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『 3.11/原発企業事故災害』で学んだ事。-1

『 3.11/原発企業事故災害』 で学んだ事。-1
 *第1回;
1.)『国が、国土が、海が、国民が穢された。』
 僕たちの国土が、再び、穢された。
この百年も経たぬうちで3度目の沈痛極まりない出来事である。
先の2度の”穢れ”は敵国によってであった。忘れていないであろう『広島』、
世界最初の原子爆弾の投下と、続く『長崎』。結果の「大東亜戦争」敗戦と
続く、その敗戦処理によって日本人本来の魂が抜かれてしまうまでの”穢れ”。
しかし、今回の”穢れ”は同胞たち即ち、僕たちと同じ日本人によるしかも、
”教養あり、社会的立場を持った、高収入を得てそれなりの生活暮らしぶり”を
していた人たちによる、彼らの思惑と自信と傲慢さと驕りによって”穢された”、
とてつもなく悲痛激しい辛い事故である。
 僕たちの國、日本は自然と共に、自然の恩恵を受け自然と共棲しそして、
自然と戦いもし乍ら、2千6百年程を生かされ続けて来た『日出ずる国』日本であった。
その一部分が今回のような悲惨で罪深きダメージを蒙ってしまった。
 自分の國に想いを寄せるこゝろがあるならば、今後の國体を念い労るならば
このようにこの原発企業事故災害を悲痛な心境で受け止めてしまって当然であろう。
事故後、当事者たち、関係者たち、政治家たち、傍観者たちの多くがメディアへ登場しているが、
その大半の人たちからは、彼らたちのこゝろの在り様が感じられない、見えない。
自分たちの國を母国を”穢した”という本心と自覚があっての発言では無い。
彼らたちなりの立場と役割上の責任回避的なる言葉の羅列でしか受け止められないものばかりであった。
これが結果、「メディアは何も本当のことを伝えない。」と感じ、読まれてしまった最大の原因であっただろう。
 そして、今後の僕たちの國体と同胞の事、そこに生活する若き世代,赤児たちの未来の現実が
どのようになってゆくのだろうかと考えると悲痛なこゝろの想いでこの3ヶ月程を過ごした。
その裏には「僕たちの世代が、あの時に、もっとどうにかしていれば」という自責の念が大きくなり乍ら。


2.)『天皇皇后両陛下を初めとする皇室ご一家が、自らの”立ち居場所”を見つけられた。』
 今回、被災地を数回訪れになられた天皇、皇后両陛下を初めとした皇室のご一家の報道を観ていると
このような事を感じた。天皇皇后両陛下を初めとする皇室ご一家が、
戦後、初めて自らの”立ち居場所”を実感として見つけられたのではないだろうか。
 戦後、敗戦国の戦争責任者としての天皇、皇后と皇室ご一家は『国民の象徴』という
GHQによって与えられた”立ち居場所”を寧ろ、命じられてこの与えられた役割に徹して来られた
65年間でいらっしゃったであろう。
 しかし、今回のこの3.11/東日本大震災の被災者たちを見舞われた報道を観て、
あのように被災者の人たちと同じレベルの床に膝まつかれて差し伸べられる手と
励まし交わされる言葉は『人間天皇』以外の何ものでもなかった。
 このような考えは生意気で失礼であるかも知れないが、
今回の一連の天皇、皇后両陛下を初めとした皇室ご一家の被災者たちを見舞われた行為によって
見舞われた被災者たちもそうであっただろうが、何よりもその行為によって当事者となられた
天皇皇后両陛下を初めとする皇室ご一家が戦後66年目にして初めてご自分たちの 
”立ち居場所”をご確認為されたのではないだろうか?
 これは今後の日本国のために或る意味ではもの凄い事であり、
大いなる新たな可能性を産み出す根源にもなるはずであろう。
しかし、当然であろうが、メディアはその光景のみを報道して、その本意は決して報道しなかった。
文責/平川武治:

投稿者 : editor | 2011年07月07日 06:45 | comment and transrate this entry (0)

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