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僕たちの國が穢されました。−1

僕たちの國が穢されました。
「どうか、『近代性』が『あきらめ』の同義語となって行く事の無いように。」 
 周りの表層に誤魔化されないように、
このような事態になるとメディアは“表層のボキャブラリー”を報道するだけです。

 原発の実態については
広瀬隆さんが以前に書かれた本がありますね、「東京に原発を」ほか。
電力会社とは、或る種の國策企業です。
ですから’56年以降、国家予算をふんだんに使っています。
日本に原発が設置された当時は
財界、官僚、政治家(当時の自民党議員)と学者たち。
そんな彼らたちをたらし込んで”商品”を売り込んだ
当時のアメリカ政府と米國企業が絡んで出来上がった
日本の原発事業政策です。

 広島に、長崎に世界で初めて使った
戦争核兵器としての原子爆弾の平和利用が、
その裏には、”第3の燃料利権”として
世界レベルでユダヤ人たちを中心に深く絡んでいる現実。
国民の為の真意の結果の”原発事業”ではなかったと言う事実。
儲ける側の、自分たちの考えを実行、現実化し、
儲ける為に進行させたもの。
決して、国民の将来迄も考慮されて
決定された事業ではないと言う事です。
これが日本の原発の『育ちのボキャブラリィー』です。

 電気がなに不自由無く無節操に使える環境は
そのものが豊かさのシンボルンとなり、
以後、進化する消費社会環境に必然であり
これには国民が思うレベルの”自由と豊かさ”への、
無意識に慣らされてしまったシナリオの巧さがあります。
これが’70年代以降の”日本の高度成長”と言われて来た
『表層のボキャブラリー』です。

 適当に”餌”を与えれ続ければ、
大衆と言われる国民はその餌の為に”勤勉に働き”
与えられた餌”は満腹になる迄みんな食べる。
不足すれば不平を言ってその分だけ又、蒔かれる”餌”。
この繰り返しと、この状態の継続化が
戦後よりの”大衆のしあわせ”日本版シナリオ。
このレベルの”しあわせ”を選択出来る選択肢の多い事は
大衆たちの”自由”度。
この”しあわせと自由”が大衆たちに満足と平和を与えて来ました。

 戦後の日本人はこの非常にシンプルな回路で
国家とその周辺企業が目論んだ大衆消費社会に
飼いならされて来た戦後の60年間程。
それを”豊さ”と勘違いをした思想なき群衆、
僕たちが本心、忘れてはならないものを
沢山、置きざりに来てしまったのもこの60年間ほど。

 そこで見えたのが
多種多様な欲望に委ねた“豊かなる難民”。

 再び、活動期に入った日本列島の地殻。
その為に迎えてしまった2つの大災害。
一つは天災。
そして、もう一つは企業災。
同じ優れた”商品”も
使われる地盤や地殻そして、世界が違えば
恐ろしい、新たなリスクを生み出す”凶器”になる。

 時代が変わりますね、
変わらないといけません。
変わる為の後退、
背負い込まなければならない責任
勇気ある真こゝろを持って、
光が差し込む方を堂々と向いて、
光と対話して下さい。

 僕たちの國は優れた精神性と
メンタリティ豊かな民族の國です。
この事態は國を想うこゝろをみんなが一つにして
そのパワーで、穏やかにおおらかに解決しなければなりません。
僕たち日本人には可能です。
僕たちはイエローです。
“イエロー-ミラクル”を使う時が来ました。

 『僕たちはイエローである。』
僕たちには『やまとこゝろがある』
僕たちは『日本人』である。
とても素晴らしい自身ある”立ち居場所”を持っています。
この与えられた立ち居場所を認識し、
今回の天災と原発企業災害事故から、
非常に過大な犠牲を、リスクとして
正面から、僕たちはこれからの子供たちの為にも
大切な、本意と本心を謙虚に
もう一度,学ぶ必要がありますね
改めて、気概あるこゝろの様を持てる迄に、
そこに、『日出ずる國日本』が、合掌。
/平川武治:3月15日巴里にて:

投稿者 : editor | 2011年6月10日 02:29 | comment and transrate this entry (0)

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