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もう、熟して来た頃であろうか?【巴里・コレ】とはどうだったのか??

 [ PARIS COLLECTION  ‘07S/S ]の新しさとは?

 “中国”でスタートした今シーズン。
このように、中国のデザイナーでスタートするのも在る意味、今後の新しさに。
ディディヱ&シルビー・グランバック兄弟コンビが担当する今シーズンのオープニングデザイナーは中国人デザイナーはJEFEN。
かつて、日本がビギ・ニコルで沸いた80年代にニコルで働いた経験を持つ彼ももう中年デザイナー。JEFEN は日本の影響を受けている。コーディネートファッション、ヤングマインドトレンドのフレームの中でチャーミングに。今の中国のマーケットを熟知した結果、もう少し、分量/ボリュームのデザインが欲しい。

 初日の日曜日と明日の月曜日はこの国のユダヤ教を信じているユダヤ人たちの祝祭日。
カレンダーを読んで見ると、この両日に、中国、コウリャン、ユダヤ教に関係ないドイツとアメリカそして、日本人デザイナーが詰め込まれている。
 朝、レクレルールのオーナー、アルマンド夫妻に会う。
彼らたちも、「TAKE! We can’t work today & tomorrow, so sorry. See you Tuesday. 」
即ち、彼らたちも今日と明日は働かない、したがってショーにも行けないからあさって以降で会おうよ。と言うことである。あの、ミセススージー・メンケスもこの両日はお休み。多くのバイヤーたちもこのような状況であろう。これが現実である。

 今シーズンはより、「身体つき」を大切にした所での新たなシルエットをどの様な「分量byボリューム」をどの様にデザインするかがディテールをデザインするより大切な時代。そして、自らが投資して美しくなったと想う身体つきを思い切り美しく、優雅に、軽やかに贅沢に品良く見せること。そのために使われた素材はシフォン、ジョーゼット、スムース等の身体に纏いつくまでの薄物高級素材とストレッチ素材の再登場そして、トランスパーレントな素材が多く、目に付く。プリントはオプティカルな要素を持った水玉、ボーダー、ストライプもの。これらも身体のシルエットでオプティカルな効果を遊ぶタイプ。
軽い、薄い、気持ちいい、美しい、耀き、贅沢感そして、オーセンティック、エレガンス、ロマンティック、シンプル+Somethingと感じられた今シーズンの形容詞。
身体のシルエットをより、繊細にコケティッシュに感じさすかのための美しい脚線美を見せるシルエット、「ハイ・ウエスト」(これも先シーズンからの継続トレンド。)
と肩にポイントを置いたNEW SILHOUETTE。
 
 遅れてきた新しさが一番鮮度が在ったのだろうか?
A.L.マックイーンは先シーズンに僕が提言した【太りすぎた女性】を大胆不敵にクリエートした頼もしきデザイナー。(彼と比べると、GIBO-H.チャラヤンは【どうした、君もか?ショービジネスへ向かった一人になってしまったのか?】と言うまでのショー。素人受けを狙った面白さは即、メディア受けショー。)
 リー・マックイーンのあの大胆不敵さはゲイの面目躍如たるもの、今シーズンは共感。崩れゆく身体のためのボンテージ、フェティシズムだから、ボディコンシャス。


 一方ではマーケットを狙っての先シーズンから続く、18世紀フランスロマン主義(映画、M.アントワネットに影響?)が 出揃う。
 
 そして、もう一つの新しさとしてはスピチュアルリズムが。(多分、ゴチック・ロマンを通り過ぎた先にこれが来るのだろう。映画、VIRGIN SUICIDE的な、)性差をプロテクトした保守的なお行儀のよいカソリシズムに満ちたシルエット。(デヴューコレクションを展示会で発表した当時のV.ブランキーの白いロング丈のワンピースコレクションを思い浮かべる。)これはTAOにも、今シーズンのトリコにも読む事が出来る。

 シーズンのテーマコンセプトは「美しくなった身体をより、美しく贅沢感で遊ぶ。」でも、「PROTECT/PROTECTION」は大切な現代共通のファッションに対するコンセプト。ストリートから生まれたフードはもう一度ラグジュアリーなモードの世界へUターン。
ここで注意を引くのはこの発想を肥大化して考えてみると、
以前、90年代後半からのモードの流れは、「服やデザイナーのブランドそのもので遊ぶ時代性」から、今シーズンは服で遊ぶのではなく、自らが投資して美しくなった「自分の身体そのもので遊ぶ」と言う時代観へと進化(?) した。これによってデザイナーの在り方や立場が変革するまでの可能性ある「新しい時代へ」と言う事が考えられる、興味あるシーズンだった。
 
