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今夏、東京で想ったこと。

―――新たな環境と風景シリーズ。 
(前回の続きです。)

2)アテネオリンピックから想うこと;
慌しい、落ち着きの無くなっている[ケイタイ症候群]化した人たちの住んでいるこの街、東京ではもう、今夏に行われたアテネオリンピックの話はあれほどにTVにかじりついて一喜一憂し、深夜まで眼を赤くしてみ、メダルの数を子供までもが数え覚えてしまっていたのに、2ヶ月ほどが経た今、もう誰も話さなくなってしまった。
 しかし、今年のオリンピックは戦後の日本人が一番活躍し、メダルを多くとった大会であったことは確かなる出来事であった。
どうして、4年前のシドニー大会からこれほどまで日本人がメダルを取ることが出来たのだろうか?
 これも僕流に言えばわれら、戦後の日本人が築き上げた[新たなる環境と風景]の現実の一つである。
 なぜ、これほどまでの結果を生んだのだろうかと自問してみたり、幾人かの友人たちとも話し合ってみた。その結果が、・ワールド・ワイドで的確なる情報収集が高度に現実的になったこと。・・その収集した情報の分析が的確であったこと。・・・その情報を基にして、
世界のトップクラスや日本での優れたコーチ陣が英才教育を行ったこと。(たとえば、あの卓球の愛ちゃんでも、中国の元ベスト上位の選手をコーチにつけていた。)・・・・そして、海外練習を行い、国内でも練習設備が整った環境での猛練習が行われた。最後に、日本人の体型が外国人のそれに引けを取らないほどに発育発達した食糧環境の元での進化。これらの新たなる状況と環境を持ち得た事によっての結果と、元来の日本人気質としての「STANDERD」な勤勉と努力それに、この世代特有の[ポジティフ]さがそして、その背景としての‘90年代以降のわが国の産業技術が生んだ先端技術を生かした工業化と商品化による所謂、情報産業の日常化による我々が持ち得た生活環境の進化と差異化。この結果の現れが、[新たなる環境と風景]を背景に、明解でわかりやすい最終目的であるところのスポーツ大会で得ることが出来た結果のオリンピック大会であったと読める。
 この「新たなる環境と風景」の結果としてのメダルラッシュは何もスポーツ分野のみならず、戦後約60年を経たある意味では現在日本の現実であり、他分野でもこの状況は「現在進行形」として進化しつつある筈だ。モードの世界でもそうかもしれない。
 ここで僕はこれからの[親の役割]や[教育]について想い考えてしまった。
それは20代そこそこの選手たちが持ち得たスポーツ・エヂュケーションの環境である。
卓球の愛ちゃん然り、水泳の北島選手然り、体操選手たちにしてもそうであるが、所謂[英才教育]が為されている事である。それも子供たちが小さな時から始めている例が多くなってきた。これには一つの事実がある。このスポーツの世界も、芸の偉人の世界や政治化の世界と同じ[親子2代、同じ道を歩む]が、この戦後と言う時間の中でサイクルかされてきたこと。親の経験を生かして、親が自分の子供を育児しその家庭で自分の子がどのような才能や天分を持っているか、自分の子供が何に適応しているか、何が得意かなどを早熟な時期に、親の責任として見極めた結果の行為でもある。決して、世間がいう[いい進学校]へ進学させても今の時代の[不確実]な社会に対してはもう、適応性が親の思った答えを出してくれなくなってしまった時代性と社会性。学校に頼っていても駄目であると言う一つの答えがここにあるかもしれない。この親と子の関係はある種の[家元]制度的な関係でもあろうが、親が子育てを行うことの中には自分の子供がどのような天分を持ち得ているのか、居ないのか位は親の責任で早期発見が今後の親の大いなる責任になる可能性があることになろうか?当然、親にもそれなりの知性と教養が必要である。それ以上に親が子供に情熱と責任を持たなければいけなくなるのである。タダ、[かわいい、かわいい]だけで、後は親の自己満足と自分たちのエゴを押し付けた子供を教育する時代ではなくなり始めるだろう。ましてや、出来ちゃった結婚後、子供を[バービー人形症候群]的育児だけではどうかという疑問をこのオリンピックを通じて再確認した。
 親が早熟に子供の天分や才能、何が好きで何が不向きかを[親の絆]における責任を子も親も共有し合って、[リスクとコスト]を共に分担し合い、その目標へ向かって行く。その為に、親が自分の子供をディレクションしてゆくための感受性と知性と経験が必要となる。それらによって育児と幼児教育することでたとえば、12,3年間これを子供と親がこの時間と責任と夢を共有し、突き詰めれば、彼らの人生の残りと言うよりも人生そのものが、一生その世界か周辺マスコミ界でやって行ける結果の実例を生んだのも今回のオリンピックであろう。
