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Azzedine Alaiaの実力とは?2011/12 S&S SHOWから。そして、瀬尾英樹君と菅谷鉄平君。

 今日(10/17)は久しぶりで、Azzedine Alaiaさんのショーを
既に、4年以上も彼のアシスタントをなさっている
瀬尾英樹さんのご尽力で見せて頂いた。
僕にとって、こうして見せて頂く機会は1年ぶり位だろう。
ありがとうございました瀬尾さん。

 変わらぬ彼の総て。
ショーの見せ方、ショーそのものの考え方、
お客さんの呼び方とプレス対応迄、
全く変わらぬ彼流の方法による自分の世界を
ここ迄堅持出来るデザイナーも今となってはそう多くは居ない。
殆どがプレスに媚びるショーになってしまったこの世界。
彼の様な存在そのものが僕には先ず、興味と尊敬が出来る。
当然だが、ショーの内容、即ち彼が創り出す彼の世界観と
その結果である作品群も
礫として、Azzedine Alaiaそのものである。

 彼の最近の仕事を見ていると、
以前にも書いたが、本当に腕のいい、修行を積んだ
職人気質の料理人の仕事に通じる。
先ず、素材ありきである。
その素材がどれだけ自分の世界観を表現出来るものか
そして、その素材そのものがクリエートされたものか?
そして、その素材が自分の世界観によって独自に加工されたものか?
まで拘って選ばれ加工された素材を今度は
自分の出来る限りの技術によって、
得意なこなし方と挑戦するこなしがバランスよく1着の服の表情になって創造される。
ここでは自分が持っている着せたい女性像がしっかりと主軸になった造形に挑戦している。
即ち、自分の服を着る女性の美意識が存在する。
そして、彼独特の、新しさ感即ち、革新に挑戦した造形も
細かいディーテールに表現し、見せてくれる。
後は、その女性が自分の美意識によっていい女になる大事な小道具迄が
完璧に完成されている。
大胆なデザインのアクセサリーとベルトそれに、当然の、定評ある靴とバッグである。
 ここ迄、自分が使いたい素材から入って総てがまとめられると、
いい女性程、彼が表現する”Azzedine Alaia-World”ヘ委ねるしかないであろう。

 日本人が想像出来る世界では例えば、魯山人の懐石の世界がある。
素材としての季節の新鮮な食材に
そして、使うべき器、盛り方、見せ方としての座敷空間と
その装飾、華、花器と香そして、書き物。

 当然、ここ迄の世界観であれば、
先シーズンでは、彼が得意とするミニフレアーの分量がデザインされたスカートが
4500ユーロしてもいいだろう。
これだけの素材に、先ず、彼の世界観と美意識が拘られていては
その素材の値段もそれなりに高価で当たり前である。
ここで、先ず、若いデザイナーたちが使いたくても手も足もでない世界を
彼は創ってしまう。
この土俵が出来れば後はもう彼の独壇場であろう。 
 この強さがこのデザイナーの変わらぬ総てを創造し、産み出しているのだ。
先シーズンでは、ジャガャード-ニット。
今シーズンはパンチング-とニットレース。

 彼が独立し、自分の世界観に挑戦し始めた80年代の始り、
その時、彼は伸縮性の強いニットジャージと皮革素材をメインに使った。
しかも、その皮革素材も並みの皮革ではなく、彼が吟味し、捜し、
より選んだものを更に、加工して使うことに努力をした。
ニットジャージはそれ迄は主に下着用にしか使われていなかった
寧ろ、古い当たり前の素材だった。
ここにも既に彼の新しさへの気概がうかがえる。
 彼のデザインの特徴は女性の身体の曲線美を美意識の主軸にしたものである。
極論すれば、女性の身体が持つ曲線は総て、美しい!という迄のもの。
彼が大好きなデザイナーであるM.ヴィオネは
その女性の曲線美を布地に於けるバイヤス効果によるドレープで
ボディフットに委ねたデザインを
彼女自らのボキャブラリィーとした。
シャネルはそこ迄行かずにもっと、
表層のボキャブラリーをリ-デザインして世に出た。
だから、Azzedine Alaiaは僕がインタビューした90年代始まりに、
”ヴィオネはクチュリエだがシャネルはスチリストだ”と言った事が憶い出される。

 Azzedine Alaiaのデザインは
その女性美を構築的なバイヤスカットで分量を消去したデザインを服化した。
いわゆる、布地を使わず、布地の弛みを触らずに皮革とニットを主素材として
それらの素材が持つ伸縮性を、自らが学んだ構築的で高度なカッティング技術に委ね、
表現創造し彼の世界観を生んだ。(後の、メルトンのこなし方も同じである。)
このいわゆる、鋏裁きが今もかわらず、Azzedine Alaiaらしさを創造している、
彼の世界観の特徴である。
 例えば、巴里ヘ行き出したころのヨウジが彼をお勉強した事も頷け,
ここで川久保玲とのその後の差異を生み出したと言える。
 
