« LE PLI vol.0-no.06/ APRIL 16th '05 Published | メイン | Le Pli 2006 春号(vol.2) »

LE PLI vol.0-no.07/ APRIL 19th '05 Published

部数=22部
頁数=13枚
目次=[collection report]POTTO◆soe◆CHIYUKI◆MULTIPLE MARMELADE
   [diary]hjeres 2005
   [gaze of them]東コレ日記 たまご達の眼差しⅢ

pp.02-03
●collection report POTTO

 世界の情報交換がスピーディーになったので私たちは世界が小さくなっていると感じませんか?すべての情報は簡単に手に入るのでファッション情報のスパイもしやすくなってませんか?
パリコレクションから東京コレクションまでの時間差が大きくなった分よけいにスパイ行為を疑り深くさぐって見てしまうんだけど、しかしもう誰が何をコピーしたかとか分かんないくらい多いし早い。
東京のデザイナーは過去の形から見るとスパイの量は多く、東京は遠く離れているから誰にも解らないだろうと、自ら第3カ国に押しやっている。

 POTTOのショーの衣裳も何も説明を聞かなければ誰かっぽいと言える造型アイデアだと思っていたが思想があった。

 今回の彼の服はつながって1つになっているアルファベットの綴り。1人1人の名前である。その綴りはフリルの形やワンピースの造型になっている。

 彼はこの数回工業用に用意されたパターンを利用している。
前回は帽子。その1つ前はぬいぐるみと毎回衣装を構成する型紙をそれらに頼り、裁断して彼の服へと再構築していくんだけど、パターンの放棄をも意味していくようなこの行為は逆にパターンが1番大事なアイデアをもっているからと言っているようだ。すでに存在している立体パターンの選び抜きがきっと毎回なやましい行為で、その後のデザイン性は、パターンをフォローしていくという、彼の考え抜いたサバイバルの方法である。
彼はこの方法を見つけた時に自由を感じたと言っている。デザイナーの悩み抜いた結果のアイデア。

 最後に彼が私の名前でも誰の名前でもこの服を造型する事ができると言った。1つの形にはまるのではなく、1人1人の名前の綴りが、1個1個の違う服として提案することができると。その言葉に世界に私は1人だけ!という特別感を自分の名前にかんじた。
最終的にいい気持ちになったので、もういいか!とおもったが、日本のデザイナーの世界進出を考えてみると、POTTOも自分の服を両手に持って世界の中心に立って世界の人々からすばらしいと言ってもらうには何をしたらいいか?

 自分のクリエーションの在り方が地球的になってもらえるといいなー。

投稿者:伏見京子

開催日:04月15日
ブランド名:POTTO
デザイナー:山本哲也
プリントデザイン:千家直人
会場:青山スタジオ

pp.04
●collection report soe
「さようなら、子供たち」

 育ちのいいメンズである。
今シーズンは、ナイーフな少年心をスポーツユニフォームとスクールユニフォームのカテゴリーを中心にストリート・ベーシックをビジネス的に入れ込んで、トップスを小さくまとめボトムをスリムなパンツとニーソックスでより細くスタイリングしたシルエットでまとめた「ストリート・モダーン」。
 '90年代のストリートをソフィスケートさせ、そこから拾えるものを拾ってコレクション・テイストは「ロンドンストリート野郎。」風、イメージはフレンチにまとめたのだろうか?
シューズも、D.M.(?)Or雰囲気?パンキィッシュなものも在れば、モッズあり、パブリックスクールも在ってまるで、ロンドン。でも、全体のショーの雰囲気からは、フランス映画「さようなら、子供たち。」あのルイ・マルの作品の雰囲気。

 ショーの演出がもう一つ、キメがほしかった。
なぜ、あの会場で無ければ演出できないものを見せてくれなかったのだろうかという疑問と不満。それによってショー全体のエモーションが僕には不足。
舞台もうまく生かされていない。後ろのカーテンも上手に使っているという神経は感じられなかった。

