discipline(1)

web site "Discipline" is

whims article, greeting and "Le Pli" info by spectator's Take.
communicate address>>> lepli@net2.kddi.fr

投稿者 : take.Hirakawa | 2002年10月16日 23:04 |

web site "Le Pli" is information and archives of guerrilla report Le Pli on TOKYO collection.

article(46)

或る友人への手紙-3;

お元気そうなメール、ありがとう。
もう,2月になってしまったね,寒くなってきた巴里での生活は如何ですか?
B.でスタージュを為さっていらっしゃるそうですね。焦らず、物事の本質を学ぶような時間の使い方を為さってください。

 現代のような時代性の一つは『POP社会=消費社会』の泡沫化現象でしょう。
「MICRO POP」或いは、『After the reality』とコンテンポラリアートの世界で言われている状況とも似通った時代性鴨知れませんね。もう、塊としてのPOPが通用しなくなり、普遍的になってしまった社会性。もしくはより、蔓延化してしまっただけの状況。これが今の時代性とも言える「スーパーフラット」な現象でしょう。そして、『豊かさのイメージ』を追うに疲れた姿か若しくは『豊かさを享受』してしまった微温湯の中での彷徨いか、「中庸」を選択してしまう優柔不断な自己肯定に依るコンサヴァティブ状況なのでしょう。(世の中すべてが、既に200%、POPでありそれがフラットになってしまったね?)

 昨年末、読み直した本に『キッチュ』が在りました。(法政大学出版局刊『キッチュの社会学』?) 
 創造とデザインの世界では『キッチュ』性がより全面へ出て来るでしょう。B.も所詮、キッチュでしかなくこれがウケル時代性でしょう。例えば、ニコラの後ろには嘗ての大きなPOP以前の強い洗練された塊があったことを理解と認識の上でのデザインディレクションをしているのが彼の賢さですね。
「Kitsch」の世界もしくは歴史又は現象とその内容については改めて、学ぶ価値ありです。特に、ドイツ、オーストリー圏はその発祥とメッカですからね。ある時代の文化が円熟し荒廃期に差し掛かると表層化して来るのが『キッチュ』現象。
 もしかしたら、『江戸POP』や『アキバPOP』『ゲームPOP』『渋谷POP』なんかも僕たちなりのキッチュ-ジャポニズムと読めるかもね?

 そう,BAMAKO'09の写真展は凄かったよ!!
甘っちょろさが無く、みんなラジカルなこころの様を自由さに委ねて表現している写真は今のモードのただ表層と小手先を加えただけのそれらには見られないもので驚きとより、好奇心が。しかし、この「好奇心」を虚栄心と安直な安心の上にすり替えてしまってとてもつまらぬ時代の微温湯に浸かってしまた『迷える子羊』にはならないでくださいね。
 旅をしてください。
与えられた『生という時間』は自分の人生という道への旅をするために与えられた時間であると考えることも出来ますね。例えば、B.でのスタージュも『旅』だという発想も可でしょう。

 良く,『すっかり,時代が変わった』と言う言葉が出ますが『時代が変わる』ということは、『時が進化して螺旋階段を上りつつ、』ということですね。
その進化とは、何がどのように進化したのか、どれ程の位相が付いての螺旋階段なのかを学んでください。これは自分が持ち得たリアリテから感じ知り得るのが直感的でしょう。それをロジカルに理解する為に学ぶという行為が必要ですね。此の両方のバランスが自分らしさの根拠性。

 もう、『ウサギと亀の話』では亀ではだめですよ!! ウサギになってください。
目標さえ持ちえれば、亀でなくウサギですよ!!ウサギは『飛べる』という特技がありますね。亀は甲羅が在る事によって守るだけの機能しか持っていません。だから真面目に只、只、歩くしかないのです。
戦後の、あの時代背景を背負った日本人の新たな生活を取り戻す為には「教訓」として『兎と亀』の童話の解釈が在りました。しかし、現代ではその社会状況も環境も変化しました。兎が持っている機能としての『跳ぶ』ことが出来る特技を使って、いろいろな体験やそこで生まれる『関係性』が大切だと言いたいのです。でも、何処かで昼寝をしているだけでも駄目ですね。昼寝と同じような只、微温湯に 使って、彷徨っているだけでも駄目でしょう。『目的』に向かう為に堂々と出会うべき人たちとの出会いの機会が得られるような“旅”が必要ですね。経験と時間の使い方そして、その時にどれだけ、自分の中身が在るかでしょう。だから、何を学び、誰と出会いどのような時間を使い、持ち得るかが大切な心得でしょう。その時、もう今の時代性では亀さんよりウサギさんだと思うのです。これは僕がよく言う『シングルスタンダード』と『ミックススタンダード』の違いでもあるでしょう。亀はS.スタンダード、ウサギはM.スタンダードを持っていると。一つの自分の行動から生まれ得る可能性ある新たな『関係性』をどのように広げ、継続してゆくかが総ての始まりであり、その結果が友情であり、愛情であり、家族であり、ビジネスでもあるという現実とその本質を知ることは大切でしょう。

 昨日は雪が積もりましたね、巴里にも。
寒いでしょうから、健康には十分に気を付けてくださいね。健康在っての総てです。これは僕が26歳の時に肺病で1年療養生活をした経験から学んだ本質です。

 『ユニフォーミズム』
これが今僕が想っている言葉。
 昨年の8月15日はある記念日でした。
そう,ウッドストックロックフェスティバルの40周年だったのです。
僕はレンタルヴィデオやでDVDを借りて1週間見つずけても楽しく、凄い感動でした。
 あすこには『未来』があります。
これについては次回にお話ししましょう。

 僕たちが今想い考えなければ成らないことは,
今後10年先,20年先の日本がどのような国に成るのだろうかということです。
子供たちが自慢出来る国に成るのでしょうか?
僕は彼らたちが自慢出来る国にしたいのです。
余りにも自分たちの目先のセンスの悪いことばかりに無駄な時間とこゝろと金を使い過ぎる社会になってしまっていますね。
変わらぬ資本主義であれば,その資本主義がどのような資本主義に成って行ってくれれば良いかを考えませんか?
ここからがスタートです。もう『20世紀』は忘れよ!!です。
そして,『ウサギとカメ』の新たな解釈が必要な時代性でもあります。
今年に行われる上海の「世界万博」が終われば,僕たちの国は大きく、何かを負い背負わされるでしょう。もしかしたら,国自体が『亀』になってしまう恐れも考えられますね。

『自由とは恐怖でありしかも、孤独である。』


I came to this city 25 years.
Mode through the things I learned in the end, human beings can make the original creation and of human nature have earned nothing but inspiration and depth of experiential learning and personal freedom.
Will create a sense of balance is the essence of good sense and intellectual level of freedom and humanity have earned it. Therefore, the collection and I have the opportunity to discover its essence is very happy. This is a generation or nationality or gender, and its creator, just the fundamental things that you ignore the times. And this is certainly one of the acts of human happiness.』   

 “Thanks a lot for my 66years brithday,Take.Hirakawa:”

投稿者 : editor | 2010年02月03日 07:37 | comment and transrate this entry (0)

article(46)

『或る友への手紙-2』

 また、最近、本当に昔に一生懸命に読み耽った『アウトサイダー』(c.ウイルソン/英)という本をこちらで読み返し始めてしまってもしかしたら此の本が僕の人生の方向性を潜在的に決定してくれた1冊ではなかっただろうかと再読しているうちに思える様にもなり始めたのです。
昔、読んだ本を時代が変わって又、年老いて再読することも必要な時代性かも知れませんね。きっと、僕たちの世代の多くの人たちが此の本を読んで好奇心やエネルギィーや影響を享けたのでしょう。そして此れ位の教養は今の若い世代の人たちに通じるのだろうかとも疑問視してしまったのですが?もし、興味を持たれた人は通読するにはしんどい本ですが一度読んでも悪くない本です。
 
 今年で僕の此の様な馬鹿げた、自分勝手な生き方ももう、25年目になります。
『 僕がこの街へ来て25年。
モードを通じて知り得た事は結局、人間が作り出せる創造とは持ち得た人間性の元、個人の学習と経験に基づいた自由のひらめきと深さと勇気でしかない。
 その持ち得た人間性と自由のセンスの良さと知的レベルのバランス観が創造の本質なのでしょう。従って、その本質に触れられるようなコレクションに出会うと僕はとても幸せな気分になります。これはその創造者の世代や国籍や性別そして、時代を無視したところの根源的な事でしょう。そして、これは人間としての確実に仕合せな行為の一つである。合掌。』

 こうした僕なりの眼差しの内に君のIT’Sでのコレクションは不思議と覚えています。君の人間性のチャーミングさがあの世界の中には自由奔放に存在していたのです。その耀きの幾つかが今も残っています。ありがとう、Tくん。

 これからの可能性を考えると,無理して,カッコ付けて売れるかどうか判らないものを与えられたトレンドのフレームの中だけで、今迄のようにデザイナー気取りで,デザイナーに成ることよりも,本当に自分の好きな服を着てもらえる人の為に造ることが出来る、造れる環境としての『工房』を持つことでしょうか?そこで,出来る限りのことを自分一人でやることです。素材から部品、染色,パターンメイキングそして縫製迄,勿論,最後の『服』という消費財を他者へ委ねること迄。大袈裟に言ってしまうと、或る意味で自分の魂の分身を作り出す為に必要なことは総て,自分一人で楽しんで苦しんでやってゆくこと。自分で何から何迄やること。そのためのこゝろと根気と技術と想いが必要です。そうして一人でやっている行為を他人は見てくれ,近づいてくれ本来の『関係性』の広がりが世界規模で出来るでしょう。これが総ての始まりであり,それそのものがしあわせであると想う謙虚なこゝろの在り方も大切な『人間へのがんばり』への開く扉でしょう。そうしてゆけば,自分の得意なこと,不得意なこと、不足していることや出来ないところが解ります。それからでも人と組むことを考えてもいいでしょう。最初から自分がデザイナーであるという発想の基での服作りはもう案外と旧くカッコ悪い構造かもしれません。会社にして、人を雇って,コレクションをやって,展示会もやる。これらのコストを考えると売ることを考え過ぎてしまいますね。案外、自分一人の『アトリエ』構造がこれからは本来の、造り手としての生き甲斐に、心地よさに通じるものではないでしょうか?余りにも今の若い人たちや海外で学んだからというだけで気負っている人たちの馬鹿げた旧い,カッコ悪い、不自由な自己満足だけでセンスの悪いコレクションを他人に頼み、他人を使って,人の時間と公金を平気で使わして貰ってデザイナーぶっている人が多過ぎますし,そんなことをやっている自分とその周りのお友達関係でありたい連中たちと業界人ぶっている連中だけの変な世界観が出来てしまってその中で閉塞感が満ち溢れてしまうという状況が読めますね。今の『東コレ』の現実は手遅れてしまった、此の状況ではないでしょうか?

 新たな商業施設としての,時代性を見事にコンセプトとしたあの『TRADING MUSEUM CdG』ショップで彼の造ったものを見て、僕は改めて『クリストファー-ネメス』の変わらぬファッションに対しての想いと凄さ、強さを、偉大さを、こうして知ってしまいました。多分彼も今年は東京での此の様な姿勢を持ち続けて25年目になるでしょう。やはり,彼も『人間へのがんばり』を持ち得て続けている人なのですね。大抵の人は『自分のがんばり』と『男や女のがんばり』しか持っていない人が多いのですが,
僕の未熟,無知さが今やっと彼の世界観の灯りに気が付いたのです。
君も好きでしたよね!!
あの環境の中に混ざっても決して見劣りもしないで実に堂々とした顔つきを作っているC.ネメスのデニムライン。そして、あのプライス。総てが見事ですね。カッコいいとはこういうものだと思うのですがどうでしょうか?なぜ、彼があのような堂々とした態度とセンスとであのデニムラインがあの値段で売れるか?また売っているのかの僕なりの答えが前述の『自分の作りたい物は総て自分のリスクとコストで自分がやれること総てを責任持って自分でやる。』という此の余りにも当たり前な態度が彼らしくやはり、潔く突き通されているからの結果だと考えたのです。どうでしょうか?
提灯持ちスタイリストたちやジャーナリストと称する太鼓持ちたちへ喋らないでいいことを出しゃばって、べれべれ喋りまくる二流のデザイナーたちはどのようなこゝろで見ているのでしょうね、含羞の念いは無いのでしょうか。
社会の、世のためにならないことばかりしたいのであれば、せめて、自分の存在が地球を汚すことはしないで欲しいですね。


