« LePli-創刊準備0号、発刊! | メイン | 巴里発 LEPLI no.0 発売開始 »

東コレ雑感ー『TOKYIOーCOMPLEX』−4 & 傍観者の眼差し−3


今シーズンは全くに気まぐれで見たシーズン。
東京へ余りたびたび出たくないと言う気の置き所がその理由でした。
ーSUPPORT SURFACE, ユージュ、garconshinois, ato, h.NAOTO, Ne-net, FUR、SUNAO KUWABARA。
結果、見たのはこれだけだった。見たいと思うものはそれでも、幾つかは在ったのですが、単純に朝が早いために、鎌倉の朝と東コレの朝を比べたら駅までも行く気にならずに失礼をしてしまった。お仕事で毎シーズン、毎シーズン,見なければならないという環境と状況の中で東コレを見ていらっしゃる報道記者という方々は、ここで、改めて大変だなあーと痛感いたしました。
 この程度であればJFWのサイトでのチェックで十分という感じもしました。

 「SUPPORT SURFACE」;
このブランドに時間の流れが感じられなくなった。
代わり映えが感じられないコレクション。
変わった事は遅れて来た、トレンドに手を出したこと。(s。スリムG−パン)
良かった事は2タイプの新しい素材が見れたこと。
クチュールで使っても引けを取らないオパール加工のパンチング素材。しかし、このオパール加工で想い出すのはもう、4、5年も前になろうか?市ノ瀬君がやっていたVANDERLIZEのコレクションが早く印象に残っている。今回これを見て市ノ瀬君のコレクションを改めて、すごかったんだとも想い出す限り。
もう一つは薄物の白地のジャガード。これは確実に、次回へ繋がる素材。
さすが、素材関係会社がバックアップしている現実のみが強さを感じさせた。
結局、このデザイナーのベーッシクな持ち得たスタンダードが狭い事。これが継続性の中では、ここに来て彼の世界をも狭くしている。
アトリエ内に、ある種の「異種混合」が必要であろう。

 ユージュ;
見に来ている人たちが、それなりの業界人が目についたのでそれなりのデザイナーなのかと?
 でも、僕はショーが始まって、見ている間に何処を見て良いのか解んなくなってこの教会建築の内部天井の構造を一生懸命に見てしまっていた。
それだけのコレクションでしかなかった。バランス感とテイストが古い。絵を見て絵を描くタイプのデザイナー。久しぶりに退屈したショー。でも、このクラスが一歩間違えればあのDC。そう思うと怖くなったが未だお絵描きのお絵描きで稼げるだろう。僕が発見した事はこの教会を建築した建築家はキリスト教信者でないという事だった。(?)

  ato;
 昨シーズン、見ていない僕は変わったatoというイメージを持った。どう変わったかと感じたか?ポジティフデザイナーになったという程に変わった。それの現れはコーディネートアイテムが増えたこと。本来、ジャケットだけを作っていれば良いコレクションだったこのブランドに幾つかのトレンド的ユニフォームがのぞいていた。彼のコレクションで好きな事、そして信じられる事にこのデザイナーは自分の嫌いな事はやらないという所である。だから、今シーズンの彼のコレクションには幅が出来たとも言えるだろう。(?)しかし、いつも正直に思ってしまうのは『女物』は止した方が良いという事は変わらなかった。あまりにもその『男物』に対して、夢物語的なのだ。怖かった事はショーの最後のアイテムが『ベビードールドレス』だった。

  h.NAOTO,;
 この手のビジュアル系と称される原宿ファッションは僕は、原宿特有のものだと思っていたのが、勉強不足だと言う事に気が付かせてくれた彼のコレクションだった。結局は、v. westwood と pink houseそれに、当然だがMILKが合体した所のガンダム系、アニメのものである事が解った。残念ながら原宿のオリジナルではなかったのが寂しかった。でも、観客の、所謂、顧客たちはそんな事はお構いなく、この時ばかりと競って(?)楽しく、うれしくのびのびと晴れやかに着飾っての参加だった事が僕も楽しかった。バランス感は良いのだろう。コーディネートが行き届いていた。この手のブランドものにも新しさが在る事も気がつかされた。それは、以前であれば、やたらと使いたくなって使う『メタル』ものが少なくなって、『レース』『コード』『リボン』が多く使われていたのがこの系でも、優しさへの進化なのであろうか?ソフトプロテクション?
僕が思ったのは、彼らたちは案外、お利口さんだったという事、それだけ、面白さとリスクは感じられなかった。

