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LE PLI vol.1-no.01/ NOVEMBER 1st '05 Published
......調整中!!
部数=50部(完売)
頁数=10枚
目次=[collection report]WHEREABOUTS◆CHIYUKI◆OBJETSTANDARD◆sunaokuwahara◆MINTdesigns◆Ne-net
pp.02
●『ル・プリ』とは?
『ル・プリ』は、前回の春号(2005年)の発行を経て、2005年10月31日に第1号の創刊を迎えました。
本誌はモードクリニシュエ/平川武治のインターナショナル・リアリティを編集軸とした責任編集のもと、「東京のモードはなぜ、文化に成りえないのか?」を眼差しとしてteam・Le Pliによって自主編集、発行されています。
今年を21世紀元年と認識した上で、現代のファッションが持ち得た今という時代性や環境を踏まえ、社会との関係から『新たなるFASHION価値観とは?』をインターナショナルな視点としがらみを取り払った、辛辣なユーモアと潔い視線で東京のモードに一石を投じるべきを使命として発行された東京コレクションを中心としたモード評論速報誌です。
pp.03
●はじめに
やっと、この21世紀も5年が経た今年、世界に肩を並べられるコレクション運営体制が出来たようだ。
これが遅いのか、早いのか又、グッド・タイミングなのか?
多分、現在の東京のモードの人たちからしてみれば然程関係ないことかも知れない。
始まったばかりだから余計そうなのだろうが、この東京のモードの人たちの今回のはしゃぎ様は外国人たちが僕たちの街を訪れ、彼らたちが眼にし、体験した東京そのものが面白く、エキサイティングであり、ファンタジックであるという確かなリアクションが彼らたちの街のメディアに取り上げられ、彼らたちの声に押されてその腰を、やっと挙げたという観が現実のように思えてならないこと。
又、当然であろうが、2010年以降の中国という國を思うとこのモードの世界も今までのように『俺様全』してはいられなくなる事を、遅まきながら痛感し始めた結果の行為でもあろう。
それに、ここ2年来、東京でのモードのデザイナー輩出機能のイニシアティブを取って来た文化服装学園が現実の少子化現象の余波を当然ながらマイナス影響として感じ、実感し始めた結果、ビジネス戦略として多くの予算を投じて、「世界の文化」化という戦略を持ったことにも関係しているだろう。
一体、今回の、「世界に肩を並べられるコレクション運営体制」が目的としていることは何なのであろう?勿論、最終的な目標は『よいビジネス』であろう。(残念ながら文化庁の管轄ではない。)
では、ターゲットは誰なのか?USマーケットなのか、EUマーケットなのかそれとも、チャイナマーケットを中心にしたアジアンマーケットなのだろうか、それに国内マーケットの建て直しも含まれているだろうが具体的なターゲットがファジーでクリアーでない。
現在の日本のファッション風土はデザイン表現力、素材開発力、生産キャパシティそれにマーケット力そして、ファッションエヂュケーション。これらが比較的ハイポイントでまとまった産業構造をハイ・テクと情報そしてメディア化によって構築されている。しかし、これらは戦後60年の勤勉な営みの結果、市井の生活環境や状況と同じように中間大衆消費社会構造を構造化し、具現化させ機能させたその元で、「豊かさ」を享受してしまった所詮、現在の日本市場向けの規模とレベルとクオリティの現実と状況でしかないことを改めて知らなければならない。(いわゆる、日本人は日本マーケットで十分と言う発想と意識と認識。)
戦後、60年の結果が「豊かな生活」を享受した日本だとすれば、これからの我々がこの21世紀に求めなければならないこととは?「倫理在る成熟」化である。
単なる、物質的な豊かさからこころある成熟化即ち、精神的なゆとりと穏やかさを「人間同士のがんばり」から求め努めるという心の在り方が必要であるはずだ。
僕は現在の日本ファッションの世界にもこの「倫理ある成熟度」が必要だと考える。
売れれば勝ち。服に品がなくなっても目立つものを目立つ方法でアピールすればメディアが取り上げそれのみで消費へ結びつくという倫理なき発想がジャーナリストをも巻き込み(例えば、ドレ・キャン如きものが、)、品位や品性品格までを感じさせてくれる服がこの数シーズン僕たちの東京から姿を消してしまったようにも感じてしまう。
我々の日常生活に倫理が消え、「悪趣味、風俗そしてメディア」受けがこのファッションの世界にも堂々と土足で入って来てしまったツケをどうするべきかを考える機会として、この「世界に肩を並べられるコレクション運営体制」が服の表層のみだけではなく服が持ち、現わす社会倫理へまでも、思慮深い一石を投じられる新体制であれば、世界レベルの東京ファッションになりえるだろう。
今の時代、構造改革だけではダメである。(時の政府を見れば判るはずだ。)
当然であるが、構造を改革すれば、その新たな構造のためのルールが必然である時代だ。
この新たなルールに「倫理」という忘れかけられたキーワードをファッションの世界にも是非!!