 立派な、シャンデリアも死んでも、生きていなかった。
例えば、このシャンデリアで、数シーズン前のフェセイン・シャラヤンのショーを思い出した。巴里、グランドホテル、鏡の間。立派過ぎるほどのアンティックなシャンゼリア。それを途中まで降ろして中心軸を組み、この空間を見事にフセインの空間に変えてしまってのショーはその後、全てが彼に味方した。
素材のミックスもあり、比較的ハードなウール素材とニット、ジャージの組み合わせでベーシックなアイテムを楽な雰囲気にまとめ幾つかの90年はじめのストリートマインドとB. ウイリヘルムの影響のタイツ(?)など工夫したスタイリングショー。一つ、シャープなビートの効いた打楽器音が欲しかった。

文責:平川武治

開催日:04月16日
ブランド名:soe
デザイナー:伊東荘一郎
会場:東京クラブハイツ

pp.05
●collection report soe -2

 会場となったのは新宿歌舞伎町のど真ん中にある古いキャバレー。
円形に作られた会場の壁には360度、小さな鏡が等間隔に並ぶ。頭上には大きなシャンデリア、前方のステージには妖艶な赤い光を放つスクリーン。観客は革張りのソファに座り、ステージに視線を注ぐ。
 soeの2005-06秋冬コレクションは、前回と同じオープニング曲で始まった。
ピアノの旋律と共に、フランス語で語りかける少年の声。しばらくすると音は壊れたステレオのようにゆがみ、やがて途絶える。スポットライトを浴びてステージに登場するモデルたちは皆、影のある、どこか寂しげな表情をした少年を演じる。
 トップスはショート丈のダブルジャケットやラメ入りのニット、ボトムスはハイソックスで裾を絞ったパンツが中心。その他、バイアスチェックのアイテムや、タイト&ルーズなシルエットをミックスさせたスタイルも印象的。クリエイションという側面からだけでなく、今のストリート感を取り込んだ“売れる”服が多かったように感じた。

 春夏コレクションとのコンセプトを比較すれば、“blanc”がテーマの前回は、最初から最後まで白で統一されていて、少年のイノセントさやあどけなさが表現されていたが、今回は会場の演出も全体のトーンもダーク。「僕達は何処へ行こう。」と書かれたコレクションカードにもあるように、大人でもなく子供でもないモラトリアム期の少年の心の迷いが感じられた今回の秋冬コレクションだった。
 晴れ渡る空のようなホワイトから、全てを見失った少年を描いた今回のダークトーン。まさにそれは青春小説に登場する、さまよえる主人公のようにも見える。そんな少年の行き先と共に、ファッションブランド、soeの次なる方向性、そして「行き先」が気にかかる。

投稿者:ルイ・マキ


 離れた席から見た為、シルエットがよく見えた。前回に似たシルエットのように思える。
スパッツやストッキング、レッグウォーマーを使ったレッグ・コンシャス。怒った肩や落ちた肩など、数多のジャケット・バリエーション。アンバランスさを強調させるカラーコーディネート。
 会場の雰囲気・音は好き。でも、これとは違ったカジュアルな服で、原宿・中目・下北辺りのストリートボーイズな感じ。全てをアンバランスにコーディネートして、スタンダードを覆そうとする姿。「僕達は何処へ行こう。」・・・か。僕は最近、パンツのブーツ・インしているスタイリングを街で見掛けるとダサく見えてしょうがない。アンバランスな感性が足らないのでしょうか、機能性に偏り過ぎなのでしょうか。

投稿者:T.N.

