discipline(1)

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whims article, greeting and "Le Pli" info by spectator's Take.
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投稿者 : take.Hirakawa | 2002年10月16日 23:04 |

web site "Le Pli" is information and archives of guerrilla report Le Pli on TOKYO collection.

greeting(16)

『三伏の候、お見舞いを申し上げます。ご興味を持たれた方はこのサイトをご参照ください。』


投稿者 : editor | 2010年08月22日 14:06 | comment and transrate this entry (0)

lepli(6)

三鷹天命反転住宅にて開かれる講演会のお知らせ。

 先ず、僕自身に取ってとても嬉しいことなのですが、
「荒川修作+マドリンーギンズにより建てられた三鷹天命反転住宅」で行われる講演会へ呼んで頂きました。
小石祐介君始め、関係者のみなさま、ありがとうございます。

 僕は20世紀も終わったころでしたか、ある年の正月、珍しく日本に居た時だったのです。
その数年前に、あの、荒川修作さんが現在このような事をなさっているという事をあるDVDで知り、
大いに関心を掻立てられていたので青春18切符を買っての旅へ、目指した所は『養老天命反転地』
一泊を岐阜で取り、翌日養老線で目的地へ向かうが、生憎この日は早朝からの大雪でした。
予想どうり、目的地は大雪の積雪の為、閉門。
大袈裟なことを考えると、この日の為に巴里から帰って来たのだ、だから、どうしても!!というこゝろの流行りが収まらず。柵を乗り越えての暴挙に出る。
 このようなエピソードを持っている者にとっての今回のお呼びはとてもしあわせ感を感じるのです。
与えられたテーマは『にんげんをつくる』です。
ホモ-エクセレンスを考える?その為の環境としての『原始住居』
或いは、自然を始めとするあらゆるモノとの関係性の目覚め。

 ご興味の在る方は是非!!
この機会にこの”化け物”にも関われ、語れるエピソードが持てます。

 ファッションが好きな人たちももう、イメージにのみ頼っていては唯、ボケるだけ。
”エピソードを持つ”事によって語り合える迄の関係性が生まれる時代性です。
”身体拡張”ここには、モードが絡む一つの世界があります。
イメージに因りどこるだけでは”身体拡張”は語ることはできません。


8月22日の日曜日、13時より。
詳細はサイトをご参照ください。
http://www.architectural-body.com/mitaka/news/archives/2010/08/82126.html

 帰国後間もないこの会です、時差ボケが酷いですが、感謝を素敵な時間にし皆さんと共有出来ればしあわせです。
ありがとう。

投稿者 : editor | 2010年08月20日 18:03 | comment and transrate this entry (0)

greeting(16)

「生まれて半歳の平川武治が体験した終戦日とは、 その時の祖母は、母は?」

 今日,8月15日になるといつもこの事を憶い、考えてしまうのです。
ここが、平川武治即ち僕が、自分の存在を認められるのか認められないのかのカオス。

 今年の残暑の異常ですね、お見舞い申し上げます。

 ———へんな天候、へんな行為、へんな存在、へんな社会、へんなこゝろ使い、へんなヒューマニズム、へんなお洒落、へんな男、へんな女そして、へんな人間たちに気が付く事が日常的になってしまった最近の僕の周辺と環境。
 日本人本来の美しさへのこゝろの在り方や想い方やその優美さの根源は何処ヘ忘れてしまったのだろうか?———

 これは僕がここ、25年間の持ち得た生活環境が日本と外国とを約2ヶ月毎に行き来しているという中途半端な現実も手伝って見える僕の極めて個人的なる眼差しでしょう。
しかし、この僕の視点で,自分のボキャブラリーとして表現すると、帰って来る毎に同意される人たちが増えています。

 これが今の僕たちの住んでる國の、へんな時代ですね。
みんな、”へんな”で括れてしまえる”へんな日本”の現実です。

 ”なぜ、へんなのか?”を考える前に、
「”へん”とはなにか?」って考えたり、思ったりした事がありますか?

『へん-偏』とは 偏っている事ですね。
ちょうわ、『調和』『バランス』が成されていないこと、
考えられていないこと、取れていないこと、無いことに尽きます。
そして、何のための、何との、『調和』かも考えられていないからでしょう。

『不自然さのさま』の事ですね。
そう、「自然」でない事なのです。

 ここに、日本民族の”こゝろの在り方と置きどころ”が在ります。

僕たち、日本人は知らぬ間に、いつも、何かあれば理由無く、
それこそ、自然な思いつきと行為によって、
『自然』を中心軸としたバランスの取り方をし続けて来た民族なのです。

 日本民族のこゝろのバランサーは『自然』なのです。
近くの池や川、海や山、雑木林、拾い上げる小石、道端の花、虫、鳥、
土そして、日と月。
生とし生きるものが自然。
天の、天地の恵みを享けて初めて育まれたものが『自然。』
その”自然の恵み”によって生かされて来た僕たちとご先祖さまたち。

 この『自然』が変化した事、変化させられてしまった事によって、
僕たちの『こゝろのバランサー』が”へん”になってしまったのです。

 戦後の、この65年間での現実的な価値は
『金』と『モノ』でしたね。
自然を愛おしむこゝろや他者を想い敬い合う
こゝろの在り方では無かった事は確かでしょう。

 『貧しかったからでした。』が出発点だったからです。

だから、このような『自然』そのものが変化し、
僕たちのこゝろのバランサーを歪にしてしまった
『へんな』國になってしまったのです。

[たとえば、考えられる今様図式/
『金』+『モノ』+『驕り』=LUXURY=VANITY=KITSCH=『へんな』
これは全くのファッションの世界ですね。それが、いつの間にか、??????]

 戦後も65年が経てば、
一つは、勤勉で真面目な僕たちはがんばって、
少しは、豊かさを味わい始めました。

もう一つは、
戦後に敗戦國だからという理由だけで押し付けられた
アメリカ合衆国という国家の”エゴ”が
そして、後ろでこの国家を動かしている集団が
又、その小間使いをさせられ,
番犬宜しく飼いならされてしまっている一部の日本人たちの、
彼らたちの「本心」が
どのようなレベルの
どんな目的の
誰たちの為の、
”エゴ”だったのかが解り始めて来ましたね。

解らない人は成熟してください。)
 
そんな、彼らたちの”エゴ”が唯一的、正論的に、
今後も続けば、
どのような環境になるか、どのような地球になってしまうのかも
そして、『自然』がどのように”へん”になるかも、
もう、僕たち自心で想像がつくようになりました。

これも戦後65年の彼らたちの”エゴ”のお陰でしょう。
学ばせて頂きました。
ありがとうございました。

 
 だから、もう『アメリカ印の日本』を卒業して
『日本印の日本』を再生し始める時期に来てしまったのです。

もう、アメリカの表層事をいっぱい喋る事が恥ずかしい時代になりましたね。
それよりも僕たちが僕たちの国を想うこゝろを伝えあう事の方が
気概を感じる迄の時代が始まります。
そういう時代を迎えませんか?
  
 みなさんも『へんな』ことに、
いっぱいの『へんな』事に気が付き始めたのですから。

 『気が付けば、知ってしまえば、それに対して何が出来るか?
何をしなければならないか?』

”成熟する”という事は
この行為の為に学び、努力を持って
自心で誠意ある行為をする事ですね。

これ以上、
”へんな”ことが当たり前にならない前に
『へんな國』にならないうちに!
気概ある真こゝろを携えて
自心の成熟を。

ありがとう。
平成二十二年八月十五日/65回目の終戦記念日に。
ひらかわたけはる:
(この続きが在ります。ご興味の在る方は、サイト内をお探しください。)

投稿者 : editor | 2010年08月20日 17:32 | comment and transrate this entry (0)

article(56)

『共棲資本主義』/参考資料:『分かち合いの為のデザイン』『分かち合い工学』を考える為に。平川武治版:

共棲資本主義/参考資料:2010年08月03日現在:

*J.アタリ/ "FRATERNITES"『反グローバリズム』/彩流社刊/ '09-6-20
*「分かち合い」の経済学 (岩波新書): 神野 直彦:
*『地域再生の経済学──豊かさを問い直す』(中公新書、2002年)
*『「希望の島」への改革──分権型社会をつくる』(NHK出版、2001年)
*『人間回復の経済学』(岩波新書、2002年)
*『教育再生の条件──経済学的考察』(岩波書店、2007年)
*[エコロジカル経済学の諸原理』/"Elements of Ecological Economics"
/ Routlede/2010-5-03/ISBN-1-:041547380 / ISBN-13:978-0415473811/Ralf Eriksson & Jan Otto Andersson
*宇沢 弘文教授/旭硝子財団-ブループラネット賞/’09年度受賞
http://www.af-info.or.jp/blueplanet/doc/lect/2009lect-j-uzawa.pdf
*セルジュ・ラトゥーシュ/"decroissance"(脱成長、縮退)理論の提唱者。
*セルジュ・ラトゥーシュの論文(日本語で読めるもの)
『経済成長なき社会発展は可能か?〈脱成長〉と〈ポスト開発〉経済学』(中野佳裕訳、作品社、2010年7月)
「生活水準」(『脱「開発」の時代――現代社会を解読するキーワード辞典』晶文社、1996年)
「収縮社会のために」(『世界』2004年2月号、岩波書店)
*サイト掲載/
「開発の自文化中心主義に抗して」
http://www.inclusivedemocracy.org/journal/vol3/vol3_no1_Latouche_degrowth.htm
 『経済成長よ、さらば』/"decroissance"(脱成長、縮退)
http://www.diplo.jp/articles09/0908-4.html
http://www.diplo.jp/articles04/0411-4.html
"Would the West actually be happier with less? The World Downscaled", Le Monde diplomatique (December 2003).
http://www.hartford-hwp.com/archives/27/081.html
"Why Less Should Be So Much More: Degrowth Economics", Le Monde diplomatique (December 2004).
http://www.mindfully.org/Reform/2004/Degrowth-Economics-Latouche17nov04.htm
"Can democracy solve all problems?", The International Journal of Inclusive Democracy, Vol.1, No. 3 (May 2005).
http://www.inclusivedemocracy.org/journal/vol1/vol1_no3_latouche.htm
"How do we learn to want less? The globe downshifted", Le Monde diplomatique (January 2006).
http://mondediplo.com/2006/01/13degrowth?var_recherche=Serge+Latouche
"De-growth: an electoral stake?" The International Journal of Inclusive Democracy Vol. 3, No. 1 (January 2007).
http://www.inclusivedemocracy.org/journal/vol3/vol3_no1_Latouche_degrowth.htm

ブログ『フィンランド発、持続可能な世界への転換』
http://www.ymparistojakehitys.fi/sustainable_societies.html
オランダのエコ団体。
http://www.eco-efficiency-conf.org/content/2010.challenge.shtml
ブログ『さて何処ヘ行きかう風が吹く』/
http://blogs.yahoo.co.jp/tessai2005/
ブログ『東大環境学が解る-丸山真人』
http://www.sanshiro.ne.jp/activity/99/k02/interview/maruyama.htm

ハンスイムラーという経済学者の「経済学は自然をどうとらえてきたか」という本で彼がいっている言葉です。
結局、環境問題あるいは自然の危機というのは人間の生命の危機であるということなのですが、
「生態系の危機の本質的な内実は物証的な自然が危機にさらされているということではなく、
人間の本性が危険にさらされているということである」

環境三四郎
東大の環境を考える会:http://www.sanshiro.ne.jp/
上野の住民のブログ:http://blogs.yahoo.co.jp/romanticnao/24933603.html
文責/平川武治:

投稿者 : editor | 2010年08月04日 10:16 | comment and transrate this entry (0)

article(56)

初夏からの巴里にて、モードの街の新たな環境と強かさ。

プロローグ/東京が持っている温度差とは】
 現在の東京はPOP=大衆消費社会の大きな固まりが泡沫化し始めた時代性。
この東京の現実はこの街、巴里とでもかなりの温度差がある、世界に類を見ない進化(?)の現実である。
 誰でもが、何でも作り得られる時代のリアリテ(現実性)の消費社会化とPC及び、モバイル,デジタルカメラと
その周辺機器の高度なる発達とその利用の一般、日常化によって、”パーソナルメディア化”が始り、
現実をより、細分化し、バーチャルイメージを一般化しはじめたのが現在でしょう。
もう、『micro-POP』から『カオスPOP』迄の現実。
しかし、そのコンテンツは極めて保守的なるサンプリングでしかないのが現実。 
 唯、消費社会の構造そのものは、極度に発達し、あらゆるルールがカオス的な状況をもたらした。
例えば、バイヤーがデザイナーであり、デザイナーがバイヤーで或る現実性。
そして、彼らたちが持ち得たパーソナルメディアに依って、消費者が直接的にディレクション出来るまでの
大衆消費社会構造のバーチャル-リアリティな泡沫化。 
 そこでの新たな登場人物の行為は『バーチャルなイメージ』を頼りに『エピソード』を求めている輩たちの様。
イメージは綻び、どれもが埃を被った状態へ。
バーチャルな世界を頼りに、『エピソード』を求め合う彼らたちは何処を彷徨っているのだろう。
此処でも、終わりを知らぬ消費行動そのものが自発性の暴露である。

では、巴里の街は?】 
 保守化の進展或は倦怠はいつまで続く?
社会全体が閉塞感に浸りはじめる。この「窓」を開けるのは誰か?
早くも、より物質的な豊かさを生活に求め始めたイミグレーター(移民居住者)たちで構成された
新-大衆がこの閉塞感を打ち破れるのか?
―――彼らたちによる、新-中産階級の構造化が進む巴里。
 消費文化そのものが消費財。―ミュージアムショップ的なるが全盛。
例えば、L.V.やエルメスなどのラグジュアリー系は自分たちのマークつき商品群を
嘗てのファッション、アクセサリーと靴バッグから時計、石ものジュエリーと香水とコスメから
陶器、オブジェ類や書籍に迄に延ばしはじめたラグジュアリィー-ミュージアムショップ系へと。
既に,消費そのものが大衆娯楽化し始めた。―アウトレット、eコマース、バーチャルマーケットのより、
一般化とリクレーション化。
 そして、この街のファッション消費者たちも所謂、『新-大衆化』ヘの進展。
その一つは新たな大衆としてのイミグレーターたち、もう一つの新たな消費者たちとはジュニア層である。
彼等たちにとっては社会へのメッセージもまた,物質化し,消費財になリ、気概消費へも。
―ECO,BIO,オーガニック,コミュニティ等。
 先ずは、登場人物を作り、その彼らたちへ『豊かさ』という味が付けられた”餌”を投げ込む仕掛けはいつの時代にも変わらない商業主義の世界の成せる技。

 やはり、世界的不況】
 この状況を被ってか、オムコレクションの今シーズンのバイヤーたちはおとなしい。
新たなデザイナーたちを買うまでには行かず、今までのデザイナーたちの並びを揃える程度の動きであった。
だから、サロンも今シーズンも比較的おとなしいシーズン。
『明日を楽しむため』に昨日のことで充分?な時代観。
明日を楽しむ為に、”昨日”の事ばかりでも、もうしょうがない閉塞感の時代に。
現在の巴里の消費の進展を見ている限り、嘗ての日本の消費社会の6、7年前の現実が今後の巴里。
 