 昨年の秋の終わりに開店した、『TRADING MUSEUM CdG』は流石のお見事な,新しいコンセプトショップでした。
僕が以前から喋っていた此の様なコンセプトが実際に現実化した事は楽しく嬉しいこと。此れからのファッションビジネスも或る意味ではアートビジネスと寄り添って行く術を採るでしょう。その視点で読むと此のショップは時代に乗っ取ったお見事な発想とリアリテです。
これが現実化出来るところが今のCdGの強みと頭脳でしょう。
『オリジナルタブロー』と『ポストカード』の関係性。
此の関係性が消費構造のエンディング即ち、完結性の一つ。
『オリジナルタブロー』が価値ある本物で強い創造性と深いコンセプトと可能なる手法と技術に依って創造されたものだけが出来る『関係性』。
僕が今、いいクリエーションとは、『It's so special,so original & everything so more.』と発言している根拠性はここへ行き着くのです。
それを自分たちの世界観の中心軸として総てが『スーベニア』感覚の元に、構造をよりオリジナルにスペシャルにそして,キッチュに,スーベニックにそして、『博物学』的にまとめあげた空間が新たなエモーショナル空間。それらは使えるものは総て使う事によって生まれる新たな一つの世界観とそこからの関係性。自分たちの在庫室に置いておくと仕掛借り在庫であり課税対象品、それを場所を変えるだけでその価値観も変革してしまうことを読んだ此の手法はユダヤ人たちのマジックの一つでもあります。
在るべき、アーカイブと在るべき本質とイメージをどのように再構築して新たな価値を産み落としビジネスへ昇華させるか?
今後,アートの世界が、アーチストたちがCdGのコレクティブな世界へ順応されて来るシステムとその動きが痛快ですね。そして、これが理解されているブランドは日本では未だ無く,流石のCdG.ですね。これを現実のビジネスとして考えられるのは『M-スタンダード発想』の一つですね。そして、CdGしかこのような事を考え行動へ移せることが出来る日本企業は無いでしょう。
いまだに、まだあの「merci」がこれからの手本と称している輩が今の日本の業界人の現実レベルでしょう。ここで言っておきますが、あの「merci」は当然ですがショップコンセプトも立派ですが、あのショップはあの地域のレジデンサーたちをメインの顧客と考えるイベントを催して所謂、地域住民還元型の手法を毎週、採っていることが他店との差別化であり、より、成功を継続させている秘訣なのです。新しい店を創ってもそれをいつも新しさで継続させてゆく為の差別化の手法が必要。それを此の『merci』は地域住民とのコミットを一つのアイディアとしてやり始めたから今も在るのです。ここにも今後への新たなショップがどう在るべきかのアイディアがあります。
 従って、現在時点で考えると今後の日本のファッションテナントビジネスの新たな手法としては此の『T.M.CdG』タイプか、『merci』タイプのレジデンサーを巻き込むMD手法と環境を作ってゆくタイプかの何れかの二極化が新鮮さを生むでしょう。

 例えば、出来れば,苦難の時期を迎えているデパート業,伊勢丹でも此の様なフロアーを幾つか作り,会員制システムにするか,入場料を取るデパートとして出発すれば,世界で初めての『入場料を取るデパート』として世界レベルへ発信出来る事でしょうね。
それこそ,CdGがプロジュース為さっておやりになればより,世界レベルでしょうね。

ありがとう。Tくん
ご自愛とお励みを:

『或る友への手紙-2』終わり、
文責/平川武治:

投稿者 : editor | 2010年01月25日 21:21 | comment and transrate this entry (0)

greeting(9)

或る友への新年の手紙−1;

 こんにちは,

 昨年もご無沙汰をして余り,君への手紙を交わさなくてすみませんでした。
 お変わりありませんか?

 いっぱい会いたく,幾度も想い何処にいらっしゃるのかと,そんな時のあなたからのメールはとても励ましと安心と懐かしさそのものでした。遅れましたが,改めてお礼を申します、ありがとう。

『穏やかで,爽やかな新年の始まりをお迎えになられたことでしょう。
 今年も宜しくご鞭撻ください。良き関係性を出来るだけ永く!!』

 少し,昨年、僕がどのようなことを考えて行動していたかをお話ししましょう。

 『昨年11月も始まった頃急遽、マリ共和国へ、;
 巴里の後、11月初めから急遽,西アフリカのマリ共和国へ出掛けておりました。この街の首都,BAMAKOというところで、アフリカ人写真家たちの為の写真ビエンナーレの7回目が開催される事を知ってこれを発端に急遽、出掛けたのです。
僕の好きな写真家,Malik Sidibe(マリック-シュリベ)と言うもう、75歳の彼がオーガナイズしている此のビエンナーレは僕には何かもの足りぬものへの『好奇心』を求めに行きたくなったのです。良き『好奇心』さえ持ち続ければ,自らの内に良いエネルギィーが与えられ、持ち得ることが出来るとまた,好奇心さえ持ち続けられれば歳を取らないであろうという持論の実行でもありました。
 
 こゝろの発端は,モードの世界の身勝手な生温さとその,虚飾さにそろそろ我慢が出来なくなって来た事も在ります。好きなモードにしがみついてばかりが本心、しんどくなってしまった事も一つの原因でしょうか?
 
 そこで初めての西アフリカへ、数週間『こゝろヒッピィーな』人生最後の旅へ、バックパックを背負い込んでの此の歳になって体験するべく旅に出掛けました。
自分が取る行為と行動にはいつも『リスクとコスト』が、これが僕のもう一つの人生訓。また何れ,彼らたちもいつの間にか消費社会の一員になるであろうとの明るい気持ちも手伝ってでしたが,いや,大変な旅でした。
残された今後の時間に、とっても良い経験と出会いの旅となり,ピュアーでシンプルなエネルギィーを貰って帰って来ました。

 いつも、旅は自分が予測出来ない事の不連続。
これが旅ですから楽しいのでしょう。
その時にどのようにその時間と経験を受け止められるかでしょうね。
それが現実というもの。
僕のマリもそんな連続でした。
此の歳で、いい意味に、またカルチュア—ショックでした。
 たいへんな国です。
学ぶ事が、新たなこゝろで学ぶ事がいっぱいありました。
その一番は『働くということ』でした。
彼らたちの『貧しさ』を知ったこと。
彼らたちの『生きる事への執念』を感じたこと。
彼らたちの『人間としてのチャーミングさ』を覚えたこと。
それらを知ってしまったらそれに対して、何をしたらいいのか?
どの様なこゝろと態度で向かい合ったらいいのか?
もっと、残された時間をいっぱいに、一生懸命に、働く!!という想いが深く。

 写真展へは少し参加させて頂き、此のビエンナーレがとても力強い,何か自分たちの眼差しで何が出来るのか?という、こゝろのエモーションとラジカルな視線の参加写真群は僕に新たな刺激をいっぱいくれた機会でした。http://www.fotoafrica.org/
丁度,帰国して判ったのですが,昨年末はアントワープの友人の写真ギャラリーではM.シュリベとセイジュ-ケイタの展覧会がそして,恵比寿の写真美術館では『AFRICA』展が開催されていましたね。(また、”週刊東洋経済”誌の今年の新年号ではビジネス面から『アフリカの衝撃』が特集としてくまれています。)また,此の国には『藍染め』と『泥染め』の技術の良いのが残っていて未だに、此の国の伝統産業として継続されているそのような現場も見せて頂く事も出来ました。

 今回の、乗り合いバスを乗り継いでの旅では、もう少しで『死』と出会うはめになった事もあってマリの旅は以前、行った東アフリカの旅とは全く印象の違う現実に訴える人生、本当に最後の『こゝろヒッピィー』な旅を経験させて頂き帰って来ました。
 そして、出来れば人生の最後は『羊飼い』になりたくなって帰って来ました。


 『 やはり,モードの世界は”A fashion is always in fake. ”(A fake means image or ?) ;
 30年以上も昔に、僕が好きだったこのモードの世界へ入る前に僕なりに思っていた此の言葉は案外と当たっていたようです。多分、此の『フェイクのネタ』が実社会のリアリテの豊かさに依ってバレはじめ,本来の魅力が変質し,喪われ始めたのでしょうか? これが’70年代以降から生まれた『POP社会』即ち『大衆消費社会』の泡沫化現象の一つでもあるのでしょう。(MICRO-POPの彼方に。”After the Reality"の次なるを想像すること。 )
 
 だから余計に新たな『リアリテ』に好奇心と自由を!!
 そして、与えられた生としての時間を先ず、感謝して次なるは、僕なりの『リアリテ』に一生懸命、『リスクとコスト』を張ってゆきたいのかも解りませんね。   

今年,2010年はいろいろ、『頭を開いて、質のいい好奇心』とその流れの時間に委ねて下さい。勇気と責任感を持って!その根拠性は『人間としてのがんばり』とそこから生まれる『優しさ』です。
 
 『豊かさのイメージ』を追う事に疲れた只の,難民にならないでください。迷わないでください。

 君が学んだ事,贅沢に経験されて来たことを持って、持ち得たそれぞれのすばらしい『関係性』を大切な因りどころとして、気概と真こゝろを忘れず、社会へ君しか出来ない立場を創り、大いに、世の為に役立ててください。今年も!!

 『人間の乗った回転木馬は多くの変化に会った。インドや東洋の国々が数千年の努力を費やしてやっと,脱ぎ捨てた迷妄は西洋が同様の苦心を払って,維持し強化して来た迷妄と同じである。』 H.ヘッセ/荒野のオオカミ:
 
 どうも、ありがとう
変わらぬ関係性と共に呉々も、ご自愛とお励みを。
ひらかわたけはる/平成弐拾弐年正月吉日:

投稿者 : editor | 2010年01月14日 23:40 | comment and transrate this entry (0)

greeting(9)

『La Fashion Week en ligne 』ファッションサイト紹介。

巴里のフリーペーパー、[A NOUS]がコレクション時期に特集したファッションサイト集。
ご参考に!!
『La Fashion Week en ligne 』

http://www.modemonline.com/
http://fashionweek.elle.fr/
http://www.lexpress.fr/styles/mode/
http://blogs.lexpress.fr/cafe-mode/
http://www.style.com/
http://themoment.blogs.nytimes.com/
http://themoment.blogs.nytimes.com/author/greg-kessler/

http://tavi-thenewgirlintown.blogspot.com/
出典;A NOUS.05/10/09より:

他に僕が引かかったもの、
http://www.thecorner.com/
http://www.cut-magazine.com/
文責;平川武治

投稿者 : editor | 2009年10月12日 06:40 | comment and transrate this entry (0)

lepli(1)

あの、Maison Martin Margielaブランドが遂に、

 今シーズンのパリコレでのお話。そのー1。
このブランドのショーが終わった翌日、こんなコメントが、遂に発表された。

『 MAISON MARTIN MARGIELA: Renzo Rosso confirmed yesterday that Martin Margiela was no longer directly involved in the designing of the label.
He explained: "Martin has not been there for a long time. He is here but not here. We have a new fresh design team on board. We are focusing on young, realistic energy for the future, this is really Margiela for the year 2015." 』

 Maison Martin Margielaブランドのオーナーであるジーンズ業界、Diesel社の社長のRenzo Rossoがべルギィーのウエブサイト『WGSN』で発言したコメントである。
元デザイナーの本人、マルタンマルジェラがデザイナー契約を辞めてから数年が既に、過ぎたのに未だ、日本のメディア等はさも、当人が居るが如くに特集を組み、メディア露出を行っているのですが、(これもある意味では立派ですね。かつてのマルタンのお陰でしょう。)やはり、マルタンデザインの本質を理解している者からすれば、もう彼のデザインコンセプトもテイストも既に終わっていますね、本当に残念ですが。売り上げも落とし始めている現実を今後、どのように打開して行くのでしょうね?これを早々に危惧し始めたオーナー、Rosso氏の証拠の発言とでもとりましょう。
本質を言ってしまえば、本人ががんばってやっていた最高のチーム時代ではこのブランドは『ジェンダー』の為のと言ってもいい迄の『性』を排除したデザインコンセプトが見事に一本筋を通していたのです。
が、今は全くに『イタリーテイストブランド』ですね。

 ’69年の、当時のロンドンを知的にミステリアスに、ROCKと共に舞台とした映画『BROW UP』(M.アントニオーニ監督、この映画はマルタンの次の時代に登場したRAF SIMONSのデヴューコレクションのインビテーションのイメージにも使われていた。)ともう一つ、ロンドンでのオノヨーコの個展「White」展。(’72年?)そして、「GRAFFITI」。彼のデザインとイメージの根拠性を知りたいならば、この三つを自分で探るべし。そして、'86年よりCdGが強烈に揺さぶり落した、巴里モードの断片を落ち穂拾いし結果、「STOCKMAN BODY」に解体と再構築を為したこと。

 さて、イタリアンブランド「Maison Martin Margiela」は21世紀、何処を彷徨う?
もう、’90年代は戻ってこない!!
『WGSN』http://www.wgsn.com/home/

投稿者 : editor | 2009年10月12日 04:43 | comment and transrate this entry (0)

greeting(9)

何に「感謝」をすればいいのだろうか? 誰かに『ありがとう!!』って、言いたくなるときがありませんか?

こんにちは、
又、新しい季節が訪れてくれましたね、

お元気でいらっしゃいますか?

