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Anrealageの事をもう一度、確りと書留めておこう。何しろ、初コレクションで、本人も力を入れたコレクションだったのだから。

 その遅れて来た『コムデギャルソン症候群』の独りが一昨日、
憧れの巴里コレクションデビューした。

 ANREALAGEの初ショーは、オーナー社長デザイナーの自己満足を満足させるものだった。
所謂『電気仕掛けのマジックショー』。
昔は人間なるマジシャンがすぐれたデザイナーであった時代があった。
が、今ではこの様な機械仕掛けマジシャンや或いはイメージングの上では
バーチャルマジシャンたちが登場し始めた。
 若いブロガーレベルは喜んだでしょう。内容がそのレベルの驚きをもたらしたのだから。
しかし、こちらのジャーナリストたち(プロ)の連中は、少し、引いていました。
日本の素材メーカーのためのプロパガンダと言う受け取られ方が一つの評価でしょう。
デザイナーとしての服ではその『ネタ元』が読まれてしまったショーでした。
それに、外国人ジャーナリストが少なくブロガーが多かった事も今であろうか?
 ”デスコンストラクション”が何を今、現在へ提言するのか?現在の日本社会なのか?
世界構造なのか?“ズレ”が時代感なのか?ある意味で、”時間概念”をズラす迄を
コンテンツとすればもっと、深みが在っただろう。或いは、ただのトレンドか?
そして、『日光写真』のプロセスを見せてしまったので、
これからの実力とセンスとスキルがどれだけこの街で通じるか?
どれだけ、ユダヤ人たちとの関係性へ即ち、メディアとビジネスへ広がるか?
 しかし、バイヤーたちへの手みやげ『客寄せパンダ』から始めなければならない
立ち居場所を選んだのだから今後は”売れる、売りたい服作り”のお手並み拝見が
彼らたちの本音であろう。ここが、例えば、SACAIとの違いである。
 この程度の自己満足を満足させるには自費でやるレベルである。
この自己満足を継続させる事で次なるステージへ上るためにも、それ位の企業の奥行きが
必要である。そうしないと次からがかなり質が落ちて当然であるからだ。
 しかし、現代日本のモノ作りにおける「何が”ジャポネズムか?”」と言う問いでは、
“素材が面白い”が”モード”レベルではないが、その問いの答の一端にはなっていた。

 過去3シーズン来、このデザイナーが日本素材の新しさを自分のコレクションに利用する
方法を自分のコレクションの手法のメインとしてしまった。
が、この場合のこのデザイナーの手法は利用でしか無く、“利用”はただ、単にその日本素材の
凄さと言う”情報”を見せびらかしただけのテリトリーでしかない。
この“情報”を自分の立ち居場所で”モード”にはクリエーションしていない。
若しくは、未熟である。
 この辺りが巴里と日本の”モードの世界”の現実の視点のレベル違いであろう。
“モード”としてどの様なクオリティあるものが作られるか?
ここがこの街の持っている眼差しであり、その強かさである。
ここに、この街が極めつけとしているのが”エレガント”と言う”格”である。
 翌日、あるショーでUAの栗野氏と同席した際に話題になり交わした際の『同意』であり、
お互いが長い間この街のモードを見て来た経験からの見解であり、この辺りが、
東京ファッションシーンにおける、最近の”ブロガー”たちとのレベルの違いでもある。

 これは先シーズンもそうであり、僕は彼へ進言した事である。
彼のプロパガンダの根幹は先シーズンと同じであり、進化していない。
今の若者が得意がる”こんなの僕知っている”レベル、所謂“情報集め”でしか無いのが
このデザイナーの貧しさである。
 “知っている事”と”考えること”は違う。
又、”知っていること”と”創造する事”は全く世界が違う事である。
 遅れて来た『コムデギャルソン症候群』で川久保玲に憧れ、その道を望むのであれば、
もっと深く、彼女が何を”創造”して来たか?を感じその根幹を学ばなければならない。
彼女は、その彼女の立ち居場所を巴里モードにおける30数年と言う時間を費やしながら
”モードの世界を創造”して来たのである。決して、”情報”だけを見せてはいない。
作られる彼女の作品には既に『品格』が創造された世界である。
残念ながらAnrealageのデザイナーがデザインしたと言う”商品”にはそれが未だ感じられない。
とても薄っぺらい、平面な服でしかない。(これは多くの若手日本人デザイナーの欠陥である。
この理由は自身の手を動かしてプロとして服が作れない連中の仕事であるからだ。)
 故に、僕はこの遅れて来た『コムデギャルソン症候群』のデザイナーの今回の仕事は、
『現代日本素材の素晴らしさと凄さ』をプロパガンダした行為でしか無く、
それ以上でもなく、それ以下でもない。
 彼が持ってしまった”自己満足”を焦って、満足させるものでしか無かった
デビューイベントだった。

 最後に、『これは感心すべき事なのか或いは未だ、こんな考えでファッションデザイナーに
収まっていたいのか?』と言う、そもそもの疑問が拭い払えない。
 『もう古く、しんどい考えではありませんか?』
 『未だ、この様な自己満足を満足させたいのですか、なぜ?』
 『多くの善意ある人たちの、他人の褌をかき集めて、この街で"来歴”を作るために
やって来た、その根幹は何なのですか?』

 彼は好奇心の旺盛さと繊細さを持って、”より、次ぎなる”を求めるであろう。
その時、“May I help you?"と言う彼のこゝろの有り様が”商品”の顔つきになってほしいものだ。
 ご苦労様でした。
文責/平川武治:

投稿者 : editor | 2014年9月26日 08:17 | comment and transrate this entry (0)

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