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『共棲資本主義』や『テクノロジー』について語る。/DISCIPLINE会ノオト/平成22年6月17日版,デジュメに変えて。

DISCIPLINE会ノオト/
ひらかわのアジテーション!!
『 文明を謳い又は憂い、文化をデザインして欲しい。』
 生を与えられ、生かされているあなた。あなた自らの価値観の元に築き上げる自分の世界観を拠り所に、
あなたが、あなたらしく生かされる事に必要な世界のために、社会のためにそして、人間のために、
堂々と、文明を謳い又は、憂い、文化をデザインして欲しい、それが服であっても。/ひらかわ: 

『 ファッションにもう、“夢”は無くなったのでしょうか? 』
そこで、“未来”をちょっとだけ想い、新たな、“新しさ”を考えてみましょう。
【共棲資本主義】を考え、
【分かち合い工学】を想い、
【分かち合いのためのデザイン】を考えてみる。
ここではもう、女や男の時代ではなく”人間のための”時代をその『本質』として発想する。

変わらない資本主義に望む大切さを考える
 その発端は昨年の1年から、
『Woodstock Rock Festival 40周年』と
西アフリカ、マリ共和国への旅。
そして、『共棲資本主義』という発想。

新たな社会環境が生まれると
『分かち合いのためのデザイン』というテーマで 新しい時代へのデザインが、
そこに携わる人たちが 何かが出来ると信じて、
『分かち合い工学』と言うデザイン-カテゴリイを本気で考えて行く価値があると信じて!!
新たなデザインカテゴリーとして、教育機関も考えるべきである。

その"カッコつけ”作業のための"ウソも方弁"の社会は不変。
3+α)ここで一つ考えるべきヒントとしてのプラトン『国家』に述べられている、『知性』『欲望』そして『気概』の、
三位一体の関係性。
これを消費のレベルに落とし込めば、現在の日本の現状が解る。
あるべき『知性消費』も低下し、今は『欲望消費』のみが我々の豊かさを表層化している現状。
 次なるは、物質的な『欲望消費』に満足した戦後の日本人たちと新世代の人たちが新たに思い、
求めるものは『気概消費』であろう。
ここで、『夢』の変質化。「モノへの夢から気概への夢へ。」
4)そこで、現在の若い世代の人たちの関心事とは?
――エコ、地球、環境、ヘルシー、結婚、家族、子供、安心、安全、いらないモノ、大切なモノ、
NPO、ケアー、ボランティア,友情、音楽、スポーツ、占い,神頼みなどなど。
ここにも彼らたち世代の人たちの『消費』についての変化が読める。
5)モノが与える『イメージ』を消費した時代性から,モノから得られる『リアリティ』のための消費へ。
ここで新たな「機能主義」も新しさを生む可能性として大切な要素。
即ち、これからの消費のモチベーションは『エピソード』が大切なキーワード。
モノを消費する事によって体験出来る『エピソード』が大切な時代性。
ここにも、持ち得た『エピソード』によって得られる『気概』を消費するという迄の新たな欲望シーン。
6)そこで、『本質』として考える資本主義の新たな形態とその在り方。
 例えば、20世紀の資本主義が『独占資本主義』又は、『金権資本主義』としたならば、
21世紀の僕たちが求める資本主義は、出来れば、みんなで何かが出来るという気概性からの資本主義形態。
そこで提案出来る一つが、『共棲資本主義』又は、『気概資本主義』。
7)この発端はマルクスであり又、ヒッピーでもある。
資本主義の進化は、限りなく社会主義に近づく。
 ここで大切なことは、社会主義と違うことは、『人間性』。
そして、その『人間性』を基盤に、『個人の自由な意志を大切な拠り所として、それぞれが作る気概ある共同体である。』
 ここには『ヒッピーコミューン』が祖型としてかつてには在った。
41年前に、ロック音楽をその自由なフレームとして、行われた「Woodstock Rock Fes.」
8)ある時期、建築家集団”チームーテン”たち以降によって提案された
「建築を作り上げる空間そのものを機能的、質的に分解し、それらに能動性を与えた」運動と
その後、空間単位が取り替えられ移動出来ること迄を主張した結果、”テンポラリー”という新たな建築の発想が生まれた。
 これをファッションの世界への新しさとして落とし込むことも可能である。
「身体空間そのものを機能的、質的に価値的に分解し、それらに能動性と拡張性を与える。」
9)近い将来、都市や建築などの組織又、オーダーといったものは、
その場その場の状況に対応したテンポラリーな構造や組織が必要になる。
全く価値の違ったテンポラリーな”小さな社会”。
それは、現在のような固定化された体制や組織など、個人の存在を事実上疎外した都市や環境ではなく
常に、個人の成熟した自由な意思の裁量によって築かれるあらたな共同社会である。
 ここに『共棲資本主義』(『気概資本主義』)の根拠性を考えることが出来る。
10)このような新たな世界観の下でのファッションは新しい”夢”を持つ迄に、