 新たな動きとしてのディフュージョンブーム到来?】
 この街のモードも、所謂、「セカンダリーマーケット」を狙いはじめる。
その対称は、先程の『新-大衆』、イミグレーターたちのジュニアと中流階級者たちのジュニアたち。
従って、ターゲットとしては年齢層の低い、15~18歳が中心であろう。
彼女たちをMDした低価格帯の、彼女たちが着易い、着たくなるデザインとアイテム。
そして、デニムラインとのコーディネートファッションによるディフュージョンデザイナーブランド戦略が始る。
勿論、バッグやシューズも揃っています。
日本にも興ったことのあるプレタポルテデザイナーブランドのセカンドライン版のスタートだ。
 新たに行われた「PARIS FASHION DAYS」/主催は巴里プレタポルテ協会。
この背景には当然乍ら、デザイナーモノの匂い&イメージ+低価格+生産背景=新たな消費者へのアプローチ。
という図式が見える。
此処で今回の参加デザイナーたちを見ると、生産背景がイタリーにあること。
従って、その工場が新たな戦略として巴里と組みこのセコンダリーマーケットを開拓しはじめる。
若しくは、アンヴァレリー.Aのように巴里の若手デザイナーであり、ニュークチュールもこなし、
プレタもやりそして、今回、このセコンダリーに参加という組は
或る意味でこの街のモードの優等生に選ばれたデザイナー。
なぜならば、優等生たちの幾度かのサンディカと伴に中国訪問の結果であるからだ。
 今回の参加デザイナーはA.Fバンデボルスト(イタリー工場)/Ann v. Hash(中国生産)/
Vivian Westwood(イタリー工場)とイタリーからの3ブランドが巴里上陸。
 解り易い構造であるがこれを新たなデザイナーブランドマーケットへ参入させる強引さが
この街にしてみれば新しく面白い。
これが今後、どの様に順調よく成熟したマーケットへ伸びるか、又は、サンディカが文句を言いはじめるか?
巴里のジャーナリストの友人は、「シブヤ系、109系と一緒よ!!」と自慢げに。
 今までの”2階立て構造”が今後、新たに”3階立て構造”へ進化する可能性は読める。
又は、プレタポルテデザイナーたちの”2階建て構造”化にも繋がる。
この一番ボトムのデフュージョンラインが売れれば、自分たちのオリジナルラインのコレクションが
作れる迄の構造が確立されれば、これは此の国のモードの21世紀化でもあろう。
 これも、或る意味では「H&M」効果と言える。
この街の「ファーストファッション」の誕生と共に、新たなイミグレーターたちを新-大衆とした
新しい消費構造がここに来てより、一般化したと言えるからだ。
 theglobalherald.com/fashion-paris-fashion-days-enjoys.../5004/ 他、
 
 変わらぬ中国への期待度】
 この街のモード-ビジネスの強かさは今も尚変わらず、やはり伝統とクチュールに因り処って売り込んでいるだけである。
「君の國のファッションデザイナーたち、皆さん僕の街、PARISでショーをやってみませか?」というM.ディデエ-グランバックの挨拶ともセールスとも区別のつかない例の笑顔によって今回も、中国へ見事に上陸。
彼らたちはカレンダーを調節するだけ。これは無料。でもこの無料から有が生じるユダヤ人ビジネス。
後は、中国政府招待による、若手デザイナーたちを引き連れてのプロパガンダとデモストレーション。
巴里の新しさをチラ、チラさせる。そして、お金のあるデザイナーたちを呼び込み
彼らのショーをスケジュール内でセッティング。(その為のプレスは妹(2e Beaurou)が引き受ける構造。)
そして、幾度かの訪中の後にはフランス人若手デザイナーたちの為の生産工場と素材工場と言う
彼らたちの新たなビジネスの為に必要なバックグラウンドの関係性が誕生。
これは、ある意味で未だ”植民地政策”と変わりない構造。
しかし、嘗ての日本もこの手によって現在の様な規模と進化のファッションビジネスが誕生し,
その約10年後には現在の様なファッション大国に成長したのである。
だから,この中国という大国もその実効果はやはり、インデペンデントな独自のビジネス展開迄には
10年は掛る可能性があろうか?
その間に此の国の”モードのショーケース”はより、確実に一つ一つ、自分たちのステージの上に引き寄せ、
今世紀の今後も、「クチュール致上主義」を展開してゆくのだ。
その展開の一つが先の『セコンダリーマーケット開発』でもあろう。
デザイナーブランドのイメージングさえ確りしていれば、
これからは「グローバリズム」という恰好のレッテルがあるから、
さあ、もう『MADE IN FRANCE』でなくとも『MADEIN CHINA』で良い時代性とレンジのレシピ。
そして、中国の後はインドを経て『AFRICA』か??

 新たな『夢』の為に】
 新学期が始った日本のファッション学校で生徒たちと接して、改めて驚き考えさせられた事があった。
それは彼らたちにはもうファッションに対する『夢』願望が少なくなってしまった世代である事を知ったのだ。
では夢でなく何かと言えば、もっとビジネス的、若しくは現実的なる『儲け』と『カッコ良さ』と
その『バニィティーさ』それに、好きなファッションが出来て、勤められるという迄のレベルのに変わったようだ。
それだけ、ファッションが彼ら世代にとっては当たり前のものになったのだろう。
 巴里におけるコレクションを見ても、トレンドはその後すぐにファーストファッションのショップで
又、アウトレットでもおかしくない、eコマースでも楽しめ、サイトのオークションでも、もっと安く手に入るという幾つかのメニューまでの現実性と遊戯性。
そして、コレクションは『過去を物語るボキャブラリィー』がそのデザインの殆ど。
新しさは『過去時計』を良く見ることから生まれる迄の保守とその閉塞感。
 そこで、僕はこの『夢』が消え始めたファッションの世界に『夢』を再びと念い考えた結果が、
『テクノロジー』である。(この詳細は前回に書いたものです。)
その僕なりの眼差し『テクノロジー』をベースに今シーズンのオム-コレクションを見ると
それなりの読み方が見え始めた。

 コレクション-デザイナーに見た『テクノロジー』】
RAD HOURANI/昨年のイエール参加の新人デザイナー。アントワープ系。
コンセプトは然程、新しく無くなった所謂『ガンダム系』
フスナー使いに依っての幾通りに着こなすことが出来るタイプ。
素材はレザー中心に黒のみそして、今シーズンのトレンドとしての『ユニセックス』モノ。
頭のいいデザイナであろう。仕上がりの縫製テクニックが良い。
このデザイナーに営業的にやり手のお金大好きパートナーが付いたからこのようなスタートが出来た。
彼女も嘗ては、ヨウジの売り子だった女性。
巴里の前に、N.Y.で発表させるという手の内、強かである。

RICK OWENS/一生懸命若作りで今の時代の先端を引っぱているデザイナー。
或る意味で、嘗ての映画、『マッドーマックス』のテクノロジー版。
多分、一番先を勝手に走っているデザイナであろう。

ROMAIN KREMER/最近、此処数シーズンの彼の世界は共感出来る或る種の新しいさを感じる唯一人のデザイナー。
スポーツとプレタをミックスして彼が作る世界の独創性はノスタルジックな未来趣味がベース。
今シーズンも好奇心溢れるコレクションを。
いつも人とは違う事をしたい若手の独り。

CdG HP/このデザイナーもいつも人と違うことばかりを成し遂げて来た人。
この現実の彼女のパワーと好奇心と努力が此の国に彼女の立場を作り得た。
今回も、プリントの世界で日本の『プリント-テクノロジー』をオンパレード。
何をプリントしたかと言うと、『骸骨』。
これを意味ありげなコンセプトを作ってのジャーナリストへ発信。
変わらぬ、トレンドのフレーム内での”人がやらぬことを!”が続くメディア受け狙いなシーズン。
しかし、この凄さが、却って、此の国のデザイナーたちに受けるし、
これが新たなトレンドを呼ぶ迄のエゴであるからその発想と努力とその現実のテクノロジーの凄さには、
今の外国人デザイナーたちで列ぶ者が居ないのも現実。
”異端と異系”を継続することのみが僕たち、外国人デザイナーたちの自分自身を確立する為の最短方法であることを
この街へ来て20年足らずで学んだ唯一のデザイナー。
此処にも、彼女が信頼するしかない、日本の縫製技術は勿論、素材と素材加工技術と
プリント技術の強さをいつもコレクションで魅せてくれる唯一のデザイナー。
 例えば、今回のプリントコレクションは、
スクリーンプリント(顔料プリント)、インクジェットプリント、転写プリント
そして、柄の種類も踏まえ、生地の組み合わせは
スクリーンプリント=19種類、インクジェット、転写プリント=8種類に分けられます。
また、骸骨(スカル)柄の種類数
表地=12種、裏地=4種。 そして、表地の種類、柄の組み合わせで全部で25通り。
 お見事な算術で構成されたコレクションである。

RAF SIMONS/僕が好きな所は「RAF-IZM」的なる世界観を変わらず続けていることである。
或る種のフーチャーティックさと男の身勝手なロマンティックさそして、
男の役割としての”らしさ”や”臭さ”を求めているその彼の純なおとこ心に引かれるからである。
此処にも彼の眼の凄さと狙い目としても「日本の新素材」がある。
これからの新しさとしての『新-機械主義』的な動きは彼がいち早く感じ取っているのであろう。
此処で今後、彼のクリエーションでプラスされるべき事は、『勇気』である。
もっと、思い切った事を!!を望んでしまう。
 
 此処に上げた幾人かのデザイナーたち、古手、中堅、若手たちそして新人、彼等が率先して、
『アルティザン-テクノロジー』と『サイエンステクノロジー』の新たなバランス観で”21世紀モード”の
クリエーションを考える事は今後の若いモードを目指す若者たちへ『夢』そのものを与える事であろう。
ここに、新たな『新-機械主義』的な動きが始る。
 そして、予告的な発想では、次のファムコレクションにはこの「プリントモノ」がトレンドを生むであろう。
文責/平川武治:ST.-CLOUDにて: 

投稿者 : editor | 2010年08月04日 06:58 | comment and transrate this entry (0)

greeting(16)

お知らせー2/日仏シンポジウム:より良い共生が可能な社会を目指して、

もう一つ、このようなシンポジュームがあります。
日仏会館7月スケジュールより:
(http://www.mfj.gr.jp/agenda/2010/07/index_ja.php

[ 日仏シンポジウム ]
(同時通訳付き)
日時: 2010年07月10日(土) 9:00 - 17:30
場所: 1階ホール
シンポジウム開催案内[PDF]
プログラム[PDF]
発表者略歴・発表要旨[PDF]
7月スケジュールより:
(http://www.mfj.gr.jp/agenda/2010/07/index_ja.php

開会の言葉:
マルク・アンベール(日仏会館 UMIFRE 19 CNRS-MAEE)
発表者:
アラン・カイエ(パリ第10大学,Mauss,Pekea)
フロリアン・クルマス(ドイツ日本研究所)
ギルダ・ファレル(欧州評議会)
井上泰夫(名古屋市立大学)
勝俣 誠(明治学院大学)
草郷孝好(関西大学)
セルジュ・ラトゥーシュ(パリ第11大学名誉教授,Mauss,Pekea,Entropia)
丸山真人(東京大学)
中野佳裕(立命館大学)
西川 潤(早稲田大学)
ミシェル・ルノー(レンヌ大学)
サミュエル・ティリオン(欧州評議会)
パトリック・ヴィヴレ

主催:日仏会館
後援:フランス国立科学研究センター、欧州評議会、作品社、PEKEA、立命館大学
* 参加者限定の研究セミナー等を除き, 特に記載のない限り, 日仏会館フランス事務所主催の催しはすべて一般公開・入場無料です. ただし, 席数の都合でご入場いただけない場合もありますので, 予めご了承ください.参加申込はメールで(contact[の後に@mfj.gr.jp] まで)どうぞ.

日仏シンポジウム:より良い共生が可能な社会を目指して
[ 日仏シンポジウム ]

(同時通訳付き)
日時: 2010年07月11日(日) 9:00 - 18:00
場所: 1階ホール
シンポジウム開催案内[PDF]
プログラム[PDF]
発表者略歴・発表要旨[PDF]

発表者:
アラン・カイエ(パリ第10大学,Mauss,Pekea)
フロリアン・クルマス(ドイツ日本研究所)
ギルダ・ファレル(欧州評議会)
井上泰夫(名古屋市立大学)
勝俣 誠(明治学院大学)
草郷孝好(関西大学)
セルジュ・ラトゥーシュ(パリ第11大学名誉教授,Mauss,Pekea,Entropia)
丸山真人(東京大学)
中野佳裕(立命館大学)
西川 潤(早稲田大学)
ミシェル・ルノー(レンヌ大学)
サミュエル・ティリオン(欧州評議会)
パトリック・ヴィヴレ

主催:日仏会館
後援:フランス国立科学研究センター、欧州評議会、作品社、PEKEA、立命館大学
* 参加者限定の研究セミナー等を除き, 特に記載のない限り, 日仏会館フランス事務所主催の催しはすべて一般公開・入場無料です. ただし, 席数の都合でご入場いただけない場合もありますので, 予めご了承ください.参加申込はメールで(contact[の後に@mfj.gr.jp] まで)どうぞ.

投稿者 : editor | 2010年07月02日 20:16 | comment and transrate this entry (0)

article(56)

新たな僕のモードへの眼差し。そして、新たなファッションの『夢』への願い。

 最近、考えていた事、
そして、新たな僕の眼差し。

  或る意味でのこれからの時代における”新しさ”即ち、“差異”、
これは消費社会の必然的価値要素ですからね、洗濯機も掃除機も冷蔵庫も新たなテクノロジーに可能性がある分だけ
今後も、「新商品」が開発され、デザインが必要である。
例えば、最近のダイソン社の扇風機は凄いですね!!

 この新しさを考えた場合、
特に、このモードの世界では『テクノロジー』が今後の、唯一の大きな可能性ではないでしょうか?

