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雑誌[TOKION] 主催:シンポジューム[TOKION CREATIVITY NOW]

TOKYO FASHION GOES GLOBAL
参加パネラー;
Nobuhiko Kitamura/北村信彦(NK)
Ako Tanaka/田中杏子(AT)
Takeji Hirakawa/平川武治(HT)
Hiroshi Fujiwara/藤原ヒロシ(FH)
司会;宇川
U: と言うわけで一回目のパネル「TOKYO FASHION GOES GLOBAL」なんですけど、というか、こんなヤバいメンツと一緒にラフォーレのステージに立っているという意味が未だに把握できませんが、皆さんこれって初めて顔を合わせるのでしょうか?このステージの上で。
A: いえ、そういうわけでは。
U:そうですか。さっき、それぞれのプロフィールをみんな見たと思いますが、ファッショんと言っても四人は様々ですね。例えば平川さんだったらライターをされていたり批評家的立場からファッションに関わられていると思われますし、北村さんはデザイナーですし、田中さんはエディターで、ヒロシさんはプロデューサーという形だと思うんですけど。まあ一概にそう言っていいのかは分かりませんけど…。それぞれがそれぞれの視点で今の東京のファッションシーンというものを見て、どういう形で、お仕事をされているのか、聞いてみたいと思ったんです。どうですか?
FH: 仕事ですか?僕は多分、半分ドロップアウトしている状態なので、今はファッションには、あんまり携わってないですね。
U: なるほどなるほど。ドロップアウトというのは、ファッションシーンからドロップアウトされているという事なのですか?
FH: うーんと、シーンというよりは、洋服を作ったりしている方かな。
U: えーと、「グッドイナフ」とかは、今は機能していないのですか?
FH: いや、多分やってるんじゃないですか?僕はやめました。
U:え、じゃあ、ドロップアウトされて、今は音楽をやられているという事でしょうか?
FH: いや、そう言うわけでもないんですけど。
U: なるほど、ははは。
FH: なんかいろいろやっているのはやっているんですけど、比重の中ではドロップアウト気味かなと。正直言って。
U: それって理由はあるのですか?気分で?
FH: いや、理由は無いんですけど、あのー、もっと一人で動きたいというか、あんまり、ちょっとでも自分に関わってくる部分が大きくなってくると、責任感がないというか、個人で動けるという状態にしたかったんです。
U: D.I.Y.として動けるという事ですか?
FH: いや、D.I.Y.じゃないですけど。
U: ファッションて、個人で動く事って凄く難しい事なんですよね。やはり。
AT:やっぱり民衆というか、まわりを巻き込まないと、ファッションになっていかないと思いますが、ヒロシさんは、たぶんそういう意識はないんだけど、凄く巻き込んでいるのではないかと。
U: いや、どう考えても巻き込んでるでしょ。というか、巻き込まれまくってるでしょ、みんな。自分自身も巻き込まれまくってるし。実際あの~、日本で、ヒロシさんと完さんが「タイニーパンクス」をやられた時、ポパイで初めてアディダスを二人が着ておられてそれを見て、自分達も(アディダスを)買ったような世代だから、思いっきり巻き込まれてますよ。北村さんも、本当にDCブランドが完全に日本を圧巻していた時代にヒステリックグラマーを立ち上げましたじゃないですか。そのころの、コムデギャルソンやY'sやイッセイミヤケさんの洋服をみんな着て、でー、そういう時期に、黒一色とモノトーンでストリートが埋まっていた時期に、キャラクターブランドとしてなのかどうかは分からないのですが、とにかくヒステリックグラマーを立ち上げたという、凄い実験的な運動をやられていた人だと俺は思っているんですけど。今も深くヒステリックグラマーが根付いて、購入されているという歴史というのは、どういう所に存在しているのかなと思っているんですが。
NK: どうなんすかね。ちょうど僕が、ヒステリックをやり始めた頃って、ちょうどDCブランド一色というか、そういう。でも、個人的には、以外とアンチな方向だったんですけどね。DCブランドのあり方みたいなものに対してなんですけど。もちろん、さっき言われた川久保さんやそういった人の、その、洋服を好きで購入するわけではないんですけど、彼女がやっていた、というか今も現役でやってますけど、そういうモノ作りに対する姿勢に対してだとか、彼女の考え方とかは、ものすごくリスペクトしていたりしているんですけど、あの当時あった「DCブランド」という体勢に対しては、比較的あんまり、そこに加わらないように存在したいなあっていうところでやっていたので。ある意味、後に、ヒロシ君なんかも張本人だと思うんですけど、「ウラハラ」というブームが若手の間で起こりましたけど、僕にとってはどっちかというとそっちの方が「お、やっとこう言う時代になったんだな」って気がしましたけど。
U: でもそれって90年代後半じゃないですか、
NK: そうですね、ちょうどヒステリックも今年で20年目にあたるのですが、やり始めて10年目ぐらいですよね。
U: そのぐらいでやっと世の中が変わり始めたと認識されたわけですね。
NK: 変わってきたし、東京という街自体が面白くなってきたんじゃないかと。それに反応する海外の街っていうか、凄い東京を受け入れてくれるようになったというか。DCの段階ではあまりそう言う事ってなかったですよね。
U: そうですよね。
NK: 日本からパリコレだとか、そう言う所にアプローチして、で、やっていくうちに受け入れられていた時代だったので、逆に海外の人達が、東京に来て、というのは、僕は逆に90年代以降のことなのだと。
U: ですよね、凄い実験をやられていたのだと思いますよ。
NK: 実験と言うか、もともと何かを作る仕事をしたくて、で、個人的にはファッション自体よりも、もっと音楽ですとか、そっちの方が好きだったんで。
U: なるほど。で、その裏側では、原宿の街にタレントショップが氾濫していた時代じゃないですか。今はそこを、あの、ストリートブランドが占領しているという時代だと思うんです。例えば、シブガキ隊のフックンがブランドをやっていた時代じゃないですか。
TA:ありましたよね(笑)。確かに。
U: ありましたよね。あれもー、ブルドックのキャラだったんですよ。あの時期。後、みんなやってましたよね。コロッケもやってもましたし、タモリもあったし。それが原宿を覆い隠していた時代に、北村さんはヒステリックをやられて、その裏っかわではDCブランドブームみたいなものがあって、そこで闘ってこられたんじゃないかなーって思ったんですけど。
NK: まあ、その、やり始めちゃった以上(笑)、スタッフもいますしお店もありますんで、結局ドロップアウトしたくても、なんかももう、自分の所有人達というか、それを考えちゃうと、なんかもう、ドロップアウトできないというか(笑)。そのままずるずると続いちゃっているのだと言えば、そうなのかもしれないけど。
U: ドロップアウトしたいと思った時期はあるのですか?