開催日:04月16日
ブランド名:soe
デザイナー:伊東荘一郎
会場:東京クラブハイツ

pp.06
●collection report CHIYUKI
ENGLISH GARDENS. 109とZARAには気をつけよう。

 「花」がテーマ?そのために選ばれた会場。
すばらしく落ち着いたガーデンな雰囲気のある会場。
そして、18世紀ロマン主義時代からの、壁装布。言い換えれば、クラッシクなイメージを漂わす室内用に使われた壁紙ならぬ壁布のフラワープリントを中心素材にしたコレクション。
セクシー、ガーリー、セレブだけど、クラッシクなトレンド感は逃がさない。
下着らしいアウターのインナーとショート・ミニスカートやキレ・パン有り、ゴブランあり、グランジ有りの受けそうなもの東京版が何でもありのコレクション。

 このデザイナーも既に10年目を迎えたはず。
それにしては自分の味が人口甘味なのか天然味なのかがわからないデザイナーになってしまったのだろうか?

 厚本と称される日本の女性イケイケ的モード誌の表紙をよく見ると4色の刷り色に特色を加えて使ったデザインがほとんど。
この特色使いがモードにおけるシルバーやゴールドの使い方と相似形。
メディアによる刷り込み、「特色ノイズ」はモードへも影響を与える。そして、当然のようにゴールド、シルバーな光り物が顕に登場してくる。

 109を馬鹿にしてはいけない。
109のリアリティがモード化?して東コレに尤もらしく現れるからだ。
109とZARAには気をつけよう。

P/S
 折角の上品な会場を使いきれていなかった演出。
 モデルの出しががさつ。品を醸し出すテンポが感じられない。残念!!

文責:平川武治

開催日:04月18日
ブランド名:CHIYUKI
デザイナー:杉本ちゆき
会場:エルガーハウス

pp.07-08
●collection report CHIYUKI -2

 ハウスダストと名付けられたコレクション。クラシックやロマンティックをモダンに解釈する、というのがデザイナーの狙いだ。全体として上手なショーであった。

 まず、プレゼンテーションする場所にそれがいえる。発表する場所として目黒「エルガーガーデン」が選ばれた。ここには美しいイングリッシュガーデンとサンルームがある。そしてそれは彼のイメージする情景をそのまま表しているようだ。こうすることで、彼は観客を自分のイメージの土俵に引き込もうとしていた。

 もっと言えば、会場でクラシックとロマンティックを、対比的に音楽にロックを使ってシャープさを演出していた。

 今回の彼のコレクションにおいて、こうした「場所」は重要な前提を形作るものであった。コレクションの中心的な要素は「コンテンポラリーデコラティブ」であったが、彼の解釈するデコラティブはイングランド的な装飾であったからだ。本物のイングリッシュガーデンで発表することでその差異が一層鮮やかになったといえる。

 ただ、「コンテンポラリーデコラティブ」自体はさほど目新しいものではない。スタルクや森田がやっているように、インテリア業界、そしてファションでもすでにトレンドとなっている。それは「ラグジュアリー」を体現するものとして、「セレブ」という名の下に大衆市場にも投入されつつある。

 しかし、この「コンテンポラリーデコラティブ」をそのまま使うのではなく、このトレンドではあまり使われない色、紺、カーキ、オリーブグリーンを使ってシブ目にもっていったところに一枚デザイナーのレイヤーが見て取れた。

 そのシブさとバランスをとるように、スカートの銀プリントや、黄色、赤、エメラルドグリーンの靴など言わば「特色」つかいでジューシーさを足していた。
その他にもハイウエストやショート丈のジャケット等、よく見るとトレンド盛りだくさんでデザイナーの編集の巧さが印象的だった。

 ショーだけ見るとよくまとまっているように見えた。しかし、実際にこれらが売られるとき、そして街で着るときのことを想像してみたときどうだろう?