『 ―――「本質」を想い知ること。
その「根拠性」を手探りする。
そして、「関係性」と出会う。
必要である、大切な関係性であればその関係をどのように「継続」してゆくか?
その時、真こころの存在は、「本質」のカオスとエモーション。

唯、「表層」のみの漂いは自我の呻き。

あの街には「表層」の呻きだけが。
従って、多くがのっぺらぼう。
無表情、
厚化粧が増える。

自らの国を想う真こころ。
自分の国を愛する想い。
自然に守られて今がある僕たち。
四季の変化に育まれた心。
自然を見つめてください。
自然を想う真こころと
その現われのみに明日こころが。

1パーセントでいいですから
あなたの「エゴ」をセーブしてください。

モノを作りたい人。
買い物をしたい人、美食をしたい人も。

自然が元気になります。
地球が楽になります。

「生かされている」ことに「感謝」してください。
総ての「根拠性」はここからが出発です。
「本質」はここにあります。


ありがとうございました。 』

 こぼれ陽に秋の落ち着きがそのにほいと共に加わりはじめる鎌倉裏八幡にて、                         
ひらかわたけはる:

投稿者 : editor | 2009年09月18日 13:37 | comment and transrate this entry (0)

greeting(9)

私たちも、黙祷を捧げましょう。ー 季節のご挨拶に代えて、

『 なぜ、こんなことをされても日本はアメリカの言いなりなのだ! 』

エルネスト・チェ・ゲバラ/広島原爆記念館見学の言葉。

みなさま、
今日は64年前、世界で始めて
広島に原子爆弾が投下された、『広島、原爆記念日』です。
私たちも、黙祷を捧げましょう。

無残に、犠牲者になられた人たちのご冥福と共に、

忘れないために。
繰り返さないために。

私たちの国を想うためにも。
世界を考えるためにも。
私たちも、黙祷を捧げましょう。


『 なぜ、こんなことをされても日本はアメリカの言いなりなのだ! 』

そして、もう『アメリカ印の日本』を捨てましょう。
「アメリカ印の国体」を
私たちの、

『日本印の国体』に戻しましょう。

今がいい機会です。
勇気と共に:

平成21年8月06日:
鎌倉にて、
ひらかわたけはる:

投稿者 : editor | 2009年08月06日 14:38 | comment and transrate this entry (1)

長谷川と申します。discipline会に何回か参加したものです。

森有正のことがテレビで放送されていたので報告させてください。
(10年程前に平川さんが新聞に文章を寄せた際に森有正の文章を引用していた記憶があったもので)

NHK教育 「こだわり人物伝」森有正 還っていく場所
水曜日 午後10:25-10:50
翌週水曜日 午前05:35-06:00
9月の2日より放送が始まっており1ヶ月間の放送です。
小説家の片山恭一が語り部となっています。

ご興味、機会がございましたらご覧なってみてください。
またdiscipline会が開かれることを希望しています。
お体を大切にお過ごしください。

投稿者 : 長谷川 : 2009年09月04日 18:37

article(46)

『なぜ、外国の学校を受験するのか?』ー在る友人への手紙。

『なぜ、外国の学校を受験するのか?』

東京へ戻ってきている輩たち。
帰りたくなく、海外でまだうろうろしている輩たち。
その多くを見ていると共通の弱さと大いなる勘違いを感じてしまう。
が、それでも行きたがる若輩ものが多い。
彼らたちの本質は『外国人コンプレックス』か
『シングル・スタンダード』のみの輩たち。

その目的と動機と意義を再度、
確認する状況の時代性だと思っています。
今後の経済状況とその対象としてのモードビジネスの世界も大変です。

もう、20世紀の後半は来ません。
80年代も、90年代も来ません。
来るのは21世紀と言う
新たな価値観が必要な時代です。
(実は、もう来てしまっているのですが、)

『服』は芸術作品ですか?
『服』は工芸作品ですか?
『服』は工業製品ですか?

「服」をつくりたい。

当然だけど、自分の作りたい服を作るためには何処の学校で学べばよいか?
もしかしたら、
これからは自分の作りたい服を作れる環境と状況はより狭くなるでしょうね。
作り手からも、買い手からも、
両方からさほど、必要がなくなり始めるでしょう。
それほど、普通のものが高品位と高水準と低価格へと一般化してゆくからです。
これが「進化」と言うものですね。

それでも尚、と言うのならば、
その時に、自分の作りたい服を上手に作れる技術を学びたい?
または、そのための「理屈」を学びたい?
またまた、そのための「イメージング」が上手になりたくそれを学ぶ?
もしくは、自分の服に使ってみたい素材の知識と素材そのものを学びたい?
または、外国人デザイナーの丁稚をして彼らたちの現実を学びたい、
もしくは、彼らたちのバニティを知りたい、その中へ入りたい?真似をしたい?

または、彼らたちを目標に「夢」として近づきたいから、海外の学校で学ぶ?

でも、あなたは日本人です。

結局は、自分の国へ戻ってこない限りは
先ずは、何も出来ない、始まらないのです。

ぼくもそうです。

たくさんの旅をしています。
外国を知り外国人の友人と多く関わる生活をしています。
が、その経験を持って、
自分のために
自分の大切な人のために
自分の国のために
学んだことを持って、
できえた『関係性』を大切に継続してゆくことしかありません。
そのために外国で学ぶことはすばらしいことでしょう。

海外でいいチームが作れますか?
すばらしい友に出会って一緒に「夢」を共有出来ますか?

金銭的な余裕がありますか?

自ら持ち得た『夢』に
勇気とコストとリスクが
ワールド・ワイドに張れますか?

もっと、自分自身の本質を見極めること。

そうすれば、今、何を選択し、
何をしなければならないのか? したらよいか?
誰と出会えばよいか?
どのようなことのために時間を使えばよいのか?
何の目的のためにお金を使えばよいのか?

自分の一生のため?
もしくは一時のため?

「浦島太郎」の物語をちゃんと読みましょう。

「本質」に目覚めましょう。

自分の人生の「本質」へ眼を向け
そして、謙虚に学びましょう。

日本には高度に発達したいい素材があります。
いい腕の職人さんがいろいろな分野でまだ、いらっしゃいます。
工場もいっぱいあります。
それが崩壊しつつはありますが、彼らたちは僕たちの見方に為ってくださるのです。
そこには、お金儲けだけのための関係性ではありません。

メディアを利用して消費社会の学習も出来ます。
今後のトレンドはより、日本のストリートからの影響が強くなります。
不自由なくコミュニケーションが取れます。

僕たちの国にはファッション産業に関するインフラがいろいろ揃っています。

あの、CdGもこの状況を理解したうえでの海外戦略です。
日本生産が100%に近いブランドです。
素材も日本生産です。
そして、ビジネスも日本国内で80%程を消化しています。

穏やかな心のあり方、他人を想いあう心、
器用な手作業そして、自然に活かされている日本人。
日本にはまだ湿りが残っています。

もっと、「本質」を知ってください。

例えば、もうアントワープなぞは終わってしまっていますよ。
もし、外国の学校で学べる機会を持ったなら
幸せだと感謝してください。
そうして、思い切り、勉強し、
その国でしか体験できないことを、
『本質』を
時間と出会いと経験を学んでください。

「Wスタンダード」を学んでください、身につけてください。

それを根拠性として
自分の生まれた国を想い
将来の母国のために役立ててください。
堂々と勇気と誇りを持って、

そうすれば、もしかしたら、
「服」を作ること自体が、全く、違って見えてくるかもしれません。

君たちは、全く『自由』と言う、大事なものを授かっているのです。
その授かっている『自由』を思い切り、自分らしく使ってゆくところに、
自分らしさと人間らしさが見えてくるはずなのですから。
その『自由』をどのように、
なにのために、使ってゆけるかのために、何を学ぶかですね。

与えられた『自由』を
勇気がないからと言うだけで放棄するのなら
最初から、高望みはしないほうがいいです。

海外の学校へ行っても『マニュアル』はありません。

海外の学校で学べることに感謝をし
どうか、自分が日本人であることを忘れずに
『真こころ』ある行動を為さってください。

人生は永いです。

ご自愛とご活躍を。
ひらかわたけはる:

投稿者 : editor | 2009年07月11日 17:05 | comment and transrate this entry (1)

こんにちは。

濱崎といいます。
平川さんの文章をよんで、
かなりの部分で、自分の中に思い当たる節がありました。

僕自身、今海外の学校で勉強をはじめ、
約三ヶ月ほど経つのですが、
自分が日本人であるという事を、
痛感しています。

見てきたものが違い、
感じてきたものがちがうので、
当然だと思うのですが、
正直、コンプレックスを感じずには、
いられません。
自分の臆病さが、ただ心の中を、
うろうろしているのだと思います。

しかし、文章を読ませて頂いて、

日本で生まれ、日本で育ち、
その中で見てきた、自分の心を大きく揺さぶってきたものを、
今真剣に、ここで思いっきりさらけ出してみせるのが、
これから自分のすべき事であり、

またあらゆる人にお世話して頂いて、ここに自分があることに感謝し、その心のなかで、服作りをしていく事が、
一番肝要な事だと思いました。

自分が日本人であることに、
真剣に向き合い、
そして、享受した自由を思い切りふるい、
服作りをしていきたいと思います。

ありがとうございました。


濱崎 顕士


投稿者 : 濱崎 顕士 : 2009年11月14日 07:22

greeting(9)

『 あなたは自分が生まれた国を深く、静けさの内なるへ想いを込めたことがありますか? 』              新たな年、平成二十一年の初めへのご挨拶。

  あけましておめでとうございます。

『 美はすでに精神である。ものの命を求道するという上で、美観はまた道徳でもある。贅沢という富の誇示ではない、つつましく敬虔な奉仕である。美、精神、それは道、道徳への謙虚な奉仕である。 』 

『美術は大抵の時に、くらしの飾りものの一つである。しかしわが国のくらしでは、くらし自身が美しかったので、応接室に富を誇示するための美術品の展示は許されなかった。 千利休といふ人が、若干さういふ法式をつくったが、その精神には依然として、虚飾を否定する見識があった。』  保田與重郎著『日本の美術史』より:

「 みなさま、昨年もいっぱいの感謝 ありがとうございました。
あらたへの 自由性を信じたい今年、
大切な関係性に真こころある1年でありますように。
私の自由とは 人間のカオスの揺らぎ。 」 

あなたは自分が生まれた国を深く、静けさの内なるへ想いを込めたことがありますか?

謙虚、誠実、爽やかと感謝。』
平川武治 / 平成二十一年正月元日。
鎌倉市西御門1丁目16番地8号:
                          

投稿者 : take.Hirakawa | 2009年01月01日 01:49 | comment and transrate this entry (1)

ご無沙汰しております。金久保健です。ディシプリン会、とても興味があります。今は鎌倉にお住まいなのですね。その後、何の連絡もしなく申し訳なく思っております。私は、時代に翻弄されまくっており、自らのスタンスを見失ってしばらくがたちます。本質的な仕事を志向すればするほど、時代とのずれ感が生じてしまい、孤立感を感じるばかりです。よろしければディシプリン会にお誘いください。平川さんとお会いすることで自らのスタンスが確認(よくも悪くも)できるような気がしております。
よろしくお願い申し上げます。

投稿者 : 金久保健 : 2009年04月06日 20:23

article(46)

いらないものは捨てましょう。

いらないものは捨てましょう。
学べるときは学びましょう。
学んだことを携えて
勇気ある、責任を伴った
愛溢れる経験を
堂々とやってゆきましょう。

自分らしい自由な眼差しで
もう少し上を、遠くを、深くを
ある時は広く、高く俯瞰しながら
自由な心と
豊かな精神を養って。

自分たちだけのことを考え過ぎないで
人のこと
社会のこと
そして、国のことを想い合いませんか?

想いあう、こころある
大切な関係性を
より良い方向へ継続してゆきませんか?
そのためにも、
『政治』に関心を持ちませんか?
謙虚で思いやる心を忘れないために、
『信仰心』に心を向けませんか?
『あるべき道』に関心を。

みなさんのそれぞれの立場で
少しでも
自分の国を
家族のための国を
日本人のための国を
世界のための日本を
思う、想い愛が出来る心で
『関心』を持ってくださいませんか?

