さ。人間の荷物は人間が持つしかない。
新たなリスクに対しての僕たちの制度と構造は?
『所謂、普通の事故における”リスク”とは、一定の場所、一定の時間そして、
一定の社会グループの限定されている。しかし、この原発企業事故はそうではなく、
新しいタイプの”リスク”をもたらした企業事故である。
このようなリスクを孕んでいるのは原発事故だけではなく、気候変動やグローバル化した金融市場
そして、テロリズムなど他のグローバリズム以後のニュースを賑わせる多くの問題も
同じような性格を持っている。
今回の福島の原発企業事故はグローバリズム以降の近代社会が抱える”リスク”の象徴的な事例である。』
「『地震が起る場所、起き易い処』に原子力発電所を建設するという事は
政府であれ、企業であれ”人間”が決めた事です。
ここには”神の存在”は無く,自然が決めた訳でもない。
人間が決めた事であり、人間が背負わなければならない”新しいリスク”が今回の原発企業事故である。
政府や企業は今更、神を問題にする訳もいかずここで”自然”や“環境”を持ち出すしか無く、
”近代化”そのものがもう既に、我々自身では制御出来ない社会を生み出している。
そして、それについて、誰も責任を取らない取らないでいい
組織化された”無責任システム”が出来上がってしまっている。」
/インタヴュー『原発事故の正体』/U.-BECK:ドイツ社会学者/朝日新聞5月13日掲載より引用。
今回の原発企業事故もそのようです。国家の国民の税金を使い、膨大な予算を使い更に、
世界一高い電気料金を国民から取って東京電力はこの原発事業を40年以上も推進して来た。
そうし乍ら、彼らが言うところの”安全神話”を垂れ流す事以外は、
”万が一”の事故に対しての具体的な対策案や保証システムを創って来なかった。
いつの間にか、自分たちが儲けた利益は自分たちだけで分配し,自分たちに都合がいい事に,
都合よく使うのが資本主義の正論になってしまった時代性,金権資本主義世界でしかなくなった。
“人間の荷物は人間が持つしかない。それは自然や環境に押し付けられない。”
6.)『「新しさが変わる」”新しさ=モダン⇒近代”が変る。20世紀は終った。』
*こゝろの在り様が変わった。”共棲資本主義”を考え実行する時代性。
この僕たち日本人しか経験しなかった今回の原発企業事故による精神的な打撃または影響は
何れ程なのだろうか?
大津波による災害が大きかった事とその後の原発企業事故の状況が解り始めてから
その後の日本人はどのようなこゝろの揺れを感じ持ったのだろうか?
それ迄の常識だった事がすべて覆され、“こゝろの在り様”が変わる。
今迄大切で必要だとしていたものが必要なものでなくなった。
その代わり、今迄要らないと思っていたものがとても大切なものである事が解った。
このような経験から確実に『新しさ』に変化が起きる。
新しさが変化すると言う事は“モダニズム”が変化する事であり、
”近代”と言う時代が終焉を迎え始めたという兆しとも取れる。
資本主義と言う形態が不変であれば、新たな時代へ向けての新しい資本主義の形態を考えるチャンスであろう。
そのためには“20世紀”を卒業しなければならない。
若しくはあの’69年の”woodstock”ヘ戻る必要価値があるかも知れない。
確実にあの8月15日からの3日間には、その後の40年間で起こりうるべき環境問題の
諸プロブラムが現実になった3日間であった。それ以後、アメリカはヴェトナム戦争へ邁進した事で
この3日間を学習せずにこの21世紀迄来てしまった。
先ず、僕たちは日本人のこゝろの有り所として、”自然と共棲”してゆく心地よさを再び体感しなければならない。
そのための自然との関わり方とそのこゝろの在り方をまた、人間の”エゴ”によるエコライフも
この際、再学習する大いなる好機である。ここで考えられるのが『共棲資本主義』もその一つ。
嘗て、『質素簡約』と言う言葉が僕たちの國には在った。
これはこゝろへの一つの美徳への言葉であったのではないか?ここから『知恵』が生まれた。
知識に頼らないこゝろの感じと振れが在り様を生んだ。
21世紀の新しさとは決して20世紀の延長上に在るだけではないはずだ。
文責/平川武治:
投稿者 : editor | 2011年07月07日 06:57 |
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投稿者 : editor | 2007年09月23日 02:05 |