NK: いや、しょっちゅうありますよ。常に。
U: で、そこで平川さんが批評家として、どんな形で北村さんがやられた、DCブランドの時代からあった流れを客観視しているのかなっているのが、みんなの知りたい所だと思うんですけど。
TH: こんにちは。僕は77年から84年までアパレルをやっていて、それをグっと延ばして、倒産しました。それで、服を売る事、もうける事、会社が潰れる事、全部一回はやって、まあその前に僕は5年間、僕はヨーロッパをフラフラしていて、今でも僕はファッション・ヒッピーをやっているのですが(笑)。まあここにいる方は皆さんファッション・ヤッピーの部分を持っているのかもしれませんがね。72年から75年までロンドン、そのうちの一年は芝居をしていました。それから東京に帰ってきて、というか芦屋に帰ってきてから東京に出稼ぎにきて、たまたまロンドン時代の友達がビリケンのアクセサリーをやっているところにいって、それからまあ、始まったのですが。まあ、マネージャーみたいな事や、ロンドンのアイランドレーベルの仕事をやったりしていましたが。
U: いつ頃のアイランドレーベルの仕事をしていたのですか?
TH: 73年から。ファッションに関しては、77年から84年までそういう感じですが、僕は今でも雑誌をやりたいという気持ちがあるぐらいですから、今度は書く側になって、たまたま僕が書いた原稿をそれなりの人が読まれて、「面白いジャーナリストが出てきたぞ」ということになった。先ほど僕の紹介の中に、ライターという言葉を使ってらっしゃいましたが、僕のカテゴリーでは僕はライターではない。ライターというのは、傍観者が、さも分かったように書くのがライターだと思う。僕はある種、当事者として生きていますから、そういう意味では、僕の目で、経験で、感じた事しか書かないと。そう言う意味では自分は評論家だと思っているし、評論家の自分のキャリアを持って今学校で教えたり、2ヶ月はパリで生活し一ヶ月は東京で過ごすという生活をして。84年に評論があって、たまたま、東京という塀の外にもぐりにいったら、たまたま違った世界を見てしまった。まあ先ほど皆さんでお話しになられていた話は、僕にとってはそれぐらいのものでしかなくて、その存在は感じながらも、自分はパリを行き来するようになったと。塀の外の世界というのは、確かにその当時魅力はありましたし、これはこれで、ある部分、一流のクオリティというのは凄く大切だと自分は思うのですが、自分にとってのクオリティというのはどこにあるのかと。まあ、それを初めて20年間、パリコレはメンズレディースともに全部見ています。毎シーズン。まあ、だからファッションに関してはほとんど知ってますし、80年代後半から出てきたデザイナーなんて、ほとんど友達のレベルで知っています。その影響で、9年前から、アントワープのロイヤルアカデミーの卒業コレクションの審査員、それ以外にヨーロッパのヴィクターアンドロルフが出たアーネムの学校とか、昔ヴィヴィアンが先生をやっていたコンストというベルリンの学校、それからラフが今先生をやっている学校の審査員を頼まれたら冷やかしにいったりしていますが。今直接の仕事は、スイスのちゅーリッッヒで文化庁直属でファンデーションがあるのですが、そこと組んで東京で何かやりたいというので、何かやりましょうと。でまあ僕はファッションは、このメンバーの中では一番古いと思います。まあ、歳も一番食っていますしね。
U: じゃあその批評的な視点から見て、今のファッションシーンってどう映っているのかっていうことが気になるんですが。
TH: 表層を見たら面白いでしょう。で、その面白さっていうのは、こういう今の東京の社会環境には合っているし、当然戦後60年も経てば、60年の中からある種の文化的な形態というのは出てきていますが、果たしてそれが文化かどうかってことについては、僕はまだ分からないです。それからここにいらっしゃる原宿から育った人、今DCっていう言葉が出ましたが、DCブームのルーツを見たら、結局のところ、ラフォーレ原宿がベースになって、原宿で店を張り、それなりに認知してもらって、それでやっと全国区に認識してもらうと。
U: ということは由緒正しき場所であると、ここは。
TH: そうです。その時にラフォーレとマガジンハウスが、その当時まだTD6から東京コレクションになった時に、もう一方でキャラクターブランドばかりを集めた「原宿コレクション」というのを、この場所でやったわけですよ。その流れが、基本的にDとCが、つまり、デザイナ-(D)とキャラクター(C)とがくっ付いて、今のDCブームになったと。その辺からいくと、原宿から産まれたのは、僕流からいくと、この土地、あの当時の社会接点としての界隈と、それをつなぐ消費文化としての一つの拠点の「ラフォーレ」という商業テナントビル、その前はパルコですが、やはり日本のブランドのデザイナーというのは、その時代の新しい商業施設と出会って一緒に延びてますよね。
