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PARIS HOMME COLLECTION s/s '12 −4/まとめのようなもの;

前書きに変えて『いわゆる、トレンド』とは?
 誰が着るのか解らないしかし、その量がそこそこ多いという”プレタポルテファッションビジネス”。
このビジネスの基幹とされ、それぞれのデザイナーのコレクションの創造性と鮮度を決定付ける迄の
影響力を構造化されている”情報”が、“トレンド”と呼ばれているもの。
大半のデザイナーが此の情報をデザイン-クリエーションの絞りどころとし,
ビジネスの拠り所としている迄のビジネス価値を構築化してしまっている”トレンド情報”。
 此のトレンドは元々が世界の素材メーカーの団体が自分たちのビジネス上、
1年先の素材を企画開発し、サンプル織りをしなければならないビジネス構造上で
考え出されたシステムである。そこで、多くのデザイナーたちが出来るだけ、
サンプル素材を最大公約数的に使ってもらえる素材に絞リ込めるためと、
素材メーカーたちが自分たちの”リスク”を最小限にと考えられたところから生まれた情報である。
 クチュールビジネスが発端のモード産業ではいつも着る人が決まっていること。
即ち、オーダーする人が目の前にいて、その人のために素材も色もデザインも
すべて見繕って仕立て上げる世界から、数量限定の既製服”プレタポルテ”が誕生した。
60年代終わりからはこのモード産業も出来るだけ不特定多数のしかし、
沢山の人の趣味とセンスと欲望に委ねられる事が即ち、多くの儲けへ繋がると言う
ビジネスの仕組みへと構造改革がなされた。
これも当時の時代の変革にチューニングされた新しさの一つであり、
’70年以降のファッションビジネスの発展の一つとして、
新たな”アパレル産業”と言うカテゴリーが生まれた。
 このようなプレタポルテと既製服の時代になってからは、
あらゆる”リスク”が最小限に回避されてこそ儲かると言うビジネス構造が
又、ある程度の”リスク”を張る事で高粗利で儲けられるという、
此のファッションアパレル産業の由縁と発端になる。
 “トレンド情報”とは従って、素材メーカーは半年から1年先のための売り物であるサンプル素材を
使ってもらえる確立の高い素材にまとめるための変換構造と情報システムを構築し、
“リスク”が少ない素材を又、売り損ねないための素材を提供出来ればと言うところからの
ビジネス発想で”トレンド情報”が構築され生まれた。
従って、”トレンド”とは元々素材を売る側の仕組みである。
 ここでもうお判りであろうが、デザイナーたちは“トレンド情報”そのものを造ったり発信するのではなく
素材メーカー団体から与えられ提案された”トレンド情報”をフレームとして
その中で各デザイナーらしさをデザインするだけである。
これがいわゆる、プレタポルテデザイナーの素材とデザインとビジネスの
“トレンド情報”を介した関係性である。
 
 **最近の『トレンドの現状とはの例を。』
 余りにもキッチュな,デギュラスなコレクションを
日本マネーを使って巴里で2度も続けたトム.B君のコレクションを見てしまったので
否応にも前回(3月)のコレクション後の僕が制作したレポートを
再読する機会を持って改めて、今のモードの”トレンド”と称される塊の動きが
実際にこんなにもスローになった事を熟知した。

 —PARIS HOMME COLLECTION A/W '11~'12のレポート;
「コンセプトとしてのモードと時代性」;
 【先月行なわれたメンズコレクションでの一番のテーマは、
時代の傾向としての”男もの、女もの”の際が無くなる迄のコーディネートファッションが
より、一般的なトレンドへと流れ始めた。
 これはやはり現代と言う時代性がモードの世界で表現すればこのようになるのだろう。
現実の日常性も若い世代はどんどんと性差が無くなり始める傾向。
男が弱くなった、女が強くなったと言うような二元性での比喩ではなく
多分、全く新しい感覚での”男/女”が自然発生的に現われている事へのコードかも知れない。
男の子がスカートを穿く事が女々しいとは言われなくなった時代性と言う事なのだろう。
ここにも,出来るだけ、波風立てずに済むのであれば、
少しの”リスクある自由さ”を棄てても”安心と安全そして、健康と快適”を選択した方がいい。
と言うまでの昨今の豊かさを充足し始めた世代たちの”保守主義”的生活観の現れであろう。
ここにはもう、“斬新さや特異性”又、”革新的”等と言う言葉が全く見当たらない世界。
何時迄、続くのであろうか?