 と言うのも、僕が今の日本の社会を見ていると、[世間]がばらばらになり始めたと感じてしまうからである。タダ、その世間のばらばらが[金・情報・モノ]だけに偏向求心した[金権主義的]社会構造が出来上がってしまっている現代日本をいやがうえにも感じてしまうのである。
多分、戦後の日本人が施されてきた教育自体に、そもそも[日本人的なる新たな日本と言う国を作るためのSTANDARD]教育が施されてこなかったのだろう。今の日本の政治家二世たちの[アメリカ一辺倒現象]政策はこの後遺症を引きずっている、もう終わっている人たちなのである。
 
3)再び、モードの世界へ、パリ/
モードの世界をこの眼差しで見ると少しその状況が違って見える。
親がデザイナーであるから子供もデザイナーになると言う実例は、実に世界規模でも少ないし、その殆どが成功していない。無理やりか政治的に為らされてしまったという例は巷でよくある例だが、これとて、早熟な英才教育を施されずに促成栽培的が多い。天分と感覚と美意識がモノをいう世界であるからか、または性的に同性愛者が多い世界であるからでもあろう。それにこのモードの世界は現実はデザイナー一人の世界ではなく、所謂[共同体]化したアトリエをどのように構築してゆくか、そのアトリエをどのように継続して行くかが必須であることにもよろう。この結果があらゆる意味での[異種混合]を好む世界になったことは確かであろう。現代のパリにおけるオートクチュールの世界を見てみれば一目瞭然である。それなのに、このルーツと現実を知ってか知らぬかわからないが[オートクチュールへ参入]と言うばかげたデザイナーの発言やそれをマジ受けし、おだて上げた御用プレス記事しか書けない日本のファッションジャーナリストと称する人たちの軽率な行動。
 パリのモードの世界の人たちはここへ来てモードの世界も情報化とグローバリズムによって[ファッションビジネスはショービジネス]と言う状況をもたらした。それによってより、ラグジュアリーなブランドビジネスはモードをタダ単に自分たちのブランドのイメージつくりとそのイメージによってより、ラグジュアリー度をアップさすだけの実態へと移行し始めた。その現れが、彼らたちは[モードでイメージを、コスメと香水それにバッグやアクセサリーなどで実の売り上げを取り、その儲けで自分たちの屋台骨である老舗ブランド・マークのクオリティを金モノと言われる時計と石モノといわれるジュエリィーをより充実させ、維持させてゆくと言う方法に去年後半以降、そのほとんどのラグジュアリーブランドメーカーは彼ら自身で自分たちの価値を移行させ始めた。その結果がモード誌のイメージ広告合戦へと移行し、広告を貰うためにパリコレ詣でをしなければいけなくなり、ここでもファッションジャーナリストたちを大いに勘違いさせ始めている。広告がもらえれば丸と言う短絡的な見方とそれをプッシュする関係の癒着が紙面にも寄り、多く反映し始めてきている。
これは何も日本人ジャーナリストだけではない。だが、一番利用されて、ビジネス的には日本を制して今後は中国を制したいと言う彼らたちの世界戦略に勘違いをするのは日本人ジャーナリストたちである。
 それに、もう一つ新たなモードの価値を作り始めたのも彼らたち、パリを中心とするラグジュアリィーブランドである。その新たなコンセプトは[誰しもがアーカイヴを持ちえ始めた]である。そのために自分たちのアーカイヴをより価値あるものにしてその価値によって新たなステータス化を考え始めたのである。ショー・ビジネス化が始まったことによってこれ見よがしのショー的なる衣装造形服をこれ見よがしに見せて後はデッドストックと言う縮図から、これらを同じおいておくなら自社のストック置き場で保管していても仕掛かり在庫として、税金対象になってしまうだけである。そこで、違った場所へおいておけば違った、新たな価値が生まれると言う構図を考え出したのである。その違った場所とは[美術館]である。ここへ寄贈すれば、税金対象にもならず、タダ時間が経てゆけば、それだけ新たな価値が生まれると言う骨董的価値をこのモードの世界へ持ち込み始めたのである。これも、総てのブランドがアーカイヴを持ちえてもこれをやれるのはやはり、選ばれたブランド、デザイナーの質ある個性豊かな仕事のみに限られるのは当然である。今後この影響は多々出てくるであろうしそれによって、[ファッション・エキビジション]が増えてくることも明らかに読める[新たな環境と風景]の一つである。去年からでもJ・アルマーニ、S・フェラガモ、スキャパレリ、V・ウエストウッド、V & L、 etc.
