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[過ぎてゆかない過去]の中で漂っている僕たちの21世紀から逃亡せよ。

新版/平川武治のノート-ブログ ”The ARCHIVES Le Pli"-04;
新たに、今までの掲載分から選択したアーカイブ集を始めました。
”「過ぎてゆかない過去」の中で漂っている僕たちの21世紀から逃亡せよ。”
初稿/2003-08-26:

  「”過ぎてゆかない過去”の中で漂っている僕たちの21世紀からの逃亡。   
僕たちはもう、既に21世紀で生活しているというのに!!
―――ヨーロッパに於けるファッション環境の新しさとは?」

 まず、日記風に。22th.AUG.’03;
 アントワープデザイナーの一人、ラフ・シモンズがここ3年来この学校の客員教授を行って
いるヴィエナ工科大学ファッションコースの卒業コレクションのための審査からスタートした
2ヶ月間あまりの旅を終え帰国。
 この間、巴里ではクチュール時期を利用してコレクションを発表した若手デザイナーのショー
とメンズコレクションそして、幾つかのファッションイベントへの参加とこの国を代表する
ファッションの専門学校”スタジオ・ベルソー”の卒業コレクションを見た。
 これらの合間を見てアントワープを訪れこの学校の進級発表に立会い日本人学生の現実を
知り、僕のギャラリーで”ワンナイトイベント”を行う。
 又、イタリーのトリエスタで今年も行われた、”IT’S#2”の2回目のファッションコンテストに
も審査員として参加。しかし、今回の多くはスイスのチューリッヒでの展覧会企画の仕事に始終
した。

 僕的眼差しから、;
 現在の様な1年の内、4ヶ月ほどをパリを中心にヨオロッパで生活をするという生活形態を
送っている僕の眼差しはある種の距離と位相を持ち得た状況から、僕独自の発想と視点で東京と
言う都市の表層の差異が読み取れるので面白い。
 従って、毎回、帰国する度に東京を良い意味にも悪い意味にも興味を持って”俯瞰視”が出来る
その結果が最近では嘆き憂う事の方が多くなっているのは、僕が歳を取り始めたという事だけで
はなさそうである。
 今回、一番に感じたことはこの東京は街そのものと、そこで生活している人たちとモノが作り
出される環境と風景が知らない間に”より、悪趣味”化へ暴走していると感じたこと。(これは
先週、大阪へも行ったのだがここの”悪趣味化”は東京のそれよりも尚、悪いと感じた。)
 例えば、環境と風景を考えた”調和”、自分と他者と社会を考慮した”調和”すら感じる事が少な
くなって来た。大半の日本人は自分たちのやりたいことや楽しい事、ハッピーな事は願望し現実
化へ努力するが、出来る事なら”責任”は取りたくない、自分たちの行為に対しての”リスクと
コスト”は出来れば、避けたいという群衆の溜まり場が都市化してしまったようだ。
 その根幹は、個人が人間的な端正さで生きるよりも、個人が群がって、責任転嫁が可能な集団
の中で楽に生きればいい、という生き方を選択してしまったようだ。
 又、季節柄だからであろうか、路上を闊歩している若者達の服装から今や、”躾と恥じらい”が
喪失してしまったようである。業界人たちがこれをファッションや流行またはカジュアル化、
個性化と思い込んでいるのなら僕は大いに危惧する所である。思慮深い人が少なくなり思想亡き
群衆が中流化から”ハイソ”を気取り始めたプロセスとその表情としてのこの街の様は結果、
ファッションも含めて、”悪趣味”以外の何者でもない。
 多分、本来の”よき趣味”を知らない拝金主義者たちの群集がメデアにより、大いなる勘違いを
しているだけなのだろうが、これを王道に嗜める人たちがいるのだろうか?これからの子供たち
が成長し生活しなければいけない僕たちの国の将来を考えると恐怖をも覚えてしまう。

