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川久保さまのお誕生日のお祝いと彼女のパリ-コレについて。
今日は川久保さまのお誕生日です。
不躾ですが、この様な場を借りて、お誕生日のお祝いを申し上げます。
どうか、お元気で変わらぬファッションクリエーションと
ビジネスにその絶妙なるバランスを持って、
エナジーと人間のがんばりが重なるまでの調和を。
そのためのおこゝろの安らぎと激しく豊かな迄の好奇心をいつまでも。
お誕生日、おめでとうございます。
そして、変わらないおこゝろ、いつもありがとうございます。
ひらかわたけはる:
***
コレクション記;
僕の好きな映画監督、D.クローネンバーグの作品に”CRASH" というのがある。
確か、J.G.バラードの小説を映画化したものだった。
その内容は、交通事故は性的な絶頂が存在し、
車自体が人間的な要素を持っているという内容で語られていた映画で、
交通事故をショー化した挿入部も有った。
そして、この"crush"は"crash”と“clash"もほとんど同意語として英語には有る。
押し潰される、挟まれて潰されると、衝突である。
又、最近ではPC用語としても使われている。ハードディスクドライブの破損であり
この場合はデータ破損と物質破損を意味している。
いつもの変わらぬ顔ぶれの人たちがそれぞれの興奮を携えてショー後の
バックステージへ押し掛けていた。僕も今回も強烈なパンチを喰らったので、
興奮と昂りが冷めやまないうちにバックステージへ行って待っていた。
列の殆どが居なくなった後、今シーズンのCdG,川久保さんは
ショーのコンセプトが"CRUSH"だと教えて下さった。
僕の長い間の体験からでは、この様に彼女から言葉を発せられる事は
滅多になかった事だと瞬時に思い起こした。
そして、この彼女の稀な行為に、僕は即座に当惑をしながら
この彼女の言葉から幾つかの事を感じたが、
それ以上に僕のこゝろが明るく軽くなり、感動し素直に嬉しくなった。
当然だが、コレクションが始まりだすと血液が充満してくる。
この充満度によってコレクションの善し悪しが感じられ、以後、見ている間中、
僕の軀に感覚としての言葉、”CRUSH“が充満。
先ず、パンクミュージュックの"CLUSH"。
そして、冒頭のD.クローネンバーグ監督の映画“CRASH"次に、
この街の嘗て、’60年に結成した”ヌーボーレアリズム”の芸術家たちの幾人か、
セザールとアルマンを思い出した。彼らたちの作品は日用品や廃棄物を
大量に集積した作品で知られ、当時の時代においては見事に現代という”未来”を
予知した次元の作品を生み、その作品が持つコンセプトは現代社会への
新たな変わらぬテーゼでもある。次に、彼らたちの亜流として、
解り易く今回もその役割を果たした、若手イギリス人でDSMにも関わっている
作家の作品だと言う解読し易い若しくは、これが発端で展開し始めたかの様な
ヘッドアクセサリーの表情を確認し、セザールやアルマンの作品を思いつつ、
最終的には、僕は僕たちが日本人である以上、彼らたちの時代よりも、
さらに現代に強烈に未来を示唆するあの昨年の天災後の惨事な風景へと
想いと眼差しが移り始める。
軀で感じられる迄の創造性というものが在る。
それに意味をつけようとする思考と、次から次へと現れて軀へ押し寄せて来る
塊の物体を僕は遂に”瓦礫”と認識した。
そして、これらの”瓦礫”をどうにかして”服”それも、”MODE"と認めようと
繰り返し、繰り返しまるで、災害時に喪失してしまった生活を共にしていた
大切なモノの探し物を”瓦礫”の中から探す行為の如くに、
その僕が最後に決めてしまった”瓦礫”の中から
何処に“服”化された仕掛けが在るのだろうと。
その僕が探していた大事なものが何なのかが解り始めたのは
“黒”のシリーズが出て来てからだった。
やっと、そうなんだ、これはモードのコレクションなのだ。
そうだ、CdGのショーなのだという安心が生まれそれと同時に
今迄の探し物をしていた疲れも感じてしまった。
CdGのコレクションで、僕のコレクション-ノオトに書いたコレクションンの