『物心一如』
より、肥大化して行く『大衆消費社会』構造そのものを今後、
変革して行かなければ僕たちの仏教の言葉『物心一如』のバランスが崩壊してしまうでしょう。
あの、『遠州好み』と言われている日本美学の中にも『共棲』思想と『融合』思想が在りました。

『不義して富を求めず。』
本当に、もう、『アメリカ印の日本』から『日本印の日本』の国体へ。
 その根拠性は「個人のエゴ」から「自然や他者との共棲」思想をもっと生かして行こうと。
人間味在る想いと行動が謙虚な真こゝろを持ち得るでしょう。
此処でも、もう、みんなが持ち得る自我を1%、セーブしませんか? 
東洋の日本人としての成熟度を意識しましょう。
ここで、少し宗教に関心を持ってみて下さい。
おみくじを引くのも今では“消費”行動。
 このままで行けば、『日本』という国は国体無き国、愛国心薄き国家、
思想無き国体と民の国になって『金権社会』構造のみが肥大化するだけでしょう。
もう、戦後は既に65年が過ぎました。
これからの新しい日本という国を、まず皆さんで想い、語り合いデザインしてみて下さい。
そこに、かつての日本人が持って居たはずの“真こゝろ”を持って!!
 既に、現在では、『大衆消費社会』構造における儲ける方法、目立つ方法は無数に在りますし、
なんでもありの時代性になってしまっています。
そのレベルでのあれこれはもう、新しさや必然性や人間性を生む迄の新らしさへは至らないでしょう。
かつての日本人豪商、紀伊国屋文左衛門が『不義して富を求めず。』と言っていましたね。
こんな言葉も消えてしまった戦後の日本。
 もっと、今の時代の「本質」として僕たちは何を考えて行かなければいけないかを、
『国体』を想うかを、若い世代の人たちへ投げかけて行く事しか僕は今、興味が在りません。
これが、出来れば好きなモードの世界を通じて出来れば幸せです。

*『 表層も大事ですがその深層にも真こゝろを向けて下さい。 』
 僕のロジックの原点は物事の『本質』を出来るだけ学ぶ事。物事にも深層と表層が在ります。
例えば、美しい形と塊に見えている氷山にもその水面下にはそれなりの塊が在っての事。
そして、それぞれのバランスが美しさの総てを形創ると言うこと。
見えている表層のみを理屈や他者の事例を持ち出してとやかく言っても、それはそれだけの世界。
 本質を学ぶ為の、本質を知る為の、本質を行為する為の、
『謙虚心』と『好奇心』そして、『勇気』と『責任』を意識しての生き方を選んで欲しいと想うのです。
若い時代に“早熟に”人生の、生き方の『本質』を知って、持ってしまえば案外と物事は自分らしく、
ポジティフに堂々と生きて行けるのですよ!!
造られ与えられた世界で生きて行く為の『マニュアル』人生はもう止めて下さい。
即ち『本質』と『表層』の関係性を自分らしい価値観と世界観で自分のバランス観を持つ、
その自分のバランス観で物事に関わって行く事がこれからは大切な「個人の責任」になる時代性でもあるという事です。
例えば、何の為にブログを書く?にも関わって来る時代性が。
 自分らしい価値観と自分の世界観を持ち得るには
先ず、自分の内側を覗き込んで自分の内なる心象風景としての幼年期を見直してください。
自分が何に夢中になって遊んでいたのか?どのような環境で育ったのか?などですね。
2番目は、自分の美意識を持ってください。
自分の身近な環境から、自分なりの「文化の領域」を持ち模す事から始まるでしょう。
3番目は、自分なりの問題意識を持ってください。
自分の生きている時代性とその社会で起き上がっている諸問題に対して関心を持ち、好奇心を豊かにして下さい。
そこに『三方良し』の想いが行為の本質になれば。

