web site "Le Pli" is information and archives of guerrilla report Le Pli on TOKYO collection.

lepli(4)

“The film,”We Margiela” is a tribute to Madame Jenny Meirens.”

“The Hommage to Madame Jenny.”
“This document film,”We Margiela” is a tribute to Madame Jenny Meirens.”

Thank you, Madame Jenny. Please sleep peacefully.
You had created the world built with another wonderful creativity fashion has,
for young people and me who love mode.
It had showed up with Martin and many young staffs with M.M. M. "Reality".
I imagined a lot about you during this movie.
And I remembered several few words I had with you.
I must say agein thank you so much for your the force & it was cheers for the cool works.

M.M.M.ドキュメントフィルム、”We Margiela”の試写を見る。
このドキュメントフィルム、「We Margiela」は昨年7月に南イタリーで亡くなられた
Jenny Meirensさんへのオマージュでしかない。

このような映画は古い例えを使うなら、「メクラと象」になり易い。
が、シナリオにおけるコンテンツがしっかりしているのと編集が上手くなされているので、
映画としてもファッションに興味ある人ならば、好奇心溢れる映画となっている。

かつての当事者たちが語る、かつての古巣、M.M.M.という名のコミューン。
あるいは、画面上では翻訳されなかった「ファッション・キブツ」という発想は面白い。
「生きている人間」をこれだけ語れるという現実とその想いそして、”We”という関係性で
持ち得られたプライドの証明。
「関係性」を極めることとは、それぞれの立ち居場所があっての「関係」性。
“白、無記名タッグ”など、このブランドの特異性はジェニーさんのアイディアだった。
そして、資金を工面したジェニーさんと自分の文化度も含めた世界観をクリエーションした
マーチン、そんな二人のそれぞれが負うべきリスクに差異が生じてきた。
システムの成長とビジネスの進展により、それぞれが持つべき、「責任」が不明瞭化し始める。
この“We”とは「二人の主人公」と周囲のスタッフとでできる関係性。
ここにも、ユダヤ人特有の「関係性」というシステムとその崩壊(?)のドキュメント。
資金を工面した人と、それを使って創造の世界を生み出す人との関係性の過去の進化形。
すなわち、「鶏が先か、卵が先か?」
これは優秀なファッション・ブランドでは、当たり前の事であるこの関係性への問い。
才能に焦がれてあつまるか、お金に焦がれて集まるか?
あるいは、そのブランド名に焦がれて集まることもある。
「有名になること。」「常識を破ること。」この二つがもたらした情熱と創造
そして、成功と認められた後の立ち居場所の差異と関係性に生じる差異。

画面でも語る、インゲの変わらぬ本音発言が最も、素晴らしい!
14年間、「有名になること。常識を破ること。」のために無心につき走り続け、
疲れ切ってしまった「二人の主人公」と“We”たちのたくさんある中の一つの実話。

彼、パトリックはマーチンとは公私ともに最も近い関係でもあり、苦渋を味わったオリジナル
メンバーが求めていたシステムがやっと、日本マーケットによって稼働し始めた後の‘93年から
この映画の登場人物では遅くに加わった。そんなパトリックはスノッブに、一番客観視した視点
で或いは、一番マーチンに近い思いを発言しているのだろう。
「会社としての機能が保障されていたからこそ、パワフルなデザインが生まれたわけで、
そのデザインなしには会社としてあれだけ機能しなかっただろう。」P. S.

そして、ブリュッセルで自らが持っていた2件のブティックを売却してマーチンが語った
“夢”に掛け共有し、資金を工面したジェニーさんは、この14年間を猛スピードで働き詰めた。
お互いが委ねあって持ち得た「夢」は成就したのだろうか?
或いは、垣間見ただけだったのだろうか?
「我々は、とにかく既存の方法から離脱しようと努力しただけなのです。
長期的に考えれば、システムに依存せずに自由を得ることができるはず。
負けることを覚悟しないと、勝つことはできないのです。」J.M.

数字を知らなかったマーチンに”それなり以上の数字“をもたらして、
結果、彼女は最終的には”挫折した“のだろうか?
上映後、館内の照明がつくと僕はなんだかとてもサッドな気分になってしまったのが
本意でした。

ありがとうございました、素晴らしいファッションのもう一つの世界観を見せて下さった
ジェニーさん、安らかに。
ご冥福を 改めてお祈りいたします。
合掌。
文責/ 平川武治:‘18年12月11日:At Shibuya:

P/S;
尚、この試写を見せて下さった、“エスパース・サロウ”の樋口さまと
長い間、友人でいてくださる“ストリート”の青木さんに感謝いたします。

投稿者 : editor | 2018年12月14日 21:21 | comment and transrate this entry (0)

article(98)

YANG LEE from his show-room by Taque. Hirakawa. “019 S/S Paris Collections;

YANG LEE;
YANG LEE,he had opened the his window by himself.
The wind that is felt there is light and simple that a kind of new minimalism for the street
costumes.

I say that women's clothing is a category of costumes and men's clothing is a category
of uniforms. Costumes are historical and ethnic, and there are stage costumes.
It is a reality of the era of the present age that the sense of stage costume in the daily life
conscious of the instagram has become potentially necessary for the daily life of a modern
woman.
Poetic kindness and simplicity, and above all comfort and a sense of protecting
ourselves are elements that attract attention to their stage costumes.

It is already the end of the era when fashion is made with a one-sided look from the
maker. How do you feel the reality of the times and design the cuteness and beauty of
women who were in that age? I think that the feeling like "May I help you by my
collection?" Is an inevitable era for contemporary designers.
And since clothes are also things, please evolve with the times.
It will create a sense of freshness.
It is something that has been selling from now and it was evolved by material and pattern
making, also balance of silhouette & volumes.
For example,
Speaking of why shoes sell well is because there is evident visual evidence there.

“The world of Couturier in the mode is stagnant in elegance and can be decorative.
However, the design of the prêt-à-porte is a flow, "evolution" is the backbone.
This flow is "periodicity", evolution is "newness".
In other words, how is "Objects" always related to people of that era as well?
And what can we contribute to the society of the new era?
This is the foundation of designing and it may be a difference from the art world. "
By Taque.Hirakawa: At the Show-room in “no season” in Paris on 26th.Sep.

投稿者 : editor | 2018年10月18日 00:57 | comment and transrate this entry (0)

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Review from behind "Scales from the eyes"-3: by Taque. Hirakawa. “019 S/S Paris Collections;

◯KOCHE/
彼らはよくリアリティを観て確実に自分たちのレベルと規模で成長している数少ない
若手ブランドだ。
そのポイントは何と言っても自分たちの現実というリアリティをよく見てそれらを彼らたちの
時代感と美意識でセンス良くうまくまとめ上げていることであろう。
即ち、現代社会におけるモードの”創造ための発想“とは全てリアリティからしか生まれない
事実を認識しているデザイナーとその集団である。その上で決して、浮き足立っていない。
だから見せられるショーがカッコいいものなのである。敢えて、ラグジュアリーに媚びない
立ち居場所に自信を堅持している。彼らたちが編集して観客に配る小冊子はインテレクチュアル
でしかも贅沢さに媚びていないクオリティで作られているのでこれも僕は好きである。
今回はそれなりの引用文を集めて編集しているのも面白い。

[ My work is not about “Form follows function.” But “Form follows beauty” or, even better,
“Form follows feminine.”] By Oscar Niemeyer:
今回、彼らたちが選んだ会場はこの街のO.ニーマイアーの代表作品の建築物だったのも
頷ける。
今シーズンは誰もが“アフリカ”をリードターゲットに意識したが、彼らたちはそのなかでも
“モロッコ”にGSP機能を当てたコレクションを行なった。そう、モスリム世界のリアリティを
モードへ落とし込んだ。これはある意味で大変なリスクであり覚悟がいる世界を演出したのだ。
コレクションは今シーズンのトレンドを彼らたちの思惑でまとめた。“フリンジ”やフリル使い
それに光りもの。また、ぬくもり感大切に見せる手編み風ニットやパッチワークをスポーティな
アイテムとドレスでコーディネート。スタイリングもかっこいいそして、シューズも上手い。
「シューズがうまくデザインされていないデザイナーは根本的にセンスが悪い。」
これは僕の長年、コレクションを見てきたものの持論である。
フレッシュとインパクトがあったコレクションだった。
文責/平川武治:

投稿者 : editor | 2018年10月07日 21:13 | comment and transrate this entry (0)

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アーカイブインタヴュー/「川久保玲との150分」 My Archives part-1; Interview / 150 minutes with Rei Kawakubo (Part 1)

「現代の多くのファッションブロガーと称している表層しか喋らない、
“評論なき、教養浅きSNSファッション・ジャーナリズム” へ一石を投じたく
僕の昔の仕事であるアーカイブインタビューを掲載いたします。」

「 自分で言うのもおこがましいけれど、
このインタヴューの川久保玲さんからは本当に、ご自身の人間味溢れる素顔の発言に始終して
くださった2時間を越すインタヴューでした。
数年後、プレス担当者から聞いた話では、このインタヴューが彼女自身が一番嫌なインタヴュー
の一つだったとおっしゃっていたそうです。
それぐらい人間“川久保玲”が溢れたインタビューでした。
その後、数は少ないけれど国内・海外誌/紙のインタヴューに応じられていらっしゃるが
ここまでの彼女の人間味が感じられるものは僕は読んだことがありません。
多分、国内では、インタヴューアーの勉強不足。海外では全て彼女の夫、エイドリアン氏が
通訳として間に立たれたのものですから川久保玲の生身が要約されていないものが
殆どでしょう。仕方ありません、彼も「和魂未熟」な外国人ですからその根幹は当然、
ビジネスマインドになってしまっていることが多いです。
私感ですが、一番最近のイギリスの”GARDEIAN”紙のインタビューは二人の人間の根幹の
違いが翻訳されて、読むのも辛いものでした。以前、このようなインタヴューをさせて頂いた
当事者としては悲しいものさえを感じてしまいました。」

“ジャップ / Zyappu” ; 第6号/1995年秋;「コム・デ・ギャルソン特集」号:
「川久保玲との150分 (Part 1)」
  
インタビュー/文責:平川武治。

なぜ、今、川久保玲なのか?
「彼女の仕事は非常に尊敬しています。彼女は「破壊」だけに拘っているのではありません。
幾シーズンか前に、薄くやわらかい素材でソフトなものを打ち出したことがありましたが、
それもとても好きでした。自分を変えることなく、絶えず自分のスタンダードを維持出来ると
いうのは凄いことですね。」
ジョン・ガリアーノが2年程前に、素晴らしいコレクションで、パリで再デビューした年の
『アメリカン・ヴォーグ』誌でのインタビューです。(VOGUE USA '93年3月号) 
ジョン・ガリアーノの言葉を借りるまでもなく、川久保玲ほど世界のクリエーター達の賛辞を
数多く受け続けている人は、僕の職業的経験から言っても例がありません。
'82年にパリへ進出して以来、彼女が「コム デ ギャルソン・スタンダード」を、しかも毎回
アヴァンギャルドなクリエーションのみを発表し続けていることに対しての、もしかしたら
ジェラシーをも抱かれている、大変稀な日本人なのです。
僕は今、「ジャップ」の読者である若い人達へ、彼女の現実と実像と世界レベルのクリエーショ
ンを投げかけることによって、読者が好きな世界に対して、「勉強と努力と、そして経験」に
時間消費を重ねることで、まず「自信」を持つことのきっかけを掴んでくれればと願ってやみま
せん。若い時に、みんなが平等に持ち得てる「エネルギー」という特権を、ただ単純に「消費
者」としてカタログ誌を読みあさって、エネルギーを使い果たしてしまわないで欲しい。
「創造者」になることも可能であるという自覚を持つために、大切な「自信」を養って、レベル
の高い目標を持つことを経験してもらいたいのです。

平川武治(以下、平川):・・・・ジャップの読者が若いということがあって、結構当たり前の
ことがこのインタビューでは大事になってくるんですが。
川久保玲(以下、川久保):若い世代の立場に換算して、話したり考えたりすることは難しいで
すね。30年前のことですから。
平川:僕は海外でデザイナーも含めて色々な人に、例えばどういうデザイナーに興味があるの、
関心があるの、好きなのって聞くと「コム デ ギャルソン」(以下、CdG)って必ず出てくるんで
すね。それはやはり、彼らの考えの中に、CdGが毎シーズンそれぞれ違うクリエーションを展開
して、それがひとつのCdGのスタンダードとして20年以上も継続していることのすごさに、
やっぱり向こうの若いクリエーターたちは・・・・
川久保:でもその継続過程は、その若い人たちは知らないでしょ?逆に今のことしか知らないで
しょう?
平川:知らないですね。だけど、取り敢えずそういう答えが返ってくる外国の若い人と、東京の
若いデザイナーに同じ質問をしても、今の流行のデザイナーの名前しか出てこない。で、その辺
で僕はやっぱり、東京で、我々と同じ町で育って、同じ街から発信されているCdGっていうのが、、、
川久保:お互いに自分の国の人を言っていなくて、ちょうどいいと思いますけど(笑)。
向こうの若い人はサンローランって言わないわけだから。日本の若い人は舶来主義じゃないか
しら?
平川:ある種、ミーハーっぽいですね。若い人たちに一度、CdGっていうのは、どういう考えで
どういうモノづくりをしてこられて、それなりの・・・・苦労っていうのを・・・・
川久保:苦労話をするんですか?
平川:いやいや、そういうネガティブなことは・・・・僕は苦労話する人、自慢話する人、
あと偉そうな人は嫌いだから。でも、CdGが、ある程度のスタンダードを継続して持っていらっ
しゃることの、何か・・・・
川久保:秘訣?
平川:うん。努力みたいなものが話の中に入ってくればと思って。昔のことは色々なインタビュ
ーでも、どういうカタチからスタートしていったのかとか、言ってますよね。僕は風土と育ち
みたいなものは大事だと思っているんです。学校を卒業して、会社に入られて、少し広告の仕事
をなさって、その中で自分が実際使いたい服を自分でつくってっていうことから、スタートなさ
いましたよね。クリエイション、ビジネス、イメージという三つの軸を成立させるフォルムみた
いなものをいまの若い人に・・・・
川久保:苦労話というのがさっきありましたけど、自分で苦労したとはもちろん思っていないん
です。でも、いま考えてみると、その時その時で、何かに反発している状況があったと思うんで
す。会社に入ったときも、その時期に女の人が就職するということはまだまだ当たり前のことで
はなかった。しかも大学卒で、男の人と同じ仕事で同じだけお給料をもらえるということは無か
ったですし。そういう状況に対しても反発を感じることがあった。今でもまた違う意味でありま
すし、どうにかものをつくれるようになって、商品が売れる場所が出来たかなという頃に、また
やはり専門の勉強をしていないとか、専門の学校を出ていないとかで白い目で見られたし、色々
ありましたね。パリに行けば行ったでまたなんやかやと(笑)。もう永久に、幸いなことに続く
んですね。そのたびに、怒って、エネルギーになっているということは言えます。日々、当たり
前に会社にきて仕事をして、当たり前の生活なんですけれども、その中で、ひとつひとつ
「そうじゃない」とか「それはおかしい」とか、そういうことが毎日一個や二個は必ずありま
す。また、そういうことを感じなかったら、つくれないと思うんですよね。
平川:クリエーターっていうのは何かいつもその時代に対して問題提起しなければなりませんよ
ね。
川久保:意識はしていなくて、それが苦痛だとかそういう風には思っていないんですけど。
平川:例えば最近、日本の今の現実を危惧するということは?
川久保:あっても無言でいたいですねえ(笑)。それに口をだして、自分のひとつの柱みたいに
言うのも好きではないです。だからインタビューが面白くなくなるでしょう。それで悩んでいる
わけではないから(笑)。
平川:じゃあ、一番悩んでいるのは、次のシーズンの洋服のこと?
川久保:そうね。やっぱり、一番悩むことは、つくれなくなるんじゃないかってことですよね。
平川:それってやっぱり、ご自身でつくれなくなるって思われます?
川久保:周りを見ているとそうだから。
平川:周りっていうのは?
川久保:多くの先輩たちなど・・・・、やっぱり体力が落ちるように。それに、今までにやった
ものじゃないものをつくらなきゃいけないわけですから。
平川:川久保さんが洋服をつくるときに一番大事にしていることってなんでしょう?
川久保:やっぱり見たり着た人がドキドキしたり、何かを感じることじゃないですか?
それがなかったら意味がないと思っています。ということはつまり、新しいものじゃなきゃダメ
なんです。一番怖いのは、新しいものをつくれなくなることで、その恐怖はずっと続いています。
平川:それは、こういう道を選ばれたときから決定してますよね。
川久保:してたわけですね。覚悟とか、そういう用意はなかったんですけど。それはやっていく
うちに、「しまった」ってことです(笑)。
平川:他人と一緒のことはしたくないという種類の人間がいますよね。
で、川久保さんはやっぱりその種類の人間ですよね。
川久保:それは当たり前にそうです。それがつくる中での一番の柱です。
平川:そのためには、自分がどう感じて、どういうエネルギーで毎シーズンカタチにしていく
か、その連続性が、エネルギーが一番すごいと思うんです。不連続の連続というか。同じ時期に
パリでスタートした人たちも、全く時代とは関係ないところでものをつくっている人がいますよ
ね。それが、CdGの場合、なお継続しているクリエイションは、すごいエネルギーだなあって。
でも、それを持続させる構造には、会社というのは大きな力でしょ?
川久保:組織という意味ですか?まあ、どちらが先か分からないですけど。
平川:「インタビュー」誌かなにかだったと思うんですけど、「デザインの発想は、人の生活や
日常性からヒントを得る場合が多い」とお答えしていましたね。
川久保:質問が、インスピレーションを得るために、絵だとか、本とか旅行なりをしますか?
っていう質問に対して、特別な出来事からではなく、日常の積み重ねから意識しないうちに
出てくるということを言うために、そう答えたと思います。実際本当に、自分の中からは
そういうものを見つけることは出来ないわけですし、そういうことを言いたかったんですけどね。
平川:結構人間がお好きですか?
川久保:変わった人のほうが好きですね。
平川:どの程度変わった?
川久保:「変わってるわね、あの人は」っていうのが付くぐらいじゃないとだめですね(笑)。
平川:僕はファッションはズレているから面白いと思っていて、ハマってたら面白くないと
思っているんですね。ところが、はまっていることがファッションになりつつある時代の背景が
現在ある。それでもなおかつ、ずらしてずらしてクリエイションするのが川久保さんのテイスト
であって、ご自身の生き方でもありますよね?
川久保:最終的にはそうですね。つくられたものってすべてそうですよね。
平川:そうすると、前に出た風土と育ちが出てきますよね。
川久保:それは関係ないと思いますが。
平川:例えば家庭環境とか・・・・
川久保:そういう風土ね。私の場合、普通の家庭環境だったから。でも普通だったから
普通じゃなくなるということもあるでしょう?
平川:例えば学校時代、制服が嫌いだったでしょ?
川久保:制服好きです、ある意味では(笑)。
平川:具体的にデザインする中で何を一番大事にされます?
川久保:まず、コレクションで何を一番言いたいか、言わなければいけないかということ、
それを最初に考えますよね。それを考えるときに、例えばひとつの素材やパターンだけじゃなく
て、色々な要素を複雑にミックスしながら、表現方法を考えなければならない。最低三つ四つの
要素は、表現するためには見つけなければいけないですよね。
平川:単純に、アイディアとデザインは違いますよね。今おっしゃった三つ四つの項目が出て、
初めてアイディアがデザインになる。
川久保:そう。だからデザインは最後の一月ぐらいで決めます。その前は、色々なことを踏まえ
ながら、何をやろうか、何を出そうかって試行錯誤しています。そうしているうちにどこかで
接点が決まるわけです。それは日常の中から生まれることもあるし、「今これが気になる」と
いうことが関係することもあるし、色々なケースがあります。スタートした頃はそこまで具体的
に考えなくて、もっと直感的だったと思いますけど。今はショーという形があるから、色々な
ことが要求されるでしょう。服をボディーに着せて見せるのとは違う世界ですから。
平川:洋服は川久保さんにとって「アート」ではないですよね。
川久保:ないです。
平川:完全にひとつの消費財であり、生活の中でのものであり・・・・
川久保:だけどやっぱり、人をときめかすそう意味ではアート的とも言えるかもしれません。
平川:デザイナーになったら、アートに走ってしまうほうが楽で偉いんだと思っている人も
いますね。川久保さんは全体のバランスをつくることとか、トータルなイメージを幾つもの要素
を使って作り出す、バランス感覚が絶妙ですよね。
川久保:いえ、平川さんには時々怒られていますよ(笑)。
平川:いえいえ(笑)。
川久保:イメージとのバランスが最高に一致するなんてことは何年に一回しかないですね、
きっと。毎回どこかがやっぱり足りないです。
平川:それがまた次のコレクションのエネルギーに変わりますよね?
川久保:そうかもしれませんね。
平川:パリでのショーの場合、東京で服を全部コーディネートしていくんですか?
川久保:そうですね。組み合わせを考えながら縫製に出しますから。
平川:じゃあ、結構早い時期からイメージが先に出来ているんですね。
川久保:早いと言っても、縫製を始めるのはひと月、2、3週間前からだから、
その頃からですからね。何をやりたいかは分かっていますけど。もちろん1週間前にディテール
で色々変わることもありますし。
平川:そういう意味で、川久保さんのショーはいつもパーフェクトでしょう?
川久保:納期が?
平川:(笑)いやイメージが。
川久保:自分としては、納得行かなくてもそのまま諦めてしまうこともあります。
1週間前に、ショーの準備をみんながしているところをひっくり返すなんて、とても出来ない。
したから良い結果を生むとも限りませんし。
平川:でも、見る側からしたら、一回勝負だし。僕は洋服を見るときは一番最初にバランスに
注意するんです。素材のバランス、着こなしのバランス、アイテムのバランス、それからそれを
演出するためのヘア&メイクだとか、音楽だとか。川久保さんはショー全体のバランスを考えて
いますよね。それが本当にいつも絶妙なんですよ。
川久保:それが、難しいんですよね。
平川:一番難しいことですよね。そして、それは発想とは別の問題でしょう?
川久保:ひとつひとつが道具だから、ちょうどいいパーツが揃わなければ難しいですね。
でも難しいから逆に面白いっていうのはありますよね。
平川:最終的に、いいショーをするということは、いいイメージをつくること・・・・
川久保:それと、言いたいことを伝えるということと・・・・
平川:そして、最終的にはビジネスとして見返りがあるっていうことですよね。
川久保:そうです。ビジネス的に売れて、ジャーナリストに受けが良くて、自分も満足できる
なんて、あり得ないです。今は、売ることよりもジャーナリストにどう感じてもらっているか
の方が分からないですよね。
平川:予想がつかない?
川久保:昔より予想がつかなくなっています。
平川:昔はそういうことを意識せずショーをしていた?今はジャーナリストがひねてきたんでし
ょうかね?
川久保:仕事としてというよりも、自分の好き嫌いの趣味だけで仕事をしている人が多いのじゃ
ないですか。そうしたら、CdGは殆ど「ノー」っていわれるに決まっている(笑)。
「自分はシャネル着るけど、クリエイションとしての価値判断を持ってちゃんとモノを見る」
っていうぐらいの人はどれだけいるんでしょうか?
平川:川久保さんに対する世間の見方ですごいなあっていう部分のひとつは、洋服は着ないけど
川久保さんの生き方が好きだっていう人と、それからそういうことは関係なく洋服が好きという
人と、両方のファンというのをちゃんと持ってらっしゃいますよね。
川久保:そうだといいんですけど。
平川:僕なんか、嫌いな人の服は絶対着ないもんね。
川久保:特に年が上の方は、自分が仕事をしていて苦労した部分が共有できるから、
服が好きだというだけで着るのではないのでしょうね。外国人の女性でそういうことはあまり
ないかしら。
平川:向こうの人は好き、嫌いの分岐点がはっきりしていますよね。CdGのスタンダードを、
コンスタントに毎シーズンクリエイションするっていうのはチームづくり、チームワークが
うまいなと、チームの利点というものを知っていらっしゃるんだなと思うんですよ。
日本はチームワークがなさすぎと感じることありますよね。例えばデザイナーの仕事ひとつ
取っても、デザイナーが先生になってしまったら、下の人間が完全に「イエスマン」になって
しまう。川久保さんの場合、素材にしても音楽にしても、ショーをやるのにちゃんとチーム
ワークが出来ていますよね。
川久保:チームって周りの人?
平川:そう、信頼していらっしゃるでしょう?僕、最近仕事で、パリの2人組みのクリエーター
たちを何組かインタビューして気がついたんだけれど、彼らたちには、個人主義が基本的に徹底
されているために、1足す1が2プラスαになると信じてやっているんです。日本の場合、
1足す1が、うまくいっても2、または2マイナスα的な仕事のやり方をしてしまっている。
川久保:そういう、対等な組み合わせの人っていませんよね。
平川:対等でなくても、自分の発想とデザイン、クリエイションをどう現実化するかっていうの
は、単純に個人では出来ない。アートとデザインの違いっていうのは、アートというのは一人
の、個人のエゴでモノをつくる世界だと思うんです。デザインというのは複数とのかかわり合い
ですよね。自分と他人とどう関わっていくかという。そのルールが確立していなければ、最終的
に良いものが出来ないと思います。
川久保:でも、ビジネスのかたちによっては、一人で出来るモノもありますよね。
ビジネスのかたちが既製服のプレタポルテだと形態としては難しいけれど。
平川:その難しい構造を持ち続けるというのは、一方では大変な努力でしょう?
川久保:そうですね。
平川:例えばグラビアをつくるにしろ、カメラマンがスタイリストはあの人をって言っていたの
を、スケジュールが合わないからといって違う人をたてる。
川久保:余り知らないけれど、いい仕事をしている人って、みんなパートナーを決めてチームを
組んでいますよね。何をやりたいか、そのためには何をつくらなきゃいけないか決まっているの
で、うちの場合出来るんじゃないですか。
平川:僕は個人主義が好きなんですよ。個が確立している人が集まって、自分自身がテイクケア
出来ないと他人とは組めないという発想。それが川久保さんの場合、ずっと続いているという
ことは、ある種の「コム デ ギャルソンらしさ」ですよね。
川久保:そういう意味では、平川さんのおっしゃる個人主義の人間が集まっていますね。
別に仕事以外に何をやっているかとか、何をして週末過ごしただとか、そういうことが話題に
ならないんですよ(笑)。別に無理しているわけではないんだけど、朝から仕事の話ね。
そういう意味で、個人主義って当たっています。言われてみると、個人主義の人が集まっている
会社ですよね。
平川:「1足す1=2プラスα」ですよね?でもそれを維持していくというのは、この東京という
風土では大変でしょう。
川久保:そこはわがままにやらせて頂いていますから。行きたくないところへは行かないし、
冠婚葬祭はちょっと失礼させてもらって(笑)。嫌いなことはしていないですね。
平川:僕は嫌いな人は嫌いと先に言ってしまうんです。自分の領域を他人に示さない限り、
結構勘違いされて、土足であがってこられる場合があって。
川久保:でも東京も結構最近は変わったんじゃないですか?昔に較べれば。
平川:ただそのときに個人主義を守る場合、当然他人と関わる接点というのをちゃんとしなけれ
ばならない。
川久保:そうですよね。責任を持たないとならないですね。
平川:そこで、義務と責任、権利が当然出てきますよね。ところが、若い人の中には曖昧さが
ありますね。川久保さんのデザインを表す形容詞に「いさぎよさ」というのがあって、
その辺の部分が欠けている。
川久保:そう言われればそうかもしれませんね。
平川:よく「デザイナーにならなければ何になっていたか」って聞かれません?
それって考えるのも馬鹿らしいと思います?
川久保:答えるんですか?じゃあ平川さんは?お坊さん?
平川:僕は思いつかない。考えないですね。それよリは今のほうが大事ですね。
川久保:考えても意味ないですものね。意味の無いことは考えないように出来ているみたいで
す。
平川:そういう意味では合理主義ですよね。
川久保:現実的ですね。だからビジネスをやっていられるんじゃないかしら。
逆に男の人の方がロマンチックなところがありますね。出来ないことでも言ったりしますから。
平川:それがやっぱり男と女の基本的な違いでしょう(笑)。
理想がビジョンをつくる部分ってありますよね。男っていうのは絶対的な強さは何も持っていな
いですよ。
川久保:私だって、絶対的な強さなんて持っていないですよ。よく子どもを産むから女性は強い
と言う人がいるけど、私には当てはまらないし(笑)。だから男と女と分けてモノを言うのは
良くない。
平川:やっぱり人間として考えなければならない。
川久保:そうね。
平川:人間がお好きなんですね。
川久保:意識はないですけどね。動物の方が好きかもしれない(笑)。人間がくたびれたから
動物が好きなのかどうかはわからないけど。
平川:僕は人間好きなんですよ。人間見ていたら楽しいし、男の人見てても女の人見ていても、
そこから色々な考えや思いつきが出てくる。それは人間が好きなのだけれど、結局は自分が好き
なんだと思うんです。
川久保:そこまで考えたことないんですけど(笑)。そういうことを考えて日々過ごして
ないですね(笑)。
平川:ナルシストではないんですね。
川久保:そういう難しいことは考えないです。平川さんはよくそういう風に考えるんですか?
一部終了。
文責/平川武治:
出典;“ジャップ / Zyappu” ; 第6号/1995年秋;「コム・デ・ギャルソン特集」号/光琳出版刊:

投稿者 : editor | 2018年09月29日 12:01 | comment and transrate this entry (0)

article(98)

Review from behind "Scales from the eyes"-2: by Taque. Hirakawa. “019 S/S Paris Collections;

The review from behind "Scales from the eyes" -2: by Taque. Hirakawa.
“019 S/S Paris Collections;

◯AFTERHOMEWORK/
Perhaps they are still dirty teens duo designers.
That alone has enough potential they definitely climb the stairs they have sought.
I like that feeling and mind. And this season is the leather craftsman and Hermes had also
experienced ISAAC which is currently doing their brands extensively is collaborating bags
for this brand.
Both women's and men's clothes are younger than anything else because they have the
environment and situation that they can afford if they just attach risks. That youth makes
freedom and it is building freshness.
They are suffering while thinking about something new things that they can do.
That means fresh !!
Women's clothes like pretty modes and have the strength to be a designer.
She can understand it because she care about the trend of the season.
And men's clothes have style, design functionalities and protections,
and there is loose and comfortable to them in their generation.
I would like to look forward to how they will grow in this world in the future.
By Taque.H.

多分、彼ら達は未だ、ギリギリの十代デュオデザイナー。
それだけで十分に可能性を持っている彼ら達は確実に自分たちの探し求めた階段を登り続けて
いる。その気概と心の有様が僕は好きだ。そして、今シーズンはあの皮職人でありエルメスも
経験し今では自分のブランドを手広く手がけているISAACがこのブランドのためにバッグを
コラボレーションしている。
女服も男服も自分たちの好きなことがリスクさえ貼ればできる環境と状況を持っているために
何よりも若い。その若さが自由を生みそれが新鮮さを構築している。
何か、自分たちでできる新しさとはを考えながら苦しんでもいる。そこがまた新鮮なのだ。
女服はかなりモードが好きなそして、デザイナーになりたい強かさを持っている。
それは今シーズンのトレンドを気にしていることでも理解できる。
そして、男服はスタイルがあり機能性とプロテクションもデザインし、
彼ら世代に大切なゆるさと楽さがある。
今後、この世界でどのように成長してゆくか楽しみに見ていたい。
文責/平川武治:

投稿者 : editor | 2018年09月28日 19:19 | comment and transrate this entry (0)

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Review from behind "Scales from the eyes" by Taque. Hirakawa. “019 S/S Paris Collections;

今シーズンはこのような趣向でパリ・コレを覗いてみましょう。
題して、”背中越しからの寸評“。

The review from behind "Scales from the eyes" by Taque. Hirakawa.
“019 S/S Paris Collections;

◯Dior/
A few years ago, a brilliant collection that emerged a new strategy that began with the
disappearance of "Christian" from this brand name.
The result is such a collection in a world of easy-to-understand mathematics.
The answer is only to erase French mode 's aesthetic sense which was even one of French
culture completely with "money".
CHRISTIAN DIOR - CHRISTIAN = Only the label that French Esprit has gone out is old,
a wine that is out of the tast & mind.
The venue until the beginning of the collection was supposed to be a salon that
exchanged each esprit.
However, recently only children of the new generation of rich Chinese affluent people
who hang around is playing with mobile. They do not need French Esprit, just the label and gold plating are good tribes.
by Taque. H.

数年前に、このブランド商標から“Christian”が消された事から始まった新たな戦略とは、
言い換えれば、フランスのモードの美意識を完全に”金“で消してしまう事でしかないのだろう。
その結果が、わかりやすい算数の世界で、このようなコレクション。
CHRISTIAN DIOR-CHRISTIAN=フレンチ・エスプリが消えてしまったラベルだけが古い、
気が抜けたワイン。
コレクションが始まるまでの会場とはそれぞれのエスプリを交換し合うサロンだったはず。
しかし、昨今はその周りではしゃぎ回る中国富裕層のニュー・ゼネたちしかめだたない。
彼らたちにはフレンチ・エスプリなんて必要ない、ただそのラベルと金鍍金があれば携帯と共に
はしゃぎ回る輩達。
文責/平川武治:

◯JACQUEMUS/
He certainly was a great talent, a designer who should have the design ability
and talent to evolve modes fun and beautifully in this case.
It seems that something, a great misunderstanding force began to work and join him as
we did in the last season & this season. If you put it in easy-to-understand way,
"Commercial collection"?
He is one of the young designers chosen among French designers and expected to be
the most prospective. But, such a thing he makes such a collection ! !
Has he made a mistake on the button?
Or was sexuality with the woman he had, or was gender in the mode like this?
It's too easy, is not it?
What is the reality of the sex of a woman he could have in such a world?
I've seen plenty of reality that French designers with many talents have had great
misunderstandings with French fashion people and media,already.
I’m still continue to look for ways to create modes and how to evolve with women living
in times as creative fashion designs.
By Taque. H.

彼は確かにそれなりの才能、この場合モードを楽しく、美しく進化さすデザイン能力と才能
があったはずのデザイナーでした。が、今シーズンは昨シーズンもそうであったように彼に何か
大いなる勘違いの力が働き始まったようだ。わかりやすく言って仕舞えば、“コマーシャル・
コレクション”。
彼はフランス人デザイナーの中で、最も将来を期待されて選ばれた若手デザイナーの一人で
す。そんな彼がこのようなコレクションをするなんて!!ボタンを掛け違えたのでしょうか?
彼が持っていた女性に対する性とはあるいは、モードにおけるジェンダーとはこんなものだった
のでしょうか? 彼が持ち得た女性の性というリアリティとはこんな世界なのでしょうか?
私は今までに多くの才能を持ったフランス人デザイナーがフレンチファッションピープル達
とメディアによって大いなる勘違いが始まった現実をたくさん見てきました。
私は依然、モードを創造することとはどのように時代に生きる女性達とともに進化することが
モードの-デザインだと信じその凄さを探し続けています。
文責/平川武治:


投稿者 : editor | 2018年09月27日 19:59 | comment and transrate this entry (0)

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「進化」と言うデザインを再考しよう。S/S ‘19 パリ・コレに見る新しさという眼差しは?

◯はじめに;
「今年も73回目の終戦記念日を真近かに、平成の“安心のファッシズム”ボケとしか
言えない昨今の日本。こんなにも支離滅裂な政治を愚行している安倍内閣への支持率の異常さは
続き、ますます今後の日本國は“親離れ出来ない”、アメリカユダヤ複産資本の言いなりのポチ
国家に成り下がるのみ。
気骨ある戦前からの日本人としての平和祈念、気概はただただ、風化する。
そして、現在は“フクシマ”を風化させ、“東京オリンピック”と“IR法案”によってそれらの利潤は
新興商人やパチンコ業界の階層に分有されるのみがこれからの日本国の“豊かさ”の有り様では
無いだろうか?」
冷静に考えてみると、現代という時代感は、日本も世界も資本主義国家群に於いては、
「そう、世界は”真実っぽさ”で溢れかえってしまっています。」
ーYes, the world is overflowing with "truthfulness".

“truthiness”,これは2005年にN.Y.の人気コメディアンのS.コルベアが有名にした言葉です。
ある時期から政治家や評論家たちが合理性、証拠、さらには事実に基づいた議論に変わって、
むやみに感情や勘に訴えるようになってきた現状を評したもの。現代社会とはヴァーチャルな
時代観と相まって、この”真実っぽさ”によって全てが構築されてしまているという趣意。

◯プロローグ;
今回、パリで初めて行なったUNDER COVERのメンズコレクションのランウエーを見て直感し
た近未来、2020年以後のためのキーワードがある。それは「革命/レボリューション」です。
S/S ‘19 パリ・メンズファッションウイークから一つの新たな時代への共通言語を敢えて、
探し出すと僕はこの「革命/レボリューション」と言う言葉の響きが新たな新しさを欲し始める
世代感を強く感じたのです。

例えば、メインターゲットが白人からイエロー&イエローへそして、新たに黒人達へ移行し始め
たことそのものもこれは従来のモードの世界からは決して考えられなかった”レボリューション”
である。そして、今の時代観の一つ、「世界には真実は無く、真実っぽさのみ。」と言う現実に
対峙し始めるニュージェネレーション達の“カウンター・カルチャー”の現れも感じ始める。
それは現代社会の「真実っぽい豊かさ」を危惧する感情の現われの一つかもしれない。
この今回感じた「レヴォリューション」とは、僕たち世代がそうだったようなポリテカルな
レヴォリューションではなく、彼ら達の「レボリューション」という言葉が持っている新たな
意味やニュアンスは新しい「豊かさの進化」における「プロテクション/守り」が感じられ、
望まれるであろう。

加えて、今この街では3つの「革命/レボリューション」に関しての展覧会が開催されている。
その一つは「ロシア革命」100年記念に関してと、「‘68年5月革命」の50年記念の各展覧会で
ある。そして、もう一つこの街の「近代デザイン」運動の流れを生み出した、「UAM」の回顧展
も開催されている。(UNION ARTISTES MODERNES/現代芸術家連盟:1929年設立~‘58年)
この運動はバウハウスの影響を受け、’25年パリ万博で見せた近代化を社会へコミットする為に
始まったこの国の「近代デザイン運動」の黎明期を再考するための展覧会と読むことができる迄
の興味深い展覧会だった。構成主義以降のアートの世界から建築、インテリアデザインと家具、
工芸そしてモードにグラフィックに至るまで。
因みに、来年は「バウハウス」創設100年記念の年でもある。
「真実っぽい豊かさ社会」にデザインは何ができるか?と言う、「レボリューション」とも読め
るであろうか。きっと、そんな時代がめぐり回って来たようだ。
(共に、ポンピドゥ・センターにて展覧会中;
http://mediation.centrepompidou.fr/infos/ja/index.htm)

◯はじめに、「時代とデザイン」の関係性を「モノ」の進化として考える
「服」のデザインの世界とは?;

ファッションにおいての服も「モノ」である。「モノ」は時代とともに「進化」する。
では、「モノの進化」すなわち「服」の進化あるいは、「服」の技術革新という視点もこれから
の新しさには大事な視点になる。
“時代が変わる”事とは、この根幹の一つにはそれぞれの時代に生活している人間が得た豊かさ
からの「自由度」から生まれる“ゆとり”あるいは精神的な余裕性が社会を変革することに他なら
ない。しかし、デザイン・ビジネス全般においては未だに、モノの表層あるいは見え方と機能に
十分に引っかっている。あらたな時代が提示してくれる“新たなゆとり”から生まれる思想や価値
観から掘り起こしそれらをデザインに落とし込むまでの文化的プロセスがファッションデザイン
の世界では年々より、軽薄で単純になっている。このファッションの世界では為されるデザイン
によって生まれ変わるモノの表層のニュアンス即ち、シーズン毎の“トレンド”と呼ばれている
この世界の「差異化構造」の「壁紙」の張り替え作業の繰り返しが依然、変わらず市場化して
いるのに過ぎないのが現実のファッションの世界。このファッションの世界システムそのものに
も「進化」は見られない。

これは戦後の豊かさがもたらした、日本社会の“文化”の領域が「消費社会のための消費文化」
でしかないのもこの要因であろう。判りやすく言って仕舞えば、「儲かるための手法」でさえあ
れば良いだけの世界が時代とともにより顕著にワールドワイドになってきた時代性だと読める。
「デザインされたもの」が全て消費社会へすぐさま飲み込まれてゆくための”壁紙“デザインと
その“上書き速度と量”が要求され、”売れているモノ”を探すだけのMD主導型の世界のための
作業そのものがデザインの現実でしか無い。
実際の職場ではどの様にその“時代が変わる”状況変化というリアリティに応じて、”デザイン
する事”をフィジカルに考えが為されているのだろうか? 現実はMDという機能によって、
「売れているもの」の情報を餌とし、集められそれをデザイナーへ投げ与えて、デザイナーたち
はその与えられた情報のバリエーションをトレンド・デザインと称して、「壁紙世界の上書き」
に走る。この速度競争に勝つことが今ではブランドビジネスの必須根幹になり、この傾向はここ
数シーズンでより顕著になり、拡大もして来ている。ここにも、“ファスト・ファッション”から
の悪し影響が見られる。
もう一つに、「ファスト・ファッション」の登場によって、リアル・ファッションとは単なる
「アイテム・ファッション」になり下がり、分かりやすい着やすいコーディネート・ファッショ
ンが時代の顔になってしまったことも原因であろう。”トップス&ボトム“をどのような「壁紙
アイテム」でコーディネートするか、これがわかり易いファッションセンスになってしまったか
らだ。
「モノ」の進化として考えられていた時代の「服」のデザインには”着まわし“のセンスで着こな
す服がモードそのものまでも”進化“させていた。例えば、1着のワンピースで幾通りもの”着回し
“が可能であり着る女性も十分、楽しめるまでの工夫すなわち、「進化」がデザインそのもので
あった。
が以後、ファスト・ファッションによって誰でもがより解り易い服が市場とメディアを占領し
始め、従来のおしゃれな感覚としての”着まわし“で着こなす服がグローヴァリズム以降世界の
モードからは殆ど姿を消してしまった。最近では、2年ほど前のアンドレ・ウオーカーDSMT・
ギンザにおけるコレクションにはその精神がまだ健在であったが、「売りずらいあるいは、売れ
ない」という理由でこの先端ショップを自負している店からさえも消滅させられてしまった。
実は、30年ほど前までは自分たちがそうしたデザインで生き残って来たことを忘れてしまって
いる。(実は、覚えている、知っている社員がいないからだろう。)

◯「モノ」の進化として考えられた「服」はその時代のヒットアイテムであった。;
ここでファッションの世界は「トレンド」という差異感覚に因りどこったビジネスのための巡回
システムの根幹がある。そして、このトレンドによって「モノ」としての「服の進化」から逃れ
てきたという現実もあろう。
しかし、この21世紀は「バーチャル」に始まり、A.I.やビットコインの時代である。そろそろこ
れからの世代達のためにもこのファッションの世界でも服を”モノとしての進化“へ新たな目を再
度、向けるべき時代性が来ているようだ。

ここ数年来の”アーカイヴのヴァリエーション“を求めて、それらに「装飾性」を加えるだけがデ
ザイン・ワークそのものではないだろう。時代の豊かさがもたらすそして、「真実っぽさだけ」
の新たな生活環境に対峙した服。技術革新と自由な発想によって生まれる新たなシンプルさや機
能性とそこに必然とされる新たな素材やパーツ類などそして、ミシンに頼らない縫製技術と新た
な組み立てシステムや手法などが総合化され、新たな時代のバランス感を生み出すことで初め
て、“進化” ある新たな「モノとしての服」の姿が誕生する。そうした「進化した服」は勿論、粗
利を生む。
この「モノ」としての「服の進化」は女服のデザインよりは男服のデザインの方がより現実的で
あり、必然性がある。何故ならば、ファッションにおける男服とは所詮、“ユニフォーム“の
カテゴリィーが根幹であるからだ。だから、先日のパリ・メンズファッションウイークでこの
「進化」に興味を覚え、このシーンが今一番、ファッションの世界の先端であり、問われ始めた
と感じたのだ。
それなりの若いクリエーター達にその兆しが感じ始めまた、現れ始める時代性をも感じた。

たとえば、歴史を省みても「近代デザイン」が登場した‘20年代終わりは「ホック・ボタン」に
変わって登場した「ジッパー」や「ナイロン」素材などとロックミシンの進化などが現在のファ
ッションにおける「モノ」としての「服」の進化を大きくもたらした時代であった。これらによ
って、タイトなボディーシルエットが可能になり、モードも着る女性たちを大いに進化させた。
アーカイブを紐解いて見ても「モノ」の進化として考えられ、デザインされた「服」はそれぞれ
の時代のヒットアイテムであった。シャネル・スーツが今尚、シャネルブランドの定番となって
売れている現実や、CdGの80年代後半の5年間程には川久保玲の生み出した女性服にも多趣多様
なローブの着まわし服の進化があった。ミラノのスピーガーノ通りの裏道にあったおばちゃん服
のプリーツ屋さんに頻繁に通い工場までも見せてもらうと、とうとう先生自ら意匠登録した
イッセイのプリーツ・プリーツにせよ、僕の大好きなJ.コロナの平面パターンの表ロックミシン
うちのパンツやコオトなどなど過去のモードを振り返って見ても、その時代時代でヒットアイテ
ムとなって売れた服はやはり“進化”から生まれたデザインものがほとんどである。
近年では、今「壁紙」デザインの渦中になってしまっている元M.M.M.で、一番売れているもの
は何か?それは日本の地下足袋を進化させた“たびシューズ”である。彼らたちはこの”たびシュ
ーズ“をその後も幾度も進化させていまに続いている人気アイテムである。そして、服の進化系は
ストリート発からも読み取れる。最近ではbeautiful peopleが売りまくったボンパージャケット
のミニ版も,”コーディガン“なるカーディガン+コート丈のはおりものもこの“進化”に入るだろ
う。もう一つの世界では、YUIMA NAKAZATOが挑戦している世界もこの「進化」を根幹にし
た自分世界への高き挑みだ。

