« 私的総論に変えて、「今シーズンの東コレをどの様に感じたか?」 | メイン | もう、熟して来た頃であろうか?【巴里・コレ】とはどうだったのか?? »

ベルギィーのGANT・アカデミィーを中心に、

 [ 欧州のモード系学校の卒業コレクションシーズン;]
この時期、6月はヨーロッパのモード系アカデミーの卒業コレクション時期である。
今年は多くの学校を訪れなかった。
アントワープとその隣街、ゲント。ここも古くからのアート・アカデミーが在る所でアートの方が有名校。
訪れようと機会を狙っていて、今回初めて訪れたせいもあるのだろうが、結果的にはゲントの方が新しい時代とその変化を自分たちの上質な視線で感じて作品を丁寧に作っていたと思う。この学校の先生たちの多くはアントワープ出身の人たち。日本にも知名度があるのは、SARAH CORYNENであろう。主任教授はマルタンの3年後のPIETER COENE。卒業予定者は7人。基本的な授業はアントワープと同じ。1年生が基礎造形。2年生が『歴史衣装』3年生が『民族衣装』そして4年生が『自分の世界観』。
 このアカデミーで今年、特出した作品を作っていたのが、CLAEYSIER CHARLOTTE.メンズデザインで少年の初々しいイノセントな感覚の作品が時代性をもよく感じた上での上手なまとめ方をして大変に、エモーショナルで感覚的に新しさ感じさすまでの作品を見せてくれた。当たり前のメンズ服のアイテムを少しバランスを組み替えた程度のいわゆる『腹八分目』のデザインの旨さ。決して、世間のトレンドを追ったものでも、形骸的なそれでもなく本当に新しさを感じ、着てみたくなるほどのパンツ、ジャケットそれにベストやカーディガン等。廃校だった空き地での、丁度、都会の隙間で遊ぶ少年とお兄ちゃんたちが草サッカーをしているインスタレーションも頭のいい手法だった。多分、バランス感覚の良い生徒なのであろう。ウイメンズものでは、MRS.PEGGY GUGGENHEIMをイメージモデルとコンセプトに以外と上質なクチュールタイプのコレクションをした、Christophe Van Liedekerke君。ラグジュアリィー感覚とクチュールテイストを大人っぽくミックスして構成されたコレクションはそのエレガンス度がもう少しあれば本当にいいコレクション。思い切ったショルダー・パターンが着る女の身体つきを上品に見せるものが好きだった。しかし、本音で、このアカデミーは今後この調子で行けば、伸びる学校であろう。
 それに引き換え、今年のアントワープはその街環境ががさつになってしまったこともあってだろうか、それとも、自分たちの自己満足が生徒たちにも出て、その分時代の変化や社会の変化具合を作品に取り込んだものが少なく、悪く言えば『ショーのための作品つくり』の前世紀のもの。この学校の特徴としての、ショーでの見せ方を考えた作品つくりがもう、時代性と会わなくなって来たのだろうか?その関連でもあろうか、ウオルター先生が元気なく、自分自身のコレクションも止めてしまいリ・ニュ-アルしたショップも余り売り上げが芳しくないと聴いた。したがって多くの生徒の作品の『創造のための発想』が自分たちの身近ないわゆる、『サブ・カル』系、漫画、ゲームそしてアニメとMTVからの引用が目に付く。その分だけ、誰が着るの、着たくなるのと言う衣装感覚のものが多くなる。日本人2人の男子生徒のものも結果、前世紀の発想でウオルター好みのショー受けとコンテスト受けを狙ったもの。しかし、これらが高得点を貰う。誰が着たくなるのか、買いたくなるのか、誰に着て貰いたい服なのかがやはり、前世紀感覚。東洋人初めての女性卒業者としてのムラタアキコのものはこれらとは一線を引くもの。今後、この学校の先生たちも影響を受けもう少し、『服』そのものの在り方とそのためのデザインすることをとは何か?を時代の変化と社会の変質に沿って学ぶことを改めて考えるだろう。
 多くが、まだ20世紀型発想の作品群。
イメージの発想がイージーである。自分たちの身近さとしての‘90年代モノとゲーム、アニメそれにBD.
したがって、誰が着るのと言うもの、男はマッチョ。女はビッチな感覚のものが多く目に付く。
インテレクチュアルを感じさすもの、エレガンスさを感じさせるものが少ない。
モードのルーツが浅い。
 “ZAPPING”や“SAMPLINNG”が目立ちすぎる。したがって『表層的』に目立つものが主流。
そのため、構造体としての『身体』をそして、着る人を考えたデザインが少ない。
因って、「3D」, 「立体」で服を考える事が弱くなってしまっている。パターンが美しくない。
装飾的要素が強いものへと、足し算のデザインになってしまう。これは日本人が旨い所。
したがって、この学校で3年生に残れば、日本人の点は良い。
『メディア受け』を狙ったものが増える。
結果、このアカデミィーの先生たち、教える側が新たな21世紀とはどのような事が変化したのかを熟
知せず、『時代性、社会の変化』を学ばない、リアリティが薄く理解していないように感じられてしまう。
従って、かつての時代を引きずっている感じが強く今年は受ける。

投稿者 : take.Hirakawa | 2006年09月28日 00:29