*『 三方よし。』/『 三方一両得。』
 『三方良し』とは多くの豪商たちを輩出した近江商人と呼ばれた人たち彼らの、”商人哲学”です。
三方とは、”自分良し、相手良しそして、世間良し”の三者良しという事です。
 (6月15日付け/日経新聞文化面「私の履歴書」欄/オービック会長兼社長の野田順弘(のだまさひろ)氏/「『三方一両得』」という言葉が出てきます。
 この人は昭和43年に会計機販売の仕事を自分ではじめるのですが、そのビジネスを始めるきっかけとなったアイデアだそう。/以下、勝手に引用。
 「いままで自分たちが大手企業に売り込んだ会計機の多くが新型機種の買い替えやオフコンの導入で不要になり、倉庫に眠っている。それを安く引き取ってきて整備し、中小企業に低料金で貸し出すというのはどうだろう。大手企業にとっては処理に困っていたものがお金をもらって片付き、資金がない中小企業は安い料金で会計機が使える。会計機も生き返るから『三方一両得』になる。そこに商機があることに、まだ誰も気づいてないはずだ。」

『共棲資本主義』と『分かち合いのある社会』そんな社会のためのデザインを考えたい。
 そんなとき、『共棲資本主義』は一つの想い、日本人として持っていたはずの真こゝろであり、
可能性だと信じれば例えば、ここ数年前から僕の眼差しとして提言している、
ファッションデザイナーも『May I help you?』の真こゝろが必要になる。
 日本のモノ、西洋のモノ、東洋のモノそして、新しいモノ、古いモノ、自然と環境、民衆のものと作家のものそして、
自分と他者など等。物質的な豊かさの生活を持ち得た『豊かなる難民』たちが持たなければならない新たな責任としての
バランス感豊かな、『共生感覚』や『共有消費』でしょう。
今の時代の現象、リメイクやエコなどもこの新たなバランス観が必要なそして、大事な世界。
そして、『腹八分目』感覚も大事でしょうね。
繰り返しますが、だから、自分のエゴを1%をセーブしてください。
セルジュ・ラトゥーシュ//"decroissance"(脱成長、縮退)理論の提唱者
『経済成長なき社会発展は可能か?〈脱成長〉と〈ポスト開発〉経済学』(中野佳裕訳、作品社、2010年7月)
ファッションと夢
 最近、ファッションの世界に興味を持って居るはずの世代の人たちと話すと
彼らたちからその好きなファッションの世界に”夢”という言葉が絡んで来なくなり始めた。
 彼らたちにとってのファッションはもう、”夢”と置き換えられない迄に「日常化」してしまった世代なのだろうか?
若しくは、ファッションにそれ程の魅力が無くなり始めたのか?
それ程、憧れるブランドが無くなったのだろうか?
又、彼らたち世代の関心事は既にファッションを通り過ぎてしまって違うものに”夢”を委ね始めたのだろうか?
 ここで、僕なりの判断なのですが、
彼らたち世代はもう「消費」そのものをうざったく感じ始めているのではないだろうか? 
消費時代のジュニアたちも大衆の中へ入り始めたことで日常化してしまった「消費」に対して
より、客観的なる態度を持ち始め、「消費」よりも大切なことがという視点が芽生え始めたか、
又は「消費」には変わらぬ興味があるがその対称の種類が変化したとも言えるもではないだろうか?
 ここでの発想と新たな消費のベクトルの一つに、
―――――『欲望消費』から『気概消費』へ。 
 これによっての新たな”夢”の可能性が考えられる。
『何かしら、私も地球や自然や環境に優しく生きて行きたいね!』
『古いものを大切にし、出来るものは再利用して、いらないモノはいらない生活をしたい。』
『みんなで使い合いが出来るものはみんなで使ってもいいよね。』
というようなベクトルからの新たな「消費」即ち、一つの『気概消費』が生まれたことは確かである。
 ファッションの世界の『差異』はそのブランドが発信可能なイメージ力により何処って居た。
PCの発達後、この『イメージ力』によるファッションの「差異化」は急速に進化した結果、
その虚像の虚像たるネタがバレるのも早くなった。
その後、ファッションが持つそのバニティさはそれを体験出来る限られた人々と
その環境に居る人たちの世界へと狭くなり始めている。
この狭くなったカオスティックなファッションの世界をビジネスマンたちは以前より、
ヴァーチャル的にPCを使いこなしてSATE、BLOGGERそれにTWITTERSやFACE BOOK
そして、e-コマースの世界によって
より、ヴァニティなヴァーチャル体験をファッション世界の新たな『差異化』ヘ求めはじめる。
 ここにも現代のファッションに興味を持ったエッジな覚めた世代には新たな”夢”の構造が読み取れる。