   確実に時代は
ここに来て悲しい変貌の兆しを多く、語り始めました。

YSLの、彼の死もその一つでしょうが、

僕たちの国では
いま、
奇妙で恐ろしいことが
たくさん起こり始めています。
それらが表層化し始めています。

人間が
人間をいとも簡単に殺す。
死体を放置、隠蔽そして、切り刻むまで
人のお金を、国のお金を
平気で無断、不誠実に使う。

豊かで恵まれた、幸せそうな
『消費文化社会』という名の元に、
その表層の
『虚飾な』薄皮を
勇気を出して1枚めくってみると、

子供たちが息苦しくなり、
少年たちが既に閉塞感を持ち、
成年たちが社会への着地に戸惑いと不安を体験し、
大人たちは社会への不誠実さを生きる術とし
国を想い愛する心を見失い
人間が人間を慈しむ心さへも既に何処かへ、
置き忘れ

生きてゆくための『義務と責任』の所在が
虚飾に惑わされて喪失。
『楽だ!』という
水が高い所から低いほうへ流れる様に、
例えば、
「自分たちの家族には嘘をつかないが
社会では嘘をついて生きる」
何かを忘れて、捨ててたどり着く『小市民』的
お手軽ヒューマニズムの蔓延。

誰を想い、慕って
何を信じ、求めてよいか
迷ってしまっています。
頼れる社会、想える国が
今、ありません。
混沌としてしまっています。

自分独りでは
生きてゆけないのが人間です。

僕たちは、
新たに来たる未来という時間をどのように、
幸せに、実りある豊かな
そして、より、人間のがんばりとともに
歴史からその輝きを学び、贅沢な時間へ、
僕たちが持ちえた『関係性』が大切であれば、
その大切な『関係性』を豊かに謙虚に継続させてゆくための、
『CARE』がより、今後は必要になってゆくでしょう。

思いあう心と
想うことによって必要になる責任と勇気が。
そのためのオープンな心と精神と知恵が
そこに始めて
『自由』が芽生え始めます。


   ただ、現在の僕たちの国、『日本』を、
その現実に起こっていることの
表層と深層を少し、思慮深く、『CAREFULに』見つめると
僕は恐ろしさを感じ始めました。

余りにも、無意味な、無教養な羞恥心なき表層は
ハリボテ世界の、『虚飾の上塗り』社会。

今の日本が日本人として、
その与えられ預けられた2000年以上の美意識と時間観を持って、
世界に誇れるものがどれ位あるのでしょうか?
心あるものがどれだけ残り
受け継がれているでしょうか?

日本人としての僕たちの祖先が
継続してきたはずの『形態言語』が、
言霊が、
精神性の内なるところで健全に、居心地良く
明快に発する事が、
そんな気概が残っているでしょうか?
そのための気骨があるでしょうか?
そのための大儀が探せるでしょうか?

戦後に育ち
勤勉さとまじめさでその『前後』を想い考え始める余裕さを
持った僕たちは、
この40年間で
完全に何かが 『去勢』されてしまった。

美しさや勇気を愛として
いっぱい持っていた筈の日本人の伸びやかな自由なこころは?

僕たちの国の若者たちは
戦後の、アメリカの政治経済軍事戦略によって
完全に『インポテンツ』にされてしまったとお感じになりませんか?

かつて、『ノン・ポリ』(ノンポリシー)と称されていた人々が築いた国とは
望んだ国とは
このようなものなのでしょうか?


   僕たちの国には『国体』があるのでしょうか? 
誰が僕たちの『国体』を考えているのでしょうか?
戦前には日本人が想い考えた『国体』がありました。
それを考えていた人たちがいました。
今、誰にこのことを尋ねればいいのでしょうか? 


   『消費文化』とは
最近のように
人間の命そのものを粗末にしてしまえるまでのことを言うのでしょうか?
不必要なものばかりが表層を埋め尽くし、
モノの値段ばかりが上がり、
人間の命の価値は下がるばかりではないでしょうか?


   『メディアの役割』として
これからの僕たちの国、
日本の『国体』を考えるための
新たな価値観が、美意識が、
勇気と気骨ある心と謙虚さの調和で
深層部から
世代を超えて、リニューアルしなければ
たいへんな時代へ向かってしまうでしょう。
だから、し始めなければなりません。
今以上に
例えば、『国体・リニューアル革新化』には
大切な機構であり、機能です。

例えば、
こんなシナリオが想像出来ます。

問題の憲法第9条は
日本国憲法の全面改正という戦略的フレームの中で
部分改定がなされ
防衛庁が防衛省になってしまった後は
自衛隊が日本国の軍隊になり、徴兵制度も始まる。

これらは僕たちの国が持つべき目的もビジョン無く、
決断危うく、明晰にせぬままに

現代の世界状況の中では
憲法改正も別におかしくはないかもしれません.
ただ、アメリカの軍事産業の復興化即ち、アメリカの国体維持化ため
新たな、古ぼけてしまった『新・東西冷戦均衡化』のための国連機能に、
NATO軍的発想なる『北東アジア共産軍』の防衛に向けて、
この変わらぬシナリオにしがみつくしかない
現状の日本とは ?

その結果が、
いつの間にか『軍隊』が制度化され
その先には『徴兵』制度が待ち受けて、
2013年ごろまでには現実になるでしょう。

いとも簡単にその目的や本意や気概さえも
明確に、明晰にされないままに
ただ、ただ表層のみの行動で
軽薄な気概無き、気骨無き『右化』へ向かう若者の姿も想像がつきます。


   戦前には戻れません。
が、その時代の人たちには考えられ、求めた『国体』がありました。
そして、戦後がどのように戦勝国アメリカによって
『歴史』が捏造されてしまったかを
僕たちは知る必要が、責任があるはずです。
なぜ、『大東亜戦争』が『太平洋戦争』になってしまったのかを、

だから、し始めなければなりません。
考えなければなりません。
対話しなければなりません。


   若者が病んでいます。
もう、『豊かなる難民』が生まれない社会を、
世界を考えませんか?

必要の無いものが巷に溢れ過ぎています。
人間が人間らしく生きてゆくためには
そんなに多くのものは必要ありません。
それに気づく為の
知恵であり、
教養であり、知識でありメディアであるはずです。

今の僕たちの社会は‘68年からの数年間に
勇気を持った、早熟な
若者たちが苦悩し、希望した
ラジカルな芽生えの多くの諸問題のルーツが
40年経った現在
世代を経て表層化し、社会化された時代です。

成熟したはずの社会が
静かに、大きく深く
歪みを見せ始めてきました。


   かつて、『未来』に心を委ねた
例えば、『ヒッピー』たちは
『共生』を関係性のユートピアとしました。
この精神に共鳴し、共感し、共有しあう先に
ユートピアが輝いていると
『OZの魔法使い』宜しく。

それが、気がつけば
その後の40年の生き方でした。


   新たな国を慈しむ、想う心が必要です。
例えば、
大川周明が、小林秀雄が、三島由紀夫が、
多くの有名、無名な人たちが、
イデオロギィーに振り回されないところで
これからの『国体』を想い巡らしていました。

かつての、彼らたちのように
想い、発言し、対話して行かなければ、
行為しなければ
無恥な人たちの群集化によって、
この国はぼろぼろの国に、
世界の中では
ただ、『パシラサレル国』 日本になってしまいます。

若者たちは
自分の国、『日本』が
これから10年先、20年先がどのような国に
世界の中でどのような役割を気概として持つべき
国になってゆくのかさえも、
責任ある発言の皆無な状況の中で
本心、子供を生むことさえ
そして、
『夢』を持つことさえ躊躇してしまう
若者たちが増えています。

病んでいます。
迷っています。


   『豊かなる難民』を
救うためには
これ以上増やさないためにも
僕たちの国、日本の『国体』を考え、掲げましょう。

僕たちの言霊で、
堂々と、気骨ある心と気概を持って
いい呼吸をしてゆけるように。

気概ある夢を
愛とともに持ち続けましょう。


   そのためには、
いらないものは捨てましょう。
自分らしい自由な眼差しで
自分たちだけのことを考え過ぎないで
想いあう、こころある
大切な関係性を
より良い方向へ継続してゆきませんか?

そうしたら
何かが見えてくるはずです。
そうしたら
何が大切か、が感じられるはずです。
そして
対話しませんか?
そうして、
行動してくださいませんか?


   何か、『発端』を
創ってゆきましょう。
僕も迷ってしまっています。

もうそろそろ、
好き/嫌い、カワイイだけの世界から卒業して、
ウザッタイかもしれませんが。

どうしたらよいかを教えてください。
そのための対話をしませんか?
時間はいっぱいあります。
急ぎすぎないで
『日本』という大事な現実を、
見失わないために。

   「お願いします。」
ここまで、読んでくださったあなたの勇気と優しさに感謝!!!
   ありがとう。


『モードの話』が語り辛くなってしまったのです。
文責/平川武治:

(注)『国体』;国のあるべき姿、かたちだと思っています。
広辞苑では、国家の状態、くにがら、くにぶり、
国家の体面、国の体裁、
主権または統治権の所在により区別した国家体制。

大川周明/岩波選書刊/『大川周明』松本健一著)
小林秀雄、三島由紀夫/多数の著書が、
YouTube/三島由紀夫インタヴュー
とても戦後の日本が良くわかる本に、
『日本国憲法の200日』 半籐一利著/文芸文庫刊 があります。

投稿者 : take.Hirakawa | 2008年06月18日 13:26 | comment and transrate this entry (3)

いつにも増してすばらしい、ブログ以上の言葉ですね。
僕は今32歳ですが、やはりファッションやストリートが好きな友人たちも、今政治と日本と今後の未来についてのほうが興味があるようで(25~35くらいの若者というには少し歳をとっていますか)、その思想に基づいた新しい(今、戦後としての)価値観という物を探しているように感じます。

コンビニエンスストア、ケンタッキー、マック、ディズニーランド、インチキなファッション、等等、みなそれぞれですが、捨てようとしている物は確実にあるようです。

私自身も右でも左でもない1人のクリエイター(と自負はしております)ですが、先日自動車を捨てました(笑)
ファストフードにもディズニーにも行きません。

しかし毎日のようにコンビニエンスストアに行ってしまいます。

今の目標は、日本人らしい食生活です。
徒歩と自転車でいきていくことです(自転車のトリックがうまくなってしまいました)。

そしてそこから生まれるクリエイションを楽しもうと考えております。

TAKEさんは前にインタビューで「まだやることがある。」とおっしゃっていました。

TAKEさんは僕が知る大人の中でもっともかっこいい日本人の1人です。
TAKEISMを少なからず継ぐ若者が必ずいます。

僕たちは今日もエコ(CMなどで言うところの)なんかより日本の未来ことを考えています。

投稿者 : 高橋誠太郎 : 2008年06月18日 17:47

これだけのモノが市場に溢れ、またさらにその数も「無限」に増殖するばかりですが、今この世に、それを惜しみなく手に入れられる人はどのくらいいるのでしょう。

時間は、富める者も貧しい者にも、みな平等に与えられているといいます。どれだけ大金をはたいても、1日は24時間だけ。これ以上引き伸ばすことも、縮めることもできません。

時間の使い方を考えはじめると、自分の人生そのものに関わるすべて、自分と世界のつながりかたを考え直すことに行き着きつくと思います。誰と、何を、どこで、どういうふうにするか。一日(一生)の終わりに、安心して眠りにつけるには、どうしたらいいのか。

モードの業界は、ある程度人を忙しく保ってくれます。6ヶ月という単位でアイデアを発案し、それを具体化し、ショーでお披露目、広告を作って、注文をとって生産にかける。そしてまた次シーズンのアイデアの構想を始める。なんとも目まぐるしく、この一連の作業にかかわる人々の数も膨大。それがけっこう楽しかったりします。この6ヶ月のサイクルの刺激的なお祭で、クルクルと楽しく、行き場も考えることなくその華やかなイメージと一体になり、踊りつづけることも可能です。

モードの権威的な企業は、この大恐慌の時代に利益を生み出し続けている。

「ただ、それをまわし続けていくために」、自意識なく自分も回っていくのでしょうか。祭に酔いしれ、知らぬ間に意識を失うのでしょうか。

シラフに戻って、周囲を、自分を見直す意思は、持てるのでしょうか。

投稿者 : 田村有紀 : 2008年06月27日 17:58

 僕らは僕らの社会が間違っている事を意識的にしろ無意識的にしろ知っています。

 それは表面的には環境問題や、頻繁に起こる加害者にも被害者にとっても悲惨な事件や、社会の影に生きる人たちの生活や、お互いを怖がり合う都市の生活に感じます。

 また、僕らの生活を支配する静かな虚無感と不感症の雰囲気に感じます。

 今一番恐ろしいのは”麻痺”です。感覚からも他人からも僕ら自身が離れて行き、鏡越しのように他人と自分の生活を見てしまう事です。そして全てが嘘に感じられていく事です。

 でもこの生活の現状が一番楽だという事と、他の選択を知らないという理由で、僕らの多くはこの社会が間違っていることを分かっていながらこの社会に生きています。

 だから自分達と社会に対するニヒリズムと冷笑と怠惰と”情熱的な肯定”の否定とが僕らの誠実さなんです。僕らは生きずに自分達を蔑みながら、ただ何かが起こるのを期待と怠惰の内にまっている気がします。

 情熱や希望を恥ずかしげもなく持つ事に憧れるけど、どうやったら良いか今はまだ分かりません。でも答えはあると思いますし、そしてそれは平川さんの言うように”日本のアイデンティー”と関係があるんだろうと感じます。

