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<2004年6月>[コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展]企画・解説に参画して。
平川武治のノオトブログ/”ARCHIVES Le Pli-07;"
[コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展]企画・解説に参画して。
初稿/2004-06-30 :
文責/平川武治;
ご存知だっただろうか?
6月14日からコムデギャルソンの東京本社内のワンフロアーを利用して
「コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展」というのが始まった。
1)はじめに;
'60年代後半に立ち上げられたこのブランド”コム デ ギャルソン”の黎明期は”三人”で創業した
ブランドであった。そして、現在では数百人という従業員の企業体になっている。
このCdGブランドの黎明期を知っている業界人やジャーナリスト達はその数も減って来たのが
現実。この状況は、当のCdG企業内の社員も然りである。
現在のCdGブランドとその商品しか知らない社員が増えて来たことを危惧なさった、オーナー
デザイナーである川久保玲さん本人の発案でこのとっても贅沢な企画が発案なされ、僕が具体的
なこの展覧会のためのコンストラクションを提案させて頂き現実した。
「うちも、人数が多くなり、昔のコムデギャルソンを知らない社員が多くなって来たの。
なので、そんな社員たちに何か、”コムデギャルソンとはどんなブランドだったのか?”の何かを
やっていただけない?」と言う趣旨が発端。
そして、「私はご存知の様に忙しくって、時間がないんです。」「あなた、手伝ってくだされ
る?」で、僕は大喜びと言う次第。
これは、ファッション企業多けれどたぶん、世界でも最初の試みであろう。
1週間のみの展観であり、観客対象はコムデギャルソンの社員のみ。アトリエで働く人たちも
各地のショップで働く人たちも総て,社員が対象。正に「プライベート・ミニ・展覧会」で
ある。一企業が自分たちの社員のために、思い切り私的な発想と規模と条件で行われたとても
”贅沢な展覧会”である。
本音を言ってしまえば、“企業トップ”としての義務と責任感の強靭な表れであろう。
そして、その内容はどこへ出してもおかしくない寧ろ、出せば、確実に一般のファッションに
興味がある観客たちに感動と興味と楽しみそして、お勉強が出来るまでの「小規模だけど充実」
した展覧会が始まった。
2)”The Root of the Comme des Garcons” /
ーーー「全く育ちの違う3ブランド。それでも、同じ服。」
前述の様に、企業コムデギャルソンは自分たちの新しい社員へ向けて何かしなくてはという
ある種の危惧からの責任ある行動として今回の企画展[コムデギャルソンのためのコムデギャル
ソン展]の発端になった。
若い、新しい社員が年々増えてくる。彼らたちとの”共通言語”を模索しなければならない。
そして、その共通言語で共有して行かなければならないこととは、それらが今後のこの企業の
存続と隆盛を決める。もしかしたら第二の渡辺潤也が生まれる可能性だってある。
[コムデギャルソンとはどんなブランドなのか、どんな服をどのような精神と時代観で創って
来たのか、どのようなメッセージを時代毎に発信していたのだろうか?]