 あのイングリッシュガーデンではヴィヴィットに見えた服だが、薄汚れた都市では一瞬にして曇るというのが僕の予想だ。おそらく、デザイナーが提案した英国風のコンテンポラリーデコラティブはどんよりと重く見え、モノトーンものやトレンド要素がはっきり見えているものがコンサバ風に使われてしまうというのがオチではないのか。編集の巧さが仇となって、街に出たときにはコレクションはバラバラに解体されてしまうのではないか。

 ディティールやトレンドとしての表層的「リアル」ではなく、限られた環境の中で表現される世界観でもなく、求められているのは実際に街で着たときの「リアル」ファッションスケープなのであり、そこにクリエイティビティが生まれるのではないだろうか。

投稿者:松崎 YOSHi

開催日:04月18日
ブランド名:CHIYUKI
デザイナー:杉本ちゆき
会場:エルガーハウス

pp.09-10
●collection report MULTIPLE MARMELADE
「躾」から生まれた左右対称の美意識感。

 最近の東コレの傾向が「服に品がなくなり始めた。」と感じる。
装うということ即ち、モードを着るということの背景に着る人個人の躾が関係してくる。カジアル、セクシー、エロ、スポーティ、下着、癒し、何でもありのモードの世界だが着る人の育ちとしての「躾」が在って、初めて「美しい」「エレガンス」「シック」「ラグジュアリー」などという言葉が生まれてくる。又、ブランドの品位もこれに関系して初めて生まれ、香ってくるものである。
東京ではこれがほとんど無いに等しい。
寧ろ、がさつなただ、メディア受けすることのみを考えた騒々しいもの悪趣味なものが多く、我が物顔。これがカッコよく、粋がって見える世界と勘違いし、見る方も、作る方も、着る方もこのレベルの単純思考回路しか持ち合せていないのが現実かもしれない。

 このデザイナーの性質?又は癖?もっと言えば、体質なのだろうか、変わらないテイスト。これら、このデザイナーの世界観の中での時代観をまとめたらこんなショーになったのだろうか?もしくは、時代観というよりも、コマーシャルを意識し、メディアを向こうに廻してまとめたのがこのショーなのか?
「DOLL」と名付けられたコレクションはなぜ、今「DOLL」なのか?
クラッシク&ロマンティックがトレンドテイストだからか?
黒白、モスグレー、これらもはやりそうな色だからか?
バレーシューズをアレンジしたフラットなリボンつきのシューズは履いてみたい気分になるからだろうか?先シーズンの巴里でのトレンド、「バレー・チユール・チュチュ」がここへ遅れてやって来たのか?
東京トレンドの一つである「ハイ・ウエスト」ものもちゃんと出ておりましたぞ!!

 '73年からロンドンに住んでいた時に気に入って買った絵本がある。
アーサー・ラッカムとケイト・グリンナウエーの二人に出会った。
イギリス人が好む、ビクトリアン朝期の代表挿絵作家の二人である。
ラッカムの方は少し、ゴチック・幻想が得意。
そして、グリンナウエーのほうは今日のこのブランドのショーイメージと服で思い出してしまった程に僕にとっては、ロンドン・ヴィクトリアン。
これらに日本的発想、装飾過剰さを味付けしてやれば今日のコレクション。
確実にこの世界観が好きな女性は存在する。今ではこれらの支持者は中年になってしまったのだろうか?レースをメイン装飾素材に使って、手芸的手法、フリル、ブレード、リボンそして、マクラメと来たらもうこのデザイナーの体質になってしまっているのだろう。その分だけ、 ピアノ演奏によってより、トレンドの雰囲気を醸し出しての演出も無理がなくそのピアノの曲と共に心地よく左右対称という典型的なカソリック・ヨーロッピアンの美意識構造をそのまま基盤として繊細さ、のどかさ、そしてどこか、品の良ささえも感じさす「躾のある服」がデザインされている東コレでは珍しいコレクションだった。

文責:平川武治

開催日:04月18日
ブランド名:MULTIPLE MARMALADE
デザイナー:水原雅代
会場:東京ウィメンズプラサ

投稿者 : editor | 2005年04月19日 19:02 | comment and transrate this entry (0)

コメントしてください




保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)