 布地が持つドレープによる女性らしさの大切な一つ、即ち、セクシーさを
彼は布を多く使わないで伸縮性の強い素材に委ね、
彼独自な彫刻的なマッス感覚でそれらの素材にいろいろな後加工を施す。
その結果、よりAzzedine Alaiaのセクシー観が創造されるようになる。


 東京に眼を向けると、
今の若い、特に海外の学校を出たというデザイナー擬きをやってはしゃいでいる
”フアスト-デザイナー”の輩たちには
この素材に対するベーッシックな勉強と学ぶこゝろがたらない。
海外の学校も素材を学ぶ科とデザインを学ぶ科が別の構造になってる。
アントワープ等は先生に全く素材に強い人がいない。
未だに、15年程前と変わらぬ、形骸的なエゴを押し付けている教育でしかない。
彼らたちは自分たちの地場の素材としての
言ってしまえば、ラシャ地やメルトン地が彼らたちの持っている素材の領域でしかない。
だから,巴里やイタリーに声を掛けてもらって出掛けられるデザイナーは
今も長命であるがそれ以外は既に落ちてしまっている。
R.シモンズやA.F.それにTIM.
後は巴里へ移って日本素材を使っているB.ウインヘルム。
それに、以前からインド素材の安いものを上手に使って来たD.V.ノッテンなど、等。
 倫敦組はやはり、”アーツ&クラフト”を育ちのボキャブラリィーとした
プリントモノやテクノロジーに因りド凝った
彼らが目指す革新性を見いだして挑戦している面白さを感じる。

 『質屋の息子は眼が肥える。』
それなりの自分世界を持つデザイナーになる為には
この諺は本意である。
多くの最近の”フアスト-デザイナー”たちに見られる傾向は
いろいろなレベルと状況に焦っている。
大切なエディケーションを、大事な時期に飛ばして帰国後、
然も、お利口さんに勉強して来ました、
又、DIESELの広告エージェントが企画しているコンテストにと、
機会ある毎に田舎メディアへ大口を叩いて、
いつの間にかその世界で勘違いをしてしまったフアスト-デザイナーたち。
彼らたちの殆どが
『質屋の息子は眼が肥える。』的
謙虚なエディケーションが,
そして、人間性が不足している。
学校を出れば、すぐにデザイナーになれると
大いなる自我による勘違いであるか、
周辺の誰もがアドバイスをしないで持ち上げるだけなのであろう。
だから、彼らたちには
素材に対する独自な感性と世界観は皆無。
 
 日本のデザイナーたちへの素材ビジネスのシステム、
『コンバーター』を通じてしか捜さない惨めさが
彼らの薄っぺらなショーの総て。
彼らはプロのコンバーターとコミュニケーションが取れる迄の
素材に対する経験から学んだ知識がないのが原因。
そうかと言って、産地迄も出向かない。
このアルチザンマインドの皆無さと
パクる事とブルことで誤魔化している彼らたちの育ち。
そんな、『同病、相哀れむ』の族を作っていても仕方ない。
ファッションとはもっと本来、”自由なマインド”の産物なはず。
彼らのこゝろは、いつも“豊かなる旅人”であって欲しい。
 
 ここで、彼らたちと一線を引いて
“豊かなる旅人”で居る若者も居る。
独自のインデペンデントな立場で
『質屋の息子は眼が肥える。』を楽しみ乍ら
自心に正直に、謙虚に仕事に勤しんでいるのが菅谷鉄平君。
彼は日本人で最初にIT'Sでグランプリをもらって
その後、セントマーチンからアムステルダムのアーネムインスチュードへ移り、
そこを卒業して異邦人が外国で暮らす為の多くの不公平な
煩わしさにも勇気と責任感でもって立ち向かい現在は、
イタリーの田舎のDIESELのアトリエで自分の信念に基づいて
黙々と持ち得た、職人的なこゝろを更に養っている彼も
もう、4年以上になるだろうか?

 瀬尾さんの勇気と真こゝろに正直な行動と
自分の時間の使い方に
結果、
この世界でしか経験出来ないカオスに、
Azzedine Alaiaの世界で4年以上も共棲させてもらった事。
何処の学校でも学び、経験出来ない
『質屋の息子は眼が肥える。』を
その努力と辛苦と幸福さと他に、日本人が入れない程の
本当のヴァニティな世界を知ってしまった
選ばれたものの自信と
これからのたいへんさが
今後の彼のエネルギィーの総てに。

全く、新しい素晴らしさをこの青年たちへこゝろ念う。
ありがとう。

文責/平川武治:St.Couldにて、

投稿者 : editor | 2010年10月19日 18:41 | comment and transrate this entry (0)

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