U:なるほどなるほど。様々な要因があって、初めて形になると。
TH: 初期はパルコ、それからラフォーレで彼等が出てきたと。当然やっぱり、当事者ですよね。その強みは、彼等はやっぱり持ってますよね。ただ僕はやっぱり、自分がパリやクリエイティヴやいろんな要素の中でファッションを見ていますから、失礼ですけど、原宿のブランドは、ある種の「街ブランド」だと思っているんですよ。それはこれからある種の機能性を持ってくるんです。僕はこの後2010年以降というのは、日本というのはある種の観光立国にしかなり得ないと思っているんです。2008年の北京オリンピック、2010年の上海の万博が終わったら、中国というのはある種の大衆的社会構造を持ちます。そうなると日本は一体どうなるのか、という話です。科学技術立国にも戻れないし、農業立国にも戻れないし、単純に観光立国か、もしくはコンテンツ、今みなさんが少し絡んでらっしゃる、ゲームや音楽などを使ってなんとかするしかないと思いますけど、そう言う時にはこういう「街ブランド」っていうのは、結構ある種キャラクターを持ってくると思いますよ。僕は「街ブランド」としての元祖は、大川ひとみさんだと思っているんですよ。
U: なるほど、MILKですね。
TH:ひとみさんがいて、やはり、色んな「街ブランド」出てきたと。僕は口が悪いですけど、「ウラハラ」というのは、「ファッション・モナカ」だって言い方をします。ね?土産物ブランドで良いんですよ。
U: 平川さんは「スーベニールブランド(お土産ブランド)」だと言ってますが、こういう言い方についてはどう思いますか、ヒロシさん?
HF: あのー、僕覚えていないんですけど、「ウラハラ」って僕がつけたらしいんですよ。
U: そうなんですか?!それって激レアじゃあないですか。
HF:それは「原宿の裏」という意味と、「裏腹」だというダブルミーニングという意味でたぶん言っていたと思うんですけど、あまり自分では覚えていなんですけど、まあそれは、別にほんとは何も本質的には無かったと思うんですよ。ウラハラって何も。
U: 渋谷系とかと同じ事ですよね。
HF: うーん、どうかな。ただ、ジョニオやらNIGOやらがお店を始めて、それで、それが売れてきたというか。当時はまだバブルが終わったばかりで、家賃とかも凄く安くて。多分最初にお店をやった時に、まだ家賃は20万か30万ぐらいだったと思いますよ。
U:ゲッ!どこでですか?
HF: ウェンディーズの裏だったんですけど。「NOWHERE」があった時に。
U:エーーーッ!何平米あったんですか?あそこ家賃20万だったんですか?!激安じゃないですかあ!!!!
HF: 誰でも出来るって言っちゃああれですけど、凄く安く出来たし、凄く手作りでやっていたし、僕だってオープンの前には朝まで内装みたいな事も手伝うような感じでやっていたから。さっきおっしゃっていたような、ホント、ファッションと呼ばれるような者からはかけ離れていたものだったと思いますね。で、まあそういう事だったので、ウラハラというか、そういうことは無かったというか、そういうものはあんまり無かったと思うし、もしあったとしても、もうそんなフェノメナはとっくに終わっていると思うんですよね。
U: なるほどなるほど。っていうか、裏腹って無かったとしてもあったとしても、今言われたNIGOさんやジョニオ君とかがやられていた事というのは94年や95年といった話ですよね。で、その辺の、さっき平川さんはお土産カルチャーと密接に機能しているっておっしゃってましたけど、なんかその、東京の街性というかストリート性が支えている部分がかなりあると思うんですよ。それでいて何が悪いのか?、っていう問題もあるんですよね。
HF: いや、悪いも良くもないんですけど、さっき平川さんがおっしゃった話だと、MILKはお土産じゃないということですよね、どちらかというと。
TH: だけどMILKも最終的には、僕は、あれは「元祖街ブランド」だと思っているんですけど(笑)。
HF: はいはい、どっちかというと僕はMILKは凄く好きと言うか、良いものだと思うんですよ。むしろお土産物だというのなら、むしろ「CREAMSODA」という事だったりだと思うんですけど。
TH: それはあるよね。だけど今みたいに、街が全部が、「ウラハラ」という一つの固有名詞で呼ばれるようになったら、例えば今の若い中学生や高校生が、あんた達がよく載っている情報誌を見て、それを片手にブラブラを修学旅行をするわけでしょ(笑)。

HF: だから僕は、APEだとかそう言ったものは、どっちかというと、MILKよりもCREAMSODAなんだと思うんですよ。
U: 絶対そうですね。
TH: だからそういう意味で言ったら、元祖であるだけ、ひとみさんは一つ格が上だと思う。彼女の生き方といい、信念といい。僕は彼女の大阪時代から知ってますからね。
U: あ、でも、格付けってする必要はあるんですかね?
