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「生まれて半歳の平川武治が体験した終戦日とは、 その時の祖母は、母は?」
今日,8月15日になるといつもこの事を憶い、考えてしまうのです。
ここが、平川武治即ち僕が、自分の存在を認められるのか認められないのかのカオス。
今年の残暑の異常ですね、お見舞い申し上げます。
———へんな天候、へんな行為、へんな存在、へんな社会、へんなこゝろ使い、へんなヒューマニズム、へんなお洒落、へんな男、へんな女そして、へんな人間たちに気が付く事が日常的になってしまった最近の僕の周辺と環境。
日本人本来の美しさへのこゝろの在り方や想い方やその優美さの根源は何処ヘ忘れてしまったのだろうか?———
これは僕がここ、25年間の持ち得た生活環境が日本と外国とを約2ヶ月毎に行き来しているという中途半端な現実も手伝って見える僕の極めて個人的なる眼差しでしょう。
しかし、この僕の視点で,自分のボキャブラリーとして表現すると、帰って来る毎に同意される人たちが増えています。
これが今の僕たちの住んでる國の、へんな時代ですね。
みんな、”へんな”で括れてしまえる”へんな日本”の現実です。
”なぜ、へんなのか?”を考える前に、
「”へん”とはなにか?」って考えたり、思ったりした事がありますか?
『へん-偏』とは 偏っている事ですね。
ちょうわ、『調和』『バランス』が成されていないこと、
考えられていないこと、取れていないこと、無いことに尽きます。
そして、何のための、何との、『調和』かも考えられていないからでしょう。
『不自然さのさま』の事ですね。
そう、「自然」でない事なのです。
ここに、日本民族の”こゝろの在り方と置きどころ”が在ります。
僕たち、日本人は知らぬ間に、いつも、何かあれば理由無く、
それこそ、自然な思いつきと行為によって、
『自然』を中心軸としたバランスの取り方をし続けて来た民族なのです。
日本民族のこゝろのバランサーは『自然』なのです。
近くの池や川、海や山、雑木林、拾い上げる小石、道端の花、虫、鳥、
土そして、日と月。
生とし生きるものが自然。
天の、天地の恵みを享けて初めて育まれたものが『自然。』
その”自然の恵み”によって生かされて来た僕たちとご先祖さまたち。
この『自然』が変化した事、変化させられてしまった事によって、
僕たちの『こゝろのバランサー』が”へん”になってしまったのです。
戦後の、この65年間での現実的な価値は
『金』と『モノ』でしたね。
自然を愛おしむこゝろや他者を想い敬い合う
こゝろの在り方では無かった事は確かでしょう。
『貧しかったからでした。』が出発点だったからです。
だから、このような『自然』そのものが変化し、
僕たちのこゝろのバランサーを歪にしてしまった
『へんな』國になってしまったのです。
[たとえば、考えられる今様図式/
『金』+『モノ』+『驕り』=LUXURY=VANITY=KITSCH=『へんな』
これは全くのファッションの世界ですね。それが、いつの間にか、??????]
戦後も65年が経てば、
一つは、勤勉で真面目な僕たちはがんばって、
少しは、豊かさを味わい始めました。
もう一つは、
戦後に敗戦國だからという理由だけで押し付けられた
アメリカ合衆国という国家の”エゴ”が
そして、後ろでこの国家を動かしている集団が
又、その小間使いをさせられ,
番犬宜しく飼いならされてしまっている一部の日本人たちの、
彼らたちの「本心」が
どのようなレベルの
どんな目的の
誰たちの為の、
”エゴ”だったのかが解り始めて来ましたね。
解らない人は成熟してください。)
そんな、彼らたちの”エゴ”が唯一的、正論的に、
今後も続けば、
どのような環境になるか、どのような地球になってしまうのかも
そして、『自然』がどのように”へん”になるかも、
もう、僕たち自心で想像がつくようになりました。
これも戦後65年の彼らたちの”エゴ”のお陰でしょう。
学ばせて頂きました。
ありがとうございました。
だから、もう『アメリカ印の日本』を卒業して
『日本印の日本』を再生し始める時期に来てしまったのです。
もう、アメリカの表層事をいっぱい喋る事が恥ずかしい時代になりましたね。
それよりも僕たちが僕たちの国を想うこゝろを伝えあう事の方が
気概を感じる迄の時代が始まります。
そういう時代を迎えませんか?
みなさんも『へんな』ことに、
いっぱいの『へんな』事に気が付き始めたのですから。
『気が付けば、知ってしまえば、それに対して何が出来るか?
何をしなければならないか?』
”成熟する”という事は
この行為の為に学び、努力を持って
自心で誠意ある行為をする事ですね。
これ以上、
”へんな”ことが当たり前にならない前に
『へんな國』にならないうちに!
気概ある真こゝろを携えて
自心の成熟を。
ありがとう。
平成二十二年八月十五日/65回目の終戦記念日に。
ひらかわたけはる:
(この続きが在ります。ご興味の在る方は、サイト内をお探しください。)
投稿者 : editor | 2010年08月20日 17:32 | comment and transrate this entry (0)