31st. OCT.
文責:平川武治
pp.04-05
●『ずばり、「21世紀のアイコンを探せ!!」』
今年を21世紀元年とする。
そこで、「21世紀のアイコン」が気になり始めた。
勿論、ただ、ボケーと目の前を通り過ぎてゆく表層のイメージのみを消費している場合はこんなことには気が付かないだろう。
今までの数年は21世紀へのプロローグであった。
もうそろそろ、21世紀らしさが見え始めてもという気配を感じる。
人が作った「イメージ」を元に、そのイメージに自分の思いや世界観や時代観を美意識や問題意識、気分などをイメージングして作られた作品群。これは総て、20世紀のアイコンが誕生したときの「創造のための発想」であった。
「イメージ」が「リアリティ」を生みえた時代性がそこには存在したからだ。
未だ、未来が信じられ、その未知なる、未来をイメージングすることから「リアリティ」が誕生し人々の生活に希望と輝きと夢とそして現実が誕生した時代であった。
未だ、「イメージ」に差異が存在した時代でも在った20世紀。
そして、結局、20世紀とは「時間をコントロールする」ことで価値が生まれ金を儲けられる構造を作った時代。
だから、トレンドが価値を持った時代。
「21世紀」の今、
多くの人々は既にそれなりの「リアリティ」を持ち得てしまった時代。
個人がアーカイヴを持ちえてしまっている21世紀。
誰でもが「イメージ」をケイタイで、デジカメで、簡単に創ることが出来るようになった自由で豊かな時代。
「イメージ」がメディアによって垂れ流され、氾濫してしまっている時代。
メディアがイメージを発信すればすぐさま、それらのイメージは消費されてしまう時代性。「イメージ」に差異が無くなり始めてしまった時代。
グローバリズム、グローヴァリゼーション。
「情報、メディアそしてエンタテーメント」。
総てがこのフレームの中へ収められる、収められようとしている
新たなるコロニアルリズム。
これらを「イメージ」でバーチャル化する事がグローバリズムの手法。
未来が然程、信じられなくなった現実を知ってしまった時代。
未来は持ち得た「リアリティ」と「ノスタルジア」から探さなければ見つからなくなったことを解ってしまった世代。
もう、「イメージ」が「リアリティ」を生まなくなった時代性。
「リアリティ」が新たな「イメージ」を生むまでの時代が21世紀。
だから、若い世代は「イメージ」をコントロールすることがしたがる。
「イメージ」を管理することが価値を生む、金が儲かる新たな時代。
MTV,「NANA」、ケイタイ、i-pod, ホリエモン、三木谷、akiba,そして、 アルノー、K.ラガーフェルド、総ては「ディズニーランド」が始まり。
「イメージ」の上塗りで作られたものはもう、既に終わってしまっている「20世紀のアイコン」。悪趣味で虚飾で、非現実でしかなく、一過性そして、足し算のデザイン。(ここでもよい例が、ドレ・キャンは20世紀の遅れてきたアイコン。もう終わってしまうだろうし彼のリアリティはオミズ受けには向いているだろう。ご苦労様。)
したがって、「21世紀のアイコン」とは、自ら持ち得た「リアリティ」をベースに、美意識、世界観、時代観、問題意識や時代の気分をイメージングして築き上げる世界。
これで生まれたものが「21世紀のアイコン」。
今年のパリコレのオムコレクションも、ファムコレクションもやっと、新たな世紀の始まりを感じさすまでの息吹と鼓動が感じられるそれであった。
オムは2極化した進路をそのマーケットがそうであるように、ゲイマーケットがここ2年来冷めてしまったこと。彼らゲイたちは健康管理と共に直截な身体改造により興味を覚え始め多くの彼らたちはジム通いによって、自らの身体そのものを均整美の取れたまるでギリシャ彫刻のごとくに鍛え上げる。そのためにもう鍛え上げられた身体をどれだけシンプルに、ノーマルにより、ダイレクトに見せ見せ合うかへと。