 巴里•コレから見たファッションの世界の進化とは?; 
 さて、今回は僕が滞在していた時期に起こった事、考えた事のいろいろなトピックスを
"Le Pli"的視点で深読みしてみよう。

 1)[21世紀のカジュアルウエアーはスポーツ、下着とセックス。
そして、そのコンセプトはネオ・プロテクション]

 ‘93年、当時、W&LTブランドを展開していたデザイナーW.V.ベイレンドンクに
インタヴューした時の事をお互いが良く覚えていて先シーズンのパリでの彼のショールームでも
その話が話題になった。あのときの僕の質問が彼のコレクションから、将来、21世紀のカジュ
アルウエアーは[スポーツ、ランジェリィ―とセックス]という発想を彼に問い掛けていた事が、
今年になっても彼は覚えていた。
 僕にとっては‘90年代始まりまでの、かつてのモードは[ラッピング]がコンセプトであった。
醜い身体つきをどの様に美しく見せるかの為のラッピング。
 そして、’92,3年ごろからのモードは[カヴァーリング]をコンセプトとして当時のモードを
僕は読込んでいた。着る人たちの身体つきが良くなったことからもう全身を覆い隠さないでも
見せたくない所だけをカヴァーする事がモードの新たな役割になったという発想だ。
 それに、美しくなった身体つきをより美しく見せるためのスリム・チューブラインとそのため
のシースルーで伸縮自在な合繊素材がより多く開発されモードによって日常化された。
 そして、21世紀も近くなった時、J.P.ゴルチェを筆頭に先のウオルターも然り、彼らは
[スポーツ、下着とセックス]を日常化し始めた。この時の僕のコンセプトが[プロテクション]だっ
た。当然、これらの世界で使われている”素材と縫製技術”までを含めて、これらが新しいモード
カジュアル化へと”進化”するという理論を僕は既に展開していた。
 スポーツウエアーの身体の動きと、外界に機能するプロテクションと、下着の皮膚とこころ
に、気分に優しいプロテクションそして、セックスショップで売られているボンテージやフェチ
なコスチュームは着る人間の生物的性癖をプロテクトするものであるという視点での発想。
 そこで最近の僕のモードに対する新たなコンセプトは[ネオ・プロテクション]である。
全てが不確実な時代、信じられるものは自分の身体。(TATOOの普及化もこの現象であろう。)
そして、現代のプロテクション、[ネオ・プロテクション]とは、“安心、安全、癒し、快適、楽、
性的“などをキーワードとしたもので、決して”守り囲う”ことだけのプロテクションから自分自身
をより、自分らしく安心とポジティブに生きるためのモードの機能になったと見る事が出来ると
いう視点である。
 現代の女性たちを見ていると以前のように[自由]を表現するためだけのモードではなくなり始め
た事も考えられる。もう彼女たちの自由はすべて手に入るものになってしまいむしろ、安心出来
るのであれば人と一緒でも良い、マークやブランドそして、メデアが提案する着こなしで自分た
ちの[属]が明確になること、プロテクトされる事がファッションを着る事であるというある種の
パラドックス化状態ともう一方では、時代の雰囲気に遊び、楽しむための彼女たちが持ち得た
ポジティブな服選びでもあろう。
 プロテクションには大きく分けると”4つのカテゴリー”がある。
「自然、身体、社会的モラルそして心的安心。」
 これらのプロテクションを[スポーツ、下着そしてセックス]でヴィジュアリティに、
ミュージュックマインドとヴィンテージテイストも忘れてはいけない安心の大きな要素として
どの様にバランスよくまとめコレクションを行うかが今のプレタポルテの時代性になった。
 そして、カジュアル性は日常性やウエアラブルを必然とするし、時代性ではこれらをどの様な
”贅沢感”を持ってまとめ味付けをするかがヴィジュアリティと共に、今後もより進展するだろう
 従って、[消費するデザイン]としてはデイテールに凝ったデザインよりも素材と色調やプリント
と分量がデザインにおける大事な勝負どころになる。
 例えば、カモフラージュ/迷彩服。これも今ではアーミーで代表される自然と人間との距離感
からの迷彩だけではなく、都市に生活している人間と都市風景との距離感で発想できる迷彩も
必要な時代性。
 20世紀は[距離の消滅]の時代であった。が、もう今では僕たちの日常生活では携帯やPCと
言う情報機器の発達によって[距離の消滅が完了]が為され始めている。これからのこの21世紀は
[距離の再確認]と言う時代性をコンセプトにすればより、この[ネオ・プロテクト]と言う僕が提言
するコンセプトが大切になるだろう。
 やはり、モードの世界も[ポスト・モダン社会]の中で確実に人間的,五感的に進化しているの
が、うれしい。
 Ex..デザイナーでは、ベルンハルト、ラフ・シモンズ、Dior、J.ガリアーノなどなど。
ひも、コード、ベルト、尾錠、ボリューム、羽織る、巻きつける等のファンクション。
そして、素材ではラッテクス、光り物、ぬめり感あるモノとフォトプリントもの。
イメージ・シンボルンとしての”プロテクト”はポッチェルリの[ヴィーナスの誕生]の右側の女性。
そして、これらのコンセプトは、“Home is not a House.”。”安心と快適さは家だけではない。”

