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平成二十五年の立春に、”新年のごあいさつと今年の想い再び。”
新たな年の立春に;
年初めのこの1ヶ月はもう既に、いろいろな事件が起こってしまった
近年には珍しい、騒々しい年の始まりになりましたね。
自然界や人間界で。そして、国際的にも、国内でも。
気が付けば、僕たちの國も白人世界の彼らたちの”業”の中に
完全に組み込まれてしまう結論的な始まりの年でしょう。
「虚飾が騒げば騒ぐ程に、索漠とした新年の移ろいのみ。」
今年の新年も
不便さの中の自由を噛み締めて生かされております。
今の日本人の多くは、表層のカッコ良さや便宜さばかりに惑わされて
年毎にカッコ悪い生き方になってしまっていますね、特に中年以上が。
近いうちに本当に想いもよらぬ“豊かなる難民”に成り下がってしまう
”覚悟”が出来ているのでしょうか?
もう少し、不器用にごつごつした生き方や、身勝手な自我を抑える事も
今後の新たな、子供たちや赤子の為の気概ある社会を作るには
必要な日本人のこゝろの有り様でしょう。
新年にはこんなことを考えていました。
残念ながら、今の日本は
もう、個人が持ち得た”エゴや夢”を目指し、成就する事のみが
国家や民力を豊かに出来る時代では無くなりました。
現状の日本は政治家たちと彼らの政治によって
そのようなレベルと構造になっていません。
個人の”夢/エゴ”の成就が國の豊かには、残念なが通じなくなりました。
國を念うこゝろと共に國力が豊かに稔るよう
現実的により、現社会にコミットして行けるか?
この様な時代性とは、
先ず、”國力”を豊かにする事も大きなプライオリティでしょう。
これが僕の今後の課題です。
ここに“I'm a Yellow."の根幹ありと考えるからです。
しかし、もう、彼方たち若い世代が國を改造する意識を、
こゝろの有り様を持つべき時です。
そこでは団塊の世代たちの多くが捕われてしまった、
即ち、含羞無き軽薄な自我と表層のニンジンに”下こゝろ”を捕われないように。
与えてもらった”物質的な豊かさ”を利用して、
何を排除し、何を残さなければならないか、
こんなに”豊か”なのに何に苛ついているのだろうか?
彼方たちの現実から、それぞれの豊かさに“こゝろ”を肉付けして下さい。
このままで行くと日本も“金権資本主義”による金権格差社会が進化発展するのみです。
どうか、政権が交代しても『FUKUSHIMA』を
忘れないで、風化させないように、おねがいします。
この構造を僕たちの国土に直接仕掛けたのは彼らたちとそのアーカイブたちです。
ご自心のご経験を生かし
ご自心の世界観を持って
ご自心らしい手法で
覚悟ともに!!!
僕たちの世代は“大いなる罪滅ぼし”をしなくてはなりません。
これからの國や幼子を念うために、よりこゝろと時間を使わなければいけません。
守るべき事、残すべきものを含羞と共に決断し、新たな”リスク”を熟知し、
これからの日本という國の調和を生み出す為の覚悟を。
僕は元気で、質素な新年を多くの皆様の御陰で迎えることが出来ました。
どうも、ありがとうございました。
凍る夜空に導く北斗をあらため、
耀く新たな年の冬の陽に委ね、
濱では大波が繰り返す海原へ
のろのろと歩んで行く亀に遭遇。
まるで、僕自身を見ているようなデジャブな新年の始まりでした。
また、僕が昨年のPARCOで行われたANREALAGEの会でお話した
僕が思う新しい事としての"MAKERS"/”第3次産業革命”の1件は
その後、今年の年頭の経済誌”東洋経済”誌の特集として組まれています。
もうその時代が始まります。
ファッションの人間がファッションの世界に閉じ籠って
イキがって居るだけの時代は終わたでしょう。
どれだけ、世界で興っている事実とそれらが生み出す新たな”リスク”
即ち、”リアリティ”に目を背けないで、生きるかです。
そこに”絆”と称されている
これからの”マス-コミュニケーション”の価値と存在があるでしょう。
その為に皆さんの『教養と経験とスキルと技術と関係性』を持って
皆さんの方法論でどのように社会に寄与するか、よりコミット出来るか?
ご自心の”根幹”と共に。
どうか、今年はおおらかに、穏やかにおこゝろと、
お時間とお軀を十分にお使いください。
結果、好奇心豊かな、心地よい時間の1年でありますよう、
ご自愛と”覚悟”と共に、お励みください。
相案相忘。
文責/平川武治:平成二十五年正月吉日。
投稿者 : editor | 2013年2月 7日 20:11 | comment and transrate this entry (0)