 『テクノロジー』と『エステティック』それに『問題意識』。
それらを”本質”としての『自分の世界観』でもって、この三位一体の発想が極めて自分的そして、
人間的あれば”時代”が表現出来る。
時代に恩返しが出来る。ここで、”エゴ”に頼ってはいけません。

 ———そんな眼差しに今でも想いが残るのはもう1年前になってしまうのですが、
あのPITTI UOMOでのUNDER COVERのコレクションである。

 このような時代即ち、個人が持ち得たパーソナルメディアの結果、
我々の社会は『POPの泡沫化』でしかないのですから
個々のエゴは普遍化し当然ですが、類似化するしかないのです。
そして最後は消滅してしまう迄の現代。
ですから、ありきたりな人並みな生活現実とバーチャル体験から生まれる”エゴ”には
もう然程、創造性高きカオスは望めないでしょう。
ここで、”自分の自然体”への月謝が払われるか?責任感が?、という問題定義にも。
だから、このレベルでの”エゴ”と称されるものは只の”業”でしかない。
従って、純な”エゴ”を他者より多く例えば、200%出せばそれは社会へ届く可能性があるという事ですね。

 ここに『夢』の在り方と立場が、想いが。
それに何のために、何に、自らの”エゴ”を持ち出すか?が大切な自分の創造者としての責任と立場。
ここで、『テクノロジー』と『エステティック』それに『問題意識』、この三位一体のためにカオスとしての”エゴ”。

 此の様な時代性になってしまうと、
『テクノロジー』はヒューマニスティックなバランスを超えてしまっている。
『テクノロジー』を認めない、認めたくない人たちが
『良心的環境主義者』としてその自らの立場を肯定し始めている。
この場合の『テクノロジー』についての意識が、技術が思いが、
全くと言ってよい程、日本のファッション教育で遅れてしまっている。
従って当然、今の服を作る若い人たちに欠如していること。

 例えば、自分の『手』を信じられる迄に手を使って来たのか? 使いたいのか? 修練して来たのか?
も、一番解り易い自分自身が持ち得た『テクノロジー』の一つ。

 即ち、【ヒューマンテクノロジー】の世界、
それと解り易い【サイエンステクノロジー】の世界。
これらの調和ある融合が今後のモードをより、愉しく夢あるものへ導くであろう。

 ”自我”もテクノロジーの変容器官の一つ。
ファッションの場合の『テクノロジー』は
その殆どが”素材の開発”に委ねられ、目を向けられていますが、
本当は、服を作ると言う工程を分解すれば、
”縫う、編む、折る、切る、貼る、繋ぐ”などの
諸技術が必要になって造られるのが1着の”服”であるはず。
これらが変わらずに『ミシン』に委ねられて来た世界。

 もう一つ、着る”身体”にも『テクノロジー』は存在している。
身体の”構造機能、拡張機能、性機能ともしかしたら、こゝろにも”。
例えば、”テクノロジー”は資本主義が消えても、社会主義が消えても国家が無くなっても
残り動き続けて存在して行くものでしょう。

『身体』と『製品としての服』それに『素材』。
これらそれぞれに新たなテクノロジーと古いテクノロジーが
人間を想うこゝろで僕たちらしい新たな調和と融合の世界を。

 或る意味で『危機の時代』
すべての根拠が失われ始めた現代と言う「POPの泡沫化現象」状態で
新たなものを創ると言う行為を開始するとしたら
『テクノロジー』に懸け、委ねる事が新たなる勇気ある選択、
これこそが新しい時代を生む迄のエッポクメイキング足りうるでしょう。
ファッションの人たちに今欠如している眼差しの一つに
この『テクノロジー』への関わり方があるのではないだろうか?
どうしても、『素材』そのものの新しさに委ねてしまって
服を作る事の『本質』に考えなければならない
『テクノロジー』が欠如してしまっている。
新たな『テクノロジー』と新たな発想での『バランス-オブ-テクノロジー』が生まれなければ
所詮、ファッションはすべて、ここ1世紀を超えても未だ、”ミシン”と”アイロン”を使っての
『WRAPPING-PAPERE』/包装紙の領域。
そのコンセプトは変わらぬ”FAMME OBJECTS"と"HOMME OBJECTS"。
(最近のCdGを見ていても残念乍ら、これは感じてしまう)

 いろいろな『諸テクノロジー』とその新たな生活環境との調和を考えたバランス観が加われば、
この現在の閉鎖的なるファッションの世界にも可能性ある、豊穣なる世界観が誕生するのではないだろうか? 
そして、新たなる『夢』が生まれる。

 考えてみれば、
この発想による世界観は従来の日本人が最も得意とし,
発達させて来た分野では無かったのでは?
「パクれるものはパクって」
そこに自分たちだけの発想と発明のテクノロジーが使われていれば
それはもう、オリジナリティを持ち得る迄の現実に。
極論で言ってしまえば、
『ファッションにおける日本式ケイタイを創る』論理である。
ここが可能性あるスタート。

 こんな事を考え今シーズンのメンズコレクションを見ていました。
 
 この兆しは
確実に最近のメンズコレクションでも
着る身体を『ソフト-プロテクション』する側から
また、都市をバイクで徘徊するアウトドアーレジデンサーズへの
新しい視点でテクノロジーに挑戦し始めた若手たちがいる。
 RAD HOURANI:
 ROMAIN KREMER:
 visvim:

参考/
日本繊維機械学会:http://wwwsoc.nii.ac.jp/tmsj/japan/index.html
テクノ手芸ウエブ:http://www.techno-shugei.com/
Dashing Tweeds : http://www.dashingtweeds.co.uk/
Dr.Jenny Tillotson : http://www.smartsecondskin.com/main/
WearAbleTechnologies : http://www.loop.ph/bin/view/Openloop/ WearAbleTechnologies#NEW_developments
St.Martins College of Art & design : http://www.csm.arts.ac.uk/
Elisabeth de Senneville /art-couture : http://www.e2senneville.com/

UNDER COVER :
RAF SIMONS:

文責/平川武治:

投稿者 : editor | 2010年07月01日 20:40 | comment and transrate this entry (0)

lepli(6)

盛夏、巴里、ある友人への御礼。

 『自心で自心を豊かにする』と言う道元のことばが好きですが、
これにはいつも知的な人間的なる好奇心と責任が伴うでしょう。
旅をする事もその大いなる一つでしょうね。
 『豊かなる難民』化し始めている現実の日本。
もうそろそろ、『日本印の日本』を想うこゝろと國体を意識した時代を
皆さんの世代で築き上げる事をお考えください。

 その時、僕が思う日本らしさの大切な一つに『湿り』があります。
ここに美しさも、艶やかさもあります。
そして、僕たちの自然が存在し続けます。
帰国後、驚かれたあなたの肌の日本の湿気に想いを。

 僕は今、『分かち合いのデザイン』を考え念い込んでおります。
その根拠性は『共棲資本主義』。
国を念い分かち合う。
自然を慕い分かち合う。
そして、人間を想い分かち合う。
共に、自由なるクオリティオブテイストでみんなで寄り添って,
分かち合って生きて行ける様な
もう少し、こゝろと身体に穏やかな社会構造のためのデザイン観を。
男のエゴ、女のエゴだけのデザインはもう、20世紀でいいでしょう。

「明日をみんなで、愉しく幸せに生きたいね!!」
そんな明日のために
昨日の事ばかりを自らの自我で持って大口を叩いても
何も感動しなくなった、こゝろまでへも響かなくなって来た時代性。

 ヒューマンテクノロジーとサイエンステクノロジーの
僕たちらしい新たな調和の融合の世界を考える事も大切な現実。
モードの世界も
素材は勿論ですが、ミシン以外のテクノロジーでこれを考える余地があります。
多分、時代は少しずつこの方向へ動き始めています。

 僕たちは女であり男でありそして、人間なのだから
『人間』を可能性豊かに信じ敬うしかありません。
どうか、そのような人間を信じ敬い、自分の國を想うこゝろと共に
ご自愛とお励みを。
相安相忘:
盛夏、巴里にて。
文責/平川武治:

投稿者 : editor | 2010年07月01日 19:03 | comment and transrate this entry (0)

greeting(16)

decroissance(脱成長、縮退)理論の提唱者、セルジュ・ラトゥーシュ氏『穏やかな脱成長のための概論』/来日公演会があります。

 お元気でいらっしゃいますか?

僕は今、盛夏の真っただ中の巴里。
このような講演会があります。
でも、僕は今回は残念乍らいけません。
そこで、皆様へお知らせをいたします。
僕が提唱している『共棲資本主義』にも関係しているこの動きにご興味あるお方は是非、どうぞ!!
そして、『分かち合いのデザイン』がより、深く確実に想像されてくればうれしい次第ですね。

フランスの『ル・モンド・ディプロマティーク』日本語・電子版よりの転載です。
       http://www.diplo.jp/

 このサイトはジャーナリズムの本質を垣間見たい方にはおすすめサイトです。
どうしてなのでしょうか、このようなジャーナリズムが日本には育ちませんね。
『欲望消費』の世界のみでのジャーナリズムはいっぱいあり過ぎるのですが。
理性と気概を喚起させるまでのものが残念乍ら見当たらない。

-------------------------------- お知らせ ---------------------------------

・日本語版でも何度か御紹介した decroissance(脱成長、縮退)理論の提唱者、
 セルジュ・ラトゥーシュ氏が来日します。東京日仏会館にて公開の講演会とシン
 ポジウムがあります(http://www.mfj.gr.jp/agenda/2010/07/index_ja.php)。
 ほかにも講演会等が行われる模様ですが、詳細スケジュールや公開の是非等は、
 近日刊行の邦訳書の版元である作品社、または東京日仏会館にお問い合わせいた
 だければと存じます。

 関連記事:http://www.diplo.jp/articles09/0908-4.html
      http://www.diplo.jp/articles04/0411-4.html

投稿者 : editor | 2010年06月30日 22:47 | comment and transrate this entry (0)

article(56)

discipline会のご案内

"心地よい風と陽の戯れが爽やかさを
  今日の1日の感謝すべき、さりげない贈り物。”

こんにちは。
ご無沙汰をしていますが、みなさまお元気でご活躍のことでしょう。
久しぶりでいつもの『discipline会』をやりたくなりました。
お時間のある方、気に掛る人、好奇心ある方々、
どうか、ご一緒に考えてみませんか?
皆さんのご意見もお伺いしたいのです。

変わらぬ、のっぺらぼうな日本の『豊かな、難民たち』
パラサイトという言葉も埋没してしまった穏やかさ。
アナーキーやニヒリズムも退化した無情の輩たち。
一向に退化しない外国人コンプレックス。
バニティなモードの世界もより、おバカさんたちが。
久しぶりで3ヶ月近く居た日本は僕にはこのようでした。

『分かち合いのデザイン』というテーマで
新しい時代へのデザインが、
そこに携わる人たちが
何が出来るかを考えています。
『分かち合い工学』と言うデザイン-カテゴリイを本気で!!

その発端は昨年の1年から、
『Woodstock Rock Festival 40周年』と
西アフリカ、マリ共和国への旅。
そして、『共棲資本主義』という発想。

モードの人々の喪われている事の一つに『含羞』があります。
弄んでいる事の一つに『謙虚さ』があります。
そして、遅れている事の一つに
『テクノロジー』があります。
新しいテクノロジーは全てに新しい可能性をもたらします。
例えば、洗濯機や掃除機は
諸技術の発達によって未だ未だ、新しさが誕生し得ます。
ビジネスにも可能性が生まれます。
モードの世界は『テクノロジー』を素材により何処って居るだけの
変わらぬ『WRAPPING』バリエーション。
勿論、服を縫製する時点でのいろいろな『手法』も分解してみると多くの技術が介在します。
『ヒューマンテクノロジー』と『サイエンステクノロジー』の
考えられる新しきバランス化。
もう一方で、
着る人間の身体の『テクノロジー』も考えなければならない時代性が。
ここにしか、今後のモードにおける所謂、
『新しさ』は登場し得ないでしょう。

ここに僕は
『共棲資本主義』におけるデザインを考え
『分かち合い工学』を想い
『分かち合いのデザイン』を叫びたくなったのです。

みなさま、
『好奇心』を感じられたら、是非、ご一緒しませんか?

=============================================================

■日時: 6月17日(木) 18:30-21:30 

■ゲスト:

柴田ジュン/
アーティスト。97年渡独。
ドイツ、ベルリンにてアーティスト活動を開始、インスタレーションやパフォーマンスを中心とした作品を発表。
2003年帰国。国内外にて活動中。

三上善司/
2005年、江東区清澄白河に現代美術ギャラリー、ZENSHI を開廊。
2009年、千代田区神田岩本町に移転。
国内外経験や学歴は問わず、骨のある若手作家を中心に展覧会を企画・開催する。
東京都府中市のギャラリー、LOOP HOLE の共同ディレクターでもある。
http://zenshi.com


たくさんのご来場、ありがとうございました!

投稿者 : editor | 2010年06月08日 02:33 | comment and transrate this entry (0)

lepli(6)

在る友人への手紙。『物心一如』、『日本印の日本』の為に。

こんにちは  
異変の天候が続きました。
これも、何かの証しでしょう。
その予兆をどのように受け止められるかが生かされている人間としての智慧と理性と感情。
それらをどのように自分らしい行動へ結びつけられるかが責任と勇気と気概。
 より、肥大化して行く『大衆消費社会』構造そのものを今後、変革して行かなければ僕たちの仏教の言葉『物心一如』のバランスが崩壊してしまうでしょう。
あの、『遠州好み』と言われている日本美学の中にも『共棲』思想と『融合』思想が在りました。
 本当に、もう、『アメリカ印の日本』から『日本印の日本』の国体へ。
その根拠性は「個人のエゴ」から日本人が本来、持って生きていた「自然や他者との共棲」思想を再認識し、もっと生かして行こうと。そうすれば、人間味在る想いと行動が謙虚な真こゝろを持ち得るでしょう。

 もう、僕たちが持ち得ている自我を1%、セーブしませんか?

ここからスタートしてください。
このままで行けば、『日本』という国は国体無き国、愛国心薄き国家となって移民が増え、思想無き国体と民の国になってしまいます。
そして、『金権社会』構造のみが肥大化するだけでしょう、もう、既にそうなりつつありますが。
 既に、PCとケイタイ以後の現在では、『大衆消費社会』構造における儲ける方法、目立つ方法は無数に在りますしまた、なんでもありの時代性になってしまっています。そのレベルでのあれこれはもう、新しさや必然性や人間性を生む迄の新らしさへは至らないでしょう。
 かつての日本人豪商、紀伊国屋文左衛門が『不義して富まず。』と言っていましたね。こんな言葉も消えてしまった戦後の「アメリカ印の日本」。
 もっと、今の時代の「本質」として何を考えて行かなければ行けないかを、
『国体』を想うかを、若い世代の人たちへ投げかけて行く事しか僕は今、興味が在りません。
 僕のロジックの原点は物事の『本質』を出来るだけ学ぶ事。
物事にも深層と表層が在ります。
例えば、美しい形と塊に見えている氷山にもその水面下にはそれなりの塊が在っての事。そして、それぞれのバランスが美しさを形創ると言うこと。
見えている表層のみを理屈や他者の事例を持ち出してとやかく言っても、それはそれだけの世界。
本質を学ぶ為の、
本質を知る為の、
本質を行為する為の、
『謙虚心』と『好奇心』
そして、『勇気』と『責任感』を意識しての『気概』が持てる生き方を選んで欲しいと想うのです。
 人生の、生き方の『本質』を知って、持ってしまえば案外と物事は自分らしく、
ポジティフに堂々と生きて行けるのです!!
 造られ与えられた世界で生きて行く為の『マニュアル』人生はもう止めよう。
即ち『本質』と『表層』の関係性を自分らしい価値観と世界観で自分のバランス観を持つ、その自分のバランス観で物事に関わって行く事がこれからは大切な「個人の責任」になる時代性でもあるという事です。例えば、何の為にブログを書く?にも関わって来る時代性が。
 自分らしい価値観と自分の世界観を持ち得るには先ず、自分の内側を覗き込んで自分の内なる心象風景としての幼年期を見直してください。
 自分が何に夢中になって遊んでいたのか?どのような環境で育ったのか?などですね。2番目は、自分の美意識を持ってください。
自分の身近な環境から、自分なりの「文化の領域」を意識して探す事から始まるでしょう。3番目は、自分なりの問題意識を持ってください。
自分の生きている現代とその社会で起き上がっている諸問題に対して関心を持ち、好奇心を豊かに巡らしてください。例えば、将来への不安や絶望がもし、在るならそれを自分の美意識で表現してください。
 右手に“美意識”、左手に“問題意識”そして、こゝろに自分の”世界観”をもって創作エネルギィを産み出してください。
 そこに『三方良し』の想いが行為の本質になればその結果は堂々と自分の世界で生きて行くことが出来るでしょう。
『三方良し』とは江戸時代から多くの豪商たちを輩出した近江商人と呼ばれた人たち彼らの、”商人哲学”です。三方とは、”自分良し”、”相手良し”そして、”社会良し”の三者良しという事です。自分だけが良かっても、自分たちが良かっても駄目だという発想ですね。最後は、社会の為になろうよね、というこゝろの置き所です。
 そんなとき、『共棲資本主義』は一つの想い、日本人として持っていたはずの真こゝろであり、可能性だと信じれば例えば、ここ数年前から僕の眼差しとして提言している、ファッションデザイナーにしても『May I help you?』の真こゝろが必要になるはずです。
  日本のモノ、西洋のモノ、東洋のモノそして、新しいモノ、古いモノ、
自然と環境、民衆のものと作家のものそして、自分と他者など等。物質的な豊かな生活を持ち得た『豊かなる難民』たちが意識しなければならない新たな責任としての『バランス感覚』でしょう。
今の時代現象、エコ運動やリ-メイク製作などにもこの新たなバランス観は必要、不可欠でしょう。
繰り返しますが、だから、自分のエゴを1%をセーブしてください。

