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2002年10月28日

新版「The ARCHIVES Le Pli」/この"平川武治のノート-ブログ"に新たに、今までの掲載分から選択したアーカイブ集を始めました。「The ARCHIVES Le Pli」03 S/S パリ・コレ 平川版

 新版「The ARCHIVES Le Pli」/
この"平川武治のノート-ブログ"に新たに、今までの掲載分から選択したアーカイブ集です。 
 
 今回も、日記風に書く。
 新版「The ARCHIVES Le Pli」-02:
「03 S/S パリ・コレ ひらかわ版;」
 この"平川武治のノート-ブログ"に新たに、今までの掲載分から選択したアーカイブ集を
始めました。

初稿/2002-10-28

 21th.OCT.02/
  アントワープで「incubation gallery DISCIPLINE-JAP」をオープン;
 コレクションが始まる前の9月の半ば過ぎ、2週間ほどはアントワープ。
9月21日にこの街に新たに完成した「モード美術館」のオープニングに合わせて、
僕も「incubation gallery DISCIPLINE-JAP」をオープンさせ、レセプッションを開き多くの友人
たちが、巴里からのWWDのロバート夫妻、モード美術館の館長に就任したリンダ・ロッパと巴里
のI.F.M.のチーフファッション・ヂィレクターのフランシーヌ、マガジン・Cの編集長ゲルデイー
を始めアカデミーの先生や生徒たちとU.A.の栗野さんやバイヤーそれにウオルターたちも。
いっぱいの人たちが、集まってくださってオープニングが出来た。このギャラリーは名前の通り
ファッションを学んだ元学生たちが実社会へ出てゆくために役立てて欲しいと言う思いでの
スペース。展示会や展覧会それに彼らたちのプレゼンテーションに使ってくれればという発想の
ギャラリィ。今このコンセプト・ドシエを製作中。御楽しみに。

 JACOB S.社の100年展の企画。; 
 その後、チューリッヒへ行き10年来のこの街の友人たちと2004年にチューリッヒ
ナショナル美術館でオートクチュール素材の企画展を行うための打ち合わせ。
これは僕も大変に勉強になる仕事。
 チューリッヒの郊外約80K.の所にザンクト・ガレンと言う織物の町がある。
ここに古くから、100年を越えて受け継がれ、今も盛んに美しい、良い素材を作っている
クチュール素材専門の素材メーカー、JACOB S.社のための企画展。この"ザンクト・ガレン"は、
8世紀には既に、麻、亜麻織物産業が始まり、18世紀には綿工業が主流になり、19世紀からは
精緻な刺繍やレースの産地として広く知られる町。
 JACOB S.社はパリのクチュールメゾンの御用達素材メーカーで、最近では、スワロスキーの
クリスタルをシルク地に打ち込む技術開発によってより、需要が広がった。
ここのチーフディレクターマーティンが、ロンドンのセント・ マーティン校で教鞭をとっている
ことから、日本人のインターン生も嘗て、はいたと言うところ。
 そして、今回は組む人たちがみんなプロなので楽しみ。

 コレクションが始まる。;
 そして、アントワープ経由で再び、巴里。
僕が始めてこの街へコレクションを見るために来たのが'85年。それ以来、一度も欠かさずに
コレクション詣での状況が続く。
 そんな僕が今、振り返って思うことは'93年ぐらいまでは僕も好奇心旺盛に情熱を持って見て
いたが、それ以降は少しずつ惰性的になって来ていると感じる。
 「モードは退化し、服が進化し始めた。」と提言したのが丁度、この時期。
世界情勢が変わり、社会も変化し、生活の価値観が変貌し始め、女性たちの生き方も、身体つき
までもが進化したためであろうか、モードが新たなシーンを迎えたようだ。