テクノロジーについて再考。 
 もう一つ、歴史的な社会の進化を見るとこれが正当的なる新しさを誕生させ、
そこにこそ、魅力を感じる”夢”が誕生するのではないか?という視点。
それは新たな技術性/テクノロジーに目を向けることである。
即ち、“差異”、これは消費社会の必然的価値要素であることには変わりがない。
洗濯機も掃除機も冷蔵庫も新たなテクノロジーに可能性がある分だけ今後も、
「新商品」が開発され、結果、ニューデザインが必要である。
 この新しさを考えた場合、
ファッションの世界では『テクノロジー』が今後の唯一の大きな可能性。
従って、これからのファッションの世界も、『テクノロジー』と『エステティック』
それに『自分の世界観』から生まれる『問題意識』。
この三位一体の発想とそれらの調和観によって新たな好奇心が”夢”あるクリエーションを産む。
此のバランスが、極めて自分的かつ、社会的であれば”時代”が表現出来る、時代に恩返しが出来る。

 ここでは在り来たりの”エゴ”に頼ってはいけません。
現代社会が既に構築してしまった、個人が持ち得たパーソナルメディアの結果、
我々の社会は『POPの泡沫化』でしかないのですから
個々のエゴは普遍化し当然ですが、類似化するしかないのです。
そして、最後は消滅してしまう迄の時代性が現代。
ですから、ありきたりな人並みな生活現実から生まれる”エゴ”には
もう然程、創造性高きカオスは望めないでしょう。
ここで、”自分の自然体”への月謝が払われるか?責任感が?、という人間の倫理的なるレベル問題にも。
だから、”エゴ”と称されるレベルは只の”業”でしかない。
従って、純な”エゴ”を他者より多く例えば、200%出せばそれは社会へ届く可能性があるという事。
ここに個人の持ち得る『夢』の在り方と立場が、想いが生まれる。
そこでは、何のために、誰のために、自らの”エゴ”を持ち出すか?が、大切な創造者としての立場でしょう。
ここで、『テクノロジー』と『エステティック』それに『問題意識』、
この三位一体のためにカオスとしての”エゴ”が新たな”夢”を創世すると信じたい。

 此の様な時代性になってしまうと、
『テクノロジー』はヒューマニスティックなバランスを超えてしまっている。
『テクノロジー』を認めない、認めたくない人たちが
『良心的環境主義者』としてその自らの立場を肯定し始めている。
結果、『テクノロジー』についての意識が、技術が思いが、
”形骸的な、人と違ったモノを”の軽いノリでデザインしてしまって
今、服を作る若い人たちに欠如している。
 例えば、自分の『手』を信じられる迄に手を使って来たのか?
使いたいのか?修練して来たのか?
も、一番解り易い自分自身が持ち得た『テクノロジー』の一つ。
只、絵型を書いて工場や振り屋さんへ委ねて出来上がって来たモノが作品又は商品。
この世界からもう数歩も自分らしさで『テクノロジー』について
思いと、学習と関わりを持たなければ”夢”あるモノに近付けないだろう。

 即ち、【ヒューマンテクノロジー】の世界、あるいは、【アルチザン-テクノロジー】。
それと解り易い【サイエンステクノロジー】の世界。
これらの調和観。
”自我”もテクノロジーの変容器官の一つ。

 ファッションの場合の『テクノロジー』は
その殆どが”素材の開発”に委ねられ、目を向けられていますが、
本当は、服を作ると言う工程を分解すれば、
”縫う、編む、折る、切る、貼る、繋ぐ、明ける”などの
諸技術が必要になって造られるのが1着の”服”であるはず。
 もう一つ、着る”身体”にも『テクノロジー』は存在している。
身体の”構造機能、拡張機能、性機能ともしかしたら、こゝろにも”。
例えば、”テクノロジー”は資本主義が消えても、社会主義が消えても国家が無くなっても
残り動き続けて存在して行くものでしょう。
最近の好例では、”ダイソン社の新しい扇風機”ですね!!

 或る意味で『危機の時代』。
すべての根拠が失われ始めた現代と言う「POPの泡沫化現象」状態下で
”夢”ある新たなものを創ると言う行為を開始するとしたら
『テクノロジー』に懸け、委ねる事が新たなる勇気ある選択、
これこそが新しい時代を生む迄のエッポクメイキング足りうるでしょう。
 ファッションの人たちに今欠如している眼差しの一つに
この『テクノロジー』への関わり方があるのではないだろうか?