TH: 何にも無い、っていうかファッションなんて全く自由の産物だから。好きだ嫌いだというのは、個人の裁量に任せれば言いわけだからね。ただ、それを煽るのが日本のメディアだし(笑)、僕流に言わせれば、日本のファッションの一番の問題というのは、ある種のメディアにあると。ジャーナリズムに。
U: それは、ブランドがメディアになるという事ですか?
TH: いやいやメディアそのものがね。
HF: さっき僕が言ったみたいに、原宿のそういう人達とか、もちろんNIGOもそうだと思うんですけど、ほとんど手作りから始まったと思うんですよ。あの、DCブームというのはどうだったんですか?例えばNICOLE だとかBIGI だとか。
TH: さっきね、家賃20万という話がさっきあったけど、単純に言えば原宿というのは、竹下通りで、単純に言ったら、昔の17、8年前の、ヒステリックが出てきたのもその辺の時期だったと思うんですけど、とりあえず、自分達で手作りでブランドを立ち上げて、手作りでビジネスをやり始めて、悪く言えばワンシーンでヒットとなるワンアイテムをとれば、これを2年、2シーズンはなん…。
HF: あのー、そのもうちょっと前の、NICOLEやメンズBIGIだとかという時代からですか?
TH: それは、いやゆる…。
HF: その事は凄く華やかに見えていたんですよね。僕からみると。
TH: それはやっぱりねスズヤがあったりタカノがあったり、その時代の新しいディストリビューションがあって、それまでは、結局は樫山だとか、デパートに対するアパレルという関係性でしかなかったわけ。アパレルは当然デパートって枠の中で勝負をするわけだから、それにあったもんしか作らないわけですよね。それ以降に、高田健三以降に男の子も文化(服飾学院)に行って、服をデザインして商売したいという奴らが現れて。その当時そこそこの不動産系の連中がバックアップして金を出して、当時所謂マンションメーカーという、マンションを貸し与えて、そこをアトリエにしてデザインするという。その結果がBIGIになりNICOLEになったという事ですよね。それは当然その裏にタカノがあったりすゞやがあったり、それに影響を受けて又デパートがコーナーを作って自分達がフランチャイズを作って、という。そういう、当然見えている部分と、その後ろでそれを継続させるためのビジネス的な戦略というものが当然ありますよね。で、キャラクターに関して言えば、当然さっきヒロシ君が言ったように、原宿というのは経済コストが安かったわけです。だから、竹下通りは、今でもそうですが、8時以降は陥落しますよね。8時までの世界ですよね。渋谷にはある種の「ショッピング」と「ファッキング」という世界があっても、原宿には、ある部分では「ショッピング」しか無いわけですよ。これはやっぱり、原宿のクリアな部分だと思っているんですよ。それで、当然ランニングコストとしての不動産やビジネスコストが安い所に、若い人達が、当然自分達がやりたい事をやる。それが気が付いたら「点」が「面」になりはじめる。「面」になって、それをメディアが煽る。で、出来上がったのが俗にいう「ウラハラ」なんでしょ?それは勝手にメディアがカテゴライズした部分であって、やってる当事者達は別に意識しているわけじゃないんです。自分達でやりたい事をやっているんだと。そういう意味で言えばランク付けする必要も格付けする必要もないし、ファッショんなんて自由だし。ただこれからは、ある種のグローバライゼーションという時代が来たら、ローカリティをどれだけ世界に出していくかが、それは ビジネスに繋がる一つの方法なんですよ。
U: なるほど。そう言う意味では、さっきの「街ブランド」という意味においては…。
T: そうそう。これから東京が東京である為には、日本が日本である為には、できるだけ外国人旅行者をここに呼んでくるか、それとも外国人が住みたくなる街にするか、これによって東京のカルチャーってまた次のランクに変わっていきますよね。
U: でも別に、そのローカリティって、別に海外に住んでいる人達に機能するものじゃあないですよね。実は今の原宿のブランドは、ちゃんとコミュニティ-を作り得ていると思うし、自分達のリアルなコミュニティでもあるし、それが海外から見れば、実はそれがさっき言われた「お土産カルチャー」と密接に結びついている部分もあるという事だと思うんですけど。それっていうのは、さっき「対デパート」とのディストリビューションシステムの話をされてましたけど、あのー、そことは全然かけ離れたところにあるんじゃないですか。
TH: だから、かけ離れているから、彼等は新しいものを作ったんです。別に(今)ある機能は作る必要は無いんです。今の時代もそうですが、全てあるんです。自分に必要なものをどう自分の経験と勘でセレクトするか、それはある部分で今のDJや音楽と一緒だし、ファッションも97年以降全くクリエイティビティというものを失ってしまったし、ある種の新しい想像というものも、経済的には全く無いです。ある種のサンプリング、リモデリング、リミックス、リメイク、これはファッションの世界でもそうだしアートの世界でもそう、全てそう。だから彼等はある部分で、違う土俵でそれなりに自分達の好きなことをしてても、それなりのレベルに来たら、それはひとつ、共有するステージに立ってしまえるということは事実ありますよね。