◯「モノ」としての「服の進化」に気づかせてくれた発端は、;
今回、この「服の進化」に気づかせてくれた発端はJUNYA MANのデフィレだった。
JUNYA MANがどうして、何故“コラボ・コレクション”をこれだけ長く続けているのか?
従来のファッションの目線で見ていると、もうほとんど彼のコレクションはコラボから始まり、
コラボに頼りそして、コラボによる“消化不良”を起こしている世界でしかない。だが、今だに
現状が継続されている現実。ここには、このデザイナーが為してきた実力と実績とともに、
「誰が彼とのコラボを望んでいるか?」そして、「必要としてされているか」そして、彼ら世界
規模のナショナルブランドがその根幹にこのコラボレーションで欲しているものとは?を深く読
むことで理解が出来るであろう。
今シーズンの彼のコレクションは僕的なタイトルは、「ウォリィーくんを探せ、アウトドア編」
であり、目立ったものはウエアーよりサック類だった。しかし、このアウトドアウエアーでは
その機能を担っている重要なパーツの一つに、「ファスナー」がある。JUNYAが今シーズン選ん
だファスナーはYKKではなく、「朝日ファスナー」だった。数シーズン前にもこのデザイナーは
この「朝日ファスナー」を使っていたが、今回もファスナーの持ち出し金具に特徴のあるカッコ
良いもの、“WALDES”を確りと選んで使っている。例えば、この感覚と決定がナショナル・ブラ
ンドの企画者たちへ拘りと差異感を与えるのだろう。
彼ら世界のナショナル・ブランドは自分たちの生産システムとその規模と構造を利用し、未来へ
の「モノの進化」を必然に考えなければならないビジネスの根幹があるからだ。彼らがコラボ・
デザイナーに託していることとは、自分たちが考えられないデザインの世界においての可能なる
「進化」とその「アイディア」を託しているに過ぎないのだ。
この規模のワールドワイドなビジネスにおいてのトップを走る企業は「時代に常に新しいモノ」
或いは、「時代と共にモノも進化する。」というコンセプト&コンテンツの元に彼らたちのビジ
ネス・スキル、「新しさ感」がモノのヒットを生み出すことを熟知しているからだろう。

◯今シーズンの若手デザイナーで「進化」を感じさせてくれたのは?;
20世紀のモードにおける根幹コンセプトとは着る人間の身体を”Wrap/Wrapping”する事であり
21世紀には新たなコンセプト、“Protect/Protection”へ進展し、身体だけではなく心の有り様ま
でも“Protect/Protection”する事がストリートから生まれた現代ファッション観となっている
では、今シーズンのパリの若手デザイナーでは、「GmbH」を 僕は挙げる。このフランスの
ユニットチームの時代観と新しさを感じる彼ら達の感受性の繊細さと、それを「モノ」としての
「服」に落とし込むまでの知的プロセスとシステム発想が全く新しさを生み出したコレクション
を行なった。何故ならば、彼ら達の進化のアイテムの一つに“補正/補整下着”からのデザインソー
スを読み取ることが出来るからだ。ここでは“Protect/Protection”というボキャヴラリィーが
新たな領域、「補整/補正」へ進化しデザインがなされ始めたと読めるコレクションだったからだ
着る人間の身体や心を“守る”事から”正す“或いは“補う”までのニュアンスが新らたなコンセプト
“Protect/Protection”というファッション・ボキャブラリィーに加わり、モードの世界の最新の
シーンを語り始め、これも新たな時代観と読める。
生活者個人が持ち得なければならない「セルフ・バランサー」が今という時代においては、
新たな消費のモチベーションであるヨガ等も自身の心を“補正/補整”する為の「セルフ・バランサ
ー」と読めばこの流れも理解できるであろう。

◯日本の若手デザイナーたちが考えている「ファッションをデザインするとは?」;
これを語るには僕が今、疑問視している例えば、今の時代における「ファッションアワード」と
は、その正体とはなんであろうか?この「ファッションアワード」の舞台裏を知ったならば、
これらは全て、『「客寄せパンダ」を探そう。』のカテゴリィーに収まる。
‘97年以降10年間ほど、各々のインターナショナルジュリィを数多くさせていただいて来た過去
の経験から言わせて貰えば、今現在、色々行われているファッションアワードとはその90%は
開催企業の“広告宣伝”の話題作りと客寄せパンダ発掘そして、若手のデザイナーからのアイディ
アお頂戴と“青田狩り“でしか無い。あのLVMHアワードなどはこの最たるもので日本の審査には
元バイヤーと元サッカー選手が選んでいるというお粗末な茶番劇でしかない。
しかし、「豚もおだてりゃ木に登る」で、選ばれた当事者たちはそんな内情は知らず、LVに選ば
れたという田舎者はいきなり世界のデザイナーになった気で振る舞いが始まる。ここには既に、
彼らたちの大いなる勘違いが始まり、その後の人生を傲慢にしかしない。しかし、最近ではN.Y.
で選ばれてメンズのアワードを取った“KOUZABURO”の世界は魅了させられる。彼の服の世界
観には深いプロ意識を持っている。

他方、残念ながら日本から行政絡みの”ご褒美パリ“でうつつをぬかして、パリ上陸を勘違いして
いる若手ブランドやコレクションブランドの殆どはパリのファッション広告塔のこれ見よがしの
「壁紙」を上書きする事がデザインだと勘違いしたレベルのセンスと教養と世界観が殆どだ。
或いは“パッケージ”に気を使い、これ見よがしのパッケージング・アイデァがデザインだと
糠喜びする輩たち。
この現実は仕方なであろう、今だに日本のファッション教育やその行政関係者たちは、
「デザイン」=「装飾する事」=「模倣」或いは「驚かし」(これをアートと称して、)が根底
の教育や指導が未だに風靡された世界の住民でしかないからであろう。ここには”リアリティの
欠如“の結果がもたらした、大いなる自己満でしかない田舎者たちの世界が読めるだけだ。
しかし、国家の税金を使って、これ見よがしのデザイナーを選び、パリへ送り込むその根拠は?
そして、その目標とは?結果、誰をどれだけの人たちを“幸せ”にするための国税使いなのだろう
か?
国内のアワードを取って選ばれた彼らたちに共通することとは、「ブランドに世界観や文化度が
低く、デザインする事とはにあるべき教養が低い、世界マーケットの実情を学んで来ない、売り
たいバイヤー情報を勉強していないそして、その多くは英語が不十分」という共通点が読める。
従って、この税金の使い方は官僚行政関係者が仲介役として商社(I.C系、)へ丸投げし、商社は
パリのセールスエージェントを使って彼らへ丸投げし、彼らが都合できるサロンへご膳立てをし
数日間からそれぞれがそれなりの旨みを味わう構造でしか無い。
実ビジネスを目的としたこの ”ご褒美パリ“体験ツアーとは、ここから何が生まれているのだろ
うか?

◯エピローグ;
一方、米国によって世界に蔓延してしまった21世紀社会のリアリティとしての「真実っぽさ
/truthiness」とはファッションの世界では元々からの根幹,FAKE=イメージング= TRUTHINESS
であるなら誰が「真実を仕立て上げるか」も新たな時代性の「クリエーション」になると言うま
でのパラドックスも現代である。
例えば、「真実っぽさ/truthiness」しか知らない人間が生み出せる世界は所詮、「真実っぽさ
/truthiness」の「上書き/更新」が根幹の世界観でしかないであろう。

さて、冒頭の僕が感じた明日への新たなボキャブラリィー、「革命/レボリューション」とは、
敢えて言うなれば、この「真実っぽさ/truthiness」という社会や生活環境でどっぷりと浸かり
切って生まれ育った世代が新たな世界を知ろうとする時、これらの環境や状況へ彼らたちの眼差
しでカウンターを抱く。ここから生まれる不安や不満や不平等それに、寂しさや儚さに対しての
“レヴォリューション”が生まれる可能性を思う。
それは、「真実っぽさ」のみが蔓延する世界から「真実」を守るための「革命/レボリューショ
ン」であろう。 宇宙を、地球を、自然を、人間を、身体を、性差を、個人をそして、新たな価値
観としての差異を「守る」ための 「革命/レボリューション」。
その根幹はやはり、「新たな自由による進化」が読めます。
決して、「安心のファッシズム」の中で飼い慣らされてしまった拝金主義者のための都合の良い
“自由“ではないでしょう。

このままでは、ファッション・デザインの世界はより、“キッチュ”な世界へ押し流されて
行くでしょう。
もう一度、「モノをデザインすることとは時代性と対峙した“進化”を考える事」と言う視点と
コンテンツによって為されるのもであることを再考して見る時期でもあろう。
ここに、新しい「革命/レボリューション」が共振する。
合掌。
文責/平川武治:平成6月23日:追稿7月23日+8月5日、10日:

投稿者 : editor | 2018年08月11日 21:38 | comment and transrate this entry (0)

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桑沢デザイン研究所講演デジュメ/「時代とデザインすること」とは? 『IKEA』を読み込むと。

「”時代が変わる“と“デザインする“ことのコンテンツも変革するはずなのに今だに、
“感性”という単語でフェイクするトレンド手法が変わらぬファッション・ビジネスの根幹?」
文責;平川武治/初稿:平成30年5月22日:

◎エピソード;
昨秋、面白い映画を見ました。
タイトルは「ハロルドが笑うその日まで」というスウーデン映画です。
新旧家具屋のオヤジさん二人の物語なのですが、旧くから営んでいた家具屋とその一方が
あの「IKEA」家具。ここで表現されている家具に対しての価値観と想いと時代感が興味と
知的好奇心が喚起されました。
この映画のシナリオの巧さに乗せられて、映画を観た後、しばらく登場する2タイプの家具屋の
関係性を考えていたら改めて、「”時代が変わる“という事とは?」そして、それぞれの時代の
生活価値観を拠り所として、「デザインすることとは?」という命題に嵌ってしまったのです。
そうしたら、今年1月終わりにこのIKEAの創業者が亡くなりましたね。
これも一つの“気”の巡り合わせあるいは、一つの時代性だと感じ、「時代とデザインすること」
というテーマを想い巡らせたのですお話しします。
(参照;NETFLIX/映画「ハロルドが笑うその日まで」)

「IKEA」はもう既に、日本でも皆さん世代にとっては一つの「カッコいい」を象徴する
“ブランド”家具チェーン店ですね。その「IKEA」の創始者、イングルバグ カンプラー氏が
この1月に91歳で亡くなった。彼は‘47年、17歳でイケア事業を起こし、一世代で、幾度かの
失敗を重ねて現在のような世界を制覇した“グローヴァル企業”であり、
僕的な視点ではこの「IKEA」は「ファスト・ファニチャー」企業です。

『「IKEA」の家具はすぐ潰れてしまう家具である。』
これが僕が引っ掛かったこの映画のコンテキストです。
主人公“ハロルド”が営んでいた古い家具店が隣に新しく出来た「IKEA」によって、彼の会社が
倒産の憂き目にあってしまうのです。そこで、この旧態然の家具屋の社長ハロルドは「IKEA」の
家具は自分たちが売っていた”家具“に比べると「すぐ壊れてしまう家具」でしかない。
と言う“視点と念い”を持ってしまうのです。
これはある種の被害者意識からの発想かもしれませんが、この主人公がそれまで商っていた
“家具”というモノが持っていた「価値観」の変革と相違がこの映画のストーリーのコンテンツに
なっています。
映画は、この念いが総じて「IKEA」の創業者を殺したいと言う発端から始まり、彼の念いが
その後の行為へとストーリー化されて行くある種、涙そそるコメディー映画です。

「新たな時代が生み出す価値観」
ここで、僕が思いついた眼差しは、時代が持ち得た”価値観”の差異としての「家具とは?」が
あります。この視点は今のファッションの世界でもある意味で同レベル、同シーンでしょう。
だから僕はこの「IKEA」を『ファースト・ファニチェー』と名つけたのです。

 まず、従来型。今でもこの価値観は世代に関係なく「モノ」に対しての重要な考え方として
継続された日本的だった価値観で、「家具は一生モノ」と言う考え方ですね。
特に、戦前の日本の中産階級以上の社会にはこの価値観が強く国民的に存在していました。
そこで「モノは大切に使う事。」と言う躾があったのです。「一生モノ」だから良いものを作る
或いは「一生モノ」だから選ばれた良い”素材“と磨き抜かれた“技術”を持って、高くて当たり前
で、良いものを作れば、売れる。従って、家具とは「大切に手入れをして使う」”モノ“とだ言う
この価値観の元での「作り手」が担わなければならない“スキルと技術と経験そして、創造性”を
必然とした世界があります。

もう一つは、「モノは消耗品」でしかない。「家具」もその一品だと言う価値観です。
第2次大戦の敗戦後、国土が”焼け野原“状態で迎えた戦後社会に生まれた価値観の新しさに、
「いくらいいモノを大切に使っていても、燃えて仕舞えば同じである。」と言う経験値からの
価値観とアメリカの戦後の消費文化に汚染され、産み落とした新たな価値観があります。
みなさんの世代は殆どこの価値観が当たり前で、持ち得た時代と環境から刷り込まれた
「モノ」への価値観になり、「消費文化」なる文化が創生され、自身の生活環境を消費で
愉しんでいる世代でしょう。

「新たな差異」という価値
このような新たな時代が産み落とした「価値観」の元での「家具」は「作り手」が必要とする
“スキルと技術と経験そして、創造性”も自ずから「新たな差異」が必然となって来ます。
多分、この「差異」がなければ、「古いモノ」あるいは、「時代遅れ」になってしまいますね。
ここでの「新たな差異」とは古い価値観のために「家具」を作ることから、新しい時代性に
よって生まれた価値観の元で「家具」を作る事であり、そこには新たな目線が必要です。
今までに無かったその価値の為の新たな「差異」を考える必要が生まれます。
これが「時代のニーズに合ったもの」を作るということの一つでしょう。
 これは時代が持ち得た「眼差しの変化」に気が付くことであり、これをケアフルに感度良く
「モノ」に新たな違いあるいは、新しさとして「差異」を付加することが「デザイン」の役割
であり結果、自由な楽しみや面白さやカッコよさや快適さなどをも生みだす世界が
「デザインする事」で有り、このデザインすることで可能なそれぞれの時代による「新たな
差異」を創造することが「近代デザインの世界」の根幹でしょう。

 時代が生み落す「眼差しの変化」という“リアリティ”は「時代が変わって行く」と表現され、
「時代が変わる」とは日常生活において”豊かさに差異が生まれる事“であり、「眼差しの変化」
に気付くことそれそのものが、「創造のための発想」の自由な契機の一つです。
これはモノを創る人や売る人たちの見落としてはならない”発想のための根幹“ですね。

「組み替えられたコンテキスト」
僕はこの映画から「IKEA」はこの様な二つの根幹的なブランド・コンセプトを見い出したと
読みました。
その一つが、この「IKEA」の家具は”すぐ潰れてしまう家具“を”誰でもが組み立てられる家具“
と言うコンテンツによってシナリオを“発想の転換”で書き換えた事です。
そして、「その結果“フラット・パック”が発想され、組み立て工程が省略されコストが下がり
低価格で売れそして、耐久性も3~5年程度で十分。」と言う家具業界での新たな価値観により
“システムとビジネス構造”を構築した事が現在の「IKEA」の成功をもたらした根幹の一つ。
ネガティフな側面をこのようなポジティフに「すぐ、誰にでも組み立てられる」という
コンテンツを発想し、シナリオに変換させた頭の良さとセンスの良さとそれに時代の読み方に
驚きます。そして、それを根幹に自分たちが儲けられるそれなりの”適正価格構造“即ち、
「自分達のビジネスは自分達でそのルールをも構築する。」と言う”システム“までが考えられた
ビジネス・スキルを築きあげたビジネスのセンスも新しく、この生み出された”システム“その
ものが「差異」だったのです。
もう一つは、この”「IKEA」の家具、”すぐ潰れてしまう家具”をでは、潰れるまでの時間を
購入した人たちをどれだけ”ハッピー”な気分にさせる事が可能か?そのためにはどのようなこと
を考え役割として施せばいいのか?その為に「デザインする事」という真逆な領域が考えられた
のです。

「IKEA」の家具を買って、自分たちで組み立てて自分の部屋でハッピーにカッコ良く共有する
為にはどの様な”サーヴィス&ホスピタリティ”を「デザイン」という“コミュニュケーション・
ツール”が可能性を持って為せらるか?より、可能性を生み出せるか? ここに、現在の様な
「デザイン優先」ブランドの「IKEA」が登場した。
「デザインする事」にその立ち居場所が与えられ、役割が与えられ“センスとスキルと技術”に
よって、ここでもどれだけポジティフ・デザインが為され、そこで生まれた「共有感覚」を
“ウリの構造”にシステム化できるか?家具そのものとそれらの形態から、それらの色彩やサイズ
感と機能性そして、それらを取りまくあらゆる”グラフィックデザイン”と”パッケージデザイン”
を新たなセンスによってポジティフな「差異」が加えられ、新たな「力」を産むまでのシステム
を構造化したのがこの企業に秘められた成功のための”㊙︎コード”だったのでしょう。

時代にはいつも“追い風”が吹くときがある。
ここで、忘れてならないことのもう一つは時代がもたらした新たな大きなうねり即ち、「時代
の追い風」です。それが、先述した“戦後という時代”が新しい時代へと「時代が変わってゆく」
事でした。 “核家族”が生まれ、“消費社会”が始まり、“家具”に対しての価値観も変わり始めた
社会と時代がもたらしたもう一つの新しさ、それは科学と工業技術の進歩がもたらした「素材」
と「生産工程」でした。 木以外の“合成樹脂”と“パーティクルボード”いう新しい技術が生んだ
「素材」が加わり、デザインそのものに新たらしい可能性を生み出す“時代の追い風”が吹き始め
たのです。
勿論、その風を「IKEA」は“デザイン”の全てに取り入れた事です。そして結果、時代は
「大衆消費社会」へと向かい始める時とこの「IKEA」の‘60年代以降の事業拡大とが
チューニングされ、重なり合っています。
現代では、PCと言う新たなメディアにおいてもこの「IKEA」は“e-コマース”と”e-メディア“と
言う新しい時代環境へ彼らたちは「デザイン力」を変わらず、十分に注入しています。

「IKEA」は一つのコンセプト、『「IKEA」の家具はすぐ潰れてしまう家具である。』を
見事なコンテンツでシナリオ化し、真逆な「発想の転換」により、ポジティフな差異を作り、
それを力にしてより、力を生み出す構造を構築した。そして、「デザインする事」に委ねた
これらのトータルな”センス オブ バランス”な感覚と「新しさ」を商品群は無論のこと、空間と
そのディスプレー&コーディネートそして、カタログをはじめ、あらゆる印刷媒体と広告媒体へ
ヴィジュアル・プレゼンテーション&パフォーマンスし、企業と従業員そして顧客たちとの
ハッピーな共有感覚を「ポジティフな3方良し」とした企業理念がこの企業の素晴らしさと偉大
さなのでしょう。(3方良しとは、作り手と売り手である「IKEA」と利用者たち顧客とそして、
作られた“モノ”の3方良しである。)これを企業理念としたことによって、「IKEAはデザインを
売る企業」と成り、現在の成長が生まれたのでしょう。

繰り返しますが、この映画を見たことによって、僕は”「IKEA」の家具はすぐ潰れてしまう
家具である。”というコンテンツをもって新たな”家具のデザインとビジネス”に挑戦したこと
そのものが凄くカッコ良くて「新しく高度なるスキル」と感じ学んだのです。

ファッションの世界では、
多分、この家具の世界の「IKEA」とはモードで言えば、「フアスト・ファッション」と
言われるカテゴリィーが対峙し、ここではやはり、あのブランド「H&M」でしょう。
この2社は同じ’47年、スウエーデン発でお互いに大いに影響を受け成長と発展を成した様です。
従って、“すぐに、ダメになってしまう服”がこの「フアスト・ファッション」の根幹です。

ファッションの世界は既に、20世紀初頭に巴里の“オート・クチュール組合”という当時未だ、
残っていた“階級社会”を根幹にした「差異化機能」が現在のファッションビジネスの世界に先駆
けて誕生し、システム化されていました。
ここには当時の階級社会がその特権とした階級を既に、”階級“そのものが「奢侈」であり、
「差異」である事を表層化する即ち、彼らを「衣服」にするというコンテキストによって200年
以上継続している世界が現存し、現在の「フアスト・ファッション」に至ったのです。
 ファッションの世界が「IKEA」で代表される『ファースト・ファニチェー』の世界との大いな
る相違は「差異化」を図りながら尚も、「継続」して行くために彼らたちは「トレンド=潮流」
というシステムを構築してきたことそして、ファッションにおける「差異化」の根幹システムに
”質”だけではなく新たに「速度」と「サイクル」を加え、「トレンド=潮流」がこの世界での
「差異化機能」となり、このコンテキストを生み出しそれをシステム化した事が『ファースト・
ファニチェー』との大いなる相違点でしょう。しかし、確実にこのファッションにおける
「差異化」機能が21世紀に入って、減速してしまったことはファッションの世界にもファスト・
ファッションが登場できた、新たな時代の「隙間」が生まれた為でしょう。

「売りづらくなり始めたあるいは、売れなくなり始めた「フアスト・ファッション」
 ファッションの世界での”すぐ潰れてしまう家具“とは、「すぐに着れなくなる服」あるいは、
「すぐに嫌になってしまう服」もしくは、「すぐに飽きてしまう服」又は、「すぐに魅力がなく
なってしまう服」だと先ず、認める事から「デザイン」活動に入るべきが王道でしょう。

 これらの”ネガティフなコンテンツを「フアスト・ファッション」は「誰でもが、安心して、
安価で自分たち地元ですぐにかっこ良く買える服そして、みんなと同じワールドワイドにお洒落
が出来る。」というコンテンツとどれだけ”ポジティフなVMD“に変換したシナリオでここ20年
間ほどで世界を風靡して来ました。
 しかし、このシナリオ自体がそろそろ古くなり、マンネリ化してきたこと自体が“次なる“を
意識し始めて来た時代性でもあるでしょう。新たな豊かさの元で生まれ育った若者たちは彼らた
ちのリアリティの中から、「トレンド=潮流」という時代の風が「倫理観」という人間の営みの
根幹が大切であることに気が付き始めた世代たちによって吹き始めてきたようですね。
 このプロローグとして、「H&M」の現在はもう既に、『4200億円相当が売れ残り? H&Mが
「セールの悪循環」に陥っている』という情報が流れています。その要因は「ファッション性と
価格関係が間違っていた。」「ファッション性とトレンドそして、価格帯と流通に歪みが出来始
めた。」と言うものらしいです。ここでのキーワードは「ファッション性」「トレンド」そして
「価格帯」「流通」ですね。当然ですが、現在の多くの「ファスト・ファッション」企業の
ブランドにおいても、これらの「キーワード」を今の時代感とそのリアリティに照らし合わせて
再考或いは、再検討すべき時期という時代性が来たのかも知れませんね。
参照/http://www.businessinsider.com/why-hm-business-is-struggling-201804
(日本語)https://www.businessinsider.jp/post-165036

この現実はもうファッションという言葉が持ち得てしまった「意味性」が新たなシーンを語る
ボキャブラリィーに変換され始めているからです。
ファッションとは既に、“装い”を表すものだけではなく今の時代では「生活環境」そのものを
指すまでの意味性と、「セルフ・プロテクト」としての新たな“ギィアー感覚”へと拡大革新して
来たのが現実ですね。
今後はここに「A.I.」感覚とその機能が新しさをも生み出すまでに。

「感動のプライオリティ」を求め始めたニュー・ジェネたち; 
 では、『フアスト・ファッション』はどうして「すぐに着れなくなる服」あるいは、
「すぐに嫌になってしまう服」もしくは、「すぐに飽きてしまう服」又は、
「すぐに魅力がなくなってしまう服」なのだろうか?

