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2023年8月12日

2023年6月20日/『3年半ぶりの僕のパリ。』 その五-エピローグ "墓参"のこと。

 6ヶ月前の今日が彼女の命日。
 暑い最中の6月の終わり。
ファッションウイークが終わった巴里、待っていたかのように僕はブリュッセルへ移動。
今回の旅の一番のミッションである、Francine Paironの墓参へ。

 久しぶりに乗った、TGV。
乗り換えがあって知らない駅で結局、1時間以上も待たされて着いたブリュッセル北駅は
もう治安の悪い時間帯になっていた。
 小雨も降ってきた。
この駅からさほど遠くないところに予約した筈のホテルだったがタクシーを使った。
イミグレターの運転手は案外、親切だった。

 ただ、駄々広いホテルの部屋での独りは落ち着かない夜だった。
明日の彼女の墓参に緊張をしてしまっていたために余計だったのだろう。
朝食も取らず、八時前にはホテルを出た。

 歩いて駅まで行くと、やはりホテルは近い所に在ったことを知る。
駅中のカフェで朝食まがいをとってそして、トラム駅へ行く。
 共通の友人の映像作家のミッシェルにあらかじめ教えてもらっていた道順で彼女の元へ向かう。

 そそっかしい僕はもう、今日の失敗を始めた。
乗ったトラムが反対方向のものだったために、さあ大変!!
 不安とともに乗っていたので、途中で気づき降りて反対の停車場へ。
ここが何処なのかは全く不明なところで小一時間ほど待つ。
 同じ停車場で待っている老人に尋ねるが、尋ねると余計に、不安になってしまうのが
この街の僕の経験。こんな時、モバイルを持っていればと自らのアナログぶりをやじるが
この体験そのものが旅だと言い聞かせる。
 行ったり来たりのトラムでやっと乗り換え停留所へ辿り着き、次はバスに乗り換える。
さっきの経験で学習したので今度は大丈夫。
 そしてやっと、十四時過ぎには霊園に辿り着く。

 僕と誕生日が"1日違い"という繋がりでフランシーヌとは仲がよかった。
彼女との出会いは、パリのメトロの中だった。当時、僕はすでに、アントワープアカデミーの
卒業コレクションの審査員をさせていただいていた。
 確か、マルタンのコレクション帰りの車中、
気がついてみると、多くのアントワープの連中の中に、微笑んでいるフランシーヌもいた。
 リンダ ロッパの紹介で、フランシーヌはブリュッセルに古くからある美術学校、
"ラ カンブル/La Cambre"校のファッション ディレクターであることも知った。
 この学校は1927年にアンリ・ヴァン・ド・ヴェルドによって設立された、
ベルギィー版"バウハウス"と思っていただければいい。それだけの内容とレベルの学校である。
 そして、この学校の特徴はこのモード科でも同じく、"スタージュ"という研修・実習制度が
3年生から課せられるので、生徒たちは学校を離れて半年以上は自分たちが望むデザイナーメゾンで
スタージュを行うのが、隣のアントワープとは最も違うところである。

その後、僕はフランシーヌがパリの"I.F.M.校"へファッションディレクターとして
招聘せれるまでの数年間、この"ラ カンブル"校の卒業展審査もさせていただき、
大いに学ぶところがあった。同じベルギィーの学校であるが、全く校風もその気質もそして、
生徒たちの作風も違っていたので僕は大いに好奇心を持って勉強にもなるので
参加させていただいていた。
 「自我の"マイルド"と"ビター"」という感の違いであろか? 
或いは、"フランス語"教育という事実が、"ラ カンブル"校の卒業生たちの
"イエールファスティヴァル"参加とともに、"パリ登竜"が早く案外、スムースにパリのモード界へ
巣立ってゆく生徒を輩出させる学校だという違いもあった。
 自分の自由と世界観を"他者とコミュニケーション"を取る事によって
"創造がなされる"システムと、自分の創造のエゴを極端に拡張することが"創造の発端"という乱暴な
根幹の違いがある。 
 この違いはその後の事実、"パリファッションメゾン"を担う若手デザイナーたちの人脈を
構築もし、現在までも継続している。
 参考/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB_(%E5%AD%A6%E6%A0%A1)"

