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NEW-2 「東京コレクションシーズン雑感。」A/W '04~'05版
「東京コレクションシーズン雑感。」
1)
バーゼル芸術大学のモード科主任教授の初めて見た東コレとその環境。
最近は、気がついてみると東京へ戻ってくる機会が少しずつ少なくなって来ている。多分、巴里、アントワープに加えチューリッヒでの仕事が加わりその結果であろう。
今回は丁度、東京コレクション時期と友人のバーゼル芸術大学のモード科の主任教授が初来日して居るので比較的多く彼女と東コレを見る機会を持った。
(彼女の学校は例えれば、スイスにおける『東京芸大のモード科』にあたる。)
彼女、PIA Himmaneは自分自身でリスクを張って、約半年の長期休暇をとり最初の2ヶ月程をタイ、ベトナム、カンボジア、ラオスそして、ハワイ経由で東京に入り、自分で家を探して3ヶ月の東京生活を始めている。実際に僕も彼女と一緒にアパートを探したのだが、外国人、女一人そして3ヶ月という条件では普通の不動産屋は皆無。鼻から断られ放しを経験し結局、比較的条件の悪い外国人専門のアパートを蒲田に借りることが出来て、今では楽しく東京生活を行っている。
ヨーロッパの多くの学校がそうであるように彼女の学校も3年生になると最初の半年は自分たちが希望するデザイナーのアトリエや企業への研修参加が義務付けられている。そこで彼女はこの機会を利用して経験として憧れでもあった東京のファッションシーンを体験し、出来ることなら東京の学校と自分たちの学校とで生徒たちが交換学習を出来ればさせたいというもうひとつの目的を持って来日した。そして、実際に彼女が幾校かの学校訪問を行ってみると現実の答えは殆ど決まっていると嘆く。『それは是非、やってみたいのですが、今は未だ、、、、』それと廻っているうちに基本的なレベルが違うことにも彼女は気がつき始めた。そこで今度はショーを見て彼女が興味を持った東京のデザイナーのアトリエで研修が出来ないかと。これも現実では『TOGA』がO.K. を出してくれたがやはり、至難。これから『ミントデザイン』や『ATO』を回ってみる予定だがコレはかなり可能性が無きにしも非ずというところであろうか?
残す、3週間ほどでどれ位、彼女が最初に夢見ていた東京ファッションシーンでの学校やデザイナーとのコラボレーションが可能か?
これも現実としての現在の東京ファッションレベルの一端であろう。
そして、彼女が見た限りあるコレクションの中では、『TOGA』『FLABOA』『MINTDESIGN』『SUNAOKUWAHARA』などに好感と興味を持ったという。そして、少し彼女にとってはきついモノが在ったキッチュな『DRESSCAMP』はある面でとても東京的だったと。彼女は自分の経験と立場上、何のために洋服をデザインするかの『根っこ』を読む。その発端としてのコンセプトそして、クリアティヴィティを重視する。 これらは彼らたちの発表された服と彼らたちが感じた時代の雰囲気が質よく、高く提案されていて、何のためにデザイナーと自称する人たちがコレクションを発表するのか?その根本的な『根っこ』の部分の世界観が全体のビジネスマインドや売名行為以上にオリジナリチィを感じさせるかにプライオリチィを持ってみた結果だという。
その結果、全体的にはビジネスが優先されていると感じたらしい。
これはヨーロッパにおける国立芸術系ファッション学校ではアントワープもアーネム、ラ・カンブル等も同じ視点である。[質の高い創造性と時代感]を好きな服の世界で教えるという立場を取っているからであろう。
僕が海外でコンテストや彼らたちの卒コレで学生たちに接する時の最近の視点は『クレアティヴィティ、クオリチィ、イメージ、ウエアラブルそして根っことしてのコンセプト』であるが、巴里・コレ等でのプロの仕事になるとこれに『プライス』という項目を加えて評価し、これらのそれぞれがどの様なバランスでまとめられているか?が評価の軸としている。
2)