 この次に控えているのが『uniformizm』。
国民みな、何らかのユニフォームをお洒落として着始める時代がもう、すぐに。
この兆候は日本においても日常のTV番組を見ると明解である。
派手さを、目立つ事を目論んでいるはずのタレントたちの衣裳が
少しずつユニフォーム化され始めていること。
または、ユニフォームを敢えて着てしまっているタレントグループも多くなっている。
 男女の性差がビジュアル的な視点で無くなり始め、
生まれてからそれなりの豊かさの中で育った彼らたち世代が望む”自由”とは
もしかしたら、自分たちらしさを表現出来る”ある塊の中に融和する事”で心地よい
又、安心そして楽だと言う考えが多数を占める時代性になるのだろう。
従って、彼らの世代の”自由”とはどのような自分に合った塊を選ぶか?
もしくは、自分らしい他人に出会うか?が彼らが選んだ自由度であろう。
その為の出会い系サイトからフェイスブック迄は彼等たちにとっては恰好のハイパ-ライフギアーであろう。
みんなと同じものをどれだけ違った風に着るかが彼らたちが選んだ自由さ。
出る前の東京では、あのCdGの“PLAY"ブランドがオムプリュスを売り上げを抜いたデパートも出て来たと言う。
ここにもこの兆しが読み取れる。
“安心安全無難さそして、ブランドもの”と言うゲットーの中に入ってしまったファッショントレンド?】
 

 ***もうお判りであろう、「スローになっても”トレンド情報”が必要な世界とは?」
 従って、今シーズンも多くのデザイナーたちがショーによって素晴らしい世界を見せてくれた。
彼らたちのショーの目的は“ビジネスの潤滑化と発展性”である。即ち、”儲けたい”だけである。
これが究極の世界でしかない。ここに、”夢”と言う虚飾の世界の具現的集約化が、
センスよく、カッコ良く少しは芸術的にそして、自分も美しい、女にも持てるかわいい男にも持てる
”花苑”をショーと言う世界で構造化しているに過ぎない。此の花苑を”Le Jardin des Mode”と呼ぶ。
これがすべて既に、僕が言ってしまった、"The Fashion is always in fake."と言う世界である。
 此の”花苑”には集まって来るのは蝶だけではない。
蜂もいれば、蛾もいるし蜘蛛もいる、毛虫もいる。
そして、此の花苑を守っている庭師がいる。
これが、フランス、巴里という”Le Jardin des Mode”。
 “トレンド情報”とは此の花苑を守るための大事な”肥料”の一つである。
だから、此の”花苑”で競いあうには巴里の肥料が大事でありそれを使って、
R.オーエンも、Ann.もLANVANもDior.H.もあのCdGもトムブラウンたちでさえ、
それぞれにとっての華を咲かせているに過ぎない。
ただ、美しいのか、エレガントなのかシックなのか、艶やかなのかそれとも前衛的なのか?
黒マジックが効いたものなのか?パロディッたのもなのか?マジシャン的な面白さを持っているのか?
アースティックな戯れが在るものなのか?それこそ、”百花繚乱”の世界。
 どのようなイメージやこなし方や表現方法やデザイナーらしさのまやかしを、
素材と素材感や手法、技術を使って”トレンド情報”のフレームの中でいわゆる、
『自分らしさ/ブランドらしさ』を,薔薇は薔薇らしく、パンジーはパンジーらしく、
自分らしさの美意識でそれぞれの”らしさ”を、新鮮さを太陽の耀く元で競いあっている世界である。
ここでは自分が薔薇なのか、パンジーなのかシダなのかマッシュルームなのか、自分で自覚していないと
見てもらえない世界が”花苑”である事も忘れてはならない。
 このようなことを考えていると、
"INSTITUT NATIONAL DES JEUNES SOURDS"と言う未成年聾唖者たちの施設の
美しいガーデンで陽が未だ新鮮な光線を放っている時間に行なわれた
今シーズンのジュンヤワタナベのショーの会場選びには結構な意味が感じられるが
中身を見てしまうとこれとて、“儲ける”為の詭弁とその手法でしかない。