 多分、このフランシーヌの教育実績がその後、"I.F.M."校におけるファッションディレクター
招聘に繋がり、彼女は10年間をパリで住み、多くの素晴らしい生徒を"パリモード"へ輩出させた。
 その一人に、日本人生徒では、"三宅陽子"さんがいる。
彼女は優秀な生徒でロンドンのセントマーティン校からこの"I .F.M.校へ
 そして卒業後、パリで"ラグジュアリーメゾン"と"purple fashon"で働き、
現在は東京でスタイリスト&ディレクターをなさっている。
 僕が知っているファッション海外留学生はその殆んどが、"なりすまし"デザイナーで
虚述の元に活躍している輩たちが多い世界。ヨウコさんは寡黙に、彼女の自由さと聡明さと感覚で
好きなモードと関わっていらっしゃる。

 今年も1月に入ってから、フランシーヌからメールが届いた。
恒例の「そろそろ、誕生日が近づいたね、元気でやっていますか?」のメールだと僕は思い、
それなりの返事を出した。
 するとその次に、1週間もしないで、彼女が、自身の病気の告白が記されているメールが届き、
以下の文が添えられていました。

『 私はこれまでずっと、既成概念にとらわれない思考をやめずに生きてきました。
「思い切ったことをする」こと。「新しい領域を開拓する。」それが、私の世界でのあり方です。
いや、生きてるだけだ!
 テリトリーによっては、もっと優しいテリトリーもあります。
アイデンティティがコア・ターゲットになれば、あらかじめ地盤が掘り起こされる。
 私はこの火薬庫の上に家を建てたんだ!
ファッションは私の遊び場です。セルフコンストラクションを、優先する。イメージより本物志向。
ストレートトーク、私の表現方法です。
 この冒険では、皆さん、つまり全員を同じ船に乗せました。
私はあなたを押し、挑発し、楽しませ、邪魔をし、愛してきました。
 その一方で、皆さんは私に栄養を与え、感動を与え、刺激を与え、成長させてくれました。
振り返ってみると、私たちは何か恐ろしいほど生きているもので結ばれているような気が
します......。

 "同じ馬車の2頭の馬が、
それぞれ自分の側で猛スピードで引っ張るように。
雪道を行く騎手たちは、正しい歩幅を探し、正しい考えを探している。
 美は時に、通り過ぎる枝が顔を叩くように私たちを焼き、
美は時に、喉に飛びかかる驚異の狼のように私たちに噛みつく" 』

 参考/クリスチャン・ボビン: "La folle allure"
https://www.fredericlenoir.com/ja/news2/クリスチャン・ボビン
「-この人生で私を驚かせるのは善です-それは悪よりもはるかに特異です。」

 やっと、辿り着いた墓石の前に。
全く、彼女らしい表情の墓石だ、
多くの人たちとの出会いのように、波の彷徨いを想う。

 その静かで平和な雰囲気の中で、
僕独りだけがフランシーヌの笑顔を思い浮かべることができた。
 そして、不思議なことが起こった。
鎌倉から持ってきたお線香をあげ、お祈りしていると
突然、隣の墓石の陰から猫が静かに、
しかし、堂々と姿を現し、僕を見つめるが如く対面した。
私たちはしばらくの間、160秒くらい見つめ合った、
それは、僕には長い時間に思えた。
僕が声をかけると、猫は静かに立ち去った。
僕は白昼夢を見ていた。

 フランシーヌが僕のところに来て言った!
「タケ、やっと来てくれたのね、待っていたわ。ありがとう。」と
フランシーヌがわざわざ、言いに来てくれたのだと信じて、
僕は嬉しくて、幸せな時間が流れた。

 しばらく芝生の上に座り込んで、独りでぼそぼそとしゃべった。
晴天の元、何事もなく、とても清らかで幸せな時間を
彼女と過ごせたことに感謝している。

 There is a lot of time for the everything under the sun." 
"太陽の下にはすべての時間がある。"
 フランシーヌと共に、僕の好きな言葉がゆったりと漂いそして、流れた。
合掌。

" Thank you so much,
You are a so important piece of my jigsaw puzzle.
Rest in peace,Francine."
Taque.HIRAKAWA:

文責/平川武治:
初稿/2023年07月23日:
 
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2023年8月11日

"Paris Fashion-week `24 S/S"/『3年半ぶりの僕のパリ。』/その四-いくつかのコレクションを見て。

『3年半ぶりの僕のパリ。』/その四-いくつかのコレクションを見て。
"Paris Fashion-week `24 S/S":

はじめに;
 いつの間にか、"ファッションの素人たち"が、
与えられたその立居場所で、何ら新しい創造とは全くの別世界で、
変わらぬそれなりの品性の元で、"fame, fortune and money"の為、
我が物顔で、"金鍍金の世界"ではしゃぎ回されている、
"Chained Fashion People"たちは
 『"与えられたフレーム"の中で、自分たちが求める"自由"を謳歌する。』新世代(?)
こんな時代の先端の真っ只中で彼らたちはこれからも
どのような輝くまでの、ときめきある"夢"を見せてくれるのだろうか?

 冷静に見ると、この状況とは、
白人富豪層が仕掛けた、今世界に蔓延してしまっている、"格差社会"における
新たな中産階級のための「消費社会」を生み出すための使い古されてしまった、
"消費社会パラダイム"そのものでしかない。

 いつも「仕掛ける側と仕掛けられる側の目的が同じ」世界のみが
その目的、"fame, fortune and money"を手に入れられると言うパラダイムがある種の歴史を
作っていることを如実に認識させられる今の"ファッションの世界"でしかない。 
 こんな世界では、巷のファッションメディアに拐かされないように。

 だから、あのH.C.アンデルセンが1836年に書いた童話「裸の王様」は
モードを論じる人たちにとっては未だに、新鮮なる"名著"なのである。
 参考/「はだかの王さま」:村上豊 絵/木村由利子 訳:miki house発行。

1)「さすが、エルメス、"エルメスエレガンス"が凄い!」/ 
 "向こう岸へ行かなかった、エルメス。"が今回の僕のタイトル。
コレクションで見せた、"エルメスエレガンス"。
 僕とデザイナーヴェロニック(Veronique Nichanian)は、26年ほどの付き合いになる。
先代名物社長、ジャン・ルイ・デュマ(Jean-Louis Dumas)のミッションを'88年に受けて以来、
彼女は、"HERMES HOMME"をデザインして、35年間の現役を続けている。

 昨今の"金鍍金用ファッションDJ"がギラついた眼差しで、ザッピングし始める
パリファッションウイーク、こんな時代では、パリに限らず世界でも
彼女、ヴェロニックのアクチュアリティと経験値とスキルに対峙するデザイナーは皆無である。

 そんなヴェロニックが見せてくれた
"シャツ&パンツ"というコーディネートを4体ほど出したスタイリングに魅了させられた僕。
一番シンプルで、一番かっこいい男を熟知している彼女が表現した
"エルメスエレガンス"が即ち、"フレンチ エレガンス"というまでのプライドを感じさせる
コレクションだった。

 例えば、シャツが一番似合う男は?「そう、フランスの男たちよ!」である。
これは母が僕が中学生の時に教えてくれたフランス映画が好きだった母の一言であった。

 今の若いファッション ジャーナリストと称するレポーターたちは
所詮、"ファッションDJ"に煽られた人種。
"ギラギラファッションDJ"の周りに寄り集まってくる"蛾"のようなもの。
コレクション会場の"フアースト ロー"に座りたい輩たち。
 なので、彼らたちにはこの今回のヴェロニックの凄さや旨さ
それに勿論、"エレガンス"の根幹が理解できない。

 『"エルメスエレガンス"即ち、"フレンチ エレガンス"』
L.V.旗はためく、"騒めく川向こう岸"から遠く離れて決して、近寄らないコレクションを
彼女の空気感で堂々と成し遂げた大好きなヴェロニックの自信とキャリアとセンスに完敗。
 あなたの変わらぬ笑顔へと共に
"Merci beaucoup et une grande reconnaissance ❣️"