戻って来る度に東京は『悪趣味』が蔓延化している。
これはこの街が持ち得てしまった一種の時代感なのかも知れない。かつての’30年代初頭にはドイツを中心として『キッチュ』が登場した。時代のあだ花としてのキッチュ。
今回は巴里のデザイナーJEAN COLONNA を連れ立って帰国した。
彼も日本企業とのビジネスマネージメントが巧く行かず、あれだけの才能と実力そして何よりも人間的に豊かな感性と魅力を持った、巴里のモード界では誰からも愛される人柄の人物でも日本企業の幼稚さと無知さ、それに何よりも企業のエゴ優先とそこで働く個人がリスクとコストを回避するのが当たり前の環境の中では彼の知的創造性と繊細な感性は破壊されてしまった。
彼にとっては2年半ぶりの東京を一緒に1週間すごした。
現在の東京ファッションビジネス構造は『新たな「ターミナル型」と「郊外型」の2極特化』である。ターミナル型は以前のようにその代表がデパートではなくなり、各所に出来ている駅ビルがこのマーケットの中心である。このマーケットのコンセプトは『コンビニアンス』。(フランス語では、敏速、便利、便宜、簡単にと言う意味)ファッション情報カタログ雑誌によって発せられた消費情報を元に、どれだけスピーディーにコンビニアンスにファッションコンビニ的駅ビルブチックでショッピングが出来るか?の進化(?)
もう一方の郊外型は確実に戦後日本社会の発展を新たな生活環境とした『時間消費型』のそれである。自分たちのテイストと感覚に合ったファッションショッピングが自分たちの地元住環境で出来ることの満足感と安心感がこのタイプ僕はこれを『ファッションヂィズニーランド』化と呼んでいる。この郊外型で今一番ホットだと言われているAEONで代表される旧量販型ショッピングセンター等は正しくこれであろう。
休日はもう街へ出てゆきたくない。家族みんなで安心して時間を生活空間全般と化したファッションショッピングで楽しもう。女物の店には男モノも子供モノまで揃っている。当然、服だけではなくいわゆるファッション小物からコスメまで。そして今回、驚いたのは愛犬用ファッショングッズまで揃っている事であった。そして、現在のTVメヂィアを中心とした大衆娯楽の世界はより、低俗化が進化するのみであり今、東京のファッションの環境はこの低俗化したTVタレントやいわゆる芸能人を媒介とする事で消費のモチベーションを挙げているのが現実である。その証拠に元々センスの悪い芸能人ご用達のスタイリストたちが同じ狢たちの雑誌メヂィアによって勘違いさせられてもう幾年も経てば彼らたちの勘違いも日常化してしまっている現実。そんな結果であろうか、東京のテイストが『悪趣味』化している。先ほどのペットブームに見られる消費現象も然り、街を闊歩する女性たちのいでたちには個人の上品な趣味性は殆ど姿を消しユニフォーム化されて仕舞い、『悪趣味』を悪趣味と解らない世代が登場しているのである。対峙すべき『良き趣味』を知らないで育ってきた世代。彼らたちからは既に『躾と恥じらい』という言葉が死語になっているのだろうか?もし、これが死語となってしまっているのならファッションの世界も新たなシーンを必要としているしそれが現実化していてもおかしくはない。東コレを見ていてもこの傾向に気が付く。先に挙げた『DORESSCAMP』などはこの時代の風向きに順風漫帆なのだろうか?少し時代を先取りしてしまった結果が受け始めていると想うのだが。戦後60年間で社会構造の中に殆ど、『クラス』が無い現実は一方では『趣味性』を欲し、他方では『悪趣味』が現実。 多分、この矛盾は2010年まで『あだ華』となって進化し、消費の強力なモチベーションとして進化して行くだろうがその後は、上海の万博が終わった中国が巨大な大衆消費社会構造を確実に稼動し始めると僕たち日本人は悪夢から否応にも目覚め、新たな21世紀の日本の役割を謙虚に捜し始めなければならない。
そして、外国人たちの眼差しはこの『21世紀版悪趣味ジャポニズム』を早熟に感じエンジョイし始めたのが今。[完]
投稿者 : take.Hirakawa | 2004年05月27日 07:02