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“倫理”という事に考えた事がありますか?”時代性に適合した『倫理』観について、−2
”時代性に適合した『倫理』観の再考と提案を。−2”
そうですね、”医者”には人命を救うという職務から国家試験が必要です。
その為の教養やスキルや経験やそれなりの技術が人命を救うという目的から必要である事と、
もう一つは人の人生にも関わる職業だからというところでの規範や倫理観が教養にも
必要になる極めて、普遍的なる人道的な立ち居場所での職業です。
『エコエティカ』には今の時代性に適合した『倫理』が必要であることを筆者が学んだ
教養と経験とから堂々と述べている書です。
『倫理学』とは関係性の為の”関わり学”であるとし、
それが”対人との関わり”だけでよかった時代から今では”対自然”と”対技術”との関わりへ
広げた『倫理』と『倫理観』が必要な時代性であると解いている本です。
今、エコロジーを発言して商売をしている輩たちには是非、必読の書です。
多くの書物を読んでいると気ずくのですが、日本人の教養ある人とは、
”書物の世界から書物を書いている”人がウケる世界です、特に西洋の書物から書物を書く。
今ではその書物が”電脳ボックス”に変わっただけ依然、変わらずの”明治時代の教養主義”が
蔓延ったままです。ここには“経験”は殆ど欠如され、経験無くとも学んだ知識をより子細に
広げる事が教養とされて来た古い時代の刷り込みでしかありません。
例えば、ファッションの世界の哲学書と言えば、最近の鷲田氏迄の軽さがウケる原因は
今の若者たちの保守性とこの旧さと覚悟の欠如にあるでしょう。
この著者、今道氏の場合は東大哲学科から巴里で学びその後、その学校、
パリ大学で教壇にも立ちそこからの彼の経験と関係性を根幹に彼の哲学が生まれ
それが『エコエティカ』なのです。
◉
多くの“如何様、なんちゃってデザイナー”諸君たちもきっと、
”ファッション”が好きなのでしょう。“服”が好きなのかどうかは解りませんが、
ファッションには所謂“国家試験”がありません。
例えば、パターンメイキングや今では、カラーコーディネートなどの職種に携わる人たちの
職業、職域では試験のような資格範囲はありますが、
“デザイナー”に成るには何もいりません。
極論すれば今では、”明日から僕デザイナーになる。”と言ってそう慣れる世界です。
そんな世界なのです、現実は。まったくのフリーな職業です。ですから、ファッションが
”自由の産物である”事の証かもしれません。
又、ファッションは資本主義社会から生まれ落ちた消費産業の一つだからでしょう。
その後ろには“金権”という大きな囲みがありますね。
又、そこへ辿り着くには“OZのエメラルドの塔”(これが解らない人は、“OZの魔法使い”か、
あのM.ジャクソンも出演している映画“WIZ"を是非見て下さい。http://movie.walkerplus.com/mv870/)
に辿り着き、”選ばれて”入れてもらわなければなりません。
多分、“如何様、なんちゃってデザイナー”たちもここへ行き着きたくて結果、
出来ない事や、やっていない事知らない事も知っているように度胸やカネやコネを使って
下心いっぱいにして、その結果がメディアに登場出来る”有名人”に成れるからでしょうか?
その結果が、”儲かる”からなのでしょう。
こんな育ちをこの現代でも堂々と受け継いで構築されているのが変わらぬ、
国家もお金を出して祭り上げている日本のファッションの世界なのですね。
未だに、あの名作童話”裸の王様”がここでは真に生きている世界です。
『王様は何も着ていない!!』
そう論じられる人種も不必要な時代性と共に皆無になってしまった為でもありますね。
僕が長年のこの世界での経験出会った沢山のファッションに関わっている人たちには、
共通して3つの根幹タイプがあります。
一つは“服が好き、作るのが好きだから創りたい”。もう一つは、“ファッションの世界が好き”
そして最後は、“お金が好き”。に尽きるでしょう。
(もう一方では、女が好き、男が好きバニティが好き、もありますね。)
僕たちは“服が好きで、創る事が好きな人”がファッションデザイナーになると
教えられ、そこに”夢がありますよ”と刷り込まれて来た世代でしょう。
今でもこの根幹を持ってデザイナーになっている人たちも居ますがかなり狭軌な
より、コアな世界です。大変な覚悟とその為の努力が必要な世界です。
現代のファッションの世界では“ファッションの世界が好き”と“お金が好き”な人たちが
当然ですが、お金を儲けていますね。有名人になっていますね。
そんな彼らたちを請け負って商売をしているのが”広告産業”です。
いつの間にかこの”モードのキャピタル、巴里”のファッションの世界も完全に、
”広告産業”化構造になってしまいました。
どれだけ資金を使って、それ以上、数倍のお金を確実に儲けられるかの世界です。
その為に機能するのが広告産業です。彼らたちの美徳は“美しすぎる嘘を思わせぶるか”です。
この構造の中に“有名デザイナー”たちの誰それがと、飼われているだけの世界です。
今シーズンのクチュールコレクションでは、
呼び寄せたジャーナリストと称される人種たちに例の、大きな瓶のオーデトワレNo.5を、
(決して、パルファンではなく)撒き配ったメゾン-シャネルのパフォーマンス。
貰い物で着飾る事に慣れてしまっている人種たちを手なずける順当なる手段。
その結果はどう出るか?カール君もリタイア時期でしょうか?
ラグジュアリィーブランドの総合売り上げでは
依然、このメゾンがトップを行っているのですからね。
此の古き手法は日本では“付録つき女性誌”の手段です。
そう言う意味では、社会構造の違いから日本のファッション誌の方が大衆消費社会に
直接、接点を持った”リアリティ”を生む迄の戦略ですね、流石です。
思い出しますね、僕たちが少年の頃、やはり、沢山の”付録つき”冒険王や少年画報を
毎月の発行日を待ちかねて買いに行った事を、、、、、、
(つづく)
文責/平川武治/チューリッヒ市にて:
投稿者 : editor | 2013年7月11日 16:58 | comment and transrate this entry (0)