2)「パリへ戻ってきた、KOLOR」。その顔つきは "Wスタンダード"。
「デコトラ」美意識がベースのハイ・ブリッドストリート。
日本人の根幹の一つに、「デコトラ」で代表される"美意識"と"工芸観"がある。
これは最も解り易い"ジャポニズム"の根幹でもある。

 このデザイナーのデザイン根幹は変わらぬ
"トーキョーストリートカジュアル+α"
彼が差し出すこの+αがこりに凝ったものだから
モードの世界へ昇華される。
僕は愉しく観ってしまう。
 一つのブランドが「世界進出」を目指すならば、
デザイナーが持つべき"ジャポニズム"観が必須である。
これが、「Wスタンダード」の根幹になる。

 「それぞれのジャポニズム」を考察した時、
"トーキョー"をあるいは、"ジャポン"を装飾する根幹は
よく言われる、"足し算"か"引き算"だ。
KOLORも勿論、"足し算"の世界を丁寧に凝りに凝って
一つの世界観を構築する。
"素材感+パーツ感+プリント感そして、色相感"に凝るのだ。
これらの凝り方で、ただのストリートカジュアルな世界が
もう少し、"モード寄り"になる。
これがこのデザイナーの持っている勘と上手さだ。
 この"足し算"の世界の極めあるいは根幹は"デコトラ"。
そして、"引き算"の世界は"ゼン"が極めになろう。

 日本人以外のデザイナーたちはこの"足し算""引き算"の塩加減が
勿論、ザッピング&コピーできない。
ブランド"KOLOR"の巧さと面白さがここにある。

 そして、久しぶりで巴里で見たこの顔つきが、「Wスタンダード」。
"ストリートカジュアル:モード"、"足し算":"引き算"
だが、根幹は"デコトラ"。
日本人の"ネイル技術"が世界一だということを思い出そう。

3)「不変になってしまった、CdGパラダイム」/
 もう、多分何も起こらない"凄さ"とはこんなに退屈なのか?
僕のように、'85年来のこのブランドの立ち上げからを見続けて来た者にすると、
この"表層の不連続の連続性"がまやかしでしかない世界を感じてしまうからだ。

 この根幹は、やはり"新しさ"を感じさせる"ファッション パラダイム"そのものが
変わらないことだ。使い古された"パラダイム"は
"プロット&エレメント"の不連続の連続性でしかない。

 何も起こらない"凄さ"が,すごいブランド"CdG H.P."
「一代完結」を意識し始めたのだろうかと?
"サスティナブルから遠く離れて!"しまった"凄さ"あるいは、"恐ろしさ"も感じる。

4)「変わらぬ"コラボ依存症"はそんなに美味しいビジネスなのか?」/
 新しさとしての"ファッション パラダイム"そのものを真面目に考え込んだ
"Junya MAN"コレクション。そこで見つけられたのが"女目線"という眼差し。
 
 一つの"眼差し"を構築する事の難しさ、そのものに挑戦したJunya MANコレクション。
"女目線"と言うまやかしは"ユニフォーム"へ辿り着けるのだろうか?
 
 もう一つのこのブランドの顔は、取り敢えずのブランド力に頼り切って、
「最少のリスクとコスト」を張って、「分の良い儲け」が得られる「コラボレーション」手法。
今世紀の、グローヴァリズムと共に登場したこの新たな"ファッションパラダイム"。

 実ビジネスをここに頼り切ってしまったこのブランドも乱暴な言い方をすれば、
"ユダヤの森"に迷い込まされ、この"不連続の連続"というパラダイムのみで
来る日も来る日も、明日を迎えるだけなのだろうか?

 そして、彼のメンズにおいては、自分が着たい服がデザインできないデザイナーで
終わってしまうのだろうか?

 "森"から抜け出したいのか?抜け出せるのだろうか?あるいは、
"森"で彷徨っていたいだけなのか。

5)東京に来て、お節介な仲間たちに煽られ、
"ビジネス"を意識してしまったKiko Kostadinov /

 このコロナ禍以前に登場してきた確か、ブルガリア人デザイナーの初期は、
独自性があって面白い視点で、ニートなデザインを素材とプリントによって、
エッジを効かせて見せていたはずなのに!