所謂、[コムデギャルソンらしさとは?]を服屋は服で語ろうという極シンプルな試みである。
そのためにこのブランドは贅沢で高品位なアーカイヴを持ち得てしまっているので川久保玲は
それを利用して何かやれないものかの思いと責任感がこのミニ・コムデギャルソン展に進展し
それに僕も企画とこの展覧会のための解説を書くことに加わった。
3)"The Concept for the constractions"/
ーー第1回目であるので、明快なコンセプトを提案した。
‘92年を軸と考えた。この年はモードの世界観が大きく変化の兆し表し始めた年である。
クリエーションでは、[モードが地上へ舞い降りてきた。]即ち、特権階級者のためのモードが
戦後の新市民階級者たちのモードになったように、このころ、バブル経済崩壊後から新たな市民
階級者が認知された。
そして、モードを提供する側はいち早くこの新・階級者たちを見逃さず、自分たちの新たな顧客
に加えるためモードをより、中産階級者のためのものへとストリートから誕生した当時のサブ
カルチャーやユースカルチャーの影響を受けたミュージュックカルチャーのMTV化、ストリート
スポーツの大衆化その結果としての、グラフィチィや古着の再流行、リ・サイクル、グランジ、
リ・メイク、リ・ミックス等など、ストリートでの”リアリティ”が音楽シーンと共に大きな影響を
受け、モード化され始め、提案され始めた時代の動きがあった時だ。
次に、イメージ戦略と広告戦略に湯水のほどに投資して自らのブランドのイメージ再建に、
エゴイスチィックに半ば、暴力的にファッションメディアを巻き込み結果、トム・フォードと
いう今までこの世界には不在だったスーパースターが「ファッション・ディレクター」として
誕生し、自作自演を演じることでグッチブランドの再生化に繋がるというこの世界ならではの
荒療法を持って登場した。
彼はN.Y.の地場産業とも言っておかしくは無いこの街の広告産業を見事に利用したイメージ
戦略と広告戦略を持って登場した。その後、この影響は言わずと知れたもので、モードの世界で
再び[ラグジュアリーブランドの時代]を誕生させるまでに至った。プラダ然り、ルイ・ヴィト
ン然りそして、あの”LVMH対PPMR戦争”へと突入して行ったことは忘れてはいまい。
これらの影響を順風万帆に受けてその後の変化を、このモードの世界をより市民生活者へ向け
進化させたのが、[モードのグローバル化]だった。
アメリカのインダストリアル・ファッション・クロージングの世界即ち、アメリカの軍服、
作業服メーカー上がりの衣料品世界の人たちが、発達したテクノロジーと通信技術を利用した
世界規模でのMD戦略とラグジュアリィーたちと同じレベルのイメージ戦略に投資し、中国、東南
アジアを一大生産基地として世界を目指した。その成果がやはり、‘92年に巨大「GAP」再生させ
た。以後、北欧という新たな地誌から”H&M”が。そして、工場ブランドを世界規模のグローバル
化させた”ZALA”や”MANGO”もこの’92年以降の現象結果である。
当然ながら、この世界規模の新たなファッションビジネスは新・市民生活者たちの手ごろな
”ファッショナブル日常普段着”として巨大マーケットを築き始め、既存のプレタポルテファッシ
ョンデザインビジネスを「低価格」と「高イメージ」で大いに脅かし始めた。
この最盛期はまるで、[ラグジュアリー対GAP] の勢いまでを感じさせるほどだった。
当時は彼らたちの狭間に挟まれたプレタポルテ・ファッションデザイナーたちは瀕死や溺死状態
たったといっても過言ではなかった。拝金至上主義な、ファッション・メディア誌上で大いに
屈辱として、広告ヴィジュアル先行のビジネス戦略に自分たちの肩身の狭さを味わった。
この年’92年に”ブランド・ジュンヤ”が東京でデヴィーした。CdGも確かに、この時期以降
[ストリートテイスト]を認識した美意識と創造性を持って実際にハッピーに着れる事を大いに
意識したこのデザイナーらしさの品位ある作品群へと進化していった。
例えば、反対に”V&L "などは’90年代半ばから、これ見よがしの、”着れないファッション・
オブジェ”を、遅れた視線でこの世界へ侵入してきたファッション・プロパガンダなフェローに
過ぎない。
僕の今回の企画においての”眼差し”の一つとして[‘92年]がこうしてコンセプト・キーワード
となり、展覧会になった。