 モードに再び、夢を求め始めた、今シーズンのパリコレ、#1;
 マルタン・マルジェラの一件でその前月迄を賑わしていたパリのジャーナリストたちもこの
時期が来るとモデムと会場にその神経が集中する。
 近年来、ここパリコレもトレンドだけを捜すためにであれば初日から2,3日で既に、読めて
しまう程の現状になってしまった。
 先ず、総括的な今シーズンのモードの状況とそこから生まれたトレンドを紹介しよう。
いつも良く聞かれる質問「トレンドは誰が作るのですか?」の答えは今シーズンを見ても解る。
それはデザイナーではなく勿論、素材メーカーである。素材メーカーが1年先のコレクションの
基礎となる"トレンド・フレーム"を発案し、プルミエール・ビジョン(パリで催される合同素材
展)でプレゼンテーションを行う。これが一年先のトレンドの"基礎フレーム"である。
そして、現在ではその殆ど、何らかの形でビジネスが継続しているプレタポルテ・デザイナーたち
はこのプルミエール・ビジョンへ出掛ける。
 悪く云ってしまえば、「ワラをもすがる」ために、いわば、第一のビジネスの安全パイを手に
入れるためにこの素材展"プルミエール・ビジョン"へ出掛ける。多分、最近の傾向を見ていると
この安全パイを先ず入手するデザイナーは以前より増えたことでコレクション初期に既に、
「トレンド」が読めるようになった原因であろう。若いデザイナーも、売る事を意識し始めたと
も読める。
 従って、大半のファッション・デザイナーは"トレンド"を文字通りデザインするだけだ。
この時に、「自分の世界観」で"トレンド"をどのように、"デザインするか"がそのデザイナーや
ブランドのアイデンティティとなる。素材メーカーが与えたトレンドフレームの中で彼らたちは
素材を選び、テーマ性を考え、インスピレーションを探し求め、自分たちの世界観をどのような
イメージでショーイングするかに掛ける。これが「コレクションを創る」と言うことである。
 最近の若手デザイナーたちのその多くが「ネタ」を過去のデザイナーの作品やモノからサンプ
リングしリメイクして"時代の気分"を自分の美意識の中で一つの世界観を創造する作業そのもの
が、『未来への閉塞感』、『未来への不安感』が時代観になってしまい、過去のノスタルジーへ
その拠りどころを求め出したのがここ数年来のモードの現実である。
 即ち「時間がスローになり」結果、「明日を想うために、昨日を探す。」ことがでザインする
手法になりつつある。

 そこで、今シーズンから僕は新たなデザイナーのカテゴリーを考えた。;
 従来は、【ファッション・クリエーター】【ファッション・デザイナー】だった世界に、
'91年のトム・フォードの登場と共に、【ファッション・デイレクター】がこのモードの現実に
新たなデザイナー・カテゴリーとして登場し、この約10年間が賑わった。
 しかし、21世紀のファッションデザイナーのカテゴリーとして、僕は【ファッション・D.J.】
を加えたい。
 ここでこれらのファッション・カテゴリーを少し、説明しておこう。
 【ファッション・クリエーター】とは時代をクリエートする事とモードをクリエートする事が
自らのアイデンティティとコンセプトによって、同じクオリチィー・レベルと感覚と美意識で
時代と服をクリエーションして来たデザイナーたちだ。A.アライア、J.P.ゴルチェ、川久保玲、
M.マルジェラ、J.ワタナベ、H.チャラヤン、B.ウィリヘルム等がさし当たって思い出せる。
 【ファッション・デザイナー】これは先程にも書いた"トレンドをデザインするデザイナー"で
ある。プレタポルテの世界は大半がこれである。
 【ファッション・デレクター】とは"ファッション・ビジネスのMD"をイメージングするのが
上手く、巧みなデザイナー。勿論、彼らは服のデザインだけではなくもっと、トータルに、
ファッション・ビジネスそのものをイメージ・デレクション出来る新たな人種とでも言えるだろう。
 【ファッション・DJ】MTVジェネレーションたちのモードへの参加現象で誕生した。
これは今シーズンのアンダーカヴァーやラフ シモンズが代表であろう。そのネタは"ザッピング"
によって他のデザイナーのものから"サンプリング"してそれらを今の時代の気分にヴィジュアル
的に上手にまとめ上げる連中の事である。当然、彼らたちには"オリジナル"は必要なく
"オリジナル"に対する貞操観念は皆無である。自分たちが今の時代でカッコいいと思ったものを
サンプリング或は、パックっての"ヴィジュアルゴッコ"。これは彼ら、ファッション・フェロー
たち、ニューゼネレーションの新たなファッションデザインの領域でもあろう。彼らたちの
クリエイティブキーワードは≪ザッピング≫≪サンプリング≫≪ヴィジュアル≫≪カッコ良さ≫即ち、
ミュージュックD.J.のファッション版でしかない。「ストリート+ミュージック+ファッション」
がクールの根幹だと言う世代。
 これは現在の日本では他国よりも環境が発達している。その為に、このタイプのデザイナーが
殆んどが、日本の状況である。メヂィアがモノ情報のカタログ化状態であるため≪サンプリング≫
のネタが多いというだけである。そして、≪大きな物語よりも小さなデチィールのサンプリングに
よるヴィジュアル化≫現象、これは≪ポストモダン≫社会の超・消費化現象の一つでもあろう。