 彼も、東京の"古着屋の入れ知恵ファッションDJ"になってしまった。
ラングや、ラフのデビューコレクションを見ている僕の眼差しは、
従って、全くもって、古い使いまわされてしまった、"ファッションパラダイム"コレクションで
しかなかった。
 多分、このような"学卒デザイナー"は自分の持ち味としての
"ロコ デザイン"、"ロコ テイスト"、"ロコ センス"をどれだけ認識し、
自らのアイデンティティをどのような"差異"としてデザインしているのだろうか。

 東京を徘徊する、
"古着屋の入れ知恵ファッションDJ"たちのザッピングのネタ元は、
"アントワープ系+CdG + U.C + H.ラング+ラフ+ネメス+ウラ原系"などなど。

 このタイプのファッションDJの腕の見せ所は、どれだけの、"コンテンツと感覚と人間性"と
そして、今では"倫理観 "によって「時代の雰囲気を"ZAPPING"がなされ」、
コレクションを構築するか?
 が、これからの時代性だと感じているのだろうか?

6)"舞台衣装"="オート クチュール"になってしまう貧しさの世界では、
"パリのクチュール世界"から何を学んでいるのだろうか?/

 日本を代表するサスティナブル素材メーカー、"Spiber"社の子会社として、
親会社の世界戦略の一端で'19年から"パリ クチュールコレクション"を継続している
"YUIMA NAKAZATO"。

 僕は"Spiber"社傘下にならない彼の'16年から'18年までの
初期に彼が目指していた世界観が好きだった。
 そこには、彼が挑戦したい念いとアイディアと輝きが存在した、未来へ向けての
独自な"ファッションパラダイム"を創造し始めていた時期だったからだ。
 そして、そこには彼の情熱が満ち溢れている世界だった。
 
 "Spiber"社傘下後の'19年のパリでのクチュールコレクションを見てガッカリした。
コレクションそのものがまとまりなく、センスが悪く、
また、"STUDENTS COLLECTION"レベルへ舞い戻ったと感じた。
 この時、"サスティナブル"という言葉が無神経に、無表情に使われ始めた。
"Spiber"社の微生物発酵素材である"ブリュード・プロテイン"は"共生"時代に先駆けた
優れたサスティナブル素材であり、まず、アウトドアーウエアーの世界で一足先に、
"The North Face"の看板素材になり、時代を先取りし、'16年来、独走し続けている。

 それなりの出会いが在って
現在も継続可能なまでの状況なのであろうが、双方のミッションは何なのだろうか?
 今回のコレクションを見ても残念ながら、
僕は彼ら双方の"ミッション"がそれなりの"差異豊かな"世界を目指した眼差しであるのか
理解できなかった。

 あるいは、"新たなパラダイム"のためのミッションとも感じられない。
今彼らが"サスティナブルの世界"における「新たなパラダイム」を
"創造の世界"と"販売の世界"の両面で構築するべき、
すなわち、ある種の"利権"世界を構築する時代性でもあると認識しているのだろうか?

 "サスティナブル"を歌い上げるのであれば、
現時点ではやはり、ロンドンの"VIVIENNE WESTWOOD"社の「サスティナブル憲章'23年版」を
一読し、理解し、学ぶべきである。
ここにこのV.W.ブランドが本格的に取り組んでいる証が見える。
ゆえに、現在のこのブランドの実ビジネスは、ここ3年ら異世界レベルで上昇中である。

 コレクションで一番ガッカリしたことは、"シューズ"に「心とお金とセンス」が、
そして、"輝き"が感じられなかったことだった。
 「クチュールのトップにこのシューズなのか?」
デザイナー自身も周りの取り巻きも、無神経あるいは、無感覚。
或いは、もしかしたら既に?「はだかの王さま」の世界??
 メンズレディース3型ほどのシューズ、だから、"yuima nakazatoの差異"を
ここでも、「輝きと驚きとそして喜び」をもっと自由豊かに"創造"すべきであった。

 これが、パリのクチュールという世界である。
彼は、コレクションを日本から持ってきて"会場"としてのパリでショーを行うことが、
"パリのオートクチュールの世界に参加。"であり、
決して、"パリのオートクチュール"の世界から
残念ながら、「何かをは"学んで"はいなかった。」