 2) [21世紀を意識して動き始めたヨーロッパの都市が面白い。]
 僕が今回訪れた都市はヴィエナ、巴里、アントワープ、チューリッヒ、バーゼル、ブラッセル、
ロッテルダムそれにトリエスタ。これらのヨオロッパの都市は20世紀まではそれぞれの国におけ
る都市であったのが現在ではEUの都市になってしまった。そこでこれらの都市ではここに来て
自分たちの都市は自分たちで独自に活性化し、21世紀の今後のためにも経済面だけではなく
”文化の領域”に於いても自分たちの都市の伝統と共にアイデンテイテイを大いに生かしてゆこう
という積極的な動きが各都市で始まったことである。これは、日本にいて、書物を読んだだけで
理解できることではない。実際にこれらの都市を徘徊しなければこの空気感と鼓動は感じられな
い事である。
 特に、モードの世界ではこれらの街はベルリンやアムステルダムも含めて以前より教育面が
活発化し始めている。各都市や政府の行政が自分たちの国の若いデザイナーたちをバックアップ
し、オーガナイズするためのファッション研究所を設立したり、サイトを立ち上げ、自国の
デザイナーたちと巴里へ進出している他国のデザイナーたちとの情報交換を企画したり、
ファッション・コンテストやイベントを都市を挙げて行い始めている。例えば、ヴィエナでは
学校関係者たち自らがセレクト・ショップを始めるなどの動きもある。又、モード系の展覧会
企画を国立の美術館が主催して行う機会も多くなってきているし、モード雑誌がここに来て多く
発刊され始める。
 これらの動きに共通する事は学校関係者たちと産業界そして、市や国にまでも抱え込んだ動き
を取っている事だ。そして、これらの殆んどが若い人たちが意欲と責任を持って率先して携わっ
ている事である。
 では、東京では何が為されているのだろうか?
「枯れ木も山の賑わい。」状況を変わらず、勘違いした人たちで構造化されているだけの
現実感しか感じられないのは僕だけであろうか?

