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私的総論に変えて、「今シーズンの東コレをどの様に感じたか?」
結局は会場、「東京国際フォーラム」と言う名前と立地条件とその規模と設備そして、見栄えとに翻弄され、中枢的な条件である「時期の変更」がもっともらしい理由付けによってそれぞれの関係者たちの仕方ない現実性から発せられた今シーズンの東京コレクション。
JFWに委ねた結果の開催時期の変更はこんな簡単な理由と言うまでのものが現在の東コレの在り方であり、その仕組みの恐ろしさであり、それに乗っかろうと焦る東コレ・デザイナーの「皆で渡れば怖くない方式」。それらを持ち上げて大いなる勘違いをさせるまでの物々しいだけで殆ど、何も解らないお兄さんたち、お嬢さんたちがスポーツイベント宜しくユニフォームを着せられての会場セキュリティ等が現代日本の「金・カネ」の食潰し方そのもの。それに乗っかろうと、おこぼれを貰おうとする諸メディアとそれらを仕切る広告代理店の貧しいクオリティ合戦。それら東京イベント的現実が与えたフレームの中でのコレクションはどの様に今シーズンは進化したのだろうか?
夏の始まりのあの、「サッカー・ワールドカップ」が日本の現実の総て。
続いて起きた大いなる勘違い兄弟の後味の悪いプロ・ボクシング試合。
これらは仕掛けられたフレームとしての「微温湯」の中でしか何事も事が行われない、出来ない、したくない、してもしょうがない現象のミス・マッチ現象。敢えて、下品な言葉を使うと、「勃起すべき時にも勃起しない。しなかった。」
自分たちの見掛けを作ってくれている環境としての社会構造の中でしか、何事も事が進まない。
そんな仕掛けられ、作られた全く、操作された社会環境の中でこそ、自分たちのアイデンティティが存在するというまでの過保護な元での安堵感の発想での生活。例えば、深刻な問題でもあろう、セックスにおいても作られた風俗と言う環境でしか事が進まないという現実面もある。
総ての現実はこの仕組まれた環境でそれぞれの事が起こるというまでの時代性。
仕組まれた現実性の中か、与えられたバーチャルな仕掛けでしか生きる事が不得手に、邪魔くさくなり始めてしまった21世紀の「豊かなる難民たち」の日本と言うエキセントリックで恐ろしいそして、凄い国。
これはその程度の差は在るが現在の21世紀の世界、そのものでも在ろう。が、
しかし、日本は特殊。
すべてが、モノ中心。そのモノを商うための消費社会構造の元で国家が回っているという特殊性はそのバランスの悪さだけが人々の心をおかしくし、寂しくも虚無感さえも生む国。
いつの間にか、人々たちは与えられらた「微温湯」の中でしか自分らしさを見つけられない現実。
では誰が?
この様な「微温湯」社会を作ったのだろうか?誰がコントロールしているのだろうか?誰が儲けて、のさばっているのだろうか?