 『物心一如』
新たな時代への、新たな責任としての日本人のバランス観。

少しでもいいですから、
僕たちのこれからの日本、理想の『日本印の日本』を考え、想い、学んで行こうとしている
若者たちに元気付けられれば僕の役割です。

"Keep on touch,Please. And, May I help you?"
ありがとう。
ひらかわ:

投稿者 : editor | 2010年05月10日 22:21 | comment and transrate this entry (0)

lepli(6)

ひらかわの”東コレ’10/'11A/W 批評-1”『例えば、Anrealageはおもろい、』を例に、;

 "Anrealageはおもろい、ちょっと、他のデザイナーと違って
頭を使った展開をしていたデザイナーというレベル。"

 彼の何かやりたい、脅かせたいの好奇心強気のデザインが
今の東京では稀なので貴重だった事。
だから、「おもろかった!!」のレベル。

 しかし、もうそろそろ、それだけのデザインから”内側”を考えた、
即ち、本質を見極めるためのデザインへレベルアップして欲しい。
きつい事を言えば、やはり、表層のデザイン。

 ジャコメッティ迄の延長線が引けないのは無論であるが、
彼がそのジャコメッティのあの”歩く男”が史上最高値でオークションで落札された事が
頭にあったのか? そこに発端が在ったのか? 
なかったであろう。(間違っていれば、失礼。)
 思い起すと彼の数シーズンのものつくりのアイディアはかなり、表層的は形態論的でしかない。
彼にとってのファッションとは、或は服を作るとは、なんなのだろうか?が究極の疑問と浅さと古さ。
所詮は、変わり種の"WRAPPING"コンセプトでしかない。
"PROTECTION"でもなく"CARE/CURE"にも届かない古さでがんばったもの。

 しかし、今の様な大半の東京コレクションのデザイナーたちが、
"Big Mouth!"と"Presuming fellow!!”そして、”自己マン”レベルなので
彼のあの好奇心溢れる創作エネルギィーは面白いし好感が持てた。

 もし、君が彼の作った服に興味を持ったのなら、感動した(?)のなら、
会場で、彼の展示物としての服を1点でも着てみましたか?
 服は着て見せるもの、見てもらうものそして、着て生活行為をしてもらうものですよね!!


**
 そう、20世紀の始りに”FAMME OBJECTS" から始まり、
’80年代に来てやっと、“HOMME OBJECTS"が加わり,
それらのための“WRAPPING"がモードの本質であり根拠性。
これは現在も継続しているモードの本質です。
 しかし、身体の変わらぬ不変な形態構造によって
その"WRAPPING"における”新しさ”の造形的創造に限界の翳りが見え出した。
’97年以降はその"WRAPPING"というグランドコンセプトから
当時の”第3次世界戦争”的なる中東紛争による時代観や社会状況
そして、生活環境の変化によっての虚無感、絶望感、不安感から
モードの世界も只の"WRAPPING"だけでは物足らなくなりはじめ、
"PROTECT/PROTECTION"というコンセプトが強く求められる。
 時にはハードに、時にはソフトに、身体をこゝろをそして性を
プロテクトする迄のコンセプトがモードの新たな役割となり
現在迄、引き継がれているのが現実。
これは、業界が発表する各シーズンのトレンドの中にもこれらが顕著に読める。
 
 同じ時期に、服以外でも世界の多くの若者たちは身体の変わらぬ形態構造を
自らが”身体改造”と”身体装飾”へと、エステ、筋トレ、整形、プチ整形
それに、Tattoo,Bolt,ピアスからヘヤーやネイル迄に積極的なる改造と装飾の行動を始める。

 そして、もう一方では変わらぬ"WRAPPING"をコンセプトにするデザイナーたちは
せめてもの表層として、"Wrapping Paper"よろしく素材へ趣きを置き換える。
そして、ハイヒールを履かせて(これも一種の身体改造である。)
着丈、全体のバランス観の組み替えを行っているのだ。

 豊かさの中で生まれ、育って来た連中たちの若者たちの中でも
感受性豊かな自然体で生活している人たちはもうすでに
この"PROTECT/PROTECTION"に閉塞感を感じ、結局は自分自身を狭義な世界観に
拘束しておく事だけだという事に気付きはじめる。

 自分一人では生きて行けない。
“分かち合い”が必要。助け合って行く事が大切。想い合って生きて行く事が必要。
そのために自分が出来る事で,自分以外の他者へ、
"MAY I HELP YOU?"
地球を、自然を、水をそして、時間とモノを慈しみはじめる。

 ここに気が付き始めた若い人たちのモードは
"CARE/CURE"が新たなコンセプトになる。
身体とこゝろと性をどのように着る服で"CARE/CURE"出来るか迄の
想いと心ある自分の手による服作りが新しいと。

 しばらくは、このような服作りへの考えと想いが
新らたな情熱として、魅力としてそして、感情として
今後の、若い人たちの創作意欲をかき立てるであろう事を望んでいる。

また、この"CARE/CURE"というコンセプトは人間味ある好奇心として
新たな関係性を生み出すまでのアヴァンギャルドであろう。

 もしかしたら、ここがアートとの接点となるエッジ!であろう。
文責/平川武治:

投稿者 : editor | 2010年05月10日 07:31 | comment and transrate this entry (0)

article(56)

今日読んだ本から、これも、『共棲資本主義』的なる大事な視点。

 今読んでいる本の中から。(少し、長いですが、)

” スエーデン語に「オムソーリ』という言葉が在る。
本来的意味は、「悲しみの分ち合い」である。
人間は悲しみや優しさを『分ち合い』ながら生きて行く動物である。
つまりは、人間は『分ち合う動物』である。
『分ち合い』によって、他者の生も可能となり、自己の生も可能となるのである。
しかも、『分ち合い』は他者の生を可能にする事が、自己の生の喜びでもあることを教えている。
人間の生き甲斐は他者にとって自己の存在が必要不可欠だと実感できた時である。
『悲しみの分ち合い』は他者にとって自己が必要だという生き甲斐を付与することになる。

共同体のように、社会を組織化するという思想。
つまり、共同体の中では共同体の構成員に任務が配分されるように、
社会の構成員にも任務が配分されなければならない。
 共同体に在っては、すべての共同体の構成員が共同体に参加して任務を果たしたいと願っている。
高齢者であろうと、障害者であろうと、誰でもがかけがえのない能力を持っている。
しかも、そうした能力を共同体のために発揮したいという欲求も持っている。
そうした欲求が充足された時に、人間は自分自身の存在価値を認識し、幸福を実感できるからである。
これが『分ち合い』の思想である。

もう一つ、スエーデン語のラーゴムという言葉がある。
意味は『ほどほど』と言うか、超過も不足も悪徳とする倫理を表す。
が、この言葉、「ほどよいバランス」という意味で『分ち合い』と根底で結びついている。
極端に豊かになることも、極端に貧しくなることも嫌うラーゴムは、
社会の構成員が人間らしい生活を営むように、『分ち合う』ということを意味するからである。”
『「分ち合い」の経済学』/岩波新書/神野直彦著:から抜粋と編集。

 日本の本来の生活の中には此の様な共同体で生きて行くための『分ち合い』のこゝろがありました。
真こゝろ、謙虚さ、思いやり、弁え、腹八分目、そして、不義にして富まず。など等。

 自我を拡大しきる。
そして、自我を自分の世界観、価値観の元に無にする迄に、
そこに『分ち合い』のこゝろが。

 共同体の中では共同体の構成員に任務が配分されるように、
社会の構成員にも任務が配分されなければならない。
例えば、この任務が自分の好きな服を作ることであれば、
先ず、自分自身が幸せである。
その幸せを誰と『分ち合い』うことが出来るか?

 唯、『分ち合い』の真こゝろと勇気があればいい。
それだけです。

 服が作れないのに作れる振りをしている人たちは何を他者と分ち合えば良いのでしょうね?
文責/平川武治:

投稿者 : editor | 2010年05月06日 01:49 | comment and transrate this entry (0)

lepli(6)

「平川の東京コレクションをみて想うこと。東コレ批評に代えて、」

『 文明を謳い、文化をデザインして欲しい。

生を与えられ、生かされているあなた。
あなた自らの価値観の元に築き上げる自分の世界観を拠り所に、
あなたが、あなたらしく生かされる事に必要な世界のために、
社会のためにそして、
人のために、
堂々と、文明を謳い、文化をデザインして欲しい。
それが服であっても、 』
平成二十二年四月二十九日/平川武治:

投稿者 : editor | 2010年04月29日 15:01 | comment and transrate this entry (0)

article(56)

My Archive Interview−2 / "逃げ足の速い男”/Hello Mr. Malcolm R. A. McLaren."

 時間は止まらない。廻り続けている。
だが、時間はリバーシブルだ。

 また、一人、かつて僕がインタビューをした男が死へ急いでしまった。
彼は、あのロンドン発POPカルチャーの確実なるアイコンで在った。
彼が居なければ、登場しなければ、シドもナンシーもみんなみんな生まれていなかった。
そして、ヴィヴィアン譲も。

そんな彼は
今年のフェスティバル-イエールのインターナショナル審査員に選考されていたので再会を楽しみにしていた僕。

『安らかにご冥福を。
ありがとう、ミスターマルコム。
あなたは真のブリティッシュダンディズムを生きられた。』平川武治:

****** 

 このアーカイブインタビューは1995年発行の雑誌『SWICTH』誌に掲載された際のオリジナル-インタビューテープを起こしたものです。
 僕が興味深く聞き入った事はやはり同年代人としての『’68年をどのように?』であった。
そして、彼流の時代の掴み所がいい。
メディアとの関係性も熟知している。
これはその後の僕の頭に、彼の名前と共に、かなり強く印象が脳みそに残っていた事だった。

 これも今では古い話になってしまうが、
このインタビューの後に彼とは幾度か巴里で出会っている。
その一つに、僕の巴里の親友の一人、ドラッグクイーンでその名を覇した“ROLA"が催したイベント『THE CABARET』で出会った事がある。この時は丁度、マドンナが巴里へ来ていて、このローラたちのイベントにお忍びで観客で参加した時であったからかなり豪華な贅沢な時代だった。その時の彼への印象が、"Hi,M. BRITISH GENTLEMAN, MR.MALCOLM!” 
そして、このインタビューでも語っている”CABARET“論でもある。
 お喋りと目立つ事が大好きだった、子供の様な中年男だったから彼の周辺は大変だったであろう。

The ARCHIVE INTERVIEW on '95 in London.
Interviewer TAKE. Hirakawa:

『肌を切る風が、ロンドン特有の冷たい11月の遅い朝、遅刻することで有名な彼にしては、大変珍しく定刻通り現れ、彼が語り得る幾つかの"神話"や、現在と未来について、街、音楽、ファッションについてロングインタビュー。

 「SGT.-PEPPER'S LONLEY HEARTS CLUB BAND」というビートルズの名アルバムが口火を切ったかどうかは、今となっては全てがノスタルジアなのだが、この年、'67年にロンドンにもいわゆるヒッピー革命が起こった。そして、未だ、ヒッピーの流行が勢いを持っていた'71年,「キングス・ロード430番地」に、当時では一番の、古着を中心としたポップ・レトロの店、「パラダイス・ガレージ」があり、そのバックルームでスタートしたのが、「LET IT ROCK」。
そこは、田舎から出て来た、テディー・ボーイ達の夢を全て叶えた、ブリルクリームで飾られた、ボール・ルーム。そこでは、50年代のロックンロールのレコードが中心に、確か売られていた。
 その店も翌年、'72年には「TOO FAST TO LIVE TOO YOUNG TO DIE」という名前に変え、テディー達からロッカーズへ、愛玩する対象も変えた。この年は後に、「フィフティーズ・リバイバルの年」と云われる、大ロックンロールフェスティバルも開かれた。そこでも、自分たちの作った、「Vive Le Rock」というスローガンが入った、リトル・リチャードのTシャツが売られた。この店名は、バイカーズジャケットのスローガンからとったもので、店内にはスローガンで溢れたTシャツがいっぱいだったし、飾りビョウやチェーン、レザーものが主だった。この辺りから、ワーカース・クラスの若者達に圧倒的に指示されはじめた。
 '73年には憧れのニューヨークに初めて行った。この街で、他のキングス・ロードの店とともに、「ナショナル・ブティック・ショー」に出展参加したためだった。
 '74年春にはこの店名もイメージも、再び新しくなった。「SEX」という名で、フェティスト達を喜ばせた。レザーパンツやゴム、革製のボンテージ・ファッションが中心になり、ジッパー付きの穴あきTシャツ等もこの時代のマスターピース
だった。新しい店名が、プラスチック製のショッキングピンクで大きく飾られていた。この店から、あのパンクグループ、"セックス・ピストルズ"が誕生し、『神話』が、より神話らしく語られるに至った。
 '76年には、更に店名を「セディショナリーズ」と変え、この時代に今でもパンク小僧達の憧れとなっている名品(?)ボンテージ・ストラップド・ルックを発表した。店内には、ピカデリー・サーカスの絵が、上下逆さまに描かれていた。
近くのフルハム・スタジアムのフットボールファンたちによって、見事に壊されたファサードには、パンクス達のグラフィティーが加えられ、余計にらしさを生んだ店だった。
 そして、'79年に現在も存続している名前、「ワールズ・エンド」に改名した。
今でも、正面には、この時代に新しく取り付けられた、逆回りの大時計があり、速い速度で回っている。店内は、海賊船をイメージし、床は傾斜がついている。
 '81年には、最初のキャット・ウォーク・ショーをオランピアで行った。そこで発表されたのが、"パイレート・コレクション"。海賊シャツや、ショートパンツが新鮮だったが、この辺りから、音楽と服の関係に溝が出来始めた。そして、キングス・ロード430番地の弟分とも云える店を、「ノスタルジア・マッド」という名でオープンさせたが、この店が閉店されると、同じ様に、ヴィヴィアン・ウエストウッドとも最後の仕事となった。これが'84年であった。

 『神話』は語られるたびに、作られてゆくものである。そして、『ノスタルジア』とは、苦痛が取り去られた記憶である。

  TAKE.: 時代の先取りについて(73年頃、ブリティッシュロックの下火の時期に、ロックンロール)
Malcolm.: 「アート・スクールの学生時代からロックン・ロールファンだった僕は、卒業後、自分がコレクションしていた、何百枚ものロックン・ロールのレコードを売るために、その場所を借りたのさ。」レコードを売るために音楽に合っ
たスタイリッシュな服も売り始めた。それは、当時のキングス・ロードのどの店ともメンタリティーが違った。まるで、ロックンロール・スタイルの小ちゃなミュージアムのようだった。後に、新しい服を売るには新しい音楽が必要になったために、パンクが誕生したんだ。僕は、服は音楽無しでは売れない、ていう気持ちがあった。新しい服と一緒に、古いレコードを売ってゆくことはできなかったんだ。昔のロックンロール・スター達、例えば、R・スチュワート、D・ボウイ、R・スターやG・ハリソンそれにI・ポップ達が、僕の店に古いノスタルジックなロックン・ロールのレコードを買うために集い始めた。そうしたら、彼らに会いたい若者達が大勢集まり、自分たちももしかしたら僕に近づいたらスターになれると、考えたのだろうね。そこはまるで、アソシエーションだったし、ある種のスタイルを生むセンターだった。
 