U: なるほど。だから、今言われている音楽産業みたいに、インディーのアーティストが資本の側に吸収されてメジャーデビューして消費されていく流れとは、また違うところにあると思いますよ。あのー、でもそれは、純粋にディストリビューションシステムとの話だけですよね。
TH: だから今のデパートも、それは駄目だとわかっていて、どういうふうに、新しい東京の環境と風景の為に自分達のスペースを作るかと考えていますよね。
U: それを「ヴォーグ」のエディターをやられていた立場から田中杏子さんはどう見えているのか、を聞いてみたかったりするんですけど。
AT: そうですね、やっぱり私が働いている雑誌は、西洋型というか、外資じゃないですか。やっぱり、西洋のファッションというものを日本のマーケットに向けて、メディアという形で出しているんですけれど、やっぱりで、どうなんだろ、ヒロシさんもそうだしヒステリックもそうなんだと思いますが、いわゆる自分からの発信型ですよね。東京というものをベースに、自分達が良いと思ったもの、面白いと思ったものを、反対に海外から「面白いね」って受けている部分があるじゃないですか。やっぱそう言う意味で、日本のメディアも、もっと日本の土壌というものをクリエイトしていく側に立たなければいけないなと思っているんですけど。さっき平川さんが、メディアの問題だとおっしゃりましたが、ホントその通りだと思うんです。
U: それは北村さんが一番目撃されているんじゃないですか。
AT: 反対に、海外に向けて輸出しちゃって、ちょっと受けると、日本のメディアも飛びついちゃうという。やっぱりそこら辺が、もう少し本当は、我々の立場から、もっと違う視点でクリエイトするってことを考えなくてはいけないなと。
TH: そう言う意味で、それぞれの国の街のローカリティというのを、それなりのメディアがどう世界発信してあげるかによって、最初やっぱり10年前のアントワープができたというのも、現実です。
HF: でも、現実的に、今からそれはこれからどんどんと難しくなるんじゃないですか。こんだけ情報が早く回って。
TH: そう、だから、その情報が早く回るという部分を、どうやっぱり自分なりにバリアを作るかという事が必要だよね。20世紀は僕流に言えばスピードの時代であって、距離の消滅に全ての文化が出会ったからね。21世紀は、早さなり、ある種のモバイルなりで距離というものが完全に消滅してしまった。それ以降というは、やっぱりどれだけ自分達なりに時間のバリューを調節するかも、これも、みんなが出来うる自由の一つのなってきましたよね。
U: そうですよね。唯一限られた不自由というのは、それぞれは一日24時間しか与えられていないという事ですからね。でも、ヒステリックグラマーをある一つのモデルとして考えたら、ヒステリックグラマーは20年間、独自のスタイルを築いて、その、自分達が敷いたレールの上を、普遍的なカルチャーとして、日本に根付かせたという功績が確実にあると思うんですよ。その北村さんの立場から、今言われていたような、あのー、メディアとの関係や、情報との距離が完全になくなって、その時にトレンドというものが、どういう形になっていくのかについてどう考えるか、聞いてみたかったりするんですけど。
NK: うーん、そうすね、だから、まあ、トレンドとなるとまた話が別になってしまうんですけど、大概のデザイナーの人というのは、その年その年テーマみたいなものがあって、それをショーで見せたりしているんですけど、僕の場合あんまり、なんて言うんですかね、毎年見せるようなテーマなんて持ってないんですよ。
HF: 僕が思うに、ヒステリックグラマーは、一番メディアとかけ離れたファッションをしていると思いますけど。僕なんかは、凄くメディアを利用して、利用されて、両方でやってきたけど、ノブなんて、全くそれは感じられないというか。言い方悪いかもしれないけど、やってきたことはずーっと同じで、同じ感じでずーっときてて、メディアにこびる事もなく、メディアがたまによってきたり離れたりの繰り返しをやっているように見える。
U: いや、でもね、ファッション雑誌としてのマスメディアとしての媒体ではなく、例えばDMBQと最近CDをリリースされたりとか、実はその、ファッション雑誌というマスメディア以外との関係性みたいなものを形にしてきている人なんだなあって、思うんですよね。
NK: 仕事を続けている過程において、色んな人と出会うわけですよね。もちろん雑誌関係の人もいるだろうし、音楽関係の人もいるだろうし、で、そこで出会って、次に何か違う形のものが出来たりとか。まあ、どっちかというとそっちのほうが楽しくてやっているのであって、ヒステリックグラマーっていうのは、まあ、そのなんて言うんですかね、僕的にはあんまり変化を付けずに、なんていうのかな…
U: 消費を加速する運動には加担せずに、独自な…。
NK: うんうん、だから流行とか、そういう部分からもかけ離れていたいし。
AT: 私ね、なんか、反対にね、メディアにとりあげられたことによって傷ついたというか、何なんだよみたいな事ってあったと思うんですが。
U: ははははは。どうですかヒロシさん?
