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今日読んだ本から、これも、『共棲資本主義』的なる大事な視点。
今読んでいる本の中から。(少し、長いですが、)
” スエーデン語に「オムソーリ』という言葉が在る。
本来的意味は、「悲しみの分ち合い」である。
人間は悲しみや優しさを『分ち合い』ながら生きて行く動物である。
つまりは、人間は『分ち合う動物』である。
『分ち合い』によって、他者の生も可能となり、自己の生も可能となるのである。
しかも、『分ち合い』は他者の生を可能にする事が、自己の生の喜びでもあることを教えている。
人間の生き甲斐は他者にとって自己の存在が必要不可欠だと実感できた時である。
『悲しみの分ち合い』は他者にとって自己が必要だという生き甲斐を付与することになる。
共同体のように、社会を組織化するという思想。
つまり、共同体の中では共同体の構成員に任務が配分されるように、
社会の構成員にも任務が配分されなければならない。
共同体に在っては、すべての共同体の構成員が共同体に参加して任務を果たしたいと願っている。
高齢者であろうと、障害者であろうと、誰でもがかけがえのない能力を持っている。
しかも、そうした能力を共同体のために発揮したいという欲求も持っている。
そうした欲求が充足された時に、人間は自分自身の存在価値を認識し、幸福を実感できるからである。
これが『分ち合い』の思想である。
もう一つ、スエーデン語のラーゴムという言葉がある。
意味は『ほどほど』と言うか、超過も不足も悪徳とする倫理を表す。
が、この言葉、「ほどよいバランス」という意味で『分ち合い』と根底で結びついている。
極端に豊かになることも、極端に貧しくなることも嫌うラーゴムは、
社会の構成員が人間らしい生活を営むように、『分ち合う』ということを意味するからである。”
『「分ち合い」の経済学』/岩波新書/神野直彦著:から抜粋と編集。
日本の本来の生活の中には此の様な共同体で生きて行くための『分ち合い』のこゝろがありました。
真こゝろ、謙虚さ、思いやり、弁え、腹八分目、そして、不義にして富まず。など等。
自我を拡大しきる。
そして、自我を自分の世界観、価値観の元に無にする迄に、
そこに『分ち合い』のこゝろが。
共同体の中では共同体の構成員に任務が配分されるように、
社会の構成員にも任務が配分されなければならない。
例えば、この任務が自分の好きな服を作ることであれば、
先ず、自分自身が幸せである。
その幸せを誰と『分ち合い』うことが出来るか?
唯、『分ち合い』の真こゝろと勇気があればいい。
それだけです。
服が作れないのに作れる振りをしている人たちは何を他者と分ち合えば良いのでしょうね?
文責/平川武治:
投稿者 : editor | 2010年05月06日 01:49 | comment and transrate this entry (0)