もう一つはそのターゲットの多くは若者たちであるが、当然のごとく音楽が時代の表層をファッションよりも直接的にエモーショナルに表層化することを耳と身体で楽しみ始める。そこでは、ファッションは完全に「MTV」をヴィジュアル化しただけのものとなった。即ち、「マスキュリン・ダンディズムの世界」と「MTVをモード化」へと特化し始めた。
そして、現代における若者の「男の役割」が完全にか弱く、優しく、従順なただの不良ぽっさとそして、ヴィジュアリティに富む男へ変化したこと。もう一方はどれだけ経済力あってマッチョなセックスが強く紳士的であるかの役割に特化し始めた時代性は若者の「時代の身体つき」はDIOR HOMMEに代表される、より細く、虚ろでイメージに生きているだけのようなまるで、A.ジャコメッティの彫刻のように細長いシルエットと化し音楽を身体化し始める。マッチョな男の「時代の身体つきは」クラッシックなマスキュリン・シルエットをより、ラグジュアリーにジェントルな粋さを身体化するかへと、G.ロジェやHERMES・HOMMEで代表された。
他方、ファムの場合は、彼女たちの「時代の身体つき」が崩れ始めた。
30も半ばになり始めた彼女たちは生活の「豊かさ」から美食美酒に走り、だぶつき始めた身体をエステやジムに通って、ここでも彼女たちは生の身体を先ず、苦労しながら改造し始めると共に強整補整という手段までもがアウター化し始め、そこへモードは新しさを見出し、ゆだね始めた。
最近の彼女たちの履いているジーンズはハイテク化による素材とパターンメイキングによって、まるでデニムで作られたコルセットの機能を持ってしまった。ここまでのパンツの進化はこれも、21世紀のアイコンの一つ。
しかし、不思議と、デザイナーたちが出すパンツは未だこのパターンが遅れている。今シーズンの早いデザイナーたちはこの「崩れ始めた身体」を「RE-ボディコンシャス」化してゆくかのプロローグに経ち始めた。崩れ始めた「時代の身体つき」をファッションで一生懸命にもとのバランスへ矯正補整しようと彼女たちは自らの身体を風呂敷のごとき布で縛り始める。(無論、そのお手本に’84,5年のA・アライアが存在している。ファッションをより、3Dで捉えられるかのマジックが。)ここまで来ると、スポーツ、下着から、同じ「PROTECTS、PROTECTIONS」というコンセプトで更にもう一段階へと、SEX・SHOPで売られているようなフェティシュなボンテージもののアウター化へとその新しい兆しと冒険を楽しみ始めた。
もう一度、自らの「リアリティ」としての「ボディ」を考え始め、身体を遊んだパリコレのデザイナーたち。
R.オーエン、UNDERCOVER、CdG,BLESS,B.ウイルヘルム、バレンシャガ、J.渡辺、H.チャラヤン、A.マックイーンなど、、、
「109」は彼女たちのリアリティがデザインされている。
さて、東コレでは「21世紀のアイコン」が探せ出せるだろうか?
これが僕の楽しみ。
文責:平川武治
pp.06
●WHEREABOUTS
彼のショーは2度目である。
学生時代をよく知っているので彼がこんなことも出来るのかという、彼の成長に驚く。
自分の世界を今シーズンは一番強く出したシーズンではなかったか。
藍染の租紡をアンフィニッシュなこなしでトレンチコートやジャケットを、まるで紡ぎ出したばかりの糸であなたのために創りましたよと言わんばかりの世界を見せる。
ある種、テンポラリーな感覚の服とでもいえようか?細身で短めなトップスとしての肩モノとこれも短めなパンツ。ヒッピーが入った平成のボヘミアンマインド。『豊かなる難民』と化した若者たちのユニフォーム???
