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2010年01月25日
『或る友への手紙-2』
また、最近、本当に昔に一生懸命に読み耽った『アウトサイダー』(c.ウイルソン/英)という本をこちらで読み返し始めてしまってもしかしたら此の本が僕の人生の方向性を潜在的に決定してくれた1冊ではなかっただろうかと再読しているうちに思える様にもなり始めたのです。
昔、読んだ本を時代が変わって又、年老いて再読することも必要な時代性かも知れませんね。きっと、僕たちの世代の多くの人たちが此の本を読んで好奇心やエネルギィーや影響を享けたのでしょう。そして此れ位の教養は今の若い世代の人たちに通じるのだろうかとも疑問視してしまったのですが?もし、興味を持たれた人は通読するにはしんどい本ですが一度読んでも悪くない本です。
今年で僕の此の様な馬鹿げた、自分勝手な生き方ももう、25年目になります。
『 僕がこの街へ来て25年。
モードを通じて知り得た事は結局、人間が作り出せる創造とは持ち得た人間性の元、個人の学習と経験に基づいた自由のひらめきと深さと勇気でしかない。
その持ち得た人間性と自由のセンスの良さと知的レベルのバランス観が創造の本質なのでしょう。従って、その本質に触れられるようなコレクションに出会うと僕はとても幸せな気分になります。これはその創造者の世代や国籍や性別そして、時代を無視したところの根源的な事でしょう。そして、これは人間としての確実に仕合せな行為の一つである。合掌。』
こうした僕なりの眼差しの内に君のIT’Sでのコレクションは不思議と覚えています。君の人間性のチャーミングさがあの世界の中には自由奔放に存在していたのです。その耀きの幾つかが今も残っています。ありがとう、Tくん。
これからの可能性を考えると,無理して,カッコ付けて売れるかどうか判らないものを与えられたトレンドのフレームの中だけで、今迄のようにデザイナー気取りで,デザイナーに成ることよりも,本当に自分の好きな服を着てもらえる人の為に造ることが出来る、造れる環境としての『工房』を持つことでしょうか?そこで,出来る限りのことを自分一人でやることです。素材から部品、染色,パターンメイキングそして縫製迄,勿論,最後の『服』という消費財を他者へ委ねること迄。大袈裟に言ってしまうと、或る意味で自分の魂の分身を作り出す為に必要なことは総て,自分一人で楽しんで苦しんでやってゆくこと。自分で何から何迄やること。そのためのこゝろと根気と技術と想いが必要です。そうして一人でやっている行為を他人は見てくれ,近づいてくれ本来の『関係性』の広がりが世界規模で出来るでしょう。これが総ての始まりであり,それそのものがしあわせであると想う謙虚なこゝろの在り方も大切な『人間へのがんばり』への開く扉でしょう。そうしてゆけば,自分の得意なこと,不得意なこと、不足していることや出来ないところが解ります。それからでも人と組むことを考えてもいいでしょう。最初から自分がデザイナーであるという発想の基での服作りはもう案外と旧くカッコ悪い構造かもしれません。会社にして、人を雇って,コレクションをやって,展示会もやる。これらのコストを考えると売ることを考え過ぎてしまいますね。案外、自分一人の『アトリエ』構造がこれからは本来の、造り手としての生き甲斐に、心地よさに通じるものではないでしょうか?余りにも今の若い人たちや海外で学んだからというだけで気負っている人たちの馬鹿げた旧い,カッコ悪い、不自由な自己満足だけでセンスの悪いコレクションを他人に頼み、他人を使って,人の時間と公金を平気で使わして貰ってデザイナーぶっている人が多過ぎますし,そんなことをやっている自分とその周りのお友達関係でありたい連中たちと業界人ぶっている連中だけの変な世界観が出来てしまってその中で閉塞感が満ち溢れてしまうという状況が読めますね。今の『東コレ』の現実は手遅れてしまった、此の状況ではないでしょうか?
新たな商業施設としての,時代性を見事にコンセプトとしたあの『TRADING MUSEUM CdG』ショップで彼の造ったものを見て、僕は改めて『クリストファー-ネメス』の変わらぬファッションに対しての想いと凄さ、強さを、偉大さを、こうして知ってしまいました。多分彼も今年は東京での此の様な姿勢を持ち続けて25年目になるでしょう。やはり,彼も『人間へのがんばり』を持ち得て続けている人なのですね。大抵の人は『自分のがんばり』と『男や女のがんばり』しか持っていない人が多いのですが,
僕の未熟,無知さが今やっと彼の世界観の灯りに気が付いたのです。
君も好きでしたよね!!
あの環境の中に混ざっても決して見劣りもしないで実に堂々とした顔つきを作っているC.ネメスのデニムライン。そして、あのプライス。総てが見事ですね。カッコいいとはこういうものだと思うのですがどうでしょうか?なぜ、彼があのような堂々とした態度とセンスとであのデニムラインがあの値段で売れるか?また売っているのかの僕なりの答えが前述の『自分の作りたい物は総て自分のリスクとコストで自分がやれること総てを責任持って自分でやる。』という此の余りにも当たり前な態度が彼らしくやはり、潔く突き通されているからの結果だと考えたのです。どうでしょうか?