始まりのキーワードが“CRASH"そして、最後に書いた言葉が”瓦礫”。
僕にとっては、これは正に”モードの瓦礫”と”人間”という”二抗対立”のコンセプトを
読んだのである。
そして、あの天災と人災の1年後にこのようなコンセプトを強烈に堂々と発信する。
初めて、日本人ファッションデザイナーが正面切ってあの“3.11/FUKUSHIMA"と
向かい合って潔く、自分の世界観へ落とし込んだ強靭な
すばらしいコレクションだと感激した。
だから、僕には今回のコレクションでは軀で感じられる迄の創造性というものが
在るという事を実感させられたコレクションでもあった。
何処のアトリエでも目にする溜まり尽くした”モードの瓦礫”、
パターン紙、チーティング、原反在庫、トワレ後のシーティング類、
切れ端の布切れや裁断途中で捨てられた未完成な部分箇所、チュールや糸切れ等等、
この様な多くの何処にでも服を造るアトリエには日常、主役として存在している
空間と環境に詰め込まれ積み重なっている“モードの瓦礫”。
これらに潰されそうにまた、潰されない様にと、どのように使ってやれば良いか?
の戦いの連続がこの30数年間というこの環境での時間でしかなかった。
その結果から生まれたものが作品であったという
僕なりの”妄想/delusion"な発想を最後にしてしまった迄の、
それ程強烈な、すばらしいパンチ力が未だ、十分に効き残っている
今シーズンのCdG,川久保玲のコレクションだった。
川久保さんの“CRUSH"よ!!を聞いて喜んだ僕は、
コレクションノオトを取りに戻って、川久保さんとエイドリアンに
僕の”CRASH"と書いたノオトを見せる。
彼が、「“CRUSH"、“A”ではなく“U"だ!」とすぐに指摘する。
僕はすかさず、
『僕は“瓦礫”だと、最後には“瓦礫”になってしまいました。』と切り返す。
川久保さんの『えっ、”瓦礫”???、違うはよ!!!』が聴こえ、フェード-エンド。
**
では、なぜ、このブランドだけがこのような”特異性”が強烈な
コレクションで出せるのか?
勿論、この入り口へ到達するには,
それなりの長い旅路の努力と経験を積んで来たからである。
その結果の集大成がこの“新たな入り口”の前に立つことが出来,
その立ち居場所で尚,今でも上質な”特異性”を自分の世界観の上で
生み出して来たという現実が在るからだ。
”トレンドでもなくって良い、着れなくっても良い、売れなくっても良い、
そして、高くっても良い、”この4つのいい”は今迄では全くの
MD違反のモノ造りである。
こんな服をシーズンごとに創作していれば会社はどうなるのだ?
当たり前の疑問である。
これをクリアーした所に、現在のこのブランド、コムデギャルソン、
川久保玲の凄さと、がんばりと、特意性に拘ったモノ造りと、
継続という経験とそこから生まれた関係性が在り、
彼女の決断がこの新たな”入り口”を開かせたのである。
この入り口とは、従来迄のファッションビジネスにはなかった入り口である。
即ち、従来のビジネスカテゴリーには無かった今の時代だから生まれた
新たな入り口なのである。この入り口を出入りしたいのであれば、
先の”4つのいいでつくられた服”でないと
なかなかこの入り口を通る事は必死のわざである。
そして、この様な時代性に成ったから生まれた入り口でもある。
これは、”トレンド”というこの産業の特殊な構造がスローに緩んで来た時に
始めて表層化し始めた入り口である。
だから、現代は“アーカイブ”が価値を生み始めるという時代性を呼び込んだ
コンテンツの新たなもう一つのファッションビジネスの登場である。
そこでは、ファッション産業に実際的に寄与したブランドが、
そのデザイナーの世界観を持って、アート的な発想で自分しか出来ない
”特意性”高い服作りを継続してきた経験を持ったブランドと
そのデザイナーしか通れない入り口である。
この入り口とは、”ミュージアム”という入り口である。
“ミュージアムピース”に選ばれるか?という新しい入り口がここに在る。
このモードの街,巴里に於いて,なぜ,モードが文化のそれも,
アートの領域に置かれたか?