そこでの展示方法は’92年を代表とした「GAP」と「CdGとジュンヤ・W」をある種哲学的発想
を持って[二項対立]的手法と空間演出を行った。
[CdG]が‘92年以降の彼らのアーカイヴから代表する創造性豊かなストリート性が強いものを
トータル50体と’92年の[ジュンヤ]デヴューコレクションを初めとした50対余り。それに、
[GAP]が40体ほどの規模で、を[二項対立]の展観となった。
「全く育ちの違うこの3ブランド。それでも、同じ服。」
ここでそれぞれのブランドが持つブランドらしさ、そして、見え方が同じ服であっても当然
[根っこ・ルーツ]が違うことによる”差異”をあらゆることから、たとえばこの会場がかもし
出す違和感などと雰囲気からも、身体で感じ、心で読んで欲しいという願いがある。
4)この展覧会のための書き下ろした”拙筆文”を記しておこう。
解説 / 平川武治:
主旨 / ”The Root of the Comme des Garcons”
ーーー「コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展」:
「あらゆる人やモノそして、存在する全てのモノには「根っこ」があります。
いわゆる「ルーツ」であり、「育ち」の根元です。
しかし、高度で充分すぎるまでのステレオタイプの情報量が主役となったこの日本の現在社会
の環境では、ただただ、私たちの目先を通過していくこれら時代の表層、過剰情報の取捨選択と
それらを再編集する作業のみで、日常が慌ただしく過ぎてゆくことが、クリエーターと呼ばれる
人たちでさえ、彼らたちの日々の現実の繰り返しです。
この様な私たちの日常の風景の中での「根っこ」は自らによってその存在確認すらされない
まま表層のみが社会化され色々な環境や風景を形づくっているのが現在の東京のリアティーで
しょう。
自らの「根っこ」を自認し、再確認しつつ、ディシプリンしてゆくことでその結果としての
現れが社会的に認知され、認識されやがて、それらが関係、時間、質量そして、存在と経験に
よって「根っこ」は「育ち」、人あるいはものやブランドに「あり得るべき良き姿の本質」で
ある<品性や品格>が備わってきます。
初めての試みである本「コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展」の主旨は
ここにあります。
新たに働く人たち、もう既に働いている人たち、即ち、企業コムデギャルソンの社員の人たち
に、自分が働いている企業コムデギャルソンの「コムデギャルソンらしい創造性」とは何かを
自らの眼と心で感じ理解してもらうためのミニ・エキシビジョンです。
今回の第一回展は手法として<二項対立>的なある種、哲学的発想をもって、ブランド、コムデ
ギャルソン及び、ジュンヤ ワタナベの'92年以後のコレクション・アーカイブの中から
「コムデギャルソンらしい創造性」とは何かを。
他方、'92年以後台頭し始めたアメリカ発のファッション産業のグローバリゼーションブランド
の先陣、インダストリアル・ファッションクロージング・ブランド「GAP」 製品との対比に依る
展観を試みました。
この展観をエモーショナルに経験する事に依って自らの心の安心と自信が拡がり、それらが
自分たちの直接の企業内の職域での仕事へ、新しい発想とそして、本質的なエネルギーと昇華し
ていくことを願います。」
<二項対立におけるコムデギャルソン>
・与えられたものとしての身体、肉体をどう拡張するか。そこに創造の必然性がある。
・構築されたものとしての教養、美意識、関係、時間、存在などをいかに再構築するか。
そのためのルールの解体がコムデギャルソンらしい創造である。
<二項対立としてのGAPブランド>
・インダストリアル・ファッション・クロージングの現在のあり方の一つ。
・MDとイメージング+工業製品としての衣料品=ファッショナブル・インダストリアル・
ブランド。
・日常性としてカジュアル、カンファタブル、デイリー、チープ、マスプロダクト、アウトドア、
ストリートウエアー、ユニフォーム/スクール、ワークス、スポーツ。
そして、”会場構成”は、これらの解説文がグラフィカルに白地のパネルに書き込まれている
だけの風景の中に不連続な連続性を感じるまでのトルソーが建ち並ぶ。
5)おわりに;
ーーー「総ての人が、アーカイヴを持ちえ始める。」:
これからの時代においてかつて、過去という時代が決して持ち得なかったことが一つある。