 3)[早ければ来春かもしくは来秋には中国からの巴里コレ参加デザイナーの
コレクションが見れそう。]

 中国のデザイナーたちもかつての日本人デザイナーたちと同じように、巴里でコレクションを
やりたがっているデザイナーたちが増えてきている。毎年、我が国を訪れるモードサンデイカの
理事長グランバック氏も東京の前か後には必ず、北京や上海を訪れている現実でも読める。
 そこで彼へのインタヴューによって聞いた話では、遅くとも‘05年をめどに中国人デザイナー
のコレクションが巴里で見れるようだ。
 現実は多くのデザイナーたちが希望しているのだが、彼らたちの殆んどは未だ、その水準に
達していない事を理由に延ばし延ばしにされているのが現実。
 そのため、巴里サイドは毎年、春に南仏のイエール市で行われているファションコンテスト
[フェステイヴァル・イエール]を利用して一度、このコンテストで彼ら中国人デザイナーたちを
受けその後、パリコレ登場を企て、このコンテストを中国で開催をも考えているという。
 この裏面には、パリの若手デザイナーたちを中国の生産環境の情報と紹介するためでも在る。
かつての日本人デザイナーがこの街へ参入して来たときの‘72年以降の事を思い浮かべてみよう
 “憧れのパリコレ参加“後、当然の様にメイド イン フランスのデザイナーブランド商品が堂々と
日本市場へ登場しその後、80年代を待って、日本企業とのライセンスビジネスもスタートした
という過去が証明している。日本における現在のファッションビジネスと市場構造と状況の全て
が、この“憧れのパリコレ参加“というミッションとモチヴェーションによって高揚され以後、
現在の状況へ発展した記憶は忘れてはいけない。
 これは「文化は武器」と発想した彼らたち、フランス人の強かな所である。この戦略は最近
では’90年代後半からのソ連崩壊後の”ロシア市場への参入”と”ブラジル市場参入”があった。
そして、次なる”新しい顧客”は中国。
 中国における、‘08年と’10年、北京オリンピックと上海万博という経済戦略のための国際
イベント以後の中国へ、日本企業はどのレベルで、どのような規模で経済参入が参入可能なの
だろうか?或いは、計画がなされているのだろうか?
 今の状況ではアフリカとの関係性においても同様であるが、全てが、”中国の後追い政策。”
でしかない。

 4)[工場に主導権が再び握られ始めたEUファッション産業界。]
 ‘90年代初頭、ベルリンの壁崩壊以降のロシアと東ヨーロッパの変動は当然、この
ファッションビジネスにも大きく影響を与え,新たな産業構造を再構築し始めた。
 その一つが、東ヨーロッパ地区のユダヤ人達が新たな生産地として再度、認識され活性化し
始めたことであろう。
 又、ポスト・モダン社会以降、このモードの世界も幾つかの大きな変革があった。
“普遍的物語“としての独創性豊かなファッション・クリエーターと彼らたちのクリエーションの
末期的状況下、ファッションデザイナーの質とタイプが変質したことがある。
 もう一方では、メデアの高度な発達によるヴィジュアル化社会の発展によるイメージの高度化
と進化の結果、“ファッション・デイレクター“が登場し、もう一つ、最近ではオリジナルとコピ
ーの境界意識が希薄なシュミラクールとしての“ファッションDJ“さえもが登場して、“大きな物語
から小さな物語“へ、多くの”どんぐりの背比べ”的なデザイナーが増殖した状況になってしまった
ことであろうか。これは言い換えれば、“情報のスピードとその量“の進化によって誰でもが
デザイナーになれる環境と何でも有り状況がこのモードの世界の現在を”進化”(?)させた。
 こんな時代であるからデザインする側より、実際にモノとしての服を生産する工場が今まで
以上に、”大きな力”を持ちはじめ、政治的にも発言権を振るい始めたのがここ最近のEUのモード
環境の現実である。ここには、従来からの“ユダヤ ビジネス”の更なる発展化が読める。
 デザイナーたちが、幾らすばらしいデザイン発想力やアイデアを持っていても工場が生産して
くれなければ実ビジネスにならない。この状況によって、最近では若手の才能あるアントワープ
デザイナーたちが、アントワープには工場が殆ど無い為に、消え始めていることや、オランダ勢
がその生産背景が極小のため、思ったより伸びない事も現実になる。
 最近、パリのファッションビジネス・エリートを育てる学校”IFM”では、サンディカ理事長
でもあるムッシュ グランバックが30名ほどの生徒たちを連れてイタリーとイギリスの工場見学
を行い、生徒たちと工場との”お見合い”コミュニケーションを図った。
 今思うに、’80年代も後半、バブル経済期にカシヤマが今は亡くなられた、故中本氏の
アイデアでイタリーの工場企業”ジボ社”を買収した一件は、彼の時代を読む眼と現地在住からの
経験と発想が無ければ今の世界に於けるカシヤマの存在は決して、実現していなかった。
以後、カシヤマはこの”ジボ社”を持った為にデザイナー契約に彼ら達独自のプライオリティが
発揮できたのである。作る生産環境が在ればその中に必要なソフトとしてのデザイナーは自分
たちが主導権を持って選び放題である事をこの”ジボ社”とカシヤマの連携プレーは事実を教えて
くれる。
 それに、ZARAやMGOを代表とするモードに於けるグローバル化が定着したのも”工場主権”に
よっての現実である。実際、モードの環境がここまで変革して来た一方では、この反動として、
“手作りもの、リ・メイクもの“がクオリテイー・アップした事、その存在価値を少し高め始めた
のも事実であるが。
 現実として、日本のファッション産業環境と構造を「日本的21世紀型」へ、再考しなければ
ならないだろう。世界のファッション産業環境が21世紀型へと変革し始めたのだから、
余計である。