 この新たな価値についてゆけないのが現在の「東コレデザイナーたち。」かろうじて、[ファイナルホーム]。他の大半は[時代の悪趣味化]路線で芸能人頼りのビジネスへ走ってしまうであろう。
 もう一つ、ここに来てパリのモードの人々は「オートクチュールのための人材」としてのデザイナーを、若き才能ある新人デザイナーを発掘し始た。そして、彼らたちにより、多くのチャンスを与える方向へとシフトし始めたことである。たとえば、この11月20日にパリから8人のデザイナーたちが選ばれてサンディカ主催のショウを北京で開催するのだが、この8人のうち、4人が僕も審査をしにその後、毎年呼んでもらって参加している[フェスティヴァル・イエール]の受賞デザイナーであり、また重なるがフランス文化庁が毎年有望な新人デザイナーたちへ[ANDAM]賞を与えているのだが、このANDAM賞をうち4人が貰っている。(実はこのイエールも、ANDAMもY・S・L、LVMH、ロレアルグループが実際の賞金をバックアップしている。)彼ら、有望な新人デザイナーを選りすぐって中国へ連れてゆくということは彼らたちに将来のビジネスをこの国で委ねたい為でもあり、当面ではやはり、彼らたちの生産国として[新たな環境]をあてがう為でもある。
 結局、この国のモードの世界は[オートクチュールが大黒柱]と言う論理が今も歴然としてこの国のモードを引っ張り、世界に於ける、[モードのショーケース]化を担っているのである。そして現在のように経済のインフレ状態が長く続き、新たな階級(ヌーボーリッシュ)が誕生し始め貧富の差が大きくなろうとしている時代性にはこの[保守性]は[新たなる革新の為の保守]としてその役割を果たす。

4)そして、再び東京;
 今回、東京へ戻ってきて一番驚いたことはこの東京にも[新たなる金持ち階級]が登場し始めていること。しかも彼らたちの年齢が若い。30代前半から45歳ぐらいの年代層にこの新たなる成金層が形成され始めていること。彼らたちはIT関連産業での成功者であり、ゲーム産業、音楽産業それに飲食産業となって今年の高額所得納税者リストを賑わせている。結果、彼らたちは新しい階級を形成し始めたといえる。なぜならば、戦後の日本社会における金持ち層は大体に、高年代層から順序的になっていたものがここに来て所謂[飛び年代の金持ち]が彼らたちによって構成され始めたことである。(別紙参照)これに気が付いたのはある日新聞を読んでいたら、あの焼肉屋で若い人たちに人気のあるチェーン店[牛角]の社長が35歳ほど、その彼が社長を辞めて会長になり新たな社長が31歳ほど。会長になった彼はその後コンビニのチェーン店[AM/PM]を買収してそこの社長を兼任すると言う記事であった。これは凄いぞ!!新たな日本の階級社会を形成する原動力になる。という視点を持ったことからである。
多くの彼らたちは10年ほど前までは単なる[オタク]であった。しかもゲームやIT関係の大半がネクラなオタクであったはずだ。
学生起業家として登場し、そのまま時代を猛烈なスピードで走り始めこの10年ほどで時代の寵児になり資産をも持ってしまった。そんな彼らたちがどのようなお金の使い方をするかと考えれば面白くなってきた。先ず、住空間、オフィス空間はウオーターフロントの高層マンションの最上階。これ見よがしのインテリア空間。次が車。これも彼らなりのこれ見よがしの外車を幾台も。そうなると彼らたちのファッションは?そう、彼らが学生で[オタク]だった頃はポロシャツにチノパン。続いてT-シャツにジーンズ。先ず、ファッション感覚はないに等しい世代。彼らたちはエンタテ―メントの世界をそれぞれの分野で目指した世代であるがために基本的なお金の使い方は派手になりそれも周りからどのように見てもらいたいかと言うある種の[見せびらかしの消費]行動が主になってしまっている。