投稿者 : Yuichi : 2008年08月03日 15:03

article(46)

イヴサンローランが亡くなられた。 ついに、

『 イヴサンローランが亡くなられた。
ついに、イヴサンローランも亡くなった。


 ご冥福をお祈りいたします。

永い間、ご苦労様でした。
巴里の“エレガンス”を
僕のようなものに
教えてくださったのはあなたでした。
ありがとうございました。

燦然と、
その輝きが一等星の如きの輝きも遂には朽ちてしまった。

 残されたものの使命の一つは
自らの醜さを曝け出すこと。 』


彼も、早熟であった。

その美しすぎる早熟さで
このモードの世界を駆け抜けた。
逃げ足の速かった彼も
駆け抜けようとしたが、
後年
彼の美しい、しなやかなかでか細いその足は
もたついた。
其の時は、
もう、既に彼が駆け抜けてきたグランドの土ではなくなっていた。


 僕はどうしてもK.Lを好きになれない。
好みの問題だけではないらしかった。
いつも、イブサンローランと比べていたからであった。
 ベルナール・ビュッフェに失恋をしたP.ベルジェが
どうして
こんな繊細で美形の若者をすぐに捜し得たのだろうか?
ある本を読んだ。

J.コクトーが
当時、逗留していた南仏の銀行家の別荘に
それまでは、
ベルナール・ビュッフェを伴って訪れていた彼、P.ベルジェが
新しい彼、『若く美しすぎる青年』を伴って来たと言う。

僕はP.ベルジェの審美眼を信じる。
そして、僕はどうしてもK.Lを好きになれない。
ただ、あまりにも、違いすぎる。

 第2次世界戦争が終わってほっとした
50年代も半ば、
この美しすぎる才能を秘め込んだ青年は
都に現れた。
『美』と『自由』を『才能』で突き刺す
早熟性を持ち備えて
三人の、出会うべき男に出会った。
Michel de Brunoff, Christian Diorその後、Pierre Berge。


 ‘68MAY。
この街にも
革新な、大きな波のうねりが起こった。
40年前の、その出来事が
今のパリの、フランスの新しさの全てへ通じている。
決して、政治的なる事象だけではなかった
男と女の関係性も、
女性の生き方、社会とのかかわり方も、
生活様式も、モラルも
そして、モードの世界も。
「Yves Saint-Laurent Rive Gauche」は
この兆しを読み取った2年前に
左岸で誕生。
’68MAYのうねりに捻じ込まれ
カルチュアームーブメントへ、
この街のモードの世界が
囲われた階級者たちから解放され
新たに、『プレタポルテ』が生まれる。
「Yves Saint-Laurent Rive Gauche」は
この新たな時代性を切り開らく。

今、多くのこの街の書店には
『‘68MAY』の本が並ぶ。
N.サルコジも元闘士だった
40年前を省みる時間の年。

そんな時に
彼は去った。
もう、戻って来ない


逃げ足速く、走り抜けるはずだった
早熟な、美意識豊かな少年は
何処かで、
自分が奔り抜くべき道が違ってしまったことに勘付き
居心地の悪さを知ってしまった。


ゆっくり、
おやすみください。
おもうぞんぶんにおねむりください。
そうじゅくであったころを
ゆっくり
ねむるじかんもなかった
あのときの
たいようのかがやきをおもいだして
ゆっくりと
おねむりください。


このまちは
ぼくに『エレガンス』をおしえてくれた。
あなたは
そのかおりを
かぐわせてくださったおかたでした。

ご冥福を深く、かさねがさね。

『 Going on means going far. Going far means returning. 』

平川武治:2008年06月02日夜更けに:

  


追伸;
終わった。
確実に、
一つの時代が終わった。
そして、
確実に時代は変わった。

あの時、彼がこの街に現れなかったら
この街のモードの世界も
閉塞感のみが蔓延した遅れた世界。

プレタポルテも誕生が遅れただろう。

はやく、
新たな価値観を
このモードの世界の新たなる価値観を見つけなければ、

どこかに、
早熟で
美しく、
逃げ足の速い
時代のアイコンに
辿れ着くことまでが出来る
赤子が生まれたに違いない。

星が流れる。

武治著/

投稿者 : take.Hirakawa | 2008年06月03日 15:25 | comment and transrate this entry (1)

悲しみと焦りが伝わります。
ご冥福をお祈りいたします。

投稿者 : 高橋誠太郎 : 2008年06月03日 19:26

article(46)

ある質問に答える。

【世界で騒がれている一流ファッションデザイナーたちは、女性の美しさを定義して、表現できるのか?】

 ファッションデザイナーという職業の、彼らたちは
ある意味、『選ばれたる人』に成りたい為または、
成りきって独断と偏見を自分流に定義して、
その時代時代の身勝手な女性像を作り出して来ました。
その多くの根拠は、
それぞれが持ち得た「時代観と社会性そして、モラル」が基盤です。
そこにデザイナーという当事者たちが持ち得た
知性と教養と文化そして、美意識と問題意識が
それに、大切な個人の人間性が拠り所に
彼らたちの極めて個人的な「眼差し」が存在しているはずです。
それらを自分たちの好きな世界、
それが『モード』というステージの上で
自分たちの好きな又は興味ある女性たちへ
『服』という消費財に表現しているのでしょう。
そこでは、
ビジネスがより大切だと考えるデザイナーたちは
与えられた『トレンド』というフレームの中で
自分たちの世界観やイメージをデザインするのです。
彼らたちはトレンドを造りません。
デザインするだけです。
 
これが僕が30年以上の経験で得た、理解出来た
「ファッションデザイナーとは?」の教科書的な答えです。

では、着る女性たちはなぜ、ファッションに興味を持って
これらのデザイナーと称する人たちが造った『服』を着るのでしょうか?
結局は、自分自身の為です。
自分自身の『存在』の在り方や有り様の、見られ方の為でしょう。
少し前迄は自分自身の生き方を表現出来るという迄の
価値観の世界も確かに、存在し必要でした。
今ではもっと端的に
そう、総て、自分の為です。
それを身じかには家族や友人たち、仕事の世界でそして、男友達たちと恋人たちへ。
それに自分自身の為に。
『ときめきたい』
という感情がより強い拠り所になりました。

しかし、それらの美の根拠は、女性の美しさは、感情は
着る女性その人自身が作り出すものです。

従って、着る女性は自らの『美意識』を持っている必要性が大切でしょう。
優しい心の在り方も必要でしょう。
それを拠り所に、自分の『在り方や有り様』を身近に、
自分流に日替わりメニュー宜しく
プレゼンテーションが出来得る日常的な消費財が
今のファッションのレベルなのです。

もう少し、レベルを高くして言えば、
いわゆる、西洋社会ではキリスト教をベースにしたキリスト世界の価値観とモラルと
そして、美意識を哲学化した【西洋美学】による、美と文化があります。
仏教を基盤とした世界での仏教美学もあり、其れを拠り所とした美意識も美もあります。
当然ですが、文化もあります。
きっと、アラブの世界でもそうでしょう。
アフリカのマサイ族の世界も、ピグミー族の世界も、
アンデスのインディオたちの世界にも。
(ナショナルジオグラフィックの世界です。
決して、ヴォーグだけの世界ではありません。)
各地域の言語がある限り、文化もその数だけあり、美意識、美も違ってあるでしょう。
美人もその数だけいるのが当たり前です。
(少数民族の女の人たちの美しさを想い起こしてください。)

ファッションデザイナーたちはペテン師か道化師か手品師たちです。
自分たちの形態言語と技を駆使して
上手な嘘を誰もが判るようにまた、判らぬように
上手にカッコ良く『虚』(Vanity)を造る。
其れが結果、
幸せや喜びを呼ぶ事に通じれば
役割であると自負する、
技を持った職業人たちです。
これを自らが判ってやっている人たちが
世界のメディアを騒がせられる「有名ファッションデザイナー』たちです。
彼らたちはポジティフに楽しんでやっています。

それらに拍手を送る人たちとは
有識階級(クラース)の人たちから、
今では大衆へ
中身の無い人たちが、
その中身の無い事を知られたくないので
お手軽に彼らたちのペテンや道化に乗かって、
メディアを通じて拍手喝采。
自らが内蔵してしまった『張りボテ人形』を
知られたくなく
どうやって、カッコ付けてイキがって自分の『在り方や有り様』を
身近に、と気にしている人たちが大半になって来たようです。
結果、「ブランド」(銘柄)モノへ走ってしまっているだけの大衆消費者たち。
これが現実のモードの保守化のレベルであり
社会そのものでしょう。

『水は高きから低きへ流れます。』

本人が輝いて下さい。
その輝きがより、他人を輝かせます。
その結果が笑顔になります。
其れが美しさです。

『自灯明塔』

造られたものの中で、
造られたものばかりを観ていないで下さい。

自然には未だ、変らぬ美しさがあります。
自然を観てください。
自然を大切にしてください。
自然になってください。
ここに日本人の
こゝろのともりがあります。

自分が輝いて下さい。
その為には何が大切か?
考えるという行為を。

読んでくださって、ありがとう。
華かすむ鎌倉で、
文責/平川武治:

投稿者 : take.Hirakawa | 2008年04月08日 05:58 | comment and transrate this entry (1)

こんにちは。
いつも温かい言葉をありがとうございます。
ファッションやモードを通しての平川さんの言葉と考え方が本当に好きです。
これからもお体に気をつけて私たちに本当のことを教えてください。
私自身もこれらの言葉を糧に、輝き続けられるよう精進してゆきます。
次も楽しみにしております。

投稿者 : 高橋誠太郎 : 2008年04月17日 14:57

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Paris Collection '08'09A/W "The Best Tops Shows-AZZEDINE ALAIA】

The Best Tops Shows-AZZEDINE ALAIA】

コレクションが他の街に移った後のこの街は一時の静けさ。
春の陽射しと風と雨とが1日の内に戸惑って遠慮している様は、
新たな春が窓のすぐそば迄来ているのにこちらへ入って来ないもどかしさの毎日。

今シーズンのコレクションで僕が兎に角、感動したコレクションを書き並べてみよう。
その壱番バッターは矢張り、AZZEDINE ALAIA.

 彼は今、現在は完全にインデペンデントな状況で此のモードの世界に君臨しているただ独りのクリエーターです。
彼の作るもの、彼の会社組織そして、彼の顧客、その総てが僕流に言ってしまえば、『The Top of the World』。
 コレクションは彼の凄すぎる持ち味を充分に生かしての見事な迄のコレクション。
着る女性たちを先シーズンに続き、総て、上質なフレッシュ&エレガンス。
先シーズンはその多くを日本素材を使ってのコレクションであったが、今シーズンはイタリー製の最高級な縮襦ニットに手工芸的な技を幾つも施したもの、アニマルプリントを表面に施されたこれも、イタリー製のハラコ皮革素材を使ったものそして、同じように、日本のいぶし銀的な光沢表面に施した同じ、イタリー製の程よく鞣された皮革素材、これらがメインの素材でありこれらによって彼の世界がすべて、『Everything So Special !! 』な世界をクリエートした。
驚く事の最初が此の素材の選択眼である。
その根底には自信ある彼が持ち得ている構築力としてのトワレ感覚であり、技術であろう。
先ず、彼自身これらに自分のなすべき事のレベルと範囲と世界を見てしまっているのであろう。素材美をそのまま活かすもの、その上に施された装飾としてのプリントをバランス良く生かすものそして着た人の動きを生かす迄のシルエットの決め。これらのバランスある調和力に脱帽。分量のある上モノとミニ・フレアーなボトムというシンプルで絶妙な分量バランスが着る女性をより、フレッシュに、エレガンスにセクシーにさばき、仕立て上げる迄の服を今シーズンも発表した。
彼の企業形態も以前にPPCグループから買い戻し、今では自分の会社にしているはず。これで自分の世界を自分の「義務と責任」で守れる状態にした事も此の世界では凄いこと。
 当然だけど、他のプレタポルテデザイナーは彼の足下には及ばない。あまりに彼が居る世界が違うのだろうか?
多分、J・ガリアーノが一番彼にジェラシーを感じている唯一のデザイナーであろう。
これらの素材の選びに驚き、次は其れを仕立て上げる技術と勘とまとめ方の巧さ。
そして、最後には、いいご夫人程着てみたくなる、着たくなるエレガンスとセクシーさが絶妙なバランス。
やはり、プレタのデザイナではありません。
彼のこの勘とセンスと何よりも素材の選びと其れにあった技術の施し方は何処から学ぶのでしょうね。
僕は彼を本当に腕のいい料理人に思ってしまうのです。
素材と、それらを料理する技術と言うか、腕前そして、勿論味付け。そして、最後はまとめる盛りつけの感覚に似た美の世界の上品さ。
其れを出されたご夫人たちはその見事さと匂いと盛りつけの美しさというより、エレガンスとセクシーというレディーが欲しい薫りが程よく、そして、みんな着たくなるもの、着てみたいもの。このほどの良さを、バランス感を熟知してしまっているクチュリエ。
ご自分がいい女と思っていらっしゃる顧客である世界の社交界のご夫人たちは当然でしょう。
彼に取っての美意識とは理屈ではないのでしょう。
勘と着る人を想うこゝろからのものでしょう。
きっと、着るご夫人たちとの会話から、彼女たちのこゝろを読み取り、感じ拡げる臭覚とでも、CAREこゝろとでも言う感覚も日毎に研ぎすまされていかれる勤勉な人なのでしょうね。
これが彼のコレクションのすべて。
世界の名だたる上流婦人が彼の顧客だと言う事が理解出来る迄の今シーズンのコレクションでした。