「LAXUALY STREET by New volume & Glittering Gold.」/BALMAN
「女は華」、投資した美しい身体をより、ロマンチックに妖艶にトランスピアレントな素材でラッピング。グレーッシュなブラウンと言う色もいい。/R.OWENS.
「卵」のバランスの美しさをブルーベルベット風に、サークル&トポロジーック。バランスを矯正するショルダーパット。/M.MARGIELA.
女は挑発を楽しむ。肩を積み上げるまでにウエストを絞る。素材の自由さ。/TOGA
自分自らのオリジナル・スタンダードをパズルのように組み換え構築したフェミニンなオタク・モード。B.ブルンネルなマスキュリムシャツと労働者階級をブルジョア風にコードのメタファー。/淳弥
「美しい女」は恥ずかしさを楽しむ。/S.WAUCHOB
ドット、一つで豊かに穏やかに着る女性がバランスを遊ぶ。精神性の潔さが強い女には必要。/CdG
女が持つ「かわいらしさ」は不変性なるもの。オプティカルな効果をこのデザイナーの世界のプリントとクラフトテイストで堂々と楽しんだ。/C. TUMORI
ロック少女はロックエレガンスをより、グレースフルに。/Ann Demeulemeester
浮世絵に見る日本的布の流れを西洋的なクチュールパターンで構築した確かな技を感じる服はインテレクチュアルな女へ。/G. LINS(インスタレーション)
HERMESらしさでないものは新たな顧客向け?セレブ・ブラックビューティーへ。/Hermes by J.P.G.
そして、好きだったコレクションは、
VERONIQUE LEROY、美しい女たちへ、「肩」がポイント。幾つかのタイプの違ったショルダー・シルエットを確かなパターン力が生む上品で優雅に構築したとても確りとした良いコレクションを堂々とオーセンティックな中に鮮度良く見せてくれた。彼女はコレクションの2週間ほど前に、女の子を出産し新たに、ママになった事がより、彼女の世界に余裕と自信を見せた。
UNDER COVER、真正面からいぞんだシンプルしかし、美しく艶を感じさせる、着た女が自慢げに自らの整った身体を匂わすまでの着たくなる服。彼たち世代のストリートテイストのユーモアやパロディがエレガンス、シック、セクシー或いは、エモーションそして、クラスを感じさすほどにモードを犯す極めのデザインはバランス良くまとまり、着てみたくなるであろうと静かに激しく挑発的コレクション。
そして、先述のA.L.マックイーン。
若手では、
MELODIE WOLF、今シーズンはインスタレーションで見せたコレクションが規模もそんなに大きくはないが時代を感じ読んだ充実したコレクションだった。
それに、MINA PERHONEN も悪くない。確実にこの巴里に自分たちの世界観をモード化。ドメスティックなデザインの服は温かみを伝え、彼らたちのプリントデザインの旨味でヴィジュアル化。

 だが、多くの若手デザイナーたちのサロンで彼らたちの商品としての「服」を見ると、売る事のみを意識してしまったために、先端の時代観をコンセプトにデザインを行う方向性をまだ確実に掴んでいないか躊躇しているデザイナーたちが多かった。いつの間にか、シーズンを重ねるごとに彼ら自身の世界観がそのコレクションに表情として現れているものが少なくなって来るとも言える。

 アントワープ組みは時代についてゆけるか?
V.Branquino,A.F.Vandevorst,C.Wijnants,H.Ackermannたちはどうしたのか?彼らたちは完全に時代観がずれ女性観が古くなって来ているデザイナーとなり始める。辛うじてのB.Pietersは学生時代から何も出来ずにセンスと夢へのモチベーションだけで、いわゆる、金に物を言わしてのデザイナー活動が功を奏し始めたところ。クリスチャンに続いて彼ブルーノもアカデミーの先生になるという。(何が教えられるのだろうか?)
 当のアントワープでは、エンペラーD.V.N がアメリカンラグジュアリーで商売へ走っているのに尊敬の眼差しの組みとJ.サンダーをファッション・ディレクションしているR.S組み。この腰巾着がアントワープに居れなくなったH.アッカーマン。ウオルターは主任教授とSCAP・SPORTSのデザイナーで落ち着きを、このような閉塞的な二分化状態が小さなファッション村の現実である。
その自分らしさで勝負しているのは、Ann Demeulemeester、B.Willhelmのみ。

 次回は、もう少し、CgDを考察してみたい。
文責;平川武治

投稿者 : take.Hirakawa | 2006年12月07日 19:15 | comment and transrate this entry (1)

初めまして田中と申します。
突然のコメント失礼いたします。
コメントできるほど、精通しているわけではないにですが、
普段より、疑問に思っていることがあり、解決したく思い
投稿しております。
なぜ、一流デザイナーは、女性の美しさを定義して、
表現できるのか?
それは、ゲイであることや、幼少時精神体験など、
一部のコンプレックスがもたらすものなのか、もしくは
関係なく、努力などで構築されたものなのか?
よく分かりません。
美しさの定義はなぜ、全世界で、共通してしまうのか?
どうしても、そういう人たちに追いつけないのか?
追いつけないのであるなら、新たな定義を生み、歴史なく
それは受け入れられるのか?
素人の考えで申し訳ありません。ただ洋服がすきなだけです。

投稿者 Sayuri Tanaka : 2007年01月11日 15:07