文責/平川武治。
初稿/2023年07月23日。

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2023年6月20日/『3年半ぶりの僕のパリ。』その参-新しいパラダイムとその風景-2。

 INDEX;「新しいパラダイムとその風景-1」/
1 )コレクション会場の人混みが、"有色人種"が主流になってしまった。
2)パリのファッション有名校であった、"スチュディオ ベルソー"がついに廃校。
3)アントワープ王立芸術大学の最初の日本人留学生、"KEIKO"さんに会う。
4)この街、アントワープのファッション人間たちはいまも。
5 )「なぜ、マルタン マルジェラがすごいのか?」

 今回の「新しいパラダイムとその風景-2」/
6 )「ファッションパラダイム」を変えるまでのクリエーターはもう出てこないのだろうか?/
 そして、若い世代(?)たちの今の"ファッションDJ"花盛りのファッションクリエーションの
世界では、"新たなアイテムの創造"までもその熱意は及ばず、"在るモノ"のバリエーションを
どの様に、ザッピングするかで競い合っている世界が表層でしか無くなってしまったために、
"創造のパラダイム"を誕生させるまでの意識も喜びも情熱も持ち合わせていない、
より、残念な貧しい"鍍金"が現代の時代性になってしまった。

 僕が指摘する「ファッションパラダイム」には二つのカテゴリーがある。
その一つは、「作る世界」。もう一つは、「売る世界」のパラダイム。
「誰が、誰の、どんな生活を営んでいる人たちが着たくなる服」をブランド名か、デザイナー名で、
その時代の"雰囲気"をどのようにイメージング&ディレクションするかが、
現代のファッションの世界で求める、"fame, fortune and money"の為のショートカットな
生業になってしまった。

 従って、「新しさ」の根幹あるいは本質または、意味が変質してしまった。
その根幹は、「新しさ」そのものを必要としなくなった或いは、価値がなくなってしまった。
21世紀版「儲かればいい!」世界へそのパラダイムだけが進化(?)。

 多分、選ばれるあるいは、選ばれたい彼らたちは、ファッションを学んで来なかった輩たち。
そんな彼らたちは、それそのものが、"夢"であり、白人世界が彼らたちへ差し出す
"甘い毒"或いは、"サクセスストーリー"。
 
 例えば、「着る人間の人体構造」までを自分たちが関わるべき世界だとディープな思慮深さは
必要ない時代性だと信じるしかない?
 だから、彼らたちは「売る世界」のパラダイムを考え楽しむ。
ここには新たな可能性としての、"The New Technology"があるからだ。
 
7)例えば、「バイヤス使いができない。」勿論、学んでいない"ファッションDJ"たち。/
 この視点でもう少し、"ディーテール"へ眼差しを向けると、「バイヤス使い」ができない
デザイナーがほとんどになってしまった。

 「バイヤス使い」はそのデザインされた服を着た時にどれだけの"優美なドレープ"が
生み出せるか?のための技法の一つで、"洋裁士"がマジシャンになるための"種"の一つである。
もちろんこの手法は女性物が主体ですが、男物でも時折使われてきた。
 P.ポワレのエレガンス、コオトやロングジャケットなど"羽織りモノ"などに。

 しかし、メンズ ファッションのカテゴリーが、"ストリートスタイル"が根幹になり、
それが、全てになってしまったファッションDJたちのプレーグラウンド。
 そこへ、スポーツやミリタリー、ワークスというユニフォームのザッピングと
ブリコラージュによって、"ストリート エレガンス"な流れを求め出した。

 そんな時代の新しい雰囲気をデザインするためには、「バイヤス使い」は必需であろうが、
そのほとんどの若手、DJデザイナーたちは全くの「ファッションアマチュア」なのですから
無理もないでしょう。

8)素材展、"プルミエール ヴィジョン"にも新たな傾向が見える。/
 「ここでも従来のいわゆる、"大手素材メーカー"の出店が減ってきている。
具体的には、今までいい素材を提供していた大手イタリー系の素材企業の出店が少なくなって、
その代わり、ここにも"白人企業"に変わり、アジア系の新興企業の進出が目立つ。
中国系と韓国系、インド系それに日本企業もこの中に入る。」と、友人が語ってくれた。

 単純に、"新旧"交代期に来たと読むべきだあろうが、後退するべき新素材の登場を
あえて考えれば、"サスティナブル"が主役に躍り出たというのだろうか?