 
 プライベートでもビジネスでもパートナーだったV・ウエストウッドとは'65年から二人の交際が始まった。その関係は、お互い同士が学び取り合うと云う、補足し合う関係で、'84年まで続いた。彼女はその後も、「ワールズエンド」を継続させ、'81年以後、現在迄パリでもコレクションを発表し続け、ニューヨークのファッション誌「ウーマンズ・ウエアー・デイリー」の編集長に、「世界中の6人のトップデザイナーの1人であり、唯一の女性デザイナーである」とまで云わせた。多分、彼との出会いがなければ、また彼と仕事をしなければ、今のV・ウエストウ
ッドは存在し得ないだろう。

『記憶とは創造の過程であり、何を思い出すかは、我々の"ライフスタイル"にとって重要な意味を持っている』(ロロ・メイ/『実存』 '58年)
  
TAKE.: V・ウエストウッドとの関係は?
Malcolm.: 当時、僕のガールフレンドで学校の教師をしていた。僕の家は縫製工場のようなことを営んでいたので、彼女のためにミシンを購入して、服作りについて少し教えてあげた。本当に小規模だったけれど、彼女の作る新しい服の方に人気が集まり、古いレコードは姿を消し、彼女は勿論、学校の教師を辞めた。だけど、僕は音楽と関わっていたかったんだ。服はファッションでなく、音楽と結びついたものだという考えが変わらなかったからね。彼女はロックン・ロールはそれ程好きではなかったけれど、手先が器用だったから、服を作るのが上手だった。彼女の服は、自分で試着しながら裁断して、自分のサイズを縫製していく方法だった。一般的な工程で作らず、自己流のシンプルな方法(D・F)だった。
それが同義語ともなって、D・Fスタイルのパンクロックと結びついて、定着したと思うね。僕たちの発想は、全てがアマチュア的な発想だったから、伝統を重んじるところが少しもなく、非常にシンプルで、誰にでもできるようなものだった。


 "服とは音楽へのステートメントだ"という発想は、ファッション誌から生まれた服ではなく、ストリートからの発想だった。そのスタイルがパンクと呼ばれ始めたのが'73年頃からの、「キングス・ロード430番地」からであった。ショップ「セックス」のスローガンが、「セックス・クローズ」という新しいストーリーで出発した。セックス・ショップで売っているアンダーグラウンドなものを、ファッション・ストーリーへ持ち出した。音楽も突然、新しいものが生まれた。かつてのロックン・ローラーたちがプレイするスタイルも容貌も異色。セクシーさが全ての重要なキーポイント。それがパンクであり、そのムーブメントを直接、世界中に広げたのが、「セックス・ピストルズ」、彼らはおばあちゃんと一緒の子供達の様だったと云うが、
  
TAKE.: セックス・ピストルズとは?
Malcolm.: 店に集まる若者達は、自分たちが着ている服に似合う音楽が欲しいと言い出した。僕の服を着た若いミュージシャン達が店に出入りし、そのファン達も集い始めた。彼らがコンサートする時のチラシやチケットも売り、彼らのス
テージでは僕の服を着たからいい宣伝になった。セックス・ピストルズは名前の通り、彼らはとても若くてセクシーな小型拳銃を持った暗殺者達のようだったから、この名前が浮かんだ。名前とスタイルと音楽、すべてが一枚の写真とストー
リーに結びついたんだ。アイディアは、僕がニューヨーク・ドールのマネージャーとして初めてアメリカへ渡ったとき、ニューヨークの小さなバーで、リチャード・ヘルがコンサートをしたのを見た時だった。彼は破れたTシャツにマジックペンでスローガンを書きなぐった姿で現れたんだ。ロンドンに戻ってからも、このイメージが残っていた。それに安全ピンを加えたのが、パンク・ロックスタイル。パンツもアメリカの軍服からのヒント。ブリーチしたり、ファスナーを加えたり、やはりストリート・ファッションそのものだったよ。シド・ヴィシャスはジョニーの友人で、店の常連客から始まった。毎日通ってくる様になって、僕が根負けしてグループに入れたんだが、何の楽器も出来ず、どうしようもなかった。ある日、リハーサル中に、ジョニー・ロットンが歌いたくないと言い出した。その時にシドがマイクを持って歌いだしたんだ。それが良かったし、彼は曲を全部覚えたいた。シドが歌えるなんて誰も知らなかったが、僕らは彼をシンガーとしてレコードを作った。でも彼は、「ゴッド・セーブ・ザ・クィーン」や「アナーキー・イン・ザ・UK 」も歌いたがらず、50年代のエディ・コクランのロックン・ロールを歌い、セックス・ピストルズの最高のビッグ・ヒットになってしまったんだよ。
その後、彼らの映画を作り、それが彼らのキャリアの終わりに繋がった。


  '68年の "サマー・オブ・ラブ"は、この時代の人間達にとっては、彼らの人生の大きな分岐点になっていることは確実である。当時の体験もしくは、自分自身の問題意識が深ければ深い程にその影響は大きい。青春時代の純粋さが、この"5月革命"によって、大きな厚い壁を破る動機にもなった。'68年のクリスマスのオックスフォード・サーカスにある、セルフブリッジ百貨店のオモチャ売り場でサンタクロースの格好をした連中たちと共に、売り場に乱入し、荒し廻って子供や親達を驚かし、スローガンのビラをまき散らすというハプニングを行った事は、後に語り継がれている、有名な話。実存主義という思想が生まれ、ビートニクスたちを誕生させたカオスとしての街、パリは詩とリズムとをも生む。それらは、"リアル・60's アートステゥーデンツ"の過敏な純粋さに、過大な影響をあらゆる分野で与えたのだろう。
 そんな文化のねじれを、その裏側には一体どのような知的思考が存在するのかを考え、何が文化を変えていき、刺激的で異色なものがうまれていくのだろうかと、考えていた。危険で世間を騒がせ、衝突していくもの、伝統的な価値観を突き破るイメージを追い求めて来た。
 そんな激しさも新しさも優しさもすべての、ノスタルジックなパリとは。

TAKE.: いつからパリに恋をしたのか?CD「Paris」の背景は?
Malcolm.: 子供の頃から好きだった。'60年頃のソーホーのクラブでは、フランス語が喋れないと入れなく、地下のインテリアにはフランス製のポスター等が貼られていたし、ジュークボックスからはシャンソンばかりという店があったね。'60年代のパリは、実存主義が流行り、とても知的な都市だったからね。新しいヨーロッパのアンダーグラウンド・シーンのビートニクス等のムーブメントが、若者達の間で次から次に生まれていた。そんな60年代始めのパリ発の哲学が、ソーホーのクラブにも飛び火し、そこにM・ジャガーやジェフ・ベック、R・スチュワード達が、黒づくめの服装でアンニュイな表情でタバコをふかし、まるで居眠りしているかの様に見えた。こういう退廃的な若者達と、ロックン・ロールというの
はまさに、ガソリンと火の様な関係だった。実存主義に刺激されて、失う物はもうなにもないって感じで多くの若者達のロックン・ロールのバンドが生まれた。黒尽くめにロングヘアー、退屈そうな表情でギターを淡々とつまらなそうに弾い
ていた、R・ストーンズの様なバンドが次々と生まれた。これが十代の僕が最初に感じたロックン・ロール・ミュージシャンの印象だったね。これは、僕が母達とテレビジョンで当時見ていた、楽しそうに、派手に着飾ってパフォーマンスする
アーチストたちとは全く違っていて驚いたね。だから、僕がセックス・ピストルズを生む時には、この'60年代の怒れる若者達の思想を取り入れたんだ。
 '93年に久しぶりにカフェ・フロールに座って、ゆっくり時間をすごしてみると、そこには僕の少年時代のパリの印象と全く変わっていない事に気づいたんだ。そうか、これが僕のやって来た事の、全ての始まりだったんだってことに気づい
たんだよ。ロンドンは、ロック・ミュージックのメッカの様に考えられているけれど、そこに存在するアイディアや精神の原形は、海を隔てたパリからやって来たものだったんだ。例えば、ビートルズのセカンドアルバムのカヴァージャケッ
トの4人組が、黒のセーターに特有のヘアー・カットでこぎれいな格好はまさに、実存主義のポップ・バージョンだった。だから僕は、パリのことをストーリーとして楽しく物語ることを、このCDでやったんだ。今のパリは少しは変わったかも
しれないが、当時のまま残っている場所はあるし、あのアマチュア的な精神と効率の悪さ、ロマンチックで不器用なところは少しも変わらず、今に息づいている。ところが英国では、まるでドイツの様に効率の良さとプロフェッショナルな事を重んじるあまりに、25年間培われた精神は消え失い、詩さえ消えてしまった。そこで僕はもう一度、セルジュ・ゲーンブールやF・アールディとかM・デイビスのジャズ、F・トリュフォーの映画の様な世界に戻ってみたんだ。現実にはそのような世界はもう存在しないけど、パリの街路の壁の亀裂から、ディテールを垣間みる事が出来るんだよ。"Paris"のアルバムに参加した理由は、旅人の様に僕の想いの街、パリを歩きながら失われた文化のディテールを追い求め、糸をたぐり寄せストーリーをつなぎ合わせてみたかったんだ。それに、C・ドヌーブや、共演のパリのアイドル達に恋をしてしまったんだ。アミーナと出会って、僕はとても音楽的なアイディアが浮かんだ。ロックン・ロールがヨレヨレになってしまい、詩が生まれにくくなっている現代、昔のキャバレーの雰囲気や、アマチュア的な精神の方がもっとモダンでいいし、ファッショナブルになっていることにも気付いたんだ。ニューヨークでも再びキャバレーは貴重だと思う様になってきた。80年代のハイテックなディスコティックはもう飽きられて、夜会服を着てキャバレーに行って楽しむ事の方が面白くなり始めた。大学でも、実存主義やビートニクが再び評価されているらしいし、クエンティン・タランティーノの「パルプ・フィクション」を見たとき、僕は60年代のヌーベルバーグもの、トリュフォーの「ピアニストを撃て」とそっくりだと思って喜んだ。バラバラの他人同士が一つの輪の中でまとまってゆくところや、全体のヴァイヴがそっくりだよ。パリとロンドンの違いは、パリが女性なら、ロンドンは男性だね。パリでは皆はアマチュアになりたがっているけれど、ロンドンでは皆はプロになりたがっているんだ。パリのブルジョワ達は歌いたがっているし、画家になりたがるし、アーティスト達と混じり合って、アーティスティックでいたいという生活があるね。一方、ロンドンのブルジョワ達はいかさない。この絵が買えるだろうか、あれやこれや買えるだろうかと、あくまで消費者であり、外出もしたがらない。きっと、よりドイツ人に近いものがあるね。英国人自身はこの事をあまり認めようとしないところも、問題だね。


 メディアが怪物化して来ているという。そんなメディアをどう使ったら良いのか、メデしアと関わる場合、自分が主導権を握る方法とは何であろうか。メディアにへつらわない、媚びないこと、メディア以上の分野を持ち得てメディアに立ち向かう事なのだろうか。ヴォーグ・マガジンに反抗する服作りを考えていた。スタイリストが借りに来ても断る。音楽ファッションはストリートにいるオーディエンスを頼りにすれば良い。ファッション雑誌を頼っても仕方がない。メディアの産物が、僕たちの集合的ノスタルジアの風景を支配する様になったということだけで、十分なのだろうか。

TAKE.: メディアとの関わり方巧みで、あなた自身がすでにメディアになっていると思うのだが、メディア観を。
Malcolm.: メディアと仕事をしてゆく事は、難しい。昔のメディアはとても若く、ナイーブで、無垢であった。今のメディアは年老いた老人の様で、どんなことでもよく知っているし、どこにでも出没する。風呂場を開けてもメディアが存
在する様な時代になってしまった。もう逃げ場がないんだ。そんな今のメディアは、生き残ってゆくために以前にも増して、ストーリーを作り上げていかなくてはならないんだ。それが混乱を生む。もはや昔の様に、大きなストーリーが一つ
存在する時代ではなく、何千もの小さなストーリーが存在するので、一体僕たちはどのストーリーを信じたら良いか、選んだら良いのか、解らなくなった。本当に難しい時代なんだ。メディアはモンスターになってしまい、ノンストップでストーリーを喰いまくっている。だから、小さな良いアイディアが生まれてくる事も少なくなった。今の時代、ファッションや音楽を中心とするサブカルチャーの人たちの多くは、昔の時代を振り返って、ノスタルジアの中から安全な物を選んでいこうとしている。明日をすばらしいと思わない人が増えて来た時代だけど、そんな中で、明日に生きたいと思う人たちは、自分の家から外に出ず、コンピュータやインターネットの世界に閉じこもって暮らしている。彼ら達は、インターネットを使って、無料の情報を収集しているんだ。たぶん、将来の鍵を握っているのは、アーティスト達ではなく、科学者達なんだ。アーティスト達は過去へ戻りたがっているし、科学者達は行く末を決めていこうとしている。だから大切なのは、科学者とアーティストの橋渡しを、誰がしていくかが、問題になるだろう。科学者がロックン・ロールになり得る時代なんだよ。それに、ロックン・ロールの中で使われる詩が、みんな古くさくなってしまった。人をより刺激して楽しませる、新しい詩が生まれてこないといけない時代なんだ。メディアがモンスター化した結果、言葉やコミュニケーションが難しくなったってことだよ。


 特に、ここ一年来、『未来』について、再び考えなくてはいけなくなってきた。明日がモダニズムを生んだ時の様にはポジティブではない事を識ってしまった僕たちとその子供達。でも、時は確実に未来の方へ刻み進んでいる。近代のツケは近代に払っておくべきである。誰が、"クロス・オーバー・ザ・ライン"を行うのだろうか。

『人がどのような自分になろうとしているかによって、かつて自分がどの様であったかという思い出も決まって来る』(ロロ・メイ/『実存』 '58年)