HF: 一杯あると思いますね。その代わり利用もしてきたので、僕はイーブンだと思いますよ。ただ、ヒステリックグラマーなんかは、あえてメディアを無視してきたんだと思いますよ。そこが、長くい続けている理由でもあると思いますが。平川さんはずーっとメディアに関わっているんですけど、一つのブランドで20年というのはかなり凄いですよね。
TH: 大変ですよね。それはもう立派な事ですよ。昔で言えば、単純にワンデザイナーでワンブランドが30年続けていると言えば、イッセイがグループがいくつかありますけど、一番最初のあれは30年でしょ。ギャルソンで25年、ヨージで25年でしょ。ただ、最近恐ろしいのは、マルキュウのあの辺のブランドが、もう十年過ぎているんですよね。アルバローザにしても10年ですよね。これはやっぱりたいしたもんだと。それと、今東コレやってますけど、あの辺のレベルでいったら、3、4年で普通は一回ポシャりますよね。これはアパレル系もみんなそうですよね。
HF: あんなに大きかったVANでもそんなに長くはないですからね。
TH: あれはもう、内部からの崩壊です。
U: へーーー。
HF: でもブランドとしては期間的に短かったですよね。
TH: 十年弱だね。
U: へー、VANって十年弱なんですね、実は。
TH: だけどあれがあったから、今のストリート系のブランドはあると思うし、もしかしたらヒステリックも影響を受けているかもしれないし、ハリウッドランチマーケットも影響を受けているだろうし、みんなあの時代?それは編集者もそうだし。結局日本のファッションに関わった人達は、VANの後遺症でそれぞれやっぱりその世代のファッションを作ってきたのだと。VANで経験した事を、自分達の新しいカルチャーの中に入れていますよね。
U: VANの後遺症って言葉って、ちょっと凄いですけど(笑)。ふふふ。
HF: でもあの、VANの終わり方が成功だったか失敗だったかは分かりませんが、DCブランドっていうのは、同じ失敗を繰り返したんじゃないですか?
TH: それはね、東コレでもそこに出てくるデザイナーにしたって、なんで3、4年でポシャるかというと、結局はデザイナー社長が、僕から見ると本当にしょうもなく小さいヒエラルキーを作ってしまうというわけですよ。そうなると、入ってくる人間というのは、自分よりも下の人間しか入ってこないわけですよ。みんなイエスマンになるわけですよ。こんな状態が何年も続いたら、それなりの規模や構造であれば、3年でポシャる4年でポシャるかわかりますよね。それから、デザイナーと称する人間達が本当に才能を持っているかどうかだって、3シーズンも見たら、こいつが才能があるのかどうかなんてのは分かりますからね。ただ逆に僕が宇川さんにご質問したいのは、今あなたが使ってらっしゃる「文化」という言葉は、今の段階ではどういう意味合いを持っているのでしょうか?
U: 今の段階での「文化」という言葉ですかあ?そうですねえ。東京における「文化」という意味合いですか?それはやっぱり、自分達が今、生活の何十パーセントを支えてもらっている「思想」だと思いますけどね。それが文化じゃないですか?そこにどうリアリティが関わってくるのかは、受け手の問題だと思いますけど、でも、自分達の生活における思想を支えてくれているのは文化だと思ってますよ。それはファッションにおいてもそうだし、アートにおいても音楽においてもそうです。全ての、食においても、吸っている空気においても、全てにおいて言える事だと言えます。これじゃ駄目ですか?(笑)
TH: (笑)いやいや、駄目じゃなくって、それぞれの言葉の使い方のカテゴリーは違うはずだから。例えばやっぱりさきほどの、えー、民衆っていうか大衆というか、僕の場合、「思想の無い人達』を大衆や群衆って呼んでしまっているんです。思想があれば群衆にはならないはずですよ。だからそう言う意味では、文化というのは、宇川さんがおっしゃるニュアンスは僕とは違うなってことはあったのよね。
U: なるほどなるほど。だから文化の認識が違うんだと思うんですよ。ということはあれですか、大衆を支えている思想というのは、すでに「文化」ではないということでしょうか?
AT: でも、先導者がちゃんといるから、支えられているんじゃないですか?
TH: それは思想ではなくって、煽れば日本の今の大衆は…、ベースは大衆消費社会だから、一生懸命働いて、もうけたお金を何かに使いたい使いたいっていって、結局経済はこういう形になってしまったというわけですよね。戦後の、やっぱり、アメリカの政治力でこうなったわけで。そう言う意味で日本の文化というのは、ある種の大衆消費文化っていう部分で、面白いんですよ。これだけの大衆中流がいる日本、91%中流っていうこのこく人構造が世界的に見たら他には無いわけです。そういう意味で言ったら、地球の上の一都市である東京としてのローカリティというのは、それそのものが売りになる可能性がある。
U: なるほど。それは、あのー、ハードコアな資本主義のお守りとして機能するファッションとしての意味においてですか?