 しかし、この"サスティナブル"には大きな落とし穴がある。"資金と規模"伴う新たな事業である。
従って、若いデザイナーブランドが、"サスティナブル素材"を使った事で
"サスティナブル ブランド"ではない世界が現実なのである。

 "原糸""染め""織""加工"などなど、それぞれの立居場所と制作時で、
それぞれの"認可証書"が必然となる世界が本来の「サスティナブル」と認可される世界である。
 この工程を消化するためには、それぞれの企業に"資金と規模"が必然となる現実がある。

 この現実を如実に自分たちのブランドの世界で実施しているのが、
ロンドンの"VIVIENNE WESTWOOD"である。
このデザイナー年は本格的な「サスティナビリティ」を2017年ライ本格的に始めてきた実績があり、
事実、これが要因にもなり売り上げは上昇中である。

 もう一つの要因は、"ネット販売"という手法が顕著になって来た。
"プルミエール ヴィジョン"へわざわざ出店するよりも、すでに顧客があるので、
"ネット販売"で十分という時期でもあるだろう。
 ここでも新たなシーンがコロナ後に展開し始めている。
 
9)フランスの輸入業務には、日本発売の"made in Chaina"モノには重税がかかる。/
 コロナ後、この視点が見直されてきたパリのファッショントレーディングビジネス。
日本でデザインをし、中国で生産をする。あるいは、"グローバルサウス"で生産という
グローヴァリゼーションパラダイムに"倫理観"から異議が申し立てられ始める。

 この生産構造にフランスではブレーキがかかり始めた。
元々、このパラダイムは21世紀になり、「グローヴァリズム」によって
齎され、国内では商社機能にエンジンがかかり、"国際フリ屋"によって、
"ファウストファッション"が誕生し、"SPA型"ファッションが新たなファッションビジネスの
「高粗利なパラダイム」として誕生した。

 このパラダイムを「グローヴァリズム」が一般化する以前に手がけたブランド、H&MやZALA
それにユニクロなどが現在まで、世界規模で"一人勝ち"している。
 
 そして30年近くが過ぎた現在、東ヨオロッパのウクライナで戦争が起き、
結果、この戦争はパリのハイブランドの生産地を失うことになった。
 このウクライナを軸にした東欧は "アシュケナジム"と呼ばれるユダヤ民族の発祥の地であり、
彼らたちの地場産業としての縫製産業が、実質フランスモード界の"生産工場"という実態であった。

 そこで彼らたちが探し始めた生産地としての"イエロー"という視点。
そして、それらの消費地でもある"イエロー"というWバインドな発想が普遍化する兆し。

 多分、今後の彼らハイブランドはもう"Made in Paris" ではなく、
それぞれの消費地に合わせた生産地という新たなパラダイムが誕生するのだろうか?
 "ブランドの本拠地"がパリであれば、それらの"生産地"がこれにこだわることがなく
ビジネスができる時代性になったと読める。

 そこに、"イエロー マーケット"には"イエロー プロダクト"と言う
ハイブランド版 "'Local production for local consumption'"という視点である。
 最近のL.V.の動向がこのパラダイムにリアリティを作り始めている。
ここにはNIGOの「KENZO」から情報を集め始めた現実が稼働し始めている。

 ここでも、今後のものつくりのグランドコンセプトは、「地産地消」がより、グローバルに
進化するだろう。

 日本政府の"税金"も「地産地消」でその自国のために、愛国心と共に使って欲しいですね。
 
10) チューリッヒには、「ブロックンハウス」と呼ばれている中古品販売のシステムがある。/
 ここは「中古品のデパート」だと思ってください。
そう、なんでも揃うのです。家具、家電、台所器具と用品それに絵本にボードゲーム、靴や傘と
帽子、食器文房具、クリスマスデコ、あとはリネンとタオルにカーテンそして、もちろん衣類、
子供服、ネクタイにショールマフラー、また、絵画や貴金属クリスタルやちょっとした工芸品も
あります。ここにないものは食料品だけでしょう。