 どうしても、『素材』そのものの新しさに委ねてしまって
服を作る事の『本質』を考えた『テクノロジー』が欠如してしまっている。
新たな『テクノロジー』と新たな発想での『バランス-オブ-テクノロジー』が生まれなければ
所詮、ファッションはすべて、ここ1世紀を超えても未だ、『WRAPPING』/包装紙の領域。
(最近のCdGを見ていても残念乍ら、これは感じてしまう)

 身近かな現実で言えば、
『手』に委ねられた“MICRO POP"現象の一つとして、
若い世代の『リ-メイク』がより、一般化している。
『リ-メイク』を製品化するための請負工場迄、現在では出来ている。
バリエーションの世界で言えば、
今後はブランドモノのリ-メイクから、ラグジュアリーモノのリ-メイク迄が。
これらの『リ-メイク』の服に対する自由なる発想を元にして
新たな考えられる、いろいろな『諸テクノロジー』と
そのバランス観が『リ-ミックス』されれば、
この現在の閉鎖的なるファッションの世界にも
新たな、豊穣なる世界観が誕生するのではないだろうか?
そして、新たなる『夢』が生まれる。

 考えてみれば、
この発想による世界観は従来の日本人が最も得意とし,
発達させて来た分野では無かったのでは?
「パクれるものはパクって」
そこに自分たちだけの発想のテクノロジーが使われていれば
それはもう、オリジナリティを持ち得る迄の現実にそしてビジネスに。
 極論で言ってしまえば、
『ファッションにおける日本式ケイタイを創る』可能性からスタート。
そして、ファッション版”ダイソン社の新しい扇風機”を考えよう。

 まとめ;
『共棲資本主義』と『分かち合いのある社会』そんな社会のためのデザインを考えたい。
1)20世紀の独占資本主義が今世紀も続いていいのだろうか?
変わらぬ金権主義な社会構造の下での価値観は多分、芽新たしさのみであろう。
2) そこで現在の社会的不安や不信又、含羞なきモラルをその根底として来たるべき新たな時代の社会を考えて見る。
もう一度”夢”を探して下さい。
3) そして、持ち得たそれぞれの自由の裁量とそこからの気概と希望を拠り所とした”小さな社会”を考えてみよう。
4) ”生かされている人間としての自分”がスタート。
謙虚で開かれた真こゝろを持って、想い合うこゝろと信じ合うこゝろ、助け合うこゝろ,分かち合うこゝろ、
そんな愛在るこゝろの在り方を信じ,生きて行ける世界を念い考えて下さい。
5) そのような世界で、社会で自分は何が出来るのか?したいのか?すればいいのか?を
もう一度深く悩み、考えて下さい。
6) そこに自分が好きな世界が、夢見る世界が存在していれば幸せですね。
それが、ファッションであっても,羊飼いであっても。
7) ”謙虚、誠実そして、爽やかに” 自心で自心を豊かに、ご自分の調和観で成熟させて下さい。
番外)後は、総てが”方法論”のバリエーションでしかありません。
ありがとう。
 参考/
日本繊維機械学会:http://wwwsoc.nii.ac.jp/tmsj/japan/index.html
テクノ手芸ウエブ:http://www.techno-shugei.com/
Dashing Tweeds : http://www.dashingtweeds.co.uk/
Dr.Jenny Tillotson : http://www.smartsecondskin.com/main/
WearAbleTechnologies : http://www.loop.ph/bin/view/Openloop/ WearAbleTechnologies#NEW_developments
St.Martins College of Art & design : http://www.csm.arts.ac.uk/
Elisabeth de Senneville /art-couture : http://www.e2senneville.com/

BOOK/"Body extensions"/ARNOLDSCHE刊Claudio Pantellini他、展覧会カタログ

UNDER COVER :特に、 2シーズン前のメンズコレクション
ROMAIN Kremer: 此処数シーズン来の彼の世界観。
RAF Simons: "RAF-IZM"が健在。
瀬尾英樹:彼の卒業コレクション
Elisabeth de Senneville :ART COUTURIARシリーズ
"Zeitsprung"/ 2003

文責/平川武治

投稿者 : editor | 2010年08月04日 08:38 | comment and transrate this entry (0)

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