 今シーズンの僕の眼差しは、
『 Everything So Special, That's all !!! 』
 素材にも、クリエーションにも、技術にも、完成度にもそして、価格もが総て、自分の世界観で、『So Special !!』 が今は必要な時代性であり、キーワード。
当然、その造られた服の後ろに作り手の『異文化、教養そして、美意識』が熱く感じられるもの。
 今の時代はお金さえあればそこそこのものが、フラットなものが造れる時代。此の波に乗って自らが、勘違いをしているのが今なお、多くの日本人デザイナーたち。
 
 出来れば、何処かのサイトででも(STYLE.COMですか?)何かの機会にAZZINE ALAIAさんの作品を見て下さい。

 そして、余談ですが、今、彼の作り出す世界でアシスタントを始めて居るのが日本人、瀬尾英樹君です。彼はアントワープを4年前に卒業した3Dが立派に造形出来た希な、卒業生でした。その謙虚さを持って堂々とこの世界でがんばっていらっしゃる数少ない、人間的にとってもチャーミングな人物。うれしいですね。こんな所でもがんばっている日本人がいらっしゃる事は。日本では、その大半が海外の学校を出れば其れなりのデザイナーになった様に大いなる勘違いで『虚飾の上塗り』作業ばかりしている輩が多いと言う時代なのですが。 

 蛇足を言わせて頂くと、
昨今のプレタのデザイナーと称する人たちは、若い人程、”フラット”な張りボテ。
トワレさえも自分で組めないお絵描きお芸術家デザイナーたちが彼らたちの新しいおもちゃの一つ「ILLASTRETER」や「PHOTO SHOP」を使ってのものつくりとイメージ作りが普遍化してしまった時代だから、いつの時代も『簡単/イージー/容易い』見た目の世界へ其れが、それなりに見えるフラットなイメージングの世界であればの、水のごときに流れてしまうから此れを時代性ともいいうのでしょう。
怖いし、寂しいし、本当のただの『虚飾』あるいは、金鍍金の世界。
これにも世界があるのでその世界で喜べる人びとたちは其れでいいのでしょう。そんな世界の彼らたちが「作品」と称するものの後ろに『教養や文化や美意識そして問題意識』さえも感じられない、させないフラットなものつくりが多くなってしまった此のモードの世界。だから、誰が作ったかも自分の名札が無ければ判らなくなるものたちの世界観。ここでも、メディアが発達してよかったのでしょう、でもその根底は『ただ、消費社会へ』。
 何処迄、個人の欲望のみが肥大化し表層の張りボテ人間になれば何れ、その無様さに気が付く時が来るのでしょうか。


「 Merci beaucoup !! Mousieur AZZINE ALAIA. 」
「 ありがとう!瀬尾君。」
ありがとう、みなさん。
文責/平川武治:巴里市モントロイユ街55/57番地にて、

投稿者 : take.Hirakawa | 2008年03月18日 21:37 | comment and transrate this entry (2)

いつも一人の日本人として読ませていただいております。
平川さんの指摘する問題と解決への方向性に身が引き締まる思いです。特に”フラット”な張りボテというくだり、今の日本を象徴するような妙言ですね。
次も楽しみにしております。
更に私たちの知らないモードという世界を教えてくだされば幸いです。

投稿者 : 高橋誠太郎 : 2008年04月05日 15:07

10年ほど前、某服飾専門学校で半年程、平川さんの講義を受けていた者です。

学校を卒業後はファッションデザインには進まずに、様々な職を経て
現在はIT関連の仕事をしております。
(その間、アパレルの職には一切就いておりません)

この記事でご指摘の


トワレさえも自分で組めないお絵描きお芸術家デザイナーたちが
彼らたちの新しいおもちゃの一つ「ILLASTRETER」や「PHOTO SHOP」を使ってのものつくりとイメージ作りが普遍化してしまった時代


がちょうど始るか始らないか頃、学生生活を送っておりました。ファッションデザインを諦めたのはこれが原因かもしれません。平面もダメ、トワレもダメ、、デザイン画はヘタクソ、縫製は汚い、ただ休まず学校に行っているだけ。
担任には言いたいことをズケズケと物を申し、学校にケンカを売っていた…

その頃、ちょうど『イメージつくりが普遍化してしまう』原因ともいうMacに触れた事で、今の仕事の礎が気付けたと思っております。

『道具=Mac』も使い方一つで何でもできますが、『使いよう』という感じでしょうか。


10年前と何も変わっていないこと

平川さんが相変わらずな『平川節』でモード界をぶった斬っているように私も相変わらず“上”には物を申しておりますし、常にケンカを売っております。

お忘れかもしれませんが、学生時代、ある座談会の時に私が発言をしようとすると平川さんの顔が
すごい嬉しそうに見えました

『お、こいつまた言うぞ!』

みたない感じで。

そんな昔話をこの記事を読んで思い出してしまいました。

投稿者 : sdkt : 2008年11月28日 16:25

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また始まる、東京コレクションの前に、

はじめに
 望むと望まないに関係なしにそのカルーセルの中に嵌ってしまえば、自然の流れで再び、コレクション発表の時期がやって来る。
これは巴里も此の東京も同じである。
だから自分たちも【巴里・コレデザイナー】と自負し、同じように勘違いをし、思ってしまう結果になる参加デザイナーが多くなるのだが、本当に、今ウケていると言われている日本発のデザイナーブランドはどのような状況の元で一人歩きし始めたのだろうか?
 昨年の秋にまとめたレポートをここで、此の時期にご紹介。 

一つの眼差し/———アッセンブリッジが上手なデザイナーたち
 日本人はその参加が多くなったデザイナーたち。そして,この国の文化庁が主催しているANDAMでTOGAと口の巧いブランドが貰うまでになる。
 日本人デザイナーたちはここに来て一つの段階をクリアーした感が在る。
『アッセンブリッジが上手なデザイナーたち』という資格を貰った様だ。

これは前回も書いたようですが,今は時代が追い風を吹いている。
この時代の追い風とは、これからこの街、パリもそして、他のEUの都市はこれらの街に住むイミグレーターたちの新世代層が中心の新たな消費者層として確実に『大衆消費社会構造』化へ行くこと。これは、取りも直さず、かつての、’90年代中期以降の日本の状況である。(参照LePli-0号)
そして、具体的には、先ず,進化した新素材が享けている時代性。それらの進化した素材を案外と簡単安価に使いこなせる状況を持っていること。そして,生産構造が未だ確りしている事からのクオリティとデリバリーが他の外国人若手デザイナーたちと比べると良い。それに情報が発達している所からコピーや組み合わせが巧く出来こなせるデザイナーが即ち,器用さがいかせるデザイナーたち。しかし,オリジナリ性は弱いか無いが今は円安で価格が適当に買い易い。従って,買っておいとけば『Made in TOKYO』がセールスポイントにもなり売れる。この状況はメンズもレディースも同じ状況をもたらし始めている。TOGAにしても,今回だけで外国バイヤーの方が国内バイヤーより,数が多くなったと言う。(国内40%、海外60%比率)
 
『勤勉性と器用性と見栄性』が生む見た目感
 しかし,冷静に考えてみると,この状況というのは案外,『日本的なる状況』と言えるかもしれない。従来からの『Made in Japan』には決して,モノの本質的な創造は無かった。そのオリジナリティは無いか貧しいにしても,その主題の取り方、素材の使い方の上手さと巧さで即ち,工芸的に使う事でオリジナルものより以上に装飾的に使いこなしてその結果、それそのモノを”オリジナル”としてしまうことが即ち『Made in Japan』であったはずだ。これは,オーバーな言い方をすると,『日本文化の本質』かもしれない。僕たちが使っている漢字に対しての仮名の関係も然り,磁器と陶器の関係,漢画と大和絵そして,琳派の関係等など。最近でのIT機器類にしても,ケイタイの本体の特許部分はサムソンが押さえていてそれらを使ってのアッセンブリッジが多種多様化されたものが上手、得意分野という事も考えれば、これが,元々の『日本人の作る』という事に対するオリジナリティ性と理解出来る。日本人らしさの『勤勉性と器用性と見栄性』が生む見た目感な「創造の世界」がこのモードの世界へもやっと,ここ60年をへて辿り着いたのかと考えられる。この日本的創造の世界の本質には『素材』へのこだわり観と,日本人の特質性である『器用性と見栄性』とその「見た目感」の関係性が日本的に存在するある種の法則を考えてしまえる。これらも,戦後からの『豊かさ』の発展,進化の結果がもたらした今後,日本人の若い世代に期待するべき所でもあろう。

そんな彼等たちはどのような構造でビジネスを行っているか?
 多く開催されているサロンへの出店が増えている。サロン数は大きなもので10サロンを超える。それらのサロンで、自分たちのテイストとレンジが合うところへモノと自分たちが行って出店する初期的な構造からスターとしているブランド。そして、ディストリビュターオフィスでの展示受注を行っているブランド。(多分、13%〜18%のセールスコミッションを取られてやっているはず)彼らたちに任せば、従来からの良い顧客を持っているのでそれらが自分たちの顧客になる想いをかけて任せる。これらは基本的にショーをやりその後の営業活動を現地のディストリビュターを外付けとしているブランド。

海外バイヤーたちにどのような受け取り方や格付けがなされているのか
商売中心に考えるとこれからもっと、可能性がある日本ブランドという感想。
メインのブランド商品ではないが置いておくと売れてしまうというサブ的なもの。
これは価格帯とデザイン性そして、デリバリーとそれなりのクオリティから。
ここでも、日本人らしさの善いところが認められてのバイニングであろう。
それに、追い風としての話題性ある「新素材と東京」。

彼らたちが世界のメインブティックのメインブランドになるためには
『サロン』出展から次は『ショー』へ。
その時にどれだけ、コストとリスクを掛けて、『明日』を指させられるクリエーションが発表出来るか?そして、それなりの世界レベルのジャーナリストたちに気に入ってもらえるか?
そして、やっと、念願の【パリ・コレ デザイナー】へ!! 今、一歩。

日本のファッションビジネスとブランドの利点と欠点
*素材が豊富。特に新・高品位繊維。
*まだ、国内生産に頼れる構造が残っている。
*出来上がりクオリティがよい。
*デリバリーがきちんとしている。
*市場が大きく、動く。
*メディアのホロがいい。
*消費者が成熟しはじめている。
*プライス面がこなれている。
*売れ線、トレンドものしか作らない。
*クリエーションにおける冒険はあまりやらない。
*ファッション教育構造が特化している。
*ONE POINT DESIGNが出来る。即ち、売れるコツをデザイン出来る。
*手先の器用さでSPECIALが出来る。
*コーディネートファッションは上手。

今後の課題は将来性を指差すこと
総体に売れるものをきちんと作る事がうまく、それ以上の冒険、可能性そして、独自性を打ち出しているブランドはまだ少ない。
トータルで、結果、スペシャル性又は、アヴァンギャルド性又は、クラフト性のそれぞれの高品位性を目指すこと。そして、服の後ろに【文化】が見えるものまたは、【美意識】が感じられるものに挑戦してくれる心意気とレベルが欲しい。これが無ければ、世界レベルのファッション・ジャーナリストたちを驚かす事は出来ない。

肩を並べる外国人デザイナーたちは彼等たちをどのような眼差しで見ているか
ここまで来るブランドであるからそれなりの資金的な現実が先ず、外国人若手より有るのでそれにジェラシーを感じる。それと生産構造が身じかでしっかりしたところが残っていると言う現実は実際に商品を作ること自体が難しい彼らたちにはとっても羨ましいこと。