TAKE.: 未来の事をもう少し。貴方が未来を演出するとしたら、どんな21世紀を演出しますか?
Malcolm.: それは非常に難しい質問だね。テクノロジーが独走し進歩していくのに、それを上手く結びつけるクリエーターは誰なのかって問題が在るんだ。21世紀のサブカルチャーはきっと、世界中でどこでも同じものが起こり得る情況に
なるね。21世紀に生まれる人間達には一体、何が新しく何が古いのか、何が真実なのかは見分け難くなるだろうし、それらの意味も問題にならない。歴史なんかに全く気に掛けない世代が生まれそうだね。歴史を検索しても、あらゆるものが
混じり合っていて何も解らない。ヴァーチャルワールドが必要な全てのものをクリエイトしてくれる時代が21世紀だう。人間とのコミュニケーションの方法も変化するだろうし、仕事と余暇の境界線がなくなるだろう。だから、文化の役割はより重要になろうし、企業体は国際化され、政府の役割やアイデンティティーなどは徐々に重要性を失っていくだろう。また、金持ちは長生き出来、貧乏人は早く死んでしまう時代になるかもしれないよ。男と女の関係ではまず、婚姻そのものが疑問だね。そのうち、男と女の間で大きな市民戦争が起こるかも知れないよ。多分、女性の方が勝つだろう。男は常に狩りに行きたがるんだ。何も射止めるものが無くっても、それでもオフィスやバーに一日中座ってじっと物色する動物なんだよ。女性の方がより物事を把握している。彼女達は生を産み出す力があり、社会性があり、地球を理解出来るんだ。そして、今後はゲイの男達がいいかも解らないね。現に、ゲイの男達が世の中で一番成功しているでしょう。彼ら達は、普通の男達よりももっと現代社会と調和しているからです。女性問題を起こす事もなく、自分で稼いだお金を全部貯め込んで自分のためだけに使えば良いし、子供もいないから楽な暮らしが出来る。彼らは集団で助け合って生活しているコミューンの様で、他の人たちよりもサバイバル力がある。ゲイをターゲットにしたマーケティング戦略がもっと直接に具現化されるかも解らないね。僕のアルバムも、ゲイの人たちに売れているんだ。彼らはただ金持ちなだけではなく、心がオープンで平等主義で楽天的で全く偏見がない人たちなんだってことも、次の時代の個人生活の重要な点だよね。
 服で云うと、質の高さと長く着られる服が戻って来るだろう。従って、デザインも知的で多くの変化は必要なくなる、例えば、J・P・ゴルチェよりA・P・Cの様なデザイナーに人気が集まり始めた事が、一つの事実だろう。着る人達は、自分の顔を持ちたい。顔の見えないクラブで遊ぶより、じっと座ってキャバレーのショーを見るように、見る時間が大切になり、長くなって来るだろう。スーパーモデルの登場も、ボディではなく顔を眺める様になった一例かも知れないね。今後
は顔がファッションになり、顔の違いが重要な時代だろう。今、イギリスでは本当に面白い現象が初めて起っているんだよ。それは不況の結果なのですが、学校を卒業してプロとして仕事を持ったのに、再び失業した40歳前後の人たちがまた
、学校へ通い始めたんだ。これは、'70年代、’80年代には考えられなかった現象で、極めて'90年代的な現象だね。プロである事を忘れ、シンプルな学生生活に再び戻り、21世紀への生き方を考えてみるという行為だよ。精神的にも知的にも充
分に備え、多くの情報を切り捨てて、自分たちが選び出した情報のみに焦点を絞ってゆくという不況時の過ごし方の一つだ。ニューヨークの友人、トム・ウルフがかつて、『90年代はもっと退屈な時代になるだろう。きっと、多くの人たちが
図書館へ戻っていく事になるだろうからね。』と云った。多分、今後の学生は、若者だけとは限らず、年配の人たちも多くなるだろう。きっと、余暇と仕事と情報がみんなシンクロした、新しいタイプの人が現れるだろう。

TAKE.:最後に、貴方をゴッド・ファーザーと憧れ、崇拝している多くのマルコム・チルドレンたちへメッセージを。
Malcolm.: 『メディアはまさにメッセージを失ってしまった。』これが僕のメッセージだよ。
60年代にマクルハーンの『The medium in the message』という本が有名になった。だけど今の時代は自分を信じるしかないんだ。メッセージなんかあるわけないよ。ファッションは既に、皆の手に渡ってしまった。ファッションとはもう、君
たち自身の事なんだ。ほとんどのデザイナー達は、何も伝える事がなく、ただ歴史をひっくり返し続けているのだよ。
 

 今、スーパーモデルのクリスティー・タントンのドキュメンタリー映画のサントラ盤の制作とロバート・アルトアンの新作映画「プレタ・ポルテ」でのソニア・リキエルのための歌とそのサントラ盤のためのプロモーションをしている。
彼、マルコム・マクラーレンが持っている勘の若さとノスタルジアは大きな夢とキャリアの両方だろう。それがバランスを保っている限り、彼は『神話』を世界
中のストリート・オーディエンスたちに語り続けてくれるだろう。

 ファッションや音楽は僕たちの日常生活の知覚や経験の大部分が常に作り直される手段である。完 』
// 初校版再校正:平川武治/25 April. ’10  
参考出典/雑誌「SWITCH」Vol.-13『逃げ足のはやい男』より:
翻訳協力/豊原千恵子

ありがとう。

投稿者 : editor | 2010年04月25日 15:35 | comment and transrate this entry (0)

article(56)

ARCHIVE原稿(3)「WOODSTOCK ROCK FESTIVAL」の40周年記念日に思うこと。そして、『共棲資本主義』(Original/Sep.'09)

40年前に; 
 昨年の8月15日はあの「WOODSTOCK ROCK FESTIVAL」の40周年記念日でした。1969年8月15日から始まった此のロックフェスティバルはもう,40周年を迎えたのです。
僕は幾日も、幾度もDVDを借りて見入りました。別にこれと言う理由は無く見始めたのです。多分、此の時代のロックミュージシャンたちに興味を覚え,特にJ.ヘンドリックスやサンタナが聞きたかったからでしょう。
そこには、奇跡が現実になった3日間がありました。
ROCKに集まった50万人の若者たちが一つのコミューンを,小さな村を構成したのです。

 ロック好きな若者たちが数人たちで企画し遂にはN.Y.郊外の私有農地を借りることが出来、行われたのが此のロックフェスティバルでした。(これは会場となる農地のオーナーの息子とその家族から描いたフェsティバルの映画が製作されている。’09年)
ここで一つ,大切な事があります。自分たちが好きな事は自分たちが思い立ち,企画してそれらを自分たちの手で、彼らたちのリアリテで成し遂げたと言う,もの凄く当たり前な事ですが,大切な根拠性がここにはありました。現代では此の手のフェスティバルは広告代理店と企画会社任せのものが総て。ここに一つの問題定義を感じます。総てが商業主義に乗っ取ったヤラセイベントだという事実。
 
 当然ですが,当時のロック音楽大好きな15,6歳から30代前後の若者たち男女がまさに,『ロック大好き!』と言う理由だけで最終,50万人も集まったと言うこと。企画者たちの最初の予想では3日間で約20万人集まればトントンでいいよな!!と言う位で始めたそうです。
 今から見ればステージやセット環境も然程のものではなく、必要な環境としてのステージとスピーカータワーのみが用意された規模でした。それが結果は50万人も集まった此の当時でも世界始めてのロックフェスティバルになったのです。
 最初は前売り入場券を発売していたのですが,余りの観客動員のため2日目以降は全くのフリーコンサートにしてしまったのです。これも凄い事ですね,当然、代理店が入ってですから今では考えられない事です。
 ロック好きな若者たちが自分たちで好きなロックのコンサートを自分たちの手で企画し開催する。やる以上は自分たちが聞きたい,また聴いてもらいたいすばらしいロックを演奏してくれるミュージシャンたちへ声を掛け出場依頼を行う。その真こゝろが結果が,J.バエズ、J.ヘンドリックス,10Years after, J.ジョップリン,サンタナ,Who,想い出せばきりがない程の当時の凄いミュージシャンたちがまた,すばらしい演奏した此のフェスティバルは規模もそうですが,中身も大変に濃く凄かったのでした。
 3日間の此のフェスティバルの状況をDVDで連日見ているとそのステージはむろんですが,観客たちへ眼差しが行く様になりました。
最初は此の様な経験をした当時の若者たちも今では50歳を超え始めたと言うこと。人生の半分以上が過ぎてしまった彼らたちは此の『ウッドストック体験』がその後の彼らたちの人生へどのように関わったのかが気になり始めたのです。ある種のジェラシーを彼らたちに感じる様になり始めたのです。
 スクリーン上で見ている限り,当時の彼ら若者はいわゆる,大人しく,それ程,お行儀も悪くないすばらしい若者たちに見えました。彼らたちのもう一方では,あの『ベトナム戦争』の現実が忍び込み始めてもいました。そして,やはり此の時代なのでしょう,『黒人』観衆は未だ,少なかったです。見るからに『ヒッピー』が目立った為でしょうが、普通のロック好き若者たちが大半だったでしょう。服装を見てもその殆どが,G-ジャンとG's, T-シャツそれにコットンのチェックのシャツ、ライダージャケット等が多く見られた今も変わらぬアメリカンスポーティカジュアルな彼らたちの服装でした。
 此のフェスティバル体験者のその後の40年。これをインタビューにまとめることが出来ればこれはきっと、20世紀の一つの文化の明かしにもなるでしょうし,楽しいものが出来るであろうと感じ始めたのです。
 僕は此の時期には丹波の山奥へ籠り,陶芸家の所で丁稚生活を始めていた時代でした。此のDVDを見れば見る程に此のフェスティバルに参加しなかった事が残念に思ったのも事実。画面上で日本人がいるかを探しましたがそれらしき東洋人は居たのですが直接は発見出来ませんでした。もし,居ればその人を捜し出してインタビューをしたい迄に高揚したのです。しかし,考えれば此の時期に海外へ出ていた日本人は数が少ないし,ヒッピーだった人も少なく,もし居ても彼らたちはインドへ出向いていたのでしょう。それに,此の時期の日本はもう一方で,『安保闘争』が始まり、学生運動が盛んになり始める時期であった事でヒッピーになった若者よりも学生運動へ走った若者の方が多かった事も僕たちの戦後のリアリテだったのでしょう。だから余計探し当てたかったのですが、
 そして,コンサート状況を見ていると次にはその観衆たちの行動とその環境が見え始めました。3日間で50万人は本当に突然に出来上がった小さな都市です。もう,初日の遅くからは,当然ですが此の会場がいわゆる田んぼの真ん中ですから多くの観衆たちが乗り合いバスや自家用車やバイクでしか来れなかった事での『交通停滞』が始まったのです。
出演者であるミュージシャンたちでさえ会場迄来れなくなったので当時のUS空軍が手伝ってヘリコプターで彼らたちが会場入りを始めた程の状況だったのです。次に『トイレ問題』、画面でも出て来る『水問題』と『食料問題』場内アナウンスでも入る『ドラッグ問題』と『セックス問題』そして,最後には『ゴミ問題』までの此の「7つの諸問題」が此の僅か3日間のウッドストックの会場で起き上がっていたもう一つの凄い現実でした。しかし,その後の40年間で僕たちの都市生活環境にはこれらの『7つの諸問題』が拡大と蔓延と日常化しただけの40年間ではなかったかと言う視点を憶え感じてしまったのです。そうです,僕たちのその後の40年の現実が、ここにはそれらのオリジナルが既に、あったのだと言う見方が出来たのです。凄い事です。その後のアメリカがヴェトナム戦争へのめり込まないで,冷戦関係に始終して軍事産業のみの活性化を考えなければ,暗殺者やテロリストを育て上げなければ,石油利権に塗れなければ,中東戦争を始めなければ,此の『Woodstock Rock festival』を一つの未来社会の始まりとして観て,考えれば此の40年間も随分と変わったもっと,寄り道をしない,進化した現実を生み出していた事であろうと考えてしまったのです。ここでは『人間の真面目さと素朴さを信じる』と言う僕なりの教訓を見ました。

 ここに僕は今後の『共棲資本主義』のオリジナルを見てしまったのです。或る意味で此の50万人は一つのコミューンでありコミニティでありそこには一つの安心があり安らぎがあると考えればここに新たな観念と感性の元に,『ユニフォーミズム』が成立するであろうと。豊かさのイメージを追う事に疲れ始めた若者たちが向かうべき新たな世界はこんな所かもしれません。共有するものがロックなのか,クラッシックなのかヒップホップなのかアキバ系なのか,サッカーなのか?エコなのか?ひつじなのか、僕たちが持ち得た「自由の裁量」で括る多数のコミュニティが人生の新たな『気概』を生む迄の発想をすればここに何らかの新しい21世紀が生まれるはずでしょう。

『共棲資本主義』—『コミューン/コミニティ』—『地元』—『レジデンサー/居住者』—『コミット化』—『環境』『エコ』—『精神主義』〜『共費消費』『共有消費』〜『時間概念』の変革—『popの泡沫化』〜『Micro-POP』『After the reality』の向こう側。此の様なキーワードが思いつきますね。

『ユニフォーミズム』
これが今僕が想っている言葉、感じている言葉です。
そろそろ来そうです。今の時代の、感覚と気分と気概によるユニフォーミング。
『UNI-FORM』ですね。

このWoodstock Rock Festivalに参加した人を捜していたらなんと、僕の古くからの友人、あのDianeParnet女史が"Take,I was there by the helicopter," と教えてくれた。『私はグラムで、ロックではなかったけど行ったの!』何と、悔しい限り!!その後、改めていろいろ彼女からこのウッドストックについて聞く。話は幾人かのミュージシャンとその演奏についてとドラッグの話、極めて個人的な話で終わった。


 次世代デザイナーたちの可能性としてのサイト;
あの僕が尊敬をもしているこのまちのデザイナー、Jean Colonnaが新たなファッションビジネスを始める。www.jeancolonna.frで見られるサイバービジネスです。
 素材はカシミヤとシルク混。アイテムはタンクトップとT-シャツと彼自らのアーカイブコレクションからのレザーものも含めての3アイテム。型数はそれぞれショート、ミディーとロングの3型。編立てもメリヤス,リブとレース編みの3タイプ,色数も黒,カーキィーと肌色の3色。サイズも3タイプでこれらをマドリックス化したビジネス戦略のブランドをインターネット状で再開した。素材をカシミヤとシルクに絞ったことから総てをミニマムに絞り込んでのある種,『マティマティックなプロジェクト』を始めた。素材と生産工場はネパール。デザインディレクションは巴里。ビジネスはネット上。
最後は、ネットで受注を承けると真空パッケージにして郵送。服は高級素材であり,薄物であるからインナーにも,下着にも,ホームウエアーにもそして,ベッドウエアーにもなるコーディネートファッションアイテム。それに、かさ張らないので旅行にも持って行ける快適的さと最適さを持った服。時折,テンポラリィーなショップを開きメディアへもサービスをすると言う迄のコンセプト。真空パックの中にはミニ-メディアも入れ込んだ面白さもある。
 此のオリジナルアイディアはN.Y.のブランド『NO EDITIONS』 http://noeditions.com/ 元H.ラングに居た2人組が始めたプリントを組み替える事での面白さと新しさを売りにしたやはり,アイテムはジャン-コロナと同じようなタンクトップ、T-シャツがベースでのショート、ミディ,ロングの3タイプここではプリントデザインに工夫が凝らされていて施されたプリントを着て楽しむと言う趣向のブランド。
 ここでも,若いデザイナー志望の人たちへ助言する事は今の時代『サイト』を使ってのサイバービジネスを考える事は必然的になったと言うこと。それを利用する事で出来うる新たな可能性或るクリエーションと広がる関係性をビジネス化してゆくという発想はショップを持ったり,卸に夢中になるよりも今的なアイディアの一つになろう。

これにも後談がある。
彼らはこのサイトビジネスのためクリスマスシーズンに向けて空き店舗をマレの中に見つけて来て最小亜3週間程のつもりで、テンポラリィーな形態でオープンさせた。これがシーズンの勢もあって、案外好評で未だ開店中である。この理由は、jean曰く、目的であったサイトでの商売がこの巴里では3ヶ月でたった1件しかビジネスに成らなかったのでコレクションシーズンに訪れる日本人バイヤーたちへ向けての旧形態のビジネスに切り替えた為であった。そして友人をディストリビューターにしての旧態ビジネスへ落ち着いたらしい。これでは僕が期待していた新しさが生まれず、又間に何人もの人を入れての商売であるから結局、売値が高くなってしまっている。u.aを始め幾社かが買ったらしい。やはり、此の様なpcの発達とそのビジネスは日本の方が早くおもしろいのが現実であり、巴里は未だ遅れている。つまんないね!!