TH: そういう言い方はどうかな。まあ時代そのものが、そういうある種のローカリティを求めているのだと。
U: でも、それだってそういう思想だと捉える事も出来ますよね。
TH: そうそう、それも思想といえばね。ただ、思想というのはある種、その中に、インテレクチュアルな自分が学んできた部分が軸としてあって僕は思想だと思っているわけであって、煽られて成り立つようなものは思想ではないと思うわけね。そう言う意味ではメディアというものは、煽るだけの、誰かそれなりのスケープゴードを作って、それをまわりからメディアっていう機能で煽って…
AT: ちょっと待って下さい、そうしたらね平川さん、メディア側がね、その思想を訴えるじゃないですか。みんながちゃんと思想を持っている人がいるのなら、本(や雑誌)なんて売れないはずですよね。
TH: 今のメディアに思想なんてないですよ。
AT: だから、もちろん。そうではなく、今後ですよ。
U: それをいうなら、メディアっていう捉え方自体も、お互い違うと思うんですよ。
AT: 確かに大衆消費文化のもとにありますよ、メディアというものは。
U: そうですよね。マスメディアはね。
AT: でも、そういってしまうと、何も成り立たなくなってしまいます。
TH: この環境を、ひとつの東京の、戦後の日本のある種のローカリティつまり地域性だとしたら、これをどういうふうに、良い部分を世界に出していくかと考えると、ファッションの世界で言えば、世界のレベルの95%はユダヤ人だから、日本人が入るのは大変です、ということです。入り口まではいけるけれど、そこからはウェイティングをかけられるか、それだけの世界ですよね…。
U: 凄い事を言っていますが(笑)、ヒロシさんはどう思いますか?
HF: さっき平川さんが言っていた「中流」みたいな事があるじゃないですか。その中流のレベルが、たぶん、ここ20年ぐらいで凄く今下がってますよね。
TH: 下がったなりに、残った連中も出てきているわけです。
HF: はいはいはい、幅が広がったってことは…
TH: 下がる奴は当然下がるけど、残る奴もいるわけで、それはあなた達にとって面白い部分だと思うと。ただ、今回パリから帰ってきて面白かったのは、35から45歳の世代にミリオネーゼが出てきている事。IT産業、ゲーム産業、音楽産業など、今まで戦後の日本の社会構造でいったら、金持ちの構造と言ったら、確実なヒエラルキーがあったわけ。20代より30代、30代より40代、40代より50代の方が金を持っていたわけ。これが完全に崩れて、飛び級する奴らが出てきたわけね。
U: なるほど。それは社会が機構化されて、資本側にすり寄らないと、個人にスポットライトが当てられなくなった時代が終わったという事じゃないですか。そう言う事じゃないですかね。
TH: 終わったどうかは分からないですけど、継続して東京の面白さってのは、社会の環境や構造の中に出始めていると。彼等のある種の消費行動力というのは、当然金をもうけた連中は、今の35から45というのは、10年前はオタクですよね。彼等が流行ったのは、ポロとチノの時代ですよ。まあ、その後にTシャツとジーンズというものが出てくるんですけど。
U: そうですねーーー。
TH: そのポロとチノの連中が、10年後にミリオネーゼになって、金を儲けて、その金をなんの為に使うのかというところが、やっぱり大衆消費文化の土壌である我々は、僕は面白い方向性が見えてくるんちゃうだろうかって思っているんですけどね。
U: っていうか、時間がヤバいですね。っていうか、短すぎますねー。すいません、きっと今からだと思うんですけど…。この後質疑応答があるし、皆さん何にも話されてなかったような印象ですよね。
AT: そうですよね。
U: でしょー。一杯質問があったんですけど、全く何も語られなかったような気がするんですけどー。え、ここで皆様から質問を募集したいと思いますが、何か質問ありますか?
え、無いの?!嘘だ!?あ、はい!

お客(C):藤原ヒロシさんに質問なんですけど、雑誌とかで利用した利用されたという話をされたじゃないですか、それをちょっと、ここを上手く利用されたとか、利用したとか、もっと具体的にお話し頂けますか?
HF: いや、利用したというのは、良く分からないです。僕は最初から雑誌に入って、頼まれたりと言うか、モノを紹介したりしたんですけど。今考えてみると、僕よりも一個上の世代の人達というのは、そこにお金を使っていたと思うんですよ。お金を使ってコマーシャルをしたりしていたと思うんですけど、僕は自分がやったブランドだったりとか、人がやったブランドもあれば、友達のブランドもあれば、全く知らないブランドもあるけれど、そういうものを全部紹介するのに一切お金を使ってないんですよね。そう言う意味では利用出来たと思います。
U: なるほど、うはははは。
HF: その代わり、あのー、ある程度、雑誌とともに僕も知名度が出たり大きくなったりしていく上で、見返りとして、僕は、あのー、雑誌社からギャラを一杯もらっていたというような事は無いですよ。そういう意味で利用したり利用されたりという事だと思いますね。
C: 分かりました。ありがとうございます。
U: つまりコマーシャルメディアの使い方ということですよね。
NK: だからあれですよ、雑誌の表紙になるということでも、もう利用されているという事ですよ。
AT: でも同時に利用しているんですよね。ということになりますよね。
U: 怖いなあ、ほんとに(笑)。どうでしょうか、他に質問は無いでしょうか?