結論としては、現在のNew-Generationsたちは完全に『CONSUMING-DECADENCE』の落とし子たちである。従って、ファッションを売る事、売りたいという事には早熟でありこの15年程でかなり成熟した日本ブランド。特に、男物はかなり、世界に通じる事が可能。そのサンプリングに『裏原』系が有る。それと、劇画、TVゲームからのイメージングソースは今や世界規模で共通のコンテンツになっているので女物のテイストやモード観の違いがまだ存在する世界よりはやり易い。
それとこの10年間程で、この世界も海外留学生が増え、彼らたちが帰国後やはり、海外を目指し始めた。それによっての語学力の進化も大きな要因。世界マナーを身につけ始めたとも言える。
弱点は、ビジネス構造としてのスタッフ人材に弱い。これからは彼らたち、世界に通用するファッションビジネスマンの養成と教育する事が課題である。
ある意味で中途半端な作り手志向よりも今は、ビジネス力を持つ事が鍵。
どんなものをどんな人が買うかが解らないまま進出しているブランドさえ有る。
現在のままで往くと、あの1987年の『原宿コレクション』参加ブランドがいつの間にかその後、『DC]ブランドという名称をマスコミから貰って創造性豊かなデザイナーブランドの横に並んでしまった状況の巴里版を思ってしまう。
そして、最後に、国内における『ファッションジャーナリズム』を気骨在るものへ成熟させることも大切な作り手への知的ホロが必要。

 彼らたちのルーツ的、キーワード:オタク=STUDENT CONSUMERS=販売バイト/フリーター=オリジナルものと称したコピーもの=T-SHIRTS、靴、帽子、アクセサリー、皮小物、シルバージュエリィーそして=トータルブランド展開へ=『夢』としての海外進出。

 このような、日本人デザイナーたちにとっては『追い風』が吹いています。
この風を上手く利用して『風力発電所』的構造と機能を世界へ、アジアへ向けて気概豊かに、参加ブランド企業も公的機関もそして役人たちも揃って、現実を直視して新たなモードの可能性へビジネス戦略を構築して行って欲しいものである。 
/文責;平川武治/昨夏執筆文:

投稿者 : take.Hirakawa | 2008年03月11日 07:21 | comment and transrate this entry (0)

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自らが『豊なる難民』にならないように身に付けるべき『セルフ・コントロール』のためのセルフ・バランスサーが。-2

 本当に今のパリの少年たちは可愛い。
14、5歳なのだろうか? 彼らたちが、一昨年の秋、モードの世界へ影響を与えたスリムなジーンズをはいてコンバースにちょっと、ロンゲ。7:3に少し掻き分けカールされたヘヤーは今彼らたちの中での流行り。
 街では『PARANOID PARK』と言う映画が懸かる。タイミングがいい。スケーボー少年の物語。監督はGAS VAN SANT. 以前作の『ドラッグストア・カーボーイ』、『マイ・プライベート・アイダホ』を含むポーランド3部作の第1作目。

  イノセントでナイーフな今の時代観をそのまま携えた彼ら、この早熟な街で、都市で生きてゆく彼らたちは自分自身の存在そのものをアンテナにして時代の、社会の歪みから生まれるノイズをいつも敏感にピュアーに読み取ってしまうまでの早熟性と未熟性を持ち合わせている世代の『恐るべき子供たち』であろう。
未だ固まっていない知恵と早熟で不安定な五感を持って彼らたち、スケボーキッズたちは小さな、ミニマムな板切れ、ボード上で自分の身体を張っている。
自分を自由にして、自分らしく生きてゆきたいがために。
自由の裁量に総てを委ねミニマムな自分の領域、ボードの上で輝こうと
スケボーキッズたちに取っては、輝きとは自分らしいバランスを取る事で発する光。
その光に憧れる。

 友人である立花肇君。
彼と出逢ったのはもう30年も以前の事になる。
その頃の彼もナイーフな美しい少年の後半期であった。
そんな彼を昨年、在る若人たちの雑誌で本当に久しぶりにインタビューをした。
その時で彼は、既に、50歳。その彼が、『今、僕が嵌っているのがPISTO自転車なの。』
自慢げに言い放っていた。その時の彼の言葉で気になったのが、『PISTOはストリートスポーツ、最後のものです。』だった。
PISTO自転車にはブレーキが無い。
車輪とスポークとサドルとハンドルだけ、各パーツが自分たちの好みでアッセンブリッジ出来る、メカ・シンプルな自転車である。
言い方を変えれば、美しいメカものだ。
ブレーキが無い所がこの自転車の特徴であり、機能であり醍醐味であろう。 
彼らたちの『世界大会』と銘打たれたPISTOの競技会代々木公園前へ深夜に見に行った事もある。YOPPIY, HIROSHIそして、HAJIME、彼らたちと本場とされているサンフランシスコからも来ていた。京都の僕の友人たちがやっている『風』集団たちも参加。大半の日本人組たちのPISTOは美し過ぎた。
壊れそうな印象を持った。外国人組たちのPISTOはボロボロで使いこなされて安心出来そうに想えるものばかりだった。
 それから、1年も経たないうちにこのPISTO自転車は元ウラ原系を中心にしてブームになった。ウラ原を歩くと、これ見よがしに自分たちのショップ前に美しすぎるPISTOが立ち掛けられ始めた。

 分析好きの僕はすぐに、『これはスケボーと同じだ!!』と言う答えを出した。
それで、肇君が行った言葉にやっと繋がってゆく。
 自分自身の身体性と五感と体感が頼りの遊び(?)である。
自分自身の判断力と責任だけで、自分の自由の裁量に身体を委ねる事で総てがコントロールされる遊びである。 美しすぎるマシーンはミニマムな板と同じなのである。即ち、ボードをマシーン化したとも言えるのがPISTO。

 東京では大人男たちが嵌っている。
彼らたちも『バランサー』が必要なのだろう。
セルフコントロールのための『バランサー』しかも、【ミニマム】な。
大人になっても少年心を忘れたくない遊びこゝろを持つ大人たち、
彼らたちも輝きとは自分らしいバランスを取る事で発する光。
その光に憧れ続けている。

 いつの頃だったであろう。
確か、80年代の半ばの時代で在っただろう。
スケ・ボー、サーフィン、ウインドー・サーフィンがそれに自転車がブームになり始めたことを想い出した。 ある時代には「POWER」のスポーツが、ある時代は「チームワーク」なゲームが、そして、このような『セルフコントロール』のためのセルフ・バランサーが遊戯化され社会化され必要になる時代性。今と言う時代性もこの状況を想い出してしまった。
自分たちが、より、自分らしく自由の裁量に、身体性をも委ねてセルフバランスを取るための『セルフコントロール』のためのセルフ・バランサーはプロテクトし過ぎたことに気が付き始める早熟な若者こゝろを持った男たちがこの兆しを見つけ出す。

 女性はこのバランサーを自らの身体の中に持ち備えているから強い。

モードにはこのバランスがトレンドとなってあらわれる。
今シーズンのモードはそれで代表される。
着た女性の体つきを分量に依る新たなバランスを作り出すことが、この時代の新しさへ通じる一番の手法になってもう2、3シーズンが経つ。
そこに、P・ポワレ(1903年)が登場する時代性も面白い。
文責/平川武治:平成19年10月執筆分:

投稿者 : take.Hirakawa | 2008年03月10日 08:31 | comment and transrate this entry (0)

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自らが『豊なる難民』にならないように身に付けるべき『セルフ・コントロール』のためのセルフ・バランスサーが。

 ”豊さ”を求める事から始まった戦後の僕たちの生活目標がもう既に、”豊さ”を持ち得てしてしまった今、彼らたちは現代の東京が持ち得てしまった“CONSUMING DECADENCE"の中で彷徨う ”豊かなる難民”化。自分たちの持ち得たテリトリーを守る事、保護する事そして拘束までもの自分の自分化。(その結果がモードへは『PROTECTION/PROTECT』がコンセプトになった。)そんな彼らたちが目覚める時とはいつなのだろうか?その時に彼らたちは何を大切に考えるのだろうか?その兆しが今少しずつ社会のリアリティーとして現れ始めている事に気がつこう。例えば、東京の街では”和物ブームからピスト自転車”また、豪華に見える触覚が違う食材を組み合わせたケーキの横に最近、ウケているのが、シンプルな『ロール・ケーキ』。「モノの初源」に戻る。”トゥーマッチなものからシンプルなものへ”見え透いたもの、装飾過剰なまでのものの本質を観てしまった彼らたちは案外と良心的なる世界へ目を向け始めているようだ。前春のプルミエールビジョンでも、“ETHIC"(倫理的)というまでの言葉がこのモードの世界でも使われ始め、少しでも社会に貢献出来るようなものの買い方をしませんか?というまでの想いが始まり、“NU AUSTERITY"という一種の、ありのままの姿に厳しさを持ってというコンセプトも一般化し始めているのも現在の特徴だ。
 日本では、言い換えれば、やっと、巡り回って来た”和魂洋才”の現代版”洋魂和才”化が読めるのではないだろうか?自分たちの知らない物としての日本の古いものから始まって、出来るだけ過剰なものを排除したものへの志向性。その結果が、”シンプル/フレッシュ/イノセント/フラジール”などへ結び付くベクトル。
 今のEUは景気はそこそこいいようだ。そこで暮らしている人たちの表層はやはりOPTIMISMだろう。その結果がこの巴里のこれからが新たなる消費者クラスの登場に依る“CONSUMING DECADENCE"への進展が読める。でも、彼らたちは決してこの表層に満足はしていなく、寧ろ危機感をも感じ始めている事は明らかだ。その影響から”ダブル-スタンダード”と言うコンセプトもこのモードの世界に現れ始めたのが先シーズン。景気の不安定化、環境問題への心配、クラス化への反動と行ったマイナス要因はダブルスタダードを意識し始めた。例えば、“LIGHT=SHADOW" "OUT-SIDE=IN-SIDE" "UP-SIDE=DOWN-SIDE"等は先シーズンのトレンドになった。L.Vの裏地に凝る。前後の異なるデザインDRESS UP & DRESS-DOWNなコーディネート。大人の中の少女性。(だから、映画、VERGIN SUICIDEが気になった。)そして、スピリチュアルリズム。日本でも精神世界へ憧れ、ヨガ、ベリーダンス、ワンピース志向。
 そして、もう一方では『LIGHT』な部分としての飽きない『虚飾の上塗り』作業も変わらぬこのモードの世界のリアリティー。これらをどのようにバランス良く日常性の中へ、そこで暮らして行くかのための、『豊かな日常性』の継続化と『クラス化』を望み始めると、『バランサー』も必要になり始めた現在でしょう。自らが『豊なる難民』にならないように身に付けるべき『セルフ・コントロール』のためのセルフ・バランスサーが。
だから、スケートKIDSやピストに夢中になる大人たちが登場するリアリテ。
'07/秋;文責/平川武治:

投稿者 : take.Hirakawa | 2008年03月04日 01:50 | comment and transrate this entry (0)

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新たな眼差しは、新たな『夢】を、

 皆さん、僕の身勝手でしばらく休んでしまっていたこのブログを再会します。
これらの文は昨年の秋に書いたもの、よろしく、コミュニケーションを。

リアリテ−1】
 『レンタル自転車』も今回来てみると利用者が多く街で見かけられる。少し、重そうな自転車だが、頑丈である。もしもの場合のデポジットが150ユーロ。調べてみると、最初の1ヶ月で、もう既に利用者数が100万台を突破したそうである。勿論、この街、パリッ子の珍しい物好きも手伝っての事であろうが、それでも凄い。これを仕掛けたのは車両広告代理店。メトロやバスの広告を仕切っている代理店が、企画立案で現実に至たらしい。
兎に角、タクシーの運転手から文句が出ている事が現実を知らせてくれるが、僕としては”共有化”システムがこのような都市構造の中で進化していくこと自体がうれしい事だ。
 もう一方では、確実にこの街が、新たな消費社会環境を持ち始めている。
予測通りにこの街のイミグレーターたちが新たな大衆消費者になり始めている。今回、驚いた事は、彼らたちを確実に消費者対象と考えられたM.D.戦略が為され始めたためだろうか?メトロの構内、至る所に宣伝広告の新しいスペースが作られ、これ見よがしの広告が張り込められた新しい表情がこの街で始まった。
 もう一つの定着し始めた風景にやはり、この街の“New Generations"がいる。
彼らたちはもうこの街の新しい顔になりつつある。スケートボード、ローラーブレードそれに自転車のこの3アイテムのストリートスポーツを例えば、左岸だけでなくバスティーユのオペラ座の前にも、一つの塊が出来上がっている。彼らたちのグルービー的な女の子たちの姿さえも、いつも見受けられるまでになった。スリムジーンズにT-シャツ、ロン毛にシンプルなコンバースタイプがその典型。ラッパータイプのパンツ姿の激小化も観られる。自転車はさすが、未だピストまではいっていないが、小型マウンテンでのアクションライディングが主流。でも、この街へのピスト化ももうすぐだろう。街には当然だが、彼らたちのご愛用ショップが幾つも出来始め、ストリートスポーツギア類とウエアーとしてのT-シャツ類(プリント、ロゴもの)G-パン、シューズ類そして、今までの”黒”に変わって彼らたちの世界では” カーキ”が目に付き始めそれに、CDとゲームソフトが繋がっている所も在り、かつての”ウラ原”情景が増えている事も事実だ。ここには東京で見かけ始めている”虚飾的な”光り物スタイルはなくある意味ではストリートの祖形がシンプルにフレシュに感じさせる要因となっている。
 ここに新たなこの街のリアリティーが派生、存在し始めこれを撮りに来るコレクション写真家たちの姿さえ見受けられる事が在る。彼らたちもモードのステージよりも若者たちのリアリティーを撮っている方が楽しく良い即ち、『お金になる』というまでの発想で彼らたちをサポートし始めてもいる。きっと、これからのこの街のモードの世界も身近な彼らたちのリアリティーをサンプリングしていくベクトルがここでも読まれ始めいる。
 驚いた事が一つ。
アディダスが僕に言わせれば、とてつもなくフューチャーチックなイメージ広告をうち始めた。「REVELE-TOI adidas TechFit-technologie conque pour la performance 」というコピーで街の中、メトロの駅中に張り出されたTECHFITキャンペーン。白人か、黒人が只の長袖T-シャツを着ている絵図らの広告なのだが、この長袖T-シャツの素材が全くの新しいもの、身体への一体感を強調した新しいスポーツウエアーとしての長袖T-シャツ。身体の必要な部分の網立てに変化が付けられている素材なのだ。これは、正しく、この前のプルミエールビジョンでも言われ始めた、『プレタスポルテ』素材。スポーツウエアーのプレタ化と、プレタポルテのスポーツ化を意味した新しい言葉が一人歩きし始めているのだが、こんな素材が既に、このように広告に載ってしまうまでに開発されている事に驚き、これはもうすぐ来るな?と思い返したのが、僕が考える新たな未来へのカジュアル日常着の世界。
 この続きは3日後に、
 ほんとうにご無沙汰していてすみませんでした。
LePLi 誌の編集等に追われて情けない状況でした。
ひらかわ たけじ:
 