そこで海外有名ブランドモノを買い漁る。その情報ソースとしてのファッション雑誌が売れる。それがイタリア男の成金モードを扱った[LEONE]で代表される。そこで従来であればこの手の客はデパートでは西武へと流れたのであるが今は伊勢丹が一人勝ち的存在として、タイミングよきリ・ニュアルで余計に成功しているのが現在の東京メンズ・マーケット。伊勢丹のバイヤー、高田氏に聞いたところやはりこれらの新・成金階層がしっかりと伊勢丹の顧客であり高価なシューズが難なくしっかりと売れてゆくと言う。セレクトであれば、U.A. であり、ブランドでいえば、芸能人に人気のディオール・オムであり、グッチでありドル・ガバでありLV となる。総てが[見せびらかしの消費]的発想で芸能人ご用達ものしか受けない もう、裏原ではなく、ストリートでもない、今やこれらの層をどの様に手なずけるかが勝負どころ。従って、スーツも美味しいアイテムになってきているのもこの新たな社会環境の変化によるものであろう。したがって、今は女物よりも男物の方がそれ相当の高額物スーツやシャツなどと靴、ブルーミングや化粧品類までもがセットで売れている現実もここに在る。では、彼らたちはどの様な女性たちに金を使うかと考えてみよう。ここでも[見せびらかし]というキーワードは生きる。見た目の派手でセクシーなセレブな女性、芸能人的な女性、自分がよく行くクラブやキャバクラのホステス的な女性へ。ここでの女性モノがどの様なものが売れるかも想像が付く。やっぱり、海外有名ラグジュアリーモノ。「派手」「セクシー」そして「高モノ」。これではあの[バブル期]と変わりは無いのでは?と言うことになろう。彼らたちの消費行動を考えればやはりそのような[見せびらかしの消費]になってしまうであろう。従って、この層は[ネオ・バブル期]を迎えているのが現在であろう。それに、[保守化]へと向かうことも明らかである。
ここで話を伊勢丹のメンズフロアーに戻してみたい。
この3階フロアーのヨウジ、一生そしてCdGのコーナーを見てみると、如何に前者2ブランドが古く感じてしまっても仕方がない状況を見せている。こんなにスペースを貰っているのにこれでは商売をする気があるのですか?と言いたくなる?それほどにCdGがすばらしいのである。その気でもって商売を楽しんでがんばって大いに売り上げを取っているからである。所謂、「独り勝ち」というやつだ。ここではあのM.マルジェラさえも落ちてしまい始めている。一つのアイディアとして、このブランドはレディスでの新しいブランド「#04」のメンズ版を現在の日本の新たな社会状況の中では出した方が面白いのにと想うのだが?
 それにしても、彼らたちの「見せびらかしの消費」は日本社会の「悪趣味化」とシンクロして彼らたちを頂点にしてそれ以下の東コレ・ブランドをはじめとし「09」ブランドも入れた、その趣味の悪さをうりにし始めていることもこの東京の現実である。
 バービー化現象や芸能人ご用達現象でだけがファッションでもない。ここにはセンスや知性が感じられない。むしろ、表層的であり、一時的な刹那的なモードしかファッションでないような状況をも作り出しているのがスタイリストやファッションライターと称する連中であろう。メディアも受けさえすればいいとこれらを歓迎する。ますます、増長した悪趣味風景が「セレブ」とメディアで騒ぎ、東京化してゆく。ここには何ら知性や教養が感じられない。  「躾」と「恥じらい」を喪失させる。「ボン・グゥ」を知らないことをもってデザイナーぶっている当人たちの確実性とは???

 P/C:
前回の「DISCIPLINE会」ではここまでをお話したかったのですが、体調が優れずに、済みませんでした。
次回をお楽しみに。

投稿者 : take.Hirakawa | 2004年10月27日 00:34