 ここには当然ですが、今の時代の価値観である「安心・安全・快適」もしくは、
「家で・みんなで・安心」の元では、「新しさやときめきそれに、自由さや驚き」などの
「感動のプライオリティ」が喪失或いは激少して行くことでしかないのです。
しかし、現実はここ20年間ほど、この「保守の進展」という時代観そのものを大衆に押し付け
求めさせ、それが自体が明日へ生きる為のシナリオと化してしまったからでしょう。
 この”楽だから、面白いから、安心だからカワイイから”に飼いならされてしまった”矛盾”を
感じ始め出した世代がいる。彼らたちは決して、”ヴァーチュアル”を美術館に未だ、入れない。
「ヴァーチュアルミュージアム」なるものを作り”ヴァーチュアル”そのものを「差異化」して、
商売を、金儲けを企んでいる輩たちではない。きっと、そんな”大人”たちを横目でみながら
彼ら世代が感じ持ち始めた「共通感覚」と「感動のプライオリティ」のための”ジグソウ・
パズル”に参加し、挑戦出来なくては彼らたちとの「共有感覚」が持てないであろう。
 何故ならば、今日のファッションの世界の人たちが変わらず、大好きな「感性」という
ボキャブラリィで「壁紙」だけを上塗りしながらここまで来てしまった今日は未だ,”明日”へ
続くのだろうか?
 
これも一つの“リアリティ”です。
 時代の変化をいち早く感じる産業はやはり、ファッションの世界です。
これはなぜかと言えば、先述した「差異化装置」としての”トレンド=潮流”という仕組みが
ファッションの世界では「速度」と「サイクル」を構造化して、いつもプライオリティを保ち持
って来たからでしょう。従って、時代の変化をいち早くコード化するのがファッションの役割の
一つでもあり、この価値をお金に変えてきたのがファッション産業だったのです。
ここから発せられる、「新しさやときめきそれに、自由さや驚き」そのものが”生活者ち”へ
”生きて行く実質な喜びと興奮と好奇心と愛”を与えてくれるまでのものなのでしたし、
これそのものが「ファッションの世界」だったのです。
 
このようなファッションの世界の今後は「コスチューム化」と「ユニフォーム化」の2極化へ
ますます進化して行くだけでしょう。
「コスチューム化」とは、繋がるために”パーソナル・コスチューム”を愉しみたい、というまで
の自己表現あるいは、自己肯定のためのコスチューム化。ここではヴィンテージやそのリメイク
などが王道となってきていますね。
 そして、「ユニフォーム化」とは、”繋がるための”「行為」のユニフォーム。
「家で・みんなで・安心」のために為さねばならない「行為」のための服としての制服化。
ヨガ・ファッションなどもそうであろうし、ファースト・ファッションそのものの”トレンドも
の”がユニフォームとなってしまっている”一家に1枚のヒートテック“現状の日常化である。
 
 なぜならば、時代が保守化しそのスピードがゆるくなってくると「新しさ」もスローになって
鈍化する。ここで起こり来るものは「創造性のパラドックス」が見られ始める。
 人々は自分と似た人を探す為の同化作用としてファッションを機能させるからだ。
そして、代りに登場するのは、”質”と”見映え”の世界です。
昨今の”4K”や”インスタ映え”ブームはこの現れでしょう。そして、ここでの最終目的は
”繋がる””繋がりたい”なのです。
 しかしこの根幹は、「みんなと一緒」に変わりはなく、人間は結局、「誰かと関係性を繋げて
いたい。」に帰するからでしょう。特に現代の日本人は孤独や寂しさを嫌う国民になってしまっ
たから余計でしょう。

では、新たなボキャブラリィ、「NEW NORMAL」とは、
 このような時代においては最近のTVコマーシャルで聞く「NEW NORMAL」という
ボキャブラリィーがその響きとともに、新鮮さを与えてくれます。
 結果、「モノ」への想いと価値が薄らぎ始め、代わって「ヒト・コト・行為=関係性」という
新たな時代の価値観が少しづつ芽生え始めて来たと感じられる時代の”新しさ”をこの言葉から
感じます。
 ならば、『「NEW NORMAL」という時代性とは?』をファイリング&ディクションすること
自体が次なる世代たちと繋がる為への”情景”でしょう。
 この関係性を構築するための「行為」が今後はより「モノ」の消費よりも増して消費する
時代性がこの「NEW NORMAL」の情景と考えられますね。
 
 閉塞感は個人の寂しさを増長させるだけである。これを背追い込んでしまった、「豊かなる
難民たち」は与えられた「安心・安全・快適」環境に委ねてしまって、自らの「自由や愛」は
”ゲーム”内でそれらを探し求める旅の面白さを知ってしまったからであろうか。
だから、行為としての「関係性」を生む筈の自らの「自由や愛」をリアルな世界では不安である
から探し求めない。彼らたちにとっては「ある場所」があれば良い。
あるいは、それが「ゴッコは嫌だけれど、ゲームであればいい、真実でなくても、
真実っぽければいい。」これが、「NEW NORMAL」の情景であろうか?

 例えば、「フジロック」や「YOGA」それに「ダンス」があり又は、「追っ掛け」がある。
これらのそれぞれは「行為」そのもので出会える関係性を音楽や癒しを共有し、“行為”としての
楽しみにする、費やすそして繋がる。また、インスタで繋がりたいための「行為」が消費そのも
のを生むまでのリアリティでもある。ここには前述の「感動のプライオリティ」がコンテンツの
シナリオがある。そして、今後の先端ファッションも「LIFEHACK」へとより向かう。

「気の利いた手段で、もっと快適に、もっと楽しみ、もっと効率良く」とい「LIFEHACKER」
たちの選択した「行為」としての生活手法はファッションの世界へもアプリと3DとA.I.を携えて
”リアリティ+ヴァーチャル”の方法や手段をみんなと一緒に共有し“ヴァーチャル・リアリティ”
を美術館へ行かなくとも日常で愉しもうというまでの「行為のマーチャンダイジング」が
”現在から明日”を指さす時代性の一端でしょう。

◎まとめ;
「 時代が変わるー豊かさが変わるーリアリティが変わるーモノの価値観が変わる
ーモノへのニーズが変わるー”モノ”の進化を考えるーデザインのコンテンツが変わる。」

◎参考/ウキペディアで”「IKEA」を調べると;
「1947年に17歳だった、Ingvar Kamprad、(1926年 - 2018年)が設立した“雑貨屋“が
初まり。当時は需要があれば何でも取り扱う店であったが、1947年に地元の家具店と契約して
格安販売を開始するとこれが大当たりし、1951年以降は完全に家具販売に集中する。
1953年に最初のショールームをオープン以後は、順調に売り上げを伸ばしていたが、
同業他社との深刻な価格競争に巻き込まれることになり、ライバルの圧力によって、家具メーカ
ーからの商品供給停止という深刻な状態となる。
しかし、こうした事態をバネに、自社で独自のデザイナーを抱え、企画・製造・販売まで全て
まかなう、現在の「IKEA」のスタイルを誕生させた。また、この際にイケアの特徴の一つである
「フラットパック(分解された商品は、できるかぎり薄く小さい梱包をされており、車の
トランクに積んで簡単に持ち帰ることができる)」も誕生している。
2015年に店舗のあるすべての国でインターネット通販を展開すると発表。アメリカ、ドイツ、
イギリスなど欧米でオンラインサイトを展開し、日本では遅れて2017年4月に開始した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/イケア

 日本では2001年に再展開を始め現在に至っている。
 また、新しいところでは今年1月に発表したT-シャツキャンペーンで黒人少年を使ったコピー
が人種差別そのものであるというSNS炎上から一気にブランドイメージが低下した。
これも現在の「IKEA」のリアリティであり、売り上げを落としている原因でもある。
*「IKEA」の企業実態は下記のサイトが参考になる。
「IKEA Group(イケアグループ)の2016年8月期(2016年度)の売上高は351億ユーロ
(1ユーロ=130円換算で4兆5,596億円)。
また、売上総利益は161.6億ユーロ(同2兆1,003億円)となり、粗利益率は46%。営業利益
(ここではオペレーティング・インカム)は45億ユーロ(同5,849億円)で、営業利率12.8%。
また、当期純利益は42億ユーロ(同5,460億円)となっています。
http://www.toushin-1.jp/articles/-/3930
*「IKEA」の「職場が楽しい」日本版は下記のサイトを参照。
https://toyokeizai.net/articles/-/63220
文責/平川武治:再校/6月10日:再々稿/7月1日:
合掌:

投稿者 : editor | 2018年07月05日 00:03 | comment and transrate this entry (0)

article(98)

18AW-PARIS・Fashion Weekからモード環境を考察する。/『 ”象徴の貧困”としてのモードの世界とは?』

「モードの環境」と、「ファッション・ビジネスの現場」の新たな時代の関係性を
理解するために。

”象徴の貧困”としてのモード化社会。/18AW-PARIS・Fashion Weekから
「モードのパリ」と言う現場の変革を深読みし、一つの考察をしてみよう。

 僕の流儀である、まず結論を先に言ってしまえば、
 この様な時代性になってしまった”モードの世界における創造”とは着る人間の身体構造と
生活環境が変革しない限り、「服」における全く新たな造形の創造は”枯渇”してしまった。
 この現実をまず、認めるべきである時代性。
次は、このような時代では”創造性”とはどの様なことであるかを認識すべきであること。
では、この様な時代性になった現代の、ファッションにおける「創造」とは過去の創造の
ストック、「FASHION ARCHIVES」を利用する”バリエーション化”あるいは”ブリコラージュ”
と言う手法に取って代わられてしまった「創造的あるいは、装飾的」が現代のモードの
「創造の世界」である。
 他方、新たな現実に対応し始めた「ファッショ・ビジネス」の世界は、その”象徴の豊かさ”に
委ねられたモードの世界が”象徴の貧困”化し始める。ここでは「工業製品」である”ファスト・
ファッション”を生み出し、従来のアパレル産業に取って代わり、「SPA型」ファッション・
ビジネスの世界を発展させ、時代の”IT”を味方に付け、”e-コマース”と言う新たな”ヴァーチャル
売り場”を戦力にした世界と生産プロセスにおける多種多様な情報力とその量と速度の高度な進化
によって、”e-プロダクト”と”e-メディア”と言う新たな可能性をも味方にした”象徴の貧困”が
ファッション化されている。
 この様な時代性になった時、”作り手否、送り手”であるデザイナーたちはどの様な「価値観」
を携えてこのファッションの世界へ「夢と憧れ」を抱いて来ているのであろうか? 
 或いは、この”象徴の貧困”のファッションの世界に、どの様な「創造の価値」を心して
デザイナーに成りたいのか?或いは、成っているのか?
ーーー名声、富、ヴァニティーな世界への憧れ、自己満足、自己顕示欲、自己肯定等など???
??? 有名になりたい、金持ちになりたい、デザイナーと呼ばれたい云々、、、、、、、、、
 
 『既に、”新たなる創造なき世界”に何を価値として関わって行きたいのか?』
僕はこの”象徴の貧困”の根幹こそが、そのデザイナーの人間性を問うまでの時代性になったと
感じ始めてしまっています。

時代を象徴する一つのプロローグを、
モードを語る前に、既に、”象徴の貧困”としてのモード化社会を認識しよう。
『我々の今日的社会はコントロール社会(管理される社会)と言う調整社会であり、
この様な社会に於いてはバランサーとしての感覚的な武器が必要不可欠である。』
Jeremy Rifkinはこれを『文化資本主義』と論じた。
/参照;「アクセスの時代―Age of Access」/渡辺康雄訳;集英社刊/01年:
 例えば、以前読んだもう1冊には、このような一文もあった。
『ハイパーインダストリアル時代には、感受性は執拗なマーケティング戦略攻撃に
晒されているが、その感受性こそが今、紛れもなく起っているあらゆる種類の戦いの争点と
なっていると言う事。その戦いの武器はテクノロジーであり、被害を受けるのは個々のそして、
それぞれの集団つまり、異文化/異民族の特異性であり、今や文化資本主義の下、我々の
消費社会は”象徴の貧困”が果てしなく広がるに至っていると言うことを認識してください。
例えば、武器としてのオーディオヴィジュアルやデジタルと言ったバーチャルな感覚に関わる
技術をコントロールする事が問題なのでありそして、その技術のコントーロールを通じて、
魂とそれが住む身体の意識と無意識の時間までをもコントロールしようとの企てが始っています
ね。それは”フロー”をコントロールする事で”意識と生”の時間を調整する事なのです。』
/参照;“DELA MISERE SYMBOLIQUE 1. L'epoque hyperindustrielle"
By Bernard STIEGLER EDITIONS GALIEE,04/Paris.
 
 そして、世界は確実にある一つの流れの方向へ導かれている。
世界規模での地デジ変換の目的の一つもこの範疇であった、インターネットを介したTVとPCの
統合により、明日の『テレヴィジョン』端末は『テレアクション』端末へと、モバイルになり
小型化、大量情報そして、速度というファクターによって変革してしまった。
この現実とは、文化資本主義の下に文化産業が産業全般そして、今後の情報社会の基幹産業と
なりつつある事だ。現代日本の「安心のファッシズム」に漂っている多くの消費社会の国民は
この「テレアクション」=映画+TV+ゲーム+音楽+フットボール+ショッピング+金融+保険
に現実時間の多くを委ね切った安心という願望の日常リアリティでしかない。

世界は21世紀以来、文化資本主義の下、文化産業をビジネス構造化するための”文化価値”と
感覚的武器の一つである芸術の価値即ち、”美-美意識”の“価値判断”の唯一統合化に依って、
”特異なモノが特殊なモノに”変えられてしまう。そして、彼らたちにとって変わらぬ世界とは、
コントロール社会(管理される社会)が”金融―価値観―武器”の新たな調整戦略によって
より高度な技術による、「コントロール社会(管理される社会)」へと進化,革新している。
これが今と今後の、世界の”グローバリゼーション”の本意本質である。
嘗ての20世紀初頭、政治の根幹は自分たちの国家が富める国家であろうとするために、
「植民地政策主義」によって利権化構造とともに白人資本主義社会が帝国主義化を競い合い、
黄色人種としての日本も加わって、結果、2つの世界大戦をもたらしてしまった近い20世紀の過去
を忘れないでおこう。そして、21世紀を迎えた我々は新たな技術を持って、新たな武器
とした「グローヴァリゼーション」の時代を手中にした。この新たな技術が「インターネット」
であり、この新たな技術を利用した「コントロール社会」の構築化と進化が現在の21世紀の
初頭であろう。ここには古いシステムに、新たな技術を加え、構造化された根幹が読める。
即ち、資本主義とは、『力と差異をどのようにシステム化』することで可能なシナリオであり
これは依然、変わらない白人社会が生み出した根幹である。ここに、新たな進歩としての技術
革新が加わっただけが「文明の進歩」と読むことが現代をシンプルで理解しやすいであろう。

**
さて、こうして”未来”を読んだ場合、
ファッションの世界にも“象徴の貧困”が染み込み始め、表層化されるだけであろう。
そこに“表層のボキャブラリィー”がより、フォーカスされ”特異な文化が特殊な世界に”消費社会
のために変えられてしまう。ここに僕が発言している「壁紙デザイナー」や「庭先デザイナー」
の登場とその立ち居場所が可能になったファッションの世界が現代である。
 ある時期まではこのモードの世界も、”象徴の豊かさ”故に存在価値があった時代があった。
メゾン、M.M.がこのモードの世界へ彼らたちの「創造の発想」によって一つの時代性を創造した
根幹は、それまで存在していた”象徴の豊かさ”を解体し、“象徴の貧困”と言うリアリティを
”落ち穂拾い”即ち、再構築したことであろう。
 そして、現代のファッションに於ける“象徴の貧困”とは、ヌーボー・リッシュ(新興成金)に
よるラグジュアリィ・ファッションの金メッキ化されたヴァニティな世界そのものの存在で
あり、他方、“流行/トレンド”とはグローヴァリゼーションを背景に新たなパワーとして
の大量生産可能な「工業化製品」としてのフアスト-ファッションの登場とその差異化のための
コードが“象徴の貧困”である。
 もうひとつ、それらのブリッジとしての役割を与えられていたプレタ・ポルテの現実とは
ファッシズムな調和のための創造的ゲームであり、“フェッチ&キッチュ”か或いは、
“ユニフォーム”へと流れ始めている。ここでは、 救われる唯一の身体の意識と無意識の時間の
ための”武器”は“過去”の使い方である。この過去とは集積された”アーカイブ”であり、
“共有したノスタルジア”の不連続な連続における集合体として甦る。
 ここでの価値は”未来のイメージ”ではなく過去へのイメージであり、それ以上に共有し得る
”エピソード”のヴィジュアル化と“コスチューム”化が“象徴の貧困”社会の新たな”武器”だ。
 象徴が貧困化すればするほど、嘗ての”カッコ良さ”がノスタルジー化され,美化され語り
続けられる”エピソード”になる。そして、これによってモードの世界も「美術館ビジネス」と
言う新たなビジネス構造が誕生し確立される。
この発端を直接的に構造化したのはCdG川久保玲の”作品展覧会”が動機である。
売れなくてもいい。それなりの場所に置いておくだけで価値が生まれると言うビジネスシステム
をランウェーで実行したのが川久保玲だ。ここにこれ以後の新たな彼女の新しい立ち居場所を
アヴァンギャルドに自らが創造したのであるからやはり彼女の気迫と根性はすごい。
 以後、世界のラグジュアリィー・ブランド企業はこぞって、「ファンデーション機能」を
設立し始めたのも現実になった。ここでは自分たちのアーカイヴを使っての未来への”創造性”と
それらのアーカイヴにより、文化資本主義の下、文化産業をビジネス構造化するための
企業自らがデレクションした”文化価値”を育成するためである。

もう一方の側の若手デザイナーたちの立ち居場所では、固定されない立ち居場所を見出し
始めている。考えようによると「自分のブランドとはインターネットのプラウザである。」
と言う視点だ。「いいね!」を押し合って彼ら世代のバーチャルな関係性を構築し、そこで
「コラボレーション」と言う手法を味方につける。この手法も見方を変えれば、
「アートビジネス」の構造に類似している。「コラボ」することによって自分たちのブランドの
「来歴」を造ると言うシナリオだ。この「来歴」即ち、「コラボ」の話題性が凄いほど
そのデザイナーの立ち居場所がメディアによってシナリオ化され拡散され、ブランドと
デザイナーの「知名度」へ繋がる構造がここには見られる現代である。
 ここではコラボの相手先がインターナショナル・ブランドであればあるほどに、自分たちが
求めている”立ち居場所”を約束してくれると言うシステムになりつつある。これは彼らたちの
関係性の拡散手法に『”成熟”を拒否し始めた世代』の表層が実は見える。
 この根幹は「競い合う」対象の変革化とでも言える新しいビジネス構造の一環になり始める。
”創造性”で競い合うことよりも”話題つくり”と”ヴァリエーション作りあるいは、
”ブリコラージュ”によって競い合う「選曲・編曲」と言う時代性であり、変わらぬ
”ファッションと音楽”の関係性が尚、ハネムーンであるし、そこに新たに”アートビジネス”の
システムが加わりファッションビジネスも本格的な「モノ資本主義」から「文化資本主義」の
元、文化産業としての新時代が到来したのが今である。
 
***
 このような時代観を自らの”形態言語”の日常環境とした時、モードを語る人たちは
何を語れば良いのか?
『誰が』『いつ』『誰に向けて』『何のため』それらを作ったのかという事をどのような
”立ち居場所”で、どのような”眼差し”で、どのような”ボケブラリィー”で、どのような”素材”と
“手法”によって、”未来の貧困”へ向けて語られているのだろか?
あるいは、”過去の豊かさ”へ向けて持ち得たそれぞれの「文化度」によって語りかけるだけの
ものなのであろうか?
 或いは、それ以上に「作り手」と言うよりも既に、唯の「送り手」になってしまった
ニュー・ジェネ・ファッションディレクターたちが認識し、持たなければならない根幹がある。
それはこの時代性だから持たなければならない「創造のための価値」観である。
 「創造のための価値」とは簡単に言ってしまえば、時代が進化することによって生まれる
「豊かさ」によって、「作り手=送り手」たちも、「なぜ好きな服を作るのか?」どうして、
「ブランド・デザイナー」になりたかったのか?と言うまでの自身の心の有様の根拠性と
自らが求めた”立ち居場所”のためのアイデンティティそのものでもある。そして、持ち得た
自らの「夢」の根幹でもある。
 この現代の作り手としての根幹である「創造のための価値」の発想の由来と根拠が本来は
そのデザイナーやブランドの「クオリティ」や「品格」となり、自らが求めた「立ち居場所」の
存在意義の確認に大切な根幹になる。
 なぜ、今この根幹が大切な時代であるかと言えば、ファッションの世界に「純創造」と言う
世界がいまだに存在するのであればその「創造」に挑戦することが自分が持ち得た自由の根幹
になりそれが創造へ賭ける心のエネルギィーになり得た時代があった。
 嘗て未だ、ファッションの世界に”新たな創造”と云う領域が芳醇に存在していた時代であれば
「作り手」は「創造のための発想」のみを深く考えて行為し、概念を発言すれば良かったのだが
今はこのシーンはすでに過去のものになってしまったからである。

 僕が最近のコレクションを見て評価する根拠は、このデザイナーはどのような
「創造のための価値」を持ってコレクションを作ったのか?と言う眼差しで見始めている。
誰のために、どのような人達のためのためのコレクションなのか?
或いは、コレクションを行なっているのか? を感じ、読むことがとっても大切な「共有感覚」
を創造する根幹であることだと信じて見ている。
 しかし、その多くは「自己中心」に始まり、「自己満足」「有名になりたい」「儲けたい」
それに、ラグジュアリィーブランドのデザイナーに登用されたいと言う“象徴の貧困”を
上塗りするだけの「壁紙デザイナー」や「庭先デザイナー」が賑わいを作っている世界でしか
無くなって来たと読めるまでの先月の『Paris・Fashion Week,18A/W』だった。
合掌:
文責/平川武治:  

<参考>
 *今回、パリで見た展覧会;
『M.M.M. 20周年回顧展』/於;モードガリエラ、
『Y.S.L.展』/於;ファデーションYSL,
『FUJITA展』/ 於;マイヨール美術館、
『RAOUL HAUSMANN写真展』他/於;JEU DE PAUME: 1918年のベルリン・ダダに関わり、
2つの大戦を経験したその作品群は眼差しの向こう側にあるものを捉えていたウイーン生まれ。
『IMAGES EN LUTTE展』/ 於;Palais des Beaux-Arts : 今年で50年を迎えた「’68MAY」の
オマージュ展。当時のグラフィック、フリーペーパーなどとその後、続出したキューバ、チェコ、
インドシナ等の「革命」のプロパガンダ・イメージ & グラフィックス展。
 日本おける「安保'68」展は何処かでやるのだろうか?  
『MUSEE CONDE』/ 於;CHATILLY, 久しぶりにシャンティイ城と街全体を16世紀の佇まいを
残したサンリスへ出かけた。サンリスの夕刻がメラコリックでいい。
 *読書;
『都市と娯楽』/ 加藤秀俊著:鹿島出版会刊:
『柳宗悦』/ MUJIBOOKS刊: 
『暴政』/ T.スナイダー著:慶應義塾大学出版会刊:御一読を進めます。
『日本二千六百年史』/ 大川周明著;毎日ワンズ刊:

 ありがとう。

 


 

投稿者 : editor | 2018年03月28日 17:12 | comment and transrate this entry (0)

article(98)

ブルータスSTYLEBOOK 2018 S/S向け原稿草案。『モードにしがみついてきた男の供述書。』

本原稿は、「ブルータスSTYLEBOOK 2018 S/S向け原稿草案」として書き下ろされたものの
全稿であり、私書版「14歳のためのモード論」のプロローグの一章でもある。

『モードにしがみついてきた男の供述書。』
ーーーーーー終戦の気配が漂い始めた頃に生まれたものが、
あの戦後の荒廃期の中から不謹慎さと共に変わらず、「装うことが好き」と言う事を
自分の中に見出して、幾通りもの好奇心と衝動に揺れ動かされながらも、
それにしがみついて来た者の追憶記否、供述書。

「今だから言えることなのでしょうが、
結果、それが何であれ、私の中に何か、「輝くもの」を感じ触れ、触れればそれは、
まず、第1のしあわせだと思いました。
次にはその見つけ出した、私の中の「輝きそうなもの」を恥ずかしさうにつかみ出して、
私らしく輝くようにその想いと共に、磨く事。
そして、時間と想いを掛け、磨きをかける事。
すなわち、感じる事、学ぶ事、喜ぶ事、愉しむこと。
そして、自分の価値観を築くことに費やした私でした。

そうすれば、仲間を見つけられ、時には競い合うこともありました。
私はこれを感じ、これにしがみついて来た事の結果として、今があります。」

“しがみつけた理由の根幹とは?”