投稿者 : take.Hirakawa | 2008年02月26日 01:49 | comment and transrate this entry (0)

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DISCIPLINE会〈東京〉開催のお知らせ

一雨が、
それが時期を外した豪雨で、稲光りをも伴うとあれば
あれ程までの続いた灼熱の陽をも黙らしてしまう。
幾分か落ち着いた残暑の週末、
久しぶりでDISCIPLINE会を開こうと思い立ち、
突然ですが、ご案内いたします。


平川のヨオロッパでの活動の今回の一つ、
新しいモードを学ぶ学生と学校をターゲットとし
新しいコンテンツのもとに企画編集して発行した新雑誌“LEPLI-0"の事、
その経験を元にした”時代の眼差し”をモードの世界、日本の現実、これからの時代などについて
皆さんとともに話し合う機会としてDISCIPLINE会をやってみたくなりました。

今後も『CONSUMING DECADENCE』を突っ走るだけの日本なのか?
その『CONSUMING DECADENCE』の落し子たちはどこへ駆け込もうとしているのだろか?

『 やはり、「祖形へ戻る」はこれからの時代の方向性のように感じます。
その時、もう一度、人間とモノとの関係性、人間と空間、時間の関係性を、そして、
自分自身のうちなるをも再考する。
そこから新たな新しさが始まる。
そこには、何が大切なのかを勇気を出して探し出す行為としての存在が。』
 

今回のDISCIPLINE会はある意味、それを感じるためのところでフリートーキング的に、
皆さんのいろんな”スタンダード”で、皆さんと共にコミュニケートできればと思います。
楽しく、少しだけでも本当のエモーションを感じてみましょう。

変わらぬご参加を。

平川武治:

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日時:9月7日(金)
   18:15頃スタート 20:30頃まで (開場17:50)

会場:都内公共施設
参加費:一般2000円/学生1000円

ゲスト:参加していただける可能性有り
参加特典;新雑誌”LEPLI"の割引購入が可(数量限定)


収容人数に限りがありますので、ご参加頂ける場合は
前もってメールもしくはお電話にて人数をお知らせ頂ければ幸いです。

お問合わせ/press@lepli.org


=======たくさんのご来場ありがとうございました!=======

投稿者 : editor | 2007年09月01日 22:30 | comment and transrate this entry (0)

article(46)

DISCIPLINE会(名古屋)開催のお知らせ

天地に生命がほとばしり 馥郁たる 五月の薫に、
いかがお過ごしですか?

<DISCIPLINE会>を名古屋で開催することになりました。
あなたのファッションへの情熱をみなさんとともに、


講義テーマ
モードの現在とは?今はもう21世紀、モードはどのような方向に行こうとしているのか?
パリのモードと接して20数年の眼差しから

日時 2007年5月5日 18:00〜21:00
   18:00〜19:30 講義
   19:30〜19:45 休憩
   19:45〜21:00 質疑応答、ディスカッション

参加費 一般2,000円/学生1,000円(当日受付にて)

*参加希望者の方へ
開催場所についての詳細は参加いただけるのみにお伝えてしています。こちらまで連絡を
press@lepli.org
なお収容人数の関係上、定員(30名)になり次第締め切らせていただきます。

*当日会場では「Le Pli」バックナンバー(vol.1〜vol.3)の販売(数量限定)も行います。

投稿者 : editor | 2007年05月02日 12:20 | comment and transrate this entry (0)

article(46)

時代の変化、モードの新しさ。


『 モード、そのものが、もう既に以前のモードとは違ってきてしまっています。
 当然ですが、モードを育む環境としての社会やそこに住む人々たちの生活意識や様式がその実体としての【リアリテ】も、そして【ネオ・リアリテ】も、総てが変化し過ぎてしまった後に来たのがこの21世紀。ある意味では、もう一度、総ての環境も社会も「人間が中心」の「人間の速度」による「人間の心の在り方」を軸とした社会と生活様式をその中での「デザイン」を考え始める時期に少し、近づきかけているようにも感じられる時代性を予感で来たシーズン。
 
 生きている人間の「実体」としての又、自分自らの「リアリテ」としての「身体」を一番大切だと感じ始め、それへ自らが投資し始め、健康や安心と同じレベルで自らの身体の美しさを、バランスを想い始めた事。これらへ、気が付いてみると「服」よりも既に多く、投資している事実。社会でのこの新しい現象は決して、時代が貧しかった時期には「夢」であり、「願望」であったはず。社会が豊かになり始めてここまでの余裕が出来たことによる、今までに無かった新しさとしての社会現象の一つが、社会の表層としての「モード」が持っていた役割へと新たなスタンスで近づき始めたと読んだシーズンです。
 嘗てのモードは階級社会のイニシアティブを持っていた人たちによる「FAMME OBJECT」でスタートした世界。そのための男の身嗜みとしての「HOMME」はダンディズムと言う思想と社会のルールの中での楽しみ。
その後、’80年代はじめより、男が男を想うことも社会の表層の一部となり始め「HOMME OBJECT」 がこのモードの世界のもう一方のコンセプトになる。以後、’80年代後半から’90年代はこの「HOMME OBJECT」に翻弄されてそれなりの女はより、見られることのみへ又、ちょっと違う所にいた新しい生き方を求めた女性たちは自分たち自身の生き方や思想までを探し始め、「ジェンダー」や「トランス・ジェンダー」その後の「フェミニズム」を「モード」の世界へまでも影響し、辿りつき「モード」で感じようと試みあらゆる服の造形においても「リアリテ」ある可能性を路上に探し始めた。
そして、21世紀になり、生活の豊かさが一応に手中に入ると今度は自分にとっての真の「リアリテ」を想い始め、不安になり始める。ここで「モード」はこの時期から「PROTECTION/PROTECTS(束縛/解放)」という最も古いコンセプトが再燃され始める。ここでは、『イメージ』(幻想)から『リアリテ』(生)へ、モードの主体も変化したと読める。
 そこで新たにモードに加わったのが「SPORTS」「UNDER WEAR」そして、僕流に言う所の「SEX」。これらが今世紀に入ってからの「豊かさ」とその裏側の「不安」のアンバランスから生まれた新たな「モード」。これらは僕の視点ではみんな「PROTECTION/PROTECTS」がコンセプト。身体の機能と心のヒーリングそして性差と性そのものとを「モード」によってプロテクッションし始めたのがこの21世紀の新たな「モード」の入り口。
 今シーズンではこの「性」を考え、女性が持つ「リアリテ」として投資した「身体」の美しさをバランス化し始めたデザイナー達が先を走った。
 
 着ているブランドやデザイナーモノの「服」を楽しみ、見せびらかし遊んだ時代から、着ている服ではなく、「身体」(=「リアリテ―生」)を楽しみ、見せびらかし、安心して遊ぶ時代性が今。ここに来て、大きく変った「服」と「身体」の関係のパラドックス化。変わりない、「イメージ」ばかりで遊ぶことに飽き始めて来たともいえるでしょう。イメージは所詮イメージのみ。「リアリテ」を作れなくなってしまったバーチャルな世界。「エモーショナル」なるものも所詮疑似体験としてのエモーション。彼らたちは「サランラップ世代」そして、TV,TVゲーム、まんが、MTVなどからの感動は総て、バーチャル&シュミレーション世界。
 それだけ、現代の女性たちも、ゲイたちも自分たちの唯一の「リアリテ」としての「身体つき」をいとほしくも大切に想い始め、それらに気が付くと服以上に既に投資している現実性。これは今までに無かった「新しさ」の社会化。当然「モード」はこの先端に委ね我がもの顔をする。
ディーテール・デザインやプリントそのものが主役ではなく、もっと堂々と着る人の「身体」と「性」そのものを美しく見せるための、上品に見せるためのプロポーションをバランス感でどのようにデザインしてあげられるかまでがこれからのデザイナーの役割へと変化。だから「ボディー・コンシャス」。身体のシェープさと動きに委ねた「オプティカル・プリント」、ショートミニのための「ハイウエスト」、そのための「ショルダー・ポイント」そして、「トランスパーレンス」「ジョーゼット」「シフォン」。やはり、時代は「保守化の進展」のみへと。クラッシク、オーセンティック、べーッシク、トラディショナルそして、ロマンティック、エレガンスはエモーショナルとともに。しかし、実はその裏側には若者たちの新しい彼ららしい『STREET』が。その位相は『身体で遊ぶ』事。そのための「服」を作る人たちは「My I Help You?」の心が必要。即ち、「愛」と「ロマン」が、「ロマンティック・イデオロギー」を願望し始めた時代性。
 それに、もう一方では「たるみ」始めた身体をどの様に美しく見せられ続けるかの為のここでも、「PROTECT/PROTECTION」が「縛る」(フェティズム)「解放」(オーガニズム)までの表現も続くであろう今後。』
******

この『時代の身体つき』の変化に気をつけよう。
先ず、服を買う以前から、それ以上にもう、既に自分たちの身体つきに投資をし始めてきたご婦人たち。
自分たちの身体つきの変化に対してあらゆる可能性で既に、それ相当のお金を使い始めてしまっている彼女たち。
頭髪は染める植える付け足す,もう自由自在。顔は基礎化粧品を塗りたくってプチ整形から小じわ取り、身体の付き過ぎた脂肪をエステ、フィットネッスへ通いつめ、ダイエットをして矯正補整まで。そして、足。
勿論、ピアス&ボルトそれにタトゥウとシャドウまでの直接的装飾までも施す現代。
ここまで自分の身体を触りいじくった時代があっただだろうか?

 当然だろうが、ここまでの身体をどのように見せるかまでの『時代の身体つき』が大切なコンセプト。
そこで現れてくるのが『ボディー・コンシャス』。日本の「ボディ・コン」とは総てのクオリティが違うはず。
ただ、単純に体の線を見せることよりもその線がどれだけ金がかかっているかまでの贅沢さをより、リアルにエモーショナルに見せるまでの「ボディー・コンシャス」。
そのため選ばれた身体に纏いつくまでの感触ある素材と色とプリント。だから「オプチカルプリント」も新しい。そして、それらが感じられるまでのスタイリング。
身体をプロテクトしたスポーツユニフォームのデザイン化によるアウター化とカジュアル化で今世紀が幕を開け、心と気分をプロテクトした下着のアウター化が続きそして最後が、性をプロテクトするまでのフェティシュな「ボンテージ」モノとその週辺としてのウエアラブルなボディー・コンシャスとしてのボディータイツ、スパッツもその現れ。

男も男を楽しむために彼らたちの「身体」をモードの中に再び引入れたことによって、女は女らしさを自分たちが磨き上げ投資して来た身体で勝負する時代がここに。その時の性はいつも変わらぬ性差のシンボル。
これも、時代が「保守の進展」をもたらした新しさの一つ。
ダンス、現代舞踏それにバレーが面白くなってきたことも忘れてはいけない。
又、岩波書店からの新しいシリーズ、『身体をめぐるレッスン』
(全4巻/責任編集鷲田清一ほか。11月末発売予定。)も興味在る本。           文責;平川武治】

投稿者 : take.Hirakawa | 2006年12月07日 19:09 | comment and transrate this entry (1)

雑誌ができるのを楽しみにしてます!
最近、こちらの更新が少なくて残念です。

投稿者 : sunafkin : 2007年05月17日 11:26