 僕はもう20年以上、チューリッヒを訪れると友人と一緒にいつも彼女の車で
ここを訪れるのがこの地での最高の楽しみの一つになっている。
 自分に「審美眼」や「感度」があれば、
とても楽しい価値あるショッピング クルージングができる。

 今回もチューリッヒを訪れたが、3年半ぶりという、コロナ禍後のこの「ブロックンハウス」は
この街のイミグレーターたちも増えて、とても賑わっている。
そして、高齢者たちと子供達と家族たち。

 そして、何よりも今回僕が驚いたことは、
売られている"アイテム"がいろいろ、たくさん増えてきたことだ。特に、PC関係や携帯電話等など。
客が変わり、売られているアイテムが増えそして、プライスも変わった。

「生活豊かに変われば、時代が変わった。」の現実版だ。
これからの時代性を考えると、日本にもこの手の「大型中古品販売所」が
もっと、都市部にも登場し、そこにIT機能を加えることで、
最も新しい「消費社会」における新たな都市構造の一つになるでしょう。
 あるいは、デパートがこのシステムを併設することを
彼らの顧客の"サービス&ホスピタリティ"の一環として発想することも現実の時代性。
面白い"共生社会時代"への新たなディストリビューションへ発展するだろう。
 
「新しいパラダイムとその風景-2」完。
文責/平川武治。
初稿/2023年07月20日。
 

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2023年8月 9日

『2023年6月20日。3年半ぶりの僕の巴里。』 / その壱-プロローグ。

1)久しぶりのパリ。
 前回、この街から戻って来たのが確か、'20年の三月の初めだった。
以後、"パンデミック"による何処にも出れない渡航不可能な"監視社会"の中での生活だった。
 そして、コレクションからも、モードからもそれなりの距離をとっていた36年ぶりのこの3年半。
 
 6月20日。羽田A.F.00:05便発〜05:50パリロワシー空港着。
ここにも、"ウクライナ戦争"の影響で、ロシア上空を飛行出来ない、14時間以上の空の旅。
 やはり、この街も変わっていた。
したがって、モードも変わってしまった。
この3年半の空白を僕なりの視点で凝視める。

 この街も落ち着かない。
騒々しいそして、苛立ちや不満が充満し、堆積してしまっている。
その中で自己確認して行かなければならないことが、彼らたちにとっての"生きる"必然。
いわゆる、都会特有の生きてゆく人間たちが背負ったサガ。
これがコロナ禍でかなり深く、すでに、広く堆積してしまったのであろう。
 久しぶりのブリュッセルやチューリッヒで目を引いたのが、
「ホームレス」と「立ち小便」。
今の日本ではすっかり消えたしまった都市の恥部の表層。

 来年の、"オリンピック"を目前にしているこの巴里では
道路工事とともに、彼らたちをも清掃し始めている。
 もう一つ、この街も"異邦人"或いは、"イミグレーター"たちも
すでに数多く堆積し、生活を営み、「大衆消費層」を構築し始めている。
この彼らたちの存在と彼らが営む生活と街の様は僕たち日本人には理解しきれない。
が、彼らたちが目指しているのは日本の消費社会そのものでしかない。
 現実として"進化"してしまったこの風景が、この街の大きな経済効果の一つになっている
"モードの世界"にも関わっている。
それは"ファッション ウイーク"に身を置くとはっきりとわかる。
会場に、その周辺に群がる観客としての"傍観者"の様が変わってしまった。
 コロナ前からその先駆けたちは落ち着きなく、未知の世界に触れることへの恐怖感と喜びと
その輝きに魅せられ始めた彼らたちがいた。
 が、このコロナ禍後の変貌は彼らたちが、もう我が者顔で、
"コレクション ヴィクティム"になりきっている。

 3年半ぶりの僕は、この"コロナ禍"によって見事に、世代交代果たし始めた
"コレクション ヴィクティム"に混じり、馴染まぬまま幾つかのコレクション会場への流れに乗る。

 しかし、今回のこの3年半ぶりの渡欧には一番のミッションがあった。
今年、2月12日に亡くなったブリュッセルの旧友の墓参であった。

文責/平川武治。
初稿/2023年07月20日。

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