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  日本素材のすばらしさの証拠;
 パリプルミエールビジョンはこのような時代性の元,訪れる客層がより広がり,ここで発信される『トレンド情報』を求める顧客の層に変化が現われ始める。プレタポルテデザイナーたちが挙って『よらば大樹の陰』的に此の『トレンド情報』を参考にしての素材探しはプレーヤーが代わり最近ではspa型のアパレルが良い顧客であり,中国人たちもその中に混ざり始めた。そして,今迄のプレタポルテデザイナーたちの尖った連中は少しでも違う,スペシャルで、変わった,使ってみたい素材へと変化を見せ始めた。そんな彼らたちが憧れるのが日本の素材である。今年から始まった『プルミエールビジョンテキスタイルアワード』第1回のINNOVATION賞にIWANAKA,HANDLE賞にSHOWAが受賞した。
そして、特別賞に僕も以前、彼らの展覧会企画の仕事をした、Jakob Schlaepfer社が受賞した。
このjakob社は先シーズンに期間中にマレのギャラリィーを借りて素材展を開いていたのは流石だった!!
(PREMIERE VISION // Newsletter Novembre // PV AWARDS // Round One)


****
別記;
 このところ盛んになり始めたファッション展覧会;
*mina perhonen/24 October~ 28 Feb. '10/ at The Audax Textile Museum Tilburg./オランダ/これはもう終わってしまったが、カタログがminaしていてこのブランドの世界観の総てがある。いわゆるかわいい美意識がいっぱい。日本初のすばらしさの一つ。/www.textielmuseum.nl
*Bnernhard Willhelm & Jutta Kraus' / 13 Dec.'09~ 11 April'10/ at the Groninger Museum,Groningen/オランダ/これも先日に終わったもの。彼らたちの10周年のコレクションとそのイメージを展示したもの。この美術館の建築があのメンフィスの主謀者、A. Mendiniのディレクションになるもの。/ www.groningermuseum.nl
*Alexander van Slobbe/ 13 Feb.'10~16 May '10 /at the Centraal Museum Utrecht / オランダ/ 日本での人気のあったメンズを主体にレディスも良いコレクションを展開していたSOブランドの20周年記念の展覧会。彼の知的なソース オブ クリエーションが丸見えの中々の良い展覧会。彼の知的創造性はある時期のマルタンやウオルターよりも早く先駆けていた、エッジに効いたコレクションが今も新しく見える。僕もカタログに寄稿している/http://www.centraalmuseum.nl
*Y.S-Laurent /29 Feb.'10~29 Aug.'10/ at the Petit Palais/ 巴里/僕の友人のflorence Mullerがキューレターとして立ち上げた最新のYSLの展覧会。’58年から2002年迄のものを写真とVTRとイラストで回顧展。P.BERGE財団の持ち物を主体に展示。/ http://www.yslretorspective.com
*Hussein Chalayan/03April~20 Jun'10/東京都現代美術館/フセイン自らがこの展覧会の紹介をした以前、ロンドンのデザインミュージアムで行われたものの巡回展。彼のインテレクチュアルな人柄と几帳面さが解るイメージ-マジカルツアーby hussein編。/http://www.mot-art-museum.jp

+追記;
1年程前から気になっている良いショップ。
GENBAGEN/ http://gbgemirrorblogspot.com / 鎌倉市大町3丁目/一度、行ってみてください。作る事のうれしさと楽しみと怖さが感じられるギャラリー。オリジナルとはを学びたい人は是非!!行けば、もしfusaさんがいらしたら必ず、お話を交わしてください。

文責/平川武治(再編集)

投稿者 : editor | 2010年04月16日 07:22 | comment and transrate this entry (1)

平川さんの考えや未来への警鐘は本当に考えを改めさせるし、勉強になります。
失礼ですが、お年を全く感じさせない新しい世界観と時にチャーミングな物言いに尋常ではないセンスとエスプリが滲み出ていますね。
平川さん、無理を言いますが沢山の日本人が見る事が出来るように何か雑誌か本を出してくださいませんか!
沢山の日本人に平川さんの考えていることを残すべきです!勝手な事ばかり言ってすみません。
お体に気をつけてこれからもロックし続けていってください!

投稿者 : 高橋誠太郎 : 2010年04月19日 01:01

greeting(16)

4月3日に此の様な会へ出させて頂きます。

 お元気ですか?
この週末には桜が賑わう頃でしょう,
鎌倉はもう,夜桜が心地よく。
そのような土曜日の夕刻から清澄白河でトークイベントをやらせて頂きます。
出来れば,『東コレ』についてお話が出来ればと考えております。

ご興味のある方,お時間の許せる方,いらっしゃいませんか?
詳細は,
http://snac.in/?p=127

ひらかわ:

投稿者 : editor | 2010年03月31日 01:36 | comment and transrate this entry (0)

greeting(16)

此の様な会をいたします。

春も足踏み。
皆さん、お元気ですか?
大変な,東コレも一段落の27日に此の様な会をいたします。
ご興味あればご参加を!!
http://cet-trip.com/2010/03/co-net-5.html

 今回、東コレを見せて頂いたので久しぶりに書きたくなりました。
重ねて,よろしく。

投稿者 : editor | 2010年03月26日 12:24 | comment and transrate this entry (0)

article(56)

ARCHIVE原稿(2)/UNDER COVERのPITTI UOMOのカッコ良さ。そして,新たな流れとしての『ネオ-ユニフォーミズム』へ。

 この原稿は昨年の夏の終わりに書いたものです。
これを再読すれば,どれだけ時代の変化が今,現在のスピードになっているか即ち,何れ程時代の変化のスピードが”遅れている”かが解る。この“スローな時代性”を理解して頂ければとの想いを込めて。(ひらかわ)

しかし,UNDER COVERのこのPITTIでの出来事は今後ヘの新しさへ一石を投じるでしょう。


 6月17日、PITTI UOMOの出来事;
 今年のPITTI UOMOが招待した世界のデザイナーはUNDER COVERの高橋盾。
彼のメンズコレクションの海外で最初のコレクションはPITTI 宮殿庭園の夏の始まりの遅い夕刻にスタートした。
参加者は,巴里、ロンドンそしてN.Y.と地元イタリーのメンズファッションのうるさい連中,デザイナーやジャーナリスト,評論家,バイヤー,学校関係者たちが集い驚き,楽しみ心地よい感動も味わう迄のイベントであった。
 そこには、新しさが創造されていた。
PITTIでの彼のコレクションは新しさが、このデザイナーが感じ読み込んだ時代の新しさがコンセプトにも、服にも満ちていた。‘50年代のドイツのBRAUN社の工業デザイナーDieter Ramsにインスパイヤーされた見事なコレクション。
テーマは『Less but Better.』
これはD.ラムズのデザインコンセプトとテーマである「Less is more & very useful.」にチューニングしたもの。
モードを新たな視点から時代性と未来性を読み取ると言った彼、独特の眼差しとモードに対する想いが服にデザインされていた。僕流に言えば『ネオ-ユニフォーミズム』の到来を予知させる迄の鮮やかな機能性をモード化したデザイン哲学と視点が読める。
現代ファッションにおける新しいデザイン哲学とは『素材』に委ねるところが多い。
即ち、形骸的なデザインよりはどのような素材を着る人の為に選択してあげられるかがデザイナーの大切な心となり、大事な視点であり仕事となる迄の時代性である。
『素材』が持つテクスチュアーとクオリティとそして、機能性とエモーションをどのように着る人たちの為に時代観を感じさせる迄の服のデザインに落とし込めるかが今後のデザイナーの新たな視点になる。今回のPITTIでのUCのコレクションにはこの時代性とコンセプトの先読みで出来上がっていると感じたから僕は驚き、喜んだのである。

 表層的なる唯の『ラッピング-ペーパー』的なモードはもういいでしょう。
手を替えディテールを変えてのいわゆる,「トレンド』内でのデザインはもう,変わらぬ人体を覆うのみの各種「ラッピング-ペーパー」になってしまった。そんな『ラッピング-ペーパー』コレクションはもう、所謂ポストカードで良く,誰でもがそれなりに、カッコ付けて明日から僕はデザイナーですと言える迄の時代性になってしまった事も現実の一端なのですから彼らたちに委ねていれば良いのでしょう。

 モードの流れは確実に,
「WRAPPING」から『PROTECT/PROTECTION』へそして、これから『CARE/CURE』へと進化のスパイラルが動き始めるだろう。

 日本デザインを想う心が在った。
日本人としての日本デザインを思い考えると今回のUNDER COVERのコレクションへ行き着くはずである。その根拠は「素材」の進化は世界に群を抜いているのが今の日本の強みである。その活きのいい『素材』をどの様に『料理』してあげるか,即ち,「腕の良い粋な料理人の如く」が今後のファッションデザイナーへも問われるはずであろう。そして,この視点は外国人デザイナーの『嫉妬』を買う結果になる。なぜならば,若いデザイナーたち程、此の様なすばらしい素材、面白い素材を使いたくなる。が,彼らたちには高価すぎて手が出ないという現実がここには在る。例えば,J.サンダー、R.シモンズ,B.ウイリヘルム,D.ドマ、などは日本素材の良さを知り巧く使っているデザイナーたち。

 デザイナーのリアリティをショップ化してしまった。
今回も彼が惚れ込んでしまったDieter Ramsの作品を自らがコレクションをしてそれらでショップ空間を作ってしまった。
まるで,美術館概念とその空間に彼、自らのエモーションと持ち得たストーリー性を構造化したと言ってもいいまでの自由な発想がショップ化された。


  パリでの休日,ル-コルビジュエの『サボア邸』ヘ出掛けた。
久しぶりにル-コルビジュエの作品が見たくなって小雨降り始めたパリ郊外へ出掛ける。
フランス人中産階級者たちのお決まりの住宅環境を通り抜けてやっとたどり着いた『サボア邸』。
小さな森の,木立の向こうにその彼の姿を見る。その姿はあらゆる自信から生まれた落ち着きと安らぎ感を感じさせる姿。多分,真に生活什器としてのレジデンス建築であるからだろうか,住む人の品位と教養までを感じさせる住宅建築になっている。
自然と共棲しているレイアウト、自然を取り入れ、自然を生かすデザインそして,直線の組み合わせと空間の入り子構造,限られた色、白を基調にウス-ブルーそして,黒とサーモンピンクが抑えと差し色、ここにも自然とそれが作り出す環境に気を使った証が施されている。
 僕の中での,世の中の『キッチュ』化の反動であろうか,此の様な教養と自信と感覚で計算されたシンプルなものに憧れを憶え始めた為であろうか?
例えば,1911年以降の建築のムーブメントを思い出す。鉄筋が生まれ,続いてガラスと言う新たな物質素材が生まれた後の建築はすっかり変化した。アール-ヌーボーからのキッチュ趣味は以後,シンプルな直線構造へと結果,『デコ』様式が生まれ機能主義へと進化したのが’30年代迄だったろう。

 此の感覚が新しく感じてしまい始めた今と言う時代感。
ここにもUNDERCOVERのコレクションと共有する感性がある。
『SIMPLES MORE,』『Less is more & very useful.』
そして,『Less but Better.』に繋がる時代観。
 もう一方では,『破壊』観が当然『PUNK]』を生み、グローバリズムの騒音と共に憂さ晴らしへ走る時代性。
此の対峙する両極が現代の僕たちの『保守化ー中庸』の現実社会への新たな挑戦的動きであろう。

**

 PITTIの街を闊歩するファッション人間たちの出立ちは;
 全くの『保守-中庸』に迎合したいにしえを想い出すカッコ良さ。
一言で言ってしまえば,『NEW PREPPY』スタイル。 ’60年代後半の『GQ,エスクワイヤー』誌と当時の季刊専門誌『MENSWEAR』誌の様かわり。
新たな顧客としての黒人たちへのアプローチが目立つ、『BLACK-DANDYISM』へ。
ショート丈のコットンサカーのブレザージャケットに細身のショート丈のコットンパンツ。素足でデッキシューズ。
そして、日焼けした洒落男たちはバタフライ。

***
 『まとめ,Paris mens Collection '10 S/S』
その後7月,巴里で行われたメンズのコレクションもPittiで見掛けたファッション伊達男たちのスタイルがコレクションの主流になって登場した。
特徴をまとめてしまうと,
シルエット&スタイルは「ニュープレッピィー」
テイストはコンサヴァティブ。当時のIVYスタイルをアメリカンブラックサマーダンディーにサンプリング、
参考書は’50〜60年代のメンズ雑誌『GQ』『ESQUAIRE』『MEN’ SWEAR』
イメージとターゲットは”明るい太陽の下での軽く爽やかな若者から
40代ビジネスマンたちへ。”
インダストリアルデザインやプロダクトデザインのピィロソピィカルな テイストが新しさを見せ始める。
"Simple is best" but, much better to use.
素材が勝負。新-高品位合繊とBIOオーガニックファブリックの普及。
オーセンティックスタイル+新素材のリーミックス化とコーディネートファッション。ショート丈のコットンサカーのブレザージャケットに細身のショート丈のコットンパンツとバーミューダ-パンツ。
素足でデッキシューズまたはスリップポンシューズ。スーツにはメダリオンシューズが登場。そして、I.マドラスのバタフライとキャップかサマーハット。
トランスペアレントな効果と羽織る感覚のオフ-コーディネート。
色は,黒,白、ピンクそれぞれがグレーッシュな色味。
サロンへ出向けば,日本人ブランドが眼につく。
それらは殆どが,ストリート系からのレザーもの。細身のパンツに幾つ化の機能性、ポケット,タブ、チエーンホルダーなど変わらぬものを加え、レザージャッケトにレザーベストとシャツ。後はトリコット素材の薄物T-シャツ感覚で着れるインナージャケットタイプ。
文責/平川武治:(初稿/平成21年7月ー再校/平成22年3月)


***

 そして,この原稿はこの1月のパリーメンズコレクションのダイジェストです。
【まとめ,今シーズンの幾つかの私的トレンド/'10'11年A/Wメンズコレクション】

 ここでも”時代のスロー感”を感じてくだされば嬉しい。(ひらかわ)
 
 『クラッシック回帰だけど,楽-ラフ,ちょっとお澄まし。』
*ネオ-クラッシック;イングリッシュダンディズム,イタリアンコンチ,
*ジャケットの逆襲;新しさが必要になったアイテム,ジャケットとテーラードスーツ。ラペルの変化,サイドベンツ,スリム&ショート,裏地に凝る。ジャケットのバリエーション。パンツよりもジャケットのシーズン。
*獣毛と合繊とコージュロイ;縮じゅ加工,コーティング加工,ワッシャー加工,ピーチスキン,太畝コージュロイ、ニッティング。
*ムートン、ウオッシュレザー,
*黒白+無彩色;黒のバリエーションとダークグレー迄のグレイエレガンスへ。差し色としてのイエロー,パープル、キャメル,プルシェンブルー,赤
*パンキッシュ+ゴチックテイスト+アンドロジナス。
*ブラックダンディズム。ボーイズ-お澄まし。
*新しさとしてのWIDE-PANTSよりもビジネスのスリムラインパンツ。
*ロシア、ニジンスキー,ボクシング,スキー,ジャッズ+D.ボウイ&クラッシック-ロック,
*プロテクション;ソフト&ハード,
*ハットとタッセル、メダリオンシューズの復活。クラッシック回帰。
*スリム-タイ,サスペンダー
*肩、首そして腰ヘのポイント。

サイト;
www.yohanserfaty.com
www.uteploier.com
www.franciscovanbenthum.com
www.adamkimmel.com
www.qasimi.com

www.goldenhook.fr
文責/平川武治(初稿/平成22年2月)

    

投稿者 : editor | 2010年03月13日 16:48 | comment and transrate this entry (0)

article(56)

ARCHIVE 原稿/新たなファッションビジネスの為に。「アジテーション;『20世紀を忘れろ!! そして、本質を知ろう。』」

 新たなファッション環境とそのビジネスの為に
僕たちの今生きている時代とはどのような時代であり,
それを踏まえた上で今後,どのような時代性と時代へ
僕たちは生きて行くのか?を考えてみよう。