「それは、まず何よりも、母の存在でしょう。
私事ですが、彼女はとても上品でおしゃれで自分の人柄を漂わせるお洒落をしていた人でした。
敗戦後の“母独り、子独り”と言う特殊な家庭(?)環境でどのように育てられたかと言えば、
母が装う姿を荒廃した社会の日々に、日常として目にしていたことでした。
今ではそれが当たり前の日常ですが、その当時では寧ろ、異常な非日常の光景でした。
その母の姿は、優しさと共に、喜びや勇気、プライドや責任感、楽しさや嬉しさそれに、
ある時は悔しさや悲しみさえも私は当時の母の粧姿からすでに、子供こゝろに感じ取っていた
のでしょう。そんな母の姿を見かける多くの人たちは決まって、「君のお母さんかい?
綺麗な人だね。」「上品な方だね。」「美しい人だね。」「優しそうなお母さんだね」と
声を掛けてくださっていました。まだ幼かった私にはそれが自慢でもあったのでした。
そして、この感覚はすでに小学校の頃には私の装いの感覚になっていました。
自分が産んだ子供なのに、自分が付けた名前で呼べない母と子。
この母との距離感と関係性が、いまの私と装いにはあります。
だから、私は今の「装い」を評論する立ち居場所を探したのでしょう。
そんな母が選んで着せてくれた私の装いは当然、当時の周りの友達や近所の目からは
浮いてしまっていました。
しかし、私は当時、すでにその目線が与える心地よさや楽しさや嬉しさときには、
ときめきさえも知ってしまっていました。
私の小学生時分はお兄ちゃんたちのお古の“国民服”が一般的でしたが、
私は一度もその様な服を着せてもらったことが無く、私が中学へ上がった時に始めて着たのが
常襟の学生服でした。私はこの学生服を学校から着せられることによって、自分の心までもが
社会の制約の中へ閉じ込められる想いと感覚を今でも覚えています。
私が私らしく装うことを躾けてくれたのが母の存在とその母が自分の体験から選んで
着せてくれた装いだったのです。それは、それしか出来なかった母のリアリティであり、
彼女が出来得た「愛」の一つだったのです。
これにしがみついて来たのが私です。
或いは、この頃では私はこれにしがみつくしかなかった時代と環境だったのでしょう。」

”その後、何に影響を強く、受けましたか?“

「敗戦真近に生まれた私がその後、自分の世界観と価値観らしきものを感じ始めた時
あるいは、自己主張を装いによって生意気にそして、異性を意識するまでに育った頃に、
世間では大いなる味方が誕生していました。それが「VAN Jac.」でした。
そして、「JUN」も知りました。
私は大阪で生まれ育ちましたから、そのあとに「Edward」を知り、そのテイストの違いに
かなりの衝撃を覚えました。だから私は「VAN Jac.」で当時流行した“アメリカン スポーティ
カジュアル”なる装いの洗礼を確実に受けた世代の一人です。
当時は心斎橋そごうの1階に在った、「VAN Jac.」コーナーや梅田に出来た、「Men’sShop」
難波に在った「トラヤ帽子店」の「JUNコーナー」そして、神戸三宮の高架下にあった
「ボンド商会」に友人たちと通ったことも記憶に残っています。この「ボンド商会」の親父さん
からは自分だけの「装い」とはのいろいろなことを教わり一方、「VAN Jac.」の創業者であった
石津謙介氏の大阪時代に母が知り合いだったことから母もこの装いには味方をしてくれました。
もう一つ、私は母の影響でB.クロスビーやF.シナトラ、メルトーメ、S.デイヴィス Jr.等の洋楽
スタンダードを聞いていたのですが、この頃には私は「モダンジャズ」を聞く様になりました。
当時、戎橋と梅田にあった「バンビ喫茶店」や心斎橋の橋詰めにあった「オグラ」に通い始め、
友達も出来“装い談義とジャズ談義“に明け暮れていました。O.ピーターソン,S.ロリンズ、
M.デイヴィスやC.アダレー、J.コルトレーンのコンサートを当時の大阪フェスティバルホールへ
勿論、「装い」を決め込んで、友人たちと押しかけていました。」

”覚えている自分のかっこよさとは?“

「私が「VAN Jac.」を通じて知ってしまった、”装う“事のその楽しさと生意気さは年齢と
時代と共に変化し始めました。アメリカでDacronが発明されて当時の新しい素材が登場した頃、
私も「銀座ヤジマテーラー」でラペルをジャズメンたちに見られたシングルラウンドにした
黒のスーツを仕立てて頂いたことも憶えています。今でも時折、私が着ているものに、
「エドワード」のエポーレット付きのキャメルジャケットがあります。
もう、半世紀以上のヴィンテージものなので、縫い糸がほころびてきていますが、好きで、
かっこいいジャケットだと信じて未だに大切にしています。
私は歳を取っても体型が変わらなかったので、これらのとてもお気に入りのスーツや
ジャケットで好きなもの、良いもの、気に入ったものは大切に、大事に随分長く着ています。
だから、当時、母に買って貰った「VAN Jac.」のジャケットも今も着ています。余談ですが、
私はこの「テーラーヤジマ」のジャケットは当時交際していた女の下宿に忘れてしまったことを
今も覚えているぐらいです。それも、既に20年ほど昔の話ですが。
「好きなもの、大切なものはそのこゝろの想いの分だけ大切に着てあげなさい。」と、これも
母から躾けられた”装いこゝろ“の一つで、”お洒落“とはの根幹を躾けられたと
私は自負しています。」

“おしゃれこゝろの大切さとはなんでしょうか?“

「私の次なる新しい装いのシーンの舞台は倫敦に移りました。
’73年から数年間、機会があって住み始めた都市、倫敦は私の装いの価値観をもう一つ広げて
くれました。私はこの街で「自由さ」という精神が接ぎ木されました。
当時の倫敦は未だ、“ロックとカーナビー”の残り火が燻っていましたし、キングスロードも
輝きと騒がしいさを溢れせせていました。それらの輝きは当時の体制に対する自由の裁量から
発せられたものでした。
「装い」とは一つの才能であること、その才能は自由なこゝろから生まれ、持ち得たバランス
感覚で如何様にもなり得ることを私はこの街で体感しました。
私は気ずくとその輝きの中で新たな自由とは、何であるか、どの様にすれば感じられるか?を
現実の中で体感し、自分のリアリティとして学んで来たようです。
そして、私は本当の「自由」とは現実の中に生まれたものでしかあり得ないという根幹を知り、
それを価値観として身に付け始めました。
もう一つ、当時は未だ、「質素、倹約」がこの国の美徳であった時代でしたから、自ずから、
「古くても好きなものは大切にする。」という心の有様も学び、私の「装い」こころに新たに
「古着」という“宝の山”を発見したのがこの街からでした。
この街での4年近くの実生活の後半はHIGH STREET KENGINGTONにあったマーケットと
その裏にあったアトリエでの「陶芸と古着屋」で生活費を稼ぎそして、スクーリングと音楽と
育児が生活の全てでした。

”あなたが「装い」にしがみ付くことの大切さとは何ですか?“

「結論から申し上げます。私が、私らしく生きてゆくことの一つの証です。
私の中で輝くものが何なのか?それを感じ、それが好きになれば、
その好きなものを現実で探し、見つかれば、それにしがみ付くしかなかったのが私の時代、
私の育ちそのものだったのです。私がこんなに長い間、しがみつけたのも苦しいものより、
楽しい幸せなものの方が、醜いものより、美しいものがその根幹にあったからでしょう。
そして、私以外の人たちにも共有していただけるものの方が良かったのです。

その後、日本社会も豊かさが生まれ始めて、消費社会が誕生した後はこの「装い」も
新たな世代へ広がり、装うだけではなく自分たちが着たいものを作り出す世界が多く誕生し
始めました。私が倫敦から帰国し、上京した時には気がつくと私自身もそんな作る世界の側に
足を入れ始め、しがみつき始めていました。しかし、この時期とはあの「VAN Jac.」が倒産した
時期でもあり、その後、数年で母も他界いたしました。

世間では、「酒の上の過ち」と言う言葉がまかり通っていますが、
私の場合は母が幼い頃から気を使ってくれた「自由な装いの過ち」が勇気と覚悟を与えてくれ、
今の私の立ち居場所を決断させてくれ、私の人生をこのような幸せな流れに導いてくれたと
たいへん感謝しております。」

”最後に、14歳の若い人たちへ「装い」についての一言を、“

「 私のこれまでの経験から申し上げますが、誰のために「装う」のか?
という問いへの答えは、まず、自分自身のため。自身の存在を自分で自由に表現できること。
そして次には、自分が愛する人のため。それが恋人だけではなく、家族や友人たちも含まれま
す。ここには自分が愛する人への想いが存在するからです。そして、出来れば、社会のために
なればもう最高でしょう。この根幹は「装う」ことが持っている自由さと幾つかの価値観、
立ち居振る舞いや身だしなみ、躾などですね。それに、“コミュニケーション”と言う機能が
ある為です。
ここまでお話しすればもうお判りでしょう。私の「装い」には所謂、ブランドやデザイナー
モノへの薀蓄や願望等は殆んど、介在しませんでした。それより寧ろ、「モノが持ち得た
リアリティ」に魅力を感じていたのでしょう。だから私の装いのほとんど全てが自分の古着と
それぞれ訪れたことのある街の古着屋から目に留まった「リアリティが詰め込まれた古着」が
私のワードローブの全てであり、それらと自由に遊ぶと言う感覚での着こなしを楽しむ
「装い」でしかありません。

最後の最後に、私の好きな、第14世ダライ・ラマの言葉に、
“Approach love and cooking with reckless abandon.” というのがあります。
私はここにもう一つ、「装い」を付け加えたいです。
“Approach love, cooking & fashion with reckless abandon.”
ありがとうございました。」
文責/平川武治:私書版「14歳のためのモード論」からのある1章より。

投稿者 : editor | 2018年03月28日 04:01 | comment and transrate this entry (0)

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UNDERE COVER 高橋盾 AW18を評論する。

かつての70年代終わり、ミラノの「ゴルディースミス」によって「イタ・カジ」ブームが
起こり、引き続きパリ、80年代初頭には当時の「シェビニオン」で代表された
「フレンチ・カジュアル」が全世を風靡し、リセの子供たちのユニフォーム的にまでなった
時代があったのを思い出させるまでの痛快さを感じた。
丁度、その当時の”ニュージェネレーション“達が今では、このUNDER COVER の高橋盾世代
であろう。「時代はリバーシブルあるいはメビオスの帯」。

ここ数シーズンのUNDER COVERのコレクションは好感を持ってクオリティー高い違いを
感じることがある。
先シーズンのPitti uommoのメンズコレクションにしても、パリで行われているファムの
最近の4シーズン来にしてもそれぞれデザイナー自身が何よりも、愉しんでいることである。
即ち、高橋盾が楽しみながらコレクションを、自分世界の中に引き込んで創っているのが
感じるまでの世界を堂々と見せてくれていることである。
この状況をデザイナー自身が持ち得て自分のコレクションを創っているデザイナーは矢張り
少ない。自信がない、トレンドを気にする、売りを気にするそして、それなりのデザイナー先生
ぶっているのだからそれなりに見られたいことなどが大きな要因になって、このデザイナー先生
自身が苦しんで創っている或いは、大いなる邪心と共に自信のないコレクションの結果なって
しまうことの方が多いからだ。
そもそも、ブランドとは「商標」であり、自分のブランドとは自分の世界観を生み出すための
「商標」であり、この世界観はデザインに関わった人たちとそれを総合でディレクションする
人たちが学んで来た「スキルと経験と関係性と美意識それに持ち得た文化度」によって構成され
ているのが当たり前である。ここにこのブランド或いはデザイナーのもう古くなってしまった
ボキャブラリィーである「個性」がその創造性と共に現れるものを「デザイナーブランド」と
称されて位置付けされている。

従って、UNDER COVERの高橋盾の世界観としての、「スキルと経験と関係性と美意識それに
持ち得た文化度」に余裕が生まれ始めた事。或いは、豊穣され、”豊かさが自由さを生むまでに“
なったことと感じられるので僕は好きである。
あと、自分のコレクションだから、自分のやりたいことを自分らしくやるというレベルの
ゆとりと、もっと言えば、「自分たちのお金で堂々とパリに来ているのだから自分たちの
やりたいことをクールにカッコよくやりたいね。」という正直なデザイナーの声も聞こえる。
もう一つが、「自信」であろう。もうここまでの10年数という経験をこなして来た自信でも
あろう。この辺りが最近のアンレ・森永の進歩しない、他人の新しい褌を使い回しての古い発想
で面白くもない学生コレクションレベルとの大いなる相違点であろう。根幹はこのデザイナーが
自己自慢がしたいがためのパリ。結果、パリからは何も学んだものが見当たらない故、女性が
着たくなる服が作れない所詮、「庭先デザイナー」でしかない。

さて、本題の今シーズンのUNDER COVERのコレクションの素晴らしかったこととは、
「新鮮」であったこと。「愉しかった」こと。「自由」であったこと。そして、幾つかの
「新しい」アイテムが見られたこと。何よりも僕が嬉しかったのは、彼が提案したターゲットが
「14歳」(?)
僕の去年来の構想と雑誌「ブルータス」の特集にもなった、「14歳のモード論」にも彼は
目線を行き届かす「自由さと新鮮さ」がとっても可愛いかった。
彼の眼差しはこの世代の女の子が恥ずかしやり屋さんであることを承知したところでの
「オシャレ!」にコンテンツを投げかける。「普段着の安心と親しみ」で着られる「ちょっと
違った、オシャレ感覚」を提案。「分量あるキャンパス・ルック」を可愛く着せる。
素材の面白さでは、形状記憶素材をこの世界へ落とし込んで”おしゃまなシルエット“を提案。
ゴム長にメッセージを書き込む。スニーカーも逃さない、上手い。そして、キャスティングも
良かった、ナイキに出ている旬なモデルをちゃんとゲットしていたからだ。
トレンドも気にしていない。自分がやりたいことを堂々と自身のクオリティを落とさないで
クールにこの”ニュージェネレーション“に全てを投げ掛け、コーディネートを見せたことも
潔が良い。結果、パリのファッション雀の意表をついたコレクションは話題になる。
その証拠にショールームでの実ビジネスもとても良かったと友人のマダム・クリスティーヌに
聞かされた。

ここで、冒頭のかつての「フレンチ・カジュアル」ブームへ、イマジナリ・ボヤージュとなる
「あたらしさ」を思うのは愉しい想いである。

そして彼、高橋盾はこれからは、メンズを軸としたコレクションをパリで挑戦発表する
という。
ここでも、彼の「豊かさから生まれる自由さ」をこのデザイナーと共に、愉しんでみよう。
文責/平川武治;パリ市ピクピュス通りにて:


投稿者 : editor | 2018年03月20日 19:24 | comment and transrate this entry (0)

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“JUNNYA WATANABE” AW18コレクションを評論する。

先ず、僕の結論はここ、2シーズンが低迷であったJUNYA WATANABE コレクションの
今シーズンには一つだけ彼らしさの力量を持って自分らしさの世界に挑戦した世界があり、
いいコレクションだった。

勿論、ビジネスをも考えなければならない立ち居場所上、ヴィンテージセーターや
そのリメイク的こなしをいつものパンキュッシュなイメージングによって、しっかりと
そのお役目も含めた”Good job”をしたのも好感がもたれる。

大事な今シーズンの視点はやはり、「分量のバランス感」だった。
渡辺淳弥はパターンメイキングでは素晴らしい腕を持っている職人肌のデザイナーである。
このような職人はいつも自分自身に挑戦する難しさを正面から迎え撃っている。
それが自分のプライドとなる“腕”を磨くことであることを熟知しているからだ。
彼の今シーズンの新しさへのチャレンジもここにあった。
僕が感じた彼の今回の“source of the new balance”の根幹は先シーズンのオムでもトレンド
アイテムの一つであった”ポンチョ“だ。このポンチョが持っている肩に乗せるだけで生まれる
ボリューム感が生み出すシュルエットに注目したのではないだろうか?
彼はこの時のシルエットとボリューム感を今シーズンのテーマの一つになった
「袖周りへの新しさ」へ彼のパターン力を駆使した造形へチャレンジしたと観た。
僕は袖と袖下に造形の新たな空間を見つけ出した彼の眼差しに感心した。
そのほとんどの白人デザイナーは今シーズンのこのテーマを表層の足し算のデザインで逃げ、
フリルをつけ、プリーツを使いあるいはシンクビックと。しかし、彼は過去からも多くの
デザイナーが避けてきたこの新しさへ職人気質で向かい合ったシーズンだったと感じた。

今シーズンのパリのモードの欲求には、「もう、90年代のアーカイブからのブリコラージュ
だけでは感動がない」という新たな欲求が感じられた。そこでやはりモードの造形の根幹である
「分量のバランス感」が問われ始めた。新たな分量のボリューム観によってのシルエット、
そのバランス感でどのようなシルエットを生み出すか?にあった。この欲求にはリスクが
多くある。すなわち、「売れるか、売れないか?がはっきりとビジネス上で数字で現れるから
だ。」従って、このトレンドに真っ向からいぞんだデザイナーは少なかった。ラグジュアリィー
は無論、若手と称される4シーズン目に入ったデザイナーまでこのトレンドを避けた
コレクションがほとんどだった。ここではパターンメイキングの基本力が問われるからであり、
今の大半のデザイナーたちはこの能力が皆無に等しいからだ。

身体を「表と裏/左右対称」しか考えない西欧人たちの美意識の根幹。
その上でのバランス観から始まり、非対称そして脱構築とジェンダーレスまでがこの西洋美學に
基づいたモードの世界の創造性の変換であり、現在へと至ってきた。
この世界へ刺激ある現実を持ち込んだのが82年のCdG・川久保玲であり、それに刺激と影響を
見つけたのが後のマルタン マルジェラだった。
その後、90年代はじめには多くの若いデザイナーたちが、
H.ラング、M.シットボン、J.コロナ、A.L.マックイーン、H.チャラヤン、V. & L.たちが
このモードの世界を芳醇、豊饒な新たな世界へと革新した。
その後の多くは所詮、彼らたちの「チルドレン」たちでしかない。
そんなこのモードの世界観の遍歴を考えると、今シーズンの渡辺淳弥のコレクションには
新しき視線が感じられ、その挑戦への自信が読み取れて僕は心地よかったのだ。
「ありがとう。」
文責/平川武治:パリ市ピクピュス大通り:平成30年3月5日初稿。

投稿者 : editor | 2018年03月11日 20:04 | comment and transrate this entry (0)

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CdG, ”川久保玲作品発表会“/3月03日、を論じる。

今年のこの街は、興味ある二つの「50周年記念」がある。
一つは、この国の戦後の左翼イデオロギィーの根幹になっている「MAY ‘68」の50周年。
もう一つはあの70年代のモードの在り方、「プレタポルテ」を生み出して牽引して来たメゾン、
「ソニア リキエル」の50周年でもある。

そして、川久保玲がスタイリストをやめて、友人三人で始めたこのブランドも多分、
「50周年」を迎えるであろう。当時の全てを知っているものが少なくなったことは、
この「50年」という半世紀前の出来事を熟知しつずけている人間が少なくなったことと、
やはり、都合の悪い事は忘れたいという心情と、”時間“が暗い時代とこゝろを
「風化」させてしまったからであろう。これによって戦後の大衆は「豊かさ」を持ち得るまで
に”努力“して来た50年であった。


ここで、 ”川久保玲作品発表会“を見る度に思うことがある。
このデザイナー、川久保玲はどのような服を作りたくって日本のファッションの世界へ入って
来たのかである。
彼女の全ての始まりは、彼女達がつけたブランド名でも判るし、当時のS.リキエルの
コピーから始まった彼女たちのブランドが、先日のような”発表会“を為すまでに至ったかを、
このような時間と、どのような関係性と努力を経て、現在の川久保玲の作風に至るまでの
「メタモルフォーゼ」が可能なのか?を誰も今だに論じない。
ある意味では、ここに日本のファッションが「文化の領域」にまで達することができない
所以の一つがあろう。他方では、自らが欲しくって、「文化勲章」を貰ってしまったデザイナー
も存在したと言うのに。
最近の東京ファッションウイークの”枯れ木に山の賑わい“も、日本の現在の外交政治
「庭先外交」と同じく、その多くが「庭先デザイナー」でしかない。
見える庭先ではしゃぎまわっているだけの輩たち。
「おい、君たち、“床の間”を持っているのか?」
すみません、今のマンション住まいで育った世代は”床の間“の存在すら知らない世代でしょう。

