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ARCHIVE 原稿/新たなファッションビジネスの為に。「アジテーション;『20世紀を忘れろ!! そして、本質を知ろう。』」
新たなファッション環境とそのビジネスの為に
僕たちの今生きている時代とはどのような時代であり,
それを踏まえた上で今後,どのような時代性と時代へ
僕たちは生きて行くのか?を考えてみよう。
現在に起こりえているいろいろな状況を読み、
今がどのような時代なのか?
そして今後、この延長上にどの様な時代が到来するのか?
これらを思い巡らす時には当然ですが「時代の価値観」を考え、読まなくてはならないでしょう。
アジテーション;『20世紀を忘れろ!! そして、本質を知ろう。』
既に、9年目の今年はもう21世紀の10分の1近くが過ぎている。
確実に、僕たちは21世紀に生きている現実を意識しなければいけない。
その時に、『20世紀を忘れろ!!そして、本質を知ろう。』は結構,大切なコンセプトになる。
即ち、「全く新しい時代へ」を意識し、考える機を逸したのが日本ではないだろうか?
そして,その結果が今であろう。
わが国の政治には国体を考えた21世紀はこう在るべきだというビジョンがいつも存在しなかったし又、現在も存在しない。環境問題が大きく表層を現し、これに世論も当然ながら影響を受けその方向性は正しいがその背後に存在すべきはずの「本質」は感じられない。僕たちの国を思う心、自然を思うこころからの環境問題ではなく消費社会に向けての表層のみを思う短絡的な消費社会の『エコ』運動が論じられている傾向が強い。
20世紀の価値観の一つ、「時間/距離/スピード」を文明化した自動車産業がこの機に及んで見事な崩壊を見せ始める。
そのコンセプトは『距離/時間の短縮の消滅』現象とも読める。
IT産業の高度なる発達に伴って、新たな「生活機器」の一つとしてのPCがより手軽に一般普及化し、その情報処理によって我々の地球が狭くなる。そして、グローバリズムと称したある種のネオ-コロニアル主義の台頭とバーチャル・リアリティの普遍化。経済に於いても、その結果としての紙幣経済からバーチャルマネー経済が始まる。
又、ケイタイの高度・多様なる発達によって、事実上の「距離の消滅」化が始まりコミュニケーションツールが、デス・コミュニケーションツールとなる。
20世紀末で記憶に残しておかなければならないことは、
その世紀の変わり目に起り始めた幾つかの消滅し始めた特徴である。
1)文化と社会の区別、領域の消滅。
M.ジャクソンは人種、ジェンダーをコンバージョンする
2)実態と内容を無視して表層としてのスタイルを強調。
ヴィジュアリティ、ブランド性、何よりも見栄えが大切。
3)高級文化/芸術と大衆文化/芸術の区別、領域の消滅。
文化+アートの消費化、ラップミュージュック、グラフィティ、
4)時間と空間の境界の消滅。
ハイパーリアリティやバーチャルリアリティの世界、ゲームの世界。
5)メタ物語の衰退と変革。
世界の枠組み、グローバル構造とイミグレーターたちの新世界。
(D.ストゥリナチ著/『モダニティとポストモダン文化』彩流社刊)
これらの変化、革新は必ずその表層としての『消費社会構造』に何らかの影響を強く与え始め、続けるだろう。
高度な技術革命が我々の日常生活にもたらしたものはその便利さや便宜性と共に一方では、人間として生きるための『本質』や『本意』の不在性や不透明性をも、もたらし、与えられた「自由」の裁量にも不安を感じ始める。その結果が綿密に構造化され、与えられた『マニアル社会化現象』の現在の日本である。
その影響の一つでもあろうか、わが国でも「少子化」現象が始まる。
自分たちの国を想い、愛することが出来ない若者たちは『自己満足と自己肯定』な発想へ流れ,子供を生むことや大人になることにまで躊躇してしまっている。その結果が『少子化』や『草食性』若者の登場、他方では同性愛者たちも増え、セックスレスの若者たちも増える。このままで行くと国家の衰退化へと繋がることも考慮しなければならない。
今の日本でも、個人のアイデンティティに不安を感じ始め、自らが自分を騙したり、痛めつけ始める。変身願望や入れ墨、人体改造とプチ整形迄。そして、24時間音楽、コスプレ、かぶりモノ、アニメ、漫画、ブログマニア。
アキバというバーチャルの産みの里に彼らたちは自然発生化し、増殖化する。バーチュアル・リアリティに嵌る若者たちとその向こう側には、俗信的なレベルでの「神頼み」へ奔り、精神主義者と称される若者たちも増加する。
それらを揺り動かそうとコンヴァージェントする時代の波は若者たち迄も「保守の中庸化」が時代性となり始める。
「保守の中庸化」で考えられる時代の価値観は,
「家で・みんなで・安心という心地良さ」がコンセプト。
*家で;家を中心に、室内と屋外、昼と夜、、、
*みんなで;友人、恋人、家族、同僚、、、
*安心;心の安心と身体の安心そして、環境の安心、
そのための機能性を考え始める、、、
*心地良さ;楽さ、快適さ、のんびりさ、自分主義的コクーン。
そして、ファッション商品とそのビジネスにも、
「新・階級化社会構造へ」というベクトル。
「心に楽しく、身体に優しい」というクオリティ。
「アイデンティティを再発見、再感動のためのザ・ニッポン」
というテイスト。
これらが「20世紀」という流れの連続性から考えられる価値観と
その現れとしての社会化現象でしょう。
*
ここで、アジテーション、『20世紀を忘れろ!!そして、本質を知ろう。』を考えてみましょう。
もう、20世紀の後半は来ません。80年代も、90年代も戻って来ない。
来るのは21世紀と言う新たな価値観が必要な時代が、90年代の始まりのアーカイブをベースにして、実は、もう来てしまっているのです。
その基本発想は『本質を知った上での関係性の確立』が大切な根拠性。
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資本主義の今後を考えてみると大きくは2つの新たな方向性が考えられます。
そのひとつは従来からの、20世紀を引き継ぐ構造がより肥大化する考え。
これは「独占資本主義」とでも呼べるまでのものでしょう。
ここまで来てしまったのだから出せる国家の「エゴ」、企業の「エゴ」
そして、個人の「エゴ」はどんどん出すことによっての現状肥大と維持化。
もうひとつは「共棲資本主義」とでも呼べるものです。
共に分かち合い出来るだけ「エゴ」を少なくして
みんなで責任を持ち合って共生してゆこうというもの。
ここで、共生してゆくための価値観の括りは政治性でもなく思想でもなく、
もっと自由な個人の生活者意識レベルでの括りの中で、
人間の大切な生活環境を守りながら個人のレベルだけでなく人間のレベルと、リズムで生活して行こうと言う発想。
ここでは個人の経験によって持ち得た価値観とクオリティオブライフの成熟度が
大切なキーワードになる豊かなる少衆化の資本主義構造。
例えば,かつての「ヒッピー」たちが思い描いたコミューン思想の昇華スパイラル化。
同じように『関係性』を拠りどころとした対峙する資本主義、
その一つがキリスト教的な「弱肉強食」社会の肯定と、
もう一つが仏教、儒教的な「想い合うこころ」によって生かされるという社会への望み。
進化した消費社会の日本でも最近、出始めた言葉に「共費社会」がある。
これなどは「共棲資本主義」を考慮したところでの言葉であろう。
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20世紀の最終コースから始まった、「距離の消滅化」とは、
例えば、国と国。女と男。そして、作り手と買い手等、など、、、
このような関係性における「距離の消滅化」もこの21世紀の新たなコンセプトの重要な一つでしょう。
「国と国」の関係性は民族と民族の関係性へと拡大進展化してゆくでしょう。
この地球上で共産主義、社会主義というイデオロギーを持った国家の比率はますます少なくなるでしょう。
従って、今後は資本主義国家間における民族と民族との関係性が即ち、民族主義的なる国家がより、強力化、拡大化してゆくというコンセプト。
「女と男」、このジェンダーにおける性差の「距離の消滅化」は
より、人間的なる又、地球人たる発想の下での「女と男」を考えられるようになるだろう。
即ち、我々は女であり、男であるけれど、「だけど、人間だね!」というまでの新たなコンセプト。
「作り手と買い手」の関係性における「距離の消滅化」はもう既にプロシューマーと言う名で登場していますが、彼らたちのこれからは自分の作りたいものを作れる環境と状況はより狭くなるでしょう。
時代がもたらした豊かさによって、作り手からも、買い手からも、その欲望は両方からさほど、必要がなくなり始めるでしょう。
それほど、普通のものが高品位と高水準と低価格へと一般化して来たからです。
これが「進化」と言うものですね。
20世紀の延長としての新たな価値観の模索はもう、通用し難いまでの時代性が現在です。
例えば、現在のグローバリズムとはネオ・コロニアリズムであるという発想を持った時には20世紀を飛び越して、
かつての「植民地時代」のバーチャル・リアリティ化、バーチャル・イメージ化は一つのアイディアであるかも知れませんね。国家規模より、民族規模が新たなスケールとなるのですから。
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現実の巷の日本は例えば,ファッションビジネスの世界も完全に「黒舟」到来で目覚め、騒ぎ立てている。
それは未だに、変らぬ『シングル・スタンダード』しか持ち得ていない大半の国民性の現状でしょう。
『本質』を見極める為の知識や知恵がその教育の一番の元であったはずが、いつの間にか『本質』はどうでもよくって、表層のみを、与えられた『マニュアル』さえ覚えこめば式の偏差値教育から社会構造と環境に至るまで、いたって単純な単細胞的なるシングルスタンダードの国民性へ成り上がってしまっている現実。
かつてのように『農業立国』や『工業立国』へ完全復帰が出来ない現実も考えないで、『再・鎖国論』さえも、もっともらしく表層化してしまうほどに、僕たちの『シングル・スタンダード』発想は普遍化してしまっている重症国民病でしょう。その一つに『自分の夢』『個人の満足』観が異常に強い志向性であり,『自己肯定』で自己防衛している狭い世界での自己満足型の若者たち。従って,国のため、社会のためという発想が未熟児的なる国民性もこの『本質』に無知、無教養であることの現れでしょう。
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先ほどの、「共棲資本主義」の進化を新しさと考えると、
新-国民服的なる制服の時代が予感されます。これが『ユニクロ』の登場でもあるでしょう。
それと並列した自由服としての『黒舟』もの。これらは「h&m」「21 forever」で代表されるでしょう。
新たな感覚での『UNIFORMISM』-『制服化』は多くの意味で、今後の繊維業界の一つの目玉になるでしょう。
豊かさと自由さをそれぞれのフレームとしたところでの『制服』、これにどの様な素材感とデザインがなされるかは一つの興味ある発想。
『ユニフォーミズム』の到来?とは、
気がつけば、誰もが、何らかのところの『ユニフォーム』を着て生活している?そんな時代。
『流行』とはトレンド物を着る事から自分たちの棲み分けのためのユニフォームとなるものを着ると言うまでの
分衆、属化現象が『流行』?スポーツジム、ゴルフクラブ、余暇サークル、コミュニティ活動、ボランティア活動などいろいろな『気概』を通じての「階級化社会の形成化」へ。
『気概のユニフォーミズム』も新たなコンセプトでしょう。
この辺りが新たな繊維産業の可能性へ繋がって行くとも考えられる社会の変化。
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日本的環境と都市構造と生活構造しての『コンビニ』環境をどのように取り組んだ都市生活者構造とそれらをターゲットにした新しい商業構造が組み立てられるか?そして、今後、しばらくはホットな流れになるであろう、『衣、食、住、装』という自分生活環境のテイストとクオリティからまとめ上げるMDが消費構造そのものになるまでの『カテゴリー・ミックス』が始まるでしょう。
例えば、「コンビニのあるセレクトショップ」や「デパ地下とセレクトショップ」など。
もう既に、現実の都市はより過疎化し始め、都市の中心はショールーム化してしまって実際のお買い物は豊かな人たちは自分たちが住んでいる地元で、という地域社会とのコミット化。
若い世代や家族たちも郊外のアウトレット・モールか、ネットのショップまたはオークションで上手なお買い物がより現実と頻度を増し始める。
15歳以降の日本人が今後、どのような生活環境を持ち得それが世界レベルとどの様な差異が在るかを見極めることも一つの視点。
この15歳以降は生まれてくると既に、PCが存在する生活環境なのです。
ここでの彼らたちの『脳味噌』がどのように日本的に変革をしてゆくのか?
僕は、もう、ここに一つの拠りどころを感じ始めています。
ここでは『ウサギと亀』のお話はPCを駆使して興味あるサイトにワープし,
大いに広げられる『ヴァーチャルな関係性』が発展進化する時代性がより,現実化へ。
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今世紀の始まりを待たないでも、BIO、DNA組み替え、新エネルギィー、サイバービジネス、個人レベルとヴァーチャルレベルも含めた知的著作権それに例の、宇宙開発による再世界参入、これらが新たな世紀の「利権戦争」の主戦場でしょう。
20世紀までで既に、あらゆる既成なる『利権』を地球規模で搾取して金を儲けてしまった階級者たちが向かう新たで、より激しい『利権』戦争がこの分野なのでしょう。
そんな世界からファッション産業はどの方向へ進化してゆくのか?または置いてきぼりを喰ってしまうのか?
ここでも、バイオや遺伝子組み換えによる新たな被服素材を開発し、バーチャルイメージにおけるビジネス戦略の多種混合化と新たなイミグレーターたちとの混血化による新しい日本人の登場、これらの『豊かさのリーミックス化』で高度、広範囲化なヒューマンビジネスと考えるビジネスの在り方もやはりファッションの世界に関係してくるのがこれからの世界観には必要でしょう。
我々の『金本位資本主義社会』は良く見て、『共棲・金本位制資本主義』に限りなく『自由』に揺れ動き、流れてゆけば未だ、それなりの可能性と人間らしさが失われずに生きて行けるでしょう。
が、ここに古呆けてしまった20世紀の『イデオロギー』による『独占資本主義』進化論を持ち出してしまうと元の木阿弥へ。
『HAPPY,PEACE & FREEDOM』
かつてのヒッピーが叫んでいた声が、やっとぼくたちのアメリカ印の日本の生活現場の後ろから
若い純粋なニュージェネレーションたちの声とスピリチュアルリズムを志向し始めた30代から聞こえてくる時代が確実に、一つの新しい時代を迎えるでしょう。
都市のベクトルは『郊外』型へ、郊外でうけているものが都市へ流れ込むベクトルも読めますね。
なぜ、郊外かと言えば、未だそこには『自然』が存在しているからです。『土』が在るからです。
そして、『住民』が住んでいるからです。
『黒舟』に対抗するには『土』しかないかもしれませんね。
また、それぞれが持ち得た生活の豊かさから“レジデンサー”が
新たな『本当の顧客』だという判断も必要な時代性でしょう。
決して都市へ集中するようないわゆる“スベニーヤー”たちはいい顧客ではなくなり始めたということです。
おわりに、
なぜ、『20世紀を忘れろ!!』なのかの本質は
国民の大半がもう既に、『豊かな生活環境と状況』を現実として経験していること、
また『豊かさのイメージ』のみを追っていた世代が疲れ始め
彼らたちによる新たなペイジが開かれる時が今だからです。
これからは『豊かさと穏やかさのリーミックス、サンプリング、リーメイク』が
モノ作りにも商業施設にも、そのコンセプトとして大切になり,必要なのです。
そして、此の時、もう一方で大事なのが『時間のベクトル』の質の変化を読む事でしょう。
そんな時代観を感じています。
文責/平川武治:(初稿平成21年2月/再編集平成22年2月):
投稿者 : editor | 2010年02月22日 02:00 | comment and transrate this entry (0)