 新らたな見事なまでのモード・マジシャンが居なくなり始めた。;
 そして、これらのモードにおける構造変化の要因は90年代始まりの、「モードは退化し、服が
進化し始めた。」頃より、本質的なモード・クリエーションの領域が不明確になって来た事。
もう、殆んど、新たな見事なまでのモード・マジシャンが居なくなり始めた事と勿論、その結果
と影響によって、ファッション・デイレクター、トム君が登場し、ビジネスライクのデザイナー
・メゾンの多くがこぞって、このトラックに並び始め、参加した事。
 もう一つは、'90年も半ば過ぎより安定してきたこれら、「ファッションのマック化」現象の
即ち、ファッション産業のグローバリゼーション化の結果とその反動としての【ファッション・
D.J.】の登場である。
 その為、現実のプレタポルテデザイナーの実状はこの二つの大きな「ファッション・ビック・
マック」に挟まれてしまった。一つはラグジュアリーのファッション・ビック・マックと
もう一つはSPA型のビック・マックに!
 この結果、従来までのインデペンデントなクリエイティビティー豊かなデザイナーたちが
生産面とビジネス面でメインストリームを独立独歩、歩むことが至難化した。
"マック"には「笑顔とスピードと安価」というサービスがある。しかし、そのテイストは割一
で、クオリチィーは???である。
 彼らたち、ラグジュアリィーブランドの笑顔とサービスは膨大な予算でメディアを操る
イメージ広告と店頭MD力である。彼らたちメゾンは、「裸の王様」よろしく、誰を味方に付け、
成金たちや大衆を先導させればよいかを、モードよりも立場やお金の好きなファッション・
ビクティム・ジャーナリストたちを煽っている。
 
 総括的、幾つかの"キーワード"と"トレンド"とは、;
 この様なモードのランドスケープをバックに今シーズンもやはり、トレンドは生地屋が発振し
デザイナーがそれを受けてトレンドをデザインしたコレクション・シーズン。
 先ず、クリエーションコンセプトは「分量/ボリュームのデザイン」である。
そこで、クリエーティブ・コンセプトは分量からの発想で、「サークル/円」そして、
「ジオメトリー」。素材メーカーは喜ぶ。しかし、このコンセプトも早いデザイナーからすれば
既に、5シーズン目に至っているので旬は越したと云える。よって、"テーマ性やイメージ
コンセプト"がもう一方の重要なコレクション軸となる。同じ素材も理屈を別の目線で作れば、
違って感じる、見える。と言う戦法である。
 