では、”川久保玲作品発表会“を論じよう。
まず、何よりも昨シーズンから、このデザイナーの作風が変わった。僕もハッピーになる。
多分、あのN.Y.での展覧会以後、このデザイナーはある種の肩の荷が降りたのであろう。
今シーズンは先シーズンに増して、何よりも当のデザイナー自身が楽しんでコレクションに
携わったであろうと感じた。
このデザイナーがこのような発表会形式でショーを行ったこととは、新しい時代の、
新しいモードの立ち居場所へ挑戦したことが何よりもこのデザイナーに僕が感じた功績である。
以後、この現実性を見抜き始めたモードの世界のビッグメゾンはL.V.やPinoグループなどが
独自の「ファンデーション」を持つまでにモードがアートの世界へ近ずく、新たな在り方へと
変革させた。この事自体がこのメゾンが成し得た最近のモードの世界での大きな変化である
ことを忘れないでおこう。

あの、F.フェリーニの代表作「道」の、ニノロータのテーマ曲でこの発表会は始まった。
チネチッタで見慣れた仕草がランウエーを動き出す。二つの照明什器が静かに引き上げられる。
すると、ファーストルックが。
全身白で装った黒人のマヌカンがゆっくりと歩み始める。
これは長い間見せていただいて来たパリ・コレクションにおいてもこのメゾンでは初めての
キャスティングである。窓は開かれた!!
素晴らしい、オープニングであった。これも,川久保玲の特技の一つであろう、上手い。

今回の川久保玲のコレクションは無垢さとチャーミングさそれに大胆な美しさを見事に
自分の創造世界の中でポジティフに展開した。
変わらず、自分の好きなエレメントは継続して居る。
それらに加えて、今回はいくつかのいままでに見られなかった手法を魅せてくれた。
今回の”source of the image”はトレンドの一つである「レイアード」を彼女の世界観へ
引き込み、自らの美意識と過去への想いも込めてポジティフな世界観を構築した。
ボンディングやキルティングを「未完の状態」で自分の素材とした事。
そこへヴィンテージ下着やヴィンテージニットを加えるという手法を用いた。
このヴィンテージにそれなりの彼女なりの想いがコードとして感じられ、読める。
魅せたかったのはそのエッジとボリュームのバランス感の変わらぬ美しさであったであろう。
僕が一番気に入って好きだったのは、白を基調としたレイアードの中から見え隠れする
いくつかの色彩あるうす布が見え隠れするあの“ミルフィーユ構造”のシンプルな構築の中に、
多くの布をレアードされたそのエッジの美しさとチャーミングな少女的はじらひを造形した
アウトフィットのものだった。
とっても失礼な思いだったが、思わず、食べたくなった。
(ある日、ローズベーカリーへ行くとこの”ミルフィーユ・れい“が食べられる。
そんな思いまで、)
だが、少し時間を置いて想いおこすと、「女の表層としての面と内面がエッジに現れ見え隠れ
するうす布の僅かな色彩」にこのクリエーター、川久保玲の「はにかみ」と言う女らしさを
想った。
この「はにかみ」というこゝろの有り様はやはり、日本人が持っている特異性であり、
人間としてのチャーミングさでもあろう。そして、隠されている美しさがあるからこそ、
こゝろ魅かれる。ここには日本人でしか理解できないこゝろの有様の一つに、
「情緒をひとしをに深くする」という美意識があった事も思い出す。
そして、かつては多分、このデザイナーはこのような内面性を自身で語ること自体が
「はにかみ」であったであろう。こんなところにもこの、川久保玲のメタモルフォーゼを感じ、
共有出来たことに喜びを覚えた。

このメゾンのプレスが対プレス関係者へ手引書的な文章を出しているようだが、僕は未だ、
貰ったことがない。ということは、僕は彼ら達がくくるプレス対象者ではないのである。
これも、僕の立ち居場所をよく理解されての対処であろう。
そして、今回のテーマが「camp」だったと言う。
僕が思い出したのは、S.ソンタグ。あるいは、古い映画「coach 22」。
それにしてもやはり、このコードとしての「camp」は僕たち世代のボキャブラリィーだ。
例のウキペディアでこの「camp」を引くとすぐさまそれなりの教養が入手できる白人的解説が
学習できる。あくまで、西洋哲学と西洋美意識の範疇によって60年代にコード化された
ボキャブラリィーでしかない。
ここには日本人特有の“湿り”から生まれた哲学と美意識は皆無である。
ちなみに、「バロックやキッチュ」はドイツ美學から生まれた様式である。
しかし、「CAMP」は戦後のアメリカで生まれたボキャブラリィーである。
ここにも僕は残念ながら、今だに「外国コンプレックス」或いは、「白人コンプレックス」が
むやみに横行している様しか見ることができない。非常に悔しい。
多分、このようなプレス対応のシナリオは白人が考えるのだろう。
当然であるが、海外のプレスやバイヤーたちに理解してもらいたいという役割があるからだ。
悪く思えば、そのついでに日本人たちへも、このように読み込んで欲しい。そしてどうせ、
あなたたちは「カワイイ!!」「スゴイ!!!」しか言えないだろう。という目線も見える。
しかし、現実的には、この幼稚すぎる日本人的眼差しがこのブランドを育て、愛して来た40年
ほどであった事も忘れないでいよう。日本マーケットのバックアップがなければ、
いまの川久保玲の存在もこのブランドの立ち居場所もないのであるから僕たちはもっと、
自信を持って、僕たちの美意識と感覚とそこからのボキャブラリィーで”川久保玲作品発表会“を
見てあげ、報じてあげなければならない。
貰った、”虎の巻“をリライトすることが記者やジャーナリストと自称する輩の仕事ではない。

昨シーズンの”川久保玲作品発表会“は「キッチュ・ジャポネズムズム」が僕のタイトル
だった。この時もトレンドを意識して、時代を先取りしていた。
そして、この「キッチュ」という香辛料は既に、今シーズンのある意味で、
メインコンセプトになった。
当然、このような全く新しいものが必要なくなって来た時代性の元での
クリアティヴィティとはやはり、足し算の世界へ走る。この足し算の趣味性あるいは、
悪趣味が「キッチュ」である。
全てが「真実っぽさというフェイク」で満たされ始めた現代という時代。
そんな時代の存在象徴がトランプであり彼の向こうを張って、ゲームに付き合っているのが
北朝鮮の金である。
このような、在るようで無いリアリティな時代性の最中のモードの世界もここでは、
バロック、キッチュと続けば、今後の流れはどのようになる?という予測的眼差しが読める。
その西洋的、黒人的、ヴァニティ的「悪趣味」がこれからのモードの世界を覆う
流行り病であろう。大変な騒々しい、ケバケバしい時代になろう。

”川久保玲作品発表会“で見せていただける作風が全くポジティフに、彼女のこゝろかわりに
接しられること、見られることは僕もハッピーな人生である。
例え、玄関ドアーは重いドアであっても、最近の彼女は窓を開けているからだ。

ここにモードの世界も時代がメビオスの輪のように根拠あるものをリンクする風景を
見せてくれるのが面白く、傍観し続けて来たのがパリにおける僕の立ち居場所でしかない。
「ありがとう、川久保様。いつも好奇心を揺さぶるまでのエネジーを。」
文責/平川武治:パリ市ピクピィス通りにて、初稿;平成30年3月06日:.





投稿者 : editor | 2018年03月09日 17:41 | comment and transrate this entry (0)

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、“CdG NOIR KEI NINOMIYA”のデビューコレクションを評論する。

僕が彼のデビュー当時から注目していた若手デザイナーの二宮啓のブランド、
“CdG NOIR KEI NINOMIYA”がパリでオフィシャルなコレクションデビューを先ほどした。

最近の日本人デザイナーのデビューコレクションとは違って、世界レベルでのジャーナリスト
やバイヤーたちが詰めかけた。
というのも、実際にはこのブランドは数年前からCdG Parisの自社内でプレ・コレクションを
行い、この企業のお友達メディアやバイヤーたちに実ビジネスを始めていたブランドの
パリファッションウイークでのオフィシャルデビューだった。 従って、もう既にコンデナスト社
やバイヤーたちからもそれなりに注目されている幸運な育ちと環境と彼の実力の元にデビュー
したブランドである。
実際に、Junya に次ぐ立ち居場所を彼はこのデビューコレクション以後、担うであろう、
それ程の実力と器を持っていると信じている。

ここでは、このブランドの立ち居場所をはっきりさせておくべきであり、
その立ち居場所によって、どれだけのデザイナー自身が持っている才能とこの企業のチーム
ワーク力を計算した上での評価がされるべきであるからだ。
この企業(株)CdGの現状と今後を読む限り、新たな才能あるデザイナーが必然であることは
時間が証明している。以前には「TAO」というブランドがこの役割を担わされてパリでデビュー
させたことがあり確か数シーズン、ランウエーをしたことを覚えている。
僕はこの「TAO」のデザイナーがロンドンのセント・マーチン校を卒業した際の卒業作品を
見に行った事、その彼女の卒業作品が全く、尊敬するにやまなかった川久保玲のDNAを持った
ものであったことを未だに、覚えているしその後、彼女の希望どうり、川久保玲のCdGの元で
実際は、渡辺淳弥の「トリコ」のアシスタントデザイナーから大好きなこの企業で頑張り、
彼女のブランド「TAO」がパリでデビューした経過も熟知していた。その後、数年後に突然に
この企業内で「TAO」ブランドは消滅さられてしまい、この残り火が今ある、「トリコ・
スペシャル」という纏まりで残されている。
結果、この企業が今後の世界ビジネスを掛けたところでの新たな戦略が
この “CdG NOIR KEI NINOMIYA”の起用となった。
もともと、“CdG NOIR”は90年の初めに立ち上げられたフォーマルを意識したブランドだった。
が以後、お荷物ブランドとして二宮くんが登場するまでは、「在庫」されていた。
その当時のアーカイブスは殆ど、税金対策も含めて、京都服飾財団へ寄贈された。

今回の “CdG NOIR KEI NINOMIYA”の二宮啓のカレンダーデビュー・コレクションは
この重責を担って行われたデビューコレクションだった。
僕が評価する根拠は「3つの素晴らしさ」があった。
その一つは、彼がこの企業で学び培った「バランス観」が見事なぐらいに、川久保玲の
バランス観であったこと。分量あるシュルエットの分量感のバランスは勿論であるが、
今シーズンのトレンドバランスの一つのである、“ハイ・ウエスト”においても、かつて
川久保玲が自分のバランス観にした“チョゴリ”のバランスが構築されていたこと。
きっと、この“バランス観“が、”ブランドらしさ“を表現できるあるいは、今後このブランドを
継続して行く唯一のクリエーション・ファクターであろう。
「バランス観」あるいは、「バランスをデザイン」することそのものが現代の、もうすでに
新たな形骸的なデザインが終焉化してしまった昨今では、クリーエターの”good job”そのもの。
ついでだが、お母さんの奥座敷的コレクションの作品群にしてもこれが根幹にあって成り
立っている彼女の作品群であり、そこにどのような想いあるエモーショナルな「素材観」と
「色」そして、時代を表装するプリントをデザインするかの世界でしか無い。
その2つ目は、やはり、このデザイナーが理知的である証拠であるが、
「自分にしか出来ないこと」を正面切って勇気と覚悟を持って行っていることである。
言い換えれば、「お母さんには出来ないこと」とは何か?を深く考えられた上での
コレクションであったこと。
これは、この企業においては必須事項であり、貴重なことである。川久保玲だけでは無い、
渡辺淳弥もいる。この二人の世界の最高峰なる先輩たちには出来ないことを目指すのは
エレベストへたった一人で登ることよりも難しい。このデザイナー、ケイ・ニノミヤはそれを
わずかなパーティたちとともに敢行した。彼の「自分にしか出来ないこと」への始まりは布帛の
中に優しさを入れ込むエンブロイダリーから始まった。ここにも彼が見つけ出した
「手芸性あるいは、工芸性」をこのメゾンに持ち込んだ。
彼は「手仕事」をリスペクトすることからこのメゾンにおいて、「新しさ」を見出す。
そして、この続きとして、3っつ目の素晴らしさがある。このデザイナーも僕流にいえば、
「レゴ・ゼネレーション」である。彼らたちの子供時代はレゴ・ブロックで遊んだ。
しかし、我々の子供時代の室内での遊戯とは、ぬりえで代表される2Dの世界でしかなかった。
すでに、3Dのレゴ・ブロックのピースを使って遊ぶという世代たちの時代が来た。
ここにも、「お母さんには出来ないこと」への根幹の育ちと時代の違いを知覚したところでの
彼のその後の創造性が始まる。その世界が、まず素材によって“3Dのピース”を作る。
ここにも彼がリスペクトする「ヒューマン・テクノロジー」が拠り所として存在する世界を
探した結果がある。

丁度、少し前に一方で僕が若い人たちへ投げかけ始めていた、「without sewing」プロジェクト
があった。このコンセプトやコンテンツを健全に具現化し始めるデザイナーが登場し始めた。
そのひとりがケイ・ニノミヤであり、もうひとりは「YUIMA NAKAZATO」である。
僕の考え思いついたこのプロジェクトの根幹は、「新しさ」と「ユダヤビジネスから
遠く離れる。」そして、「日本の甲冑鎧」の世界観があった。女性たちが美しさを装うための
「甲冑鎧」が発端であった。この21世紀においても、ファッション産業が成立している
産業的根幹は依然、「ミシンと針と糸」の世界でしかない。『今後の21世紀におけるモードの
「新しさと凄さと新たなビジネスチャンス」』という眼差しが僕のプロジェクトの根幹だった。
パリでのこの新しさへ挑戦したのが68年のパコ・ラバンヌが居た。勿論、彼が見出した
「source of the creations”は西洋の甲冑だった。

時代がチューニングし始めたと言うのであろうか、丁度現在、この街の東洋美術博物館ギメ
でこの日本の鎧甲冑の展覧会がなされている。
余談だが、すぐ隣のモード美術館ガリエラでは時代の寵児、「M.M.M.展」も始まった。
しかし、僕的には、「M.M.M.展」はモードの世界に「20世紀の終焉」をもたらした
クリエーター。しかし、「日本の甲冑鎧」展で見られる世界はある意味で、”21世紀への
プロローグ“とも深読み出来る。

さて、話が少し飛びましたが、このケイ・ニノミヤが持ち得た新たな眼差しとしての
クリエーションとは、「お母さんには出来ないこと」+「21世紀モードへのプロローグ」+
「CdGらしさのコンポジション」である。この足し算は見事である。
今回の彼のデビューコレクションで見事に、自分しか出来ないこととして、
『エレガンスに、美しく品性を感じさせるまでの「装い」の世界』を
この20世紀の”終焉の断片“に現を吐かし、しがみついて居る昨今のパリのモード界へ、
覚悟ある勇気とともに見事に健やか品性深く見せてくれ、新たな新しさをもたらした。

余談だが、僕がショー後彼のバックステージへ行って挨拶をした折の僕の評価は「80点」
だった。この僕の「ー20点」とは?
それは、彼が、あまりにも素直で、お利口さんであるための、「ー20点」である。
「分量のバランス観」すなわち、「装いのコンポジション」をどのように時代にチューニング
し、構築するか?が、現在の最もクールなクリエーションであると自負して居る僕からは、
あまりに、真面目であり、お利口さん過ぎたというところが僕なりの物足りなさという
本音であったからだ。

「ありがとう、にのみやくん。脱帽です。
僕は素直に、日本人としての喜びを、あなたの新たらしい色を感じさせるまでの黒という
『風』から爽やかさを感じました。」
文責/平川武治:巴里、ピクピィス大通りにて。初稿/03 03 ‘18:

投稿者 : editor | 2018年03月08日 19:13 | comment and transrate this entry (0)

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「これほどまでに、ある新しい体験、」

前回のブログを書く発端は僕の旅の経験から発した全てがそうさせたので少し、
書き加えたくなった。

多分、『安心のファッシズム』の中で快適さを求め、のほほんと自己満足に委ね、
一喜一憂している輩達には到底実感が伴わない一つのリアリティーであろう。

前回の約1ヶ月の旅では今迄、これほどたくさんの外国の街を旅 慣れしてきた者でも
“初体験”を経験した。
 この体験は実際に外国を旅慣れていないと心に留めないことであろう。
また、グループ旅行や企業任せの仕組まれた旅行ではこのような体験には気がつかないで
あろう。
僕がパリを軸にして興味ある街と人間と美術館を徘徊しはじめてすでに30数年が経つ。
若い時代の旅を合わせてるともう、僕の人生に半分程を既に,海外の都市への徘徊に委ねて
来たことになる。

確か、この体験はここ6、7年前まではこのような経験はなかったと言い切れる。
これは時代が変わったということに尽きる体験であり、僕は結構ショックを感じてしまった。
結果、自分の国「日本」の現実を思い知らされたという実感を味わってしまった。
前回パリのファッションウイークの前後に合わせてユーロ圏とモロッコの7都市を徘徊した。
この旅路において幾度か気軽によくあることですが道すがら出会って、声をかけられた。
「あなたは中国人ですか?」 「お前は中国人か?」「中国人?」、、、、、、
見事に、それらは全て僕を”中国人“と見なしたのだ。
こんな体験は初めてであった。

以前であれば、「あなたは日本人ですか?」「君は日本人か?」「日本人?」でしか無かった。
しかし、ここ数年来は、「あなたは中国人あるいは、日本人?」もしくは、
「君は日本人ですか中国人ですか?」という掛詞であった。
そして、ついに、今ではもう、完全に日本人であることへの興味や友好気分は消えてしまって、
黄色人種、イコール「中国人」という自分たちが知っているレベルで国名を名指しすれば
間違いがないあるいは、その方がクールであるという彼ら達のいわゆる”常識”レベルでの
価値判断の結果が僕が体験したこの現実であろう。

海外を旅しているとこのような現実に出会う。
このリアリティそのものが時代を新しく生み出している大きな要因である。
そして、この体験は実際に“旅”をしない限りわからないし、理解できない。
「安心のファッシズ」の中でかき集められ、送り込まれる諸情報や知識からは
このリアリティは知り得ることができない。

 「日本」という国家が戦後、敗戦国でありながらここまで、この70数年の努力の賜物が
結果、現在ではもうすっかりその立ち居場所を「中国」に取って代わられてしまったという
現実は僕に取っては全く悲しい限りでしかない。
 僕の経験からの’80年代後半から2000年ほどの15年間はこんなことは全く、聞かれなかった。
声を掛けられてもそのすべては「あなたは日本人ですか?」「私は日本が大好きです。」と
までのウエルカム・グリーティングを頂くことでしかなかった。

僕の視点は、これは現在の「日本」という国家の実態が完全にアジアから消えてしまった
結果とも読めよう。
 僕に取ってのこの経験はアジア圏国家としてのアイデンティティが確実に日本国は
もう既に、“中華人民共和国”に取っ手替わらてしまったというリアリティを実感した
出来事であった。
 全てがわかりやすく日本にとって変わって、「中国」がアジアに於るそのイニシアティブを
完全に掌握変革させてしまった現実が街に、大衆に現れたといえよう。
 この現実が世界においては、現在のアジアにおける僕たちの国家「日本国」の政治的、
経済的、市場的にそして、モラル的な立ち居場所の評価でしかない。

 「砂糖菓子」が崩れる時とは、
一滴の水でジワーと時間の染み込みのごとく緩やかに、音もなくそして、綺麗に
消えてしまうものである。

 「やがて、オージー/狂宴の後、」
(ボードリヤールのある書物に使われていた言葉である、)
「安全のファッシズム」日本国も今は、2020年が目前に迫り始め、その“オリンピック”に
多くの輩たちが ”ぶら下がる事”しか考えていない。

 その狂宴もいずれは終焉を迎える。
その終焉後の”向こう側”に何が姿を現し見えてくるのだろうか?
「シン・ゴジラ」であろうか?

 その向こうから見え始めるのは「徴兵制度」。
トランプ政権のウリである、”強い国家”のための「新・安保条約」後の日本は、
これに基づく新たな憲法改正後に、戦後70数年、日本でそれなりの人たちが待ち望んだ、
「軍隊」と「軍事産業+原子力産業」が表層に現れ、独り歩き始める。

 ここで、少子化による18歳に選挙権を下げた根幹もここで帳尻がつく。 
軍事防衛費がやたらと膨らむ。成り上がり国家はやたらと「最新型兵器」に弱い。
あの不評限りなく、多発事故発生軍機”オスプレー”は
現在、日本以外の国家はどこも購入していないという現実も知ってください。
そして、北朝鮮がミサイルを飛ばす度に日本の軍事防衛予算が億単位で平気に膨らむ現在。
安倍内閣の閣僚議員達は小泉政権以来の「天下り利権」から「ファミリィー利権」に貪り
掴まろうと、メディアを使い、解り易い“お笑い芸人”までも巻き込み、
トランプ氏から与えられた「北アジア冷戦構造」という“シナリオ”を読み上げているだけ。
 これが現在の僕たちの国、「日本国」の政治事情とそこから生まれる経済事情の根幹。

 これでは、「あなたは日本人ですか?」と聞いてくれる外国人たち庶民は居ない。 

 このような現実を体験してしまった僕は、斜陽、硬直化してしまている現在の日本の
ファッション産業に対して何が問い掛けられるか?

