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薮睨み巴里-コレクション‘12/’13A/W速報−1、”CdG、川久保玲は?”

「今シーズンのCdGの服は実は、ショーで見えた服の全ては“和服”のカテゴリィー。」2012/03/03:
 昨日行なわれたコムデギャルソンのコレクションは今シーズンも観客たち、珍しいものが大好きなジャーナリストたちを喜ばせるには充分に成功したショーだった。(例の、style.comを見て喜んでいる人は既に、ご承知であろう。)
 
 でも、僕は違った所でひどく感動したショーだったのである。
日本の現在のファッション産業に於ける僕たちの國が持ち得たそれぞれの素晴らしい技術を
見事に駆使して出来上がっているコレクションであったからである。
日本でしか出来ない幾つかの技術を堂々と使って,この様な自分世界をこれ見よがしに発表出来る
このデザイナーとそのチームの気骨と凄さを感じたコレクションだった。
 ここにも,認識しなければいけないデザイナーの役割が見える。
デザイナーは自国の産業技術を生かす事で可能なデザインを真剣に考えると言う事,
これもデザイナーに課せられた大きな役割の一つであるからだ。
このあたりが無知で只,表層の外国人たちのデザインに右往左往して喜んでいるレベルの
若手と称されているデザイナーが多い中では,川久保玲でしか出来ない行為であろう。
また、そんなレベルで大いに勘違いし,イキがっている若手デザイナーがしょうもなく
メディアで騒がれている現実との差異はやはり,このブランドが“凄い”と言われるプロ中のプロとしての
強かな根拠であろう。

 今シーズンのCdG、川久保玲がデザインした世界の服はみんな“骨”で着る服であった。
「服は誰が着るか?」と言う究極の答えは,『服とは人間』が着るものであり,
それがどのような女が着るか,どのような男が着るかの違いである。
では,その『人間』はどのような構造体をしていて、身体のどの部分で着るのか?
ファッション教育ではこの根幹的な発想と理論とその現実が完全に飛ばされて教えていない。
ここでも,日本人に欠如している”哲学的思考発想”がその世界を”ごっこ”化しているだけである。
より、解り易い表層のマニアル部分から教えているのである。
従って、この様な発想を持って“服”作りを自分の世界観の中で行なっているデザイナーも少ないのである。
 
 人間の身体は,“肉”と“骨”と“皮”で出来上がったものである。
ここを初源として服作りの発想を展開して行けば,造形的にはかなり面白い事がこれからも考え,
創造出来る可能性の世界が在る。しかし、今のファッション教育の現実と教える側のレベルからでは,
もう,“創造の世界”は既に、完了してしまっている。
後は“工芸性”に委ねるしかない世界になって来た。(極論すれば、懸けなくてもいいのに、
わざわざ手を懸け過ぎる勘違いしたデザインとか、ファッションコンテスト作品に多いもの。)
 僕流に行ってしまえば,世界の民族によって即ち,自然環境の違いを始め、
それぞれの国家,都市が持っている歴史,文化の相違から大きく分類すると,
『西洋服は“肉”で着るもの。和服は“骨”で着るものそして、もう一つが“皮”で着るもの。』
そして、この“皮”で着るカテゴリィーは、フェティシズムやボンテージそれに古くからでは,
シャーマ二ズム的なる“衣裳”の世界がこの“皮”で着る世界なのである。
そして多分、これからはこの“皮“で着る“服”に大いなる可能性が残されているのが
今後のファッションの造型の世界であり、面白いことが出来うる世界でもあろう。
現在はこの“皮”で着る世界は殆どがただの解り易い『2nd.skin』レベルでしかないのである。
ストッキング、タイツ、レギンズ、ボディータイツ、 
黒、無地色そしてプリント迄が現在の“皮”で着る世界の貧しい進化でしかない事も確認すべきである。
例えば,この“皮”出来る事を広範囲に考えると,今後,服を着る事で、
着ている身体箇所が“治癒”されると言う古くて新たなコンセプトが甦る事も可能である。
また、もう一つには,現代では“着ぐるみ”がある。
 
 “肉”“骨”そして“皮”の3つの構造で着る、複合化された新たな『安心/安全/健康と快適さ』と言う
『服』に対する究極の考えが今後のファッションクリエーションの醍醐味と面白さと可能性そのものになろう。
ここで,“服”の世界が新たな距離観で“建築”に近くなる。
人間が生きるための空間としての“建築”と人間が生活するための空間としての“服”という発想である。
(今,日本では“着ぐるみ”マニアがここ迄進化(?)している現実はhttp://blog.goo.ne.jp/tutinokoland/c/964ea040f175007dadb795094561fba7がおもしろい。)

 さて、話をCdGのコレクションへ移そう。
川久保玲がデザインした今シーズンの彼女の世界観はみんな“骨”で着る服であった。
と言う事は彼女が提案した今シーズンの服はショーで見える限り、全てが“平面パターン”で構成された服である。
“2次元の世界“を服化した?又は現代社会の“2次元でフラットな世界観”を服化した。とも読める。
ちなみに、僕の理論で言えば、先程の”肉“で着る西洋服は3次元の世界であり、
従って、パターンメイキングが重要性を増す事になり、
“骨”で着る和服は平面の布で包むと言う行為に近く、
“皮”で着る服とは“袋若しくは、腸詰めソーセージ”作用で着る(?)ものであろう。
ここに三者三様のセクシーさが伺えもする。
 