 昨年の11th.Sep.以降より、未来が見え難くなり、経済や社会の不安定さ、不確実さと
YSローランの引退後のモードは『モードとポエジー』という新たなポジティフなテーマ性も
考慮始める。
 これらのテーマは「太陽の新しい輝き、光」と「新しく、爽やかな風」そして、
「ファッションに夢、再び」をいくつかのトレンド・テーマの中で謳歌した。
これらの時代性、社会性をくみ取った幾つかのトレンドテーマの一つは『新・ロマンティズム』
素材は綿中心に、ジャージ、カットソー、麻、サテン、シャンブレー、そしてシフォン等など。
プリントは多くが「小花」プリントの謳歌。インテリアファブリックやウォール・ペーパーも
魅力。
 解り易く、ミラノでも主役を勤めたテーマが『セクシー』。
女性の身体つきのパーツをバランスよく、美しくセクシーに新鮮に見せる。着た女性が輝き、夢
再び!というコンセプト。
素材はレーヨン、トリコ、ジョーゼットなどと輝きのあるラメ、スパンコール、シルバーと
ゴールドもの。それに、下着素材が中心とデュポン社のストレッチ素材のダイクラも。
 実際には、このテーマによって、"ミニ・スカート"の再登場や次のコレクションへ影響を
与えるであろう『ソフト・ボンテージ』もちらりと登場。
 「ニュースがモード」のコンセプトは「北アフリカンテイストのエスニック」。
素材は綿、麻、洗いざらしと染め。そして、クラフトな温もり感がポイント。
ここでも花プリント。バックやベルト、アクセサリー類にこのテイストはビーズやスパンコールの
刺繍と共にプリミチィフな施しでより、人間味ある感覚として多く表れた。
 これらのトレンドテーマと「分量豊かなバランス化」というクリエーションコンセプトを
つなぐディテールとして「結ぶ」「しめる」「巻き付ける」「たぐしあげる」と言う機能が多く
登場。その為に「パンキッシュ」も一つの香辛料となった。
 そして、デイテール使いにラメやスパンコールの光り物と、風になびくひもやリボンが多く
表れたのも珍しくはなくなったが"新しい輝き"のためであろうか?

 「どんなデザイナーが良かったかと?」;
 シーズンが終わった今、フランス人ジャーナリストたちから、「どんなデザイナーが良かった
かと?」これも良く聞かれる質問であるが、
 今シーズンで、最もクリエイテイヴィテイあるエキサイテイングデザイナーはH.チャラヤン。
最も美しいショーを行ったのはJ.ワタナベ。最も良いコレクションを行った新人デザイナーは
H.アッカーマン。ワーストコレクションはジバンシー。
 今シーズンで格が下がったデザイナーはV.&ロルフ。若返りが成功したブランドはモンタナを
はじめたS.パルマンティエ。反対に、若返りに失敗したのがR.フェローのJ.P.ノット。
 来シーズンに影響を与えるであろうコレクションを発表したのがM.シットボン。
自らの"ルーツ帰り"でクリアーなコレクションを発表したのが僕の好きな、J.コロナ。
それに、ショーはしなかったがコレクションとしては充実し、彼の個性が溢れ出ていたのが
B.ウイリヘルム。彼のコレクションにはいつも、多くの次回のコレクションのアイヂィアが
溢れている。
 次回は個々のデザイナー・コレクションについて。
ありがとう。T**E.

投稿者 take.Hirakawa : 09:11

2002年10月16日

始めのごあいさつ。

 はじめに、
 遅まきながら、"平川武治のノート・ブログ/The Le Pli"を
周りの友人たちのお陰で立ち上げました。今後、よろしく御付き合いください。

 永年、ファッションジャーナリストという立場をインデペンデントに活動して来ましたが、
やはり、我が国のジャーナリズムが気骨無き「御用ジャーナリズム」と化してしまっていること
に微力ではあるが抵抗したくこれを立ち上げました。
 ジャーナリズムが本来持ちえている「第4の権力」的立場の復活と、ジャーナリズムがある種
の「社会教育」を担っていると言う視点からこのホームページを始めます。
 そして、この"LE PLI"を媒体にして、多くの人たちと好きなモードの世界を中心に 
コミュニケーションが持てればうれしいです。

 この初回は日記風に、僕がパリを軸にしてどのような行動をしているかも交えて書き始めます。
 8月の終わりから東京を離れて先ずはこの街、巴里へ。
そして、アントワープ、巴里、アントワープ、チューリッヒ、アントワープそして、コレクション
のために再び巴里へ。これが今回の現在までの僕の行動。