それは、「総ての人が誰でもが、企業がグループがアーカイヴを持ちえ始めた。」ことである。
誰でもが持ちえたアーカイヴだが問題はその量ではなくやはり、「根っこ・ルーツ」と
「質・品性」だろう。それ以外はゴミでしかない。
コムデギャルソンがこの企画を実行出来たのも彼らたちのアーカイヴが本当に、総てが高品位
で品格が感じられるまでの高水準の作品群だったからである。これらの作品群を創造し続けて
きた企業の存在と環境にも敬服である。ここからこのデザイナーの「根っこ」の一つとしての
”気骨と気概”がここまでの現実を成就させたことも読み取れる。
「根っこ・ルーツ」を認識することとは、自分自身のアイデンティティを確認することで
ある。植物の世界ではこの根っこにも2種類のタイプの根っこがあるという。
1つの根は広く大きく、所謂「根が張る」という表現の根でありそして、もう一つは深く
しっかりと太く、所謂「根ずく」タイプだある。
多分、人間の特異性にもこれは当てはまるであろう。
こうして、それぞれがアーカイヴを持ちえるようになった時代では自らのアーカイブを通じて
自分の「根っこ・ルーツ」を思い巡らすことも大切な時代的行動行為である。
そこから「未来」が顔を覗かすことすら在ろう。
今回の仕事によって僕が経験したことは自由で自分らしい経験をコストとリスクを持って積み
重ねてゆけば経験そのものに自信が持てる事。それを土壌に考え、思慮深さを積むこと、再認識
すること、再調査をすること。そして、編集することと再学習であった。
「博物館学または図書館学」そして、「美術館学」もそうであろう。
今後、アーカイヴが増加状況を創ってゆくことが時代性となった時、「収集学」とでも言う学問
が、時のニューメディアとともに新しい”博物学的発想”が面白く、重要なものになってゆこう。
今後の展覧会を考えるときもこの時代性は大切な一つのメッセージになろう。
6)さいごに、
ーーー「よい展覧会とは?」;
昨年のチューリッヒでの展覧会企画の経験も入れて僕なりのよい展覧会企画とは?を
考えてみよう。
展覧会企画は、ある意味で「映画を作るのとよく似ている。」良い”シナリオ”が必要である。
どのようにこの展覧会を見てもらいたいかの”シナリオ”である。
即ち、展覧会のコンセプトである。
また、この”シナリオ”によって空間造形や導線が構想され構築される。
見せ方としての”ショーイング&照明方法”。それに、キャスチィングとしての展示物の
バランスのつけ方と並べ方などなど。
今ではもう昔の展覧会のようにお勉強だけの雰囲気では楽しくないであろう。
現在では「展覧会ビジネス」と言う新たなビジネスの領域が、「総ての人が、アーカイヴを持ち
始める。」と言う時代性ゆえに誕生しているからだ。
現在の展覧会に必要なサーヴィスポイントとは?
1)エモーショナル。感情を与える。
2)興味を与える。
3)楽しみを感じさす。
4)お勉強が出来る。
5)情報が多くある。
6)満足感がある。
7)そして、もう一度感。
8)物販という機能がある。
これらをどのようなレベルとジャンルでまとめ上げるかが展覧会としても重要な時代性である。
例えば、この発想にあの、「デズニーランド商法」もある。ここにはもう一つ、「食」が
加わっている。
これらはこれからの日本の社会環境を考えれば、”ファッション産業”にも適用できる。
総てが、「サーヴィス業」。生業としてゆくならばこれらのサーヴィスは物販でも必要になって
くるはずだ。自分たちのブランドの売り場はいくつのサーヴィスが必要か?という視点だ。
最後に、「社員へのサーヴィス」までを知的に考えた企業トップ、川久保玲。
彼女は自分たちのアーカイヴを使って「根っこ・ルーツ」を知ってもらうことで、この展覧会を
共有し経験した人たちへ「自信と意欲」を与える術として、”服と服”から発せられる共通言語を
もって、”サーヴィス・コミュニュケーション”を投げかけた。
この結果としての、「共有したエモーション」と「共労する社員たちの”モチベーション”」と
いう新たな「共有言語」が生まれたであろう
付記;
6月14日から22日までの1週間の開催期間で約400人ほどの人たちが
この展覧会「コムデギャルソンのためのコムデギャルソン展」を見てくださった。 感謝。
初稿/2004-06-30 :
文責/平川武治:
投稿者 : take.Hirakawa | 2004年6月30日 08:50