現在に起こりえているいろいろな状況を読み、
今がどのような時代なのか?
そして今後、この延長上にどの様な時代が到来するのか?
これらを思い巡らす時には当然ですが「時代の価値観」を考え、読まなくてはならないでしょう。

 アジテーション;『20世紀を忘れろ!! そして、本質を知ろう。』

 既に、9年目の今年はもう21世紀の10分の1近くが過ぎている。
確実に、僕たちは21世紀に生きている現実を意識しなければいけない。
その時に、『20世紀を忘れろ!!そして、本質を知ろう。』は結構,大切なコンセプトになる。
即ち、「全く新しい時代へ」を意識し、考える機を逸したのが日本ではないだろうか?
そして,その結果が今であろう。

 わが国の政治には国体を考えた21世紀はこう在るべきだというビジョンがいつも存在しなかったし又、現在も存在しない。環境問題が大きく表層を現し、これに世論も当然ながら影響を受けその方向性は正しいがその背後に存在すべきはずの「本質」は感じられない。僕たちの国を思う心、自然を思うこころからの環境問題ではなく消費社会に向けての表層のみを思う短絡的な消費社会の『エコ』運動が論じられている傾向が強い。

 20世紀の価値観の一つ、「時間/距離/スピード」を文明化した自動車産業がこの機に及んで見事な崩壊を見せ始める。
そのコンセプトは『距離/時間の短縮の消滅』現象とも読める。

 IT産業の高度なる発達に伴って、新たな「生活機器」の一つとしてのPCがより手軽に一般普及化し、その情報処理によって我々の地球が狭くなる。そして、グローバリズムと称したある種のネオ-コロニアル主義の台頭とバーチャル・リアリティの普遍化。経済に於いても、その結果としての紙幣経済からバーチャルマネー経済が始まる。
 又、ケイタイの高度・多様なる発達によって、事実上の「距離の消滅」化が始まりコミュニケーションツールが、デス・コミュニケーションツールとなる。

 20世紀末で記憶に残しておかなければならないことは、
その世紀の変わり目に起り始めた幾つかの消滅し始めた特徴である。
1)文化と社会の区別、領域の消滅。
M.ジャクソンは人種、ジェンダーをコンバージョンする
2)実態と内容を無視して表層としてのスタイルを強調。
ヴィジュアリティ、ブランド性、何よりも見栄えが大切。
3)高級文化/芸術と大衆文化/芸術の区別、領域の消滅。
文化+アートの消費化、ラップミュージュック、グラフィティ、
4)時間と空間の境界の消滅。
ハイパーリアリティやバーチャルリアリティの世界、ゲームの世界。
5)メタ物語の衰退と変革。
世界の枠組み、グローバル構造とイミグレーターたちの新世界。 
(D.ストゥリナチ著/『モダニティとポストモダン文化』彩流社刊)
これらの変化、革新は必ずその表層としての『消費社会構造』に何らかの影響を強く与え始め、続けるだろう。


 高度な技術革命が我々の日常生活にもたらしたものはその便利さや便宜性と共に一方では、人間として生きるための『本質』や『本意』の不在性や不透明性をも、もたらし、与えられた「自由」の裁量にも不安を感じ始める。その結果が綿密に構造化され、与えられた『マニアル社会化現象』の現在の日本である。

 その影響の一つでもあろうか、わが国でも「少子化」現象が始まる。
自分たちの国を想い、愛することが出来ない若者たちは『自己満足と自己肯定』な発想へ流れ,子供を生むことや大人になることにまで躊躇してしまっている。その結果が『少子化』や『草食性』若者の登場、他方では同性愛者たちも増え、セックスレスの若者たちも増える。このままで行くと国家の衰退化へと繋がることも考慮しなければならない。
 今の日本でも、個人のアイデンティティに不安を感じ始め、自らが自分を騙したり、痛めつけ始める。変身願望や入れ墨、人体改造とプチ整形迄。そして、24時間音楽、コスプレ、かぶりモノ、アニメ、漫画、ブログマニア。
 アキバというバーチャルの産みの里に彼らたちは自然発生化し、増殖化する。バーチュアル・リアリティに嵌る若者たちとその向こう側には、俗信的なレベルでの「神頼み」へ奔り、精神主義者と称される若者たちも増加する。
 それらを揺り動かそうとコンヴァージェントする時代の波は若者たち迄も「保守の中庸化」が時代性となり始める。

「保守の中庸化」で考えられる時代の価値観は,
「家で・みんなで・安心という心地良さ」がコンセプト。
*家で;家を中心に、室内と屋外、昼と夜、、、
*みんなで;友人、恋人、家族、同僚、、、
*安心;心の安心と身体の安心そして、環境の安心、
    そのための機能性を考え始める、、、
*心地良さ;楽さ、快適さ、のんびりさ、自分主義的コクーン。

 そして、ファッション商品とそのビジネスにも、
 「新・階級化社会構造へ」というベクトル。
「心に楽しく、身体に優しい」というクオリティ。
「アイデンティティを再発見、再感動のためのザ・ニッポン」
 というテイスト。

これらが「20世紀」という流れの連続性から考えられる価値観と
その現れとしての社会化現象でしょう。


ここで、アジテーション、『20世紀を忘れろ!!そして、本質を知ろう。』を考えてみましょう。
もう、20世紀の後半は来ません。80年代も、90年代も戻って来ない。
来るのは21世紀と言う新たな価値観が必要な時代が、90年代の始まりのアーカイブをベースにして、実は、もう来てしまっているのです。
その基本発想は『本質を知った上での関係性の確立』が大切な根拠性。

**
資本主義の今後を考えてみると大きくは2つの新たな方向性が考えられます。
そのひとつは従来からの、20世紀を引き継ぐ構造がより肥大化する考え。
これは「独占資本主義」とでも呼べるまでのものでしょう。
ここまで来てしまったのだから出せる国家の「エゴ」、企業の「エゴ」
そして、個人の「エゴ」はどんどん出すことによっての現状肥大と維持化。
もうひとつは「共棲資本主義」とでも呼べるものです。
共に分かち合い出来るだけ「エゴ」を少なくして
みんなで責任を持ち合って共生してゆこうというもの。
ここで、共生してゆくための価値観の括りは政治性でもなく思想でもなく、
もっと自由な個人の生活者意識レベルでの括りの中で、
人間の大切な生活環境を守りながら個人のレベルだけでなく人間のレベルと、リズムで生活して行こうと言う発想。
ここでは個人の経験によって持ち得た価値観とクオリティオブライフの成熟度が
大切なキーワードになる豊かなる少衆化の資本主義構造。
例えば,かつての「ヒッピー」たちが思い描いたコミューン思想の昇華スパイラル化。
同じように『関係性』を拠りどころとした対峙する資本主義、
その一つがキリスト教的な「弱肉強食」社会の肯定と、
もう一つが仏教、儒教的な「想い合うこころ」によって生かされるという社会への望み。
進化した消費社会の日本でも最近、出始めた言葉に「共費社会」がある。
これなどは「共棲資本主義」を考慮したところでの言葉であろう。

***
 20世紀の最終コースから始まった、「距離の消滅化」とは、
例えば、国と国。女と男。そして、作り手と買い手等、など、、、
このような関係性における「距離の消滅化」もこの21世紀の新たなコンセプトの重要な一つでしょう。
「国と国」の関係性は民族と民族の関係性へと拡大進展化してゆくでしょう。
この地球上で共産主義、社会主義というイデオロギーを持った国家の比率はますます少なくなるでしょう。
従って、今後は資本主義国家間における民族と民族との関係性が即ち、民族主義的なる国家がより、強力化、拡大化してゆくというコンセプト。

「女と男」、このジェンダーにおける性差の「距離の消滅化」は
より、人間的なる又、地球人たる発想の下での「女と男」を考えられるようになるだろう。
即ち、我々は女であり、男であるけれど、「だけど、人間だね!」というまでの新たなコンセプト。

「作り手と買い手」の関係性における「距離の消滅化」はもう既にプロシューマーと言う名で登場していますが、彼らたちのこれからは自分の作りたいものを作れる環境と状況はより狭くなるでしょう。
時代がもたらした豊かさによって、作り手からも、買い手からも、その欲望は両方からさほど、必要がなくなり始めるでしょう。
 それほど、普通のものが高品位と高水準と低価格へと一般化して来たからです。
これが「進化」と言うものですね。

 20世紀の延長としての新たな価値観の模索はもう、通用し難いまでの時代性が現在です。
例えば、現在のグローバリズムとはネオ・コロニアリズムであるという発想を持った時には20世紀を飛び越して、
かつての「植民地時代」のバーチャル・リアリティ化、バーチャル・イメージ化は一つのアイディアであるかも知れませんね。国家規模より、民族規模が新たなスケールとなるのですから。

****
 現実の巷の日本は例えば,ファッションビジネスの世界も完全に「黒舟」到来で目覚め、騒ぎ立てている。
それは未だに、変らぬ『シングル・スタンダード』しか持ち得ていない大半の国民性の現状でしょう。
『本質』を見極める為の知識や知恵がその教育の一番の元であったはずが、いつの間にか『本質』はどうでもよくって、表層のみを、与えられた『マニュアル』さえ覚えこめば式の偏差値教育から社会構造と環境に至るまで、いたって単純な単細胞的なるシングルスタンダードの国民性へ成り上がってしまっている現実。
かつてのように『農業立国』や『工業立国』へ完全復帰が出来ない現実も考えないで、『再・鎖国論』さえも、もっともらしく表層化してしまうほどに、僕たちの『シングル・スタンダード』発想は普遍化してしまっている重症国民病でしょう。その一つに『自分の夢』『個人の満足』観が異常に強い志向性であり,『自己肯定』で自己防衛している狭い世界での自己満足型の若者たち。従って,国のため、社会のためという発想が未熟児的なる国民性もこの『本質』に無知、無教養であることの現れでしょう。

*****
 先ほどの、「共棲資本主義」の進化を新しさと考えると、
新-国民服的なる制服の時代が予感されます。これが『ユニクロ』の登場でもあるでしょう。
それと並列した自由服としての『黒舟』もの。これらは「h&m」「21 forever」で代表されるでしょう。

 新たな感覚での『UNIFORMISM』-『制服化』は多くの意味で、今後の繊維業界の一つの目玉になるでしょう。

 豊かさと自由さをそれぞれのフレームとしたところでの『制服』、これにどの様な素材感とデザインがなされるかは一つの興味ある発想。 

 『ユニフォーミズム』の到来?とは、
気がつけば、誰もが、何らかのところの『ユニフォーム』を着て生活している?そんな時代。
『流行』とはトレンド物を着る事から自分たちの棲み分けのためのユニフォームとなるものを着ると言うまでの
分衆、属化現象が『流行』?スポーツジム、ゴルフクラブ、余暇サークル、コミュニティ活動、ボランティア活動などいろいろな『気概』を通じての「階級化社会の形成化」へ。
『気概のユニフォーミズム』も新たなコンセプトでしょう。
この辺りが新たな繊維産業の可能性へ繋がって行くとも考えられる社会の変化。

******
 日本的環境と都市構造と生活構造しての『コンビニ』環境をどのように取り組んだ都市生活者構造とそれらをターゲットにした新しい商業構造が組み立てられるか?そして、今後、しばらくはホットな流れになるであろう、『衣、食、住、装』という自分生活環境のテイストとクオリティからまとめ上げるMDが消費構造そのものになるまでの『カテゴリー・ミックス』が始まるでしょう。
 例えば、「コンビニのあるセレクトショップ」や「デパ地下とセレクトショップ」など。
もう既に、現実の都市はより過疎化し始め、都市の中心はショールーム化してしまって実際のお買い物は豊かな人たちは自分たちが住んでいる地元で、という地域社会とのコミット化。
若い世代や家族たちも郊外のアウトレット・モールか、ネットのショップまたはオークションで上手なお買い物がより現実と頻度を増し始める。

 15歳以降の日本人が今後、どのような生活環境を持ち得それが世界レベルとどの様な差異が在るかを見極めることも一つの視点。
 この15歳以降は生まれてくると既に、PCが存在する生活環境なのです。
ここでの彼らたちの『脳味噌』がどのように日本的に変革をしてゆくのか?
僕は、もう、ここに一つの拠りどころを感じ始めています。
ここでは『ウサギと亀』のお話はPCを駆使して興味あるサイトにワープし,
大いに広げられる『ヴァーチャルな関係性』が発展進化する時代性がより,現実化へ。

*******
 今世紀の始まりを待たないでも、BIO、DNA組み替え、新エネルギィー、サイバービジネス、個人レベルとヴァーチャルレベルも含めた知的著作権それに例の、宇宙開発による再世界参入、これらが新たな世紀の「利権戦争」の主戦場でしょう。
 20世紀までで既に、あらゆる既成なる『利権』を地球規模で搾取して金を儲けてしまった階級者たちが向かう新たで、より激しい『利権』戦争がこの分野なのでしょう。

 そんな世界からファッション産業はどの方向へ進化してゆくのか?または置いてきぼりを喰ってしまうのか?

 ここでも、バイオや遺伝子組み換えによる新たな被服素材を開発し、バーチャルイメージにおけるビジネス戦略の多種混合化と新たなイミグレーターたちとの混血化による新しい日本人の登場、これらの『豊かさのリーミックス化』で高度、広範囲化なヒューマンビジネスと考えるビジネスの在り方もやはりファッションの世界に関係してくるのがこれからの世界観には必要でしょう。

 我々の『金本位資本主義社会』は良く見て、『共棲・金本位制資本主義』に限りなく『自由』に揺れ動き、流れてゆけば未だ、それなりの可能性と人間らしさが失われずに生きて行けるでしょう。
が、ここに古呆けてしまった20世紀の『イデオロギー』による『独占資本主義』進化論を持ち出してしまうと元の木阿弥へ。

 『HAPPY,PEACE & FREEDOM』
 かつてのヒッピーが叫んでいた声が、やっとぼくたちのアメリカ印の日本の生活現場の後ろから
若い純粋なニュージェネレーションたちの声とスピリチュアルリズムを志向し始めた30代から聞こえてくる時代が確実に、一つの新しい時代を迎えるでしょう。

 都市のベクトルは『郊外』型へ、郊外でうけているものが都市へ流れ込むベクトルも読めますね。
なぜ、郊外かと言えば、未だそこには『自然』が存在しているからです。『土』が在るからです。
そして、『住民』が住んでいるからです。
『黒舟』に対抗するには『土』しかないかもしれませんね。
また、それぞれが持ち得た生活の豊かさから“レジデンサー”が
新たな『本当の顧客』だという判断も必要な時代性でしょう。
決して都市へ集中するようないわゆる“スベニーヤー”たちはいい顧客ではなくなり始めたということです。

 おわりに、 
 なぜ、『20世紀を忘れろ!!』なのかの本質は
国民の大半がもう既に、『豊かな生活環境と状況』を現実として経験していること、
また『豊かさのイメージ』のみを追っていた世代が疲れ始め
彼らたちによる新たなペイジが開かれる時が今だからです。
 これからは『豊かさと穏やかさのリーミックス、サンプリング、リーメイク』が
モノ作りにも商業施設にも、そのコンセプトとして大切になり,必要なのです。
そして、此の時、もう一方で大事なのが『時間のベクトル』の質の変化を読む事でしょう。

そんな時代観を感じています。
文責/平川武治:(初稿平成21年2月/再編集平成22年2月):

投稿者 : editor | 2010年02月22日 02:00 | comment and transrate this entry (0)