ファッションをアートだと大いなる勘違いをしている浮ついた若者たちは
この事を自分の教養として学んだ事が在るだろうか?
巴里はアートの街だと言われている。
この巴里で行われている『サロンドートンヌ』という
その名の通り,毎年、現在も行われている由緒ある秋の芸術展が在る。
この“Salon d'Automne"の1919~1925年迄の間、モードが参加出展する事が
許された時期が在った。
以後,此の国のモードの世界が,文化の領域へそして,
それなりの仕事をした当時のクチュリェたちがアート化された。
当時はこの”入り口”を通過する事で,モードがアートに変換出来た時代であった。
この時期とは巴里のオートクチュールの世界が誕生し,
オートクチュールビジネスの発展期であり,
新しい産業として社会にコミットし成立し始めた時期であった。
この時期に『署名』化即ち,ブランド化という方法がシステム構造化された。
仕立てられた服に『サイン』を入れその独創性を保証する事によっての,
広く認められた顧客に支えられるオートクチュールメゾンビジネスの構造である。
例えば,’24年にはマルセル-レルビェ監督の映画『人でなしの人々』によって
この時代の映画というもう一つの新たな産業が発展途上のモードの世界を
プレゼンテーションしバックアップした事によって
更に、この街巴里が『モードのキャピタル』構造を産業として構築した。
そして,それが現在迄価値を持ち続けている発端である。
この入り口を自分の方へ向けてしまった、コムデギャルソンの
川久保玲というデザイナーの本質的な凄さであり、
見事な業の終着点であり尚かつ、
今後のビジネスへ繋がる迄のエターナルな可能性を残し始めたのが
ここ4シーズン位前からである。
この彼女の動き、これに気ずき、これにシフト出来る企業とそのブランドと
デザイナーが未だ少ないのが現実の日本のファッションの世界のレベルである。
この入り口を堂々と通れるのは個人のアート振った低い自我を撒き散らす
個人作家のレベルではない。
どれだけ、社会や産業とコミットし、生活者の豊かさへ寄与した仕事をして来た
ブランドのデザイナーがウエルカムされる入り口である。
この新たな入り口を頻繁に出入り出来るブランドとそのデザイナーは
例えば,そのデザイナー個人が死んでもデザイナー名とブランド名は
永遠に残り、その元でのファッション産業ビジネスの継続という
新しいコンテンツでの今後のファッションビジネスの可能性が
エターナルに手中に出来る事にもなる。
勿論,このための”庭師”が新たなLe Jardin des Modeに
必要である事には変わりない。
という事は今後,この株式会社コムデギャルソンという
日本発のファッションデザイナーブランド企業は、
日本最初の”レグジュアリィファッションハウスメゾン”として
世界に残れる可能性をほぼ,手中にし始めた。
このブランドが新たな独自の戦略へ、ここ4シーズン程前から
打って出て来たと読めるから愉しい。
『ドロシーがトトと一緒に,ライオンや案山子やブリキの木こりたちと
やっと、長い旅路の後たどり着いたOZの塔の前に,』OZの魔法使い/ボーム著:
*
今シーズンもこれだけの“特異性”あふれた世界観を見せていただき
ありがとうございました。
僕が幸せなのは、好きなモードを好きな街、巴里で26年間も実際に
当事者として見る快感と優越感を今日迄、経験し続けて来れた事であろう。
合掌。
文責/平川武治:巴里市19区にて、平成24年10月11日:
投稿者 : editor | 2012年10月12日 03:44 | comment and transrate this entry (0)