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東コレについて。W.W.D. JAPAN より抜粋。
スイスのファッションコンテストGWANDの審査を終えたばかり。以後、スイス・アートカウンセルとの打ち合わせに続き、オランダのセントラル美術館での来春予定のモード展覧会のための打ち合わせでパリ経由でアムス.ヘそして、12月14日のI.F.I の講義のために帰国。ファッション・キューレティングとコンサルティングそして、講義、講演会、執筆など。
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まずブランドを評価する基準として必然的に、「着てみたくなる」「着こなしたくなる」そして、「着廻しがしたくなる」という3つが存在する。と同時に、デザイナー個人の今という時代への問題意識や美意識も問われる。つまり、時代の雰囲気に、どれだけ作り手側のアイデンティティをクリエイションの形でプラスアルファができているか、それが今期の東コレを見る際の僕の基準であった。当然であるがモードの現在における主体は着る側、即ち、顧客にある。従って、デザイナー個人の大いなる勘違いと自己満足だけのコレクションは「何を今さら!」と言う感じで終わってしまう。一時期、“エモーション”という言葉がキーワードとして表層化した。もちろん今でも大切であるが、いささか状況が異なる。今、どの様なエモーションが必要かと言えば結局のところ「着てみたい!」に尽きてしまうのだ。その理由として考えられるのは、まずは、これまでモードの環境と状況がその大いなる価値としていたはずの「ありうるべき、あらゆる差異」が、世界レベルでの情報の加速度的流通によって、不確実で不透明なものとなってしまったため。そして、クリエイションそのものの問題として、もはや人間の体型が変化しない限り、かつてあったような理想的なエモーショナルな創造はもはや期待できないということだ。
これに代わって、どの様な素材を選ぶか、ミックスするか。それらの素材が持つ質感、テクスチャーを、どのように生かして時代の造形美をデザインするか。それと分量やバランス観を踏まえたフォルムをどのようにデザインするかが、時代に呼応した知的クリエーションとなった。これは現代建築における新しい創造と同じ方向をたどっている(この例は、表参道に林立するファッション系の最近の建築群を見れば一目瞭然である)。かつてのようなヴィジュアル、見た目、形骸的なディーテールのデザインよりも、素材感とそれらのテクスチャーや、それを着た人がどのような表情を演出できるかの分量感とフォルムが大切なエモーション表現の1つとなったのだ。
コレクション雑感
・リスクを堂々と張って未来を、素材が持つフォルム感をフィチャ-した「コムデ ギャルソン」
・新たにワールド・ワイドな TOKIO・MIX・COORDINATEブランドとして自立した「コムデ ギャルソン/コム デ ギャルソン」 .
・「着てみたくなる」服をインテレクチュアルなテクスチャーでCLASS-CHICにまとめた「コムデ ギャルソン ジュンヤ ワタナベ」。
・先端トレンド、GIRLY-CHICをLONDON・BIBA風にまとめた「ツモリ」。
・こんなコレクションが東コレでもやっと、見れるようになったポジティフ・ハッピー・「フラボア」。
・パリへ向けてリスクを張り、先読みコレクションをセクシーにまとめた「TOGA」。
・イタリーのセールスエージェントに惚れ込まれ過ぎるまでに、的確に時代の顧客を読んだトウキョウデザイン、「サカイ」。
・「モンツキ」と「イリアド」、二つあわせて2で割れば。
・インダストリアルを知って幅と余裕が出た「ミントデザイン」。
・自分の女性観が総てのやらなくてもいい「ATO」のウイメンズ。
・“分量のデザイン”が出来ず、フォルムが創れない遅れて来たヴィジュアル・平成ゴージ・伊太利亜屋、ノリの「ドレスキャンプ」。(服だけを見ての感想)
投稿者 : take.Hirakawa | 2005年01月15日 01:21