C2: 先ほど出ていた2008年や2010年には、日本は観光立国かコンテンツ立国にしかなりえないという話が、実は一番聞きたかったんですけど、あの-、東京のファッションのお勉強はどうでも良かったんですよ、実は僕にとっては、本当はそっちの話をよく聞きたかったんです。で、まあ今この後お時間はもう無いと思うので、これは質問ではないのですが、雑誌トキオン誌上でもそうですし、ウェブでも良いんですけど、皆さんそれぞれのご意見をお聞きしたいです。あのー、その時に、じゃあ、舞台の上の皆様はどうするつもりなのか、そっちのビジョンの方を「Tokyo Fashion Goes Global」というテーマのもとにどういくつもりなのか、そっちの方を僕は聞きたかったです。
U: なるほどね。
TH: だけど、本質的にファッションはやる流行らないとか、ヒストリーという意味で言ったら、最終的にファッションと言うのは社会の環境の変化とリンクしないとモノも流行らないし売れないという。そう言う意味では、ファッションの表層だけを肥大化して話してしまっても目の見えない人が象を初めて触る逸話のように、それぞれが違う姿を想い描くだけで、つまりは、社会とのバランス、我々の生活環境とのバランスがあっての部分だから。まあその部分で僕はそれなりに、少々なりとも先を見る頭が必要だと思いますが。その為にはルーツっていう根っこも必要だと。
HF: さっき平川さんが言ったみたいに、中流だった差がどんどん広がるじゃないですか。どんどんとそうなると思いますよ。そうなったら…
TH: 単純にこの前ブッシュが当選したのだってそうなんですよ。僕流の切り方をしたら、革新の為の保守化という状態がしばらく続きますよ。ただ単純に保守を前に出すのではなくって、何らかの形で新しい方法をとりたいと。そういう為には保守という手段を選ぶ事によるという時代性がこれから出てきますよね。それから先ほど言っていた2010年どうのこうのという話ですが、僕はもう60歳ですけど、我々が戦後アメリカっていうポリティカルなパワーによって、こういう社会環境が築かれたのも、63年東京オリンピック、70年大阪万博、これ以降完全に外国人というツーリストがそれぞれの街に入り込んで、そういう人達の生活を我々は見る事でコンプレックスを抱いて、単純にこの状況が出来たのも、同じ、僕は、手段として、2008年、2010年の上海北京を経て、その後中国はイデオロギー関係なく、大衆消費社会構造をスタートし始めますよ。21世紀までに培った世界の巨大な自由市場構造が、チャイニーズに対して新しい生産性と市場性を求めることは、もう火を見るより明らかですよ。ただ残念ながらそのすぐ横にある日本が、中国に対して何が出来るかって、これからどう組み込まれるかっていうのは、まだ分からないですよね。
HF: 平川さん、僕が最後に聞きたいのは、そのさっきどんどん離れていっていると言ってましたが、今、極論で言って、こういう事を言ったら批判される事も多いかもしれないですけど、例えばユニクロだったりGAPだったりのものって、クオリティも凄く良いわけじゃないですか。で、下手したらエイプだろうがヒステリックだろうがマーク・ジェイコブスだろうが、ユニクロに(そういう他のブランドの)ラベルをつければ、一万円が十万円になっちゃうわけじゃないですか。で、それにはみんな気づいていると思うんですよ。で、そうなった時に、その、ブランドでミリオネアの人達は、ブランドで一万のものが10万だったら、何も見ずに十万の方を選ぶ人も大勢いると思うんですよね。そこで、5万ぐらいのモノを作っている人達っているじゃないですか。それって、僕らだったりするわけですよ。逆にそこの人達は、どうやって生き延びるんですかね?
U: リアルですね(笑)。メチャクチャリアルですよねーー(笑)!
TH: ミリオネアでいけば、彼等の消費というのは単なる見せびらかしでしょう。これ見よがしの空間に住んで、これ見よがしの最上階のビルに住んで、外車に乗って、それでファッションは何着るかと言ったら、誰が見ても「あんた金持ちですね」ってモノを切るわけでしょ。その中で、ディオール・オムが売れているというのはそう言う事でしょ。そういう連中が御用達するのが、今、新宿の伊勢丹のメンズ館がそういう連中が、例えばギュウカクの連中が33、34、これが会長になって、32が社長になって、35の会長がAM/PMを買って、それで何するかって、いろいろ調べたら、やっぱり伊勢丹メンズ館の客なんですよね。そういうレベルが確実に何年かは出てくると思いますが、ここで大事なのは、5万だとかが問題ではなくって、「ウラハラ」から出てきて「ウラハラ」のスピリッツを持っているかどうかによって、5万円がプラスαの価値がつくかどうか、それによって変われるか変われないかということなんだよね。値段の問題じゃないとおもう。
HF: 今裏腹のストリートブランドをやっている人達にとっては、凄い転換期というか、一番難しい時期だと思いますよ。
TH: どう時代を読んで、自分がここに残った側に残るのか、落ちた側の方がパイがおっきいからこっちに来るのか、その選択を迫られるよね。
HF: ですよね。ま、僕はドロップアウトしたので関係ないんですけど(笑)。
(場内大爆笑)
U: そうですよね、ふふふふふ(笑)。そういうことで、ヒロシさんがドロップアウトして全く関係ないってところで、結論が達した所で、皆様ありがとうございました。うーん、短い。しかし短いですねーー。さっき意見でましたけど、本質的な部分があんまり語られていないような気がしなくもないんですが、えー、ハードコアであったことも確かなのかなーなんて思ったりもしましたけれど、えげつないリアリティを感じたりしつつ。次のパネルの前にオシッコしてきます…。

投稿者 : take.Hirakawa | 2004年12月10日 22:43