続く、シルエットに自分が着たいものを出したのであろうか?バギーなパンツにこれもショートなジャケット。今の日本の男の子にはイメージが先走って早いかも。
夕暮れの気持ちよい時間に始まって、気持ちよく終わったショー。
文責:平川武治
デザイナー:福園英貴
開催日:10月24日 会場:国立霞ヶ丘競技場
●CHIYUKI
前回と同じ気分を、雰囲気を華とグリーンとスカイそして、ガーデンに託してのコレクション。
よくも、前回と同じような会場を探して来たものだと、変な感心。
然程、多くない、絞り込まれた素材は結構高価なものばかり。
ニット、レース、マクラメそれにシルク。
ここまで派手を組み合わせられるかと言うまでの装飾性。
プリント、メタル、ビーズ、刷り銀。
多く有るこのタイプが受けるメディアにこれでもかとのサーヴィス精神は着ているマヌカンまでもを変な自信を持たせるほどにハッピーに?セクシーさもLUX.Hippy.DOLL
文責:平川武治
デザイナー:杉本ちゆき
開催日:10月27日 会場:AIMEE VIBERT
pp.07
●OBJETSTANDARD
始めてみるコレクション。
テーラリングがきっちりと出来ている分だけ、このタイプのブランドにしたら悪趣味には走らず無難な“デパ・コレ・ショウ”
YSLファンデーションがスタートした、『SMORKING FOREVER』は必見。
同じようなシルエットにしても、何処かで極端なバランスを生み出しているところが日本人には出来ないエレガンスの究極さ。
ソワレに出た2体のロングスカート、パンツのカヴァーはバイヤスだったのかなという疑問が?
文責:平川武治
デザイナー:森 健
開催日:10月31日 会場:KURENAI
●sunaokuwahara
少し、売り上げもよくなったのだろうか?
今シーズンのコレクションを見ているとそんな余裕を感じた。
『崩れた身体』という僕の今シーズンの眼差しに近いが、異質である。
背景に「人形」「バレーリーナー」そして「ゴッチック」までを感じてしまう。
こうなると、トレンド的なイメージジング。
ワンアイディアの「はらんだ少女」とは反対にカンファタブルでロマンチックな“キルト”の温かみを感じる、素材の選びとこなしとしてのクラフト感とフラワープリント。
僕が興味を持ったのはミリタリー。
辛うじて残されたコードとしての“戦い”を思わすミリタリーなパーツとディテールはより、戦いにメランコリーを感じさしていた。
文責:平川武治
デザイナー:桑原 直
開催日:10月31日 会場:KURENAI
pp.08
●MINTdesigns
この度、ロンドンメジャー新聞紙「EVENING STANDARD」のロンドン同時多発テロの一面広告を思い起こさせる、mint desaigns
attck tokyo collectionのメッセージが描かれたt-シャツを、たくさんの若者が着用し、観客シートの半分をジャックするという 演出を見せたミントデザインズ。
彼らには珍しく、ダークなトーンやプリントを頻繁におりこみ、彼ら流にロンドン同時多発テロに対する想いをコレクションに詰め込んだ。しかしながら、
今回もまた彼らの得意とする柔らかい素材や布の分量を用いながらも、あくまでもやさしく体を包み込む。決して欧米的セクシーに傾倒することなく、日本人
女性へ向けたバランスや布表現で、日本人的セクシーを純粋に造りあげている。現在の日本において、数少ない良き趣味による日本人の日本人のためのファッ
ションデザインチームであろう。
ネガティブなテーマに取り組みつつも、最終的には彼ら流にポジティブな感覚をわれわれに与えてる事に、彼らのロンドンへの心暖かいまなざしを感じざるを得ない。これからもこのやさしさやポジティブな感覚で、都合のいい表層的、末端の個人主義が蔓延し、秩序を忘れてしまったこの日本とりわけ東京に対し、‘attack`するのではなく、あくまでやさしく包みこんでいってくれる事を願う。
文責:y.y
デザイナー:勝井北斗 八木菜央 竹山祐輔
開催日:10月31日 会場:TOKIWA
●Ne-net
とても新鮮で軽やかで自分勝手な爽やかなデビューコレクションである。
こんな若いデザイナーが出てくる今シーズンの東京は楽しいかもしれない。
メディアにも媚びない。すこぶる健康的である。太陽の輝きの元にと、見ているうちに感じてしまう。
僕は、僕。好きなもの感じたものをだけを、丁寧に彼自身の美意識で等身大なリアリティと共に見せる。フォークロアをベースにとてもベーシックなアイテムをカンファタブルに太陽の輝きのきらめきのように派手に装飾性をニッチングで見せる旨さ。彼自身のユーモアまでをも感じさすまでの結果の余裕。モード・ローカリゼーションを自分の等身大へ旨く引き付けたコレクション。
「21世紀のアイコン」としての新たな「カワイイ」が在った。
“デザインとは?“を探すにはこの様なフォークロアコスチュームを知ることから始まるだろう。「機能あるものを自分の時代の気分とエモーションで装飾化すること。」を媚びることなく、素直に展開したコレクション。
文責:平川武治
デザイナー:高島一精
開催日:10月31日 会場:共存
投稿者 : editor | 2005年11月02日 16:19 | comment and transrate this entry (0)