提灯持ちスタイリストたちやジャーナリストと称する太鼓持ちたちへ喋らないでいいことを出しゃばって、べれべれ喋りまくる二流のデザイナーたちはどのようなこゝろで見ているのでしょうね、含羞の念いは無いのでしょうか。
社会の、世のためにならないことばかりしたいのであれば、せめて、自分の存在が地球を汚すことはしないで欲しいですね。
昨年の秋の終わりに開店した、『TRADING MUSEUM CdG』は流石のお見事な,新しいコンセプトショップでした。
僕が以前から喋っていた此の様なコンセプトが実際に現実化した事は楽しく嬉しいこと。此れからのファッションビジネスも或る意味ではアートビジネスと寄り添って行く術を採るでしょう。その視点で読むと此のショップは時代に乗っ取ったお見事な発想とリアリテです。
これが現実化出来るところが今のCdGの強みと頭脳でしょう。
『オリジナルタブロー』と『ポストカード』の関係性。
此の関係性が消費構造のエンディング即ち、完結性の一つ。
『オリジナルタブロー』が価値ある本物で強い創造性と深いコンセプトと可能なる手法と技術に依って創造されたものだけが出来る『関係性』。
僕が今、いいクリエーションとは、『It's so special,so original & everything so more.』と発言している根拠性はここへ行き着くのです。
それを自分たちの世界観の中心軸として総てが『スーベニア』感覚の元に、構造をよりオリジナルにスペシャルにそして,キッチュに,スーベニックにそして、『博物学』的にまとめあげた空間が新たなエモーショナル空間。それらは使えるものは総て使う事によって生まれる新たな一つの世界観とそこからの関係性。自分たちの在庫室に置いておくと仕掛借り在庫であり課税対象品、それを場所を変えるだけでその価値観も変革してしまうことを読んだ此の手法はユダヤ人たちのマジックの一つでもあります。
在るべき、アーカイブと在るべき本質とイメージをどのように再構築して新たな価値を産み落としビジネスへ昇華させるか?
今後,アートの世界が、アーチストたちがCdGのコレクティブな世界へ順応されて来るシステムとその動きが痛快ですね。そして、これが理解されているブランドは日本では未だ無く,流石のCdG.ですね。これを現実のビジネスとして考えられるのは『M-スタンダード発想』の一つですね。そして、CdGしかこのような事を考え行動へ移せることが出来る日本企業は無いでしょう。
いまだに、まだあの「merci」がこれからの手本と称している輩が今の日本の業界人の現実レベルでしょう。ここで言っておきますが、あの「merci」は当然ですがショップコンセプトも立派ですが、あのショップはあの地域のレジデンサーたちをメインの顧客と考えるイベントを催して所謂、地域住民還元型の手法を毎週、採っていることが他店との差別化であり、より、成功を継続させている秘訣なのです。新しい店を創ってもそれをいつも新しさで継続させてゆく為の差別化の手法が必要。それを此の『merci』は地域住民とのコミットを一つのアイディアとしてやり始めたから今も在るのです。ここにも今後への新たなショップがどう在るべきかのアイディアがあります。
従って、現在時点で考えると今後の日本のファッションテナントビジネスの新たな手法としては此の『T.M.CdG』タイプか、『merci』タイプのレジデンサーを巻き込むMD手法と環境を作ってゆくタイプかの何れかの二極化が新鮮さを生むでしょう。
例えば、出来れば,苦難の時期を迎えているデパート業,伊勢丹でも此の様なフロアーを幾つか作り,会員制システムにするか,入場料を取るデパートとして出発すれば,世界で初めての『入場料を取るデパート』として世界レベルへ発信出来る事でしょうね。
それこそ,CdGがプロジュース為さっておやりになればより,世界レベルでしょうね。
ありがとう。Tくん
ご自愛とお励みを:
『或る友への手紙-2』終わり、
文責/平川武治:
2010年01月14日
或る友への新年の手紙−1;
こんにちは,
昨年もご無沙汰をして余り,君への手紙を交わさなくてすみませんでした。
お変わりありませんか?
いっぱい会いたく,幾度も想い何処にいらっしゃるのかと,そんな時のあなたからのメールはとても励ましと安心と懐かしさそのものでした。遅れましたが,改めてお礼を申します、ありがとう。
『穏やかで,爽やかな新年の始まりをお迎えになられたことでしょう。
今年も宜しくご鞭撻ください。良き関係性を出来るだけ永く!!』
少し,昨年、僕がどのようなことを考えて行動していたかをお話ししましょう。
『昨年11月も始まった頃急遽、マリ共和国へ、;
巴里の後、11月初めから急遽,西アフリカのマリ共和国へ出掛けておりました。この街の首都,BAMAKOというところで、アフリカ人写真家たちの為の写真ビエンナーレの7回目が開催される事を知ってこれを発端に急遽、出掛けたのです。
僕の好きな写真家,Malik Sidibe(マリック-シュリベ)と言うもう、75歳の彼がオーガナイズしている此のビエンナーレは僕には何かもの足りぬものへの『好奇心』を求めに行きたくなったのです。良き『好奇心』さえ持ち続ければ,自らの内に良いエネルギィーが与えられ、持ち得ることが出来るとまた,好奇心さえ持ち続けられれば歳を取らないであろうという持論の実行でもありました。
こゝろの発端は,モードの世界の身勝手な生温さとその,虚飾さにそろそろ我慢が出来なくなって来た事も在ります。好きなモードにしがみついてばかりが本心、しんどくなってしまった事も一つの原因でしょうか?
