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新たな僕のモードへの眼差し。そして、新たなファッションの『夢』への願い。
最近、考えていた事、
そして、新たな僕の眼差し。
或る意味でのこれからの時代における”新しさ”即ち、“差異”、
これは消費社会の必然的価値要素ですからね、洗濯機も掃除機も冷蔵庫も新たなテクノロジーに可能性がある分だけ
今後も、「新商品」が開発され、デザインが必要である。
例えば、最近のダイソン社の扇風機は凄いですね!!
この新しさを考えた場合、
特に、このモードの世界では『テクノロジー』が今後の、唯一の大きな可能性ではないでしょうか?
『テクノロジー』と『エステティック』それに『問題意識』。
それらを”本質”としての『自分の世界観』でもって、この三位一体の発想が極めて自分的そして、
人間的あれば”時代”が表現出来る。
時代に恩返しが出来る。ここで、”エゴ”に頼ってはいけません。
———そんな眼差しに今でも想いが残るのはもう1年前になってしまうのですが、
あのPITTI UOMOでのUNDER COVERのコレクションである。
このような時代即ち、個人が持ち得たパーソナルメディアの結果、
我々の社会は『POPの泡沫化』でしかないのですから
個々のエゴは普遍化し当然ですが、類似化するしかないのです。
そして最後は消滅してしまう迄の現代。
ですから、ありきたりな人並みな生活現実とバーチャル体験から生まれる”エゴ”には
もう然程、創造性高きカオスは望めないでしょう。
ここで、”自分の自然体”への月謝が払われるか?責任感が?、という問題定義にも。
だから、このレベルでの”エゴ”と称されるものは只の”業”でしかない。
従って、純な”エゴ”を他者より多く例えば、200%出せばそれは社会へ届く可能性があるという事ですね。
ここに『夢』の在り方と立場が、想いが。
それに何のために、何に、自らの”エゴ”を持ち出すか?が大切な自分の創造者としての責任と立場。
ここで、『テクノロジー』と『エステティック』それに『問題意識』、この三位一体のためにカオスとしての”エゴ”。
此の様な時代性になってしまうと、
『テクノロジー』はヒューマニスティックなバランスを超えてしまっている。
『テクノロジー』を認めない、認めたくない人たちが
『良心的環境主義者』としてその自らの立場を肯定し始めている。
この場合の『テクノロジー』についての意識が、技術が思いが、
全くと言ってよい程、日本のファッション教育で遅れてしまっている。
従って当然、今の服を作る若い人たちに欠如していること。
例えば、自分の『手』を信じられる迄に手を使って来たのか? 使いたいのか? 修練して来たのか?
も、一番解り易い自分自身が持ち得た『テクノロジー』の一つ。
即ち、【ヒューマンテクノロジー】の世界、
それと解り易い【サイエンステクノロジー】の世界。
これらの調和ある融合が今後のモードをより、愉しく夢あるものへ導くであろう。
”自我”もテクノロジーの変容器官の一つ。
ファッションの場合の『テクノロジー』は
その殆どが”素材の開発”に委ねられ、目を向けられていますが、
本当は、服を作ると言う工程を分解すれば、
”縫う、編む、折る、切る、貼る、繋ぐ”などの
諸技術が必要になって造られるのが1着の”服”であるはず。
これらが変わらずに『ミシン』に委ねられて来た世界。
もう一つ、着る”身体”にも『テクノロジー』は存在している。
身体の”構造機能、拡張機能、性機能ともしかしたら、こゝろにも”。
例えば、”テクノロジー”は資本主義が消えても、社会主義が消えても国家が無くなっても
残り動き続けて存在して行くものでしょう。
『身体』と『製品としての服』それに『素材』。
これらそれぞれに新たなテクノロジーと古いテクノロジーが
人間を想うこゝろで僕たちらしい新たな調和と融合の世界を。
或る意味で『危機の時代』
すべての根拠が失われ始めた現代と言う「POPの泡沫化現象」状態で
新たなものを創ると言う行為を開始するとしたら
『テクノロジー』に懸け、委ねる事が新たなる勇気ある選択、
これこそが新しい時代を生む迄のエッポクメイキング足りうるでしょう。
ファッションの人たちに今欠如している眼差しの一つに
この『テクノロジー』への関わり方があるのではないだろうか?
どうしても、『素材』そのものの新しさに委ねてしまって
服を作る事の『本質』に考えなければならない
『テクノロジー』が欠如してしまっている。
新たな『テクノロジー』と新たな発想での『バランス-オブ-テクノロジー』が生まれなければ
所詮、ファッションはすべて、ここ1世紀を超えても未だ、”ミシン”と”アイロン”を使っての
『WRAPPING-PAPERE』/包装紙の領域。
そのコンセプトは変わらぬ”FAMME OBJECTS"と"HOMME OBJECTS"。
(最近のCdGを見ていても残念乍ら、これは感じてしまう)
いろいろな『諸テクノロジー』とその新たな生活環境との調和を考えたバランス観が加われば、
この現在の閉鎖的なるファッションの世界にも可能性ある、豊穣なる世界観が誕生するのではないだろうか?
そして、新たなる『夢』が生まれる。
考えてみれば、
この発想による世界観は従来の日本人が最も得意とし,
発達させて来た分野では無かったのでは?
「パクれるものはパクって」
そこに自分たちだけの発想と発明のテクノロジーが使われていれば
それはもう、オリジナリティを持ち得る迄の現実に。
極論で言ってしまえば、
『ファッションにおける日本式ケイタイを創る』論理である。
ここが可能性あるスタート。
こんな事を考え今シーズンのメンズコレクションを見ていました。
この兆しは
確実に最近のメンズコレクションでも
着る身体を『ソフト-プロテクション』する側から
また、都市をバイクで徘徊するアウトドアーレジデンサーズへの
新しい視点でテクノロジーに挑戦し始めた若手たちがいる。
RAD HOURANI:
ROMAIN KREMER:
visvim:
参考/
日本繊維機械学会:http://wwwsoc.nii.ac.jp/tmsj/japan/index.html
テクノ手芸ウエブ:http://www.techno-shugei.com/
Dashing Tweeds : http://www.dashingtweeds.co.uk/
Dr.Jenny Tillotson : http://www.smartsecondskin.com/main/
WearAbleTechnologies : http://www.loop.ph/bin/view/Openloop/ WearAbleTechnologies#NEW_developments
St.Martins College of Art & design : http://www.csm.arts.ac.uk/
Elisabeth de Senneville /art-couture : http://www.e2senneville.com/
UNDER COVER :
RAF SIMONS:
文責/平川武治:
投稿者 : editor | 2010年07月01日 20:40 | comment and transrate this entry (0)