 このようなパリを取り囲む世界のファッション産業の現実をもう少し、深読みすると、
「素材・生地関係も、生産工場オーナー達もそして、トレンドをデザインするデザイナー達も、
その彼ら達をプロモーションするビジネスマンやリテーラー達も、そんな彼ら世界をメディア化
するインターネットをはじめとしたメディア業界もみんな、ユダヤ人たち」
という強力な世界が再構築され始めたということなのである。

 5)[誰が21世紀のYSLになるか?真剣に探し始めたパリ。]
 老舗エルメスがJPゴルチェを次期デザイナーにした事はこの街にとっても、正論過ぎるほどに
正論であった。
 今、巴里のモード関係者たちは誰が次の、YSL的存在になれるか、誰を推そうかと必死に、
詮索している。
 言い換えれば、フラン人デザイナーで、フレンチテイストをフレンチモード的に演出できる
YSL的中心デザイナーを物色しているのだが、殆んど誰もいない状況に気が付き始めたのも
今なのである。
 「フランス人、フレンチテイスト、フレンチエレガンスそして若手ゲイ。」
これが条件であろうがG・ユーキヴィッチやアレキサンダー・マチュ―でも未だ、不十分。
では誰?エルメスにおけるJPゴルチェの起用は既に、彼が同系列会社のデザイナーであるため
最も、当たり前すぎるほどの選択で会った。しかし、彼を推すしか今は若手が居ないというのが
現実なのだ。
 僕も次期デザイナーの件ではエルメスの友人へ僕なりの候補デザイナーリストを作ったのだ
が、この時もゴルチェは彼の作風から言っても、本命中の本命で面白くなかった。
 日本のモード関係者たちはどれだけ本意に、21世紀のモードを背負って立つ“ポスト川久保玲
やヨウジ“を育てる気はあるのだろうか?または、もう必要ないのだろうか?