 従って、今シーズンのCdGのショーで見えた服の全ては
“和服”と同じコンテンツで構成されたものだったと言う発想も出来る。
平面パターンで構築された“服”であるから着るという行為は全て
“肩骨”で着る(乗せる)構造になってしまっている。
或る意味では建築の世界でA.ペレが1903〜4年に初めてその後、ル-コルビジュエや
彼の作品を大いにパクった安藤忠雄等で一時、流行したコンクリートの構造体そのモノが壁面であると言う
コンテンツの“コンクリート打ち放し”建築の発想とも相似する。
平面構造をそのまま構造体とした発想での“フラット-パターン”に依って構造化された服である。
 このコンテンツそのものは新しくない。
‘90年代始めには僕の大好きな巴里のデザイナーJEAN COLONNAが僕にくれたコートも
同様な発想の元でロック縫いに依って出来上がっているものである。
丁度、ショーの前日に着ていたので僕は機嫌が良かった。

 今シーズンのCdGの“フラットーパターン”は着る身体を軸にして平面でフラットにするか、
直角でフラットにするか?の構成である。これら“単一”のものと、これらを“複合”したものとの
大きく分けると2タイプであった。
当然素材は、素材そのものに“張り“があるものが選ばれ、ウール、レーヨンの2ミリのフェルト素材が主流。
後は、ジャガード、綿別珍とウールギャバジンも久しぶりに。それに,サーヴィスとしての”フィルム-ラメ”地も。
 
 冒頭の僕が感動したと言うのは、これらの素材に施された装飾としての、
幾タイプかのプリント技術、染色技術、パッチワーク技術等が,やはり、日本ならではの、
日本でしか出来ないであろう技術を使いこなしての挑戦だったからである。
 このコンテンツでは当然、平面面が広く多くなるから色とプリントで装飾して
その面のバランスをおしゃれに,知的にセンスよく考え使っている。
ここで観客はまた、“凄い!”となるのであろう。
これらの面をアートギャラリーよろしく,20世紀の,もう古くなりかけた寧ろ,
ノスタルジックな“抽象画”や“POP絵画”それに,‘80年代にミラノで突然的に起った
“メンフィス”ムーブメント時代を彷彿させる装飾プリントも使われた。
この辺りの装飾の選び方とこなし方もこのブランドらしく知的である。
そして,色でも遊んだ。赤,ピンク、薄紫,青と黒。全く,今回は“黒”が脇役であった。
 
 ショーの後半に数体が突然に登場したものに“全身マスク”的なコンテンツの服が現われた。
生地素材に花柄プリントよる“フラット-パターン”での,マスクとフードつきが現われた。
これは完全なる“全身マスク”発想,即ち“着ぐるみ”コンテンツであろう。
この数体は,先程の“皮”で着る服のカテゴリーに入る可能性大いにあるものなのであるが,
この体数で止めてしまったと言う事は?時間が無かったのか?面白く感じなかったのか?未完だったのか?
詮索してみたくなる。
 今シーズンの靴もいい。木製サボヒール付き(5cm?)に皮の染色を一部,ぼかしたものは
結構、新しく感じるものであった。
 
 見るからに『ペーパードール』,『マネキン人形』そして,『サイバードール』へと時代の動きを感じさせ、
余りにも無機質的で,プラスティックな感覚の人間像はヘヤーデザイナー、ジュリアンによる
被り物の影響も在るのだろうか寧ろ,サイボーグ感覚を喚起させ,面白く感じるが
不思議に今回のショーからはこのデザイナー特有の人間味なエモーションは感じられなかった。
また、”特異性”は感じず,”特殊性”の世界であり、珍しいものが大好きなジャーナリストたちをワンシーズン
喜ばせるには充分に成功したショーだった。
 
 余談になるが,それにこの“フラット-パターン”と言うアイディアは新しくない。
寧ろ,‘00年代のファッション学生のスクール-ワークには多く見られたものであり,
ショーに於けるその“ワン-アイディア”での構成も少し,物足りなかった。
 確か,卒業後,,J-P.ゴルチェで活躍した ブリュッセルの有名校,ラ-カンブルの卒業生Christophe Beaufays君は
‘01年に全く同じアイディアで同じ様な平面服を彼の卒業作品で作り,僕も審査をし,
これでイエールフェスティバルへも参加し,グランプリを貰ったと言う事を思い出させてくれた
コレクションでもあった。
http://sa.linkedin.com/pub/crstof-beaufays/37/2a6/881
https://www.skywardsfutureartists.com/Gallery/Artwork/?p=80&Artwork=616f78d0-e5b5-4fdd-b56e-3f311a9b7b7f

 前回のANGELO FIGUSも、今回のCHRISTOPHEも優秀なベルギィーのファッション学生だった、
偶然性とは恐いものである。共通点は何かあるのだろうか?
ありがとう。
合掌。
文責/平川武治:平成二十四年三月四日:巴里にて。

投稿者 : editor | 2012年03月05日 20:34 | comment and transrate this entry (0)

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