  Ne-net;
 今シーズン、見せて頂いたブランドのコレクションでは一番『創造のための発想』が考えられ、時代にチューニングされたもの。東コレでは本当に、数少ないタイプのデザイナーになった?しかも、彼の身体性としてのスケール観が強く感じられる所も良い。在る意味で、彼自身が時代をそれなりに感じ取っている、勘と頭の良さをそして、素直さを感じたショー。このタイプは本当に少ない現在の東コレ。多くは世間の”トレンド”のフレームの中でまとめてしまうもの。"Back to the roots" “New Generation"もう一度自分たちの、ある種の”祖形”(胎児)に戻ってしまいいたい?の思い。マサイ-アフリカを中心としたフォークロアからインスパイアーされたコレクションにここでまた、日本の素材の強みを上手に彼らしく使う。全体としては、やりたい事とやらなければならない事のまとめ方にシャープさが欠けた感があるが、彼自身の世界観を持ってまとめていたのが何よりも楽しかった。ここでも、ジャガード、フリースフリル(?)等の興味ある素材が。でも仕上がりのコンセプトは"ROOT" よりはやはり、未だ、”SOFT PROTECTION”.そして、メディア受けもちゃんと狙った、”カメレオン”。ただ、彼の”創造のための発想”のルーツにはいつも今の時代の日本人の感覚としてのオタク観やその根底の、ある種の少女たちが持つブラックユーモアさえもが感じられるのが僕は興味深い。

 FUR;
 このデザイナーの千田君もなかなかしぶとくがんばっている。
久しぶりに見せてもらったが所謂、”プロ”である。この世界でのお勉強と経験がちゃんと自分の世界を外さずに、最近のこの手の女の子たちが憧れる日本的コーディネートをクラフト的なこなしも含めて巧く、そつなく市場性からも離れない程度でまとめている事。だから、プロ。彼の"SOFT PROTECTION"はスピリチュアリズム志向を都市型ファッションへ向けさせた新しい可愛さか?色の押さえ方、素材のミックス感そして、要所、要所のアクセサリーが時に生きていた。

 SUNAO KUWAHARA;
このデザイナーも先シーズン見なかった事で、こんなデザイナーだったのかと?
時代を感じての”フェミニン”感覚がコレクションへ?それとも、彼自身が好きな世界だったのか?日本人がまともにこの世界へ入って行っても太刀打ち出来ないだろう。間違って、”オカマの宝塚”もの。
エレガンスをどのようにコケティッシュに、ユーモアに、アイロニーも込めて楽しむかのテーマとしての”ピエロ”。テーマをこれでも良いだろう。そのマテリアルには総てに、”自由”な展開が欲しかった。アイテムのまとめ方と素材のこなし方にもっと乱暴だが知性と少女観がある発想が在れば僕は驚いたのに。今のツモリにはこれが備わったことが彼女のブランドが世界で認められたと見ている。靴に印象が残っている。3型程の靴に良さを感じた。

 ここで、僕の好きなSACAIの阿部さんが今回、毎日ファッション大賞を貰われた。
『おめでとうございます。
とても、うれしいです。
が、解っていらしゃるでしょうが、ご用心もください。
この東京、土足で上がって来る人が多いです。』
 
 それに引き換え、新人賞は変なにおいが感じられる。
マッチョな世界のマッチョな臭い。デヴュー時から変わらぬ”表層2nd.SKIN"。
メディアもこの手には勘違いする。素材に助けられて、素材を助けていないコレクション。すばらしい日本素材をレベルの低いこのデザイナーはエゴで玩んでいるだけの世界。料理の仕方も、まして、技術も味付け方も未熟な表層のみの、この玩びをよしとする所謂、『虚飾の上塗り』タイプのデザイナーがまた一人誕生させられた。マッチョな世界が見え隠れの結果なのだろうか?デザイナー自身の謙虚さを今後期待する。

 ごめんなさい、『ミントデザイン』へ行かなかったのが悔しい。
文責/平川武治:

_________________________________________________


「東コレ雑感ー『TOKYIOーCOMPLEX』ー傍観者の眼差し-3」
 ”日出る所のものたち”

mintdesignsのショーを見た感想。彼らは今シーズン、JFW主催の東京ファッションウィークに参加していない。意図的になのか、そうでないのか?図らずも、沈み行く泥舟と日出る所のものたちとの対比が鮮明であったコレクション。今シーズンの東コレに来ていた海外招待客も、はるばる極東の首都に来た甲斐があったという様子。最後の最後になってやっと東京土産を得ることができたようだ。

 ショーの中身について。僕が感じたこと、そして彼らが今回のショーで主眼としたと思われることは、「軽さ」「軽やかさ」という今の気分をどうイノセントに、「膨らみ」を持たせながら、優しく、ポジティブに表現するか。それでいて、ある種のシャープさ、リアリティ、華やかさ、エレガンスをどのようにバランスをとりながら最終的な空気感を形作るか。
 「インテレクチュアル」だけど決して尖っていない軽やかさ、軽やかなエレガント、昔々のお話のような「ドリーム」が私たちにもたらしてくれる「楽」さ、「解放」。こんなに薄汚れて行き場のない硬直した表層だけの「コンシューミング・デカダンス」の中で我々はどこへ行き先を見つけようか。すべては美しき「軽やかさ」へ。
 これこそが僕たちが今、本当に望んでいること。世界の実相を見つめながらも、軽やかに美しく、そして知的に自分たちの人生を楽しんで生きたい。

 彼らのモチーフとなったのは「気球」、「飛行船」だった。
 頭には粗い目のネットに包まれた風船。しかしこのようなスタイリングはかつてジュンヤがやったものとは違う。宇津木が今シーズンモデルにかぶらせたカツラとも違う。すべては軽やかさをどう表現するか。重力からどうやって身体を解放するか、といったところに目線があった。
 そして、今シーズンのミントは衣服のバランスを変えてきた。今周りで主流なのは肩のあたりにボリュームを持ってきて、そのボリュームを下に垂らして腰や胴の部分を隠し、足はタイツでラッピングして、身体をどうプロテクトするかといったところ、ミントはむしろ肩の辺りをごくナチュラルに薄くしてドレープで腰や胴の部分に軽やかにボリュームのバランスをつけている。

 僕が連想したのは、1999年あたりでヨウジが出したウエディングドレスシリーズとその前あたりの白のシリーズ。
 しかし、ミントの方が明らかにシャープ、軽やか、そしてグラフィカルでありながら「エレガント」。いつも彼らのクリエイションを見ていると日本ではなくヨーロッパ的な知性のようなものを感じるが、今回のエレガンスはいわゆるヨーロッパ的なそれとは違う視点によって生まれたように思う。
 この「エレガンス」には正直驚いた。普通、エレガンスとは少なからず「老い」「成熟」が関係しているもの。しかし、ミントはある種の「若い成熟」「しなやかさ」のなかに「エレガンス」を見いだしていたような気がする。
 そしてそれを可能にしているのはテキスタイル。グラフィカルなテキスタイルはもともと彼らの得意とするところだが、今シーズンはボーダーを主に、気球や飛行船、雲をイメージしたスケッチのような線画をプリンティングしてきて、「コンセプト」から「お話の世界」へ。「アバンギャルド」から「ナチュラルフィーリング」へと変貌を遂げた。
 カラーバランスにしてもそう。一時期はまじめすぎる色使いと地味さに今を感じることはできなかったが、今シーズンは今を感じさせる、控えめでありながらもポップで鮮やかな色たち。今まで彼らのグラフィカルが連想させてきたある種の数学的、建築的な「カタさ」は消え、よりナチュラルで華やかな知性が感じられた。
 このような彼らの変化は一朝一夕のものではない。「包む」のシーズンあたりからずっと、彼らがイメージする時代感、空気感を形にするにはどうしたらよいかという試行錯誤がありありと見えてきて、今シーズンようやくそのアジャスト、バランシングを見つけてきたなと感じ、感動した。

 これが「沈み行く泥舟」と「日出る所のものたち」との違い。
 これ見よがしのエゴや「自己表現」なるお遊戯会、もしくは過去の枠組みでしか今を見ることができない、結果明日を食いつぶす従順な市場主義者たちは何のためにコレクションをやるのかを再検討すべきだろう。僕たちに今を感じさせながらその先を指差してくれる作り手のみがショーをする資格があり、また意味があるのだから。

傍観者;Josh Matsuzaki

投稿者 : editor | 2007年09月22日 16:11 | comment and transrate this entry (0)

コメントしてください




保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)