 6)[ゲイマーケットが冷め始め変革を迫られているメンズファッション界。]
 確実に、2シーズン前から世界のメンズマーケットが変化し始めた。
この10年以上の間、そもそもは‘85年来、ゴルチェが登場し「オムオブジェ論」をコンセプト
にメンズ界の教祖的存在になって以来、特に’90年代の若手メンズデザイナー達は自らたちも
そうであって当たり前のようにゲイ化し、ゲイマーケットをターゲットとしてビジネスを行って
きた。だが、ここに来て“エイズ以降“彼等、ゲイたちの生活様式が変化し始めた。
 彼ら達もそれなりのライフスタイルそのものを楽しむ方向へ転化し始めたからだ。
その主流は、健康スポーツ志向へ向い、高級スポーツ・ジムでの身体造りに励む事が彼らたちの
ライフスタイルでのプライオリティーになる。続いて、イベント参加、CD&DVDとライヴ・
コンサートそして、バイクと旅行、ハイテク機器と料理とインテリア関連と続く。
ファッションはH&MでO.K.という彼ら達の”NEW NORMAL“な時代が新しい。 
 その結果が、“ノーマルな男たちへの普段着を贅沢にオシャレさせよう“という魂胆が再び、
メンズマーケットのメインになり、着易くコンファタブルなジャケット中心の”シンプル&
ラグジュアリ―”がキーワードのコレクションへと変化し始めた。
 その兆候として女性デザイナーたちが、川久保玲、エルメス・オムのヴェロニックやS.リキエル
たちが造るメンズ服が熱くなった。
 日本では“オカマ“マーケットがソフィスティケーテッド可能なのだろうか?

 7)[一ファッション企業Dieselのプロモーション事業でしかなかったファッション
コンテスト、IT’S#2]

 昨年、イタリーの国境の街トリエスタで始まったファッションコンテスト“IT’S”に僕も昨年の
第1回目の審査員でそして、今年もプレスとしての招待で参加させてもらった。
 ここで判った事は、このインターナショナルな規模のファッションコンテストはEUで幾つか
行われている、代表的なものはフランスのイエール・コンテストなどとその最終目的が違って
いることだった。
 考え様では、これも21世紀型といえよう。
現在、行われているファッションコンテストの多くがインデペンデントなデザイナーへのパリ
コレへの登竜門的性格の“イエール・フェスティバル“のようなコンテストか、自分たちの国の
ファッション産業そのもののレベル・アップの為に行われる、スイスの“GWAND“や
素材メーカーがバックアップして自分たちの素材を若いデザイナーたちに使ってもらい新たな
可能性をプレゼンテーっションし、問うためのイタリーの“ミッテルモーダ・コンテスト“等の
種類に分けられるファッション・コンテストなのだが、この“IT’S#2“はスポンサーである
イタリーの”Diesel社”の広告販促と自分たちの企業へ、世界レベルで才能ある可能性豊かな人材を
探し、見つける事が目的のファッションコンテストなのである。
 そのために、世界中のファッションデザインスクールの学生や新卒者を対象にし彼らたちを
選ぶ審査員も世界中から招待した雑誌を中心にメデア関係者、有名バイヤー、ヘッドハンテイン
グオフィスそれに、デザイナーたちを巻き込んだ規模のものとなっている。
 従ってこのコンテストをオーガナイズしているのは地元の”広告代理店”と元、ミッテルモーダ
でオーガナイズをしていた女性が“Diesel社“と組んでの、なかなか強かな構造を構築したもの。
 この規模で、この様なファッションコンテストが出来る“Diesel社“は今、手中にした地元
イタリーの幾つかの生産工場とマルタン・マルジェラブランドそれに、メインのデニムラインが
好調な印なのであろう。ここにも生産背景を手中にした企業が強い証拠を見せてくれている現実
がある。
 この勢いで行くと“Diesel社“はここトリエステに“Dieselタウン“を作って、ファッションと
ストリート・スポーツとアートそれに勿論音楽、ゲームをエンジョイさせた21世紀型の
「ファッション・アミューズメント・タウン」を環境化してしまえば面白いのにと僕は考えて、
知り合いである“Diesel社“の社長へ提言する。
 本当は,日本にこの様な21世紀発想の新しいファッション環境が街ぐるみの規模で
プロジュースされれば面白いし、今後の対中国戦略とアジアにおけるファッション・キャピタル
としての可能性が考えられるのだが。
 21世紀も10年を過ぎる頃には僕たちの国、日本は今後、「観光立国」としてしか国際的には
立場が無くなるであろうから余計である。
 東京アパレルが自分たちの新たな人材を捜す時にこれだけの心意気で“規模とリスクとコスト“
を掛けてやるだけの企業が在るだろうか?