 「ファッション・デザインによって、どのように、実産業を発展豊かにさせて行けるか?」
「デザインは遊びではない。”ファッションデザイナー・ゴッコ”で在ってはならない。」
 自分のブランドとは、持ち得た世界観を、文化度と美意識と倫理観そして、ヒューマニズムに
よって、それぞれの世界で確立展開させる責任所在のマーキングでしかない。
決して、”自己満足”の証しだけではない。
なぜならば、デザインとはやはり一つの”コミュニケーション・ツール”である。
自分のブランドで、どのような世界へコミットできるか?
自分のブランドで、自立自活出来るか?
そして、自分のブランドで何が社会へ還元出来るか?」

 世界のファッションピープル、多くのユダヤ人たちも既に、5、6年ほど前から
「JAPON」と「CHINOIS」の棲み分けは, 完了してしまっている。
ありがとう。
合掌:
文責/平川武治:

投稿者 : editor | 2017年12月18日 18:46 | comment and transrate this entry (0)

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改訂版/ THE PARIS & TOKYO FASHION-WEEK BRICOLAGE;

今回も、巴里ファッションウイークが終わり、
ファッショングルービー達もこの街の表層から姿を消し始めた頃、
僕は地中海の向こうのタンジェへ、三度目の旅立ちへ。
その紺碧の空とそこで戯れる風に委ねたいそして、異国語の飛び交う喧騒さの中に身を
浸したいという欲望と願望から訪れたタンジェはその期待に答えてくれた。
パリのコレクションが始まる少し前に亡くなったP.ベルジェ氏がパトローネだった
この街にはやはり似つかない佇まいの書店へも立ち寄って、特有のスノッブさを醸し出している男性と話を交わす。
「ピエールさんは去年の年末は、日本へ訪れて、「直島」で過ごされていたのですよ。」
この言葉を聴き僕はP.ベルジェ氏の“好奇心”に揺さぶられた。
http://http://www.librairie-des-colonnes.com/http://www.librairie-des-colonnes.com/

1)パリ・ファッションウイーク ‘18S/Sでは;
資本主義の肥大化と元では、「巨大資本がより、巨大化を占有するのみ。」
巴里の今回のファッションウイークはLVMHグループの企業戦略とその為の資金の使い方と
そして勿論、政治力を見せつけられた一面としての、新店舗ラッシュ。
ヴァンドーム広場の入口のゲランショップを横へずらして迄のLV店舗のオープン。
マレでは、とてもいい古い金属加工部品屋だったところの角地をKENZOショップに
この時期に合わせて変貌させた。
そんなシーズンのパリ・モードの風向きも分かり易い”ストリート & スポーツ”。
その風が”ストリートの吹き溜まり”をいずれ、もうすぐ作ってしまうのでしょうが、
それまでに何処が、どれだけ儲けるか? のシーズン。
トレンドアイテムが”ストリート”へなびいてるのですが、僕的な見方ではそのすぐ後ろに
”ドレス”が見えてきました。例えば、日本のセレクトでも、”ドレス”が動き始めていると言う。
”ストリート”に対局する世界がこれからじわじわと次なる”新しさ”へ、これが通常の
ファッションのトレンドの動きであるから驚かないでおこう。
ファッションビジネスの世界も“ビッグ・ビジネス”だけがより、“ビッグ・ビジネス”へと
邁進する方向性を見せたシーズン。
まずは、シャネルとディオール社の全面戦争が始まる兆し。
そのまえにYSL社との対決も踏まえた、その一つの現れが、コレクションウイークの初日に
YSLとDIORのビッグメゾンがコレクションを競い合った。
DIOR社は「フランスの文化資産」であるメゾン・ディオールのクチュール部門のすべてを
完全買収して手中に収めたその企業力と文化力とプライドを今後、実ビジネスにおいても、
売り上げでトップを取りたい勢いが始まったシーズン。YSLはP.ベルジェが死去したことから
今後の転換が迫られるであろう兆し。
元YSLのデザイナーはL.A.でCHANEL社との契約としての、M.カールがくれるお小遣いで
声がかかるのをアーティスト気取りで待っている状況のみ。
当然、若手のインデペンデントなデザイナーは苦戦シーズンが続く。
しかし、このような“豊かさ”を持ち得てしまった社会では、どの様に自分たちのブランド・
アイデンティティをプロパガンダするかも至難の技になってしまった。掛かる経費の問題で
あり、新たなクリエーションとは?の両面の向かい風を受けてしまっているからだ。
そこには新しいクリエーションは見られず、ミレニアム世代が知らなかった90年代の始まりの
バブル期前後の時代が経済的に豊かだったころへのオマージュとノスタルジアへ
流れるしかない貧困さも。
従って、モードの世界も成熟期を迎えた頃のクリエーションからのバリエーションと、
ここ数シーズン来のトレンド、“スポーツ & ストリート”のラグジュアリィー版が
継続トレンドのメインだった。まだ、多くの若いデザイナーたちはVETMONTを見習って
“2匹目のドジョウ”を探し求めるが、、、、、、
商人はその勘が鋭い。オリジナルとしての“vintage”がまた、新たな表世界へ。
日本人ファッション人間たちの“ご利益スポット”のトップである”メルシー”のロビーでは、
ディスプレーが“VINTAGE”フェアー。特に、パリでは“アメリカン・ヴィンテージ”がウケる。
新しい顧客としての黒人社会での高額所得者とそこから降りてくるミレニアム世代たちへの
影響を読み込んだ“ラグジュアリィー・スポー ツ & ストリート”は強くやはり、
その解り易さがウリ。
今シーズンは新たなトレンドはオケージョンを提案したクラシカルな気分を呼び込もうとした
ロマンティックでポエティックなドレス、ワンピースが登場。

この時代の気分を見事な発想とユーモアで観るものもその仕掛が判らないほどの
コレクションをリヴァーシブルな世界で堂々と謳い上げたのがUNDER COVER、高橋盾の
コレクション,”JANUS”。“ここまで凝るか?”と言う彼らしい世界は日本生産でしか出来ない
世界でもあり、ユーモアとアイロニィー溢れたチャーミングなシーズンだった。
もう一つ、彼、U.C.のコレクションはショーで見せるものは全て展示会に出し、受注をとる。
これもこのデザイナーの実直さと心意気を感じるので僕は好きである。
https://www.sz-mag.com/news/2017/09/undercover-ss18-womens-paris/

 カレンダー外のデザイナー達の自由と好奇心を愉しむまでのインスタレーションの幾つかに
勢いを見ることができ、嬉しかったシーズンだった。
彼ら達の中で僕が素晴らしいと感じ選んだのが、「ANDRE WOLKER、NOIR/二宮慧それに、
ANDRA DUMITRASCU」を挙げる。
https://www.nytimes.com/2017/10/05/fashion/andre-walker-paris-fashion-week.html http://www.dumitrascu.de
 ANDRE WOLKERは80年代、自分のパリで発表したコレクションを復元した。
見事な時代の読みとパラドックスと遊びが現代という時代性を捉えたクールなコレクション。
彼のコレクションは着まわしコレクションであり、安全ピンをデザインしたドレスピン一つで
いかようにも着こなしが可能という世界。
 今回はDSMから締め出されて、新たにイタリーの工場エージェントがついての発表。
彼のスマートさとセンスの良さと思い切りとエレガンスに徹した美意識を買う。
僕もこの彼のコレクションを80年代にレアで見たことを思い出し余計に嬉しくなった。
使っていたシューズもいい!!彼も”ゴールド・シューズ”を出した。

 CdG・チルドレンの一人、NOIR/二宮慧は変わらず、優等生である。
彼の”レゴ・ジェネレーション”特有の発想はすでに認められたがその内容とまとめかた
そして、時代感としての「軽く、強い。」のこなしかたと見せ方と、そのバランス感が
時代の空気感を表現している。このデザイナーにはファンが既に、生まれて居るが
彼らたちバイヤーも買って着たくなる服を作っている。
この”レゴ・ジェネレーション”ではもう一人、日本人でパリ・クチュールに参加して居る
”YUIMA・NAKAZATO"も僕は好きで注目している。彼も遅まきながら、今回、新人奨励賞を
貰ったようでうれしい限り。
彼らたちの世界には共通する今後の一つの新しさとしての“WITHOUT SEWING”の彼方が
想像できる。
 彼らの特徴は、素材をまずは”3D"のパーツ化をし、そのパーツにPCで可能な装飾を施す。
それをボディに構築してゆくという処方と美意識に委ねた世界はレゴ・ブロックで育った世代の発想であろう。
 
ANDRA DUMITRASCUはベルリンに住みセレクトショップも経営している30代デザイナー。
ヴィエナのクンストを卒業し、当時先生だった、V.ブランキーノに彼女の卒コレが見事に
パクられてしまったという逸話を持っている自由人デザイナーである。
前回はパリにある”ラブホ”を借り切ってのインスタレーション。
今回はポンピドゥーセンター前でのインスタだった筈が当日急遽、駄目を出されて、
近くのメトロの駅をモデルがチケを買って入ってショーイングという自由な発想で、
これまた人騒がせなコレクションを行なったが、その内容は新しさと自由さが満杯の
メンズ&ウイメンズコレクションだった。
選び使った素材が新しい、タクティックな感触をオーバーバランスとフリルで楽しませた。
ここでもアンビギュゥティなコンセプトと遊びと愛が溢れたクールなコレクション。
”愛”をモード化したデザイナーは今までも少なかったが、それだけで今の時代感と空気感を
センスとユーモアで良く醸し出した。なかなか頭もいい、センスも良い、スキルもあり
美意識が高いデザイナーの一人です。
(今回、久しぶりでやはりイタリーの工場エージェントがついてインスタレーションを
行なった、”W. & J."が彼女の素材感を一部パクっていた。同じヴィエナ出身だからであろうか?)
 もし、次回もこの3人のデザイナーがコレクションをやるならば是非、美的&知的好奇心を
持って、彼らたちが提案してくれるクールな”時代の空気感”や”時代の気分”を感じ見て欲しい。
 彼らたちのコレクションは全てが”ウエアラブル・コレクション”であり、それらは決して、
”アーチスト”気分でお友だち世界でデザインしていない、強さとオリジナリティある王道観が
逞しい。そして、彼らたちはみんな、「フランス人」ではないのが楽しい。

ビジネス面で見れば、少しその活動が落ち着いた市場である。
“ロシア”への再度なるアプローチが今後の営業不振を救うとしているが、そのロシアも
自国のデザイナーやファッション企業が進化したことによって今までのように
外国人ブランドへの興味が薄らいだのが事実であり、それだけロシアン・マーケットが
厳しくなって来た。
この状況は少し前からの“中国”のファッション・マーケットの進化と良く似ている。
その証拠にロシア人デザイナーのコレクションもこのパリのウイークでは増え始めている。
もう一つ、このパリの「モードのショーケース」たる所以の“サロン”は数は増えるが
入場者数は増えないという現実のパイが見え始め来場者数は減少ばかりの状況で、現状維持が
精一杯の苦戦。
ここに来て、従来のこの街のファッションウイーク本来の業務内容を変更しなければならない
機を迎え始めたと読む関係者も生まれる。その原因はやはり、「E.C./e-コマース」の進化だ。
作り手と売り手の間に存在した「セールス・エージェント」という構造が「E.C.」の普及と
進化によってその存在価値と利用価値が弱くなり始めたという時代性。

2) 20世紀と21世紀のファッションビジネスの違いとは?その“新しさ”とは?;
ーーー「E-コマース」という新しさをもう一度考えてみる。
何気に“仕事”を”自己満“でこなしている当事者たちは、案外この違いを熟知していないか、
感じていないだろう。
 もう、“川上”や“川下”の世界ではあるまい。この視点は未だ、東京を見ていると
恐ろしい位にこの視線がそれなりのファッション人間達からちらつき哀れさを感じてしまう。
 ’97年以降、 PCの確立で変貌したファッション産業。一つはクリエーションにおいて、
もう一つはビジネス。この両方を認識して21世紀型のファッション産業を再考&再構造化する
必要が現在の様にかつて、”アパレル”と言われた日本のファッション産業界には必然である。
 モノつくりは「新たらしい”過去”へ」流れ始めるしかない。
そのためには、PCによって自分たちの”嘗ての杵ずか”である「アーカイヴス & パターン」の
再構築化のための“整理と分類とマニアル化”であろう。
 もう一つのビジネスにおいての手法は”e-コマース”という新たな技法が 加わった事によって
そのトレンドとしての服の見え方、見せ方が変わり結果、売れるものと売れ方が変化した事に
気づき、新たな”営業手法”として管理と監修を行いここでもマニュアル化が必要になる。
 この変化が今後どのように変貌してゆくか? ここがこの低迷化するだけの日本の
ファッション産業復活の為の“ヨミ処”であろう。
 では、この現時点で、新たな”e-コマース”というビジネス手法はどのような、
儲けるための都合良い構造改革が今後考えられるか?
或いは、新たな”e-コマース”でどれだけファッションが”トキメキ”を与えられるか?
 現在の”e-コマース”の構造は日本においてはそのほとんどが「zozotown」に依存集中している構造でしかない。この構造では”エージェント・フィー”が発生する構造となんら変わりがない。
  例えば、個々のブランドが”e-コマース”のアプリ利用によって独自の”e-”営業が可能な
システムを考え構造化することも有りであろう。新たなPCを使った営業方式が定着すれば、
新たな”作り方”と”見せ方”が可能になる。ここにまたこのファッションの世界の
「自由な発想と新しさ」がウリになるであろう。
ファッションによる”トキメキ”とは何らかの”新しさ+好奇心=自由な発想”という公式から
生まれるものでしか無いからだ。
 例えば、ファッションショーと”e-コマース”だけで今後のファッションビジネスが可能か?
「イメージング+話題性+コーディネーティング+着まわし+素早さ+トキメキ+リーズナブル=
”e-コマース” というまでの極端な見方はどうだろうか?
 ここでは「“ショー“という動画配信」というカテゴリーで考えられる”e-コマース”への
新しさとその付加価値を顧客へどのようなサービスとおもてなしで行なって行くか?
この場合当然、”e-コマース”に都合の良いモノつくりとショーの在り方とメディ アの対応、
などのパッケージ・ビジネス的な発想は必然になる。

3)東京ファッションウイークを全く新しい眼差しで考える。;
 ーーー世界の主要消費都市ではすでに、21都市で行われている”ファッション・
ウイーク”。

 気がつき、考えなければならないことはそれら各都市で行われている
ファッション・ウイークの”手法と価値観”が全て同じ構造で行われていると言う事である。
ここには、この世界の連中だけが儲けられる構造が仕込まれてしまっているからである。
このワールドスタンダードになってしまった”ファッション・ウイーク構造”そのものを
都市が持つ差異をもっと自由な発想と新しさで取り組むことを提案しよう。

 例えば、今シーズンの東コレでは、年商売上400億円ほどのブランドが参加した。
それが、”G・W”。きっと、過去最大の売り上げブランドが参加したことになった。
このG.W.のショーは時代のキーワード「軽く、強い」を上手くまとめ、アンビギュティな
イメージングと共に、爽やかさが溢れたコレクションを見せた。
https://www.instagram.com/p/BahD9XKF17i/
実はこのコレクションをまとめたのは文化卒業後、パリのスタジオ・ベルソー卒業その後、
19年間パリに住み、クリエーター J.コロナの元でアシスタントを務めていた経験者だった。
 世間では、“東京コレクション”とはファッション・クリエーションを競い合う機会と
一つの環境であると言う古い見解がまだ 残っている。
 これは、前述の「ファッション川上・川下」論と同じく、単なるアナログ発想でしかない。
従って、参加デザイナーたちにはクリエーションがある、あるいはクリアティビティな
コレクショ ンをする作家やアーチスト達という古い、表層的なる理解の元、無知なる
思い込みと希薄な職業意識のもとで誤解されて行われて来たことが長過ぎたのではないか。
これによって、結果、多くの勘違いをしたファッションデザイナー像を捏造してしまい、
「大いなる自己満足」タイプのアート・コンプレックス症候群デザイナー誕生の根拠に
なってしまった。
では、このようなタイプのデザイナーのブランドの売り上げがどれ位あるのか?
ジャーナリスト達は本人に聞く勇気も持っていない。これだけのショーをやるのだから、
これぐらいの売り上げがあって当然、という視点と読みが皆無であるのが変わらぬ、
東コレ・ジャーナリズムの弱点。この現実はショー後のインタビューでも理解できる。
彼らたちが聞くこととは「コンセプトはなんですか?」から始まるというアナログ発想。
多くのブランドは10年ほど東コレを続けているのに年商2億円程度の”ノラリクラリブランド”
言ってしまえば、”未熟児ブランド”が多い。そんな彼らたちはOEMやSPA等の”バイト“慣れで
この綱渡りをこなしているに過ぎない。
このような現実の裏側が”枯れ木の賑わい”を見せ、メディアも便乗しての“ファッション・
デザイナーゴッコ”を年2回、行政+スポンサー企業の援助金を使って遊んでいる状況は
ここ20年以上、変わっていない。これが”東京コレクション”の自体と現実でしかない。
ここには低迷する日本のファッション・アパレル産業をどのように発展させ担って行くか?
の使命感は全く感じられない。

4)「現代における「ファッションクリエーション”とは
或いは、前衛とは何だろうか?」

ーーーなぜ、ファッション・ディレクターが活躍するのか?
僕の経験からの判断では、すでに20年前にはその兆しが見え始めて、
10年前の2007年からは完全にファッションにおける“全く新しいクリエーションあるいは、
クリアティビティ”は消滅してしまっている。この時期とは、たとえば、ブランド、M.M.M.が
ディーゼル社に売却した時期でもある。
この原因は生活者の“生活のリアリティ”が豊かになったこととジェンダー以後、
時代の最前線で生き抜く“新たな女性像”が見えにくくなってしまったことが考えられる。
変って、ファッション・クリエティビティとは、“時代の空気感”あるいは、“時代の気分”を
表現するレベルのクリエイティビティとイメージングの世界でしかなくなった。
結果、今までのような”コンセプト“頼りの形骸的な造形服はファッション学生の課題向け。
そこで”アーカイヴのブリコラージュ“と言う“古くい新しさ”という手法が生まれた。
では、またこの時代における“前衛”とは?なんであろうか?
この世界も作り手たちが現実、どのような社会環境で生活しているか?を問う事で
その答えも明白である。
“豊かさ”を享受し、“安心、安全、快適”を求めた「安心のファシズム」に無条件に
自由を委ねた、そんなリアリティの元での「アヴァンギャルド」は所詮“前衛ゴッコ”、
例えば、“PUNK”は”PUNKY”というここでも「時代の空気感」でしかないのが現代であろう。
“現代アーチスト”が生み出す作品もこの、「時代の空気観」あるいは、「時代の気分観」が
まず、ロジックなコンセプトにまとめ上げられている必要がある世界でしかない。
そこで、ファッションクリエティビティとは、それぞれの時代の“空気感”あるいは、
“時代の気分”をどのように表現するかまたは、”人間の皮膚感覚”にどのような新しさ或いは、
感覚そのものが投じられるか?が特徴となるのが現代社会における「ファッション・
クリエーション或いはクリエティビティ」だと言える。
若くは、その為にどの様な素材を選びまとめるか?がこの世界である。
この世界觀が従来のような形骸的な造形服よりも着ることがトキメキを与えてくれる服
或いは、安心させてくれる世界がプライオリティを取り始めた。
ここでも”20世紀”と”21世紀”の違いを読み込まなければならない。
人間的なる五感の世界から見ると、「聴視覚の時代」が20世紀だったとすれば、
21世紀は「触覚の時代」が始まった。皮膚と素材の「タクティックな関係性」である。
しかし、ここに一つの「時代のパラドックス」がある。
それはITの世界、e-コマースの世界はやはり、仮想な世界でしかない。
したがって、ここではこの21世紀の新たな関係性である「タクティックな関係性」が不在。
ゆえに、現実の服に求められるものが自ずと違って来た。
そこで”アーカイヴのブリコラージュ“と言う“過去があたらしさの根幹”という発想と手法が
生まれ、時代の「タクティックな関係性」を素材感に頼ることも大切な現代の時代感である。
このような時代には何を、「オプションするか?」が全てを決定する。
そのための感覚と教養とスキルと人間性がファッション・クリエーションにも、最も必需な
根幹が現代です。

 もう一つ今、僕が評価できるいいコレクションあるいは、いいデザイナーとはを敢えて
いい放すと、
「先ず、どの時代の、誰の、どのアーカイヴを選び出すか? そのセンスの良さを判断します。
次に、大切なことはその選び出したアーカイヴ・アイテムにどのような素材を選出し、
当てがうか? そして、場合によってはこの選んだ素材にどのような“後加工”を施すか?
この感覚と感度がそして、スキルがいまの時代には一番重要でしょう。
 ここが“現代ファッション・クリエーター”としての見せ所と決めどころでしょう。
後は、コレクションとして、”時代の気分や空気感”をどのようなバランスでまとめているか?
アイテム、コーディネート、分量、色彩、プリントそして、イメージングと、そこにやはり、
ファッションデザインの世界ですから”ウエアラブルな服”という基本要因は必然です。
これらを見せていただいたショーから判断して「良かった或いは、ダメだった。」を言う。
 このそれぞれのバランス感が「時代の気分」あるいは「時代の空気感」を生み出し、
現代の創造性となります。実際にここまで考え、まとめ上げられるデザイナーあるいは、
コレクションはやはり素晴らしいく、かなりの才能と経験と美意識と文化力がないと独りでは
到底、出来ないことです。
 なのでここに”ファッショ ン・ディレクター“と言う役割があるいは、”アトリエ・チーム”の
存在価値が生まれ、高まり現代には大切なポジションになっています。

更なる今後、ファッションにおけるクリエティビティを自由な好奇心で求めるなら、
一つの方向性は、「WITHOUT SEWING」。レゴ・ゼネレーションたちが競い合う
新しいモードの世界。
これを代表している優等生が“NOIR/NINOMIYA”や“YUIMA NAKASATO”,ここでも世界へ
この独自性を発信し始めているのはI.V.ホッテンと共に日本人デザイナーたちです。
もう一つの世界は、「コスチューム」という発想でまとめられる世界でしょう。
最初から”アート”を意識した輩たちの服作りとここが大いなる違いの根幹です。
元々のクチュール思想とは顧客という人間がトキメキと共に装身するもの。
即ち、「時代のコスチューム」を優れた職人たちの手仕事で仕立て上げ、
その時代の手仕事としての”技“にトキメキを感じ、粋に着る世界だったのです。
「コスチューム」には3つのカテゴリィーが有ります。
ヒストリカル・コスチューム、フォークロア・コスチュームそして、ステージ・コスチューム。
今ファッションが向かい合っているのは、「現代という時代のステージコスチューム」。
「ヒストリカル・C.+フォークロア/C.+ユニフォーム」と言う足し算がコンテキストの世界。 
このようなコンテキストは新しいトキメキを創造することでしょう。
この眼差しは実際にそれなりの人たちは感じ始めていますね。
ロッテルダムで催されていた「POWER MASK」展という展覧会もこの流れを証明したもの。
ここには”ノマド“や”プリミティブ“或いは、”エキゾティズム”というボキャブラリィが
そして、装いたい人間の最後の砦、「顔」をラッピングすることが生み出す
新しい“装い/粧ひ”のトキメキとクールさが見え始めています。

5)もう一度僕たちの足元、東京ファッション・ウイークへまなざしを、;
ーーーファッション・アパレル産業を救いたいファッション・ウイークなのだろうか?
このような時代性ですから当然、東京コレクション自体も変革しなければなりません。
しかし、残念ながら現在のこの東京コレクション関係者たちの時代認識においてはこの発想は
未だ、感じていないでしょう。そして、日本のファッショ ンメディア自体も遅れています。
「売れている服にはクリエーションがない。」と言う時代遅れな視点。
今の時代におけるファッションクリエーションとはなんでしょうか?
自己満足な、着ずらい形骸的な服がアートして、クリエーショ ンというファッションに対する
思い込みはもう終わっていますね。この世界は売ることを去勢した”自己満足の自慰行為”で
実際の社会のリアリティにコミットしたくない世界で漂っているだけ。
従って、この世界に漂って居る輩たちは同じ傷を舐め合うが如く、自称”アーチスト”擬きで
世間にデザイナーぶって居る、”お友だち、みんな集まれ!”、
彼らたちの求める自由とは、「安心のファッシズム」共同体の自由探しでしかなく、
決して、それが産業や社会に繋がる或いは、コミットするまでの”デザインの価値”行為でも
無く又、トキメキ迄の“カッコよさ”ではないのです。
 かつての、”TD-6”を誕生させ日本のデザイナーファッションの世界を支えた先輩、
レジェント・デザイナーたち、菊池武夫や当時の川久保玲たちの”志し”は決して、
「自己満足」の世界で漂わず、堂々と”マーケット・パワー”を最優先したことによって
それぞれがその後の”志し”の高さと努力によって、今の立ち居場所をものにしたのです。
   
 そして、時代は既に21世紀も17年です。今回の東コレへの幾つかのSPA系の参加は
”マーケット・パワー”を基盤に、新たな顧客のためへの新しい眼差しを提案した行為と
取れるでしょう。
ここには”コレクション”=”クリエーション”という公式はなく、ショー自体を全く違った
コンテンツで機能させ、社会化させるという、即ち、今後の「ファッションアパレル産業」の
実ビジネスを再興するための手段の一つ「“ショー“という動画配信」も今後のこの世界の根幹。
実社会へ自立したくない、頭デッカチな未熟児デザイナーたちのショーイングだけの
デザイナー観や「壁紙デザイナー」の服作りは“ダサく”、「枯れ木の山の賑わい」。
 彼らたちのレベルでは現実の日本のファッション産業の振興と発展と彼らたち自身の“継続”に
どれだけパワーフルなミッションと「高き”志し”」を持っているのだろうか?
合掌:
文責/ひらかわたけじ:まだとれぬ、時差ボケとともに鎌倉にて。

投稿者 : editor | 2017年10月13日 15:19 | comment and transrate this entry (0)

article(98)

今後、読めるパリモードと日本の「御三家」の今後とは?−1。

「今シーズン或いは今後、予想されるパリモードのメディアの騒ぎ具合とはを
幾つか予測しよう。」

 プロローグ;
 この街のモードもかなり、ポリテカルなシーンへ入ってきました。
”ファッション・ゲットー”にもイミグレーターたち、彼らたちのミレニアムジェネレーションが
格好のサクセスストーリーを求めてまた、ゲットーの白人たちも彼らたちを新興富裕層としても
受け入れなくてはならない状況に立たされてしまっています。
 この現実の先取りの一つが、ロンドンヴォーグの新・編集長、エドワード・エニンフルの
起用がこの状況をうまく受けましたね。

 日本ではそれなりの効果があったのでしょうか、
鳴り物入りでのN.Y.メトロポリタン美術館での憧れの(?)展覧会によって、この企業も、
日本生まれパリ育ちそして、”ユダヤ・ブランド”として今後の継続が約束され堂々と、
世界ブランドとして溶解されて、認知されてゆくのでしょう。このパリでも、プレタポルテ出身
ブランドが生き残れる条件は非常に厳しく、今までではS.リキエルぐらいでしょう。
しかし、このブランドでさえ今は中国資本によって存続されているのですから、
日本人としては、喜ぶべきことあるいは、嬉しいことなのでしょうか?

