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ひらかわ版”雑感、東コレ’13'14A/W”、其の一/3月17日版;;

 Conny Groenewegen:
 残念ながら、見せて頂いたショーの内容からは
未だ、助走中のデザイナーレベルである。
 
 彼女の一方の主翼が”テキスタイル作家”であるためのクラフトマンが持ち得る重さが、
もう一方の主翼の”ファッションデザイナー”のバランスを崩しがちである。
が、もう一方で典型的な”ダッチスタイル”のデザイナーでもある。
この手のデザイナーは同じオランダでもV&Rたちを生み出した“Arnhem"系とは
対称に位置する、寧ろクラッシックで地味なタイプである。

 プロファイルに出身学校が明記されていなかったので聞いたが、
案の定”ロッテルダム”の工芸性が強い学校の出身である。
しかし、工芸性が強いこの國の、この系列のデザイナーたちが憧れ、
創成される産業工業的背景が此の国には未だ少し存在している。
それは伝統を引き継ぐクラフトマンマインドたちの
紡織やフェルト工房が利用出来るとこであり又、良き先輩作家、Claudy Jongstraたちが
活躍しているからである。

 現実の日本には、残念ながらこの構造が激少化している。
自ずと使い、自分たちの世界観でプレゼンテーションすべき日本人デザイナーたちが
不勉強で浅学、変わらず、”デザイナーぶる”事に煩わされ、巴里のトレンドを追随する。
又、その方向性を日本メディアやその業界が消費社会目線のみでカッコいいと
持ち上げて来たここ20年来の偏ったコンプレックスの現状結果であろう。
 
 余談になるが、彼女、Connyの前を走っているのが、Iris van Herpenだ。
僕はこの間、巴里で再会し少し、インタビューをして来た。
(このインタビューは後日、報告をする。)
 彼女、Irisは同じダッチ出身のクチュールデザイナである。
先シーズン,1月の巴里、オートクチュールコレクションでアメリカの3Dプリンター会社と
ソフトCD会社のコラボレーションで、”3D-PRINTERE"を使って
完全なるコスチュームを構成創造し、発表したデザイナーだ。
Irisはアーネム工科大を卒業。(僕はこの時、審査委員をさせて頂いた。)
その際、Claudy Jongstraのところでインターンシップその後、
Lee Alexander McQUEENのところでもインターンシップを行い、彼の元で”3Dデザイン”を
オランダの伝統的工芸技術を使った皮素材を中心に製作し、
独立後は既に、’10年来から”3D−デザイン”に、世界を先駆けてチャレンジしている
今後、注目すべき若き、クリエーターの一人である。

 以前から僕が提唱している『縫わないでいい衣服』の時代への先駆けを
今後への新しさと考え、自分の世界観として実戦しているからである。


 このIrisとConnyの共通点が面白い。
それは、共に、自分たちの國の良き時代からの伝統あるクラフトマンシップが
生き続く世界へ先ず、興味を持って技術とそこでしか身に付かない”美意識”を学び、
それらを自分たちのクリエーションの根幹としてそれぞれの世界観を築きながら、
それぞれが望む方法で社会へコミットしている事である。
即ち、伝統工芸技術や工房システムや職人とクラフトマンシップを交流させながら
そして、その世界を守りながら彼女たちが求める新たな世界観を独立させている事である。

 この二人のダッチスタイルの女性デザイナーたちに共感出来る事は、
Connyも発言していた事であるが、「伝統工芸の手法を学び持って、
コンピュータリングによるソフトウエアーリングに委ねる事で出来上がる
世界そのモノに興味がある」
と云う事である。
真の新しさとは、この覚悟ある世界観からしか生まれない。
 
 極論すれば、『20世紀のハードウエアーと、21世紀のコンピューター
ソフトウエアーそして、持ち得たそれぞれのヒューマンソフトウエアーとの
コラボレーションによるディレクションである。』
 ここに本来のデザインの役割が有り、それによって時代や生活環境、
生活者たちへの新たな生活様式を豊かにする事がデザイナーと云う役割の仕事である。

 ここで、日本のデザイン教育者たちの遅れた考えを修正統べきである。
表層の持ち得た教養も才能も低レベルな個人の夢を成就させるだけでは
國のためにはもう、決してならない事に気が付くべきである。
この様な豊かさを知ってしまった世代と時代への新たな眼差しを持った時代観ある
教育が遅れ過ぎた。
 
 それ以外はファションの世界もコンシューマーデカダンスに委ねた
“アーカイブから只、モノのバリエーション”の世界でしかなくなる。
 しかし、今の若者は作り手もメディア側もほとんど、“アーカイブス”を知らなすぎる。

 彼女、Connyのショーから何を読むか?
それなりのお金を使ってのこの手の試みであるからには、
僕たちの國への現実に何か本質的なる根幹を読み取るべきである。
それぞれの國が持ち得た産業構造とそのフローのスローさが一つの差異であり
そこに何か今後、大切にしなければならない僕たちが嘗てに、捨てて来てしまった
大事な産業構造へのインフラの見直しと実行が考えられれば、
今回、東コレでの彼女のショーが為された目的があろう。
 
 興味を持ったアイテムは、ショーの半ばに出て来た”ウールニットレギンズ”。
編立てを前後で変える事で装飾にしたデザインのレギンズは好きだった。
このタイプの発想をもっと広げ、”ボディーウエアー”を熟考してマスターピース化すれば
新たな日常着としての”キュアーアイテム/CURE ITEMS”への提案になり、
インダストリアル化する事で社会へコミット出来るだろう。
文責/平川武治:平成二十五年三月十七日:

参考/
Claudy Jongstraのサイト:
http://www.claudyjongstra.com/

Iris van Herpenのサイト:
http://www.irisvanherpen.com/

投稿者 : editor | 2013年3月18日 05:38 | comment and transrate this entry (0)

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