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三伏の候、”モード、ファッションを論じるより、社会の変貌と社会的責任を意識する事。”
『 雨の後の寂しげな香りはもう既に、秋。みなさま、三伏の候、お見舞い申し上げます。』
暫く、考え込むことが多く、書けなかったこの盛夏がもう既に、終わる。
そして、少し凌ぎやすくなり、火照り、疲れきった身体とこゝろを醒すには良い時節になり
時候の挨拶と共にまた、このブログへ書き上げてゆこうと始める。
今と言う日本の現状は社会、世間へ投げ込みたい発言は増えるばかりなのであるから、
考えていたことの一つ、これからの近未来の日本で、若い世代たちが為すべきことは、
『成長と変貌ではなく”変革と洗練”の時代』であることを認識し、自分たちの生活環境を見渡し
社会的責任を意識する事こそ、今一番トレンドなことであろうとと言う認識と行為です。
先春の終わりからひと夏の日本の政治、社会状況の変貌には恐ろしいものがありましたね。
“集団自衛権”や“移民法案”などを表層とした既存憲法の浅はかな解釈による改憲と新たな
“カジノ法案”の成立とその周辺の風俗法、賭博法の改定など等。これら一連の安倍内閣の動きも
ポリテカルに見えているようですが、実は、これらの根幹は結局は『金と利権の都合』で行なわれている諸行為。
戦後69年目の日本も金の力で憲法迄もが変えられる国家に成り下がってしまったと言う次第でしょうか?
これらの現実とこれからの日本國がどのような世界環境と状況の中へ漂う様になるのか、
或る、一部の大いなる勘違いをしている輩たちの強欲な悪知恵の”根幹”をより、誠実に興味を
持ってお知りになりたい方たちは学んで下さい。そして、行為して下さい。
例えば、ぜひ、雑誌『世界』6月号/7月号をお読み下さい。/岩波書店刊 特に、今後日本にも登場する『カジノ社会』についてはこの7月号掲載の2本の記事が本格的な論説としてメディア化された初めてのものでしょう。
ぜひ、カジノ社会に興味ある方はご一読下さい。
そして、今後の近い将来の日本での”それぞれの立ち居場所”を確認して下さい。
“裏”として、『3.11フクシマ』のその後の被害と後遺症の真実を世界レベルで隠し通そうとするための“表”/『東京オリンピック』への期待と残された可能性ある産業としての
『観光立国化』、その為のそれなりの輩たちには念願であった『カジノ産業=賭博産業の拡大』の現実化。
確かにこの現実によって新たな産業が機能し、“表”は国内の経済効果と消費効果は発展する
であろう。が、その”裏”では“ギャンブル依存症”患者の増加とそれが及ぼす諸不幸がより、
多くの民事事件を起こすであろう。
戦後の経済復興のために構造化された”競輪、競馬、競艇”は現在も”警察系の天下り”構造
として確実に構造化され発展し続けている。
そこへ、戦後の在日系への敗戦保障として委ねられ発展し続けて来た”パチンコ業界”が加わり、
確実に儲かる産業システムを日本のゲーム産業の技術が寄与し、”アキバ/ゲーセン”文化が
これを表層イメージ化した現在のこの業界の次なる発展が”カジノ/賭博産業”である。
これら所謂『新-賭博産業』は新たな”バブル経済”を例によって、メディアの煽りと伴に
一時はもたらすでしょう。
先ずは、この”オリンピック/カジノのバブル”にどの様に乗っかるか?
例えば、ファッションと言う立ち居場所を持ってどの様に自分の距離観に置くか?
これが「今後のそれぞれの立ち居場所を確認して下さい。」の本意であり、今の30代が
この近未来の現実を想像し絵図を描き、どのような『ジグソウパズル』遊びが出来るか、
その時の”夢/下心”が今後の彼らたちの日本で築ける可能性ある”立ち居場所”になる。
此処で言いたいのは、これからの若者たちが時代の流れの表層に彷徨っているだけでは無く、
また、保身も含めた“過去のゆらぎ”に身を委ねただ、自己満足していないで、
より現実を直視すること、考えること。そして、今の現実の”ニュース”をどのように
読み解きそれがもたらす近未来の現実社会を予測し、イメージングしたところで、
自分がどの様に関われるか?若しくは、自分であればどの様に関わるか?と言う迄の
”自由さ”が必要であると言うことである。
ここにしか、これからの30代の“夢/下心”多き輩たちがそれぞれの分野で手中に出来る
可能性多き、”現実になり得る未来”があるという自由なる発想と時代の読みどころが
必要であろう。ここに本来の”新しさ”と言う自由が誕生するであろう。
『知的であること、誠実であること、ナチス的であることは決して3つ同時に成立しない。』
これは、ドイツ第3帝国時代のジョークとして伝えられていたものです。が、もしかしたら、
今後の僕たちの国、日本の未来は『知的であること、誠実であること、日本的であることは
決して3つ同時に成立しない。』と言う迄の社会国家に変貌してしまう可能性があります。
これを救うのは『倫理観』です。
個人の『倫理観』とその個人の集団としての社会が持つべき『倫理観』でしか無いでしょう。
この『倫理観』が『洗練さ』をも生むのです。
そしてここで、改めて日本人本来の『宗教心』が希求されるだろう。
この一夏が過ぎて考えることとは、表層のファッションではなく社会との関わり方であり、
どの様にこれからの社会にコミットするか?の行為である。
文責/平川武治:
投稿者 : editor | 2014年8月30日 19:18