 そして、この川久保玲のN.Y.の展覧会を他の「御三家デザイナー」たちは
どのような眼差しで見、自分たちの今後をどのように模索(?)したのであろうか?
 このCdG、川久保玲の選んだ今後、それはいつか”世代交代”しなければならない時を
迎える、自らが設立し、君臨し続けたこの「コムデギャルソンというファッシズム体制」
から消滅しなければならない宿命に対しての”営業的、ユダヤ的セレモニー”の一つでしか
ないという「ご苦労様でした。あとは、僕たちが引き受けますよ。」という読み方が僕の
生意気な視点です。
 では、先の展覧会の読み方、認識が、他の「御三家デザイナー」と称されてきた、
三宅一生、山本耀司はどのように自らの今後の現実を読んでいるのだろうか?
 彼らたちさえ、もうすでに”老齢年金”を貰える世代なのである。
彼らたち、戦後の日本のファッションデザイナービジネスを盛り上げ世界へ認知させる
過大な役割を担った”企業”としての今後はどのように存続が可能なのか?
 どこかのユダヤ企業が介在するのか、あるいは、自社で現状維持、日銭を稼ぐ企業で
自己満足するだけなのであろうか?
 そろそろ、この視点で今後の日本におけるファッションデザイナービジネスとその在り方、
構造を考える必要があろう。
 しかし、残念ながら日本のファッションジャーナリズムはこの視点での役割認識が皆無、
変わらず”業界紙”クオリティで”御用聞き”でしかないのが現状ですね。

 もう一つ、パリの昨今は、”シャネルへ殴りこみを仕掛けるディオール”という構造が
メディア化する今後でしょう。
 企業売上では未だに、シャネル社がトップを走っています。その後をいつも追随して来た
のがデイオール社でした。そこで、フランスの文化の一つである"C.DIOR”ブランドの全てを
やっと、究極のクチュールメゾンも手中にしたM.アルノーは意気揚々、この時期が到来と
ばかりにシャネル社へ挑戦を仕掛ける時期と読んでいますね。
 その現実が今行われている”DIOR”展。これは、素晴らしい見事な展覧会です。
パリを訪れる目的の一つになるまでのファッションに関心のある人たちは必見の展覧会です。
ここにはこの国、フランスの文化が、”そのテイストと匂いとエレガンスと雅”が漂っています。
やはり、歴史という積み重ねられた”エレガンス”が違いますね。

 その1ー老舗”Chanel”への殴り込み劇とは?; 
 あのカール伯父さんこと、K.ラガーフェルド氏の引退劇であろう。
まず、いつ出来るのであろうか?本当に、可能なのであろうか?
次は、ではその後釜には誰が?この二つの大きな問題があるが、後継者としての
”ファッション・ディレクター”はもうすでに、決まっている。
それよりも問題は誰がいつ、彼のためにレッド-カーペットを引いてあげられるか? である。
勿論、これには彼本人のご意見が左右することで時間が費やされているのだが、そろそろ
その時間にも期限がやって来そうである。
もう一つの問題は殆ど、大丈夫である。
カールおじいさんがレッド-カーペットを歩くその後ろには変らず、ゲイ叔父様方にウケが
いい、あのエディ・スリマンくん、彼がはにかんだ笑顔で佇んでいるであろう。
この現実が訪れる前にもう一つのメディアを騒がせる事件は、ムッシュー・アルノー一家の
出入りであろう。彼はラグジュアリィブランドの世界で名実共に、頂上に立ちたいのである。
フランスの奢侈文化を代表するまでの”メゾン・C.DIOR”を全て買収完了してしまったこの
実業家が目的とするところは今度は実ビジネスであり、もう一方の老舗一家を打ち倒すこと
である。
現実のパリモードの売り上げ順位を見ると、今だに、老舗”Chanel”がブランド売り上げで
1位に君臨している。これはM.アルノー一家にとっては目の上のタンコブである。
この名実共の老舗ブランド”CHANEL”をターゲットとして、どのように打ち落とすかの
タイミングが彼ら達にとっては”今 !” なのである。
何故、今なのかとは、その偉大さをモード美術館でお披露目している”大DIOR”展の立派さと
凄さはすでに、メディアと世間で実証済みでありまた、あたらしいDIORのデザイナーのウケは
メディアも顧客にも頗る良く、売り上げも伸びているのでその勢いをもって、宿敵”CHANEL”
一家との世代交代劇に付け込む事であると読まれた作戦だろう。
また、E.マクロンが大統領になったこともポリテカルに幸いしている。
ここで、“CHANEL”の新・ファッション・アートディレクター、エディ君はあらたな使命
として来春ぐらいには(?)今までこのメゾンになかった新ブランド”CHANEL・HOMME”を
打ち立てて彼ら達を迎え撃つ事であろう。
今回は”フレンチ・エレガンス”を知らなかった、ラフ君とは違ってメディとしては申し分のない
エディ君の輝きと自由さが新しいモードの状況を誕生させるためのシナリオの一端が担える、
話題性に事欠けない状況と読んで目論んでこれからの賑わいが起こる。
 これが海の向こうのパリでこれからファッションメディアが騒ぐことの読み方、
その1である。(続く、)
文責/ 平川武治: 巴里市ピクパス大通り。


投稿者 : editor | 2017年09月28日 17:31 | comment and transrate this entry (0)

greeting(41), lepli(4)

Message de condoléances à la M.Pierre Berge,

 ”Merci beaucoup de m'avoir invité à de nombreuses choses magnifiques depuis longtemps.
 Je visiterai la "Librairie des Colonnes" de Tanger.
Une bonne réunion avec lui、、、、、、、”

 Y.S.L.が亡くなった時の彼、P.ベルジェの言葉でした。
 「彼を失い深い喪失感にかられています 、
皆さんも同じ気持ちでしょう。

 今朝新聞で今までにあったことを読んだと思います
アーティストの死とはいつもこういう風なものなのです。
彼がいかに大切だったかを振り返り
失うことがどれほどの痛手かを知るのです。

 ココシャネルは彼を後継者と見なしていました。
シャネルは女性に自由を与え
イヴサンローランは女性に力を与えました
男性服を女性服に転換することで女性に力を与えたのです

 イヴサンローランと今のデザイナーを比べることはできません。
才能のあるデザイナーがいないと言っている訳ではないです
才能ある人はたくさんいますし
すばらしい人が現れ成功することを期待しています
でも誰も彼と同じことができる人はいないのです
引退の日彼は自ら幕を下ろしたのです。
一つのファッション とりわけオートクチュールの幕を、」
 
 ベルジェさん、安らかな眠りへ。
合掌。

 またひとつ昨日、悲報を知りました。
巴里のモード否、世界のモードにとっても大いに、悲しい現実です。
これからのモードの世界には、新たな支える柱が必要に迫られます。
 が、シャネルを唯一のビジネス・ターゲットにしているディオール軍団の猛攻撃によって、
エディを巻き込んで、全面戦争が始まるのみです。
 でもこれは、YSLの時代には無かった、
取るに足らない、ただのヴァニティなビジネス戦争でしかありません。
これがこれからのモードの世界なのでしょう。
鎌倉にて:
文責/平川武治。


投稿者 : editor | 2017年09月09日 13:46 | comment and transrate this entry (0)

article(98)

廻り回って来た、今日という「終戦記念日」に、

今日は72回目の「終戦記念日」です。
 先月、7月7日に国連本部で開かれていた核兵器禁止条約制定が賛成129カ国の多数決で
制定されました。
 今回は「核兵器を完全に除去する」必要性を強調し、広島、長崎の被爆者の訴えを汲み取り
「核兵器使用の被爆者と核実験の被害者の受け入れがたい苦しみと被害に留意する」との
文言も盛り込まれましたが、唯一の被爆当事国である僕たちの政府、安倍内閣はここでも、
気骨なき”二枚舌”を使って「アメリカの”核の傘”」に依存し、不参加。
 日本民族が持ち合わせていたはずの、こゝろの様である国を想い人民を念う「気概」や
「気骨」はいずこかへ。
 年々、僕たちはこのような記念日の前後にしか、もう、「戦争」を語る,知る機会が
無くなりつつあります。
 やはり先月、「日本の長い戦後」という1冊の本が出版されました。
副題が、「敗戦の記憶・トラウマはどう語り継がれているか?」
アメリカ在住の社会学者、橋本明子著、みすず書房発行です。

 どうか、大いなる、良心を持ってご一読をお勧めします。

 これからの子供達が豊かに、堂々と自慢できる国家、”世界の日本”という現実性はますます
ネガティフな方向性になってゆくことを思い考えそして、みなさん行為してください。
 どうか、お願い致します。
 黙祷。
ひらかわ:

投稿者 : editor | 2017年08月15日 05:36 | comment and transrate this entry (0)

greeting(41)

巴里土産、”僕的、”巴里の新しい出来事、”平成29年7月記。

 ”僕的、”巴里の新しい出来事、”

 DIOR展で見つけた言葉。
“TRUE LUXURY NEEDS GOOD MATERIALS & GOOD WORKMANSHIP.”
 
 コレットが閉店します。12月20日で終焉。
ここでも、”20年周期”が。
確か、2年ほど前に(?)台湾系企業がオーナーになったはずですね。
彼らたちが、持ちきれないほどのビジネスレベルだったのでしょうか?
まだ、サラたちファミリィーが持っていれば、これにしがみついていたでしょう。
お母ちゃんはサラのために、自分が持っていた”サンチェ系の既製服ブランド”を
7社ぐらい売却してやり始めたのですから。
きっと、自分たちは売却して得たお金と、サラたちの顧問契約で
のらりくらり営業になったのでは?
一度、調べてみたいですね。
http://ja.colette.fr/?___store=ja&___from_store=ja

 時代は作り手の立ち居場所が変わったように、
ディストリビューターのあり方にも変化が必要な時代性。
もう、”DSM”も古くなってしまった商業形態でしかない。
自社ブランドと競合ユダヤ・ブランドとのリトマス試験紙あるいは、”振り屋”構造。
”世界の豊かさ”たちはどこで、どんな買い物をしたいのか?

 「ボンマルシェ」の創始者たちの言葉が思い出されます。
「3つのサーヴィス+もう一つ、」
そして、「新しい酒は、新しい革袋に」が再び、必要な時代性。
これは世界レベルで必需事項なり。

 日本でも、デパート、セレクトそしてAEON,駅ビル系から、
次なる新しいディストリビューターのあり方が必然になってきた時代性ですね。
ここで、どのようなバランスで、e-コマースとの構成比を考えるか?
例えば、”しまむら”も売り上げが落ち始める。
ここはe-コマースの比率が低いから早く落ち始めたのでしょう。
デパートにおんぶに抱っこアパレル・ブランドが消滅化。
セレクトは今では”SPA型”ビジネスで売り上げを取り、
”セレクト”とは名ばかりの落ちぶれ方。
AEONにしがみついているSPA型も今後がない。
e-コマースの比率をどのように堅持し、伸ばせるかが生き残りポイント。
新たの時代の気分を感じさせる「ファッション・ディズニーランド」か、
「ストリート・ラグジュアリィー」という名の「ロコ・ファッション」や
「コス・プレ」の世界。
そして、「ブラック・ラグジュアリィー」のみが
今後のあらたなファッションシーンを生み出せる時代の美意識。

 元マルタンの社長、ジェニィーさんも先日亡くなられましたね。
早すぎました。
南イタリィーのバ-リ、M.M.M.を売却して購入した別荘で。
彼女もファッションが大好きな人でした。
ブリュッセルで営んでいたブティック2件を売却してマーチンと”夢”を共有した彼女。
僕をいい距離から見てくださってた人でした。
「タケは今度生まれてくるときは”デザイナー”だろ!!」と言われた言葉を思い出し、
「いや、デザイナーにはなりません。」と返事した。
 黙祷。

 モード美術館、ガリエラのキューレーターをしていた、オリビエくんが
ここを突然解雇されて、J.W.ウエストンヘ再就職したそうです。
今、ブルーデル美術館でいい「バレンシャガア展」をキューレーションしたというのに、
残念です。
この展覧会は「バレンシャガア・ノアール展」。
知的なコンテンツがこの美術館のブルーデルの彫刻作品と対比されて展示されている
素晴らしい知的展覧会。
もともと、この美術館自体が小さなフレンチガーデンがあり、美しく、
大きな紫陽花が印象的。
このクチュリェの針の動きとブルーデルの人間の肉体の塊、マッスの捉え方との対比が
素晴らしい。
オリビエ自身が会場構成とセノグラフィーを担当したのも良い。
黒に拘った白の使い方、彼の繊細で知的な神経がこの展覧会の全てをまとめ上げている。
クチュールの美しさとは、作品を着た女性の表情と佇まいのバランスであろう。
それらをどのように見て貰いたいか?また、魅せたいかに拘った
彼のバレンシャガアヘのリスペクトと恋こゝろがこの展覧会への想いの全て。
当然ですが、始まったばかりのDIOR展とはその展覧会の趣旨と目的が大いに違うために
この差異は経験できない好奇心を味わせてくれた。
数年前に彼、オリビエがCdGの展覧会を白でまとめて魅せてくれたことを思い出す。
パリのモード・インテリとしては申し分のない人材だったのに、今回の再就職は残念である。
もう少し、これも調べて見たい。
http://www.bourdelle.paris.fr/fr

 DIOR展はすごくお金がかかった展覧会。
“TRUE LUXURY NEEDS GOOD MATERIALS & GOOD WORKMANSHIP."
”DIOR王国”とはこれぞ!!をこれ見よがしにまとめてやり始めた。
この裏には、アルノー氏がやっと、この”クチュールDIOR”メゾンの買収に成功し、
今まではプレタと化粧品だけであったが、この中枢のメゾンを手中にしたことによっての
ある意味、「文化は武器」というコンセプトを開け出した、
自分たちがこの王国を持っているのだぞ!と言わんばかりのプロパガンダ展。
でも、すごい!展示体数だけでもこれだけを展示された展覧会はない。
素人にもわかりやすく、誰もが、ノスタルジアを想い出させる展覧会である。
ディオール本人が一番凄い”クチュールとは!”の世界を作っている。
YSLのセンスがDIORのエレガンスを引き継いだ巧さは認められる。が、堂々さは感じられない。
アブラハムのプリントも彼の味方をした’70年始め。
うまくビジネスも繋げていたM.ボラン、彼が一番長くデザイナーをしていた。
イタリアン・エレガンスとフレンチ・エレガンスの差異が出せず苦労した学者的デザイナーJ.F.
フェレ。
自分の自由さを、自由の謳歌をこのメゾンで行った、唯一のジョンくん。
あの時には、その大胆さと繊細さが狂い始めてきていたのだろう。
ディオールとは違った意味での”魔術師”の才能を見せてくれるジョンくん。
一生懸命、”DIORエレガンス”を勉強して彼なりに頑張った、ストリート・クチュリェ ラフくん。
素材のオプションに面白さを見るが、これはT.TANAKAくんの仕事分野だっただろう。
ネオ・ヴァニティへの挑戦なのだろうか?あるいは、マーケットの入り口をより、広げるための
”FAMME OBJECTS”コレクション。
初めて委ねられた女性クチュリェ、マリア・グラツィア・キウリ。
それぞれの”DIOR”が一同に揃ったとにかく、必見すべき見事なキューレーションの展覧会。
パメラがキューレターで頑張った、展覧会としては素晴らしいものになっています。
ここで、パメラとオリビエに差が出来てしまったようです。
そして、多分、パリの展覧会で会場構成に”プロジェクト・マッピング”を使ったのは
この展覧会が初めてでしょう。
https://www.dior.com/couture/ja_jp/メゾン-dior/展示

 アントワープへ出かける。
あんなに通った街なのだが、その思いが砕かれてしまった鏡のような田舎町。
展覧会を見る。
やはり、パリの展覧会と比べてはいけない。
この街のどこに”エレガンス”があるのだろうか?それが、この展覧会にも見て取れる。
M.M.M.のオリジナル作品と、HERMES-M.M.M.の”SOUCE OF THE CREATIONS”の
面白さに、過去を思い出して微笑む。
嬉しいことにこれらのほとんどを僕は”レア”で見せて頂いてきた者、
M.M.がやって見たくなったという気持ちがわかるまでの”貧しさ”が発想の根幹でしかなかった
彼らたちのオリジナルコレクション。
ヴィンテージという名のオリジナルあるいはリアリティを見事に料理していたコレクション群。
HERMES-M.M.Mが持っているはずの”エレガンス”が展示予算の問題だけであろうか、
会場の雰囲気からは感じられなかった。
当時の状況を知らずに、彼らたちの作品だけをこうして見ると、
やはり、モードを学ぶ学生たちにはそれなりの新しさと、凄さを感じさせるまでの
展覧会である。
作られたものの説明が多く、その背景や時代感を感じさせる対比事項が弱いキューレーション。
https://www.momu.be

 LVMHアワードで特別賞をとった、N.Y.のkozaburoくんに会いました。
セントマから、TOMのところへ、そして独立。
なかなか、しっかりしたものつくりをしている精神性と美意識高い日本人でした。
今、TOMのところにいる福本ゆうくんと友達。なので、ゆうくんとも久しぶりの再会。
デザインをN.Y.で。ものつくりを日本で、ショールームをパリでという考えで
スタートし始めた彼。
今後の進展に興味あり。
ハンドクラフトとサイエンスクラフトのメチサージュ。
ハンドメイドクオリティとインダストリアルクオリティのバランスの良さが品よく仕立てられ
日本人には難しさである”エレガンス”があなたの美意識の高さによって
シンプルな美しさを構築されていました。
パリのモードの世界は”クチュールの世界”が根幹で成り立っています。
ですからこの街でのモードの究極の褒め言葉は”エレガンス”です。
どうしても、現代の日本人の美意識ではこの”エレガンス”が
間違った理解のされ方というよりは、身勝手な理解の上で表現されています。
”シンプルさ”で豪華な優美さをも表現できる世界なのですが、
”シンプルさ=貧弱さ”になってしまう分量のバランスさに問題があるのでしょう。
日本の”手仕事”の世界を生み出した美意識の多重構造”に自信と覚悟を持って
これから、ますます、お励みください。
ある意味で今の時代の”ヌーヴォー・ジャポニズム”です。
https://www.kozaburo.com

 Yプロジェクトがフランスの文化庁主催のAndamアワードを取ったそうですね。
僕はあまり好きではないデザイナー。
創造性において、新しさが感じられない。
所詮、”ブリコラージュ ドゥ アーカイブス”の世界でのお利口さん。
時代の風向きが味方したのでしょう。
http://andam.fr

 YUIMAくんが今季もいいコレクションを行なった。
どの様に良いかといえば、
「わかりやすく、見事に美しい”自分世界”をプレゼンテーションした。」
会場で流されたA.V.も大変親切に製作されていたので、
余計に彼の”SORCE OF THE CREATIONS”が丸わかりこれはこれで成功だろう。
が、僕が毎シーズン彼へ進言している「意匠登録」/COPYLIGHT」の申請が
まだなされていない。
この様な世界は、自分の思想的なこと以外ではやはり、自分の才能は自分で
守らなければならないだろう。
あの一生のプリーツでさえ、意匠登録を獲った為に彼の企業が救われたのであるから。
僕は唯馬くんは見事な「レゴ世代」を代表している、新しいクリエーターであると、
リスペクトして今後の彼の進化に興味を持っている。
彼がやっていることは見事に、世界に先駆けた発想で世界のモードに挑戦している
日本発の若者の一人であるからだ。
同じような海外で勉強してきました集団組とは大いに、一線が引けるまでの
志の高さを持っているから嬉しい。
http://www.yuimanakazato.com

 この街の新しさとしての”AFRICAN INFERENCE”。
じわじわと、過去へ戻ってゆこうとするパリ。
ケ・ブランディ美術館の「ピカソとアフリカンマスク展」
LVMH美術館での「アフリカンアート展」
それにラ・ヴィレットでの「ジャマイカ・レゲエ展」
僕は今シーズンのコレクションに現れてくると予測していた「AFRICAN LUXURY」
この兆しがこのような展覧会となってすでにこの街をあの時代へワープ。
1911年来、アフリカのプリミティフな世界がこのパリへ染み込み始める。
それらの”滲み”を新しさと感じられる世代たちの登場。
街のイミグレーターたちも第3世代へ。
豊かさを感じ始めるまでの、おしゃれとしての「ロコ・ファッション」が増え始めたこのパリ。
我が、CdG H.P.のコレクションが、まさに、”AFRICAN INFERENCE”そのもの。
海外のバイヤー達が言い始めた、
「このイメージングはロンドンチームがまとめたものだよね。」
アフリカの伊達男達、”サプール”と、ロンドンのストリーターズ達のイメージング・コラボ。
こんなクールなイメイジングは、流石!!CdG H.P.
あるいは、’68年に誕生した、R.ハミルトンの作品に現れた”POP”に見られる
アフリカンプリントの使い方。
そう、今シーズンのラギッドなトレンドとはこの”AFRICAN INFERENCE”。
そして、「AFRICAN LUXURY」あるいは、「BLACK LUXURY」が
これからのクールなトレンド。
http://www.quaibranly.fr/fr/
http://www.fondationlouisvuitton.fr/
http://www.citedelamusique.fr/francais/
合掌。
文責/平川武治:

投稿者 : editor | 2017年07月13日 08:25 | comment and transrate this entry (0)