 8)[みやげ物ブランドを考える価値がある東京アパレル。]
 僕の思い込みでの将来の日本は先にも書いたように「観光立国」化するしかないであろうと
真剣に想っている。
 勿論、「日本的新・観光国」である。ファーイーストとしての、伝統的なる日本、世界遺産の
日本各地、ポスト・モダンの先進国としてのハイテク・日本そして、アニメ・ゲームと風俗をも
含めた東京・アミューズメントこれに新たな産業、お台場カジノがやがて加わるであろう。
 この根拠は2008年の北京のオリンピックゲームと2010年の上海での万博以降の中国が
かつての日本よろしく確実に、物的欲望を喚起する「大衆消費社会」構造へとイデオロギィーに
関係なく、“様変わり“をしてゆくと読ん時に、この発想が一つ考えられる。
 僕は世界のファッション ラグジュアリー企業の最近の東京進出ラッシュによるこの街の
様変わりはその殆んどが、対中国へのプレゼンテーション機能も考慮された“サンプル都市化“
状態がその根幹だと認識している。なので、その中国からの観光客を呼び寄せることが、これか
らの「日本的新・観光立国」化と、インバウンドには欠かせない”お得意様”であろう。
 そこで、「日本的新・観光国」の”土産物マーケット”が気になり、日本のみやげ物の実態をTV
で見た。全国のみやげ物菓子で一番が歴史的にも江戸時代から在る、お伊勢名物の[赤福]で年商
約90億円。続いて比較的歴史の浅い戦後の商品、北海道の[白い恋人たち]、これはJリーグ誕生
と関連があり、これで年商約85億円。すごい事である。東京の[東京バナナ]も新興みやげ物では
トップ。これらはワンアイテム・ビジネスである。もしかしたら、[消費されないデザイン]という
コンセプトが適応されるであろう世界だ。
 これをファッション業界で考えてみたらどうだろうか?
多分、[古着 ]や[裏原]ブランドそれに「竹下通りブランド」が僕はこの分類に入ると思っている。
この街へ来たら買って帰るT-シャツそして、馴染みになるブランドそのもの。言い換えれば、
[街ブランド]である。そして、この手の元祖は大川ひとみの[MILK]であろう。その証拠に今の
[裏原]系ブランドのデザイナーと称されている藤原ヒロシを始めとした連中はひとみさんに可愛が
られて社会へ出てきた連中が多い。当然、彼らたちのメディアとの関わり巧さも大いに手伝っているが。
 40年近くの歴史の戦後のこの国のファッションアパレル産業も気が付いてみると未だ、
[ナショナルブランド]といえるブランドが無い。例えば、”ブルックス ブラザース”、”ラコスト”
”バーバリィー”などなどである。
 日本の大手アパレルが売上を競っても所詮、ワンブランドの最好調期は3,4年周期しか継続し
ないのが現実である。日本には、戦前からの素材メーカーと生産工場が構造化された産業環境に
よって再発展してきた戦後アパレルと、それに続くデザイナーブランドとキャラクターブランド
そして、“裏原“系の1発屋ブランドの現在に至るまでそして、最近では“SPA型“という小売業が、
その生産背景を中国方面へ発展させた「大量生産と大量販売」構造をグローバル時代の波に
乗ってモノつくりを行い、ワンシーズンにより回転数を多くし、実質の売上を伸ばして来た
「SPA型」アパレルが現在までの日本のファッション産業の変革であろう。
 そして、そのための情報量と速度はインターネットによって加速し、従来のMDは今では
より消費者へ近づき、店頭MDが大切な情報源にもなっている。
 しかし、我が国のファッション産業の最終コンセプトは40年経っても変わらず、
「消費されるデザイン」と「差異としての時間差的価値観」でしかない。
 ”グローバリズム”と言う汎世界的経済構造を構築された現在、この辺でファッションデザイン
も「消費されないデザイン」というコンセプトで新たなビジネス方式を考えてもよさそうであ
る。
 ならば、今後の「観光立国化」と「スーベニィール・ファッション」という新たなビジネス
コンセプトも考えられるであろう。