 8月27日:成田発巴里へヴィエンナ経由で出発。
未だ、バカンスから戻っていない閑散とした巴里も一つの顔。8月も第4週の週末になると流石
この街のバカンス好きな巴里ッ子達もこの街へ戻って来始める。彼らたちを直接的に巴里へ呼び
戻すのがこの街に多くあるアートギャラリィーである。彼らたちが売り出したい作家たちの新作
展覧会のオープニングレセプションである。残念ながら、ファッションは2の次だ。
 今年からちょっと洒落た趣向を凝らしてのオープニングはアート好きな若者たちを喜ばせた。
多くのギャラリィーがあるマレ地区の一角で、ご近所のギャラリィーが共同でオールナイト・
オープニングレセプションを催したことだ。僕も30,31日の週末にはこの催しへ顔を出す。
中でも面白かったのは『BINGO』展。幾人かの若手アーチストたちのポップでガゼットな作品を
同じテーマで界隈のギャラリィー数軒が共同企画での展覧会。古くからの友人で、日本にも幾度
かコレクション写真を撮りに来た事があるフォトグラファー、クリストファー君が全く、新しい
作品で、アートの世界へ登場し、今回の新人展で見事にデビュー。写真とコンピューターを
使って微妙な皮膚感を人工的に合成した写真は医学写真の新しさの様で面白く興味を持った。
 この後、彼はヨーロッパ写真家美術館でアービング・ペンの新作展と共に、ニュー・ジェネレ
ーションの世界をここでも披露している。彼に話しを聞いてみると、彼の作品に興味を持った
この美術館が制作費用を持ってくれて今回の展覧会になったという。よいものを見る眼とその
よい作家を誕生させる公共の構造がこの街には確りと出来ていて、新人であろうが彼らたちの
眼に止れば今回のクリストファーのようにデビューが出来る仕組みが結局、この国の文化の新陳
代謝になっているのだろう。

 「マルタン・マルジェラ・ブランドがイタリーのヂィーゼルへ身売り。」
 コレクションを1ヶ月後ほどに控えた9月の始めにこの意外なニュースが、この街のファッシ
ョン雀たちの口角を賑わせた。今、モードの世界はクリエーションよりビジネスのほうが面白い
と言う典型なニュースである。
 今、我が国では海外デザイナーブランド物ではバッグのLVには及ばないが、服ではこの
『M.マルタン・マルジェラ』が一番良く売れている、人気度の高いブランドが身売りをした。
しかも、あの、イタリーのデニムメーカーの『ヂィーゼル』にである。発表されたのはこちらの
ファッションビジネス紙の『ジャーナルド・テキスタイル』紙。それをニュースソースとした
日本的なが報道が「センケン」紙と「WWDJapan」紙に発表された。当然だが、これらの記事は
余りにも表層しか書かれていない。勿論、当事者たちも余り多くを喋りたくない。しかし、
面白い事件である。結果、こうなってしまったかと言う感じが僕にはした。
 なぜかと言うと、ここ3シーズン来、彼のクリエーションは今、一つだった。
一時の覇気が無くなっていた。丁度、東京にやっとの事で世界での1番店の直営店がオープンし
た頃から、その感じが匂い始めた。そして、多くの彼とそのチームの友人たちにそれとなく話を
いろいろ聞き始めていた結果が、コレだったのかと。

