« 今日読んだ本から、これも、『共棲資本主義』的なる大事な視点。 | メイン | 在る友人への手紙。『物心一如』、『日本印の日本』の為に。 »
ひらかわの”東コレ’10/'11A/W 批評-1”『例えば、Anrealageはおもろい、』を例に、;
"Anrealageはおもろい、ちょっと、他のデザイナーと違って
頭を使った展開をしていたデザイナーというレベル。"
彼の何かやりたい、脅かせたいの好奇心強気のデザインが
今の東京では稀なので貴重だった事。
だから、「おもろかった!!」のレベル。
しかし、もうそろそろ、それだけのデザインから”内側”を考えた、
即ち、本質を見極めるためのデザインへレベルアップして欲しい。
きつい事を言えば、やはり、表層のデザイン。
ジャコメッティ迄の延長線が引けないのは無論であるが、
彼がそのジャコメッティのあの”歩く男”が史上最高値でオークションで落札された事が
頭にあったのか? そこに発端が在ったのか?
なかったであろう。(間違っていれば、失礼。)
思い起すと彼の数シーズンのものつくりのアイディアはかなり、表層的は形態論的でしかない。
彼にとってのファッションとは、或は服を作るとは、なんなのだろうか?が究極の疑問と浅さと古さ。
所詮は、変わり種の"WRAPPING"コンセプトでしかない。
"PROTECTION"でもなく"CARE/CURE"にも届かない古さでがんばったもの。
しかし、今の様な大半の東京コレクションのデザイナーたちが、
"Big Mouth!"と"Presuming fellow!!”そして、”自己マン”レベルなので
彼のあの好奇心溢れる創作エネルギィーは面白いし好感が持てた。
もし、君が彼の作った服に興味を持ったのなら、感動した(?)のなら、
会場で、彼の展示物としての服を1点でも着てみましたか?
服は着て見せるもの、見てもらうものそして、着て生活行為をしてもらうものですよね!!
**
そう、20世紀の始りに”FAMME OBJECTS" から始まり、
’80年代に来てやっと、“HOMME OBJECTS"が加わり,
それらのための“WRAPPING"がモードの本質であり根拠性。
これは現在も継続しているモードの本質です。
しかし、身体の変わらぬ不変な形態構造によって
その"WRAPPING"における”新しさ”の造形的創造に限界の翳りが見え出した。
’97年以降はその"WRAPPING"というグランドコンセプトから
当時の”第3次世界戦争”的なる中東紛争による時代観や社会状況
そして、生活環境の変化によっての虚無感、絶望感、不安感から
モードの世界も只の"WRAPPING"だけでは物足らなくなりはじめ、
"PROTECT/PROTECTION"というコンセプトが強く求められる。
時にはハードに、時にはソフトに、身体をこゝろをそして性を
プロテクトする迄のコンセプトがモードの新たな役割となり
現在迄、引き継がれているのが現実。
これは、業界が発表する各シーズンのトレンドの中にもこれらが顕著に読める。
同じ時期に、服以外でも世界の多くの若者たちは身体の変わらぬ形態構造を
自らが”身体改造”と”身体装飾”へと、エステ、筋トレ、整形、プチ整形
それに、Tattoo,Bolt,ピアスからヘヤーやネイル迄に積極的なる改造と装飾の行動を始める。
そして、もう一方では変わらぬ"WRAPPING"をコンセプトにするデザイナーたちは
せめてもの表層として、"Wrapping Paper"よろしく素材へ趣きを置き換える。
そして、ハイヒールを履かせて(これも一種の身体改造である。)
着丈、全体のバランス観の組み替えを行っているのだ。
豊かさの中で生まれ、育って来た連中たちの若者たちの中でも
感受性豊かな自然体で生活している人たちはもうすでに
この"PROTECT/PROTECTION"に閉塞感を感じ、結局は自分自身を狭義な世界観に
拘束しておく事だけだという事に気付きはじめる。
自分一人では生きて行けない。
“分かち合い”が必要。助け合って行く事が大切。想い合って生きて行く事が必要。
そのために自分が出来る事で,自分以外の他者へ、
"MAY I HELP YOU?"
地球を、自然を、水をそして、時間とモノを慈しみはじめる。
ここに気が付き始めた若い人たちのモードは
"CARE/CURE"が新たなコンセプトになる。
身体とこゝろと性をどのように着る服で"CARE/CURE"出来るか迄の
想いと心ある自分の手による服作りが新しいと。
しばらくは、このような服作りへの考えと想いが
新らたな情熱として、魅力としてそして、感情として
今後の、若い人たちの創作意欲をかき立てるであろう事を望んでいる。
また、この"CARE/CURE"というコンセプトは人間味ある好奇心として
新たな関係性を生み出すまでのアヴァンギャルドであろう。
もしかしたら、ここがアートとの接点となるエッジ!であろう。
文責/平川武治:
投稿者 : editor | 2010年05月10日 07:31 | comment and transrate this entry (0)