 僕が此の花苑に魅せられて通った25年間は変わったようで、
その本筋はしかし、何も変わっていない巴里の”花苑/Le Jardin des Mode”。
これからも、いろいろな國からそのお国柄の新種の美しい花の苗が植え込まれるのであろうか?
 
 ****最後にもう一度、今シーズンのHomme Collectionに戻って、
 P.Smithは丁寧なコレクションを魅せてくれた。素材の縫い合わせによる色と質感の違いを
シンプルでスリム&ショートなシルエットの中に落とし込んだ。シャツと共生地でのタイに好感を。
 LANVANはこなれた熟練のデザイナーの仕事。変わらぬ立派さを感じる。トータルに手抜きせず巧い。
此のデザイナーの服に携わるこゝろの在り様が感じられるショー。新しさも古さも丁寧にまとめている。
 北欧からのデザイナー、ACNEはここ巴里で見ると新鮮である、色使いとカラーバリエーション
それに、ニットものの巧さが光る。成熟したショーだった。
 後で、ショー写真を見ると意外に、DiorH.は意外と新鮮にまとまって見える。
白をあくまでも基調とした4色のコレクション。ナイーフな少年たちの世界を、男世界へ持って来た
ゲイたちの巧さを感じる。何か、自分らしさをその中で出そうとしているのが伺える。
その分、彼の自分のコレクションは少し、安直でコマーシャルが匂うものだった。
 今回のM.M.マルジェラとA.キメールは相似形に感じる。此の証しはキャスティングを
同じ事務所がやっているからだけであろうか?
 J.L.サリバンは気を使って構築し、服が好きなものが造ったコレクション。
しかし、ここに『イエローマインド』が見受けられなかったのは残念。

 見受けられた多くのテイストは、エレガンス、ロマンチック、オーセンティックとエキセントリック、
ゆったりさと快適さと癒し感覚。
 そのための今シーズンの新しさとして、初登場が”パジャマ&ベッドウエアー”。
後は変わらぬ、“ミリタリーのいろいろ、”“迷彩からフラワー”迄のプリントもの。
楽さとゆったりさのサンダルシューズのバリエーション。
 売りへのアプローチとして、シロ、黒、ブラウン、ベージュ、
それらに、オレンジ、イエローそして、タンとピンクの刺し色。
コットン、レーヨンと麻の軽い素材ドビィーなシャツ生地。
変わらぬデニムとレザー、新しさとしてのエナメルとラバー素材が今シーズンも。
そして、メタルアクセサリーが。
 サントロペ、ギリシャ、カルフォルニア、アメリカンインデアン、アフリカンマサイ、
D.ホックニーそれに、ピータービヤードも、今シーズンも解り易さの為にいろいろ出ましたね。
 最後に、オマケでは、来シーズンの兆しの一つに“服のパーツ”化が来るだろう。
結構、今シーズンの若いデザイナーたちやミュグレー、D.Doma等が近づいている。
文責/平川武治;ST.-CLOUD:

投稿者 : editor | 2011年07月02日 01:06 | comment and transrate this entry (0)

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