 アントワープのロイヤルアカデミィーを卒業し、J.P.ゴルチェの元で3年半、働きその後、
独立したのがマルタン・マルジェらである。彼が未だ、ゴルチェの所にいた時には幾度か会って
いる。体格がよくいつもキャスケットを被っている物静かなで、ナイーフな青年だった事が印象
にあった。'87年の3月コレクションを最後にゴルチェのアトリエを去り1年半の期間をその
準備期間として自らのブランド「M.マルタン・マルジェラ」を発表したのが'88年の10月の
コレクション。このコレクションはよく今でも憶えている。
 彼のデビュー・コレクションを見た事によって、僕はこの仕事をしていて良かった、幸せだと
感じたからだ。僕が、マガジンハウスの春原さんを誘って友人のフランス人ジャーナリストに
教えてもらって行ったその会場には日本人ジャーナリストはいなかった。ポンピドウーの裏に
今でもある小さなライブハウス的なところ、「ラ・ガラージュ」が彼の歴史的なデビューをする
場となった。屋外で既に、小1時間は待たされた事、その時あのJ.P.ゴルチェもみんなと同じよう
に待っていた姿が印象深く記憶にある。
 M.M.マルジェラはこのコレクションを機に、僅か5年間で高イメージを築き上げるまでの見事
なクリエーションとショーを僕たちに見せてくれた。デビューコレクションは当然、資金が無い
ため素材はコットンのみ。永く待たされた後に登場したのがトップレスのマヌカンたち。
胸を抑えて出て来た彼女たちが穿いているのがロングのタイトスカート。それから、次々に
上ものがコーディネートされ、スーツになってタイトでスリムな、健康な若い女性の肩がまるで
はじけ出るのではないかと思わせるようなタイトなコットン・スーツそして、僕たち日本人に
見覚えのある地下足袋を改造したシューズ。
 彼が近年に無いデザイナーだと知ったのは僅か5年間で彼自らのパーマネントコレクションを
古着を使ってクリエートしてしまった事だ。これは近年のデザイナーにはいなかったことだ。
そして、次の5年間で自らのクリエーションを定番化しコマーシャルラインの#6、#10など
を完成させた。このコマーシャルラインが売れた。イメージもどんどん昇華した。そして、
第3期の5年目で、エルメスのデザイナーと東京に直営店第1号を持ち、ブリュッセルと6月に
はこの街巴里にも直営店を出店した。この、僅か13年足らずで彼、マルタン・マルジェラは
巴里のプレタポルテ、クリエイチィブデザイナーの頂点に達した。多くのデザイナーや学生たちが
彼の影響を受けた。モードの流れを完全にストリートへ引き落としたのも彼だった。
 ショーイングのアイデイアや会場選択にも彼が新しい流れを創った。そして、14年目を迎え
ようとした時にこの事件(?)である。

 「ヂィーゼル社長がマルタン・マルジェラの株式の過半を取得。」
このタイトルはセンケン新聞のものであるが現実はこうである。
 話は約1年半前ぐらいから起きた。当時、マルタンの生産を請負っていた「スタッフ・インタ
ーナショナル社」が2年前に倒産し、その後デーゼル社が買収した。ここで先ず、マルタンと
ヂィーゼル社の関係が出来た。東京1号店の直営店が出来た頃からお互いのビジネス戦略上で話
し合いが持たれ始めた。店舗を拡張しビジネスを拡大してゆくには「資金」「生産背景」そして
「物流」の充実が必要になる。ここで、「生産背景」はヂィーゼル社の小会社が請負っているの
だから「資金」も「物流」もこのヂィーゼル社が望むのならこの組み合わせが一番明解な組み合
わせである。その結果がこうだとはちょっとおかしくないだろうか?
 「この"M.M.M."自身がブランド拡大を本心から希望したのだろうか?」という疑問から
僕はこれが『真意』ではないという発想から調べまくった。あんなにも確実に5年単位で自らの
クリエーションとイメージングを昇華しながら地に足を着けたビジネス戦略をキャフルに展開し
てきたこのメゾンの本当の問題は何なのだろうか?その結果がこのような状況を創るのが一番の
方法だったのか?誰が一番儲けたのか?エルメスはどのような態度をとったのか?

 確か、昨年の12月頃にかなり多くのスタッフ、7人ほどが辞めた。この中には事実上、
コレクションラインをデザインしていた女性もいた。彼女の場合も、円満退社ではなかった。
一方、マルタン自身は旅行に凝っていて、多くの時間を好きな旅行に費やしていると聞いた。
ここ3シーズンほど、コレクションラインがコマーシャル化し始めてきた。一方、相変わらず、
コマーシャルラインの#2、#6、#10等の売上は伸びていた。ショップが出来てからかなり
店頭MDが入たものが店頭にはまってきた。最初から大好きで見て来ている僕にとってはこの変化
を感じるのは易しい事だった。何か、このメゾンの内部でも"変化"が起こっていると思い始めた
のが7月だった。

 マルタンがJ.P.ゴルチェの元から独立してバッカーを捜して約1年半後に出会ったのがマダム 
ジェニィー・メイレン。それまでの彼女はブリュッセルでかなり大きな洋品店を2店舗を経営して
いた。ギャルソンも売っていたし、ヨウジも扱っていた。彼と出会った彼女は今までの成功して
いた洋品店を処分して彼、マルタンに掛けた。
 いつか,彼女はインタビューで、『彼が私の夢を持って来てくれたのです』と語っていた。
そして、'88年10月のあの衝撃的なデビューコレクションとなる。以後、彼らたちは2人3脚
でがむしゃらに働いた。特に最初の5年間は20年分以上のエネルギーを使ってチームワーク良
くやって来たから現在があるのだろう。コマーシャルラインのレデイースを見るとその殆んどが
マダムジェニィーが似合う服ばかりである。だからこのブランドがその後、彼女のような多くの
キャリアウーマンに人気があったことが伺える根拠がここにあった。