 9)[21世紀の新しい環境とランドスケープとしてのプラダビル]
 最近、“六本木ヒルズビル“が出来たが、これは残念ながら[遅れて来た20世紀のショッピング
テナントビル]でしかない。美術館を併設しているが、所詮”貸しビル業”出身の仕事である。
 従って何一つ、新しいさ在る商業施設としての21世紀を予言し、それを構造化していないし
また、21世紀の風景も作り出してはいない。規模が大きいだけで環境もアクセスも都市機能も
そして、テナントとそのデベロップメントも20世紀型の延長でしかない。
 その一方で、遅れて出来上がった“プラダビル“は21世紀の顔をしている。
建築そのものだけではなく、使っているマテリアルもそうだし、敷地の使い方、ユーティリテイ
としての空間の使い方そのものが新しい。幾つかの勾配斜面を作り上手にゾーニングし決して、
大きくない敷地を見事に豊かに新しい“ランドマーク化“している。地元の従来からの風景を、
横裏に当たる所に在る“マニマンダラ“のハーフチェンバー様式の建物を上手に取り込んでもいる
 そして、僕が1年前に提案していた「垂直のガーデニング」をここでは苔/モスをネット上に
仕込んだバイオ・タイルを作ってこの敷地境界面をゾーニングしている。強いて、欠点を言えば
地下への導入部のエントランスのデザイン的こなしと素材感が今一貧弱である。この建築設計は
バーゼルの建築家ユニットが請負った。
 これから、表参道界隈は日本人建築家の作品ラッシュになる。伊東豊雄のTOD’Sから黒川記章
に、妹島和代のDIORそれに向かい側に安藤忠雄。さて、どんな21世紀を彼らたちが”環境と
ランドスケープ”として見せてくれるのであろうか? 
 決して、東京をニューヨーク化する事が21世紀ではないことに気が付かなければならない。

 番外) [次期パリ・コレでのトレンドは‘92,3年が再び???]
 湾岸戦争、ジェンダー、フリーダガーボ、レゲエミュージュック、パンキー、不確実性、不安、
グランジ、リ・メイク、厚底、デ・コンストラクション、フィット&ルージイ―、プリント、
ニュー・迷彩等などと、何でも有りのモードの世界のトレンドと称されて発信された”環境と
ランドスケープ。”
 そして、クリエイティブ・コンセプトは「ネオ・プロテクション/ネオ・カモフラージュ」、
イメージング・ソースは仏映画「レオン」であろうか?

 [終わりに]
 もう一度、再確認してみよう。
「僕たちは既に、21世紀に生きている事を❗️❗️
そして、僕たちの未来を豊かにポジテイフに考え、
 次世代の子供たちのための「大いなる空想旅行」を❗️
そして、「新しい環境とランドスケープ」を思惟してみよう。
 ならば、それから逆算して今を考えたとき、
本当に今、ファッションデザイナーは何をデザインしなければいけないか?
 この新たな方法とは?この発想と順序付けが大切なこと、
それ自体が時代性ではないだろうか?
 これが21世紀型「アヴァンギャルド、再び!!」の真意と根幹である。

 [過ぎてゆかない過去]の中で漂っている僕たちの21世紀から大きく窓を開け、
未来をポジチィフにかつ、思慮深く感じ考えてみよう。
そのための“深呼吸“も忘れないように!!
合掌。
初稿/2003-08-26:
文責/平川武治:

投稿者 : take.Hirakawa | 2003年8月26日 20:37 | comment and transrate this entry (0)

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