単純には、「メディア」が作り、操作した現実が既に、社会になってしまっている。
その日本メディアの現実とは、多くの元ノンポリたちによって視聴率とスポンサー料によってコント-ロールされ仕組まれ、結果、仕掛けられ作られたレベルの低い偶像を粗製して、構造化された「微温湯」。
気骨と言う言葉さえ死後と化した末梢神経的なる商業主義メディア中心の生簀。
箸休め」
未だ、「入りとノリ」に始終する東コレ。
「入りとノリ」を作るのは簡単、先ず、開催日を火曜日の夜にする。
火曜の夜は美容師が来てくれる日。いまだにこの美容師さんたちのファッション・パワーはこの國の特有さ。そして、招待状を芸能人スタイリストとCFスタイリストたち、アカ文字系雑誌スタイリスト中心にもちろん、「微温湯」メディアを騒がしている芸能人、有名人にも、オカマにも来ていただくように声をかける。知的ジャーナリストたちへ声をかけるよりはヤンキー上がりがいい。数は、ちょっと、多目に配ること。知的さがなくエロっぽく解りやすい服、これが秘訣
質問」
しかし、税金を使って、鳴り物入りで招待したスージー女史の書いたものが招待した側のJFWから公式に発表されていないということも変な世界であるのだが、どのメディアも取り上げていない。メディアコントロールがお得意の談合式で入っているのだろうか?(もし、どなたかが翻訳なさって発表していればすみません。うれしいですが、)
この質問は後日、この様な回答となって頂きました。
□本国ヘラルドトリビューン紙上で、メンケス氏の批評は載っています。
それに対してJFWによる公表はございません。なぜなら、ヘラルドトリビューン
紙の記者として、来日、独自にJFWを取材されたからです。JFWが招待したわけで
も、もちろん税金を使ったわけでもありません。
各誌、紙より取材された内容のコメントを拝見した限り、まだ未熟な面はある
が、日本のオリジナル性をより強調したこれからの飛躍に期待したい、という内
容でした。(JFWのプレス担当の川島さん談。)
後半」
今シーズンは僕の方で選ばせていただき見た。
出来る限り見せていただくという方法の無意味さをこの3シーズンで味わったからだ。
今シーズンのように、巴里やミラノの前にやらなければならないシーズンのデザイナーたちの覚悟はそれなりに大変だったメゾンもあっただろうし、無関係な所でのびのびと出来たメゾンもあっただろう。
当の本人たちであるデザイナーたちには、ある、与えられた条件としての「時期の変更」はそれなりの結果を生まなければいけない状況提供にもなったデザイナーも居れば、他方、ただ、「入りとノリ」だけで喜んでいるという変な屈折したデザイナーと彼らたち周辺の仲間意識状態の現実がショー?と言うものも未だ、有り、などなど。
彼らたちの多くのブランドはどれもそんなメディアがターゲットと意識した度胸ある、商売人デザイナーたちの大いなる勘違いショー、そこには見事に「微温湯」に飼い慣らされた出目金たちが無表情で無感情で泳いでいる。
掛け声だけが「エモーション!」
そんなに今の日本は平和なのですか?
服の値段は上がるばかりなのに、人間の命の値段は下がるばかり?
そんな國でいいんですか?
付録的に」
東京の凄さは東京のみで通じるもの。
そこを僕の眼差しとしてみた場合、もう、巴里やミラノと比べなくともと言う論法が発せられるだろう。
この場合、大いなる勘違いをしてはいけないためにもそのレベルが肝心。在るべきレベルとは、「今の自分を装う」を創造するというまでの発想が現代のデザイン・スキル。
―『創造性と時代観としての問題意識と美意識がどれだけインテレクチュアルにイメージングされクリエーションされているか、それを着れる服化する時の技術とセンスのスキル。そして、着た人たちへ与えられるエモーション。』―を探して、、、、、、
幾つかのパターンに分かれたコレクション。
* タイプー1;自分の世界を見せる。
当然、オリジナルな自分の世界観とその世界を見せるメゾンはやはり、数が少ない。
mintdesignsはこの世界でとても進化したコレクションを見せてくれたシーズン。全体感からクオリティを感じるまでになった。
自分たちの世界観でショーをやり、自分たちの服が誰に向けて投げかければビジネスが旨く行くかをも探る;THEATRE PRODUCTS。
もう一方では、いまだに既成メディアの情報を頼り、自分らしい世界を見せるメゾンもある。進化なし。取り合えず、ビジネス中心に考えられた自分の世界を無難に見せるショー;大半がこのレベル。
* タイプー2;自分の世界に広がりを見せる。
自分の世界に、SOMETHING NEWを加え作り拡げようとしたメゾン。;mercibeaucoupの宇津木えり。
自分の世界そのものにチャレンジして、さらなる自分の世界を見せたメゾン。;Ne-netの高島一精。
そして、自分の世界を時代観と自分が持ち得た技術的スキルであたらなる自分の世界を拡大し、自分自らの創造性を拡げてゆくメゾン;POTTOの山本哲也。
世界に通用する自分世界を自分らしくクオリティ高く知的な拡がりを見せるメゾン;SUPPORT SURFACEの研壁宣男。
文責;平川武治