 一番儲けたのはヂィーゼル社の社長、レンゾー・ロッソ氏である。
彼らたちの約70%の株を買い占めたからである。これからこのようなブランドを新たに造ると
したら、当然、造ろうとしても不可能ではあるが、これ以上の資金と才能とセンスが必要になる
からだ。マダム ジェニィーとマルタンはデザインコンサルタントとして年契約をした。
結果、いつでも辞めたい時に辞められると言う立場を、やっと得た。

 エルメスが買ったら良かったのにと言ったのは僕と元ジャルダンデモード誌のマダムアリス・
モーガンだけだったと後でエルメスのスタッフから聞いたが、何故そうならなかったのだろう?
この一件はここにも一つの鍵があったように思った。エルメスとの契約は後数年残っている。

 当然であろうが、物凄く時期、タイミングを計算した結果の出来事であった。
"M.マルタンマルジェラ・ジャパン"の「ここのえ」はマルタン側と三菱商事との合弁での会社で
あるが、これがこのように整理されるまでこのM&A契約は発表されなかった。
 当初の『ここのえ』はマルタンと三菱そしてオリゾンチィ社との3社間で始まった。その後、
直営店プロジェクトが始まるとこのオリゾンチィ社に力が無い事が解り、オリゾンチィ社を
外そうと持ち株の分担を減らした。が、そうこうしている間にやはり、このオリゾンチィ社が
倒産という行き着く結果を迎えた。その後、このオリゾンチィ社の親会社W系もこの放蕩会社を
手放した。その先が、ライセンスビジネスの伊藤忠。
 従って、三菱はこの数10%ほどの株を伊藤忠から 買い戻さなければならない羽目になった。
そして、それがちゃんと終わった段階でこの買収契約が発表されている。
それに、仙台の最初からの大口取引先である『レボリューション』がマルタンのオンリィー
ショップをオープニングした後での、事の次第でもある。
 全て、計算された結果の行動である。これは当然であるがこれ程迄に計算された結果の本意
には裏が、何かがあるはずだ?

 3ヶ月前には既に、それなりの社員たちには話があったという。
では、M.M.M.ジャパンの『ここのえ』には同じように話があったのだろうか?

 このブランドも然りである、多くの巴里発の海外ブランドの企業成長に我々日本人は
どの国よりも貢献し、愛し、尽くしてきた。
 彼ら、M.M.M.の14年間のサクセス・ストーリィーも同様である、日本は最大の理解者で
あった筈なのに。本当に今後の企業発展のための結果でこうなったのなら、何故、日本企業にも
アテンドが無かったのだろうか?また、エルメスと組まなかったのか?
 その最大の原因は? 

 しかし、彼らたち、M.マルジェラとマダム ジェニーをリーダーとした、彼らチームの見事な
"仕事"である。やはり、彼らたちはプロ中のプロであった。
 スマートでクレバーなファッションピープルたちが駆け抜けた14年間だった。
当然である、マダム ジェニィーとマルタン マルジェラは膨大なお金を手に入れた。
 「輝きそうな石。きっと、輝くと思って一生懸命磨き上げれば、
それはダイヤモンドになった」というアントワープらしいお話。
 彼らたちは、「M M.マルジェラ」と言う"ファッション・キブツ"を構築し、そこから無限の
可能性を育て上げた。
 その後、この"ファッション・キブツ"で働いていたと言う連中の多くが、他のブランドへ
侵食して行った事だろうか?
 
 「あんなにも彼らたちの売上に貢献した日本人たちは、マルタン自身が誰であるかも
知らないままだ。ーFashion is always in fake.」
文責/平川武治:
投稿日/2002-10-16 :

投稿者 take.Hirakawa : 07:59