そこで初めての西アフリカへ、数週間『こゝろヒッピィーな』人生最後の旅へ、バックパックを背負い込んでの此の歳になって体験するべく旅に出掛けました。
自分が取る行為と行動にはいつも『リスクとコスト』が、これが僕のもう一つの人生訓。また何れ,彼らたちもいつの間にか消費社会の一員になるであろうとの明るい気持ちも手伝ってでしたが,いや,大変な旅でした。
残された今後の時間に、とっても良い経験と出会いの旅となり,ピュアーでシンプルなエネルギィーを貰って帰って来ました。
いつも、旅は自分が予測出来ない事の不連続。
これが旅ですから楽しいのでしょう。
その時にどのようにその時間と経験を受け止められるかでしょうね。
それが現実というもの。
僕のマリもそんな連続でした。
此の歳で、いい意味に、またカルチュア—ショックでした。
たいへんな国です。
学ぶ事が、新たなこゝろで学ぶ事がいっぱいありました。
その一番は『働くということ』でした。
彼らたちの『貧しさ』を知ったこと。
彼らたちの『生きる事への執念』を感じたこと。
彼らたちの『人間としてのチャーミングさ』を覚えたこと。
それらを知ってしまったらそれに対して、何をしたらいいのか?
どの様なこゝろと態度で向かい合ったらいいのか?
もっと、残された時間をいっぱいに、一生懸命に、働く!!という想いが深く。
写真展へは少し参加させて頂き、此のビエンナーレがとても力強い,何か自分たちの眼差しで何が出来るのか?という、こゝろのエモーションとラジカルな視線の参加写真群は僕に新たな刺激をいっぱいくれた機会でした。http://www.fotoafrica.org/
丁度,帰国して判ったのですが,昨年末はアントワープの友人の写真ギャラリーではM.シュリベとセイジュ-ケイタの展覧会がそして,恵比寿の写真美術館では『AFRICA』展が開催されていましたね。(また、”週刊東洋経済”誌の今年の新年号ではビジネス面から『アフリカの衝撃』が特集としてくまれています。)また,此の国には『藍染め』と『泥染め』の技術の良いのが残っていて未だに、此の国の伝統産業として継続されているそのような現場も見せて頂く事も出来ました。
今回の、乗り合いバスを乗り継いでの旅では、もう少しで『死』と出会うはめになった事もあってマリの旅は以前、行った東アフリカの旅とは全く印象の違う現実に訴える人生、本当に最後の『こゝろヒッピィー』な旅を経験させて頂き帰って来ました。
そして、出来れば人生の最後は『羊飼い』になりたくなって帰って来ました。
『 やはり,モードの世界は”A fashion is always in fake. ”(A fake means image or ?) ;
30年以上も昔に、僕が好きだったこのモードの世界へ入る前に僕なりに思っていた此の言葉は案外と当たっていたようです。多分、此の『フェイクのネタ』が実社会のリアリテの豊かさに依ってバレはじめ,本来の魅力が変質し,喪われ始めたのでしょうか? これが’70年代以降から生まれた『POP社会』即ち『大衆消費社会』の泡沫化現象の一つでもあるのでしょう。(MICRO-POPの彼方に。”After the Reality"の次なるを想像すること。 )
だから余計に新たな『リアリテ』に好奇心と自由を!!
そして、与えられた生としての時間を先ず、感謝して次なるは、僕なりの『リアリテ』に一生懸命、『リスクとコスト』を張ってゆきたいのかも解りませんね。
今年,2010年はいろいろ、『頭を開いて、質のいい好奇心』とその流れの時間に委ねて下さい。勇気と責任感を持って!その根拠性は『人間としてのがんばり』とそこから生まれる『優しさ』です。
『豊かさのイメージ』を追う事に疲れた只の,難民にならないでください。迷わないでください。
君が学んだ事,贅沢に経験されて来たことを持って、持ち得たそれぞれのすばらしい『関係性』を大切な因りどころとして、気概と真こゝろを忘れず、社会へ君しか出来ない立場を創り、大いに、世の為に役立ててください。今年も!!
『人間の乗った回転木馬は多くの変化に会った。インドや東洋の国々が数千年の努力を費やしてやっと,脱ぎ捨てた迷妄は西洋が同様の苦心を払って,維持し強化して来た迷妄と同じである。』 H.ヘッセ/荒野のオオカミ:
どうも、ありがとう
変わらぬ関係性と共に呉々も、ご自愛とお励みを。
ひらかわたけはる/平成弐拾弐年正月吉日: