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2012年8月28日

The series "For not without knowing the world" 08/27:ひらかわ版:”世界知らずに成らないために”/

The series "For not without knowing the world" 08/27:
ひらかわ版:”世界知らずに成らないために”/

http://www.youtube.com/watch?v=sStd-fMa2ic&feature=player_embedded

自由を求める人たちはもう、アメリカヘ行かれなくなりますね。
 日本語ではこのサイトをご覧んください。
http://tiny4649.blog48.fc2.com/blog-entry-88.html

投稿者 editor : 14:47 | コメント (0)

2012年8月16日

ひらかわ版:”世界知らずに成らないために”/The series "For not without knowing the world" 08/15:

 今日はあの”八月十五日”です、『大東亜戦争、終戦記念日です。』
 どうか、忘れないでください。
辛いでしょうが、辛いことを忘れないでください。
忘れないで、自心のこゝろの有り様の原風景として、想い出してください。
今日はそんな日なのです。
そして、無念に念い多く亡くなられた同胞たちへ、
いまの僕たちの不安なこゝろの有り様とともに、
黙祷をいたしましょう。
合掌を。

 そして、今回の「ひらかわ版:”世界知らずに成らないために”は」ある古書の紹介です。 
やっと、1986年8月1日初版本/「グッドバイロンゲラップ ---放射能におおわれた島---」が
捜していた書庫から見つけ出せたのでこれを紹介しましょう。/築地書館刊:

 この写真本はフリーランス-フォトジャーナリストの豊崎博光さんが25年も前に上稿為された労作である。
この本は南太平洋に浮かぶ夢の楽園“ロンゲラップ島”がある日から“地獄の島”に変貌してしまった。
その“ロンゲラップ島”のある日以降を’78年,’82年,’85年,’86年に6度に渉って
ドキュメントされた写真と文章の本です。
 カヴァーには、
『放射能に覆われた島、彼等たちは何を見たのか?
1985年の夏、故郷を捨てた人びとは振り返らなかった。
青い海とヤシの木に囲まれたその島から人影は消えた。
1954年水爆ブラボーの実験以来30年の間、放射能は島をむしばみ続け、悲劇は繰り返された。
人びとはかつてみたこともない病気に冒され、子どもたちも死んでいった。
“ロンゲラップ島”は私たちに警告のメッセージを送りつづけている。
けれども、それを知る人はほとんどいない-----1978~'86 豊崎博光:

 「蝕まれた楽園、ロンゲラップ島
1954年3月1日午前6時45分、
アメリカは、ビキニ環礁で水爆『ブラボー』を爆発させた。
爆発規模は15メガトン、広島型原爆の約1000倍の威力だった。
この時、ビキニの東160キロで操業中だった第五福竜丸が死の灰を浴びた。
(これが、戦後3番目のアメリカ軍による日本人被爆事件となった”第五福竜丸事件”である。)
第五福竜丸が操業していたところから、僅か20キロ東のロンゲラップ島には、
当時4人の妊婦を含む82人がすんでいた。」
 
 「放射能の被害から逃れるために、ロンゲラップ島のひとびとが故郷の島を離れます。」

 もしかしたら、そのご、この豊崎博光さんの労作、ドキュメンタリィー本、
「グッドバイロンゲラップ ---放射能におおわれた島---」は或る筋から消された形跡が在る。
ここにも、恐ろしい”原子力ムラ住民”たちの気配が、,、、

 ”3.11/FUKUSHIMA”の30年後は?
”結果”がどの様に現実化するのか?
“政府”と“東電”と””原子力ムラ住民”の思いとおこゝろがどの様な30年後を迎えるのであろうか?
新たなリスクへの誠実な挑戦と責任が根幹。
 

 僕はこの本を'86年に豊崎さんご自身からから頂いた。
当時のstudio voice編集長だった片桐さんがご一緒為さってお話とともに
頂いたことをあの”3.11/FUKUSHIMA"以降頻繁に想い出していた。
ここにも”気骨”あるフリーランスドキュメンタリージャーナリストの気概を見せて頂いた。
このような事態が同胞たち企業人によってもたらされた”3.11/FUKUSHIMA"を
どのような無念のおこゝろで接しられたのだろうか?
ご自心のこゝろの有り様は?

 「ありがとうございます、豊崎さん。お元気でいらっしゃるのでしょうか?」

豊崎博光
http://www.tsukiji-shokan.co.jp/mokuroku/chosya/toyosaki-hiromitu.html
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&tbo=p&tbm=bks&q=inauthor:%22豊崎博光%22
第五福竜丸/
http://ja.wikipedia.org/wiki/第五福竜丸
ロンゲラップ島 ビキニ環礁 核実験/
http://simanto114.blog116.fc2.com/blog-entry-512.html
http://ameblo.jp/housyanou1/entry-11130468270.html

 そして、
やはり、この様な発言がそろそろ当事者たちの大本営から発せられる様になりましたね。
「米GE イメルトCEO 原発“見切り”発言、」
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD0607I_W2A800C1000000/
 日本の『ポチ』野田や『元-ポチ』“原子力ムラ住民たち”はどのように本意なく
気骨なく生き抜くのであろうか?
これからの政治にもっと関心を、好奇心を!!
平成二十四年八月十五日:大東亜戦争、終戦記念日に。
合掌。
相安相忘。
文責/平川武治:大阪へ墓参のための移動さなか。

投稿者 editor : 00:38 | コメント (0)

2012年8月13日

大阪/GRAFの会のお知らせ。

投稿者 editor : 14:46 | コメント (0)

残暑お見舞いと、大阪/GRAFの会のお知らせです。

 ”蜩蝉の 響きひろがり 夏囲む”

「残暑の激しさ、今日もひとしお。
濱へ流れる人多く、 
浴衣姿の増えたこの夏。
このようにして、
やっと、日本に、”日本”が戻って来たのでしょう。
彼等たちの速度で彼等たちが目覚め始めたようです。
残暑のお見舞いを申し上げます。」

 さて今般、私事ですが故郷、”大阪”で初めての会を開きます。
”graf”/ http://www.graf-d3.com/の企画主催、
Yellowcultureclub/ http://www.yellowcultureclub.com/プロデゥースによる
大阪版新企画の“平川武治の会”が8月18/19日に行なわれます。
関西方面にお住まいの方、またご興味あるお友達がいらっしゃれば
是非、好奇心旺盛にお楽しみにいらして下さい。

 ご自愛とともに清々しい残暑を、
相安相忘。
ひらかわ:

投稿者 editor : 14:43 | コメント (0)

2012年8月11日

妄想的、「CdGの37.2度」晩夏版:

 「立秋過ぎた夏。
吐き出されるような残り陽に戯れとご注意を。
残暑お見舞いに代えて、ひらかわ。」

 「僕が一番好奇心を持ってご挨拶をしていたAnna Piaggiが亡くなられた。
その彼女の存在そのものが”モード”だったanna。

 幾度か、アントワープアカデミィーの審査でご一緒しその後、お話を交わす様になった、
僕には最も興味ある信頼出来るファッションジャーナリストであった。
着る事、即ちファッションする事そのものがお好きで、
いつも周りを楽しませてくださっていた。
そんなおこゝろを使っていらっしゃたフランスに居ないタイプのジャーナリストでした。
こゝろより、お悔やみを申し上げます。
どうか、御成仏なさってください。」

*或る友人とのメール交信+α;
 「そうですね、
哲学=根幹を学習して来なかった戦後の僕たちや後進国と言われている国々では、
未だに”表層的な物作りと物売り/distribution”が“広告産業=情報産業”という
プロセスの上に立った消費国家経済の主軸というシステムから
脱皮されていないのが現実でしょう。
 という事は、根幹を学んで来なかった”豊かなる難民たち”と
彼等たちによって教育され、甘やかされたガキどもたちそして、
ゆとり教育世代たちが主役であるこの奇天烈なポジティフ社会の根幹はもしかすると、
焼け跡時代の“戦後システム”から何も変わっていないのでしょう。
それを利用しターゲットに活性肥大化する為の“広告産業=情報産業”というプロセスが
時代の新しさとして参画参入しただけ。
以後、この類の産業は資本主義に於ける分かり易い消費社会のヒーローたちになりましたね。
この産業の根幹は“FAKE"によって人間のリピドーの一つである”欲望”を
いかにコントロール出来るか?の世界でしょう。
(“FAKE"=付加価値=イメージ=表層=いかさま=似非=虚業=虚飾=カッコ付け=
“ゴッコ”=“やらせ”=不自然等など、、)
 
 “20世紀”の他方の本質とは、“距離の短縮”の為の諸産業に加えて、
特に戦後以降は新たな時代の人間が持ちえた「”欲望”の民主化」によって
この“FAKE"産業が進化発展を遂げて構築された時代であるとも言えるでしょう。
そして、“20世紀”は“距離の短縮”産業を基盤としてこれら、“広告産業=情報産業”から
どのようにお金を儲けるか?即ち、どのようにカッコ良く"FAKE"するか?が
優先され出来上がった世界と時代性ですね。
ここには”距離の短縮”+”情報”+“広告”+”FAKE”+”サイバー世界へ”という
公式によって進革した構造が読めますね。
ファッション産業も“流行”という情報と広告と欲望をミックスされたカテゴリーであって、
従って所謂、”芸術”の世界ではありません。
 だからご存知でしょうが、このアメリカンヴォーグの名物編集長の,
彼女の言葉が現実の一端を的確に語っているのでしょう。
「THE FASHION IS NOT ART, FASHION IS EVEN CULTURE,
FASHION IS ONLY ADVERTISING.
THE ADVERTISING IS MONEY.
THE ADVERTISING BUSINESS WILL BE MAKING A LOT OF HIGH AMOUNT
OF GUARANTY.」Anna Winter/by GIA.

**妄想としての『CdGの37.2度』; 
 この手の、遅れて来た”20世紀”手法ではゲームは闘い辛くなるばかりでしょう。
もう魔力/魔術は使えません。このレベルでゲームするとすぐにエネルギィーが無くなり、
エネルギィー補充が頻繁に必要になる。
一つは”資金”というエネルギィー、もう一つは、”モノ”というエネルギィー。
この2つのエネルギィーの循環装置が頻繁に必要ですね。
若しくは”新陳代謝”機能ですね。この為の“イメージング”という潤滑油が必要だった時代性と効力は
変化,減力し始めています。
 ここに“21世紀”のためのコンテキストが必要になるのです。
所詮、今後も資本主義世界における消費社会、”商い”と言う土俵の上ですからね。
ですから、この二つにどれだけ嘗て、存在した時代を喚起する迄の武器としての”特意性”が
『世界』として創成出来るかに係ります。 
ただの“特殊性”は現代では、時代の平常のバリエーションの“one of them"でしか在りません。
そこで考えられる武器として、この企業が未だ、今後もどれだけの”特意性ある世界”を創成出来るか?
または、もう一つの発想としては、かつてのCdGの”前衛的体験”のパーツを
特化し、時代に迎合した“CdGの世界”を新たに構築してゆくかですね。 
 ここには”普遍的なる”コンテキストが在ります。
それはもう既に浸食し始めている”中庸の世界”のブランド化を実施実行することです。
コンセプトは“手頃な洗練さ”/Going Out in Style.“のCdG世界の中庸化です。
そして、このコンテキストの根幹は、
『真の保守主義とは人間の本性にも社会慣習にも適応出来る概念である。」
Edward O. Wilson著/「知の挑戦』第十二章”行き先”/山下篤子訳より、(P.339 )
 特効薬としての新薬はこのCdGらしさと言われているものによる“五感の再バランス化”でしょう。
"視覚”と”聴覚”に多くを委ねないところの地球的発想とサイバー的発想をミックスした
ハイセンスな好奇心を喚起する“The 5th. Sense of Re-Balance"を空間化する事でしょう。
この新薬はブランドCdGらしさを新たに構築出来るおおいなる可能性でしょう。
 
 企業の可能性の結論は、どれだけの”資金”と”モノ”と言う2つのエネルギィーが潜在しているか?
それを産み出す為の関係性と言うシステムが構築されているか?これに尽きますね。
あとは“ソフト”ですね。“妄想”と“人”です、誰が奇天烈な妄想を出せる人材か?その役割の人材が居るのか?
このCdGでは勿論、それが複数であっても“川久保玲”の分身の育成に掛かりますね。 
 CdGも今では、きっと、持ち得た世界レベルでのこの”システムとプロセス”が織りなす
傲慢という名のテクスチュアーの渦中でしょう。
かつて、ドロシーも巻き込まれてしまった“竜巻”の中、抜け出したその彼方とは? 
向こうに見えるOZの魔塔???
 早く目覚めないと、早く目覚めないと、、、、、、

 嘗て、この”銀座”にはそれぞれの時代に“銀座”を代表し、日本人の為の時代を喚起したお店が在りました。
『丸善』が在りました。その次に出て来たのが『和光』でした。
それから?もしかしたら、『サン-モトヤマ』であり、『ザ-ギンザ』であったでしょう。
そして、これらの“お店”に常に対峙した『三越』が暖簾を張っていました。
“銀座”という街並が、界隈が未だ、贅沢という名誉と躾を持って“耀き煌めいていた”時代でした。
この後はご存知でしょう、散々たる界隈に成り下がってしまいました。
海外ブランドの出店に飼い馴らされ、その後はフアストファッションに翻弄されているのが
今の”銀座”の現実でしょう。
そこへ進出した僕たちのCdGの"DSM-GINZA"は本来の企業オーナーの嗜好性と
「大集体=業/カルマ」だったのでしょうか?
“腐っても鯛”という時代性を読み込んだ保守的コンセプトの為なのでしょうか?
それとも、”ご近所さん”との新たな関係性も読んでの事でしょうか?
 果たして、僕たちのCdGの"DSM-GINZA"は次なる『丸善』や『和光』や『ザ-ギンザ』になり得るのか?
日本に於ける『中庸』を代表し、”時代”と”界隈”性という匂いをまき散らす“暖簾”が掲げ続けられるのか? 
又は、『H-P』レベル止まりで右往左往してしまうのか??? 
 そして、いつ、お母さんは働きものの伴侶を使って嘗て、
近隣の『U』サンへ”knock on door” をするのだろうか? 

 今も、嘗ても“前衛”というレッテルでそのファンたちを喚起して来たこのブランドCdGにとっても、
繰り返しですか?歴史は。

 21世紀は“根幹=アーキテクティズム”が必然を負います。
今の、CdGには日本発でこれが理解出来て、今後のアーキテクトな展開図面と、
シナリオが描ける妄想力豊かな人材がいませんね。
CdGに念うこゝろがあるならば、この妄想力が必要でしょう。
この集団には今、イエロー特有の面白い”妄想”が出来る根拠なき夢豊かな人が不在ですね。
日本人特有の真面目で、お利口さんで良く働くイエスマンたちが彼等が好きな“そろばん”の世界に
漬かり切ってしまいましたね。ですから、早く目覚めないと!
 この企業力を利用して妄想出来る役割とは、これは大変に恵まれた立ち居場所になりますね。
現在のCdGに備わってしまった、”名声と信頼と関係性とお金の使い方”は
最強力なエネルギィーで上質なパワーでしょう。利用する価値は充分にありますよ!
“21世紀”も健在なる国際企業としての可能性豊かなCdGグループです。
 
 今のままでは危うさを感じてしまいます、勿体無い。
“砂糖菓子”が崩れる時は音も無くいつの間にか、
文責/平川武治:

投稿者 editor : 10:55 | コメント (0)

2012年8月 3日

ひらかわ版:”世界知らずに成らないために”/The series "For not without knowing the world" 08/02:

 みなさん、猛暑お見舞い申し上げます。
水分不足、栄養不足、寝不足になっていらっしゃいませんか?

 この時期、日本にいらっしゃる方は寝不足でしょう。
毎夜送られて来るロンドンからのオリンピックゲームの
試合映像に夢中になってしまうからでしょう。

 しかし、今回のロンドンオリンピックは何か変だと思われませんか?
実際に今までこの様な大会ではあり得ないようなことが幾つも珍事として起っていますね。
オープニングの祭典での日本人チームやインド人チームの入場式からがそうですね。

 金メダルの事ばかりを思って競技をする選手たちと、それを見る側。
そこで今回の”ひらかわ版:”世界知らずに成らないために”は
ロンドンオリンピックをより、面白く見る為のガイドです。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=fXj-y8nfaxQ

 僕が好奇心を共有出来る大好きなサイトが”カレイドスコープ”です。
既に、ご存知の方もたくさんいらっしゃるでしょう、このサイトも是非!!併せて見てください。http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1460.html

***
 ここで、オリンピック観戦から気が付いた事を、
今回も今までで、多くの優れた力のある選手たちが”メダル”を取りましたね。
凄い事です。でも、なぜ、日本人選手は目標の”金メダル”ではなく
“銅メダル”しか取れかったのでしょうね?
“金”と”銅”の間にはどれだけの実距離があるのでしょうか?

 “銅”で悔しいけど”メダル”が貰えたから満足する。(?)
多くの選手のインタビューでの答えがこのように感じ取ってしまうのですが、
メダルは貰う物ではなく“勝ち取る”物ですよね?
そして、“金”が欲しければ、”金”を取るこゝろの有り様を凝縮させ
自心でそのテンションを作り出さなければ今までの練習努力が”銅”に変わってしまう。

 何処で、このように”刷り込み”が為されてしまったのでしょう。
 その原因は何なのでしょうね?
技術、経験、精神性、気骨、覚悟、無我夢中と努力そして、運?

 例えば、柔道もこのロンドン大会から以前の柔道では無くなりましたね?
只の、格闘技に近くなってしまったようです。
以前の日本の柔道に在った様式美が無くなり、
只、勝ちたい、勝てばいい、というだけの勝負の柔道になってしまった様に感じます。

 勝てばお金が、顕彰金とかいろいろなお金が廻って来る、メディアへの露出度も増える。
という時代性への現れなのでしょうか?
何か、恐ろしい力で見事に刷り込み操作が為されている様に思ってしまうのです。

 ファッションの世界にも似てしまっていますね。
コンペティションばかりにこゝろ囚われて”服作り”をはじめる若い人が増えましたね。
競いあってメダルをもらう、賞金が入る、以後メディアで露出してもらえる。

 そこで、先日見た映画で、N.Y.VOGUEのアナ-ウインターが発言している言葉は
やはり彼女らしく、的を得て、モードの根幹をしっかりと理解した上での発言をしていました。

" THE FASHION IS NOT ART, FASHION IS EVEN CULTURE.
FASHION IS A ONLY ADVERTISING.
THE ADVERTISING IS MONEY.
THE ADVERTISING BUSINESS WILL BE MAKING LOT OF HIGH AMOUNT OF GUARANTY."

Anna Winter/by GIA.

 この根幹に立って論じられるモードと、見えている表層の形骸だけを論じられるモード。
ここに現実に於ける”成熟”さの違いがあります。

 モードを論じるにも自心の立ち居場所と、モードの立ち居場所という根幹を
謙虚に、実直に把握していなければ、論じ合うステージとレベルがズレて終いますね。
モードやファッションという解り易い言葉のみの表層レベルで
小難しい事や教養を見せびらかし、論じ、自己満足し合っている
若者たちには奇天烈な偏見を感じてしまいます。
何処か、風通しが悪いですね。
躾けある、スマートさが感じられませんね。
経験未熟な思い上がりな視点が見えるだけです。

 彼らたちをカッコいいと自らの下積み経験からのバッドな思い違いで、
簡単に煽て上げる外国コンプレックスなファッション村の住民たち、編集者さんたち。

 何時まで経っても、モードをポリテカルな視点で論じられない世界。
これは造る側、デザイナーと称してそれなりの郎党を組んでいる未だ、尻が青い豚たちにも言えますね。
これらの豚たちは、煽てられて木に昇ってしまっていますからね。
彼等たちは所詮、広告塔の為の只の客寄せパンダを演じさせられてデザイナー振っている輩たちです。

 "THE FASHION IS NOT ART, FASHION IS EVEN CULTURE.
FASHION IS A ONLY ADVERTISING."

 やはり、彼女、Annaはすごく、頭の切れた体験者ですね、
モードとはの”根幹”を実践から熟知してらっしゃいますね。
既に、現在のファッションとは完全に彼女の言葉が現実世界になってしまっています。
そして、彼女たちに振り回され、見事にコントロールされてしまっていますね。

 時代を予知してしまった編集者ですね。
だから、あれ程までに、伝説の人に成れたのでしょう。
 相安相忘。
文責/平川武治:盛夏に:

投稿者 editor : 13:48 | コメント (0)